Kumsta kayo?(富山編)
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片道$50という格安航空券とネットのサイトで予約したホテル1泊$60でラスベガスへ行ってきました。 フェニックス空港のターミナルは3つ。 ユナイテッドやデルタなどメジャー系と今回利用したサウスウェストやアメリカンウエストはターミナルが違います。 チェックインは機械にネットで決済したクレジットカードを入れるだけ。 搭乗券にはゲートも時間も書いてない、そして自由席! サンクスギビング連休の最終日だったからかセキュリティチェックは長蛇の列。 飛行機は地上の景色が見える高さで飛び、1時間弱でラスベガスへ到着。 今回泊ったのは”アラジン”。 洗面所の蛇口まで”魔法のランプ”。

バスタブとシャワーが別なところがよい。
バフェを食べたりストリップ(ラスベガス通り)を歩き回ったり。 ベラッジオの噴水ショーはすばらしくて、2日で3回も見てしまいました。

シーザーズパレスのクリスマスツリーを見たり、

ミラージュの火山を見たり、

トレジャーアイランドで「ミスティア」というショーを見た。
 ”シルクド・ソレイユ”のショーで日本でも”サルティンバンコ”が上演されたとき、観に行っているのですがラスベガスで観ていることや自分のお金で観ていることがあってかとてもおもしろかった。 アクロバティックだったし生演奏で演出されている。
その後ホテルへ戻り、深夜までカジノに貯金(笑)。
更新 アリゾナ時間 12月3日 3:40 日本時間 12月3日 19:40
2003年11月29日(土) |
バーゲンに行ってもうた |
テレビであるお店が朝7時から12時まで全品10%引きって言っていたのにつられて眠い目をこすって行ってきました。 荷物が増えてスーツケースに入りきらないのでピギーバックを買おうと思って。
10時に行ってとりあえずモールの中にあるそのデパートへ。 とりあえず、めぼしをつけて他の店も見てみた。 同じくらいの値段でなかなかよいのがあったが保留。 そのあいだにコットンセーターを買ってしまった。
結局、12時まであと30分のところまで迷ってもとのデパートで正値$200をセール価格$99.99からさらに10%引きで買った。 日本だったら迷って買わないかもしれないものも買ってしまうんですよね。 バックが増えたことでまだ買い物しそう。
あすからまた出かけます。
更新 アリゾナ時間 11月30日 2:00 日本時間 11月30日 18:00
愛煙家の同僚は喫煙場所が非常に限られていて困ってます。 食事に行っても先に外に出て行ってしまう始末。
さてタバコの値段ですが、州によって税金が違うのでしょうかまったく異なります。 お店によっても違います。 ちなみに、ここアリゾナでは1箱約3ドルちょっと。 NYではなんと!7ドル強。 ヒューストンでは2ドル後半←これはカートンでまとめ買いでしょうと思ったが同僚は数箱買うににとどまった。 (銘柄は○ボロライト)
フィリップ・○リスのCMで「安全なタバコはありません、ホームページをご覧ください」ってのが笑える。 愛煙家に訴えられる国だから保身に必死で。
更新 アリゾナ時間 11月28日 3:50 日本時間 11月28日 19:50
最近の日記は小学生の作文のようだと反省しております。
さて、本日はサンクスギビングディでしたが昼過ぎに近くのマックに行ってみたところいつもと様子がなんか違いました。 駐車場に車が一台も停まっていないのです。 まさかと思って近づいてみると、午前中で終わりとの文字。 とおりの向こうのウェンディーズを見てみると、やはり車が停まっていません。 どうも、どこのお店も今日は休みのようです。 ショッピングモールに行った同僚によると、やはり開いているのはガソリンスタンドだけだったようです。 テレビを見ていると明日は朝6時くらいから12時までのセールという広告をよく見かけます。 明日も午後はお店が休みなのでしょうか。
ということで仕事が早く終わったんですがターキーを食べることもなく、 ご飯にししゃも(冷凍)、金平ゴボウ(水で戻して炒めるだけ)という和食な夜でした。
大統領が内緒で軍をねぎらう為にイラクに飛ぶことがこの日のアメリカにおける重要度を物語っています。 ニュースも空港でイラクから帰還する家族と抱き合うシーンがよく流れました。
更新 アリゾナ時間 11月28日 2:00 日本時間 11月28日 18:00
あしたはサンクスギビングディ。 テレビをつけても、ホリデーモード。 CNNも盛んに航空情報を流してます。 まるで日本のお盆のようです。 きょうはホテルで無料のギビングディナー(ビュッフェ)があったのに夜勤でいけませんでした。 明日も仕事です。 短いようですが。 いっそのこと休みにしてくれ〜! ショッピングモールはセールで混むらしいです。
更新 アリゾナ時間 11月27日 2:00 日本時間 11月27日 18:00
飛行機が夕方なのでヒューストンのダウンタウンへ行く。 ヒューストン1高い、Chase Towerに登ってみた。

