LORANの日記
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ここ3日間、晴れた日が続いています。
昨日までの浜辺の賑わいも、今朝は静まっています。
ゴールデンウィークと言っても、今日は月曜日。
静かな海岸が好きな私は、ほっとします。
今朝は、LORANの仲間のspicaさんからいただいた絵本をワークしました。
この絵本は、spicaさんが見たヴィジョンを、ご自分で書いたものです。
ご本人は美大を卒業された専門家ですから、絵のセンスがいいのは当然です。
絵本の主張は、「許すこと」です。
浜辺で持参したイスに腰掛けてワークしました。
実は昨日の朝もしたのですが、少しワークを変更しました。
「許す」ワークを開始すると、連続して咳が出て嘔吐しそうになります。
腰が痛くなり、下腹部の側面が痛くなり、頭の一部が痛くなり、胃が痛く
なりました。
痛みが次々と移動していきます。
痛みを開放しては、次の箇所の開放が始まるのでしょう、
ようやく痛みがなくなり、とてもらくになりました。
自分とすべてに感謝しました。
今日は、これから「1日リラックスワーク」を開催します。
愛媛県、山梨県、埼玉県、静岡県から、参加者が集まります。
いまから、大網駅へお迎えに行きます。
2007年04月29日(日) |
ゴールデンウィークですね |
今朝も快晴の青空に、太陽が輝いています。
海岸へ行く途中の水田の田植えも終わりました。
水田からは賑やかなカエルの合唱が聞こえます。
と言っても、カエルは合唱しているつもりはありませんよね。
ウグイスはとても上手に鳴いています。
一月前はあんなにたどたどしかったのに、練習の成果です。
コジュケイの「チョットコイ、チョットコイ」や
ホトトギスの「特許許可局(トッキョキョカキョク)」には
笑わされます。
コジュケイもホトトギスも、どうして人が笑うのか不思議でしょうね。
豊かな自然があるところは過疎地が多く、便利なところは人が多いので
自然が破壊去れます。
人間の生活と自然環境は、共存できないようです。
それでは、自然の一部である人間は滅亡するしかないのでしょうか?
もしも人類に叡智とやらがあるのなら、いまこそ叡智を使いたいものです。
「マヤの暦」の最終日まで、残すところ5年です。
21世紀にはフォトンベルトに、地球の軌道の半分が入ったと言われています。
そのために太陽の活動が活発化し、中心温度も上昇しているそうです。
地球の温暖化は進み、台風やハリケーンの増加、寒波の襲来や乾燥化。
マグマの活動が活発になり、火山活動の活発化、地震の頻発。
「シューマン共振」が7.83サイクルから13サイクルへ急増したそうです。
このような自然環境の激変を迎えて、人類の叡智はなにを目指しているのでしょう?
現代人にテレビは欠かせないようです。
テレビの放映が1953年ですから、開始されてから半世紀が経ちます。
過半数の人が、生まれたときからテレビを見ていることになります。
ちなみに私の家にテレビが入ったのは、11歳(1955年)でした。
テレビは情報番組として、重要な役割を果たしています。
しかし、NHKは国営放送としての役割がとても大きいです。
国会中継でも、マイクにNHKと民放の2本が使われています。
NHKは国鉄、NTT、日本航空などと同じく、国営の色が濃いのです。
民放は、先年フジテレビとホリエモンの騒動があったとき、裁判所へ
提出した上申書で「フジテレビという広告媒体は・・・」と自らが書いた
ように、広告で収益を得ることが営業の目的です。
ですから、スポンサーの意向に反した番組や主張は不可能です。
商品販売の広告ですから、消費を煽ることが要求されます。
これでは、現代の諸問題である、エネルギーや資源、環境問題に対して
逆行してしまいます。
マスコミはこれらの矛盾をいつも抱えています。
しかし、テレビを見続けていれば、これらの矛盾が分からなくなるでしょう。
マスコミが矛盾を曖昧にしながら、放送を続けているのに慣れてしまうからです。
ですから、諸問題があるのに、テレビで宣伝しているのでいいだろうという
スタンスになります。
テレビの持つ矛盾から離れなければ、正しい判断は不可能です。
私はLORANで学ぶ人に、テレビを見ないことを勧めています。
生まれてからずっと見続けているのだから、しばらく見なくてもいいでしょう。
今朝はすばらしい日の出でした。
九十九里の本須賀海岸まで、自転車で45分かかります。
