LORANの日記
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2007年03月31日(土) |
本日は第二回三島すぴこんです。 |
今から三島市へ向けて出発します。
ただいま、AM 7:44です。
こんなにのんびりしているのは、会場まで約30kmだからです。
今回はLORANグループから、3店が出店します。
仲間も応援に駆けつけてくれるそうです。
学園祭のようで、楽しいです。
そうそう、12:30〜 ワークショップを開催します。
面白いので、どうぞご参加ください。
4月13日からは新潟すぴこんと金沢すぴこんの「はしご」です。
14日、15日の連日ですので、約300kmの移動が大変です。
宅配便では間に合いませんので、荷物を持っての移動になります。
数年前、愛媛すぴこんの翌日が神戸すぴこんで、大忙しでした。
まあ、半分は遊びですから、大変も結構楽しんでいます。
今日はまた新しい出会いがあるのでしょう。
楽しんでまいります。
菅総務相は30日、関西テレビ制作の「発掘!あるある大事典2」の捏造(ねつぞう)問題で、関テレに対して行政指導では最も重い総務相名による「警告」を出した。「報道は事実を曲げない」とする放送法に違反すると判断した。総務省は、キー局のフジテレビにも厳重注意の行政指導をする方向だったが、最終段階で見送った。(朝日新聞 20070330)
事実を捏造した報道をしたことで、最も重い政府の行政指導があったそうです。
このような報道に接すると、大悪が小悪を取り締まっているような思いになります。
かって、イラク派兵を決めた内閣は、その根拠としてイラクの大量破壊兵器の存在を挙げましたが、実際にはありませんでした。
この情報はアメリカの情報部が捏造したものでしたが、内閣は誰も責任をとりませんでした。
3月27日、35年前の沖縄返還密約事件についての判決がありましたが、東京地裁は時の経過による請求権の消滅という理由で原告の訴えを退けました。
この事件は、当時の佐藤内閣がアメリカが負担すべき400万ドルを日本が負担に応じるという、国会の承認をえない密約を結んでいたことが暴露された事件でした。
この記事を取材した元毎日新聞記者と取材に応じた外務省の職員が有罪になりました。
しかし密約を結んだ内閣総理大臣や関係閣僚には、なんの咎めもありませんでした。
佐藤元総理大臣は、ノーベル平和賞を受賞したのですから、白けてしまいます。
このように、この国では悪代官の悪事を公表すれば、公表した新聞社や関係者が罰せられます。
「長いものには巻かれろ」、「出る杭は打たれる」、「寄らば大樹の陰」など、正義や真実とは無関係に権力者におもねる傾向が強いのは、いまに始まったことではありません。
それなら、「民主主義」とか、「自由と平等」などという絵空事(えそらごと)を言うのは止めて欲しいものです。
今朝の九十九里海岸はとても暖かでした。
間もなく強風が吹き出しました。
細かな砂が舞い上がって、息をするのが難しい有様でした。
波打ち際を、千鳥が数十羽急ぎ足で駆けて行きました。
九十九里海岸の自宅から、富士市の住まいへ移動しました。
東名高速道路の海老名SAは春休みのせいでしょうか、満車でした。
食堂も満員の盛況でした。
いつもは見ない事故現場を、3箇所も目撃しました。
幕張の海岸沿いの道を通り海を見ましたが、あまりの汚れに驚きました。
昨日の南房総の海とは、まったく異なる海がありました。
サーフボードを手に、海へ入っていく若者がいました。
1〜2時間先へ行けば、きれいな海があるのにと思いました。
あちらこちらに桜が咲いていました。
首都高速道路から、皇居のお堀の桜が見えました。
満開の桜がお堀を囲んでいました。
名古屋城の桜も今頃は見事に咲いているでしょうね。
お城と桜のマッチングは、日本人にはたまらない情緒があります。
「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」 とは、西行法師の有名な和歌ですね。
桜が満開になると、気づかずにこの和歌を口ずさんでいます。
昨日から強風が吹き、昨夜から雨。
今朝は、能登半島で大きな地震が発生しました。
天気はいつも変わるもの。
そうは思っていても、穏やかでない日は落ち着きません。
九十九里海岸は、大しけでした。
ゴーゴーと海鳴りが、絶え間なく響いています。
水平線から幾重にもなって押し寄せてくる波は、人などまったく
寄せ付けません。
大自然の猛威の前では、人は手も足も出ません。
地震、雷・・という言葉があるように、最も恐ろしいのは地震です。
自分が立つ地面が揺れるのですから、これ以上の衝撃はありません。
ただ地面が揺れるというのではなく、自分が立つ基盤が揺らぐという
恐怖心があるのでしょう。
その地面を寄りどころにしている、住宅、神社、仏閣や山までが
崩れてしまうのですから。
自分を受け入れてくれる自然を愛と信じていても、大荒れの天気や
大地震は私たちを突き放すように見えます。
ですから、かって人々は自然を畏怖していました。
自然は恵みを与えてくれる、とてもありがたい存在でした。
しかし一旦、大荒れになれば、人は小さくなって回復を待つばかりでした。
そこに自然や神に対する畏怖と謙虚さがありました。
いまや科学が発達し、自然を畏怖することが無くなりました。
自然は単なる現象に、格下げされました。
人の都合で、自然や神を格下げできるのでしょうか?
