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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2003年11月30日(日)
Vol.403 イカ墨スパゲティ

おはようございます。りょうちんです。

高校生の頃だったか、イカ墨スパゲティの存在を初めて知った時、あまりのインパクトの強さに俺は一気にココロを奪われた。口に入れるものなのに、その色の黒さと言ったら。不気味な黒い物体は、いったいどんな味がするのか見当もつかない。また、食べると口の中が真っ黒になるというウワサも魅力的だ。俺は、すぐにでも食べてみたい気持ちでいっぱいになった。
ある日、友達と入ったとあるレストランにて。俺はメニューの中に、イカ墨スパゲティがあるのをついに発見した。迷わず注文する俺。やってきた現物は紛れもなく真っ黒で、おそるおそる最初のひとくちを口に含んでみた。うまい。イカの風味と塩味がマッチして、予想を超えるおいしさに俺は舌鼓を打った。
そして、口の中が本当に黒くなっているのかをチェック。友達から手鏡を借りて、とびきりのスマイル。鏡の中には、真っ黒な歯で笑っている俺が映っていた。自分の顔に、思わず吹き出しそうになった。昔の人がやっていたお歯黒とはこんなカンジなのかもしれない。舌やくちびるまでも黒くなって、なんとも不健康そうだし。あぁ楽しい、なんて楽しい食べ物なんだ。おいしい上に、こんなに楽しい経験ができるなんて。友達と一緒に、大笑いしながら俺はイカ墨スパゲティをたいらげた。
しかし、そんな楽しいことなんてすっかり忘れてしまっていた翌日。俺はトイレに行って驚いた。出したものまでが真っ黒だったのだ。まるで木炭のようなそれはあきらかにいつものとは違い、イカ墨を食べたせいだと気付くまでの数秒間はすっかり考え込んでしまった。
昨日、久しぶりにイカ墨スパゲティを食べた。以前食べた時よりもイカ墨の量が少なかったのか、黒さは少しだけ薄いような気がしたのだが。あいかわらずとってもおいしくて、やっぱり口の中も真っ黒になった。でもさ、イカ墨スパゲティを食べたあとに、さすがにチュウはできないよなぁ。



2003年11月28日(金)
Vol.402 コンタクトレンズスコープ

おはようございます。りょうちんです。

忙しい仕事の合間を見つけて、なくしてしまったコンタクトレンズを新たに作りに行くことにした。偶然ではあるが、俺がコンタクトをなくした少し前、相方もコンタクトをなくしてしまったんだそうで、一緒に作りに行くことになった。
前回コンタクトを作ったのはもう5年も前のことで、今じゃかかりつけのコンタクト屋さんもなかったから、とりあえず駅前で配られているチラシやらを参考にいくつかのコンタクト屋さんを巡ることにした。夕闇の街で相方とふたりでああだこうだいろいろと比較検討しながら、とあるコンタクト屋さんに決める。カンジの良いお姉さんに受付してもらうと、さっそく隣の眼科にて検診してもらうことになった。なくしたコンタクト、俺は右目で相方は左目。ふたり合わせてちょうどワンセットになるのだから、料金もそれなりにセット価格になるのかと思いきや、さすがにそういう訳にはいかないらしい。
さて、検診の結果なのだが。俺の目は、少し傷がついてしまっているんだそうだ。原因は、それまで使っていたコンタクト。もう5年も使えば充分寿命でしょうと言われてしまった。俺的にはすこぶる良く見えるし目の方もいたって快調なのだから、寿命だなんて言われても全然ピンと来ないのだが。というか、コンタクトが5年で寿命をまっとうしちゃうなんて知らなかった。今使っている左目のコンタクトも、早いとこ新しいものに変えた方が良いですよと忠告されたが、今回はなくしてしまった右目だけをお願いした。
約1時間後、右目用の新しいコンタクトが手渡された。さっそく装着、視界良好。ぼやけていた世界も、新しくなったコンタクトレンズスコープでいっそうクリアに見えた。今度はなくさないようにしなくっちゃ。



