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2005年04月26日(火) ■ |
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Vol.567 財布を忘れて |
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おはようございます。りょうちんです。
どこに行くにも常に持ち歩いているものが、俺には3つある。鍵、ケータイ、財布。鍵は、家のやら車のやら店のやら必要なすべての鍵を束にしたもの。なくしたら家にも入れず、仕事だって始末書どころじゃ済まないだろう。ケータイは、休みの日でもいつ店からの緊急な連絡が入るかわからない俺には絶対に必要なもの。財布は、言うまでもなくお金が入ってるし、身分を証明する保険証や運転免許証、カード類も全部入っている。俺はこれらをいつでも肌身離さず持っていて、絶対になくすわけにはいかないのだ。でも時々、そのうちのどれかをうっかり置き忘れたり、持ってくるのを忘れたりすることがある。先日も仕事に行く時になって鍵が見当たらず、どこにやったのか夢中で探す羽目になったばかりだったのだが。 それなのに今日は、うっかり財布を忘れて出かけてしまった。しかもそれに気づいたのは、県外の目的地に着いてから。コンビニに行こうとして、かばんの中に財布がないことにそこで初めて気がついたのだ。今朝、出かける時のことを思い出す。鍵は持った、ケータイも持った、でも財布を持ったかどうかは記憶があいまいだ。おそらく出掛けにばたばたしたせいで、持ってくるのを忘れちゃったんだろう。家を出てからもう時間はかなりたっているのに、そんなことに今まで気がつかなかったなんて俺ってバカだ。春の陽気でぼんやりしていたにもほどがある。 仕方なく俺は、友人からお金を借りてコンビニで買い物をした。常に俺は大金を持ち歩いているわけじゃないけど、でも財布を持ってないとなんだかとても不安になる。一日中なんとなく落ち着かない気持ちで、結局夕食で訪れたカレー屋さんでも俺は友人からお金を借りて食事をした。たった2000円足らずだけど、車の中をかき集めても20円しか出てこなかった俺へお金を貸してくれた友人に感謝だ。 さて、帰宅してさっそく財布を探したのだが、あれ、見当たらない。もしかして落としたのかもなんて心配になったが、念のため車の中も調べてみると、なんと運転席の足元にちゃっかりと落ちていた。なんだ、俺、財布忘れてなかったんじゃん!
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2005年04月19日(火) ■ |
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Vol.566 同棲するということ |
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おはようございます。りょうちんです。
友人から届いた久しぶりのメールの内容は、「同棲ってどう思う?」というもの。ははぁん、彼女も20代半ばの結婚適齢期と呼ばれるお年頃。以前はお付き合いしている彼氏もいないなんて言ってたけれど、ちょっと会わない間にいつのまにかステキな人を見つけて、近いうちに一緒に住もうと考えているのかもしれない。 ひと昔前、同棲するということは一般的にあまり良いことだとは思われていなかった。結婚とは家と家との結びつきという考え方が強かったせいか、籍を入れて初めて一緒にひとつ屋根の下で暮らすというのが常識だったし、古い映画やドラマなんかで時々見るストーリーでは、結婚前の若き娘がどこの馬の骨かもわからない男と駆け落ち同然で家を飛び出して、遠く離れた街で世間から身を隠しながらも細々と生きていくみたいな、あまり幸せではないイメージがあったからかもしれない。 でもそれは昔の話。時代は変わった。今は昔ほどの悪いイメージも消え、同棲に対する考え方もずいぶん変わってきたと思う。さて、ここからは俺の考え方なのだが。やっぱり結婚をする前に一度は同棲しなくっちゃ、と思う。そもそも結婚なんて、お役所や世間が認めるものじゃない。お互いの気持ちの問題であって、婚姻届一枚で結婚完了なんておかしな話だ。だから結婚自体、俺は重要視していない。 じゃあ、結婚するとはどういうことなのか。人それぞれ考え方は違うけど、一緒に住むということも重要な要因なのかもしれない。どんなに相手のことをわかったつもりでいても、一緒に暮らしてみて初めて気づく相手の考え方や癖や行為など、見えなかった部分がわかることがある。結婚したあとでそれらに気づき、気持ちが失せるほどに幻滅したなんてことになったら、それこそ取り返しがつかないのだ。いわば同棲とは結婚生活の予行練習みたいなもの。結婚してからもふたりがちゃんとやっていけるかどうかを見極める、大切な準備期間だと俺は考えている。 結局、彼女は同棲する予定なんてまだないらしいのだが。そんな彼女に、俺はびっくりする事実を教えてあげた。「実は俺、もうじき同棲をはじめるんだよ!」。