思い上がった人類は、自らを絶滅へ追い込んでいるように思えます。
人は意識があるから、行動できます。
その意識は、目が覚めていることだけでしょうか?
高速道路で車を運転していると、居眠り運転の車を見つけます。
右に、左に、ふらふらと運転しています。
東名高速道路の東京料金所の手前の下り車線で、ハンドルに
うつ伏せになって運転していた人がいて驚きました。
さて、あのドライバーはどうなったのでしょうね?
それでも、約80km/時で運転していました。
意識が無くても運転できることが証明できます。
通常の生活では、特別な意識は使っていません。
ただ、目が覚めていることの延長線上にあります。
これでは、意識が覚醒して、成長することは望めません。
本来の意識が行方不明になっています。
本来の意識とは、自分が自分である意識のことです。
これを知ることは、かなり困難です。
なぜなら、自分と思っている意識は、ほとんど感情のことです。
感情は肉体が作った、単なるエネルギーに過ぎません。
言い換えれば、まるで「おなら」のようなものでしょう。
放っておけば消えてしまいますが、執着して反復することで増加します。
このような感情を自分の意識と思っているので、人生は楽しくありません。
本来の意識は、もっと気高く、愛に満ちています。
言い換えれば、神の意識でもあります。
本来の意識に戻ることは難しくありません。
自分ひとりの空間で過ごせばいいのです。
人と会わず、テレビや新聞、ラジオを無くし、自然の中で過ごします。
そうすれば、多分、半年位で自分に戻ることができます。
でも、人を気にして生きているのですから、多分できないでしょう。
感情を自分としている限り、本来の人生を生きることはできないでしょう。
それなら、もう諦めて、そのまま生きましょう。
すべてを諦めるという生き方もあります。
幸せになりたければ、幸せになればいい。
健康になりたければ、健康になればいい。
そんな単純なことができないのは、どうしてなのでしょう?
幸せや健康は、そんなに難しいことなのでしょうか?
あなたが幼かったころ、あなたは幸せではなかったのですか?
その頃から、健康ではなかったのですか?
あなたは幼いころ、幸せになろうと思っていましたか?
健康のことが気になっていましたか?
確かに、生まれつき健康に恵まれない人もいますが、少数です。
大部分の人は、成長してから健康を害します。
どうして、幸せや健康を損なうようになるのでしょうか?
それをさせるのは、なんでしょうか?
様々な原因があるでしょうが、最も大きな原因は「呪い」でしょう。
「呪い」というと、恐ろしい特別なモノのように感じますが、とても
ポピュラーです。
「呪い」の別名をよく知っていますね。
「嫉妬」、「ねたみ」、「恨み」、「自己嫌悪」、「自己憐憫」など
です。
「どうしてこんな運命なの?」
「どうして愛してもらえないの?」
「どうして頭がよくない、顔がよくない、スタイルがよくないの?」
「どうして頼みもしないのに、私を産んだの?」
書き出せばきりがありません。
こんな「呪い」を持っているので、人生は楽しくありません。
それで自分を「消滅」させようとします。
健康を損なえば、早く死ぬことができますから・・・
もちろん、頭で考えて死のうとしているのではありません。
このように見ると、世の中では「消滅」させようとしている人が
いっぱいいます。
「麻薬中毒」、「アルコール中毒」、「仕事中毒」、「お金中毒」、
「すべての依存症」、「環境破壊」、「人類滅亡」、・・・
私たちのこころの深いところで、「呪い」が活動しています。
そのまま放っておけば、人類は滅亡してしまいます。
滅亡を防ぐには、反対のエネルギーを増やせばいいのです。
「呪い」の反対は、「愛」です。
「愛」の別名を知っていますか?
「許し」、「寛容」、「受け入れ」、「開放」、「成長」、「存在」
などです。
どうぞ、あなたが先ず、自分を許してください。
自分がここにあることを、存在することを許してください。
自分のこころを開放してください。
自分に寛容になってください。
それができれば、他の人を受け入れることが出来ます。
2007年03月21日(水) |
本日、横浜すぴこんへ出店します。 |
今朝も素晴らしい日の出でしたね。
いまから横浜へ向かいます。
会場の港みらいまで、約120kmですから2時間です。
千葉〜富士を、毎月1〜2回往復していますが、その途中に
あります。
LORANからは、今回4店が出店します。
仲間と一緒に出店できるのは、とても楽しいです。
これが波紋のように拡がっていくことをイメージしています。
「神様のつぶやき」へ、メッセージを書かせていただいて
喜ばれています。
今日はどのような人とお目にかかれるでしょう?
