LORANの日記
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2007年02月28日(水) 2月が終わりますね。


今日は2月28日。晦日(みそか)です。

12ヶ月の月の中で、2月は他の月よりも2日は少ないですね。


ずっと昔には、1年間は10ヶ月だったそうです。

真冬は、暦もなく寒さをしのいで家の中にいたそうです。

これでは、まるで冬眠ですね。


太陽の運行と相違ができて不自由なので、2ヶ月を加えたそうです。

それが1月と2月だったそうです。

ですから、2月は1年間で最後の月になっていたそうです。


一説によると、ユリウス(ジュリアス・シーザー)を作ったシーザー

は、自分の誕生日であった7月が30日だったので、31日にさせた

とか。その1日は1年間の最後の日を持ってきたとか。

それで、2月は1日減りました。


さらに、アウグスチヌス(オーガスト)という王は、シーザーにならっ

て自分の誕生月の8月を31日にしたので、2月は更に1日減ったそう

です。


そんな訳で、2月は気の毒に2日も足りないのだそうです。


不思議なのはそんな勝手が通ったことと、王の死後に元の状態へ戻さ

なかったことです。


まあ、歴史の語源は history = his story = 権力者の物語=創作

もありですから。


古代中国の秦の始皇帝は「焚書坑儒」で有名ですが、過去の歴史を消して

自分の歴史に書き換えるために、書物を燃やして学者を殺したのでしょう。


私たちが暦を作ろうと、改めようと、時計を作り、時間を決めようとも、

宇宙には暦も、時間も存在しません。


すべては人間が決めた概念に過ぎません。

そんなあやふやな概念に、振り回されていては、自分を知ることはでき

ません。


2日も足りなくなった気の毒な2月は、今日終わります。






2007年02月27日(火) 象徴天皇のお仕事



元参議院議員(民主党)・平野貞夫著「昭和天皇の『極秘指令』」

(講談社刊)を読みました。



象徴天皇を、まるで盲腸のように理解していた私の浅学を恥じました。

そのように教え込んでいる「民主教育」について、疑問を持ちました。

また、それを吹聴しているマスコミに下劣さを感じます。


昭和天皇は1901年(明治34年)生まれでした。

1989年1月7日に、87歳で亡くなるまで、在位64年で歴代1位です。


日本は明治時代から立憲君主制で、戦争に負けてからも同じです。

天皇の独断専行は、初めからできない仕組みになっています。


内閣・政府の報告は頻繁に受けていますから、事情に詳しいのです。

国会が終わるたびに、衆議院議長、参議院議長、内閣総理大臣が報告

・説明に参内します。


1929年(昭和4年)満州某重大事件の責任者処分に関して、田中義一

内閣総理大臣は責任者を厳正に処罰すると昭和天皇に約束しましたが、

軍や閣内の反対もあって処罰しなかった時、天皇は「それでは前の話

と違うではないか」と田中を叱責したそうです。

その結果、田中内閣は総辞職、恐縮した田中は程なく亡くなったそうです。


昭和天皇が政治に干渉したと批判する人もいますが、約束したことを

破ったのですから、叱られて当然です。


昭和天皇は日米開戦決定の御前会議で、自ら発言することはないので、

戦争に反対する和歌を披露されたそうです。


東条英機首相が「原子爆弾」の開発・製造を申し上げると、「成功しても

他の国が同様にするから、全人類を滅亡させる。」と叱っています。

それで、「原子爆弾」の開発は中止になりました。

しかし、軍部は秘密裏に「原子爆弾」とロケットを開発していました。

その燃料製造過程で爆発事故を起こしてしまいました。

首謀者の杉山元帥は「まだ、やっていたのか。」と強く叱られたそうです。


ポッダム宣言の受諾が遅れて、広島と長崎に原爆が投下されたことに責任

を感じられていたようです。それで受諾と終戦を急がせました。


1936年に起きた「二・二六事件」では、政府要人を殺害した反乱軍を擁護

する軍部首脳に、制圧を命じたのは昭和天皇でした。


こうして見ると、内閣・政府が機能しなくなったとき、昭和天皇がリード

していたことが分かります。


1976年、現職の田中角栄総理大臣の逮捕という前代未聞の政治的危機が

起こりました。

前尾衆議院議長がこの危機を命がけで収拾したのは、昭和天皇のご意向を

受けて、「核防条約」を国会承認させたのでした。


詳しくは、この本をご覧ください。

私は決して「天皇崇拝」者ではありません。


しかし、内閣・政府が機能しなくなったとき、それを打開してきたのが

天皇であったことを知り、驚いたことは事実です。


民主主義とは多種多様な意見が平等に扱われることを意図しています。

しかし、大きな流れを逸脱しそうになったとき、誰がそれを制御できるので

しょうか?