2003年11月27日(木)
Vol.401 それでも母は生きていく

おはようございます。りょうちんです。

母が病院から帰ってきた。外泊や一時退院ではなく、担当の先生からちゃんとした退院の許可が下りて、長かった入院生活にも終わりを告げることができた。7月に一度退院はしているものの、10日あまりですぐに再入院してしまったため、事実上丸7ヶ月の入院生活からの解放となったわけだ。母にとってこの7ヶ月という期間は、手術があったりタイクツな毎日の連続だったりで、本当に長く感じたに違いない。年が明ける前に退院したいという母の願いは、見事に叶えられた。
それでも母は、病気を患う前と同じように過ごせるわけではない。残った障害による不自由な生活。塩分やカロリーなど厳しく制限された食事。そしてその食事のたびに飲まなければならない数種類の薬。お風呂も2日に一度、週に一度は通院もしなければならない。すこぶる元気だったあの頃の母に比べたら今の母はすっかり弱ってしまったように見えるが、それでも母は生きていくのだ。
太く短くでいいのなら、今まで通りにいろんな無茶をしたって構わない。だけどまだまだ長い人生を歩みたいなら、自分のカラダをいたわって無理せず細々とひっそり生きていきなさい。退院する間際、母が担当の先生からそう言われたそうだ。その忠告のように、母はひっそりと生きてゆくことをココロに誓えたのだろうか。
母の退院を祝して、俺の休日を丸一日母と一緒に過ごすことにした。買い物に付き合ったり、歯医者に行ったり、そのまま遠回りして俺の車でドライブしたり、庭のガーデニングを手入れしたり、一緒に夕食を作ったり。朝から夜まで、一緒に行動を共にしながらたくさんの話をした。入院していた時とは明らかに違う、いきいきとした母の姿がそこにあった。母にとっての新しい出発はまだ始まったばかりだが、春になったら家族旅行に行こうという目標に向けて、もっともっとがんばってさらに元気になって欲しい。



2003年11月22日(土)
Vol.400 「ひとりごと」を読み返す

おはようございます。りょうちんです。

俺はよく、以前に書いた「ひとりごと」を読み返すことがある。自分で言うのもなんだが、自分で書いたものながら、これが実におもしろい。ひとりでニヤニヤしながら過去の「ひとりごと」を読んでいると、時間さえも忘れそうになってしまう。
もちろん自分で書いたものだから、どんなことが書かれているかおおよその見当はつくのだけれど。それでも時々、タイトルだけではどんな内容のものなのか忘れてしまっているものもある。本文を読み返せば、すぐに内容までしっかり思い出せるのだが。だから新しく「ひとりごと」を書くにあたって、まったく同じタイトルにならないようにするとか、似たような内容のものはなるべく避けるようにするとか、そういったこだわりは自分の中にあるのに、うっかりすると「そのネタは以前にも書いたのに…」なんてことにもなりかねないわけで、その辺は実は見えない努力も必要だったりする。
それにしても。初期の頃の「ひとりこと」を読んでいると、俺の文章力のないことないこと。読んでいて恥ずかしくなってくるものがたくさんある。あんなみっともない駄文をよく公表しちゃってたなぁと、ある意味あの頃の自分の勇気に関心する。今だって俺に文章力があるとは思わないけれど、少なからず俺らしさというか、ある程度のオリジナリティは出せてきたなと思っている。だから毎日たくさんの人が俺の「ひとりごと」を見にきてくれていることに、ホント感謝の気持ちでいっぱいになる。ココロからありがとうを言いたい。
そういうわけで、今回でこの「りょうちんのひとりごと」もついに第400号。我ながらちょっとすごいと思う。もしもこれを読んだあなたがタイクツを感じているならば、過去の「ひとりごと」を読み返すことをおすすめする。充実した中身の濃い「ひとりごと」が満載で、きっとなにかプラスになるに違いない。
これからも俺は、今まで通りに書き続けていこうと思っている。だから、「りょうちんのひとりごと」を今後もよろしくお願いしますなのだ!