今朝は肌寒く、強い向かい風の中を行きました。
太陽が中天に上がり、波は静かでした。
波の表面の光が反射して、とてもキレイです。
「光満ちたり」と、聞こえてきました。
波に反射する光が、まるで生き物のように躍動していました。
自分に光が満ちていることに感謝しました。
この地に光が満ちていることに感謝しました。
この海に光が満ちていることに感謝しました。
すべてに光が満ちていることに感謝しました。
しばらくして帰ろうとしたとき、歓声が聞こえてきました。
千葉県の高校生が、バス5〜6台を連ねてきていたのでした。
歓声をあげて、海岸へ向かってきました。
私は、その中を一人帰ってきました。
ここ九十九里海岸は、犬吠埼沖で南下する冷たい海流と、本州南岸
を東進する暖かい海流が混じり合います。
それで、湿度が高い梅雨に近づくにつれて、霧がでやすくなります。
今朝は、起きると深い霧でした。
100m先の交通信号機のランプもよく見えません。
大型トレーラーが赤信号に気づいて、急ブレーキをかけました。
浜辺はとても神秘的です。
灰白色の霧で、まったくのモノトーンです。
浜辺と海と空が同じ色に見えます。
波だけが波頭を白く見せながら寄せてきます。
ゴーゴーと海鳴りが、絶え間なく響き渡っています。
毎朝通る道の海岸に「高村千恵子の碑」があります。
昭和9年に実妹がこの付近に住んでいて、そこで8ヶ月間療養して
いたそうです。
浜辺で千鳥と遊んだそうですが、今朝も波打ち際に千鳥の群れが
来ていました。
いまも昔も、大自然の営みは変わらないようです。
しかし、そこにいた人は今は無く、いまいる人もまた去っていきます。
目の前の現実に夢中の人も、そうでない人も、同じ川を流れる人です。
どうせ流れるのなら、流れに身を任せて、楽しんで流れたいものです。
久しぶりに、千葉県九十九里海岸近くの自宅へ帰りました。
今朝は雨が降っています。
目の前に見える田は、水を湛えて田植えを待っています。
付近の水田の半分以上は、田植えが終わっています。
田植えは入梅の雨水を必要としていたので、5月〜6月に行われて
いました。
初夏の風物詩でした。
初夏とは旧暦の4月のことですから、新暦では5月中旬〜6月中旬の
ことです。
最近は農事用水を、井戸や川からポンプアップしています。
それでいつでも田植えが可能になりました。
稲は東南アジアの植物ですから、気温や水温が低ければ成長しません。
これも品種改良で、低温の地域での稲作が可能になりました。
最高品質のお米の産地が、新潟や山形などであることで実証されています。
いまでは、北海道産の美味しいお米まであって驚かされます。
水稲は水田で栽培されます。
それを主食としていただく私たちは、水から生命をいただいているのですね。
小麦は畑で栽培されます。
小麦をパンやパスタなどにして主食にしている民族と、文化に違いがあるのは
無理からぬことだと思います。
水稲と小麦の差が、文化の大きな違いを生んだのでしょう。
妄想とは、「精神医学用語で、非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと。
妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識しない(病識がない)
場合が多い。」と、定義されていました。
「非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと」=強い思い込みなのでしょう。
「非合理」=話が合わないとか、現実的でないことを言うのでしょう。
妄想は想像のことです。想像が合理性や現実性が無いのは当然だと思います。
妄想の是非を論じても埒(らち)があかないので、定義はやめます。
ここで問題にしたいのは、「妄想は現実か」どうかです。
確固たる信念があるのではありませんが、妄想が現実かも知れません。
夢もまた、妄想の一種でしょうから、夢も現実かも知れません。
どうしてこんなことを取り上げたかというと、時間的な発想からです。
夢の中では時間は速く過ぎていきます。
僅かな居眠りの時間内に、数年間〜数十年間の夢を見ることもあります。
浦島太郎の昔話では、3年間を竜宮城で暮らしてから、故郷へ戻ると700年
も経っていたことになっています。
夢の話からすると、故郷の時間が早く過ぎているので、故郷が夢になります。
竜宮城で暮らした3年間が、現実だったのでしょうか?
