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2004年12月28日(火) ■ |
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Vol.540 年末の行列 |
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おはようございます。りょうちんです。
今日は今年最後の休日。休日なのにちょっとだけ早起きして、今年中にやらなくちゃいけないことを朝からずっと企んでいた。 スマトラ島沖の津波のニュースを見ていたらあっという間に時間がたっちゃって、あわてて車を出して銀行へ向かう。銀行に行って驚いた。ATMの前は長蛇の列。入り口のあたりまで人の列は続いている。そうか、今日は銀行もいちばん混み合う日なのかもしれない。俺だってそんな列に並ぶうちのひとりなんだけどさ。10分以上も待ってから家賃と公共料金を振り込んだら、足早に俺は銀行をあとにした。 昨日やり残した仕事がまだちょっとあったので、その帰りに店に寄る。俺は大晦日まで仕事があるけれど、今日が御用納めの人もたくさんいるらしい。銀行だってあれだけ混んでたんだもん、うちの店だって今日は混み合うに違いない。「今日は忙しいかも…」なんてバイト君を驚かそうとしたら、すでに予約のオーダーが入っていて、俺が急かす前からみんなもう忙しそうにしていた。 店の仕事を少し手伝ったあと、今度はスーパーへ。今日は週に一度の特売の日。ついこの前まではクリスマス商品が並んでいたと思ったら、すっかり正月用商品に変わっていた。昆布巻きや黒豆の試食も楽しみながら、昼時の主婦たちの中に俺もまぎれる。レジはここでも長蛇の列。おせちの材料やらをたくさん買い込むおばさまを横目に、無事俺は買い物を終えた。 その足でランチの調達に、マックに寄る。ビッグマックもナゲットも、今ならお買い得だからね。しかしお昼を過ぎたっていうのに、ここも長蛇の列ができていた。どこに行っても年末の行列に巻き込まれるだなんて、この時期はやっぱりみんな忙しいんだね。今頃はうちの店も大混雑かな、なんてふと思ったり。 家に帰ってきてから、行列に並んでばかりいたせいですっかり疲れちゃった俺は、早起きしたのもあってか横になったらすっかり眠っちゃってた。気がついたらすでに夜。あちゃ、大掃除をやろうと思ってたのに、何にもやってないよ〜。とほほ。
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2004年12月26日(日) ■ |
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Vol.539 検索をかけて |
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おはようございます。りょうちんです。
この「ひとりごと」を訪れてくれる人は、お気に入りにブックマークして定期的にやってきてくれる人ばかりではない。いろんなキーワードで検索をかけて、偶然にここにたどりつく人もたくさんいる。例えば、「りょうちん」とか「ひとりごと」とか「POSITIVE」という単語でやってくるのならまだしも、どうしてそんなキーワードでここにやってきちゃったのかと思ってしまう人もいたりするのだ。 年末だからか、最近「年賀状」とか「芋版画」とか「あぶり出し」という単語でここに来る人が急増している。たしかにそういった単語を書いたことはあるけれど、だけどそんなステキな年賀状の作り方までは説明していない。ましてや、年賀状すら書かない年もある俺だ。また、「ボーリングのコツ」でやってくる人もいる。忘年会でボーリングをする予定なのだろうか。残念ながら俺、ボーリングはすこぶる上手くない。アベレージが100も出せない俺が、どうしてコツなんぞ伝授できよう。 高校名で検索してくる人。おそらく高校受験を来春に控えた中学生が、希望の高校の情報収集のために検索してやってくるのだろうと、俺は勝手に想像しているのだが。たしかに俺は以前、高校野球について書いた時にいくつかの高校名をあげたことはある。でも申し訳ないのだが、俺の出身高校でさえも学校の情報なんてほとんど記してはいないのだ。高校名に関して言えば、俺の出身校+「長嶋茂雄」や「藤木直人」や「BUMP OF CHICKEN」でたどりつく人もいる。たしかに俺は彼らと同じ高校を卒業したけれど、だからって俺が彼らの秘密なんて知るはずもない。 「宇都宮のおいしい餃子」とか「江ノ島名物の生しらす丼」なんてキーワードでひっかかった人もいる。俺はたしかに食いしん坊で、各地を訪れた際は必ずその土地の名産品を堪能するけれど。どこに穴場の隠れた名店があるかなんて、わかるはずもない。むしろ俺が教えてほしいくらいだ。 何を求めてここを訪れてくれるのかはわからないが、じっくり読んでも全然役に立たなかったという人には、実は少しだけ申し訳ない気持ちも俺にはあったりする。
