non-fiction.



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halu



2009年01月29日(木)
存在義務。

生まれてこなければよかった。
そう思った回数は数えきれない。
でも私は生きている。死ぬのは怖いから。

不安にかられる。
逃れようのない、暗闇に追われる。
たすけてと、叫ぶことはできるし、
たすけてと、言える相手も居るはずなのに、
私はその行為を躊躇う。
不安は妄想を呼び起こして、
妄想は私を縛り付ける。
逃げられないように。
がんじがらめ。


不安な気持ちの原因は、
ただの就職ブルーですか?
就職すればおさまるのですか?

予定いっぱいにバイトを詰め込んで、
肉体疲労を溜め込む。
お金は欲しいけど、意味なんかない。

見た目は変わらないけれど、頬はまだ軽く打ち身。
あざができればかなしくなるだろうか。

2009年01月24日(土)
自分を、殴る。

傷が出来ない。
痕が残らない。
やりすぎなければ誰にもばれない。
だから、
私は自分を殴る。
もちろん痛い。
けど、その痛みと熱は、私を慰める。
リストカットとの重みの対比は比べ物にならなくて、
比べようもないほど等価。
このままでは、
私は何処にも行けない。
社会人になるまで、あと2ヶ月と少し。
何処にもいけないまま。
病院とも距離をとらなくてはならなくて、
強くなるために働かなければならなくて。


私は恋人に見捨てられないのだと、気づいた。
「こんなどうしようもない自分」の、証明が欲しい。
あの人は、
私に最後まで優しかった。
優しくて優しいことばばかりをかけて、
そして居なくなった。
恋人もまた、
あの人のように居なくなるのだろうと、
私はその妄想から逃れられない。

家族になりたいと望んだ。
同じ姓を名乗ることを望んだ。
ほかには何も要らなかった。

「今」が、私にとっての最後。
だから、
もし恋人に見捨てられたら、
私はまたシロクロの世界で、
イロのない世界で。
今度はすべてに目を閉じて。
本当の暗闇のなかで生きていこうと決めた。


痛みは私を慰めて、そして、イロのある世界に繋ぎとめる。
その糸は細く頼りなく、
かけがえのない。

いつか顔にあざが出来るくらい殴らなければ満足出来なくなったら、
私はどうするのだろう?
腕を縛ればいいのだろうか。
腕を切り落とせばいいのだろうか。
顔をなくせばいいのだろうか。



誰かと過ごす時間は自分を劣化させる。
孤独は強い。
けれど、冷たく空白に満ちている。
劣化していくばかりの自分を、
自分自身で、殴りつける。
手首の血管が波打っているのを見ていると疼く。
此処を切り開いたら、
どれだけの血が流れるのだろうか。


死ねるのだろうか。

2009年01月17日(土)
■発覚、停学。

高校2年の2月。
通院を始めて薬物療法をはじめても、
私のリストカットは一向に納まらなかった。
処方された安定剤もまったく効かなくて、
(何でこんなものを飲んでいるんだろう)と思っていた。
毎日はいらいらと、理由のない焦燥感で埋め尽くされていた。
授業中の苛立ちはとうに臨界点をこえていて、

その日、
私は授業中に、
腹痛を理由にトイレに立った。

制服はブレザーで、
その内ポケットには、
常にカッターが入っていた。
毎日使っていたわけではないけれど、
いつでも切れると思うと安心した。
お守り代わりのような、ものだった。

普段はあまり人の使わないトイレに入る。
切った。
そのころはあまり深くは切れなかったので、
血が滴ることはほとんどなかった。
けれどその日は違った。
ぼたぼた、血が滴って、上靴を汚した。床に。
発作的に、
左手の甲を斜めに切った。
到底隠すことの出来ない場所。
苦しかった。
全身が震えたのは、
寒かったせいじゃない。

保健室に行った。
その日はそのまま、
母親が迎えに来て、
早退した。

次の日から、
私は「しばらく休みなさい」といわれて、
2週間休むように告げられた。
事実上の停学だった。


中高一貫校だった。
中学時代、私は勉強は出来なかったけれど優等生だった。
中学の先生はみんな、驚いたという。


学年主任と担任が並んで座っていた。
親が呼び出された。
生徒は誰も何も知らなかったけれど、
教師たちの間で、
「私のこと」は周知の事実となった。

2009年01月16日(金)
■発覚、通院。

17歳の正月。
祖母の家に帰省していた夜、
母親にリストカットがばれた。
どういう経緯だったかは覚えていない。
けれど、
「どうしてそんなことをするのかわからない」
と、母親は言った。
「どうして?」
に類似したことを何度も聞かれたけれど、
私はなんにもこたえられなかった。

そのあとしばらくして、
私は精神病院にいくことになった。
精神保健福祉センターに電話をした母が、
とりあえず病院にいくことを勧められたから。

「病院にいったほうがいいですよ」
電話のひとはそう言ったという。

連れて行かれた病院は、今まで行ったどの病院よりも綺麗だった。
生まれてからこれまでのことを話した。
私と、母親と。別々に。

安定剤が処方された。
妙な気分だった。

私はそのときから「病人」になった。

2009年01月12日(月)
傷の責め。

痕が無数にある。
色が濃く目立つものを、
少しでも目立たなくしようと、
去年の秋から形成外科に通って治療している。
ステロイドを局所注射して、
赤みを落ち着かせる。
けれどそれにはたくさんの時間がかかる。
注射を打ったあとは、
逆に傷跡は目立つ。

