LORANの日記
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2007年01月26日(金) 見えない世界


人は見える世界で生活しています。

しかし見えない世界もまた存在します。


人が誕生するまで、どこにいるのでしょう?

人が亡くなってから、どこへ行くのでしょう。


山の奥深くへ入ると、いままで感じたことがない気配を感じます。

山の霊気かも知れないし、見えない存在の気配かも知れません。


人は大勢で集まると、無敵のような気持ちになりますが、大自然の

中へ一人放り出されたら、とても寂しくていられないでしょう。


冒険家は一人で無人島や雪山や砂漠でキャンプを張れますが、都会

に住む人には怖くてできないかも知れません。


それは自然が豊かな世界は、生命も豊かであり、すべてが存在する

からだと思います。


そこには山や川や海や木や森や泉や沼や巨石などすべてに精霊と呼ば

れる存在が居るからでしょう。


私たちの目には見えませんが、風の中に気配やざわめきが伝わってき

ます。


彼らが私たちに直接害を与えることはないと思いますが、これ以上

立ち入らないように警告することはあるでしょう。


かってこの土地に住んでいた人々は、事あるごとにその地の精霊へ

畏敬と感謝を捧げてきました。


残念なことに現代の人々は、迷信と称して畏敬と感謝を忘れています。

花粉症やアレルギー、アトピーの症状は、これと無縁ではないでしょう。


私は「科学迷信」の風潮が起こした弊害であろうと言っています。

見えない世界を再評価する必要があると思います。


明後日(1/28)から4日間、沖縄の西にある宮古島へ行ってきます。

南西諸島は新婚旅行以来ですから、30年ぶりでしょうか。


どんなことが起こるか、楽しみです。


2007年01月25日(木) 人情で解決しますか?


「人情が無ければこの世は闇」と言います。

「人情」は他人へのやさしさでもあります。


どんなものにも適度というものがあります。

「人情」がよく作用すればいいのですが、縛られることもあります。


「人情」だけではどうにもならないことがあります。

お金が無いのに、貸すことはできません。


インドで旅行者が物乞いや貧しい子どもたちに囲まれると聞きました。

すべての人に応じていたら、無一文になってしまいます。


「人情」によって、困っている人をすべて救済することは不可能です。

体の不自由なお年寄りを家に置いていたくても、介護者の都合などで

ケアセンターや病院などのお世話にならざるを得ません。


このように「人情」は、自分の都合のつく範囲で適用されるのでしょう。

そこで「人情」を要求する人と、要求される人の間に闘争が起こります。


ここまで面倒をみてきたのにと、双方が主張します。

一方は親で、他方は介護をする子どもです。


親は面倒をみてくれることが当然と主張しますし、子どもは働かなければ

生計が立たないと主張します。


日本では、国家が老人の生活を保障するシステムがありません。

福祉国家から較べたら、お寒い限りです。


それなら、国民が自助努力をするしかありません。

病気やけがをしないように、健康管理を子どものときからの学習が必要です。


中国の公園などでお年寄りが太極拳をしている風景が紹介されます。

中国では12億人もいる国民に対して、医療水準が整備されていません。


それで老人を中心に、健康維持のために太極拳を指導したそうです。

これによって、老人の健康維持は初期の目的を果たしました。


富裕国家(?)・日本では老人は手厚く介護されています。

朝から晩まで、テレビを見て暮らしています。


これでは体も脳も、機能を失ってしまいます。

自分で考え、自分のことは自分でするように指導しなければなりません。


これは急にできることではなく、子どもの頃から学習する必要があります。

テレビなどは、1日2時間が限度と決めましょう。


一家団欒とは、テレビを消して家族が顔を見ながら話を聞くことです。

お年寄りは尊敬されるように、若い頃から体を動かし、皆のために

功徳を積むことです。


そうすれば、老人になっても元気で活躍できるでしょう。

介護も、最後のときだけ必要になるでしょう。


人情だけで言い争っていたら、共倒れになってしまいます。


2007年01月24日(水) 本当はなにをしたいのですか?


あれがあればいい。

これができればいい。

だけど自分には無いし、できない。

どうせ、やってもムダ。

もしできなかったら、なんて言われるかわからない。

人の目が怖い。

人の批判が怖い。

自分は孤独。誰も愛してくれない。

自分は無力。神様、助けて。

いつか王子様が、助けに来てくれる。

いつか宝くじに当たって、幸せになる。

いつか思い切り贅沢な生活をしたい。

いつか世界旅行へ行きたい。

・・・


で、あなたは本当はなにをしたいのですか?