では、行ってきます。
2007年03月20日(火) |
穏やかで平和なこと。 |
幸せとはなんでしょうか?
健康であること。
家族がいること。
友人や仲間がいること。
お金があること。
美人であること。
若いこと。
地位や名誉があること。
その他・・・
もちろん、それらもあればいいですね。
でも、それらがあるだけでは、幸せとは言えないと思います。
幸せである状態とは、穏やかで平和なこと。
お金があっても、無くても。
誰かがいても、居なくても。
若くても、年寄りでも。
地位や名誉がなくても。
穏やかで平和なことを忘れているから、
生活の手段に夢中になっています。
お金があれば幸せ。
そんな社会を認めているから、いつまでたっても平和になりません。
モノを欲しがるのは、幼稚性が抜けないから。
人に認められたいのは、自分に自信がないから。
誰かに居てもらいたいのは、孤独で不安だから。
自分の短所を直さないでいるから、ちっとも成長できません。
そんな人が親になるから、子どもはとても迷惑です。
子どもは親を見習います。
親が大好きだから、同じになろうとします。
そして、親と同じ道を歩きます。
同じ思いをしながら。
こんな間違いを正すことは、とても簡単です。
気がついたら、止めることです。
自分の不安を、止めることです。
悲しみや寂しさを、止めることです。
人やオカネへの依存を、止めることです。
他人との比較を、止めることです。
他人の目を気にすることを、止めることです。
テレビや新聞から、離れることです。
自分の自由な時間が、持てるようになります。
その時間に、自然豊かな場所で静かに過ごしましょう。
そうすれば、自分が穏やかになります。
自分が平和になります。
この状態を幸せと呼びます。
2007年03月19日(月) |
自分が変わるためには・・・ |
子どもは とってもいじらしい
子どもは 親が大好きだから
ですから 親にそっくりです
話す言葉も しぐさまでも
親が好きだから 反抗もしました
親が好きだから 甘えたかった
でも 親が忙しいときには
子どもを相手にしている 暇がなかった
親も 子どもが年をとっただけだから
甘えたかったこともあった
でもその親には 子どもを相手にしている
余裕がなかったのです
こんなことの繰り返しで
子どもが 親に甘えられなかったことで
子どもと親の間に 空白ができてしまいました
どうしても 埋められない溝ができました
親に甘えたい
でも 甘えられない
そんな子どもに なにもしてやれない
立ちすくんでいる 親がいます
そんな思いは 誰にも癒すことができません
頭で理解するだけでは 傷はふさがりません
傷があれば 痛むだけではなく
同じ繰り返しをしてしまう 原因になります
親が癒えなければ 子どもも癒えないのです
どうしていいか分からないで 立ちすくんでいる親に
子どもはなにが できるのでしょうか
親は過去の傷が そのままになっていいるから
いまさら どうにもならないと思っているから
誰も昔のつらい愚痴などを 聞いてくれると思わないから
自分が我慢していれば いいと思っていたから
自分の胸にしまって こころの中で泣いていれば
いいと思っていたから
泣き言を言ったら 女々しいと思われるから
どんなに辛くても 我慢しなければならないから
こんな思いが重なって 親はじっと我慢してきました
人知れず涙を流し ぼろぼろになるまで働いて
親を信じて 無心に眠る子どものために
この子を 大きく育てるために
子どもが 大きくなって
子どもは 親を批判しました
どうしてもっと 幸せにならないのかと
そんなに我慢を しなくてもいいのではないかと
当時の事情を知らない子どもは
自由に親を批判します
親だって もっと幸せになりたかった
もっともっと 誰かに甘えていたかった
いまの 子どものように
でも いまは過ぎ去った過去のこと
一言や二言で 苦労が分かるはずがない
親はそれで 黙ってしまいます
いまさら 誰も傷つけたくないから
親が癒えたら 子どもも癒えることができます
だって 子どもは知らない顔をしながら
親の気持ちを 察していたのです
皆が寝静まってから 一人涙を流す姿を
子どもは何回も 見ていたのですから
子どもは子どもなりに 親を心配していたのです
子どもも成長して おとなになりました
当時の 親の年齢になりました
ですから 親の気持ちを聞きたいのです
あの頃も 親と一緒だったから
どうしてあの夜 涙を流していたのかを
どれほど孤独で 忍耐しなければならなかったかを
だって 子どもの幼い記憶の親は
今でも 涙を流しているからです
こうして親から子どもへ 悲しい記憶が受け継がれて
親の軌跡を 子どもがたどってきました
でも こどもは悲しい親の軌跡を たどりたくありません
こんな悲しい思いを 次の子どもに与えたくありません
ですからどうぞ お話してください
あの夜流していた 涙のわけを
子どもは親の気持ちを 理解できる年齢になりました
親とこどもの間にある 溝を埋めることができるでしょう
もしも親と子どもが 一緒に癒えることができたら
親と子どもは もっと仲良くなれるでしょう
今度は子どもが 親への恩返しをします