そんな話をすると、いままでの認識が揺らいできます。
時間が早く過ぎるのが妄想という定義が可能だとすれば、反対になることが
あるからです。
この人生はどうでしょうか?
ヒプノセラピー(催眠療法)で過去生退行催眠をしたときのことです。
沼津市のある男性は、ニューヨークで亡くなりました。
肉体から出て、上空へ向かいましたが、突然声が聞こえたそうです。
「ここから帰れ、まだ来てはならない。」
それでUターンして、今回生まれたそうです。
亡くなってから、15年が経っていたそうです。
私は1921年に亡くなって、今回1944年に生まれました。
向こうへ行っていた時間は、23年です。
前世は70歳代くらいまで生き、今生も62歳になりました。
もしも、時間が短い方が現実というなら、亡くなっている時間が短いので
現実と言えるかも知れません。
妄想や夢が現実であるのなら、この現実は夢ということになります。
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり。」とは、織田信長
の辞世です。
夢幻の人生なら、そんなに悲愴感を漂わせて生きることもありませんね。
ジェラシーは嫉妬心のことです。
ジェラシーが無い人はいないかも知れませんが、多い人と少ない人はいます。
ジェラシーは執着心や劣等感と密接です。
執着心や劣等感が多い人ほど、ジェラシーも多くなります。
執着心や劣等感は依存心と密接です。
依存心が多い人は、執着心や劣等感とジェラシーが多いようです。
このように見ると、現代の教育方法に原因があることが分かります。
自分を大切にすることよりも、他人を大切にすることを教えます。
自分と他人を比較させ、自分の欠点を意識させて、劣等感を持たせます。
自分に自信喪失させて、依存心を大きくさせます。
なぜこのような教育が行われているのでしょうか?
教育は国の権限です。
国というのは、国土とか国民という意味ではありません。
ここでいう国とは、現在の国家体制という権力を言います。
この国家権力は、現在の権力維持を最優先します。
ですから、国民が権力を奪還することを、最も恐れています。
それで教育を使って、国民の力を弱めています。
誰もが自由で、自分の権力を行使できたのは、紀元前のギリシアでした。
そこでは市民は自由に発言し、直接民主政治が行われてきました。
日本はそのような民主政治を目指していますか?
政治家は直接民主政治を目的として、政治活動をしていますか?
アメリカも日本も、政治は特定の利益集団の代表者によってされています。
ですから国会で成立する法案は、利益集団の意向に合わせたものばかりです。
教育は現体制維持が大前提ですから、情報も国民には知らせない方針です。
アメリカで公開された情報も、日本ではまだ公開されません。
このような社会では、国民は耐えることを美徳として育てられます。
我慢、忍耐、根性は、日本人が好きな三点セットです。
自分が我慢して生きているのに、我慢しないで幸せになる人は許せません。
それで幸せな人は、些細なミスでメチャメチャに非難されます。
このお先棒を担いでいるのがマスコミです。
マスコミは、国民のジェラシーに火を点けて売り上げを増やしています。
ジェラシーは、人が飼っている怪物です。
人のこころの中にじっと潜んでいて、いつの間にか人を悪魔にします。
ジェラシーは愛の反対です。相手の幸せを破壊します。
人は愛に生きなければ滅びてしまいます。
現在の世界が破滅へ向かっているのは、中に潜む悪魔のせいです。
今日は千葉県の自宅のある町と富士市の選挙の投票日です。
昨日は最後のお願いで選挙カーが喧しく走っていましたが、今日は
静かな日曜日です。
選挙権は国民のたいせつな権利であることは理解できます。
しかし、棄権がいけないといわれると困ります。
立候補者に投票したい人がいたら、投票できます。
でも、該当者がいないときには、どうしたらいいのでしょうか?