それを感じた本でした。


2007年02月26日(月) 行動するか、しないか。



行動するか、しないか。

いつも、その選択をしています。


気がついたら、すぐ行動する。

これができる人は、自分の人生を生きているのでしょう。


気がついても、行動しない。= 行動できないのでしょう。

自分の中に、行動したくない気持ちが強いからでしょう。


朝、目覚めたら起きる。

すぐに起きられたらいいのですが、なかなか起きられない人もいます。


寝不足とか、低血圧とか、体質とか、様々な理由があるのでしょう。

それ以外に、起きたくないと思っているかも知れません。


人は感情の生き物です。

感情はエネルギーですから、溜まっていきます。

溜まったエネルギーは、まるで生き物のように意識を持って行動します。


自分が溜めてしまった感情に、支配されてしまいます。

「うつ」や「自己憐憫」などもそうです。


自分の力を取り戻すことが大切であると、先日まで書きました。

「うつ」や「自己憐憫」は、自分の力が奪われた結果です。


そうなった原因が、自分にあることを認めないからです。

人のせいにして、自分が被害者であることを選んでいます。


自分の人生の主人公は誰ですか?

自分以外に主人公がいるのですか?


どうして家族や仕事やお金のせいにして、主人公を放棄するのですか?

主人公のいないお芝居を見ているお客様は、退屈しています。


「お〜い、いつになったら主人公が出てくるのか?」

こんなにつまらない人生を、いつまで続けるつもりですか?


あなたが親になったとき、子どもはあなたのコピーになります。

そのまた子ども(孫)も同じになります。


あなたが楽しければ、子どもも、孫も楽しい人生を送るでしょう。

あなたが楽しくなければ、子どもも、孫もそうなるでしょう。


ですから、自分ひとりが不幸で済むと思わないでください。

誰かが幸せにしてくれるなどと、あてにならない夢を持たないでください。


相手がいなくても、お金が無くても、幸せな人はいます。

相手がいても、お金があっても、不幸せな人もいます。


つまり、幸せは個人の問題だからです。

幸せになる条件などは、初めから無いのです。


暖かい日に、静かな海岸や野原で、いっぱいお日様に当たって、咲き誇る

花を見て、体もこころもリラックスして、「ふ〜」とため息をして、

「あ〜、しあわせ。」と感じたときが、幸せなのでしょう。


でも、自分が幸せを感じることを妨げる感情があります。

憂鬱で、暗くて、重くて、冷たい感情です。


「幸せになってやるものか。」とつぶやく自分がいます。

それが、幸せになろうとする自分を止めています。


「恨み、憎しみ、呪い」を、相手にだけでなく、自分へかけています。

この感情が自分を支配しているかぎり、幸せになれないでしょう。


しかし、感情はエネルギーです。

エネルギーは消すことができます。


またエネルギーは放置しておくだけでも、次第に消えていきます。

そのためには同じエネルギーを補給してはいけません。


最も簡単に解消できる方法は、日の出の朝日に当たることです。

それも自然環境が豊かな場所が効果的です。



2007年02月23日(金) 自分の力を取り戻す。(4)


(つづき)


自分の力を取り戻すことについて、既に3回に分けて書きました。

そのためには勇気が必要ですが、その勇気も教えられた常識や

宗教的な教えが邪魔をしていることにも、気がついたでしょう。


あとはあなたが、勇気を出すことが出来るかどうかの選択だけです。

それでは、自分の力を取り戻すことで、どんな変化が起こるのでしょう?


先ず、自分の健康が守れるようになります。

風邪を引く回数は、今までの何分の一になるでしょう。


花粉症やアトピー、アレルギーは、ほとんど無くなるでしょう。

不眠症、うつ、頭痛や生理通も無くなるでしょう。


ほとんどの病気は快方に向かい、全快する人も続出するでしょう。

過労死は無くなり、自殺者は0になるでしょう。


「自分の人生が自分の選択で決まる。」のですから、迷いが無くなります。

他人(自分以外の人)の干渉や批判が気にならなくなります。

もちろん、自分が評価する人の意見には、耳を傾けるでしょう。


自分が穏やかで平和になることで、家庭もそうなります。

社会、世界が穏やかで平和になります。戦争は終わります。


ストレスが無くなるので、刺激を求めることが無くなります。

お酒やタバコ、麻薬などの中毒物質が、必要で無くなります。


お金も必要最小限の額があればよくなります。

働き過ぎが無くなり、自然環境に恵まれた田舎で暮らす人が増えます。


大都市の持つ弊害も解消され、都会も暮らしやすくなるでしょう。

お金や学歴、資格などにこだわることが無くなり、無駄な人生が終わります。


病気が無くなり、老人は元気になり、介護の必要な人も減ります。

「死」は自分が選択できるので、恐怖心が減ります。

その結果、家庭で家族に見守られながら、穏やかに亡くなります。

現在40兆円の国民医療費は、1割以下になるでしょう。


こうして無駄なお金や人生が無くなることで、健康と元気が回復します。

世界も平和になり、人々は平和な生活が可能になります。


以上のことが実現すれば、様々な経費が削減されますので、物価は

半分以下になるでしょう。


ですから、今の半分の労働時間があれば、十分でしょう。

毎月10日の勤務でよくなれば、交通渋滞も無くなります。


エネルギー問題も、公害も減少するでしょう。

私たちは子どもに、この地球を残すことが可能になります。


どうですか?