子どもは親が 大好きだから
あなたが いてくれることが 幸せです
あなたが あなたでいてくれることが 幸せです
あなたが なにかをしなくても
あなたが なにかにならなくても
あなたが あなたでいるだけで 幸せです
夜空に星が またたくように
青空に太陽が 輝くように
川の水が 流れるように
浜辺に波が 打ち寄せるように
春には木の芽が 芽生えるように
夏にはホタルが 夜を遊ぶように
秋にはアカトンボが 群れ飛ぶように
冬には雪が 山田を覆うように
ただ あるがままで
それが あるだけで 幸せです
呼吸する大気があり
自分を支える大地があり
のどを潤す水が流れ
野山に山草が生え
川や海に魚が遊び
命を育んでくれます
なにをしなくても
なににならなくても
いまのままで
そのままで 幸せです
ですから
そのままのあなたに 感謝し
いまあることに 感謝します
無償で 生命を与えてくれる
すべてに 感謝します
なにも求めないで
なにも責めないで
なにも傷つけないで
なにもこだわらないで
そのままのあなたが 幸せです
あなたの周りに 目を凝らせば
すべてが あるがままで 幸せに生きています
お互いが 命を与え合い
お互いが 成長しあい
誰も 支配しないで
誰も 奪い尽くさないで
あるがままに 生きています
命を楽しんで 生きています
あなたがいてくれることが 幸せです
あなたが あなたでいてくれることが 幸せです
だから あなたに言います
ありがとう
目の前の相手や仕事から 目を離してごらんなさい
外へ出て 大きく腕を上げてごらんなさい
そこには 青空が拡がっています
太陽がまぶしく輝いています
あなたが気づかないうちに
季節は移ろい 花が咲いています
あなたが夢中になっている間に
すべては変わっていきます
白鳥は北の国へ帰っていきました
桜は暖冬で もう散っています
あなたが目の前のことに こだわっているから
もう何年も変わることが できないでいます
3年前に生まれた赤ちゃんが 今年は保育園に入学します
3年前に保育園へ入学した子どもは 小学校へ入学します
周囲ではこんなに 変化が続いているのに
こだわっているあなたは ちっとも前へ進めません
誰が悪いとか
こんなのイヤだとか
こうなったのは あいつのせいだとか
いつまでも 自分が成長したくない理由を 言い続けています
そのくせ しあわせになりたいとか
早く いい人が現れてくれたらとか
神様に手を合わせて 願っています
占いに一喜一憂し
波動がよくなるという石を求め
親からもらった名前も変えて
勝手に救いを求めています
いまの意識が 未来の現実を創ります
親や周囲を恨んで 身勝手なお願いをしていれば
同じ波動の現実が現れます
それは自分が創造している現実です
誰のせいでもありません
あなたが本当に 幸せになりたいのなら
先ず 自分を幸せにすることです
あなたが自分を憎むことをやめることです
自分を罰することをやめることです
自分さえ嫌うのですから 誰もあなたを好きにならないでしょう
親や周囲を恨むのですから 誰もあなたに近付かないでしょう
孤独で寂しい人が ムードで一緒になっても
(−1)+(−1)=(−2)
になって、寂しさも2倍になるだけでしょう。
もういままでの自分をやめませんか?
自分を不幸せにすることを やめませんか?
誰もあなたを不幸せにしません
誰もあなたを憎んでいません
ですから あなたは自分を自由にすることができます
あなたを幸せにすることができます
あなたが自分を許すだけで・・・
この世界は「物質世界」です。
物質世界は、2つの対照的な要素によって構成されています。
「生と死」、「陰と陽」、「プラスとマイナス」、「創造と破壊」などです。
どちらがいいのではなく、どちらも必要です。
人が死ななくなったら、生まれてくる必要は無くなります。
動物と植物は、「遺伝子の乗り物」と言われています。
数十億年の昔、太古の海に生まれた生命の遺伝子が、生存のために
多種多様な進化を遂げて、現在地球上に約200万種という膨大な
種(しゅ)を創り出しました。
生き物はすべて、遺伝子が生存し維持発展することが本能です。
人類もまた、遺伝子の命令に絶対服従です。
食欲、睡眠欲、性欲は、種の維持、保存、発展に不可欠です。
この本質的な欲望を故意に否定すれば、バランスを失います。
ダイエットのために食事を減らせば、健康が損なわれます。
摂取したカロリーを、運動などで消費すればいいのです。
人類の本能は、遺伝子の命令通り「生存」です。
しかし、現在、矛盾した行動が顕著です。
人類が環境破壊や人口爆発、大量殺戮兵器などで、滅亡へ向かっていることです。
このようなことが、起こる原因はなんでしょうか?
1 人類の遺伝子が暴走している。
2 そうでなければ、人口が多すぎるので、減らそうとしている。
3 本能よりも、人類の欲望が暴走している。
4 欲望を起こさせる要素(不安、恐怖)が、増加している。
5 その他
簡単に列挙すると、以上のような原因が考えられます。
これらの原因が単独ではなく、相互に関係しているのかも知れません。
では、人類を救済する方法は無いのでしょうか?