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2004年12月24日(金) ■ |
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Vol.538 アルバイトのクリスマスイブ |
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おはようございます。りょうちんです。
バイトのAさんは、大学3年生。高校1年生の時から働いているので、バイト君の中では最も古株である。最初はまだ幼かった彼女も6年目ともなればすっかり貫禄もつき、みんなの姉御肌として慕われている。そんな彼女が、今日こんなことを言っていた。「私、6年連続でクリスマスイブはここで働いてるんですよ!」。 二十歳前後の恋多き年頃のバイト君たちにとって、クリスマスイブはやっぱりちょっとスペシャルな日だと考える人が多い。どんなふうに恋人と過ごそうかとか、寂しいクリスマスを過ごさないためにどうすべきかとか、みんないろいろ企んだりする。でも、この時期が最も忙しいうちの店では、すでに夏が終わった頃からクリスマスイブはバイトのためにスケジュールをあけておいてとお願いをするのだ。そう簡単にOKしてくれるバイト君ばかりじゃなくて、毎年俺は頭を抱えるのだけど。 そんな中、Aさんは毎年律儀に約束を守り、クリスマスイブの日は必ずバイトに励んでくれている。彼女が別に恋人ができないくらいブサイクだとか性格が悪いとかいうわけではない。高校生の頃はかわいかった彼女は今じゃすっかりきれいになって、性格もやや気の強いところはあるが面倒見の良いしっかりしたお姉さんだ。「イブの思い出がここで働いていることしかないなんて、悲しいでしょ?」なんて俺がふざけて聞いたら、「ここでこうやって忙しい思いをしないと、クリスマスが来たってカンジがしませんから!」と彼女は即答した。なんとも頼もしいコトバだ。きっと彼女は来年も、こうやって働きながらイブを過ごすに違いない。卒業が待っている彼女は7年目の、しかし最後のアルバイトのクリスマスイブになる。 彼女を見習ってか、今年はクリスマスイブのバイト君たちの休み希望が例年になく少なかった。中には、「一日中暇なのでたくさん働かせてください!」なんていうバイト君もいた。俺としてはとてもうれしいことで、バイト君のスケジュールを組むのも非常に楽だった。見栄を張ってひとり寂しくイブを過ごすより、みんなと仕事で忙しくしている方が楽しいってこと、バイト君たちもわかってるのかな。
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2004年12月22日(水) ■ |
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Vol.537 真新しい道路地図 |
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おはようございます。りょうちんです。
昔から俺は、地図を眺めるのが好きだった。ずっと地図を眺めていても飽きることなんてなく、時間がたつのも忘れてしまうほどだ。知っている街の地図を見てその街のことを思い出して確認してみたり、知らない街の地図を見た時も勝手にその街の風景を想像してみたり。そんな地図好きな俺は、大学時代もちょっとだけそれに関する勉強をしていた。 自分で車を運転するようになると、必然的に道路地図が必要になってきた。知らない場所が目的地だった場合、どの道を通ってそこまで行くのかをその地図を見て確認する。最近はカーナビなんてものが当たり前に使われるようになってきたけれど、今でも俺がそんなものに頼らないでずっといるのは、やっぱり地図を眺めることが相変わらず好きだからなのかもしれない。 愛用していた道路地図は、もうずいぶん古いものになっていた。俺が大学生の時に買ったものだから、もう10年くらい前のものだ。よく見るページの色は日に焼けて褪せていたり、ところどころが破けていたり。何よりももう10年も前の古い地図なので、地図にはない道がどんどんできていて地図であるのに地図として使えないこともあるくらいだった。だって、圏央道やアクアラインですら俺の地図には載っていないほど古いのだ。そんな地図に頼ってどこかに行こうだなんて、ありえない。日々道路工事は進み、常に街は変わっている。それだけたくさんの道が、この10年で変わってしまったということなのだが。 不便を感じるたびに、新しい地図が欲しいと常々思っていたところ。ちょっと早いクリスマスプレゼントとして、相方が真新しい道路地図を買ってきてくれた。すごい、2005年度版の最新道路地図だ。圏央道やアクアラインはもちろんのこと、合併して名前が変わった市もしっかり載っている。俺はさっそくその地図を車に乗せた。さぁ、この地図を頼りに、どこまで行こうか。
