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2007年03月17日(土) ■ |
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Vol.689 サラダ革命 |
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おはようございます。りょうちんです。
中国から帰って来てすぐ、俺は風邪を引いた。北京のひどく乾燥した空気と寒さ、それに旅行での極度の疲労が原因だったのだろう。幸い一日ゆっくり休んだら仕事には差し支えない程度に回復したのだが、相当しつこいウイルスだったようで1ヶ月たっても乾いた咳だけはなかなか止まらなかった。中国で変な病気をもらってきちゃったかもなんて心配しはじめた頃、タイミングよく年に一度の健康診断。2週間後に返ってきた結果では、胸のレントゲンにあやしい影は認められずいたって良好、ただ去年同様に中性脂肪値がやや高めと診断されてしまった。 それがきっかけでもないのだが、再度改めて自分の食生活を見直してみようと思った俺。以前に比べて甘いデザートをバカみたいに食べなくはなったのだが、それでもまだあまり効果が出てないのならさらに他の手段を考える必要がある。そこで目をつけたのが、ごはんと野菜のバランスである。ごはんが大好きな俺はいただきますのあと、まずはすぐにごはんを立て続けに食べてからやっとおかずに走るのがいつものパターンだ。またひと口あたりで食べるおかずの量に比べてごはんの量がとても多いので、結果としてごはんを大量に食べている。ごはんは炭水化物、ゆえに必然的に摂取カロリーが多くなってしまうのも納得できる。 そこで。いただきますのあと、まずは野菜を大量に食べてからごはんに手をつける作戦を考えた。幸い我が家の食卓にはほぼ毎回野菜サラダが登場する。この野菜サラダをアペタイザーとして大量に食べることによって、極力ごはんの量を減らすのだ。主食をごはんから野菜へと変える、いわば「サラダ革命」である。 その日から、どんぶり一杯の野菜サラダを食べてからごはんとおかずに箸をつけるようになった。野菜ばかりで野菜嫌いになっちゃうかもなんて当初の心配はどこへやら、毎日おいしく野菜を大量に摂取できている。サラダでおなかが満たされるせいで、ごはんのおかわりもしなくなった。お通じも1日1回から2回に増え、すこぶる快調だ。順調にスタートを切ったこの作戦を、俺は当分続けてみたいと思う。
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2007年03月14日(水) ■ |
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Vol.688 こぶし通りが色づく頃に |
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おはようございます。りょうちんです。
記録的な暖冬だったそうだ。思い返してみれば、この冬は骨身にしみるほどの厳しい冷え込みは一度もなかった気がする。去年のとびきり寒かった冬に比べると、今年の冬のなんと暖かかったことか。東京では氷点下になることもなく、観測史上初めて雪が観測されないまま冬が終わってしまった。身に堪えない暖かな冬はそれはそれでうれしいものだが、なければないでなんだか物足りなくも思えてしまう。「冬はつとめて」と昔の人はよく言ったものだ。真冬の早朝に感じるキーンと張り詰めた凍りつく空気もけして悪いものではないと、暖かくなった今だから言えるのかもしれない。人間ってやっぱりわがままな生き物だ。 ひと足早くやってきた春の訪れは、いろんなところで目にすることができる。仕事に行く途中、こぶしの花が咲き始めたことに気がついた。桜が咲くよりもちょっとだけ早く蕾が開くこぶしの花が、今年は例年より半月以上も早く白い色で咲き始めた。家のそばにはこぶしの木々が街路樹として立ち並ぶ道があり、「こぶし通り」と記された小さな立て札が立っている。このこぶし通りが色づく頃になると、本当の春がやってきたんだなぁと俺は思う。しかし俺がここに引っ越してきてしばらくの間、この木々をずっとモクレンだと思っていた。最初の春がやってきてこのこぶしの街路樹が満開に花を咲かせた時、その花の影に隠れるように申し訳なさそうにひっそりと立っている立て札を発見して、俺は初めてこの木々がこぶしなんだと理解できたのだ。こぶしとモクレンは本当によく似ている。花を咲かせる時期も色も形も、そして木そのものも。だからまちがえるのは仕方ないのだが、最近じゃモクレンの方が大木でこぶしよりも花もたくさんつけるなどという微妙な相違点を見つけて、なんとか区別できるようになったと思う。自信は全然ないのだが。 菜の花が咲き、梅が咲き、水仙が咲き、桃が咲き、沈丁花が咲き、そしてこぶしが咲いた。季節は確実に流れて、そして今年も春がやってきた。次は桜の花を待つだけだ。桜が咲いたら、今年はのんびりお花見に行きたいなぁ。
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2007年03月03日(土) ■ |
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Vol.687 突然の訃報 |
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おはようございます。りょうちんです。
パートのTさんが亡くなられてから、もうじき2ヶ月がたつ。たまたま休日だったあの日、俺は本屋で立ち読みをしていた。ふいに鳴り出したケータイは店からで、電話に出ると深刻そうな声でMさんが話し出した。「先ほどTさんのお宅から電話があって、Tさんが今朝亡くなられたそうです…」。最初、俺は状況がよく飲みこめなかった。Tさんの身内の誰かに不幸が遭って、葬儀やら何やらでTさんが数日間出勤できなくなるんだと勘違いした。のんきに構えていた俺は、「で、誰が亡くなったの? 旦那さん?」なんて聞き返したのだが、「いや、亡くなったのはTさんですよ。だからもうお仕事には行けませんって…」という答えに、次のコトバを失った。 そんなはずはない。そんなのウソだ。だって3日前にはいつもと変わらない元気なTさんと一緒に、俺は仕事をしたのだから。今年もよろしくお願いしますなんて律儀に頭を下げて、新年のあいさつもしたばかりなのだから。年末年始も三が日しか休まず、働き者のTさんだったのだから。以前はひどかった肩こりも最近はずいぶん楽になって、ここんとこ調子がいいと喜んでいたのだから。亡くなったなんて、全部ウソに決まってる。 しかしコトバをなくしたままの俺に構うことなく、電話越しのMさんは事実だけを話し続けた。どうやらお風呂に入っていて突然倒れてしまったらしい。2世帯住宅で隣に住む息子さんが気づくのが遅れ、病院に駆けつけた時にはすでに遅く、そのまま帰らぬ人となってしまったんだそうだ。元気だった人が突然亡くなるという話は、よく耳にする。だけどそれが自分のすぐそばで起こると、信じられないという気持ちが先に立って動揺を隠し切れない。 突然の訃報を聞いたあの日からも時間は止まることなくただ淡々と流れて、彼女がいない現実も今じゃ少しずつ普通だと感じてしまえるほどになった。でも時々俺はTさんを思い出す。「おつかれさま!」と言って帰っていった、最期の笑顔を。
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