2007年01月23日(火) 生きるということ。


地球上には動物と植物が合わせて200万種もいるそうです。

これらのすべてが生きていることは、想像しただけでもスゴイことですね。


地球で生まれた「種(しゅ)」は原始的な生命から発達して、これほどまで

言葉通りに多種多様な形態をとるに至りました。


これもすべて「種」が自らの存在を維持するためのことでしょう。

ですから「種」の存続と発展が、すべての生命活動の原点でしょう。


このように考えると、人間の営みはすべて「種」の命ずるままなのでしょう。

自分に無いものが魅力的に感じるのは、「種」のなせることであり、

恋愛もまた、自分の「種」をより完全な状態で維持したいからでしょう。

母性本能で子どもを必至に守るのも同じだったのですね。


肉体の欲求を支配しているのは、「種」であることが分かります。

そこで疑問が起こってきませんか?


「種」が主人公であるなら、どうして環境破壊や戦争や自殺など、人類を

破滅へ向かわせるような状態を作るのかと。


ここに人間だけに特有な性質が見えてきます。

人間だけが恐怖や不安を持っていることです。


他の動物にも感情があるし、危険を察知すれば逃げ出します。

捕まえられたり、殺されることも恐怖でしょう。


しかし、人間のようにいつも恐怖や不安を感じてはいません。

ですから彼らは感情に支配されないで生きています。


人間だけがいつも恐怖と不安のとりこになっています。

その感情が、環境破壊や戦争や自殺などを引き起こしています。


恐怖や不安を引き起こしているのは、「自我意識」でしょう。

「自我意識」は人間特有の性質です。


本来は「私は誰か?」を知るために与えられた性質だと思います。

それは「自分が光である」ことを確認するためでした。


しかし「自分が光である」ことを知ることは、宗教組織によって

封印されてしまいました。


それで私たちは羅針盤を失った船のように、さ迷っています。

いつまでたっても光が見えません。

それで恐怖と不安が私たちを支配しています。


いま私たちに必要なことは、自分自身が光であることを確認することです。

すべてが光であり、私たちもまた光なのです。


いつも高次元の光が私たちを導いてくれています。

なによりも自分の本質(魂)が光そのものなのです。


生きることは、恐怖や不安の感情から抜け出して、光として生きることです。







2007年01月21日(日) この感激の中で死にたい・・・


今日は第11回名古屋すぴこんへ出店しました。

東名高速道路、伊勢湾自動車道路、名古屋高速で2時間半でした。


開店前に妻と瞑想をしました。

終わってから、また目を閉じてしまいました。


一瞬で意識が上空へ飛び出して行きました。

会場の名古屋国際会議場が眼下に見えました。


更に上昇して地球が眼下に見えました。

それからしばらく上昇が続きました。


ふと気がつくと、遥か向こうから光が近づいてきました。

本体はまだ彼方の方に見えますが、私の目の前に大きなきらめきが

現れます。


透明な半球形に十文字のきらめきが現れて、それは荘厳で華麗です。

一体何事が起こったのだろうと思っていました。


私の前方に「光」が立たれました。

とても背が高く、とてもスリムで女性的な体型に思われました。


「誰だろう? 観音様かしら?」


今まで「勢至菩薩様」とお会いしたことがありましたが、そのとき

とは比べ物にならないほど、荘厳で華麗な光です。


そのとき、「光」の背景が光に包まれて現れました。

「うわー!」と声をあげそうでした。


そこには何百という菩薩様が並んで居られたのです。

それらの菩薩様を従えて、一層美しくきらめく光の中に立たれていました。


そうなのです。

このお方こそが、「宇宙の中心の光」=「阿弥陀如来様」でした。


ありがたくて、もったいなくて、涙が出ました。

私の意識を呼び出して、お姿を現してくださったのでした。


まさか生きているうちに、お姿を見ることができようとは・・・

私は世界中で一番、いや宇宙中で一番の幸せ者です。


この感激の中なら、死にたいと思いました。

このうれしい気持ちのままで、死にたいと思いました。


「日暮れて、道遠し・・」

いままで歩いて来ても、その道は果てがありません。


ようやく山の頂に立っても、その向こうにまた山があります。

いくつ山を越えても、更に山を越えなければなりません。


しかしこれが自分の決めた道であり、私は誰が認めてくれなくても

この道を行くと、自らを奮い立たせて歩いてきました。