人類は、キリスト教が言うように、呪われた存在(原罪)だからでしょうか?
私はそうは思いません。
幸いなことに、人類には学習能力があります。
いままでの人類の歴史から、学ぶべきは学ばなければなりません。
2度と同じ間違えを繰り返してはなりません。
欲望をコントロールするためには、理性が必要です。
理性は感情よりも、高い意識でなければなりません。
感情に影響や支配されたら、それは理性とは言えません。
理性とは、それほど崇高である必要があります。
この理性は、自分の中にある「神性」と繋がっています。
「神性」とは、「宇宙を創造した意識である」と思います。
ですから、宇宙に存在するすべてに共通した「意識」でしょう。
「すべてが一つ」という「意識」を持つ所以(ゆえん)でもあります。
人は自分が意識して、この「神性」を感じる生き物だと思います。
この「神性」と繋がった「理性」によって、欲望のコントロールが可能です。
いま、滅亡へ向かっているように見える人類を共済するためには、
人々が自分の「神性」に気づくことが必要と思います。
子どもの歴史について、興味を持ったことがありますか?
フランス人作家のロジェ・ファリゴ氏の作品を2冊読みました。
「ガストンとルシア」(小学館)の1と2です。
子どもの歴史の苛酷なことは、想像を絶するものがあります。
子どもは、まるで家畜同然だったこともあります。
イギリスの産業革命時代も、そうだったのです。
日本の子どもの人権は保護されていますが、低開発国ではそうでは
ありません。
低開発国では、子どもは労働力として重要なので、自由に学校へも
行けません。
相対的に、女性の地位の評価が低く見られています。
子どもだけではなく、国内で階級差別が存在します。
その最たるものは、インドのヒンズー教です。
綿密で厳格なカースト制という階級制度があります。
もちろん憲法では階級制度を否定していますし、最下層選出の
国会議員もいます。
しかし、地方の田舎へ行けば、厳然として存在しています。
もしも、それに反対すれば、私刑(リンチ)で殺されます。
最下層の人が殺されても、警察は関知しないというのですから・・・
私たちには信じられないことが現実に起こっています。
人間が、こんなに残虐な存在であることに驚きます。
日本にも外国人が150万人住んでいます。
私は国境などは不要と思っています。
世界中で戦争を無くすためには、お互いが譲り合わなければ
なりません。
お互いを尊重し、理解するように努めなければなりません。
いまのように、「安全」という垣根を高くすることは慎まなければ
なりません。
自分だけを「安全」にするためには、相手を排除しなければなら
ないからです。
それができなければ、いつまで経っても平和は実現しないでしょう。
冬型の気圧配置が強まったとかで、全国的な冷え込みだそうです。
思いがけない大雪や強風の影響が出ていると聞きました。
3月も半ばになり、暖冬で桜の便りも早かったのですが、やはり
そう簡単には、春は訪れてくれないようです。
富士山は絵に描いたような美しさです。
強風で澄みきった青空に、真っ白な雪をいただいています。
富士山といえば、銭湯の背景ではありませんが、この景色を
置いてはないでしょう。
ここ富士市に約60年間住んでいますが、息を呑む美しさです。
これからは、日一日と暖かくなり、水蒸気が多くなって霞が
たなびきます。
それもまた、優しくて日本画の題材としては格好でしょう。
私個人の好みとしては、やはり富士山は毅然としている冬の
姿を一番にあげたいと思います。
それにしても、毅然とした人が少なすぎる気がします。
どうしてこんなに、お金や地位や肩書きが欲しいのでしょう?
