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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2006年08月31日(木)
Vol.661 俺が実家に帰る理由

おはようございます。りょうちんです。

祖母が生きていた頃、毎年のようにきゅうりの古漬けを作ってくれた。大好きだった祖母の作ったきゅうりの古漬け。だが祖母が亡くなり、あの古漬けが食べられなくなってから10年以上たつ。母に、あの古漬けが食べたいと言ってみた。すると母は同じようにきゅうりの古漬けを作ってくれたのだが、食べてみるとどこか違う。確かにおいしいけれど、上手くコトバにはできないがあの頃食べていた祖母が作ったものとは明らかに微妙に味が異なるのだ。たかが漬物だから、材料なんてシンプルなものだし、作り方だって難しくはないはずだ。なのになぜ同じ味にならないのか。きっと、祖母しか知らない隠し味や秘密のひと手間があったのだろう。祖母が作ったあのきゅうりの古漬けは、きっともう二度と食べることはできない。
例えば、そういうことだ。亡くなってしまった人に聞きたいことがあっても、教えてくれない。教えてもらいたくても、もう遅いのだ。だから俺は、今のうちに父や母の知っていることをできる限り教えてもらいたいと思う。いつかはわからないが、この先父や母がこの世にいなくなった時、知らなかった、聞いておけばよかったと後悔しないように、今のうちにいろんなことを教えておいて欲しい。聞いておきたいこと、知らなくちゃいけないこと、伝えておいてほしいことは、山のようにあるはずなのだから。
だが、改めて父や母に何を教えて欲しいのか具体的に挙げてみようとしても、急には思い浮かばない。教えてほしいことは山ほどあるはずなのに、何からどうやって聞いて良いのかさえわからないのだ。だから俺は、できる限り父や母と一緒に時間を過ごしたいと考える。かしこまって何かを質問するよりも、一緒にいる中で何気ない会話やコミュニケーションを交わしていくうちに、自然といろんなことを教えてもらえればそれで良いと思う。伝えるということは、むしろそういう手段の方が大切な時もある。以上、これが俺が実家に帰る理由である。きっかけなんて何でも良い。俺はただ、実家に帰って父や母と一緒に過ごしたいだけなのだ。



2006年08月27日(日)
Vol.660 タオル王子

おはようございます。りょうちんです。

それにしても、今年の夏の甲子園は本当におもしろかった。激闘の連続でまさに見所満載。注目の対決や目の離せない試合ばかりで、例年になく熱い甲子園だった。そしてその最後を飾った早稲田実業vs駒大苫小牧戦。実はこの再試合、俺も予定をキャンセルして実家で両親とTVで観戦していたのだが。見終わったあと、いつになくなんともさわやかですがすがしい気持ちが残ったのは確かだった。
こんな気持ちになったのは俺だけではない。多くの人が同じように感じたからこそ、あれからずっとマスコミが大きく取り上げているのだ。甲子園が終わってもう数日たつのに、連日のようにワイドショーで報道されている。でもちょっと待った。ずっと高校野球ファンで高校野球ばかりを追い続けてきた俺にしてみたら、なんだかなぁと思わずにはいられないのだ。
確かに、マスコミが食らいつくほどの最高の決勝戦だった。でもその後、斎藤くんの持っていた青いハンカチを求めてデパートでインタビューしたり、誰が名づけたか知らないが「ハンカチ王子」だなんてセンスのない名前で斎藤くんを呼んだり、街行くおばさんたちが斎藤くんに向かってアイドルさながらの黄色い声で叫ぶのを映していたり。なんだかくだらないなぁと、俺は思ってしまう。もちろん斎藤くんはクールでかっこいいとは思うけど、彼だけが高校球児じゃない。マスコミは斎藤くんや決勝戦の試合ばかりを取り上げるけれど、甲子園にさえ出られなかったたくさんの高校球児も存在して、彼らが戦う高校野球すべてがおもしろいものなのだ。
しかしここ最近、高校野球に関しては不祥事事件などの良くない報道ばかりが続いていた。だから今のこの状況は良いことなのかもしれない。マスコミは相変わらず偏った報道しかしないけど、これを少しでも良いと思わなくちゃ。人のウワサも75日。夏が終われば、きっと誰も騒がなくなるに違いない。
でもさ、斎藤くんが持っているのは「青いハンカチ」じゃなくて、「青いフェイスタオル」だよね? 「ハンカチ王子」じゃなくて、「タオル王子」だよね?