あなたが自分の力を取り戻すことで、こんなにすばらしい世界が実現します。

あなたの勇気を期待しています。



(おわり)










2007年02月22日(木) 自分の力を取り戻す。(3)


(昨日のつづき)


自分の力を取り戻すためには、勇気が必要であることが分かりました。

勇気があれば、自分の力を取り戻すことができるのですから、勇気を出しましょう。


そう言っても、ほとんどの人は勇気を出すことができません。

なぜなら、去勢されてしまっているからでしょう。


去勢とはオスの睾丸を切除して、オスらしい元気を無くしてしまうことです。

もちろんこれは例え話ですが、それほど深刻な問題です。


私は人類が、家畜化されているように思うのです。

「絶対服従」は理屈ではなく、遺伝子レベルなのだろうと思います。


そのような観点から見れば、「旧約聖書」の神が、人類を奴隷のように

扱ってきたことも理解できます。


その時代から、「絶対服従」を強いられ、もしも命令に背けば、永遠に地獄や

煉獄へ突き落とすと言われ、今でも信じているのですから。(最後の審判)


「ソドムとゴモラ」の破滅や「ノアの箱舟」の大洪水による大絶滅などの

天罰を使って、「絶対服従」を強いたのでしょう。


このように歴史的に永い期間、宗教的な教えという規制を受けていたら、遺伝子

レベルに染み込んでしまうことは当然でしょう。


これでは、自然に「自分の力を取り戻す」ことを願っても、「百年河清を待つ」

の例え同様に、不可能だろうと思います。


「自分の人生の主人公は自分」です。

幸せになるか、ならないかは、自分が決める以外に方法はありません。


どうせ生まれてきたのですから、幸せになることが一番に決まっています。

宗教的な規則を守っているのも、幸せになりたいからでしょう。


生まれてきたということは、いつかは死ぬということです。

つまり、「往復切符」を手にしています。


早く帰る人も、遅く帰る人もいます。

天国へ帰るのなら、早い方がお徳のように思われます。


LORANでは、ヒプノセラピスト養成もしていますので、学習を含めて

100回以上のヒプノセラピー(催眠療法)を実施しています。


こんなに多くの過去生退行催眠をしても、過去生で亡くなって地獄へ行った

人はありません。


早い人は、死後20年ほどで生まれています。

私は1944年生まれですが、前世で亡くなったのは1921年でした。


ロシア革命で殺されていましたが、当時の名前も思い出しました。

あの世にいたのは、23年間に過ぎません。


「最後の審判」を待つまで、天国へ行かないで眠っているなんて、

暇な人はいないのでしょう。

ましてや、永遠に地獄や煉獄へ行くことなどはないでしょう。


私の体験を信じるか、宗教的な教えを信じるかは、個人の自由です。

しかし、自分を幸せにすることは、自分への責任だろうと思います。



(つづく)





2007年02月21日(水) 自分の力を取り戻す。(2)


(昨日のつづき)


否定的な言葉は、「従順」であることを求めています。

「素直」、「まじめ」、「忍耐」などです。


これらの言葉は、元々はとてもいい言葉です。

「従順であれ」は、水が川を流れるように、草が風になびくように、

なにも抵抗が無い状態です。

「すなお」は。そのまま、生まれたままで真っ直ぐな状態です。

ともに、宇宙の真理でもあります。


しかし、軍隊で「上官の命令に従順であれ」と言われたらどうですか?

軍隊は殺し合いも当然のことですから、私情が入る余地はありません。

たとえ自分がいやと思うことも、命令に従わなければなりません。


こうして、軍隊では自分の力は失われてしまいます。

そこにあるのは、上官の命令に従順な「非情なロボット」です。


自分を「殺して」しまったヴェトナム帰還兵のPTSDが問題になっています。

「人を殺すことは簡単だ。

 だが、その後に地獄が待っている。」

とは、自殺未遂を繰り返した元帰還兵が手記で書いた言葉です。

彼らが殺したヴェトナム人は300万人に上ります。


彼らは軍隊以外では、聖書の言葉を信じて暮らしていました。

聖書の戒律は「十戒」を基本としています。


その第一は「人を殺すなかれ」です。

聖書の教えとの矛盾と、殺された人の恐怖の顔に一生苦しむのです。


では、このような「生きても地獄」の状態は不可避だったのでしょうか?

そんなことはありません。


アメリカも日本も、民主主義国家ではありませんか?

有権者の投票で選ばれた議員が、政治をしているのではありませんか?


それなら、戦争に反対する議員を選べばよかったのではありませんか?

少なくても、戦争へ行かなければよかったのではありませんか?