ヒューストンはビジネス街であまりみてまわるところはなさそう。 サム・ヒューストン公園を散歩して”Museum of Texas History”に入ってみた。 こじんまりとした博物館で他に見学者はなく受付のおばあちゃんが親切に説明をしてくれた。 「テキサスとヒューストンの歴史」のビデオをわざわざかけてくれた。
テキサスはメキシコと国境を接し、かなりの移民が入ってきているからスペイン語が第2共通語として通じるようで公共機関などは英語とスペイン語の併記がされている。 久しぶりに聞く巻き舌の英語に懐かしさを覚える。 フィリピンもかつてスペインの植民地であったことから彼らの英語も非常に巻き舌。 スペイン語の地名も各地にある。
日本食レストランを見つけ、本物っぽいのでかなり期待して入る。 ちょうど昼時で入り口で名前を聞かれて、名前(ファーストネーム)を答える。 名前を聞いた人が日本人のウェイトレスで、順番を呼ばれたとき「halohaloさん」って下の名前を呼ばれたのはなんか照れくさかった。 日本で知らない人に下の名前で呼ばれることがないから。
メニューの中に「かつ丼」をみつけ、即決。 ひさしぶりのかつ丼に感激!
かつ丼を堪能した後、路線バスで空港へ。 タクシーだと50ドルはするところを、1ドル。
今回始めてコンチネンタル航空に乗った。 機内放送のイヤホンは自分のものを使うか5ドルで買ってくださいだって。 まさか国際線は貸してくれるんだろうね。
フェニックス空港に20時頃到着。 サンクスギビングのためか空港はいつになく混雑していた。
更新 アリゾナ時間 11月26日 14:50 日本時間 11月27日 6:50
2003年11月24日(月) |
NASA(ジョンソン・スペース・センター) |
モーテルのフロントで「NASAまでどのくらい?」と聞くと「信号2つ」といわれる。 アメリカの信号2つはどのくらいか心配しながら歩き始める。 きょうも寒い。 途中のデニーズで朝食を取る。 セットを頼むが卵とベーコン、ソーセージにホットケーキ3枚。 朝からホットケーキ3枚は無理。 NASA近くのマックは、宇宙飛行士がポテトを持っていた。

10時の会場と同時に入り、トラムツアーに参加。

宇宙センターの敷地内に入り、昔の管制センターやシャトルの訓練センターなどを見学。 外には巨大なロケットも展示されている。



センター内のアトラクションも満喫して結局一日中楽しむことができました。
更新 アリゾナ時間 11月25日 23:00 日本時間 11月26日 15:00
2003年11月23日(日) |
テキサスTボーンステーキ |
今週はトレーニング用の装置の調子が悪く毎日遅くまでやってました。 土曜日もいつもは休み前なので早終いですが、3時頃までかかりました。 6時30分のフライトなので部屋に帰って準備をして寝ないで空港へ行きました。 さすがに11月も終盤で朝晩は寒くなってきました。 今回の行き先はテキサス州ヒューストン。 午前中にヒューストン、ブッシュ・インターコンチネンタル空港に着く。 博物館が集まるハーマンパークまでシャトルバスで。 近くのホテルで降りるが、冷たい雨が強く降りしばらく動けない。 弱まったのをみて、自然科学博物館へ。 展示室、バタフライセンター、IMAXシアター、プラネタリウムすべての入場券を買う。 バタフライセンターは、植物園の温室のようなところに蝶が放し飼い(?)されている。 蝶が飛んできて服にとまったりするので、怖くて泣いてしまう子供もいた。 お母さんが「蝶は噛まないのよ」というけど聞いている余裕はなく絶叫、号泣。 蝶のさなぎを並べて孵化しているところ。