ここに選挙制度の不備があると思います。
気に入らなくても投票してこいとは、乱暴な話です。
では自分が立候補するか、誰かを立候補させるかという話になります。
そのどちらも巨大な労力を必要とするので、ゴメンです。
それで、投票率は低下するばかりです。
つまり、立候補者に魅力がないのです。
選挙が無効にならないのは、とても不思議な現象です。
どんな決議でも、構成員の半分が欠席したら無効です。
そのため、会合の開始に先立って、事務方から出席と委任状で、半分以上
の参加が確認されて、会合の成立が報告されます。
選挙でいうなら、開票に先立ち、有権者の半数以上の投票があったことを
報告しなければならないでしょう。
当日投票と事前投票の合計が有権者の半数を超えれば、選挙は有効です。
もし、半数を超えなければ、選挙は有権者にボイコットされたことになります。
そのときは、全員を失格とみなして、新しい候補者で選挙を再開します。
この方法が正しいことは論をまちませんが、過半数以下の投票のときには
立候補者の全員が失格という条件を、現議員が承知するはずがありません。
それで、こんなにつまらない選挙をつづけているのです。
それで、つまらない選挙を面白くする提案があります。
投票時に鉛筆で記名しますが、赤鉛筆も置いておくことです。
もし、支持するなら黒鉛筆、反対なら赤鉛筆で記入するのです。
開票時に、得票5000、反対2000なら、有効3000となります。
これなら、悪徳議員や議員にしたくない議員を阻止できます。
赤鉛筆1本ですから、経費の増加は微々たるものです。
国会議員で任期中1度も登院しないで、歳費だけもらっている議員をやめさせ
るには、この方法しかありません。
選挙の投票率が低下の一途を変えるには、面白くすればいいと思います。
2007年04月21日(土) |
「LORANフェスティバル」 開催計画 |
2008年1月20日(日)、「LORANフェスティバル」の開催を
計画しています。
まだ10ヶ月先ですが、会場の予約を済ませました。
会場は静岡市の「グランシップ静岡」です。
ここは3月10日、静岡すぴこんが開催された会場です。
東静岡駅前という、立地条件に恵まれたところです。
全国で開催されている「すぴこん」へ、第1回から参加しています。
3月には静岡、横浜、三島すぴこんへ参加しました。
今月は新潟、金沢すぴこんへも参加しました。
少し前の横浜すぴこんへ、LORANグループから8店が参加しました。
すぴこん参加のグループでは、全国最大であろうと思われます。
LORANの修了生は12期を数え、全国で活躍されています。
多くのすばらしいセラピストを輩出しています。
LORANでは、知識や技術よりも意識の改善に重点を置いています。
知識や技術はツールに過ぎません。
意識が改善されなければ、効果は知れたものです。
意識が高くなれば、当然派動が高くなります。
派動が高くなれば、低い波動を容易に高く改善できます。
セラピストが自分の波動を高めるには、朝日瞑想を欠かせません。
日の出の朝日を、豊かな大自然の中で全身に浴びることが必要です。
富士市では、海岸までの片道約40分を歩いて行きます。
冬の寒い朝も、夜明け前に海岸へ到着しなければなりません。
暗い海岸に、受講生がお互いの影響を避けて、散らばっています。
周囲が凍っている中で、強風で砂が頬を打ちます。
東の空に、黄金の太陽が昇ってきます。
その曙光と一つになるために瞑想をします。
テレビや新聞、雑誌などの影響を避けて、自分の意識に集中します。
その静寂の中で、初めて自然と一体になることができます。
相手の波動を感じ、相手のエネルギーの改善が可能になります。
このような修行を重ねて、LORANのセラピストは育ちます。
今回、修了生の皆様と「LORANフェスティバル」を開催できることは
とても嬉しいです。
当日は、担当のセクションを決めて出店します。
広い展示ギャラリーですから、プランの立て甲斐があります。
これから進捗状況の報告を掲載してまいります。
よろしくお願い申し上げます。
http://www.loran.jp/LORAN%20Festival%2001.html
自分についていろいろ考えても、最後に行き着く疑問が解けません。
自分は誰でしょうか?
そう考えている自分は?
自分と思っている自分は?
ここで自分が分からなくなります。
自分が分からないということは、ムダな考えでしょうか?
いえいえ、決してムダではありません。
自分探しは、とても大切だと思います。
どうして自分に疑問を持つ人と、疑問を持たないひとがいるので
しょう?
どうしてムダに思えるようなことに、時間を使っているのでしょう?