「武士は食わねど、高楊枝」という川柳があります。
そんなやせ我慢ができる人がいないことが、とても残念です。
人は逆境にあって鍛えられるのでしょう。
60年前の戦争では、東京はじめ大都会は空襲で一晩に10万人
もの焼死者をだしました。
広島・長崎の原爆によって、10万人以上の人が亡くなりました。
「人の命は地球よりも重い」といいますが、戦争では木の葉よりも
軽くなってしまいます。
臓器移植の募金で人を助けることに強力することもいいでしょ
うが、いま現在、数千万人の人々が飢餓線上にいる事実はどう
したらいいのでしょう。
このような現実を一緒に創っていることに、気づいていないようです。
自分は、自分の命じられたことさえしていればいいのだと。
こんな無責任な人が多いのが、日本人の特徴でしょう。
忠実であるという「ロボット人間」は、とても危険だと思うのですが。
2007年03月11日(日) |
第1回静岡すぴこんご来店御礼 |
昨日は「第1回静岡すぴこん」が開催され、出店しました。
主催者の方のお話ですと、第1回目なので予定では500人程度だそう
でした。
しかし、実際には1100人以上もご来場されたそうです。
ご来店いただきましたお客様に、御礼申し上げます。
また、予約でいっぱいでしたので、やむを得ずセッションできなかった
皆様にお詫び申し上げます。
今回のすぴこんには、LORANグループから5店が出店しました。
それぞれが趣向を凝らし、個性的な展開をしています。
機会がありましたら、どうぞご来店ください。
占いのショップはいつも人気があります。
占いを否定するつもりはありませんが、参考に留めたいですね。
運命は自分が決めるものです。
また、運命は既に決まってもいます。
こう書くと、矛盾しているように感じますね。
でも私は、そう信じています。
実は、運命は生まれる前に、自分自身が決めてきたと思います。
しかし生まれると、決めてきたことを忘れてしまいます。
占いは統計的な傾向ですから、個人が決めたことは分からないでしょう。
でも、催眠療法などのセッションで、思い出すこともあります。
運命は、ピンポイントで決めたのではなく、大きな流れです。
その流れの中では、自由な選択が可能です。
どこへ住むとか、職業とか、伴侶とかは自由に選択できます。
この流れに従えば、大きなトラブルはありません。
援助してくれる人や協力者も増えてきます。
ですから、困ることにはならないでしょう。
しかしほとんどの人は、これを信じません。
自分が無力であると、教育や宗教などで教え込まれているからです。
その結果、自分の健康が維持できません。
自分の幸せを信じられません。
自分の運命を変えられません。
自分の執着やこだわりを捨てることができません。
自分が被害者であり、不幸な人間と信じています。
この世界は、苦しく悲しいと信じています。
人生は我慢と忍耐だと信じています。
人に愛されなければならないと信じています。
人に認められなければならないと信じています。
書き出したらきりがありません。
これらはすべて、自分が無力化された言葉です。
自分は自分ですから、自分が自分に責任をもてばいいのです。
ただそれだけのことが、どうしてわからないのでしょう?
今朝は東の空に低い雲があったので、日の出の太陽を見るのが
遅くなりました。
低い雲の下から一瞬見えた写真です。
その10分後には雲の上空へ出ましたので、強い光になりました。
人の心も同じですね。
太陽は毎日、いつもと同じように出ているのに、雲が自分の心を
隠せば光は入りません。
先日は快適な空の旅をしていましたが、羽田空港へ着陸態勢に入る
ために降下を始めたら、大揺れに揺れました。
高度12,000mの上空は晴れ渡っていたのに、下界は台風並み
の低気圧が通過中でした。
全国で風速30mの強風が吹いて被害が出た日でした。
おかげさまで15分遅れで到着できて、よかったです。
上空と下界の違いを、教えていただいたと感謝しています。
心に雲が無ければ、毎日晴れ晴れとした気持ちで過ごせます。
心に雲を作るのは、自分以外ではありません。
喜怒哀楽の感情は、人生を豊かにします。
しかし、いつも曇りや雨や台風では、人生は楽しくありません。
雲は光を遮断するために作ります。
光=愛と歓びを、自分が拒否するからでしょう。
光を受け入れられないのは、自分がこだわっているからでしょう。
自分が不当に扱われていると思ったり、裏切られたと思ったり、
執着を捨てられなかったり、他人と比較して落ち込んだり、
不安や悲しみを捨てられなかったことなどでしょう。
それらのことは、自分が信じた信念や思想、考え方で起こります。
また、両親、特に母親の考え方に大きな影響を受けているようです。
結婚できる年齢、女性は16歳でしたね。
もう一人前なのですから、いつまでも親のせいにするのでは幼稚
すぎます。
親を「他山の石」として、学ぶべきは学び、矯正すべきは矯正して
自分を成長させなければなりません。
高齢化でいつまでも親が生きていることが、成長の妨げかも知れません。
私のように26歳で両親に死なれた方が、真の勉強になります。
いつも雲の上にある青空と、そこに見る太陽の輝きを忘れてはいけない
と思います。
昨日、富士市へ帰ってきました。
強風で空気の汚れが吹き飛ばされて、富士山がきれいでした。
夕陽はすばらしい輝きを見せてくれました。
強風が吹いて、昨夜から急に寒くなりました。
まだ3月の初めですから、本来の気温なのでしょう。
今朝の日の出の太陽は、ここ富士市では最高の輝きです。
工業地帯の富士市の空気は、煙突や車の排気ガスで汚れています。
強風のおかげさまで、朝日のすばらしい輝きをいただけます。
電気が利用される以前は、と言ってもまだ100年足らずですが、
夕方には夕食をとり、早く寝て、日の出前に起きていました。
ですから体内時計は、早寝早起きパターンになっています。
ここ40〜50年間でテレビが普及したために、生活パターンに
変化が起きました。
特に深夜のテレビ放映が始まってからは、体内時計を無視した生活
をする人が急増しました。
テレビは情報や知識を得るのに便利なので、手放せなくなります。
しかし、どんなものにも利点と弊害があります。
利点から弊害を差し引きして、もし結果がマイナスなら中止しなければ
なりません。
老人へテレビを見せ続けると、痴呆が進むことは証明されています。
読書と違い、脳を使う必要がないからだそうです。
子どもの近視やゲームのし過ぎで、問題が起きています。
一家団欒と言っても、テレビ観賞だけでは意味が異なります。
テレビのおかげで、知らなくてもいい他人の暮らしを知った結果、
自分を惨めに感じる若者が急増しました。
テレビは比較させることで、流行を造り、商品を販売します。
「捨てさせろ、買わせろ」が、マスコミの正体です。
環境問題、エネルギー問題、人口問題などが山積しているのに、
商品販売を刺激するマスコミは、時代に逆行しています。
テレビを見ないようにしなければ、マスコミのマインドコントロール
から抜け出すことはできません。
たった1ヶ月間でも、テレビを消して生活しませんか?