2003年11月21日(金)
Vol.399 「NO!」と言える人

おはようございます。りょうちんです。

バイトのFくんの話。彼は、人が良いというか、断れない性分というか、疑うことを知らないというか、優しすぎるというか、そういう性格の持ち主なのだ。でもそれがかえって仇となって、損ばかりしている気もする。悪く言えば、自分の意志でイヤなものをイヤとはっきり言えなかったりするのだ。
ひょんなことから、お給料の使い道の話になった。「たくさん稼いでるけど、何に使うの?」という俺の問いに、彼は「ちょっとローンがあるんですよ」と答えた。何のローンか尋ねてみたところ、なんと英会話スクールのローンなのだそうだ。月々数万円もの大金が、英会話スクールのローンで消えていくらしい。しかも契約が切れる2年先まで、毎月の支払いは続いていくんだそうで。で、その英会話スクールにはちゃんと行ってるのか聞いてみると、最初の数回行っただけで今はもう行ってないと言う。この英会話スクールに入ったきっかけも、本屋さんでアンケートに答えてくださいとお願いされ、とんとんと話が進み入会してちゃったんだとか。
うぅ。残念だけどFくん、君はあきらかにだまされているよ。行ってもいない英会話スクールのお金を払い続けなきゃならないなんて、典型的な悪徳商法の手口に引っかかったんだよ。そんなことだから、訳のわからない募金に寄付しちゃったり、駅前で手相を見せてくださいなんていう怪しい人につかまっちゃったりしちゃうんだよ。そのうち、幸運を呼ぶ壷とかものすごく高い印鑑なんかも買わされちゃうよ。それだけならまだしも、気がついたら得体の知れない信仰宗教にはまってましたなんて、良く聞く話だしね。そうなったら、ご両親だって泣いちゃうよ。
そこまで忠告すると、彼ははじめて不安げな顔つきになって、「やっぱりだまされてるんですかね?」とつぶやいた。彼へのお説教はちょっと例えが極端すぎたかもしれないけど、そのうち「Fくんは人が良いからなぁ」だけでは済まされない問題もでてきそうだ。俺が言うのも大きなお世話かもしれないけど、早いとこはっきり「NO!」と言える人にならないと、ホント痛い目に遭っちゃうぞ、Fくん!



2003年11月20日(木)
Vol.398 手紙

おはようございます。りょうちんです。

相方とケンカをしたあと、俺の元に届いた1通の手紙。速達の印が押してある相方からの手紙は、俺の部屋の新聞受けに届けられていた。メールや電話でさんざん言い争いをして、お互いがとげとげした気持ちのまま。俺は手紙の封を開けるのをちょっとだけ躊躇した。今度はどんなコトバで俺を責めるのか? どういった厳しい文章が書き込まれているのか? そして俺は、相方からの手紙にどんなコトバで反論しようか? そんなことさえ考えながら、俺は手紙の封を切って読み始めた。
しかしそこには、俺を責めるコトバなんてひとつもなかった。俺の予測を見事に裏切って、飾りのない便箋に、俺への謝罪と反省のコトバが書き綴られているだけだった。相方の素直な気持ちが、クセのある文字からひしひしと伝わってきた。文面を読み進めていくうちに、涙が止まらなくなった。相方のホントの気持ちを綴った文章は、俺の胸に鋭く突き刺さった。反省しなきゃならないのは俺の方なのに。誤る必要があるのは俺の方なのに。自分のことばかりを考えて相方の気持ちなんて全然考えてなかった自分が、なんだかとても恥ずかしく思えてきた。
俺は、手紙を何度も何度も読み返した。意地を張っていた自分を戒めるためにも、何度も何度も読み返した。そうやって相方の想いを、俺の胸に刻みつけた。あんなにとげとげしていた気持ちも、いつのまにか温かい気持ちでいっぱいになった。
そして。俺は相方に手紙を書いた。数年振りに封筒と便箋を取り出して、テーブルに向かった。意地なんて張らないで、素直な気持ちになってこの想いを伝えたいと思った。ひとつひとつコトバを確かめながら、俺は丁寧に気持ちをしたためた。俺の文才じゃ、想いの半分もカタチにできたかどうかわからないけれど。一生懸命、俺の気持ちを文字に託した。速達で出せば、明日の朝には相方の元へと届くに違いない。俺はあわてて車に乗り、郵便局へと急いだ。