私は次のように考えます。
疑問を持つのは、答えを知っているからでしょう。
発明家が失敗にくじけないのは、発明するものを知っているから
でしょう。
冒険家が未知の世界へ行くのは、その先になにがあるかを知って
いるからでしょう。
自分に疑問があるのは、自分が誰であるかを知っているからでしょう。
知っているのに思い出せないから、思い出そうとしているのでしょう。
そのように考えると、疑問を持つことが正常であると理解できます。
一方、疑問を持たない人は、思い出す必要がないからでしょう。
疑問を持つ人と持たない人がいてもいいのでしょう。
どちらが正常ではなく、両方が正常なのでしょう。
それなら、疑問を持つ自分はだれでしょう?
いくら考えても、多分、思い出せないでしょう。
この世界へ生まれてきた瞬間に忘れてしまったのでしょう。
でも、思い出すことは不可能ではありません。
インスピレーションで教えてもらうことは可能でしょう。
そのためには、自分の意識を受信できるところまで高める必要が
あると思います。
先日、池袋から千葉への帰途、地下鉄と京葉線へ乗車しました。
久しぶりで電車に乗ると、吊り広告の文字に目が行きます。
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これはいま発売中の某週刊誌の目次です。他の週刊誌も大同小異でした。
こんな記事は、中傷以外のなにものでもないでしょう。
人はなにを思っても自由ですが、相手を傷つけてはいけないでしょう。
それを公衆の面前へ掲示してはばからない鉄道会社のモラルも気になります。
それに、名前を呼び捨てにできるほど、マスコミはエライのでしょうか?
ここには相手への優しさは感じられません。
こんな掲示を毎日見せられていたら、それが当たり前になるでしょう。
それではイジメや差別は当然起こるでしょう。
私たちは自分の人生や社会に、無関心すぎるような気がします。
アメリカ・バージニア州西部、バージニア工科大学での銃乱射事件で
32人もの犠牲者が出るという痛ましい事件が報道されました。
犯人の韓国人学生の自殺という最悪の結果の事件ですが、どのような
事件や事故にも、幾つかの複合原因があります。
銃の所有が容易であるばかりでなく、白人優位世界における有色人種
同士の対立や、その背後にある所得格差など、枚挙に暇がありません。
これらの原因の根を見ると、白人先進国の半世紀にわたる横暴があります。
世界史を見れば、一目で白人の歴史は戦争の歴史であることが分かります。
彼らは8世紀頃から、ノルウェー、デンマーク、スェーデンからバイキング
となって南下し、ヨーロッパの海岸から侵略を始めました。
彼らの後裔国家はイギリス、フランス、イタリア、ロシアなどを中心に広く
全ヨーロッパに拡がっています。
その後、イギリスを中心にアメリカ移民が始まり、アメリカ合衆国が建国
されました。
彼らが目指したものは、バイキングの本質である略奪でした。
先住民を絶滅させて、奪えるものを奪いつくす歴史が世界中にあります。
今回の事件でやりきれない思いをするのは、犯人の学生も犠牲者だったことです。
彼が白人社会の矛盾に気づいて、他の国へ移住する選択をしてくれていたらと
思わずにはいられません。
この世界は物質世界であり、食料もエネルギーも有限です。
これらを手に入れるためには、競争に勝たなければなりません。
勝者がいれば、敗者がいるのは当然です。
敗者が希望や夢を失えば、自暴自棄になることも理解できます。
このようなパターンは、20世紀で終わったのではなかったでしょうか?