そんな時、私が知る限り最も高貴な光が現れてくださったのです。

「宇宙の中心の光」=「阿弥陀如来様」がすべての菩薩様を従えて

お姿を見せてくださったのです。


こんな僥倖は滅多にどころか、絶対にありえないことなのです。

私は、「それでいいのですよ。」とメッセージをいただいたと

解釈しています。


もうなにも思い残すことは無くなりました。

ただひたすらに、この道を歩きます。


2007年01月20日(土) 今日は大寒です。


大寒の言葉通り、東京などでは初雪が舞ったそうです。

いまが一年中で一番寒さが厳しい頃です。


この時期に寒稽古や寒行が行われますが、私のような軟弱者には

とてもまねができません。


「冬来たりなば、春遠からじ」とは、シェリーの「西風に寄せる頌歌」

の結びの句と書いてありました。


2月4日の立春まで、丁度2週間ですね。

札幌の息子からは、毎日のように雪が降っていると電話がありました。

昨年は1m以上の降雪だったそうですが、今年はそこまでは降っていな

いようです。


今日は「親子の豊かなコミュニケーション教室・カップル編」を開催

しました。


参加してくださった皆様に御礼申し上げます。

新しい時代は皆様が創造していきます。


しかし、いままでと同じ意識では、新しい時代の創造は不可能です。

アセンションの時代と言っても、なにもしないのではアセンションは

不可能と同じです。


それで、新しい時代で生きる意識について、お話しました。

なにかを感じていただけたと思っています。


また来月、続編を開催します。



「お知らせ」


明日、1月21日(日)10:30 〜 18:30

「第11回なごやすぴこん」が開催されます。

会場は名古屋国際会議場 2号館です。

LORANも出店します。

17:40 〜 18:20 スペシャルセミナーを開催します。

どうぞご参加ください。お待ちしています。







2007年01月19日(金) 静寂


今朝目覚めて驚きました。

なんと、朝8時まで寝坊しました。

既に太陽は中天にきらめいて、私は汗をかいていました。


もう一つは、自分の中が全くの静寂だったことです。

頭の中も、体の中もシンと静まり返っていました。


それで気づいたのですが、この静寂で起きられなかったのでしょう。

私が記憶している限り、初めての静寂の経験です。


数年前から、瞑想中に静寂になったことはありました。

しかし、しばらくすれば元の状態に戻ってしまいました。


今朝は、目覚めたときからずっと静寂が続いています。

ついにここまで来れたという、すばらしいが幸福感あります。


静寂と聞くと、なにも無いという虚無感を想像されるかも知れません。

まったく反対で、無限とも言える巨大な満足感、充足感があります。

自分の内部がとても暖かく、豊かに拡がっています。


この満足感を得られたら、外界の刺激は無用です。

他人に認められたい、評価されたい、愛されたいは無くなっています。

ですから、なにも無くて幸せ、なにもしないで幸せなのです。


仙人がいたとするなら、この精神状態であったろうと思われます。

一人でいても幸せですから、他人に気を遣うのを避けた

のでしょう。

でも、完全に人との交流を断ったのではありません。

村人は病気やケガで困ったとき、仙人にお願いして治療してもらって

いました。お礼に必要な食料や衣服をいただいていました。

ですから、離れて暮らしていても尊敬されていた存在でした。


今日から新しい人生が始まりました。

私をここまで導いてくれた自分の本質と高次元の存在にこころから

感謝しています。


2007年01月18日(木) 水が甘い!


年末以来、久しぶりで富士市へ帰りました。23日ぶりです。

千葉県の外房・九十九里海岸は空気も魚も美味しいのですが、

水は利根川から引いているからか、薬臭くて閉口しています。

それで近くのスーパーでペットボトル入りの飲料水を買っています。


その水は「富士山の水」と書いてありますが、富士市へ帰って

水を飲むと、本当に甘いのです。

コーヒーを淹れると、これがいつもと同じコーヒーかと思うほど、

コーヒーも甘くて美味しいのです。


この地に生まれて育った私は、ここの水の味だけしか知りません。

一時期横浜と東京に居たのですが、これほど味が違うとは思いま

せんでした。


体重の70%が水分ですから、70kgの体重なら49kgの水分です。

どうせ飲む水なら、美味しい水を飲みたいと思いました。


2007年01月17日(水) マスコミってなに??