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2004年12月17日(金) ■ |
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Vol.536 かゆいところはどこなのか |
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おはようございます。りょうちんです。
俺の仕事において、他のサラリーマンと大きく異なることのひとつに、俺は職場が店だということがあげられる。だから俺にとって上司はいるのだが、机を並べて一緒にデスクワークをするとか営業に一緒に回るとか、そんなことはありえない。電話やメールで話すことは頻繁にあっても、直接会うなんてめったにないのだ。 職場の先輩に会うやいなや、「この前、上司からこっぴどく叱られたんだって?」なんて聞かれてしまった。しかし思い返してみても、最近激しく叱られた覚えなんてまったくない。仕事上でのミスはしょっちゅうやらかしちゃってるのは事実だし、上司からはそのたびに適切なアドバイスやフォローがあったりはするのだけれど、でもそれについて怒られたことなんて俺の記憶にはないのだ。先輩の話を聞くと、たしかに上司が俺のことを激しく叱ったと言っていたんだそうだ。 俺の仕事について自分なりに改めて振り返ってみると、たとえミスはしても納得のいく仕事はちゃんと毎日こなしているつもりでいる。でもアドバイスやフォローがあるというのは、上司の目から見ればまだまだ俺は半人前だということなのかもしれない。上司はかゆいところにまで手が届いていないがゆえ、俺にいろいろと意見をくれるのだろう。上司も自分の仕事があるのに、こんな俺にまで気を配ってくれるのはとてもありがたいと思うし、むしろ力不足の俺が申し訳ないと感じてしまう。だが。かゆいところはどこなのかをしっかり言ってくれないと、実は俺もどう動いていいのかわからないのだ。だから上司本人は俺のことを激しく叱ったと思っていても、俺は何についてそんなに怒っているのかわからなかったりするのだ。 今まで上司とは上手くやってきたつもりだっただけに、ちょっとショックだった。直接会う頻度が少ないがゆえの、意志疎通不足が原因なのか。たしかに俺も、上司にメールや電話じゃなかなか言いにくい会社に対しての意見や要望などもある。コミュニケーションが足りなくて問題が発生してるのなら、ここは一度みんなで集まってミーティングが必要なのかもしれないな。
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2004年12月16日(木) ■ |
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Vol.535 偶然の再会 |
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おはようございます。りょうちんです。
たしか、山形県の蔵王に行った時だったと思う。まだ俺が小学生の頃の話だ。夏休みを使っての家族旅行で、どこかの展望台から遠くの景色を眺めていた時。後方から不意に俺の名前を呼ばれた。振り返ると、そこには同じクラスの女の子が。彼女もまた、偶然にも家族旅行でこの地に観光に来ていたらしいのだ。千葉からは遥か離れたこんな場所でまさか偶然出会うとは。あの時はお互い驚きを隠せなかった。 大学生の頃、都内で電車に乗っていた時。通勤ラッシュで満員の車内にて、偶然にもずいぶん前に遠方に引っ越した友人とばったり会った。彼も大学生になり、当時は都内でひとり暮らしをしているとのことだったが、数年ぶりの再会とまさかの偶然にお互いびっくりしたのを覚えている。 偶然の再会って、実は時々あったりする。まさかこんなところで会うわけがないと最初は考えるのだが、どういう運命の巡り合わせか、ばったり出会ってお互い驚くなんてことはきっと誰にでもあることだと思う。上に書いた出来事は俺の中でもホントに驚いた例なのだが、これ以外にも遊園地でデート中にばったり恩師に会ってしまったり、食事をしにレストランへ入ったら偶然昔の友人に会ったなんてこともあったりする。世の中どこに行ってもどこかで誰か知ってる人が見ていて、それゆえに悪いことはできないということなのだろうか。 うちの店に、しょっちゅう来店される女性がいる。彼女、最初にいらした時からどう見ても、中学の同級生だったMちゃんにそっくりなのだ。でも俺は店員、彼女はお客様。うっかり確かめて、違っていたら失礼にあたる。彼女が来店されるたびにもやもやした気持ちは募るばかりだったのだが、それでもあまりにも似すぎているので、今日思い切って声をかけてみた。すると、やっぱりMちゃんだった。彼女もずっと、俺のことを似ているなぁと思っていたんだそうで。今は結婚して、偶然にもうちの店のそばに住んでいるんだそうだ。こんなふうに偶然の再会にはいつも驚かされちゃうけれど。思い切って声をかけてみて、良かった。