モノやオカネが支配する世界を、1日も早く終わらせなければなりません。
それができなければ、このような悲劇は繰り返されるでしょう。
昨夜10時過ぎに、千葉の自宅へ帰宅しました。
外房線の駅へ着くと、雨が降っていました。
今回は池袋〜新潟間と、金沢〜新宿(池袋で下車)間に高速バスを
利用しました。
今までは新幹線や飛行機を利用していましたが、別な楽しみ方がありました。
約2時間毎に15〜20分間の休憩があり、下車して気分が変わりました。
8時間という長時間でしたが、私には初めての景色を見る楽しみで退屈では
ありませんでした。
自動車で移動するときは殆ど私が運転していますので、乗せてもらっている
だけですからラクチンです。
途中のパーキングで詳細なロードマップをもらいましたので、それを片手に
「あれが妙高山で2454mか」などと、景観を楽しめました。
それにしても、日本の70%は森林だということが実感させられました。
山と山の間、山と川の間、山と海の間の僅かな平地を耕し、田や畑がありました。
そこに数戸〜数十戸の家が頼りなさそうにありました。
どこへ行っても、人の気配がありました。
人は逞しく、その地へ根を張って生きていました。
そんな姿を見ると、とてもいじらしく思えてきました。
いままで、人をそんなふうに思ったことが無かったので驚きました。
多分、神は宇宙から、そんなふうに地球を見下ろしているのでしょうね。
人は目の前の事象に気をとられてジタバタしていますが、実はそんなことは
どうでもいいことなのでしょう。
ただ穏やかに、平和で生きること。
それだけで、満点だと思います。
2007年04月12日(木) |
明日から東北と北陸です。 |
今朝は九十九里海岸は曇りでした。
この写真を撮ってから、3分間ほど太陽が見えました。
いま、AM11:50 天気は晴れです。
風も無く、穏やかな日です。
先程、2kmほどのところにある宅急便のサービスセンターへ
荷物をお願いしてきました。
1ケは、4月14日に開催される新潟すぴこんの会場宛です。
もう1ケは、明日の晩に泊まる新潟市内のホテル宛です。
明日は千葉の外房線の駅をAM7:30ごろ出発します。
丁度ラッシュアワーですから、大きな荷物を持ったままでは
移動がたいへんです。
それで、スーツケースもホテルへ送ってしまいました。
明日は池袋から高速バスで新潟へ向かいます。
高速バスを使ってのツアーは初めてです。
新幹線で行くことも考えましたが、高速バスを体験したかったのです。
13日は新潟市内のホテルへ泊まり、翌14日の新潟すぴこんへ出店
します。
終了後、新潟駅から直江津駅まで電車で行き、ホテルへ宿泊します。
このときから、荷物を持っての移動が開始されます。
翌15日は直江津駅から金沢駅へ行きますが、金沢駅への到着が
AM9:55です。
金沢すぴこんの開場時間までには到着できますが、あわただしいです。
両すぴこんともワークショップを開催することになっています。
金沢は約10年ぶりで、懐かしいです。
その晩は金沢市内のホテルへ泊まり、翌16日に、また高速バスで
東京・新宿へ向かいます。約8時間かかります。
千葉の自宅へ多分、PM10:00ごろ到着の予定です。
いよいよ、明日からツアーが始まります。
毎月、いろいろな場所へ行けることを楽しんでいます。
久しぶりの九十九里海岸の空は、雲に覆われていました。
ゴーゴーと鳴り響く海鳴りを聞くと、帰ってきた感慨があります。
少し経つと、雲間から太陽が見え、光が差し込んできました。
海面にも陽光が映り、荘厳な気持ちになります。
珍しくサーファーの姿もなく、散歩の人影も消えました。
この日本一長大な海岸を独占しているようです。
途中から風が強くなり、細かな砂を巻き上げて吹いています。
私は波打ち際にたたずみ、祈りを捧げます。
すべてに感謝するだけですが、自分の意識が溶け出していきます。
物質次元から高次元へ、意識が到達することは可能です。
意識がなによりも優先します。
物質次元では、「生命が最も大事」と思われていますが、それは
肉体の叫びであって、それ以上ではありません。
例え亡くなっても、意識は死亡した肉体から抜け出すに過ぎません。
抜け出した意識は、肉体の中にいたときとなにも変わりません。
亡くなればあの世とかへ行くと言われていますが、そうばかりでもありません。
それこそ十人十色です。
生きている間は何とかなりますが、亡くなってからでは選択は困難です。
生きているときに、対策を考えておきたいものです。
2007年04月10日(火) |
不思議な気持ち・・・ |
4月6日(金)、12:10発の飛行機で羽田空港から松山空港へ向かいました。
搭乗手続きを終えて待合室にいるときから、不安が大きくなってきました。
飛行機になる前に、こんな気持ちになったことはありませんでした。
搭乗口へ向かう途中で、エネルギーをクリアにするワークを続けました。
強い偏西風に向かう方向なので、いつもよりも時間がかかりました。
天気は良好。眼下に雲が見えますが、視界は良好でした。