2003年11月19日(水)
Vol.397 木枯らしに乗って

おはようございます。りょうちんです。

それは東京地方に木枯らし1号が観測された月曜日のこと。雲ひとつない澄み渡る青空の下、俺は今年最後の野球観戦に出かけた。少し早めに球場に着いて、さっそくスタンドへ入り見晴らしの良い席に腰を下ろした。グランドでは早くも球児くんたちがキャッチボールをしている。まもなく始まるシートノックを待っていると、突然俺の右目に鋭い痛みが走った。
どうやらゴミが入ったようだ。ハードコンタクトレンズを常に着用している俺は、目にゴミが入るともうどうしようもない。痛みで目を開けていられなくなる。悶え苦しむ俺の右目からは大量の涙があふれてきたが、ゴミは一向に取れそうもないので仕方なく外すことにした。しかしこの瞬間、外したコンタクトレンズは俺の手元をすり抜け、どこかに落ちてしまったのだ。時折吹く強い北風。あわてて探したものの、もうあとの祭り。俺のコンタクトレンズは、木枯らしに乗ってどこかへと消えてしまった。
コンタクトレンズを使い始めて、もう10年以上も時がたつ。その間、水に流したり落としてしまったりで何度かなくしたことはあったが、次第に扱い方にもコツをつかみ、最近じゃなくすことなんて全然なかった。今回なくしてしまったコンタクトレンズも、もう5年も前に作ったものをずっと使っていたものだった。それなのに…。あぁ、タイミングが悪かったのかもしれない。
結局、それから右目だけは0.1も視力がない裸眼で通しているのだが。左目はいつも通りよく見えるのでなんとか大丈夫かもと思っていたんだけど、時々距離感がつかめなかったりでやっぱり何かと不自由を感じたりする。早いとこ新しいコンタクトレンズを作りに行かなくちゃと思ってはいるのに、なかなか時間がなかったりで。視力が悪くなきゃ、こんな苦労は必要ないのになぁ。



2003年11月14日(金)
Vol.396 反省の時間

おはようございます。りょうちんです。

ここ数日何かとやることが多くて、寝る時間がすっかり明け方になる生活になってしまった。明け方というかむしろ早朝で、TVをつければ朝のお天気番組なんかをやってる時間に眠りにつくくらいだった。
久しぶりに休みだった今日は、ホントは早起きして高校野球を観戦に行こうと予定していたのに、そんな生活サイクルを急に変えることもできず、目が覚めたら完全に寝坊している自分に気がついた。TVにチャンネルを合わせるとすでに観戦しようとしていた試合が生中継されていて、本当ならば俺もあの試合を画面越しではなく生で見ているはずだったのになんて思いながら、仕方がないので結局たっぷり夕方までTVで観戦することに決めた。
布団に入ってごろごろしながら、のんびりTVで野球観戦。時々うとうとまどろみながらもしっかり4試合、10時間近くもTVを見ていたことになる。この際だから日頃の疲れを一気に取ってやるぞなんて最初は思っていたのだが、外は真っ青な空が広がる秋晴れで、次第にTVを見ているだけでぐうたらしている時間がもったいない気がしてきた。
あぁ、やっぱり遅れてでも野球観戦に出歩けばよかったかも。家の中で一日中じっとしているなんて俺には向いてない。これじゃあ引きこもりじゃん。と、反省の時間。今度の休みは疲れていても絶対に外に出るぞ、とココロに決めた。
さて、昼の間にすっかり充電が完了した俺。昼の反省をふまえて、夜は相方とごはんを食べに行ったり、スーパーに行ったり、灯油を買いに行ったり。車を出したついでに、そろそろしし座流星群も見れる頃だねなんて言いながら、星を見にドライブしたり。昼とは打って変わって、夜はすっかりアクティブに活動してしまった。仕事で疲れている相方を引きずり回してしまったのかもしれないけど、やっぱり俺はずっとおとなしくしていることはできない性分なんだと痛感。明日からまた仕事。だんだん寒くなってきたけど、まだまだがんばらなくちゃね。



2003年11月10日(月)
Vol.395 わさび漬け

おはようございます。りょうちんです。

子供の頃の俺は、それなりに好き嫌いが激しかった。チビッコだった頃はねぎもレーズンも納豆も食えなかったのだが、歳を重ねるに連れておいしいと思うようになった。今でこそ食えるものならなんでも食べてしまう俺だけれど、たったひとつだけ克服できないものがある。それは、わさび。
辛いのは別に構わない。カレーだってトウガラシだって、辛くたっておいしいものはたくさんある。だが、わさびのあの鼻にツーンと抜けるカンジがどうしても耐えられないのだ。だから、お寿司屋さんに行っても俺はいつもさび抜きを頼んじゃうし、お刺身だってザルそばだってわさびなんかは使わない。わさび味のポテトチップやチョコやソフトクリームなんてのもあるけど、あんなもんもってのほかだ。
あれは数年前、泊りがけで旅行に行った時のこと。朝食にそれは登場した。淡い緑色をした何かをすりつぶしたような物体が、小さな小鉢に入ってあらわれた。朝にはめっきり弱い俺。寝ぼけまなこのまま、よく確かめもせずにその物体をひとくちでほおばってしまった。次の瞬間、口の中が、いや全身が、あのわさび独特のツーンという刺激でいっぱいになった。思わぬハプニングでパニックになった俺は、冷静さを失った頭の中で思い出した。もしかして、これってわさび漬け? はるか昔に、おみやげでもらったわさび漬けを見たことがある。その時も俺はもちろん食べなかったけれど、こんなにも強烈にまずいものだったのか。口の中のわさび漬けに思わず声をあげのたうちまわる俺は、お茶と一緒になんとか流し込みその場をしのいだが、その日はわさび漬けをほおばってしまったせいで、すっかりへこんでしまったのは言うまでもない。
あれから、もう何年も俺はわさび漬けを口にしていない。おそらく一生食べないだろうし、もちろんいくら高級なわさび漬けだろうが食べたいとは思わない。もしも俺が食わず嫌い王選手権に出たとしたら、わさび漬けを口にしたとたんに「参りました!」って言っちゃうだろう。そのくらい、俺はわさび漬けが嫌いなのだ。