報道される記事は、他人のミスや犯罪ばかり。

世界中に200ヵ国もあり、64億人が住んでいるのに、

同じ事件のニュースを繰り返すばかりです。


1日に何万件も起きている事件の中で、何を報道するかは

マスコミの思惑に委ねられています。


公正な報道と言っても、お上(政府)に許認可を握られ、

スポンサーに財源を依存しているのですから、所詮無理な

相談です。

これでは、マスコミが偏重していないとは言えないでしょう。



60年前の敗戦時にも、占領軍の政策によって戦争責任者は

免罪になりました。


最高責任者・天皇を始め、戦争を鼓舞した新聞社、海軍は免罪

です。

生贄にされたのは陸軍だけでした。


このようにマスコミは公正と言いながら、権力の前では無力です。

しかし正義の味方のふりをして、国民を戦争へ駆り立てます。


戦前と同じパターンで事態が進んでいます。

「蛙を水から煮れば、逃げることはできない」と。


2007年01月16日(火) 幼少期に受けた傷


幼少期に受けた精神的な傷で苦しむ人が多くいます。

10年、20年経てば、外科的な傷は消えてしまいます。


しかし、見えない精神的な傷は、決して消えることがありません。

困ったことに、結婚し母親になって、また子どもに同じ傷を負わせます。


このように、母親から子どもへマイナスのエネルギーのバトンを渡す

ことを、私は「カルマ」と理解しています。


母親は決して故意に傷を負わせることはないのですが、自分が被害者

でありながら加害者になっているという、二重の苦しみを味わいます。


幼少期に傷を受けると、精神的な成長は阻害されて遅れるようです。

30歳代、40歳代になっても、舌足らずで甘えん坊な人が多くいます。


幼児性が残っていますから、自立して生計を立てる勇気がありません。

誰かの庇護の中にいなければ、不安でしかたがありません。


最近問題視されている「パラサイト」の中には、この原因がある人も

いると思います。


LORANではこのような人に、傷の部分へ刺さっているガラス片をイメージ

していただき、それを抜き取るヒーリングをして効果を上げています。


毎日自分でヒーリングできるように、教室を開催しています。

これを使えば、前世、過去生で受けた傷の修復も可能です。


現在の世界が平和にならないのは、このように傷を受けた人同士が、

更に傷を広げているからでしょう。

一人ひとりが平和にならなければ、世界の平和は実現しないでしょう。


2007年01月15日(月) 常識の嘘??