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2004年12月15日(水) ■ |
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Vol.534 ジョンの純な恋物語 |
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おはようございます。りょうちんです。
今年もいろんなヒット曲が生まれた。話題になった曲もあれば名曲もあり、数え切れない数の曲が俺の耳にも流れてきた。さてその中で、俺が選んだ2004年のりょうちん的ベストソングは、東真紀さんの「ジョンの純な恋物語」に決定。 10月から11月の頃だったか、この「ジョンの純な恋物語」がFMから頻繁に流れていた。軽快でかわいい曲調と東真紀さんのさわやかな歌声で、俺もなんとなくメロディーだけは聴き慣れていたのだが、どんな歌詞なのかはよくわからなかった。しかし何度か聴いているうちに、物語風になっているこの曲のあらすじがだんだんわかってきた。どうやらジョンという名前の犬が主人公らしい。ジョンが飼い主である女の子と過ごすうちに密かに想いを寄せ始めるのだが、やがて彼女はお嫁さんになってしまう。犬の視点から描いた物語は簡単に言えばそんな話で、まだじっくり聴いたことのなかった俺は、最初はそんな恋の歌に気を引かれることもなかった。 その日も、不意にこの曲がFMから流れてきた。仕事中だった俺は、歌詞をじっくり最後までフルコーラスで聴いたことなかったなと思い、仕事の手を休めて聴いてみることにした。「♪My name is John 僕は振り返る 君と過ごした日々を 君を泣かした数を…」。数分後、曲が終わり歌詞の意味をすべて知った俺は、泣いていた。仕事中だというのに。曲の最後の最後に、俺の想像もつかなかった意外な結末が待っていたのだ。タイトルにある「恋物語」だけじゃ、この話は終わらなかったのだ。どんな結末なのかは、ぜひこの曲を聴いて確かめてもらいたい。俺が明かしてしまうと、とても安っぽくなってしまいそうだからだ。 涙が止まらなくなった俺はあわててバックルームに駆け込んだが、一緒にいたパートさんに泣いているところを隠すのにとても苦労した。それからは、この曲を聴いて何度号泣したかわからない。何度聴いても泣けるのだ。最近じゃ前ほど頻繁にFMから流れてくることもなくなったが、そういうわけで俺が選ぶ今年のベストソングは、やっぱりこの「ジョンの純な恋物語」に決定なのだ。
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2004年12月14日(火) ■ |
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Vol.533 クリスマスにもほどがある |
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おはようございます。りょうちんです。
クリスマスまで、あと10日。すでに街中がクリスマス一色に飾られて、行き交う人も必然的にハイテンションになっているようだ。きっと誰もが心待ちにしているクリスマスだろうけれど、ちょっと待った。そんな今の状態に、ひとこともの申す! みんな、クリスマスクリスマスって、ちょっと浮かれすぎてはいないか? 確かに、クリスマスはとても楽しいイベントだと思う。おいしいケーキやチキンを食べたり、ステキなプレゼントをもらったり、恋人や家族や友達とパーティーを開いたり。でもそれらの楽しいことは全部、きっとまだ先のことでしょ? 気の早いクリスマス商戦に誰もがすっかり乗せられて、12月に入ったとたんにどこもかしこも完全にクリスマスモードにならなくっても良いと思うのに。盛り上がるのは勝手だけれど、クリスマスにもほどがあるでしょ。それとも、年末の忙しさを、そうやってテンション上げていかないと乗り切れないってことなのかなぁ。 先日、お寿司屋さんに入った時のこと。いつもは気にならないBGMも、どういうわけかその日はクリスマスソングがエンドレスでにぎやかに流れちゃってて。お寿司の味は変わらずおいしかったんだけど、「さすがにジングルベルを聞きながらお寿司はないよなぁ…」って思った俺。 住宅街ではあちこちの家でツリーやリースを飾りつけてあって、夜にはそれがきれいに光ったり。それだけなら良いんだけど、家中をこれでもかというくらいに電飾ぴかぴかに飾りつけてるお宅とかもあって。それがなんだか、「隣の家なんかよりうちの方がにぎやかできれいでしょう〜」なんて、ご近所へのライバル心をそんなところで丸出しにしちゃってるようなカンジがして、むしろ興ざめだったり。電気代もすごくかかっちゃうんだろうなとか思いつつ、「こんな田舎じゃどんなに飾りつけたってあんたの家なんて誰も見に来ないですからっ、残念!」って思った俺。 今日のひとりごと、クリスマスの日もバリバリ仕事している予定の俺が、別にひがんで言ってるわけじゃないんだからね〜。