しかし、「自分の力」を奪われた人には、自分の運命を変える勇気がありません。

自分の運命を自分で変えることは可能です。


クリントン元大統領は、徴兵されるとイギリスへ留学してしまいました。

軍隊よりも留学を選んだのです。


そして数十年後にはアメリカ大統領に就任しました。

戦場で人を殺してPTSDに苦しむ人とは、全く異なる人生を選択したのです。


このように運命を変えることは可能なのです。

そのためには、自分の力を取り戻すことが必要です。


(つづく)





2007年02月20日(火) 自分の力を取り戻す。(1)



お元気ですか?

楽しいですか?


自分の思うように生きていますか?

自分の健康管理はできていますか?


もし、あなたが人生も健康も思うようにならないのなら、

立ち止まって点検する必要があるでしょう。


「なぜか?」ですって?

「だって、どうにもならないのではないか?」ですって?


風邪が流行っているから、風邪を引くのは当然だ。

もらい事故だから、自分には責任がない。

幸せになれないのは、運が悪いからだ。

景気が悪いから、儲からなくて当然だ。

不安の時代だから、不安で当然だ。

テレビで、新聞で、言っているから当然だ。

所詮、人生なんて、そんなものだ。

誰だって、言っていることとやっていることは、違うに決まっている。

あんなことを言われたら、怒るのは当然だ。

こんな人生を生きてきたのだから、こう思うのは当然だ。

苦労したから、腰が曲がってしまった。

苦労してきた老人だから、大事にされて当然だ。

老人だから、病気になる。

神仏だって、お金しだいだ。

「地獄の沙汰も金(かね)しだい」

悪いことをしても、捕まらなければいい。

お上(かみ)の言うことに、そむいてはいけない。

命じられたことだけを、忠実にやりとげればいい。

自分の思うことを言ってはいけない。仲良くしなければ。

他人の幸せを、自分の幸せと思わなければならない。

一人の幸せは、地球よりも重い。

上には上があり、下には下がある。我慢しなさい。

人生は、忍耐と努力と根性だ。

他人に後ろ指を、指されるようなことはできない。

笑われたら、一生の恥になる。

自分が家族を守らなければ、誰が守ってくれるでしょう?

運がよければ、幸せになれる。

お金さえあれば、なんの心配もない。

宝くじさえ当たれば、幸せになれるのに。

いつか王子様が、助けにきてくれる。

・・・


書き出せば、きりがないほどです。

これらの言葉は、自分の力を奪う言葉です。


儒教や仏教などの教えが、ちりばめられています。

その言葉自体が、悪いと言うのではありません。


ただ、自分の力が奪われるだけです。

これらの言葉はすべて否定的であることに、気づきましたか?



では、肯定的な言葉とはどのような言葉でしょうか?


私は私である。

私の人生は、私が決めます。

自分が楽しいと思う人生を生きます。

自分の好きなことを仕事にします。

100人いれば、100通りの幸せがあります。

無理をしないで、バランスのよい生活をします。

お金はあってもいいが、無くても大丈夫です。

友達は多くなくても寂しくない。

少しの食料を、よく噛んで、感謝していただきます。

感謝の毎日を生きています。

日々、自然の恵みに感動しています。

自分と自然が一体になっていることに、感謝しています。

一人でいても、なにも無くても幸せです。

・・・


(つづく)


2007年02月19日(月) 無理はやめませんか?





今朝の九十九里海岸は厚い雲に閉ざされていました。

雲の切れ間から、日の出前の朝焼けの深紅が見えました。


瞑想中も、何回も輝く光が現れました。

とてもありがたいことと感謝しています。


ふと、思いました。

どうしてこんなに悩む人が多いのだろうと。


「悩み」は「執着」が原因だと思います。

「執着」を「愛情」と誤解している人もいます。

「執着」を「信念」と誤解している人もいます。


これではいつまで経っても、自分がらくになることができません。

「悩み」は「悩み」を生み、さらに増殖し続けます。


そして終に、行き詰まります。

日本人の自殺者数は、毎年33,000人で世界一です。


その原因は、「悩み」を手放すことができないことでしょう。

「不安」が強すぎて、「執着」するばかりですから。


無理をすれば、問題が発生することは当然です。

ガソリンの残量警告が点いているのに、高速道路を走ればガス欠する

ことは当然です。


お金が無いのにローンを組めば、支払いができなくなるのは当然です。

愛情が無いのに結婚すれば、破局がくるのは当然です。


学校嫌いなのに入学すれば、学校へ行けなくなるのは当然です。

自己管理できないで生活すれば、病気になり早死するのは当然です。


すべては無理が原因です。

だったら、無理をやめませんか?








2007年02月18日(日) 幸せになりたい??


誰でも幸せになりたいと思っています。

でも子どもの頃は、幸せになりたいと思っていなかったでしょう。


健康でいたいと思う人は多いでしょう。

でも子どもの頃から、そう思っていた人は少ないでしょう。


そのように考えると、そこにパターンが見えてきませんか?

幸せも健康も、子どもの頃は意識していなかったと。


子どもの頃は意識していなかったけれど、一番幸せで健康だった

のではありませんか?


では、子どもの頃の幸せや健康は、どこへ行ってしまったのでしょう?