IMAXシアター、プラネタリウムは徹夜あけには心地よいイスと暗さで3人でいびきまでかいて爆睡(笑) 展示館は、自然科学一般からアメリカの自然までかなり興味深く楽しめました。 この博物館は子供に人気らしく子供連れが大半でしたが大人でも十分楽しめました。

シャトルバスを降りたホテルまで戻りタクシーを呼んでもらって今回の宿であるNASA近くのモーテルへ行く。 運転手は行ったことがないらしく、途中のガソリンスタンドで道を聞いた。 「メーター止めるから」といったけど止まってなくってそれなのにタイヤの空気を入れたりしていた。 あんまりひどいんでチップをほとんどやらなかった。 あいかわらず雨は止まず、小降りになったのを見計らって通りの向かいのステーキやさんへ。 「テキサスきたらTボーンステーキでしょう」と訳のわからないことを言いながらステーキとこれぞアメリカ!という甘いケーキなんぞをいただき、アメリカ人はこうやって(横に)大きくなったんだと悟る。
更新 アリゾナ時間 11月25日 22:40 日本時間 11月26日 14:40
休みに遊んで休まないので最近疲れ気味です。 でもやっぱりまた遊ぶんです。
カレーを作り始めて、ルーが甘口だったことに気づきました。 じぇんじぇん辛くない。 とりあえず1回食べて残りは冷凍。
更新 アリゾナ時間 11月21日 14:00 日本時間 11月22日 6:00
テスト

日記の画像をアップしている容量が無料の範囲を越えてしまいました。 何にも考えずにどんどんアップロードしていたから。
今までの画像を消すわけにもいかないので、 きょうからまた新しいところに変更です。 画像の解像度をよく吟味していかなければ。 きっと無駄に高い解像度だったんだと思う。
更新 アリゾナ時間 11月20日 15:40 日本時間 11月21日 7:40
2003年11月18日(火) |
アメリカと言えばここ! |
16日から2泊でサウスダコタのラピッドシティに行ってきました。 この町の近郊には岩山に掘られた4人の大統領、Mt.Rushmore National Memorialと「未知との遭遇」に登場したDevils Tower National Monumentがあります。 他にも見所が多いのですが今回は中一日なのでこの2つに絞ってみました。
16日、デンバーで乗り換えてラピッドシティへ23時過ぎに到着。 レンタカーを借りてホテルへ。 標高も緯度も高いので気温は0℃前後まで下がりましたが、3日間雪も降ることなく道路も乾燥していて助かりました。 しかし道路わきの山々には雪が残っていました。
17日、朝一番でMt.Rushmore National Memorialへ。 ラピッドシティから南へ1時間。 オフシーズンの平日の朝ということで観光客は数人。 そして4人との対面。

まわりのアメリカ人からも「おおっ!(英語)」の声があがる。
岩山ををひとまわりして作られた様子を展示しているMuseumをみる。 あれだけの大きさのものを岩から削りだした技術と情熱に感服。
ラピッドシティに戻り、西に約2時間走りWyoming州に入って少し行ったところにDevils Tower National Monumentがある。 入り口のゲートも人はいなく、箱にお金を入れて入っていく。 Towerの近くまで車で上がっていく。

溶岩が盛り上がってできたこのTowerは一種異様な造形物で、無数の柱状の溶岩からできている。 Towerのまわりの約2キロのトレイルを歩く。 ところどころ凍っていたり、雪が残る。 トレイルのすぐ近くに鹿がいた。 人になれているのか逃げる様子もない。
この公園内にはプレーリードックがすんでいて、野原に無数の巣穴とたくさんのプレーリードックが見られます。