2007年03月07日(水) |
ようやく晴れてきました。 |
今朝の九十九里海岸は、厚い雲が立ち込めていました。
その雲の切れ間から、まぶしい光が射してきました.
今朝の瞑想中、不要なエネルギーを取り出してから、光が
入ってきて、隅々まで浸透しました。
お風呂に入っているように体中の力が抜けて、動けませんでした。
頭もなにも考えられなくなり、しばらくそのまま座っていました。
中国の古代思想家の荘子は、これを座忘(ざぼう)と呼びました。
「肉体も知も、好悪の念もなく、道と一つになり、すべてのこだわり
から自由になる。」と、書いてあります。
知識がある者は知識に使われ、お金がある者はお金に使われます。
会社を持つ者は会社に使われ、従業員がいるものは彼らに使われます。
周囲を見て、皆と同じことをしていれば安心し、自分がなんであるかを
知らず、自分がどうのように生きたいのかを知らず、自分の深い思い
を知らず、ただムダに人生を過ごしています。
なにごとも必然でムダではないと言う人もいますが、何回も転生して
いるのに、大した学びも成長もないのでは、ムダと言えるでしょう。
それにしても、自分で知る努力をする人が少な過ぎると思います。
単に本を読んだり、講演を聴くだけでは、学んだことにはなりません。
知識をもらうだけでは、その本質に迫ることはできません。
自らを先人が、身を置いたようにしなければなりません。
そこで何年も先人と同じようなワークをして、先人がなにを感じたかを
推察することが大切です。
結果だけを欲しがるのは、信者でしょう。
先人に迫ろうと努力するのは、行者でしょう。
アセンションの時代といわれていますが、自らがアセンションする
努力をしないで救いを求めているのでは、どうなることでしょう。
自分の人生は、自分が主人公です。
いつまで救いを待っていても、「百年、河清を待つ」になります。
久しぶりの九十九里海岸は、昨夜の強風の影響で波が荒れていました。
「ゴー、ゴー」と、海鳴りがいつもよりずっと大きく聞こえました。
こんなにスゴイ海鳴りが聞こえる海岸を、他に知りません。
昨朝まで見ていた瀬戸内海は、まるで湖のようです。
私はどちらかと言えば、荒々しいこの海が好きです。
大自然は、時に人を寄せ付けない厳しい表情を見せてくれます。
「自然も宇宙も愛だから優しい」と、思うのは自由ですが、
実は、愛があるとか、無いとかいう以前だろうと思います。
人情が有れば有情、無ければ無情です。
宇宙や自然は、非情といって、人情が入る隙がありません。
それなのに、いつまでも自己憐憫で、神様にすがっています。
神様は人間ではありません。非情の世界に居られます。
人間ではないので、人情に訴えてもムダでしょう。
ですから、生まれたばかりの赤ちゃんでも亡くなります。
かわいそうと思うのは人情ですが、自分が生き物を食料に
するのは、かわいそうではないのです。
ですから、人情は「エゴ」そのものです。自分の都合です。
私たちは生き物を食べなければ、死んでしまいます。
それでは、どうすればいいのでしょう。
私は、感謝が大切と思っています。
「あなたの命を、わたしの命と一緒にさせてください。
あなたを歓迎します。
あなたと一緒に、楽しい人生を生きます。
あなたに感謝し、あなたを祝福します。」
こう言っていただけば、その生命は自分と一緒に行き続けます。
これが、「いただきます。」の意味だと思います。
今回お世話になった愛媛県今治市は、日本一の造船の町です。
セミナー会場の近くの、来島大橋への歩道橋からの風景です。
かって日本は世界一の造船大国でしたが、王座を韓国に渡してしまいました。
しかし、ここ今治市では、大型クレーンが勢いよく天に聳えていました。
モノを作ることは、とても大切なことだと思います。
大量生産の単純作業ではなく、道具を作ることには常に工夫が要ります。
船や飛行機、機関車などの交通の道具は、見る者をワクワクさせます。
子どもたちに電子ゲームなどをさせないで、工夫する遊びを勧めたいですいね。
出来上がった遊びよりも、イメージで創造する遊びが脳を刺激します。
家の中に閉じ込めないで、元気よく走り回る方が健康的です。
進学のための勉強は、弊害の方が多いのではないでしょうか?