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2004年12月11日(土) ■ |
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Vol.532 2つの忘年会 |
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おはようございます。りょうちんです。
誰にだって12月は、なにかとやらなくちゃいけないことがたくさんある月だ。俺も今月はただでさえ仕事が忙しくなってくるのに、部屋の大掃除やら年賀状書きやら、その他にも年末に向けての準備を徐々にしていかなくちゃいけない。そんな中、忘年会だってこのシーズンならではのイベントで、俺のところにもお誘いの連絡が入ってきたりもする。週末だった今日はうまい具合に近い場所で2つの忘年会の予定が入っていたので、時間をずらしてその両方に顔を出すことにした。 久しぶりに会う友人は、相変わらずみんな元気だった。会えばすぐに楽しい話で盛り上がって、日々の忙しさなんか忘れてしまいそうになる。テンションの上がった俺は、お酒を飲んだり、カラオケで大声を出したり、くだらない話で盛り上がったり、ビンゴで大はしゃぎをしたり。今年一年を締めくくる意味でも、がんばった自分を誉めてあげる意味でも、たまには俺も大いにはめをはずさなくっちゃね。それにしても。宴のあとの帰り道、北風の吹いてゆく落ち葉の道を歩きながら俺が思ったこと。やっぱり俺って友人には恵まれているんだなぁ。 今年が終わるまでにはまだ3週間程あるし、このあともいくつかの忘年会が待っている予定なんだけれど。ただ飲んで騒いでドンチャンするだけの意味のない忘年会にするんじゃなく、今年の出来事をいろいろと振り返りながら更なるステキな2005年を迎えられるように、中身のある忘年会にしていきたいよな。そうすることで、自分自身もステキな年納めをすることができそうだし、これからも充実した交友関係を保っていけるような気がするしね。 って、もうホントに今年を振り返る季節になっちゃったのね…。は、早いっす〜。
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2004年12月08日(水) ■ |
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Vol.531 ざぼんを食べる |
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おはようございます。りょうちんです。
フルーツはなんだって大好きな俺。寒くなってきたこの季節、コタツでみかん食べ始めると止まらなくなってしまったなんてことも、過去には何度もある。ちびっこの頃は爪の中が黄色くなるまでみかんを食べ続けて、親に怒られたこともあるくらいみかんは大好物だ。最近じゃみかんに限らず、オレンジやグレープフルーツやいよかんやスウィーティーなどなど、いろんな柑橘類を簡単に手に入れることができて俺もうれしい限りなのだが。 その日も実家で弟とみかんを食べていると、母が「ざぼんもあるけど、食べる?」なんて聞いてきた。先日遊びに行った母の友人の家から、おみやげでもらってきたものらしいのだ。ざぼん。別名ぼんたんとかぶんたんとも言うその果実を、実は俺はまだ見たことも食べたこともなかった。そんな聞き慣れない名前を言われても、いよかんみたいなものを想像した俺だったのだが。母が出してきたのを見て、俺は驚いた。俺の想像をはるかに超えて、でかいのだ。ボーリングの球くらいあるといっても過言ではないくらいの大きさで、色も鮮やかな黄色。「大きいから、みんないる時に食べようと思って…」なんて、母も笑っていた。 さてこのざぼん、手では到底むけない。弟がナイフを取り出して、まずは半分に切ってみた。中の白いふかふかの皮が非常に厚く、実の部分まではずいぶんある。もっとみずみずしいのかと思ったのだが切っても果汁が滴り落ちることもなく、ピンク色の実はさわやかな香りがしてすごくおいしそうだ。「ゆず湯みたいにこのままお風呂に浮かべちゃえば?」なんて言ったらみんな笑っていたけれど、あとは小さくカットして食べてみることにした。 味ははっさくに似ている。適度な酸味がとてもおいしい。みかんと同様、ざぼんを食べることが止まらなくなった俺らは次から次へと手が伸びた。あんなに大きかった果実もあっという間になくなってしまったが、さすがにみかんを食べるよりはパワーを使うなと思ったりもした。ざぼん、結構気に入ったかも。
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2004年12月07日(火) ■ |