彼らともお別れして、ラピッドシティからさらに東に2時間はしるBadlands National Parkを目指す。 日暮れまでにつけるか時間との勝負。
Interstate(高速)をひたすら走るが、車が少なく道もまっすぐなので非常に退屈で眠気を誘います。 やっとBadlands National Parkについたときは日が暮れかかっていて無人のゲートを通り抜けて公園内を走る道路のVIEW POINTに立ち寄るが真っ暗で何も見えず。 山道を抜けて高速に戻りラピッドシティに戻った。
18日、8時過ぎの飛行機でレンタカーの事務所が7時に開くのでその時間に合わせて空港へ。 7時になっても人が来ない、10分頃になってやっと来ました。 のどかな田舎って感じ。 昨日一日で約600キロ走ったようです。
一時間に一本も飛ばない小さな空港はセキュリティチェックも搭乗前まで開きませんでした。 デンバーまで1時間弱、フェニックスまで1時間30分。 フェニックスはやはり日差しが強かった。
更新 アリゾナ時間 11月18日 23:00 日本時間 11月19日 15:00
2003年11月15日(土) |
ちょっとうらやましかったり |
一緒にきている後輩の彼女が昨日からきています。 明日からの休みに一緒にラスベガスに行くそうです。 今週の休みはしょうがないのでひとまわり違うおじさんと2人です。
去年もオランダにいて休みもあったけど呼ぶ人がいなかった(悲) もうこんなに長く海外にいることはないでしょう。
次は赴任だって?!
更新 アリゾナ時間 11月15日 22:40 日本時間 11月16日 14:40
2003年11月14日(金) |
こんなところがアメリカだなあ |
夜勤の合間で食事に行くんですが、時間が遅いのでたいていファーストフード。 ウェンディーズかマックかJack in the Box。 Jackは日本のモスのように注文を受けてから作る。 一番頻度が高いウェンディーズに行ったんだけれど、店内でタイルの修繕をしていました。 作業をするお父さんの傍らに小学生くらいの男の子と女の子。 しばらく様子を見ていたら奥さんらしい女の人とやっと歩くようなちっちゃなかわいい女の子がきました。 家族そろってお仕事にきているようです。 とはいっても仕事はお父さんだけ。 子供達はおとなしくしていました。 日本だったら仕事場に子供を連れて行くなんて考えられません。 ほのぼのしていて良い感じでした。
それにしても日本よりワンサイズ大きいドリンクを普通の大きさと感じるようになってきたのは黄信号。
更新 アリゾナ時間 11月14日 3:30 日本時間 11月14日 19:30
DVDプレーヤーには国によってリージョンコードというコード(線ではない)が決まっていて、違うリージョンコードのソフトは観られない。 アメリカと日本はリージョンコードが違うからこっちで買ったDVDは日本のプレーヤーでは観れない。 最近はマルチリージョンのプレイヤーも出てきています。 あたらしくでたあるCDにDVDがついているのですがこのDVDがマルチなのかどうかわからなくて迷っていました。 でも、輸入版として日本でも売っているんですよね。 ま、DVDが観れなかったとしても、もちろん日本盤よりも日本で輸入版を買うよりも安いので買ってしまいました。 DVDは帰るまでのお楽しみ。
スーパーでは会員カードを作ると割引になります。 よく行くスーパーではいままでは「カード持ってない」というとレジで番号を打ち込んで割引価格にしてくれたのですが、きょうはレジの人が後ろのおばさんに「ちょっとカード貸してよ。」みたいなこと言ってそのおばさんもはいよ、って貸してくれてそのおばさんのカードで割引にしてもらいました。 レジの人は「ほうら、50セントも得したよ!」みたいなことを言ってくれました。