下の雲間にときどきキラメクものがありました。
キラキラと反射して光るのですが、なにか分かりません。
その数は10〜20の間だと思います。
高度8,000〜10,000mから見下ろしているのですから、
地上にあるものではないでしょう。
雲の間に飛行機がいると考えるのが妥当でしょう。
でも、30分間以上も下の雲間にいる飛行機は考えられません。
それもあちらこちらと、相当数がいるようなのです。
飛行機に搭乗する前から感じていた不安の原因はこれだったのでしょう。
キラキラと反射する光は、30分間以上経ってから見えなくなりました。
それまで私の中にあった不安は消えました。
少し経って、無事に松山空港へ着陸しました。
定時より遅れましたが、なにも起こらなくて安心しました。
お迎えに来てくれたAさんの笑顔を見て、ほっとしました。
今日は入学式が多いようですね。
私の孫も、今日が小学校の入学式です。
小学校は富士市の住まいの正面にあります。直線距離で100mほどです。
正門付近に立ち並ぶ満開の桜が舞っています。
入学式と大書したたて看板が正門の前にあります。
その看板前で記念写真を撮る、親子の晴れ姿が並んでいます。
少し肌寒い風が吹いていますが、誰も気にしていない様子です。
朝は、小学校から200mほど離れたところにある中学校の
入学式でした。
両親と一緒に学校へ向かう、初々しい中学生の姿が見えました。
こうして、子どもは成長していきます。
私が小学校へ入ったときの記念写真を見て、子どもが大笑いしました。
靴を履いている子どもよりも、ゲタやゾウリを履いている子どもの
方が多いように見えました。
服も粗末なものばかりでした。
ツギが当たっているのは当然です。
お昼ごはんが無い子どもたちが多く、給食が開始されました。
昭和25年のことです。
正直な若い裁判官が、摘発されている違法な闇米を食べないで、
死んだ頃でした。
いま、日本は飽食とか、グルメとか浮かれていますが、僅か50年前に
餓死した人もいたことを忘れてはいけないでしょう。
安いから輸入すればいいと考えるのは、相手に自分の生命を預けるに
等しい暴挙です。
天変地変で、輸出国が飢えたとき、輸入が停止されるのは当然です。
そんなことが起こらないなどと考えるのは、まったく現実を知らないからです。
お金があれば生きていけると考えるのは、平和な状態だけです。
世界は思惑で動いています。
アメリカは自分の都合だけで、産油国を攻撃しています。
日本が邪魔になれば、なにをするかわかりません。
私が生まれたときは、アメリカと戦争をしていたのですよ。
友好などという言葉は、歴史上で数限りなく裏切られてきました。
相手を信用することが大切ではありません。
自分が一人でも生きていけることが、大切なのです。
「自分が無くなる」とは、どのようなことでしょうか?
誰でも死ねば、肉体が無くなります。
人が死を恐れるのは、肉体の恐れを感じているからです。
肉体は自分が無くなることを、最も恐れています。
人は死ねばどうなるかと言えば、肉体から開放されるだけです。
こんなに窮屈で、不自由な肉体から開放されて、とても自由になります。
老人は青年と同じように、いやそれ以上に、元気になります。
どこへでも一瞬で移動できるし、不自由だった肉体がないのですから・・・
「地獄へは行かないのですか?」ですって?
もし、あなたが行くと信じていれば、行くでしょう。
あちらでは、自分が信じたことが実現するので、そうなるのです。
私は信じていないので、地獄へ行くことはありません。
今日お話している「自分が無くなる」とは、まだこちらの世界のことです。
ここで言う「自分」とは、自分と信じている自分のことです。
「自分と信じていない自分がいるのですか?」ですって?
はい、そのとおりです。「真我」とも言われる自分のことです。
この自分はあなたの奥深くにいます。
「本質」とか、「魂」とか、「神性」とか、「仏性」と呼ばれています。
どれが本当なのか、いや、全部本当なのでしょう。
自分を追及していくと、この「自分」と出会うことができます。
もちろん、形は無いのですが、知ることはできます。
苦労の末、本当の自分と一体になることができます。
それはとても大きな歓びです。
「ついに悟った。」と大歓びすることでしょう。
そんな幸せもつかの間、一気に奈落の底へ突き落とされることがあります。
それは、今までの自分の崩壊が起こったからです。
今まで懸命に努力を続けて、ここまで成長してきた自分が、あえなく無くなります。
これを「自分が無くなる」と言います。
呆然自失し、なにをしていいのか分からなくなります。
今までの価値観が、すべて崩壊してしまうからです。
しかしその後、今まで気づかなかった自分を発見するでしょう。
生まれ変わった自分がいます。
宇宙、地球、自然のすべてと一体になった自分がいます。
なにをしなくても、そのままで幸せな自分がいます。
いま、私たちの仲間が増えています。
「目覚める」とは、どのようなことでしょうか?