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Vol.530 母の小さな冒険 |
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おはようございます。りょうちんです。
母にとって、ここのところ穏やかな日々が続いている。去年大病を患ってから入退院を繰り返したあと、今年になって自宅療養をするまでに回復した母は、おとなしくのんびりと毎日を過ごすようになった。2週間に一度の通院、食事制限、大量の薬の服用、水分摂取の制限など、病院からのたくさんの約束を守らなければならない母は、元気だった頃よりもかなり窮屈な生活を強いられているはずだ。それでもイヤな顔ひとつせず当たり前のようにそれらをこなしているように見える母が、ちょっとすごいと思ってしまったりする。自分自身のこととはいえ、本人にしてみればやっぱりそれなりのストレスを感じているのかもしれないが。 病気のせいで障害を背負ってしまった母は、歩くことに不自由なカラダになってしまった。そのため家のあちこちに手すりをつけたり、風呂場には母専用の丸椅子を置くようになったり、母が生活しやすいように家の中も少しずつ変わったりした。外出の際も、短い距離なら杖を使ってゆっくりと歩くことはできるのだが、少し長い距離になると車椅子に頼らざるを得ないのだ。だから今までは母が外に出る時は、家族の誰かが母の付き添いとして一緒に行動するようにしていたのだが。 先日、母の友人から家に遊びにおいでとお呼ばれのご招待をいただいた。しかしあいにく、父も俺も弟も仕事。母の付き添いで誰かが一緒に行くというわけにはいかない。だがさんざん考えた末、好奇心旺盛な母はひとりで友人の家に行くことを決めた。母の病状を知る友人からの「大丈夫、車で送迎してあげるから安心して!」というコトバに後押しされて、そして母の小さな冒険が始まった。 俺らの心配をよそに、数時間後母は満足げに帰ってきた。よほど楽しかったのだろう。次々といろんな話を、うれしそうにしきりに俺に話してくれた。元来、家でじっとしているより外で活動することを好む母である。母にとって短い冒険ではあったが、話を聞いてそれがとても満足するものだったのは一目瞭然だった。もしかしたらこれをきっかけに、母は更なる冒険を密かに企み始めているのかもしれない。
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2004年12月05日(日) ■ |
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Vol.529 32歳の負け惜しみ |
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おはようございます。りょうちんです。
目が覚めると、どうしたことかカラダが動かない。まるで金縛りにあったかと思うほど、カラダが石になってしまったように動かしたくても動かせなくなっていた。それでも気合いを入れてカラダを起こそうとすると、全身に激しい痛みが走る。痛みの原因なんて、考えなくても明らかだった。理由は、前日のキャッチボール。寝る前は右肩が重いと感じていただけだったのに、翌朝になると筋肉痛による激しい痛みが全身に広がっていた。でも俺には仕事が待っている。痛みをともなうカラダにむち打って、ロボットのような動作しかできない俺は無理矢理仕事に向かう。結局その日はひいこら言いながら、しかめっつらのままなんとか仕事をこなした。 運動不足だったのは、もちろん認めるのだが。それと同時に、俺も体力が落ちたなぁと改めて思ってしまった。学生の頃は、キャッチボールなんかよりももっと激しい運動をしても、翌日にここまで筋肉痛に悩まされることなんてなかったのに。いつのまにか俺は、少しずつ体力を失ってしまっていたようだ。 そういや先日、友人の家に行った時。昔の写真に写っていた友人と今の友人の姿を比べて、「老けたなぁ…」なんて言ったら彼はひどく落ち込んでいたけれど。それは当然俺にだって当てはまることで。毎日毎日、ほんの少しずつの目には見えないスピードで誰もが年を取ってゆくものだから、気がつけばいつのまにか若さを失いつつある自分に驚いたりするのだ。そうやって誰もが外側からも内側からも、体力や若さと引き換えに年を取るものなのである。 でも、年を取ることはけして悪いことじゃない。体力や若さにもちろん魅力はあるけれど、年を取ることでそこにはない重みや威厳や経験を身につけることができる。ただ闇雲に時間だけが過ぎて無意味に老けこんでゆくのではなく、こうやって年を取ってゆくことをプラスに考えていかなくちゃ。だから、自分の年齢をしみじみ考えたりしてユウウツになんかなってられないのだ。 なんて。こんな言い分、32歳の負け惜しみにしか聞こえないかなぁ。
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2004年12月03日(金) ■ |