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2005年04月17日(日) ■ |
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Vol.565 たったひとりの男の子 |
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おはようございます。りょうちんです。
新年度が始まって、半月が過ぎた。新しい生活を始めた人も、慣れない環境に少しずつなじんできた頃かもしれない。 バイトのIさんは高校2年生の女の子。彼女は、高校は普通科ではなく家政科に通っている。家政科というくらいだから、国語や英語や数学といった一般的な教科の他にも、被服や調理や育児などの専門の授業も多くの時間組み込まれている。彼女の通う高校は家政科以外にも普通科や体育科もあるので一応共学なのだが、家政科だけは女の子しかいないらしく、彼女はまるで女子高みたいだとよく話していた。 しかし今年入学してきた新入生の中に、男の子がいるのだそうだ。しかもひとりだけ。40人ほどのクラスの中で、たったひとりの男の子だ。そのウワサはあっという間に広まり、どんな男の子がやってくるのだろうと入学式の前からもちきりで、彼女もずっと興味津々だった。「きっと見た目も性格も女の子みたいで、髪型も長めで趣味は編物とかしちゃいそうななよなよした女々しい男の子に違いない!」、なんて彼女はいろいろと予測していたのだが。実際に入学してきた男の子は、彼女の予測を覆して短髪のさわやかな普通の男の子だったそうだ。しかも彼女の最新情報によると、彼はハードな水球部なんぞに入部する気らしい。家政科という女の子ばかりの畑に、よくぞりりしくたくましい男の子がやってきたものだと俺は驚いた。 しかし、だ。俺の想像を超える毎日が、これからの彼にはおそらく待っているのだと思う。体育の授業の時は女の子に紛れて教室で着替えをしなきゃならないし、被服の授業ではワンピースやスカートを製作する予定なのだそうだ。何よりも男の子がたったひとりしかいないということは意識しなくても目立ってしまうだろうし、現にこうやって連日注目の的になっている。異性にはしにくい悩みだってたくさん出てくるだろうし、クラスメイトに同性がいないということは気軽に相談だってできないかもしれない。それでも、彼にとっては大切な3年間の高校生活に違いない。「がんばれ男の子!」と、俺も応援したい気持ちでいっぱいになった。
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2005年04月08日(金) ■ |
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Vol.564 花粉症なんて認めない |
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おはようございます。りょうちんです。
先月の下旬、俺はちょっとだけ体調を崩したのね。仕事が忙しくてすごく疲れてたし、陽気も暖かくなったと思ったら急に冷え込んだりして、こりゃ軽い鼻風邪でも引いちゃったかななんて思ってたんだ。それがたまたまマラソン大会の直前だったから、一時は参加することさえ懸念してたんだけど。すぐに熱もさがったもんだから、もちろんマラソン大会にも参加したし、そのあとにはすぐに甲子園まで行ったりもしちゃったんだよね。 でもね。その時の風邪が、半月たっても全然完治してないの。体調はもうすっかり良いんだけど、鼻水と鼻づまりが治んないんだよね。おかげでずっと鼻声のまま。俺はいたって元気なつもりなんだけど、声だけ聞くとひどい風邪を引いてるみたいな声なんだそうで。電話でバイトくんや先輩と話しても最初は俺だってすぐにわかってくれなくて、「どちら様ですか?」なんて聞かれちゃう始末。しつこい風邪を引いちゃったよ、早く治さないとって、厄介に思ってたんだけどさ。 パートのJさんにその話をしたら、とても痛いひとことを言われちゃった。「それって風邪じゃなくって、花粉症なんじゃないですか?」。そういうJさんは、かなりひどい花粉症に悩まされてて。春になった頃から、大きな立体型のマスクとゴーグルみたいな頑丈なメガネをいつもしていて、薬を飲まないと頭痛でふらふらしちゃうほどなんだって。特に今年は花粉の飛散量がハンパじゃないようで、去年の30倍の花粉が飛ぶだとか1日で去年の2倍の花粉が飛んだだとか、そんなニュースも聞いたりするじゃん。それゆえに今年花粉症デビューをする人も多いんだそうで、俺もそのうちのひとりだとJさんに宣告されちゃったのだ。 同病の友が増えたとJさんは笑っていたけど、花粉症なんて冗談じゃない。今まで花粉症ってまったくの他人事だったし、これからも俺には縁がない病気だとココロの片隅で勝手に決めていたのに。日に日に俺の花粉症疑惑は募っていく一方なんだよね。でもね、誰が何と言おうと、絶対に俺が花粉症なんて認めないからね!