2006年08月15日(火)
Vol.659 先祖は忍者

おはようございます。りょうちんです。

俺のルーツを探るシリーズ・その3。
いつだったか父が、「俺らの先祖は忍者だったらしい!」などと言い放ったことがある。そんなうさん臭い話、俺も弟もはなっから笑って信じなかったのだが。父は何度かそんなことを繰り返して言うものだから、コトの真相を聞いてみることにした。するとこの話、父が勝手に作ったまったくのデタラメでもなかったのだ。
以前のひとりごとにも記したが、父の祖父、つまり俺の曽祖父は山梨から千葉にやってきて床屋を開業した。父は幼少の頃、その山梨にある曽祖父の生まれた家を一度だけ訪れたことがある。その時、曽祖父の兄にあたる人からこんなことを聞いたそうだ。「おまえの先祖は、百地三太夫という偉い忍者に仕えていた人だったんだぞ。おまえがすばしっこいのは、忍者の血を受け継いだいるからなんだ!」。ちびっこの頃に聞いたそのコトバを忘れずにいた父は、それからずっと自分は忍者の末えいだと思い込んでいた。だから俺らにも、あんなことを真顔で言ったのだ。
でもちょっと待て。この話、やっぱりどこか怪しい。忍者なんて世を忍んで生きていく身分なわけで、本当の忍者が「私は忍者です!」なんて堂々と言うわけない。確かに調べてみると戦国時代に百地三太夫という伊賀忍者は存在して、弟子には有名な石川五右衛門もいたりするのだが、なぜに伊賀忍者の子孫が遠く離れた山梨にいるのだろうか。やっぱり父の聞いた話は、まゆつばな可能性が高い気がする。
しかし。百地三太夫が率いる忍者たちはその後紀州の国に定住したらしいのだが、今でも和歌山県に俺の姓がとても多かったりする。それより何より、俺の家系は父も俺も弟も小柄ですばしっこいのは確かなのだ。今となっては本当に俺らの祖先は忍者だったかなんてもうわからないけれど、この際そうしておいた方がなんだかロマンがあっておもしろい。だから俺も父のように、このまま先祖は忍者だということにしておくつもりである。お盆も仕事で実家に帰れなかった俺だけど、こんなことを勝手に思っている俺を見て、俺の先祖たちは苦笑いをしているかもしれない。



2006年08月11日(金)
Vol.658 日光男体山へ登る

おはようございます。りょうちんです。

夏の冒険第2弾の計画は、とんとん拍子で進んでいった。日本一の頂きをめざし、富士登山にチャレンジした日から早1年。今年は、日光男体山へ登ることに決定!
前日の仕事のせいで、睡眠時間はたったの45分で出発。早朝の道を北へ向かい、1時間で友達の家に着いた。ここからは友達の車に乗り換えて、いざ日光へ。マイナスイオンがあふれた杉並木を抜けると、朝日に輝く男体山が見えてきた。標高2484m。日本百名山にも数えられる偉大なる山が、目の前に座っている。いろは坂を越え中善寺湖畔に着くと、二荒山神社。ここが登山口だ。俺らが訪れたこの日はちょうど祭事がおこなわれている期間で、なんだかとてもにぎわっていた。去年の富士登山の時にも使った杖を頼りに、俺らは頂上をめざしていよいよスタート。
登る、登る、ひたすら登る。この登山道、最初から最後まで下ることなんて一度たりともなかった。道は常に急な傾斜で、ただ頂上に向かって延々と続いていた。しかも、登山道はごつごつした岩ばかりの道や滑りやすい土の道や、整備されていてもその一段がひざの高さほどもある丸太で組んだ階段で、もうとてつもなく歩きにくい道だった。一歩まちがえれば滑落してふりだしに戻ってしまう。油断をすればケガだけでは済まないかもしれないのだ。木々がある場所はひざしも遮られたが、岩肌が剥き出しのところは容赦なく直射日光が俺らを照りつける。注意深く進む俺らの息はすぐにあがり、噴き出した大量の汗はシャツを濡らした。しかし、時々麓に見える中善寺湖や戦場ヶ原の美しい景色が俺らを感動させてくれた。
登山開始から3時間。へとへとになった俺らは、標高差1200mを登り切ってついに頂上に到着。お参りをして、そのあとで食べたおにぎりの美味いこと。そして下山道は今来た道を引き返す。登りと同じ3時間、湖畔まで慎重に山を下っていった。
正直、富士登山よりもつらかった。日本一の富士山制覇で有頂天だった俺だけど、もっとつらいことはいくらでもあるんだって思い知った。でもやっぱり登山は楽しいもんだ。次はどの山をめざそうか。そして俺の夏の冒険は、まだまだ続くのだ。