これでは、自由な発想を止めてしまうので、外国に太刀打ちできません。
大きなタンカーが建造されているのを見て、気持ちが雄大になりました。
今朝も日の出の真っ赤な太陽を見ることができました。
ここ数日風が強い日が続きましたが、今朝は穏やかです。
やはり暖冬なのですね。
ここ富士市では、早朝でも寒くないのです。
これから羽田空港へ向かいます。
空港近くの駐車場へ車を置いて、松山空港へ行きます。
松山空港では、仲間がお迎えに来てくれるそうです。
先月は、松山〜今治まで雪景色で驚きました。
私たちの活動は、とても地味です。
自分に気づくことを中心にしています。
自分とは、肉体であり、それを維持する遺伝子であり、
それらの本能は欲望です。
それだけなら、他の動物と同じでしょう。
しかし、私たち人間には「自我意識」があります。
その意識が自分の存在について、疑問を持ちます。
この疑問が、自分の意識を高めていきます。
そしてついに、自分が光であることに気づきます。
それまでは、すべてが知識に過ぎません。
気づくことを仏教では、「悟り」と言います。
悟りは特別なことではなく、自分の中でジグソーパズルが
組みあがることに似ています。
バラバラだった考えが、一挙に1枚の絵を完成させます。
それで大きな安心感が生まれます。
西洋文明はとても合理的ですが、その優れた文明を使う意識が
問題だと思います。
刃物も意識がしっかりしていなければ、凶器にもなります。
欲望を制御する意識がなければ、暴走して迷惑をかけます。
私たちの仲間が少しづつ増えてくれるのは、とてもうれしいです。
この若い仲間が、平和で穏やかな世界を創ってくれるでしょう。
2007年03月01日(木) |
自分の意識へ帰りませんか? |
今朝の日のでは素晴らしい光でしたね。
昨日の強風が、空気をきれいにしてくれたので、光が真っ直ぐに
届いてくれました。
こんなに美しい光を、わざわざ汚れた空気にして届かなくして
いるのは、どうしてなのでしょう?
私たちは「幸せになりたい」と言いながら、反対のことをしています。
健康になりたいと言いながら、健康に悪いことをしています。
天国へ行きたいと思いながら、天国へ行けないことをしています。
平和になりたいと言いながら、平和にならないことをしています。
どうして、こんなに自分を偽って生きているのでしょう?
その結果、自分も子どもも、家族も、社会も、世界も苦しんでいます。
地球も、自然も、すべてが苦しんでいます。
あなたが、あなたを偽っている限り、苦しみは無くならないでしょう。
あなたが、あなたを苦しめているのですから。
誰もあなたを苦しめることはできません。
あなたが自分を苦しめる以外には。
そう言うと、「私は被害者だ。」と思うかも知れません。
「私はなにも間違ったことをしていない。」と。
そうです、あなたは決して間違えたことをしていません。
あなたは教えられたことをしているだけです。
あなたは自分に気づいていないのでしょう。
命じられたことに忠実なロボットなのでしょう。
ですから、自分には責任が無いと思っています。
戦争で敵を殺した兵士に、責任が無いと思っているのと同じです。
でも、ヴェトナム戦争で300万人も殺したアメリカの帰還兵の
中で、PTSDで苦しみ、自殺や未遂が多発しました。
「心的外傷後ストレス障害という意味です。つまり、「トラウマ
(心的外傷)」となる、心に受けた衝撃的な傷が元で後に生じる
様々なストレス障害のことを指します。」と説明されています。
殺人者である彼らもまた、被害者なのです。
戦争には勝者はいないのです。
あなたは自分の主人公であることを忘れていませんか?
あなたの人生は、あなたのものですか?
自分の人生に責任を持っていますか?
誰かがあなたを支配しようとしても、あなたが自分の責任において
人生を生きていれば、誰もあなたを支配できないでしょう。
しかし、あなたは自分の人生の責任を取ることから逃げていませんか?
自分には力が無い、とか。
教えられたとおりにしているとか。
いい人であるとか。
他人の幸せが、自分の幸せとか。
人の命は地球よりも重いとか。
これらは、とてもすばらしい言葉ですが、とても危険をはらんでいます。
この言葉の中には、自分という意識が無いからです。
自分の本能の欲望だけでは人間としては失格です。
人には「高い意識」があるからです。
しかし、自分のエネルギーを抑制することは、止めなければなりません。
自分のエネルギーを高めて、意識を向上させることが必要です。
この仕組みに気づいていないので、本能と一緒に意識も抑制されます。
これでは、永久に人類の意識は向上しません。
つまり、永久に戦争や争いが終わらないでしょう。
もうそろそろ、自分へ帰りましょう。
自分という意識は、あなたを待っています。
あなたが自分の意識を取り戻したとき、どれほどの歓喜が湧き上がるでしょう?
宇宙も、地球も、自然も、すべてが、その時を待っています。
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