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2005年04月07日(木) ■ |
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Vol.563 おいしいものを探して |
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おはようございます。りょうちんです。
母の食事を見ていると、なんだか俺はとても窮屈に思えてしまう。食事の時間は毎日決まっているし、カロリー計算をしながらあれはこれ以上食べられないとか、あまり好きじゃないものだって食べなきゃだめだとか、腹八分目で食事を終わりにするだとか、水分摂取の制限まであったりする。今まで食べたい時に食べたいものを腹いっぱいになるまで思いっきり食べることしかしてこなかった俺は、そんな母の窮屈な食事をまねすることなんて絶対にできないと常々思っていた。 例えばダイエットをする必要があっても、俺は食事を制限して痩せようとは思わないし、病気で食事療法を勧められても、できれば違う方法で治したいと考えていた。俺にとって好きなものを食べることを制限されるなんて、大げさに言えば生きていく楽しみを奪われるのと一緒なのだ。それだけ食べることは大切な行為だし、うまいものを腹いっぱい食べられない食事は食事とは呼べないとさえ思っていた。 しかし、コレステロール値が高いと診断された俺。今よりもカロリーを抑えた食事を摂るよう心がけなければならないのだ。でも最初は「そんなの関係ない、好きなものを好きなだけ食べる生活をそう簡単に変えられるものか!」、なんて思っていたんだけど。でもこのままいけば、確実に高脂血症が進み母と同じような病気になってしまう可能性があるわけで。そんな時、栄養相談を受けた栄養士の先生から言われたひとことで俺の考え方が変わった。「カロリーの高いものがおいしいものだとは限らない。おいしいものの中には、カロリーの低いものだってカラダに良いものだってたくさんあるんだから!」。 そうか、卵はダメとかマヨネーズはダメとか、そういうふうに考えるから余計食べたくなっちゃうんであって。低カロリーでカラダに良いおいしいものを探していけばいいんだ。そういうわけで今までは甘いデザートを毎日のように食べていた俺だったが、今はそれに代わるフルーツをたくさん食べるようにしている。目標は1日1フルーツ。無理せず気長に、楽しみながらがんばってみようかな。
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2005年04月06日(水) ■ |
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Vol.562 デザートは俺の敵 |
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おはようございます。りょうちんです。
健康診断で要精密検査の判定をもらった俺だが、病院で詳しく診てもらった結果、コレステロール値が異常に高いと診断された。今はまだ新陳代謝が活発でなんとか若さでカバーできているのだが、このままだと歳を重ねるごとに高脂血症が進み、血管が詰まる病気になりやすくなってしまうらしい。この体質は遺伝的で母も同じような病気を患っていることから、今から注意をしなくてはならないんだそうだ。 で、入院や薬を飲むとかはすぐにはしなくても良いと言われたのだが、食生活を見直しなさいとお灸を据えられた。そりゃ毎日規則正しく3回食べることは全然できてないけれど、でも栄養摂取についてはそれなりに自信を持っていた俺。肉より野菜や魚の方が好きだし、飲み物も水とお茶と牛乳と100%ジュースしか口にしない。そのことを先生に告げると、それなら一度栄養相談を受けてみなさいということになり、先日改めて病院へうかがった。 栄養相談室には、俺と栄養士の先生のふたりきり。緊張の中で1対1の講義が始まった。まずは今までの俺の食生活を振り返る。高脂血症を進める脂っこいものや卵は極力控えた方がいいと言われたが、俺にはそんなに心当たりがない。だが、見えないところに敵は潜んでいた。毎日のようにデザートで食べていたケーキやシュークリーム、そういった甘いものの中には材料として卵がたくさん使われているんだそうで。知らないうちに、俺は卵を毎日大量に食べていたことになる。あぁ、大好物のデザートは俺の敵だったなんて。これからは控えるようにしなくっちゃ。 それから先生と俺は、いろんな食べ物の模型を使ってカロリー計算をしつつ、一日の基本献立を組み立てたりした。一般的に成人男性の摂取カロリーは1日あたり2000kcal強と言われているのだが、俺の場合1600kcalくらいが望ましいらしい。この倍以上ものカロリーを摂っていた日も俺にはあって、ちょっと反省。控えなきゃいけないものや進んで食べた方が良いものなどいろいろ教わって、30分あまりで講義は終了した。よし、自信過剰だった俺の食生活、見直してみようかな。