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Vol.528 念願のキャッチボール |
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おはようございます。りょうちんです。
実のところ、ちびっこだった頃の俺はあんまりキャッチボールなんて好きじゃなかった。理由は簡単、グローブを使うのが下手だったから。いとこからもらったおさがりのグローブを使って野球をして遊んだりもしたけれど、上手に使えないグローブのせいでエラーばかりしていた守備よりも、バットを振り回して打席に立つ方が断然楽しかった。 そんなに好きじゃなかったキャッチボールなのに、高校野球に興味を持ち出してから、俺は久しぶりにキャッチボールがしたいと思うようになっていた。でも悲しいかな、ひとりではキャッチボールはできない。俺の欲求は満たされることなく、今度は弟からもらったおさがりのグローブも部屋で眠ったままになっていたのだが。長年の俺の念願が叶って、今日ついにキャッチボールができることになった。ほこりをかぶったグローブを出してきて、車に乗り込む俺。雲ひとつない快晴で、風もなく鮮やかな初冬の高い青空が遠くまで広がっている。キャッチボールをするには申し分ない天気だ。公園に着くと、準備運動もろくにしないままグローブをはめて、俺らはいよいよ念願のキャッチボールを始めた。 投げては捕り、捕っては投げ。ボールは行ったり来たり。ただ単調にそれだけの繰り返し。たったそれだけのことなのに、久しぶりのキャッチボールはこの上なく楽しかった。相変わらず上手く使いこなせないグローブのせいで何度もボールを後方にそらすたびに走って追いかけて捕りに行くのだけれど、それもまた適度な運動になって、すぐに汗だくになった俺らは12月だというのに半袖のシャツのまま夢中でキャッチボールに没頭していた。我を忘れるほど投げ合っていたせいですっかり右肩の自由が利かなくなってしまった俺だけれど、痛みをこらえながらも街灯の灯りが点くまで俺らは楽しくて仕方がないキャッチボールを続けていた。 今度は弟からバットを借りて、近いうちにまたキャッチボールをしに来よう。その時までにはもっと肩の力もつけなきゃな。てか明日の仕事、この肩で大丈夫かな。
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2004年12月01日(水) ■ |
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Vol.527 クリームシチューを食べよう |
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おはようございます。りょうちんです。
「♪あったかいクリームシチューを食べよう〜♪」なんてFMから流れてきたから、今夜のメニューはクリームシチューに決定。仕事をしながら早くもおいしいクリームシチューのことばかりを、俺は考えていた。 仕事の帰りにスーパーに寄る。冷凍庫の中には凍らせておいてあるお肉もあるし、先週の特売の日に安売りしていたシチューの素もある。ジャガイモとブロッコリーと牛乳も冷蔵庫に残っていたから、ここで買うのはにんじんと玉ねぎ。秋の長雨のせいで野菜の価格が上がっているけれど、このスーパーはそれでも比較的安い方だ。山型のおいしそうなパンも安く手に入ったから、あったかいクリームシチューとふわふわのパンを食卓に並べよう。 ここ数日ですっかり冷え込んだ。北風も窓を叩いて、いかにも寒そうな音を立てている。昼間は日がさしてぽかぽか暖かな小春日和でも、朝晩はストーブを出して部屋を暖めないと寒くて仕方ない。確実に秋から冬へと変わっていく中、シチューを食べるには最適な季節になった。寒い夜だからこそ、おいしいクリームシチューを食べておなかからあったまろう。 家に着くと、さっそく俺はクリームシチューの調理に取り掛かった。早く食べたいのをちょっとだけ我慢して、たっぷりの牛乳で作ったシチューをじっくりことこと煮込んでゆく。にんじんやブロッコリーが色鮮やかで、マジでおいしそうだ。仕上げにコーン缶をあけて、遠慮することなくたっぷり入れてみた。ついに完成。湯気までおいしそうなあったかいクリームシチューを、ではいただきます。 濃厚でまろやかなクリームシチューの味が、口いっぱいに広がってくる。うまい! 気をつけなくちゃ口の中をやけどしちゃうくらい熱いけれど、思ったよりも断然おいしく仕上がったクリームシチューに俺は大満足。一緒に並べたパンとの相性もバツグンで、たっぷり作ったはずのクリームシチューはあっという間になくなってしまった。また北風の強い寒い夜は、おいしいクリームシチューを食べようっと。
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