常識は、本当のことと信じられています。

裁判でも、常識が正当な主張に組み入れられます。


常識が時代によって変わってきたことは、知られています。

地球が球体であると信じられたのは、それほど昔ではありません。


1676年、オランダのレーウェン・フックが150倍の顕微鏡を

発明するまで、細菌の発見は待たなければなりませんでした。


それまでは病気や天災は悪魔の仕業とされていたのです。

1487年、北ドイツの修道院でドミニコ派の修道士・シュプレンガー

が、「マレウス・マレフィルカム(魔女の槌)」という名の本を

書き上げました。


これ以後、300年間に渡って多くの人々が魔女裁判によって死刑に

されてしまいました。


異端尋問は10世紀のフランスのカタリ派への宗教弾圧からと言われて

います。カトリック聖職者の堕落に嫌気を起こした宗教的に真剣な人々

が、宗教者と国家権力によって弾圧されたのです。


中国の「文化大革命」では、弾圧で2000万人が犠牲になりました。


このように常識は、時の権力者の都合によって操作されてきました。

愛国心でさえ、国民は権力者の権威の存続のために利用されています。


「国敗れて山河あり・・」は杜甫の春望という漢詩ですが、愛国心は

国が勝っても、負けても、自分の郷里を愛するから誰にもあります。


しかし権力者は、戦争に負ければ権力を失うのですから、国民を

犠牲にしてまで、権力を守ろうとします。


戦時中の「1億玉砕」などというスローガンがそうです。

このように、常識は常に操作されたものであると認識すべきです。

単純に言われた命令に従順であることは、自分の考えが無いからです。


日本人は論争嫌いと言われています。

「長いモノには巻かれろ」意識が強いのでしょう。


たまたま60年間の平和が続きました。

政府は防衛庁を昇格して、戦争に向かっています。


このままでは、なんの抵抗もしないうちに戦争へ駆り立てられるでしょう。









2007年01月14日(日) 夜明け前


空にも、地にも光は至らず

静寂がすべてを支配している。


空に煌めく星が宿り

人はまだ寝息を立てている。


風はなく、木々も眠り、

鳥も、その枝に眠っている。


山の雪は深く

山もまた春まで眠る。


静寂もまた、命の営みにして

その揺籃に、命は育まれている。


眠れ、命よ

安らかに ひそやかに。




かすかに東の空が白み

星は光を消す


頭上まで 白んで来ると

東に朱色の光が現れる


まだ人々の多くは

暖かな布団にまどろむ


1日で最も厳粛な儀式が

いま正に始まる


この世界が

闇から光に変わるとき


生命が再び蘇るとき

眠れる意識が還ってくるとき


それがいまこの瞬間に

静寂の中で始まる


すべてに祝福がある

すべてに歓びがある




2007年01月13日(土) 主人公は遺伝子??


あなたが誰かに惹かれる理由を知っていますか?

あなたはどうして、そんなに恋焦がれるのですか?


その理由は「遺伝子」だそうです。

あなたの肉体は、遺伝子の「乗り物」に過ぎません。


ですから、肉体の欲求はすべて遺伝子によるものです。

「三大欲望」と呼ばれる、「食欲」、「性欲」、「睡眠欲」は、

遺伝子が乗り物である肉体を健康に維持するためのものです。


遺伝子は自分がより完璧になるために、つまり自分が永遠に

行き続けるために、自分に不足している要素を取り込もうと

します。


それで、背の低い人が背の高い人に魅力を感じます。

自分に無いものが魅力に感じます。


その遺伝子も数十億年もかけて、多種多彩に変化してきました。

最初の遺伝子は、極めて単純だったのでしょう。


地球上に動物と植物の種(しゅ)が、200万種も存在します。

遺伝子は変化することで、環境の激変に対応してきたのでしょう。


そしていま、あなたがいます。

あなたは自分の種を、どのように残そうとしているのでしょうか?


あなたが魅力的と思う相手と結婚して、子どもをもうけるのは、

あなたの支配者である遺伝子の意思によるものです。


そうでなければ、あなたという「ヒト科」の種は滅亡してしまいます。

こう考えても、いま人類がしている環境破壊は、遺伝子の望む方向

ではありません。


さてさて、人類の遺伝子は暴走してしまったのでしょうか?








2007年01月12日(金) 季氏の憂い


孔子が書いた「論語」に「季氏の憂い」があります。

季氏(魯国の家老)が「せんゆ」という隣国の城を攻めようとしました。

李氏に仕えていた孔子の弟子から、それを聞いた孔子の話です。


「せんゆ」は要害堅固で李氏の居城に近く、このままにして置けば、

 李氏の子孫に憂いを残すという理由でした。


孔子はこう言いました。

「それは野心を隠す口実である。政治をする者のつとめは、

 人民の生活を安定させ、不平等を無くし、安心して暮らせるようにする

 ことである。民生の安定が国を安泰にする。

 他国を従えたければ武力ではなく、文化の力によるべきである。

 文化的名優越によって他国から慕われ、来た人の生活を保障すればいい。

 李氏が心配すべきことは隣国ではなく、自分の国内である。」


今から2560年も前に生まれた孔子の言葉は明快です。

世界を制覇したアメリカに教えてあげたい言葉です。


2007年01月11日(木) やがて悲しき・・・


「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」は、芭蕉の最高

傑作の一つと言われています。


この世は、この句によく似ています。

「おもしろうて やがて悲しき 老後かな」とすれば、

多くの人の共感を得るでしょう。


お釈迦様は仏教の開祖で、人類史上最高の意識存在だと思います。

彼の偉大なことは、民衆に「絶対的否定」からの出発を説いた

ところにあると思います。


お釈迦様ご自身が、当時最高の権威である王子と暮らしを捨てました。

愛する両親と妻と息子を捨てました。


そして真実を求めて、導師を探し、7年間の苦行をされました。

しかし苦行からは何も生まれないことに気づき、山を下りてから

悟りを得ました。


この世界が生老病死などの四苦八苦から逃れられない世界であり、

その「絶対的否定」の中から、「蓮の花が咲く」と説きました。


それを得るためには、すべての執着から離れなければならない。

農耕以前の採集生活のように、その日その日を喜捨によって生きる

ことを勧めました。


私はどこの宗教にも属していません。敢えて言えば我流です。

しかし、この教えは実に真理を説いています。


現在のように、モノとカネが人を支配している時代には、とても

必要な考え方です。


モノとカネに支配されている限り、いかに努力しても自分が解放され

ることは不可能でしょう。


私は自分の中の自分が、本当の自分であるかどうかに関心があります。

自分と信じている自分は、自分が作り上げた自分であり、感情に支配

された自分です。


お釈迦様は、これから解脱することを説きました。

私は、これを処理すればいいと思います。それは可能です。





2007年01月10日(水) 真実とは??


