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2009年03月22日(日) ■ |
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Vol.739 たくさんの友達に |
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おはようございます。りょうちんです。
いつだったか昔、俺の最高の宝物は友達だと本気で思ったことがある。それくらい俺は、本当に友達に恵まれていると思う。例えば去年の忘年会。学生時代の同級生や昔の仕事仲間など各方面の友達からの誘いで、たしか6つか7つの忘年会にお呼ばれをされた。もちろん仕事などの都合で参加できなかったものや、中には忘年会の日程がかぶってしまいやむなく日にちをずらして新年会に代えてもらったものもあったりしたが。お酒もろくに飲めない俺がこんなにもたくさんの忘年会のお誘いを受けるということは、やっぱり友達に恵まれているとしか俺には考えられない。 俺の友達のほとんどが、知り合ってからもう何年にもなる。友達とは、長く付き合うがこそ友達であるのかもしれない。当たり前なのだが、知り合った直後はあくまでも「知り合い」の関係なのであって、何度か会ったり話をしたりしていくうちにやがて「友達」と呼べる関係になるのである。そして一度友達になってしまえばたとえ何年も会えない時間が続いたとしても、再び会った時にはいつだってすぐに昔と同じような関係に戻れるはずなのだ。だから俺には中学生や小学生や中には保育園の頃に一緒だった友達もたくさんいて、その後ずいぶんと疎遠になった時期もたしかにあったが、みんな引っ越ししたり就職したり結婚したりして今では年に一度会うか会わないかの関係ではあっても、彼らはれっきとした俺の友達なのだ。 では、どこからが「友達」なのだろうか? 「知り合い」と「友達」の境界線は、どこにあるのだろうか? 俺は、気持ちの共有ができるかできないかの違いだと考える。友達に喜ばしいことが起これば俺もうれしくなるし、友達に不幸なことが降りかかれば俺も悲しくなる。同じ気持ちを共有できるからこそ、祝福したり励ましたり心配したりできるのだ。うれしいことに、そんな友達が俺にはたくさんいる。 前の職場でアルバイトとして働いていた友達が、わざわざ会いに来てくれた。あれから10年もたつが、彼とは良い友達としてずっと関係は続いている。こんなふうに俺を慕ってくれるたくさんの友達に、俺は感謝の気持ちを忘れてはいけないのだ。
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