「あの頃は、若かったからね〜。」と、つぶやく声が聞こえます。


若かったから幸せで健康だったとおっしゃりたいのですか?

年をとれば、幸せや健康は無くなってしまうとでも。


女優の森 光子さんは、1920年5月9日生まれの86才です。

昨年(2006年)9月に、「放浪記」上演回数1800回を記録

しました。

今でも、発売と同じに売り切れになる大ヒット作です。


森さんを見れば、年齢と幸せや健康は反比例しないことが分かります。


ではなぜ、年齢と共に幸せや健康が失われるのでしょうか?


健康について言えば、人体は基本的に50歳用に作られているので、

25歳が体力のピークです。

25歳を過ぎたら、体力の減衰の速度を緩やかにしていくことが大切です。

暴飲暴食や過労は、寿命を短くするだけです。


人は、夢を持つことができる生き物です。

夢があれば、苦労にも耐えることができます。


お金儲けや事業の成功は、夢と言っても現実的過ぎます。

お金が無くても幸せを感じられる夢を実現することが大切でしょう。


いまのお年寄りの多くには、その夢が無いように感じられます。

それで幸せや健康が失われてしまったのでしょう。





2007年02月17日(土) 雨滴の冒険







今朝の日の出は水平線上に雲があったので、少し間がありました。

毎朝同じ時刻に海岸へ行くのですが、少しづつ潮が引いています。


月の満ち欠けと連動しているのですが、途中の真亀川の河口の潮位が

毎日変化しているので分かります。


人は変化を好まない人が多くいます。

変化を好むと好まざるにかかわらず、人は変化しています。


赤ちゃんから幼児へ、少年から青年へ。

壮年から老人へと変化し続けます。


その間に恋をし、結婚し、子どもを産み育て、子どもと共に成長します。

子どもは親元から巣立ち、伴侶を求めて家庭を作ります。


一刻として留まることがないのは、川の流れに似ています。

山の頂に降った雨滴は、いつか川となって海へ注ぎます。

最初は一滴の雨滴でも、次第に仲間と合流して大河になります。


そして、いつか生まれ故郷の大海へ帰ります。

永い永い冒険を終えて・・



2007年02月16日(金) 夜明け






昨日までの強風は去り、今朝は雲ひとつない快晴でした。

九十九里海岸は、とても穏やかでした。


まったく雲が無い水平線からの日の出を見るのは、久しぶりでした。

荘厳としか言いようがない、美しい夜明けでした。


私の中の前世と過去生から持ち越してきた悲しみを、光に変えました。

すべては光であり、その光は「宇宙の創造神」であるとすれば、

自分自身も悲しみもまた、「宇宙の創造神」の一部です。


ですから、元々の光に戻すことは可能だと思います。

私自身は肉体次元の存在ですから、そんなことはできません。

ですから、「宇宙の創造神」にお願いし、悲しみに説明しなければ

なりません。


詳細を書くことはできませんが、私は可能と信じています。

いままでも、ずっと助けていただいてきました。

お陰さまで、ここまで成長させていただきました。


チベットの暦では、明日が新年の元旦だそうです。

今夜は大晦日ということで、新年の前夜に必ず食べる料理を

ご馳走していただけることになっています。


立春から、すべてが動き出しました。

この幸運をこころから感謝しています。



2007年02月15日(木) 風が吹いて・・


雪国は、昨日は吹雪

海は強風に荒れて

船旅の旅人は 肩をすぼめて

うねりの揺れに耐えています。


長い夜が明けて

雲間から 光が差し込み

強風とうねりの海を 照らします。


いつか青空が拡がり

うねりも心なしか 小さくなって

船の揺れも 穏やかになりました。


海は紺青の色をたたえ

空は澄み切って 光に満ち

風はしぶきを 巻き上げます。


船の行く手に 新しい道があります。

旅人の歩む先に 道が拓けます。


光指すところへ 導かれて

光をいつも 友として

旅人は その歩を進めます。


その歩が目的地へ 続いているから。

旅人のこころが それを知っているから。


風が吹いて

雲が切れて無くなるように


旅人は 不安を風に消して

その歩を進めます。


2007年02月14日(水) 困ったこと・・


健康や気分がよくなればいいですね。

でも、気分が悪くなったらどうしますか?


肉体は遺伝子の乗り物です。

種(しゅ)の保存のために、繁殖と安全を望みます。


それだけでは、人として生まれてきた意味がありません。

人は、ただ食べて寝るだけでは満足できないでしょう。


ですから、今回の人生で学ぶことを決めた人には、様々な

気づきが起きます。


手に入れた幸せが、消えてしまうこともあります。


私は26歳のときに両親が飛行機事故で亡くなりました。

小さな会社を経営していましたが、50歳のときに健康上の

問題で廃業しました。

そのため、借金の返済で家屋敷がすべて無くなりました。


折角手に入れた幸せは、乾いた砂のようにこぼれてしまいました。

では、不幸になってしまったのでしょうか?