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2005年04月05日(火) ■ |
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Vol.561 何がはじまるのだろう |
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おはようございます。りょうちんです。
1975年4月。俺が3歳になった春。俺は保育園に通いはじめた。それまでは両親や祖母と一緒に毎日を過ごしていたのだけれど、あの春から俺は家族という枠の外へ出て血の繋がっていない他人との集団生活を経験することになる。両親や祖母からすべてを教えられてきた俺が、友達や先生などの他人との関わりあいの中からもいろんなことを身につけていくことになった。根本的な俺の人間形成ができあがったのは、たぶんこの頃から。あの春、俺は他人との共存ということを知りはじめた。 1985年4月。俺が13歳になった春。俺は中学校に入学をした。まさに、俺にとって思春期のはじまり。窮屈な学校生活の中で、勉学に悩み、恋に悩み、人間関係に悩み、そして自分自身に悩んでいたあの頃。悶々とした日々の中で何かを見出そうと必死にもがいてはみるものの、決定的な解決策なんて見つからずにあがいてばかりいた毎日。そんな中、今の俺の性格の概観を方向付けたのもこの頃なのかもしれない。あの春、俺は希望を見つけ出すための考え方を知りはじめた。 1995年4月。俺が23歳になった春。俺は今の仕事へと直接結びつくアルバイトをはじめる。学生生活との両立の中で社会に出るためのココロの準備としてはじめたアルバイトが、今の仕事に関わってくるなんてあの頃は夢にも思っていなかったが。あの時アルバイトをしようなんて履歴書を書かなければ、少なくとも今の俺は存在しない。お金を稼ぐこととか、働くこととはどういうことなのかが少しずつわかってきたあの頃。あの春、俺は社会に出てゆくことの厳しさを知りはじめた。 2005年4月。先日、俺は33歳になった。誕生日を迎えた日曜日もいつもと変わらない穏やかな朝で、時間の流れさえ止まっているかと思ってしまうほどだったんだけど。緩やかながらも、でもそれは確実に動き続けているわけで。この春、俺には何がはじまるのだろう。目には見えない何かを知りはじめるために、待っているだけじゃダメなんだ。さぁ、動き出さなくちゃ。
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2005年04月02日(土) ■ |
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Vol.560 自分へのごほうび |
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おはようございます。りょうちんです。
時にはいつもよりもほんの少しだけ、贅沢をしちゃうことってある。例えばおいしいものを食べに外食しちゃうとか、前から欲しかったものを買っちゃうとか、休日の朝は思いっきり朝寝坊をしてみるとか。そうやって経済的に時間的に思わず贅沢をしちゃったあとで、やっぱりやめとけばよかったなんて後悔をしないための、上手な言い訳を俺は知っている。それは、自分へのごほうびだと思うこと。 ゴミをちゃんと分別できたからとか、お年寄りに席を譲ってあげたからとか、めずらしく寝起きがとても良かったからとか。理由なんていくらくだらなくったって全然かまわない。とにかくいつもよりも優れてできた自分の行動を何でもいいから見つけて、それをごほうびとして理由づけにするのだ。そうすることによって、ただ後悔として胸に残っていくだけだったものが、これからも良いことを心がけようとか次もがんばろうという気持ちに切り替えることができる。都合のいい言い訳にすぎなのかもしれないけれど、そういう気持ちの切り替えってとても大切。 このやり方、実は友人から教えてもらったもの。彼はいつだってほんの少しの贅沢をしているけれど、そのたびに自分のしてきた良いことやがんばったことを思い出して自分へのごほうびと切り替えているのだそうだ。「ごほうびをあげすぎちゃうのもどうかと思うんだけどね〜」、なんて彼は言っていたけど、俺はとても良いことだと思ったので、以来彼をまねして自分へのごほうびを時々あげることにした。 先日行ってきた甲子園。あれも自分へのごほうび。先月は俺、仕事がんばったもんね。念願だった甲子園へ行って高校野球を思う存分観戦して楽しんでこれたことを思い出すと、これからはもっと仕事をがんばっちゃうぞなんて気になれるから不思議。自分へのごほうびのために、さて次は何を心がけようか。
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