2003年11月09日(日)
Vol.394 ひとりで行けるもん

おはようございます。りょうちんです。

誰かと一緒なら全然平気なのに、ひとりっきりじゃどうしても行きにくい場所ってあるじゃん。こう見えたって俺も結構小心者で臆病だからさ、ひとりでいるには居心地の悪いところだってたくさんあるわけよ。
昔は、ひとりで外食することが俺にはどうしても辛いことだったのね。注文を聞かれる時からおどおどしちゃって、食事中は話し相手もいないからただ黙々と機械的に出されたものを食べ、ゆっくり味わうことなんかせずに1秒でも早くその場から出たいって気持ちだったんだよね。
あれは大学生の時、就職活動中のこと。次の企業に行くために時間も決められてたからさ、必然的にひとりで食事をしなければならない状況になっちゃったのね。で、勇気を出して入ったマクドナルド。席に座りふと回りを見渡すと、そこには俺と似たような就職活動中のひとりぼっちのヤツがたくさんいたわけよ。その時からかな、ひとりで外食することがなんでもなく思えちゃったのは。今でこそ、マックどころかラーメン屋さんも牛丼屋さんも、平気でひとりで行けるもんね。
でもね。さすがにファミレスとかお寿司屋さんには、まだひとりで行く勇気がないんだよね。たまにファミレスのカウンターとかでひとりでガツガツ食ってる人を見かけるけど、こいつすげーって思っちゃうもんね。俺にはできない行為だよ。あとはひとりでボーリングとか、ひとりでカラオケ屋とかも俺には無理かな。
ひとりでどこでも行けちゃう人って、ある意味すげーカッコイイじゃん。他人の目を気にせず、自分の思うことを自分のペースでできちゃうって、やっぱ憧れちゃうよね。俺のひとりで行けるようになりたい最終目的地は、焼肉食べ放題。ひとりで肉焼いて、自分のテーブルの上を空いた皿で山積みにして、もちろん肉だけじゃなくデザートまでも堪能して、ひとりっきりで至福の時を味わうのが俺の夢かも。
みんなは、どこだったらひとりで行ける?



2003年11月08日(土)
Vol.393 キャベツを刻む

おはようございます。りょうちんです。

イヤなことがある時は、キャベツを刻む。ざくざくキャベツが細かく刻まれていくと、胸につかえていたイヤなことまでざくざく刻まれていくようで、気分が少しずつ晴れてくる。もう長いこと主婦をやっている俺の友達が、以前そんなことを言っていた。だからイヤなことがあった時は、彼女の作った食卓にはたくさんのキャベツのサラダが並ぶらしい。何も知らない彼女のだんなさんは、そのキャベツのサラダをおいしそうに食べてくれるのだそうだ。
仕事で、ちょっとだけイヤなことがあった。行き場のない不安と苛立ちが俺の胸の中で渦を巻き、この現状から逃げてしまいたい気持ちになって、もうどうしていいのか途方に暮れかけてしまった。そんな時、思い出した彼女のコトバ。そうだ、キャベツを切ろう。キャベツを千切りにすることは、いつも仕事でやっていることだけれど。今日はいつもと違って、このイヤな気持ちまで切り刻んでやろう。そんなことを考えて、俺はさっそくキャベツを刻み出した。
包丁がまな板を叩くリズミカルな音だけが響き、無言のまま俺は一心不乱にキャベツを刻み続けた。2玉のキャベツはあっという間に千切りにされ、ザルいっぱいになった。
結局、キャベツを刻んだあともこの現状は何ひとつ変わらないままで、彼女の言ったようにイヤなことまでは刻まれていかなかったけれど。キャベツを刻んでいる間、俺はイヤなことを正面から考えることができた。逃げ出したい気持ちを忘れて、現実を見据えこれからどうしていけば良いのかを考えようとする気持ちになれた。悩んでいてもはじまらない。キャベツを刻むことがきっかけで、俺はいつものように前向きな気持ちになれたような気がした。
さて。いつもより多めに刻み過ぎてしまったこのキャベツの千切り。ちゃんと売り切ることができるのだろうか。