更新 アリゾナ時間 11月14日 2:30 日本時間 11月14日 18:30
テレビでカリフォルニアに住む元女優が養子を迎える番組を観た。 カンボジアから乳児を養子にしていてさらに7歳の女の子を養子に迎えることに。 女の子は両親を亡くし施設で2年間暮らしている。 元女優の支援で施設では英語も教えられている。 自我が目覚めない乳児はよいが7歳ともなると言葉も環境も人格も形成されつつある。 元女優がどんな決意でこの女の子を養子に迎えることにしたかは、貧弱な英語力では理解できませんでした。
移民や養子縁組がめずらしくないアメリカならではの番組でしょう。 元女優はカンボジアの言葉で挨拶を覚え、彼女のために人形や洋服を持って渡航。 施設では民族舞踊で皆が出迎える。 女の子は自分がこれからどうなるのかけなげにもわかろうとするが、涙が出てきてしまう。 そして「自分が大きくなったらみんなをアメリカに連れて行きたい」と言った。
アメリカへ渡った女の子は、施設でなれていたのか新しい妹もかわいがっていた。 そして、相談役として以前に同じようにカンボジアからやってきた十代の女の子が一緒に遊んだり、新しい母親とともに遊んでいるという事後のケアもちゃんとしていた。
経済的な豊かさがすべてではないけれど、生きていく為に道を外れる可能性があった彼女にとって養子に行くことはよかったのでしょう。 できれば、自分の国で幸せに暮らせることが一番だけれど。
新しい母親がいつまでも変わらない愛情で彼女を愛し、平和で幸せな日々が訪れることを願って止みません。
きょうはアリゾナではめずらしく1日雨でした。 車の汚れも落ちたかも。
更新 アリゾナ時間 11月12日 23:00 日本時間 11月13日 15:00
Tempeの町のダウン・タウンを散策。 この町はアリゾナ州立大学の町なのでバーやレストランなど若い客向けのお店が多い。 ASU(Arizona State University)グッズを売っている店もあり、当然(?)Tシャツを購入。 古本を売っているお店をのぞいたら、壁にアンティーク調のパネル(看板)がたくさんかかっていた。 無題使いとは思いながら”Pepsi”のプレートを買った、他にもいろいろ欲しいのがあった。
SUSHIバーを見つけたが、まだ開店前。 しばらく歩いているとSUSHIレストランSUSHI 101を発見。 フェイクかと疑いつつも入ってみた。 ちゃんとネタごとに注文ができるお店で、19時までのハッピーアワーということもあり調子に乗って注文。 案の定食べきれず。 こちらのレストランは持ち帰りが普通なので余った巻物を若手君に持たせた。
飲み物のメニューに”SAKI BOMBER”というのがあり、一番搾りの大瓶と日本酒の熱燗一合がセットになったもの。 SAKIはSAKEの誤りか?
お寿司はちゃんとした寿司で、わさびもちゃんと入っていた。(さびぬきで別盛りのところが多い) おいしかった、けど食べ過ぎた。 サイズが日本と変わらなくてよかった。
更新 アリゾナ時間 11月11日 23:50 日本時間 11月12日 15:50
2003年11月10日(月) |
グランドキャニオン→モニュメントバレー |
日の出の1時間前に出発。 部屋を出るとなんと雨が降っている。 雨が降っているのをみたのはアメリカにきて初めて。 なんていっている場合ではなく、だめだと思って東のMother Pointに行ってみるがやはり雲は厚い。 冷たい雨の中、同じような人が十数人。 日の出時間前まで車の中で待つ。 そして外に出てみるがやはり見ることはできなかった。 いつのまにかうっすら明るくなってきたのであきらめてロッジに戻って朝食を取った。 ロッジの食堂には日本人の団体がいました。 せっかくのグランドキャニオンもこの天気ではかわいそうです、日本からきたら余計に。 ロッジの近くの道路に野生の鹿がいて驚き。