眠っていた状態から、目覚めた状態になることでしょう。
「気づき」という言葉があります。
「気づき」は、「目覚める」ことを助けます。
「気づき」があり「目覚める」ことができれば、生活は一変します。
そこに起こるのは、「価値観」の変化です。
生死の境へ突き落とされれば、二者択一の選択しかありません。
生き返った人は、生を選択したことは間違いありません。
ですから、生き返った人の、その後の人生は大変化します。
世界的な映画監督になった「たけし氏」は、バイクで大事故を起こしました。
かく言う私も、約10数年前に生死の境目にいました。
余命半年と悟って、すべてを放棄し生き返りました。
そのように考えると、「目覚め」はとても重要です。
人々は同じ幻想に取付かれて生きているからです。
それはまるでゾンビの世界のようです。
いつも他人の目を意識し、相対的な価値観にしがみつき、
自分だけの保身と虚栄だけに生きています。
「そんなことはない、家族のために生きている。」というなら、
どれほど家族とこころが交流しているのでしょうか?
家族はあなたの身勝手な生き方の、犠牲になっていませんか?
平和で穏やかな家庭生活を暮らしたいのなら、どうして都会に
住んでいるのですか?
仕事、仕事と、仕事の奴隷になってはいませんか?
お金、お金と、お金の奴隷になってはいませんか?
あなたが仕事を失い、お金を失ったとき、究極の選択が待っています。
あなたは生と死の、どちらかを選ばなければならないのです。
残念なことに、多くの人が死を選びます。
中には自殺される方もいます。1年間に33,000人も・・・
どうしてこんな酷いことがおこるのでしょうか?
誰がこんな目に会わせるのでしょうか?
それをどうぞ、あなたご自身に尋ねてください。
あなたが今の現実から「目覚める」ために、あなたが起こしているのです。
精神世界と宗教は同じでしょうか?
同じではないと思います。
しかし、同じスタンスではないかと思われる人が多いのです。
これでは、宗教を精神世界と言い代えているだけでしょう。
本来は「物心二元論」の見えない世界のことでした。
1960年にヴェトナム戦争が始まりました。
日本でも学生運動が盛んになり、「べ平連」が活躍しました。
アメリカで1960年代にニューウェーブ運動やヒッピーなどの
反体制的な活動が盛んになったことは必然だったのでしょう。
戦争に反対し、既成の体制や文化、宗教に反発して始められました。
定職を持たず、家に帰らず、スーツなどを着ないで、公園や街角で
反社会的な歌や反戦の歌を歌いました。
このような流れの中から、精神世界が始まりました。
1980年ごろからだろうと思います。
最初は、UFO,チャネリング、超常現象、オカルト的なものが多く
ありました。
1990年代に入ると、運動は一気に加速されてきました。
本屋さんには精神世界というコーナーが設けられました。
イギリスのフィンドホーンの活動が紹介されると、日本人も参加しました。
1980〜1990年のインドのオショーと呼ばれる神秘家の運動には、
多くの日本人が参加しました。その後に多大な影響を残しました。
このようにして発展してきた精神世界は、既成の組織、文化、宗教を批判
し、距離を置いてきました。
最近、すぴこん=スピリチュアル・コンヴェンション(精神世界展示会)
などの展示会へ参加すると、この区別が無くてビックリします。
僧侶が袈裟を着て祭壇を設えて読経をしていたり、巫女さんがお祓いを
して神社のお札を置いた祭壇を会場へ祀って灯明を灯したりしています。
これらは純然たる特定の宗教活動ですから、一般の人が集まる会場では
避けなければなりません。
無知ほど強いものはないといいますが、呆れて言葉もありません。
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