2003年11月02日(日)
Vol.392 27冊→180円

おはようございます。りょうちんです。

午前1時、仕事帰り。駐車場に車を止めて、俺の部屋へと向かう道すがら。ゴミ置き場に、たくさんの粗大ゴミが捨てられていた。俺の住む市では、粗大ゴミは市役所に引き取ってくれるよう申し込みが必要で、もちろん有料。おそらく引っ越しか大掃除で大量に出てしまったゴミを、こんなふうにゴミ置き場に出しておくのはルール違反だぞなんて思いながら、俺はしばしこれらの粗大ゴミを眺めていた。
もしかしたら、何かまだ使えるものがあるかもしれない。以前にも俺は、テーブルや鏡や自転車の空気入れなんかを拾ってきて、今でも大切に使っているものだってあるのだ。他人がいらないものでも、俺には必要なものが眠っている可能性もある。しかも真夜中、捨てられているゴミを物色する俺の姿を誰が見ていようか。
しかし、今回はめぼしいものを発見することができず、そろそろ帰ろうかと思い始めた時。ひもで丁寧にくくられた大量の本を発見。そのほとんどがマンガ本だったが、中には「野球入門」なんていうチビッコ向けのものもあったりした。昔から俺はマンガはあまり読まないのだが、とりあえず今日の戦利品をこれらの本に決めて、両手に何冊もの本をぶら下げて家路についた。
数日後、俺は手に入れた本を古本屋で引き取ってもらうことにした。どうせ拾ったものだから、たいした金額になるはずがない。でも、どのくらいの価値がつくのかを、俺は知りたかったのだ。店員のお姉さんに本の山を預けて、さっそく鑑定をしてもらった。中には汚れなどで価格がつけられないものもあったけれど、27冊の本は180円のお金になって返ってきた。
「27冊→180円」の図式が、俺には高いのか安いのかはわからないけれど。たまたま拾ったものが180円になったんだから、俺としてはやっぱりうれしかった。これも立派なリサイクル、ものを大切にしなくっちゃだもんね。



2003年11月01日(土)
Vol.391 秋が深まるシーズン

おはようございます。りょうちんです。

東京都の西の果て、秋川渓谷。川原でBBQをやったり温泉に入ったりしたのは去年の11月のこと。楽しかった思い出を作りに、また今年も秋川渓谷へと俺らはやってきた。去年とまったく同じ行程で、秋を満喫するための俺の小旅行。
電車に揺られて都心を過ぎ、西に進むにつれて次第にのどかな風景へと変わっていく中央線。車内では早くもテンションが上がり、トークも盛り上がる。そしてはるばる辿り着いた終着駅、武蔵五日市。家を出る時には降っていた雨もあがり、やっとのぞかせた太陽の光が紅葉で色付きはじめた木々を照らしている。
さぁ、まずは買出し。食材もお酒も山ほど買いこんだら、さっそく川原へ移動。まだ昼前だってのに、俺はアルコールをフライング。ゴキゲンな気分のせいで、下準備もさくさく手際良く進む。準備ができたら調理開始。肉も野菜もじゃんじゃん焼いて、次から次へとたいらげてゆく。味はバツグン、うますぎる。一緒に買った白飯とともに、焼きあがった食材が俺の底無しの胃袋へと吸い込まれていく。焼きそばも豚汁までもしっかり食べて、ついに完食。はちきれそうな俺のおなか。大満腹で大満足。もう食えません。
おなかが満たされたあとは、レトロな青春号というバスに乗ってつるつる温泉へ。檜風呂でも露天風呂でもサウナでも、俺らはたわいもない話に花を咲かせてたっぷり3時間ものリラックスタイム。指の先がしわしわになったって話は尽きることなく、充分に満喫できたくつろぎの温泉。
秋は、何をするにも良い季節。仕事ばっかじゃもったいないよ。たった1日の小旅行だったけど、足早に過ぎて行くステキな秋を俺はココロから堪能できた気がした。来年、11月になって秋が深まるシーズンが再びやってきたら、また秋川渓谷でステキな秋を満喫したいな。