いいえ、まったく反対になりました。

健康は回復し、自分の望む人生を生きることができました。

自分ほど幸せな人は、世界中にいないと思っています。


ほとんどの人は、こうなる前に止めてしまいます。

幸せが無くなる恐怖に負けてしまいます。


気分が悪くなれば、ワークを持続することができません。

折角のチャンスを、自らが拒否しています。


なにかを得るためには犠牲も必要なのですが、勇気がない

ばかりに捨てることができません。


天使ははがゆくて、困っています。


2007年02月13日(火) なぜ、不幸を探すの?


「人は感情の動物」と言いますが、感情は哺乳類に共通です。

それを言うなら、「悲しみの動物」でしょうか?


なぜか、自分の不幸を探す人が多いのです。

楽しかったこともあったと思いますが、悲しい記憶を持つ人が

多いのはなぜでしょう?


そこには複雑な理由や原因があると思いますが、悲しみという

方向へ自分の感情を導いているような気がします。


性格や環境、母親の思考などが、大きな影響を与えているようです。

さらに、62年前の敗戦後に導入された「民主主義」思想があります。


「民主主義」の特徴は、「自由、平等、公平」でしょう。

学校教育もマスコミも、これを基調にしています。


では現在、「自由、平等、公平」は実現しているのでしょうか?

「自由」とは、なにが自由でしょうか?

「平等」とは、「公平」とは。


実際には、貧富の格差が歴然としてあります。

学歴、国籍、性別、年齢などの格差があることを、どのように説明

できるのでしょうか?


「自由」でさえ、悪名高き「盗聴法」を成立させ、警察以外にも

法務省管轄の「公安」があり、思想犯を取り締まっています。


このように「羊頭狗肉(ようとうくにく)=羊と偽って、犬の肉を売る」

政策がまかり通っています。


しかし純真な子どもたちは、大人の言うことを信じています。

「政治的」という「まやかし」や「嘘」は通用しません。


こうして、「民主主義」の言葉を信じた子どもたちは、現実とのギャップ

に苦しみます。


努力しても、我慢しても、貧富の差は無くなりません。

それどころか、拡がるばかりです。


それで、「自分が悪いのでは・・」と、自分を責めます。

「親が悪いのでは・・」と、親を責めます。

そして、悲しみの人生になります。


そうではありません。

あなたも、親も、誰も悪いのではありません。


あなたは、人の言葉を信じただけなのです。

初めから、「自由、平等、公平」などは無かったのです。


他の人は他の人であり、あなたはあなただっただけなのです。




2007年02月12日(月) 雲間から・・





今朝の日のでは、厚い雲の雲間から見えました。

30分後には、雲を抜けてまぶしい太陽が見えました。


毎日の日の出は、自分の心を映しているようです。

心も1日1日、同じではありません。


九十九里海岸は、高低差がないので満潮のとき波が上がってくる

速度が、とても速くてビックリです。

5〜6mも離れているから大丈夫と思っていても、少し目を閉じて

いた間に、目の前まで波が来ています。

うっかりしていれば、靴が水没してしまいます。


もう一つ驚いたのは、海鳴りです。

富士海岸では、台風などの大波のときにしか聞いたことがありません。

九十九里海岸では、常に海鳴りがゴーゴーとしています。


60kmという日本一の長い海岸線へ押し寄せてくる波は、さすがに

ダイナミックです。

引っ越したばかりの時には、付近の工場の騒音かと思っていましたが、

工場の前を通っても音がなく、海岸へ行って初めて知りました。


現在住んでいるところは、海岸まで約1kmのところですが、夜間は

とくによく聞こえます。

元々、海が大好きですから、海鳴りは最高のBGMです。


人は自然が大切と言います。

しかし、自然から離れて、人工的な自然の中にいます。

エアコンや車、テレビなどは、すべて人工的です。


頭だけで理解しても、なにも変わりません。

人工的な自然環境を、できるだけ放棄しなければならないと思います。


2007年02月11日(日) ヴィジョン







いまの意識が未来の現実を創ります。

それは容易に理解できます。


自分は分かったから、もう大丈夫と思っている人が多くいます。

自分が理解しても、それは頭で理解したことです。


頭は全身から見たら、1/5とか1/7の範囲に過ぎません。

その人の1/5か1/7が、理解したに過ぎません。


全身の半分が理解すれば、現実は半分が変わるでしょう。

そのように、頭だけで考えている人は現実が変わりにくいのです。


また、意識を構成するものの多くは感情です。

感情の多くは、悲しみや不安など否定的なエネルギーが殆どです。


自分の中で最も大きなエネルギーが、自分の意識を支配しています。

ですから、悲しみや不安が自分を支配していることが分かります。


こうして、悲しみや不安が未来の現実を創ります。

未来が楽観できないことは、容易に理解できます。


いつまでも、頭だけで考えることをやめなければなりません。

では、どこで考えればいいのでしょう?