今日は昨日より雲が厚く、標高の高いところでは雪も降っていました。 昨日のうちにポイントを見てまわってよかった。
グランドキャニオンを出て北東へ約3時間、ユタ州に入ったところにモニュメントバレーがあります。 砂漠地帯の中にそびえ立つ岩。 事前の調べでは公園内はジープツアーに参加したほうがよいと書いてありましたが、みんな普通車で巡回していたので自分達も自分の車でまわることに。 多少の悪路はあるもののセドナのように山を登ったりすることはない。 好きなところで車をとめて眺めたり写真を撮ったり。 雲があったけれど、壮大な風景は感動もの。

”愛車”のポンティアック・グランダムと赤い大地。

1時間以上かけてひとまわり、景色を満喫。 モニュメントバレーを離れ、7時間かけて帰路。 まっすぐで外灯もない道路はひたすら眠気を誘うのでした。
更新 アリゾナ時間 11月11日 6:00 日本時間 11月11日 22:00
朝7時にホテルを出てグランドキャニオンを目指す。 4時間強のドライブの後到着。 SOUTH ENTRANCEから入るつもりがフラッグスタッフで分岐を見落としてEASTから入ることに。 Desert Viewから始めてのキャニオンを見る。 気温も低くかなり寒い。

東からグランドキャニオンビレッジに向かって道沿いのビューポイントに立ち寄ってはパチリ。 ビレッジ内のMaswic Lodgeにチェックイン。 ロッジの食堂で休憩後、自家用車では行けないHermit Roadへシャトルバスで。 今回、グランドキャニオン内に宿を取ったのは日没と日の出を見るため。 日没はHermit RoadのHopi Pointがきれいだとのこと。 Hopi Pointでバスを降りたけど日没まで時間があり、あまりにも寒いので売店があるHermits Restへ。 売店を物色した後Hopi Pointへ戻る。 日没時間まで粘ったけれど、雲が厚くて見ることができなかった、残念。
更新 アリゾナ時間 11月11日 5:30 日本時間 11月11日 21:30
ここのところネットになかなかつながらなく、つながってもすぐに切れてしまった。 ローミングポイントを変えても状況は改善しない。 メールを受信中に何回も切断されしまいにはメールサーバーへの認証もできなくなってしまった。 アカウントがロックされたと思ってウェブメールから会社にヘルプのメールを送りました。 ちょうど日本は週末、返事はありません。 昨日、同僚に相談したら「パスワードが○○じゃない?」 といわれて、目からうろこが・・・・ 一日中気になって帰宅後試してみたら、通りました。 あまりにもパスワードが多くて整理できていなかった。 パソコンに記憶させているのも問題。 あわててごめんなさいメールを送りました。
てな訳でネットから離れた数日は、いかに自分がネット中毒かわかった日々でした。
更新 アリゾナ時間 11月9日 6:30 日本時間 11月9日 22:30
またまた早起き。 JFK空港へ行くまえにタイムズスクエアの吉野家へ行ってみるが開店前。 NYの牛丼をためしたかった。
バスターミナルから空港行きのバスに乗る。 3人なのでタクシーと値段が変わらないが気が楽なのでバスで。 ターミナルで航空会社を運転手が言うがよく聞き取れず確認して降りる。 日本行きのフライトが同じターミナルから出るらしくレストラン街は日本人ばかり。 やっぱり注文が楽なのでマック(マクド)が人気。
行きの逆で、JFK→ワシントン→デンバー→フェニックス。 フェニックス地方は寒気が入っていたおかげでNYよりも寒く感じました。
今回は時間がなくってミュージカルが見れず、ライオンキングもオペラ座の怪人もマンマ・ミーアも看板を見ただけ。 次回は必ず!
帰りの飛行機で通路の向こうに座ったテーブルが下がらないほど太ったおばさん、”ダイエット”ペプシを5本も飲んでいた。 しかもナッツの缶を抱えて。 その”ダイエット”に意味はあるのか?
そしてそのおばさんが”クロスワードパズルの為の辞書”を持っていた。 そんなものがあることも驚きだけど使っているのもさらに驚き。
更新 アリゾナ時間 11月6日 6:00 日本時間 11月6日 22:00
2003年11月03日(月) |
NYの暑い1日(2日目) |
なれない寝床で朝早く目がさめた。 ガイド役の案内で”Ess-a-bagel”にてベーグルをいただく。 さすがに評判の店らしく日本人の客もちらほら。 肝心のベーグルはおいしいけれどあごが疲れるパン(?)の硬さ。 さらにガイド役の案内でチェルシーマーケットへ。 ホテル出発が予定より早かったのでまだ開いてない店も。 マーケット内の”Sarabeth”なる店でジャムを買うというのでついていって結局自分でも買いました。 ほかにロブスターのお店のスープがおいしいらしかったけど、まだ開いていなくて断念。 次はNYといったらここ!の”自由な彼女”に会いに。 島へ行くフェリーでもセキュリティチェックは空港と同じくらい厳重でした。 オフシーズンの平日とは思えないほどたくさんの人を乗せて自由な島へ。 この日は本当に暑くて、帰国時に必要だと思って持ってきた冬のコートはNYでは一度も役立たずただのお荷物。 彼女の前で半そでなわし