真実とはなんでしょうか?

人は真実を求めます。


大自然の真実、深海の真実、宇宙の真実、歴史の真実などなど。

真実の愛、真実の言葉などとも使われます。


では真実とは本当にあるのでしょうか?

大自然や深海や宇宙は不変ではありません。


人のこころも、生命も不変ではありません。

永遠の愛を誓っても、20パーセントのカップルが破局を迎えます。


夜空に煌めく星の光は、何万光年も離れている星の光です。

その星が消滅してから、何万年もしてから星の光が消えます。


でも感じるものは真実でしょう?

そうでしょうか。


不幸にして腕を失った人が、無くなった腕にかゆみや痛みを感じる

ことがあるそうです。


あなたは、まるで現実のようにリアルな夢を見たことがありませんか?

私は何回も見たことがあります。


風景の遥かかなたまでが、もの凄く精緻に美しく見えました。

数km先まで、1mm単位で見えているのには驚きました。


上空から見た樹木は、葉の1枚1枚の葉脈や葉の組織までがリアルに

見えました。

色彩はまるで燃えるように、生き生きと煌めいていました。


このような夢と較べたら、現実はとても色あせて見えます。

どちらが現実で、どちらが夢なのか、判別が難しいと思います。


人は周囲の人の意見を自分の意見よりも、重視する傾向があります。

自分が思うことが他の人と異なると、敢えて言わない方を選びます。


こうして自分の真実を忘れてしまいます。

自分には真実は無く、自分以外が真実になります。


その自分も、現実と夢は、どちらが真実の現実と夢かわかりません。

せめて、いまの自分を真実の自分と信じたいですね。


2007年01月09日(火) 愛媛のセミナーから帰りました。


今夕羽田空港へ到着し、先程富士市へ帰りました。

所用を済ませて、明日中に千葉県の自宅へ帰ります。


今回の愛媛県宇和島市での3日間は、とても感慨深いものがありました。

第一日目は「1日リラックスワーク」を開催しました。


出発まえに様々な資料を作り、印刷し、カバンに詰めて持参します。

他の資料は80GBのポータブルハードディスクへ入れてあります。

これで、行き先でどのような対応も可能です。


私は参加者の皆様の顔ぶれを見てから、その日のテーマを決めます。

今回は「かって自分が受けた傷の修復」でした。


そんなことができるのかと、思われる方もいるでしょうね。

個人個人の程度の差はありますが、確かにできます。


私の得意技は「誘導瞑想法」です。

深い瞑想状態に入れば、イメージは難しくありません。


その状態で過去の傷を確認し、それを修復します。

これは外科的なイメージですから、傷の内容の如何を問いません。


来月今回の皆様とお目にかかりますので、結果が楽しみです。


昨朝の瞑想は参加者としました。

宇和島の日の出が遅いので、室内で行いました。


自分の中の宇宙にアクセスしました。

そこには地球と自然があり、とても平和で穏やかでした。


さんさんと降り注ぐ太陽、さわやかで香しい風、穏やかな海がありました。

それを体験することで、自分自身がとても穏やかになりました。


「自分の内部の世界反映が、外部の世界です。」

いくら世界平和を叫んでも、大きな効果は期待できません。


なぜなら自分の内部が平和でないからです。

ご本人が悲しみや怒りでいっぱいになっているからです。


しかし、もっと深い内部にはとても穏やかな世界があります。

それを体験していただきました。


多くの人に体験していただけたなら、きっと世界は平和になるでしょう。







2007年01月04日(木) 明日から愛媛県です。



昨日は娘一家が富士市へ帰り、今日は息子夫婦が札幌へ帰りました。

明日は私たちが、羽田空港から松山空港へ飛びます。


丁度1ヶ月前、羽田空港の駐車場の手前で、落下物を跳ね飛ばして

車のターボを壊してしまいました。

全額保険で済みましたし、予定に変更も生じませんでした。


お陰さまで、毎月各地へ旅をすることができます。

とてもありがたいことと、感謝しています。


話は変わりますが、


「この度、資金洗浄及びテロ資金供与防止に向けた国際的要請により」


今日から、銀行などの金融機関で10万円超の現金振り込みをする際に、

本人確認を義務づける新ルールが始まりました。

こんなことをして、どれほどの防止効果があるというのでしょうか?