もちろん、体で考えるほかはありません。

一つひとつの細胞は意識体であり、考えることもできます。


頭だけに任せていたから、こんなに間違いを重ねてしまいました。


高学歴の人ほど、頭を病んでいます。

頭を解放してあげれば、頭も本来の機能を回復できるでしょう。


未来が希望に満ちた世界になるためには、いまできることをしなければ

なりません。




2007年02月10日(土) 疑問??


疑問を持つ人と持たない人がいます。

いまのままで仕方がないと思う人と、なにか変と感じる人がいます。


なぜ疑問を持つのでしょうか?

疑問を持っても、事態が変わるはずがないのに。


私は、「すべては初めから決まっている。」と思います。

「すべてを初めから知っている。」と思います。


そうであれば、初めから知っているのですから、現実を見れば

違いが分かるでしょう。

それで、「なにかが変だ。」と思うのでしょう。


疑問を持つ人は、正常な状態にあるのだろうと思われます。

疑問を持たない人は、「すべてを初めから知っている。」ことを、

忘れてしまったのではないでしょうか?


忘れてしまった人は、目の前にある物事に夢中になります。

お金や仕事、権威や権力などを、自分の生きる目的にしています。


「なにかが変だ。」と思う人は、目の前の物事に夢中になりません。

それ以上に大切な物事があることを、漠然と知っているからでしょう。


問題は疑問を持つことを忘れてしまった人が多過ぎることでしょう。

「なにかが変だ。」と感じて、チェックすることができないからです。


もしもあなたが疑問を感じているのなら、その疑問を大切にしてください。

その疑問があなたを、正解へ導いてくれるでしょう。


2007年02月09日(金) あるコメントより。

私の友人が、アフリカの東岸にある島から帰国しました。

ブログに書かれていた記事へコメントを書きました。

以下へコメントを転載します。



○○さん、お帰りなさい。


日本でも昔は大家族制でした。

いまでも残っている白川郷の合掌造りの家屋には、相当大勢の家族が

同居いていたのでしょうね。


私の子ども時代は、我が家には15〜20人の家族が同居していました。

1軒の家に大勢の人がいれば、もちろん大変なこともあるでしょうね。

母からは、よくそんな苦労話を聞かされました。

プライバシーという言葉も存在しませんでした。


しかし、○○さんが指摘したように、育児ノイローゼや孤立した子どもは

存在しませんでした。

子どもにはいつも誰かの目が注がれているので、危険もありませんでした。


62年前の敗戦以来、アメリカ文化が日本を変えてしまいました。

その中に、個人という概念が植え付けられました。

団体よりも個人を優先するという傾向です。


その結果、孤立や孤独が人を支配しました。

核家族という制度が生まれました。


若い母親は手助けがないので、育児ノイローゼになり子どもを殺しました。

子どもは誰もいない家で、寂しく食事をしました。

年よりは生きがいを失い、ボケが進み、施設へ収容されました。


こうして、不幸になる人が増えました。


2007年02月08日(木) 本当はなにも無いの??


今日、参加者の方から質問されました。

「本当はなにも無いのですか?」


「そうかも知れません。

 なにも無いのかも。

 『この世は夢か、幻か♪』

 という歌詞の歌がありました。」


「では、本当はなにも無いのですか?」

「無いと思えば無いし、あると思えばあるのでしょうね。」


こんな会話をしていました。

まるで禅問答のようですが、とてもたいせつな質問です。


私たちは、明らかでなければ安心できないようです。

正義か悪か、いい人か悪い人か、黒白をはっきりさせなければ、

安心できないようです。


しかし、100%善人はいないし、100%悪人もいません。

敵から見たら悪逆非道でも、味方から見れば正義のヒーローです。


いい人という言葉も、自分の都合によって変わります。

つまり、自分に都合のいい人という意味になります。


自分のエゴによって決まるのですから、真実と言ってもあやふやです。

その上、真実とは更に不可解になります。


自分のことさえよく分からないのに、すべてを理解しようと思っています。

高次元の存在は「神」の世界ですから、理解することは不可能です。


それで「本当はなにも無いのですか?」という質問になります。

では、その質問は愚問なのでしょうか?