2006年08月08日(火)
Vol.657 時が流れても

おはようございます。りょうちんです。

中学時代の友達とは、卒業後もずっとみんな仲が良かった。それぞれ違う高校に進学して、そのあとでさらに大学や専門学校に行ったり就職したりといろいろだったけど、何かにつけて集まって飲んだり旅行したりすることはしょっちゅうだった。
いつからだったろう、俺がそんなみんなと疎遠になってしまったのは。思い返せば俺が就職して地元の千葉を離れ、仕事がめちゃくちゃ忙しくなり、週末に会うことが難しくなった10年ほど前からかもしれない。みんなからの誘いも常に断るようになっていった俺に、次第に誘いの声がかからなくなった。寂しい気持ちはココロの片隅にあったものの、仕事の忙しさにかき消されてそんな想いも忘れかけていた。
今年の春、中学時代の友達のSくんに偶然出会った。俺が地元に帰って来ていたことさえ知らなかった彼は、今でもあの頃のように時々みんなで集まっていることを教えてくれた。そして今度集まる時は俺にもまた声をかけてくれると約束をしてくれ、お互いの連絡先を教え合った。
彼から電話が来た。飲み会の約束を聞きつけた俺は、喜んで会場へと向かった。そこには、あの頃とまったく変わっていないみんながいて俺を歓迎してくれた。そしてあの頃がまるでついこの間のように、すぐに俺らはバカなことを言ったり懐かしい話で盛り上がった。俺はみんなとの間にあった10年間の空白がいとも簡単に一瞬にして埋まったことが、ココロからうれしかった。10年の間、俺はみんなの情報がわからなかったわけで。俺が知らないうちに、みんな結婚したり子どもが生まれたり新しい生活がはじまったりで、そのひとつひとつがすべて驚きだったけれど。生活が変わっても何も変わっていないみんなだったことに、心底安心した。本当の友達ってこういうものなんだなって、改めて思った。
来月、再びSくんからみんなでビール工場見学に行こうと誘いを受けた。どんなに時が流れても、見えない絆で繋がっている大切な友達がいることを、俺はココロから誇りに思う。



2006年08月07日(月)
Vol.656 歩くってすばらしい・東京編

おはようございます。りょうちんです。

歩くってすばらしい・東京編は江戸川沿いの柴又からスタート。
葛飾柴又といえば「男はつらいよ」。寅さん記念館にもぜひ寄りたいねなんて言いつつ、すでに閉館時間を過ぎていて見学はできず。柴又帝釈天で足を止めて一息入れた。夕方のおみやげ屋さんが並ぶ通りで、俺らを待つ友達に草もちを買う。
下町の街並みを通り過ぎると、地図にはまだ載ってない大きな橋にぶつかった。このあたりは川が入り組んでいて、渡るのにちょっと遠回りをしなければならないと思っていた所だ。考えた末、疲労も手伝って近道と思われる橋を渡る道を選んだ。橋を越えると汐入。建設中の高層マンションが軒を連ね、新しくきれいな街だ。しかし、向かっていたはずの日光街道がどっちにあるのか見当がつかなくなってしまった。右往左往した結果、若いおまわりさんに道を聞いて、苦労して日光街道までやっとの思いで辿り着けた。3回も前を行ったり来たりした南千住駅、嫌い。
道に迷っている間にすっかり日も暮れた。ゴールまではまだ10km以上ある。友達には予定よりも大幅に遅れるとを謝罪して、さらに前へ進む。40kmの道のりを歩き、疲労は限界だった。下半身全体に痛みが走る。立ち止まると、次に踏み出す一歩が苦しい。それでも極度の疲労からかテンションは異常に高く、つまらないことで大笑いしながら進む俺ら。西日暮里で「肉のきたじま」を発見。五輪金メダリストの北島康介選手の家だ。しかしすでに夜の8時半。店は当然閉まっていた。
時間は夜の9時半を過ぎ、出発してから約15時間かけて50km以上を歩き続けた俺らは、そしてついに友達の家にゴールした。いくつも駅を通り過ぎ、何度も電車に乗ってしまおうと躊躇したけれど。達成感に大満足。腰につけていた万歩計は89600歩。去年の富士登山よりもよっぽどつらかった。そして何より、予定よりも大幅に遅れた俺らを待っていてくれた友達に謝罪と感謝。
ゴール後の風呂とビールは最高だった。歩くってすばらしい、疲れたカラダで本気で思った。そして俺らの夏の冒険は、こうしてまだまだ続いていくのだ。