彼女と別れた後、隣のELLIS島より摩天楼なぞを撮ってみる。

島より戻り中華街へ、またまたガイドおすすめの”Joe's Shanghai”にて小龍包などいただく。 この店がなかなか見つからず疲労はピークへ。 やっとの思いで見つけた甲斐あって肉汁が滴るうまさ。
とりあえずホテルへ戻り(17時頃)いつのまにか眠りに落ちておきたら19時半。 ミュージカルはチケットが取れなかったので、ライブハウス”B.B.King Blues Club & Grill”へ。 実は、きょうの出演は日本でもちょっと前に売れてCMに曲が使われたこともあるサックスプレーヤーCandy Dulfer。 時間ぎりぎりだったけれどボックスの席に座ることができ、ステーキなんぞ食べながらオープニングアクトを見る。 よく見えないけどCandy。

ステージ脇の席だったので彼女が降りてきたときは数十センチの距離まで接近。 ステージはすごく盛り上がり、これだけでもNYにきた甲斐があったと感じました。 知らなかったのですが、彼女はオランダ人だったことがいっそう親近感が(勝手に)わいたりして。 店の前はこんな感じ。

興奮冷めやらぬまま、疲れで眠りに落ちました。
更新 アリゾナ時間 11月6日 5:30 日本時間 11月6日 21:00
きょうから2泊でNYへ行きます。 といっても、行きに1日帰りに1日かかるので正味1日。 NYに行きたがっていた同僚に同行させてもらいました。 航空券の値段の関係で、 フェニックス→デンバー→ワシントン→ニューヨーク(JFK) という2回乗り換えの行程。 案の定一睡もできない状態で朝5時半に出発、ヘロヘロになりつつも18時過ぎ(NY時間)到着。 タクシーでホテルへ。 ホテルは45thストリートのMilford Plaza。 ブロードウェイすぐ近くの絶好の立地条件。 当日はNYマラソンがあったようでホテルのフロント付近にも余韻を楽しむかのようなゼッケン+メダルを見につけた人々。 後で気がついたのですがこのメダルは参加賞のようなものらしい。 その後いたるところでマラソンの字が入ったウェアを着た人を目にしました。
その後、夜景を見にエンパイアステートビルへ。

NYは思ったより全然暖かく、夜でも上着の要らないくらい。 ホテル近くのタイムズスクエア、ブロードウェイなどを歩いてみる。

NY好きには有名な(らしい)「COLD STONE」で並んでアイスを食べた。 おいしかったけれど、やはりおおきかった。 ちなみにこの店はアイスとトッピングを選び目の前で練り上げてくれる。 チップを渡すと店員が歌うんですが、忙しいので歌もいまいちあってなかった。
そして1日目は終了。
更新 アリゾナ時間 11月5日 14:30 日本時間 11月6日 6:30
夜勤明けで出かけるんですが、当然のことながら眠れません。 もうあきらめて起きてることにします。 詳しくは帰ってきてからアップ予定。
急に涼しくなって長袖を着るようになりました。
更新 アリゾナ時間 11月2日 2:10 日本時間 11月2日 18:10
halohalo
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いつのまにやら2万
多謝

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