いいえ、愚問ではありません。

その証拠に、多くの人にはその質問さえ起きないのですから。

それは「賢者の質問」です。


答えの「無いと思えば無いし、あると思えばあるのでしょうね。」とは、

すべての答えは、自分の中にあるということです。


私は、「真実とは自分が存在すること。」と言っています。

ですから、自分があると思えばあるのですし、無いと思えば無いのです。


それで、自分が「創造神」であることが分かります。

自分がどちらも創造できるのですから。


ここでたいせつなことは、「自分が、本当はどうしたいのか?」が、

分かっているかどうかです。


他人との比較や欲望だけでは、本当の自分のしたいことではありません。

本当の自分を知ることが、どうしても必要になります。



2007年02月07日(水) 九十九里海岸にて


暖冬のせいで、早朝寒くなくて助かります。

今朝も自転車で海岸へ行きました。


今朝は風も無く、とてもゆったりとした朝でした。

水平線上に薄い雲があり、それを透過して見える日の出は

幻想的で、まるで日本画のようです。


昨日の朝の出来事で、自分の中がまったく無音です。

頭もなにも喋りませんし、体の中も空っぽです。


空っぽと言っても、光が満ち、エネルギーが充満した状態です。

最も理想的な状態になりました。


帰宅してから朝食をとったのですが、なにも考えていないのに、

トーストのパンを両手に取ってみると、小麦畑が広がっている

情景を感じました。

ヨーグルトには牛と牧場を感じました。


「どうぞ私と仲良くしてください。

 あなたを歓迎します。」


そう言っている私がいました。

私を含めて、すべてが自然の中に存在していました。


もう、なにも求めなくてもよくなりました。

自分が自分であること以外には、なにもないことが分かりました。


ここまで導いてくださったすべてに感謝します。

私を支えてくれたすべてに感謝します。




2007年02月05日(月) 千葉へ帰りました。







先ほど、千葉県九十九里海岸近くの自宅へ帰りました。

先月28日以来、9日間で4日間のツアーを2回しました。

飛行機も6回乗りました。


その間に、満月、節分、立春と、季節の変化が続きました。

ハイビスカスやブーゲンビリアが咲き、蝶が舞っている南国から、

2日後には、雪が積もった町を走っていました。


立春の2月4日から、新しい年が始まりました。

あわただしい1年が始まったと思っています。


愛媛ツアーの初日と、最終日に飛行機から富士山を見ることが

できました。


偶然かも知れませんが、祝福してくれていると思い感謝しました。

写真は愛媛ツアーの初日の富士山です。


待っていても状況は変わりません。

それなら、こちらから出かけて行くほかはありません。


誰かを信じていても、自分を信じられなければ意味がありません。

自分の夢が現実になることを、信じて実行するだけです。


立春の昨日と今朝、来島海峡第3大橋を歩いて渡って、馬島へ行き

ました。

燧灘(ひうちなだ)から昇る日の出は荘厳でした。


これからどのようなことが起こるか楽しみです。


2007年02月02日(金) 今日から愛媛です。


これから羽田空港へ向かいます。

昨日AM2時に帰宅したのですが、もう出発です。


明後日、4日は立春です。

太陽暦では1月1日が1年の始まりですが、私は立春からと思っています。


私にとって、ここ10年間の結論が出る1年間が始まります。

昨日までの宮古島ツアーは、新しいスタートのための最終的な準備でした。


ようやく硬く厚い殻が割れて、自由な自分になれました。

新しいスタートへ向けて、万全な準備ができました。


愛媛県は、私にとって格別な思いがあるところです。

そこの空気は例えようが無いほど、やさしいのです。


初めて松山へ来たとき、「ずっと以前に、ここに居た。」と思いました。

四国南東端の室戸岬では、弘法大師を感じました。


いままでの遠い道のりで目指していた方向が、誤っていないことが分かりました。

これは何にも増して、うれしいことでした。


この道は果てしない道です。

前方にある峰峰は、陽光を受けて輝いています。


この命ある限り、1歩1歩前へ進むだけです。

導きに従って・・・



2007年02月01日(木) 宮古島の思い出


昨夜、23:25の沖縄発最終便で羽田へ到着しました。

駐車場から車を運転して、今日の02:00に帰宅しました。


あわただしい4日間でしたが、とても満足しました。

八重山諸島の歴史は、本土とは比較にならない(?)ほど過酷でした。


しかし、八重山は、大寒の1月31日とは信じられないほど暖かく、

自然が豊かでした。


ハイビスカスはいたるところに咲いていましたし、ブーゲンビリアの

鮮やかな花が燃えるように咲いていました。


これが夏だったら、どんなにすばらしかったでしょう。


驚いたのは朝顔や桜草が咲き、アゲハチョウが舞っていたことでした。

海岸でショップを開いていた男性は、半袖シャツに半ズボンでした。

アダンの実が黄色く色づき、バナナも実っていました。


池間島のガラスボート(船底がガラス)でさんご礁を見ましたが、

色鮮やかなサンゴが、生き生きとしていました。



このように自然豊かな土地で過酷な歴史があるのは、水の不足と政治の

問題です。


人が生活することは可能であっても、雨水頼りでは農業は大変です。

鹿児島藩による過酷な税の取立てや使役のせいです。


八重山に住む人たちに、アメリカ・インディアンのイメージが重なりました。

沖縄と北海道が本土よりもずっと雇用率が低いことや軍用基地の負担が

大きいことです。


泡盛を昼間から飲む老人や離島の若者に感じる影は、抑圧されてきた民族の

悲哀を感じました。


博物館で出会った地元の75歳の老人の島の過去の歴史は、とてもショック

でした。


私たちはとても享楽的な生活をしています。

楽しければいい、快適ならばいいとしていますが、それだけでは他の動物

と同じです。


自分で考え、自分で行動してこそ、自分の人生になります。

それでなければ、ただ利用されるだけの人生になります。




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