空港や駅、電車の車内などで、「危険物の発見に・・・」といつも

アナウンスされていますが、これらは国民に敵の存在を意識させる

ためにとられている緊張誘導法だと思います。


こうして「敵がいる。敵がいる。」と意識させることで、敵への

攻撃が容易になるという作戦です。


皆さまはどうぞこのような誘導に引っかからないようにしてください。

地域でも、防犯と称して警備のステッカーを貼り、ブルーのパトライトを

点滅させてパトロールしているお年寄りを見かけます。


善意のつもりでしょうが、国民へ緊張を振りまくお手伝いなのです。

戦争体験があるのでしょうから、どうして「戦争反対」を言わないのでしょう。


私たち、いわゆる「精神世界」に携わる仲間も、本気で「愛と平和」の

実現に力を尽くさなければなりません。


それでなければ、いま行っていることは、実際には役に立たないことに

なります。


どうぞ、皆さまも勇気を出してください。

「愛と平和」は待っていても来ないのですから。









2007年01月03日(水) 意識不明??



「意識不明」と言っても、「人事不省」のことではありません。

しっかり意識はあるのですが、自分がなにをしていいのか分からないのです。


そう言うと、「自分は仕事や趣味に打ち込んでいるから大丈夫。」と言う人もいるでしょうね。

残念ですが、それも自分がすることが分からないので、取りあえず皆がいいと言うことを

しているに過ぎません。


「えー、ではどういう状態が、意識で生きているのですか?」と尋ねるでしょうね。

分からない状態の人に、分からないことを説明するのですから、とても難しいのですが、

敢えて、理解することが無理でも説明させていただきます。


「意識」と言っても、様々な意識があります。

女神か観音様のように、慈悲深い意識があります。


同じ人の中に、ごきぶりを見つけたら、たちまち殺してしまう残虐な意識があります。

嫉妬心もあれば、過去に自分を傷つけた人への呪いもあります。


これらの無数の意識が渾然となっているのが、人の意識です。

ですから、「どれがあなたの意識ですか?」とたずねられても、簡単には答えられません。

「人は神にも、鬼にもなれる。」という言葉は本当なのです。


更に、最近は家事や育児に昔ほど手がかからなくなったせいでしょうか?

子どもが成長して働き出した頃、母親が不安で病気になるケースが増えています。


昔は貧しい上に、子沢山で、母親は家事と育児でくたくたになっていました。

子ども一人ひとりの要求に、応じきれない状態でした。


しかし少子化と幼稚園、保育園に子どもを預けることができるようになって、

母親は要求された母親の役割を、完全に演じることができる環境になりました。


その結果、自分が演じている母親の役割を、自分と錯覚してしまいました。

子どもが成長して親離れして、母親を求めなくなると、母親は役割がなくなりました。


母親の役割を演じなくてもいいのですから、とても楽になったはずなのに、

母親の役割以前を忘れてしまったので、どうしていいのか判らなくなってしまいました。


このように、自分が演じている役割を、自分と信じている人が殆どです。

生まれてくる前に決めた、この人生で達成する目的を忘れてしまいました。


自分の主人公である本質の存在すら忘れてしまいました。

周囲の人の言葉を聞き、それを自分に当てはめて生きています。


本来必要がない、他人の評価や財産を増やすことが人生の目的になってしまいました。

これらの原因は、自分の本来の意識が行方不明であることです。


自分という馬が、「本来の意識」という乗り手を落として暴走している状態です。

現代の人類の混乱の原因は、ここにあると思われます。


どうぞ、あなたの意識が行方不明になっていませんように。



2007年01月02日(火) 上と下??


上という字は、一の上に人と書きます。

下という字は、一の下に人と書きます。


福沢諭吉は「学問のすすめ」の中で、「天は人の上に人を作らず、

人の下に人を作らずと言えり。・・」と書きましたが、

残念なことに現実は未だにそうはなっていません。


明治維新で西洋思想が輸入されてから約140年が過ぎ、「自由、

平等、公平」は一般化したはずですが、おかしなことですね。


日本人は世界で最も秩序を重んじている民族のようです。

1995年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」での整然とした

市民の態度は、海外からの特派員に驚異の目を見張らせました。


それはとてもすばらしいことですが、「すべてお上(おかみ)

志向」には困ったものです。


その顕著な例が、TBS TV のドラマ・「水戸黄門シリーズ」

でしょう。

1969年8月放映開始以来の超長寿番組で、2003年12月に「1000回」

を記録し、更に記録を更新中です。


「勧善懲悪」を絵に描いたような作品で、真面目に働いていれば、

いつか必ず報いられると説いています。


まさに儒教の教え通りですが、ここには受身の正義しかありません。

それまでじっと耐え忍んでいれば、「黄門様」=国家権力が救って

くれるという、前時代的な発想が踏襲されています。

これでは殆ど、信仰の世界です。


このような事実を見て思うのは、「下」の世界に住む民衆は我慢、

忍耐しなければならないという教えの徹底です。


それが自分にとって、どれほど受け入れられない条件であってもです。

戦争になって、「徴兵制度」になったら、文句を言わないで、国の

ために戦って死ぬことが美徳です。殉死が美徳なのです。


私にはこの意味がわかりません。

もしも私の息子に「徴兵通知」が来たら、例え密航しても死なせない

でしょう。

私にとっては国家よりも、家族が大切です。


62年前の戦争では、戦争に反対した人たちは「非国民」と言われまし

た。それを言うのも民衆でした。


民衆は「戦争反対」と言わないことで、戦争を支持しています。

企業経営者の中には、「こんな不景気では、戦争でも起きなければ」

と、戦争待望を真顔で言っている人さえいました。


暴力に暴力で対抗することがどれほど愚かであったかは、歴史が証明

しています。


欧米の思想を「キリスト教原理主義」といいます。

生まれた赤ちゃんは洗礼を受けますし、結婚式には教会で、大統領は

就任式で聖書に誓います。


しかしその民衆は、約2000年前、イエスを十字架へかけたのでした。

エルサレムにいたローマ帝国の提督・ピラトはイエスの罪状を認めな

かったので、ユダヤ教のラビと民衆がリンチ(私刑)にしたのでした。


中国の魏 曹植は漢詩に書きました。

「豆を煮るに豆(まめがら)を燃やせば,豆は釜中に在りて泣く。

 本(もと)是れ同根に生ぜしに,相ひ煎(に)ること 何ぞ

 太(はなは)だ 急なる」


このような歴史を繰り返すことは、人類の悲劇が続くことです。

いまこの時代に生きる私たちの義務は、子孫へ悲劇を渡さないことです。


いつまでも、お金や権力、権威に夢中になっていたら、同じ過ちを

繰り返すことになります。


静かなお正月です。

この平和がいつまでも続きますように。


2007年01月01日(月) 明けましておめでとうございます。



皆さまには良いお年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

私たち家族は、先ほど初日の出を見て参りました。


水平線上に厚い雲の帯があり、それを越してからの日の出でした。

なにか今年を暗示しているかのようでした。


雲の下に一瞬赤い光が見え、しばらくして雲間に一文字の赤い光が

現れました。


その後、雲の上に燦然と輝く日の出が見られました。


いまは厚い雲に覆われていますが、その中にも太陽はあります。

そして雲を乗り越えて、太陽は光を現すのでしょう。


この雲は、私たちの心の雲なのでしょう。

迷いや悩み、悲しみや怒りなどの感情のことでしょう。


いつまでも神頼みや人頼み、金頼みでは、日の出はないのでしょう。

いつも太陽は出ているのですから、感情を消すだけでいいと思います。


そのためには、自分に近づく必要があります。

自分と思っているのは自分の感情ですから、とても厄介です。


感情の自分はとても否定的です。

「できっこないよ。」

「どうせやってもムダだよ。」


さらに、「そんなことするなよ。」

もっと凄くなると、「やったら殺すぞ。」

本当にそう言われた人が何人もいます。

自分にですよ。


自分は感情の中にいるので、まるで「ぼたもち」のようです。

「ぼたもち」のあんが感情なので、感情に支配されます。


どうぞ自分のあんを減らしてください。

どこか一箇所、あんがとれて、ご飯が現れたら支配から抜け出せます。


今年があなたにとって、真実に近づく年でありますように。

あなたにいつも平和がありますように。

あなたにいつも祝福がありますように。


どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。


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