バイトは半そで。
飲食店で調理をしている。
お客さんの前に出ることはめったにない。
けれど、
職場の子の目にはさらされる。
彼や彼女たちの目が、
私の傷跡に一瞬止まる。
けれど何も言わない。
それがエチケットか。
けれどならばせめて、
視線すら止めないで欲しい。

差別されているかもしれない。
今はしていないとは言っても、
所詮リストカッターに社会的立場なんてない。
「あたまのおかしい人」と、
思われることには慣れても、
感情はいつまでも慣れずに歪む。

私は、
気づかないフリをしてやり過ごす。


壊れてしまうのなら、
戻ってこられないほどに壊れてしまえばよかった。
長い時間をかけて中途半端に、
私は社会復帰を遂げて、
愛想と社会性を身につけて。
心は弱いまま。
弱さをひた隠すことを覚えた。

傷跡が私を責める。
お前なんかが倖せになれるわけがないという。
甘んじて差別を受けろという。

恋人は私を受け入れてくれた。
けれど、彼の家族はどうだろう?
友人はどうだろう?
彼の周りの人間までもが、私を受け入れてくれるとは限らない。
反対や拒絶に、人は弱い。


それでも期待してしまう。
それこそが、
私の弱さなのだと思う。

2009年01月11日(日)
自分:発作:恋人

不安にとらわれる。
それを抑えようと、
見ないようにしようと、
誤魔化そうと、
蓋をするために、
快楽を求めようとする。
でもそんな一方通行なセックスは成立なんてしなくて、
名前を呼ばれる。何度も問いかけられる。
「どうしたの?」
そのたびに、
私の心に亀裂が入る。
ひび割れだらけの心は、
内側の不安に圧迫されて、粉々になる。
あふれ出したモノは、
涙と叫び声と、
やり場なく暴れる躰。
興奮して息が出来なくて、
過呼吸みたいになって。
「落ち着いて」
そういわれて、
ビニール袋を口に当てられる。
同じテンポで背中を叩く。
涙とよだれとぐしゃぐしゃになった髪でさえぎられた視界。
声は叫び声と泣き声と笑い声が混ざり合って。
その間、
何を考えていたのか覚えていない。
たぶん、
何にも考えていない。
そこには「暴れる私」が居ただけだ。
すべてを覚えている。
記憶が飛ぶことはまずない。
暴れる自分を、
冷静に観察している自分が居る。

不安定な自分が居る。
喪失感に怯える自分が居る。
見捨てられる「かもしれない」ことに怯える自分が居る。
いちばんにはなれない自分に淋しくなる。
恋人の帰る家が此処ではないことに、
どうしようもなく哀しくなる自分が居る。

いつか。

こんな発作を繰り返す私は、
彼にとって重荷になるのだろう。
嫌いにはならないかもしれない。
けれど、負担は負担でしかなく、
負担はストレスになる。
私と一緒に居るよりも、
誰か、
ほかの誰かと居たほうが倖せだと知っている。
気を遣うこともなく発作を恐れることもなく、
いつも気楽に、笑っていられる。
そういう関係のほうが良いことなんてわかりきっている。
知っていて、私は彼を離さない。
そばに居て欲しいと願う。


いつか愛した人は、
最後に、私に言った。

「俺には君を支えるだけの器がなかった」

そんなもの、求めたつもりなんてなかった。
けれど、
壊れた私は、その人の負担でしかなかった。
苦しかった私を救ってくれたその人は、
結局、
私をもっと苦しくした。
もっと底に落とした。
それが、
繰り返されるような、
そんな気がする。


ずっと一緒に居ることが無理ならそれで構わない。
法の縛りも子どもも望まない。
私に、倖せを奪う権利なんてない。
ならばせめてそのときまで笑っていられればいい。
そう思うのに、
どうしてか、
私の心は痛みに軋む。

かつては死を望んだ。
今は、
本当の孤独を望んでいる。
それが死よりも苦痛を伴うこととわかっていて、
でも同時に、
何よりの強さだとも、わかっている。

2009年01月10日(土)
発作。

あたまがおかしくなる
こえにならない





気が狂う

2009年01月02日(金)
■分離選択。

高校2年に進級するとき、
文理選択をしなければならなかった。
私はとにかく数学がわからなくて、
文系に進んだ。
親しい友人たちはみな、理系に進んだ。
文系クラスに親しい友人はなく、
「勉強なんかキライ」という、
派手で騒がしい子ばかりが集まった。
私の苦手な子たちばかりだった。

私は彼女たちから「変わった子」という印象で、
何かするたびに、
「やだーウケるー」
といった、笑いの対象だった。
多分その笑いに悪意はなかった。
けれど、
私はそれが嫌だった。
授業中もうるさかった。
日本史が好きだった。その授業がいちばんうるさかった。
私は先生の話が聞きたかった。
それは毎回、休憩時間と大差ない話し声に妨害された。
先生は怒った。
けれど若い先生だったせいもあって、
みんなナメきっていて、
誰もそんなのに耳を貸さなかった。
毎日がストレスだった。

学校が、嫌いになった。

毎日いらいらしていた。
幼いころから、私はつめきりを使わない子だった。
ストレスが溜まると、
血がでるまで、爪を短くむしった。
常に深爪だった。

秋、胃を壊した。
今まででいちばん体重が多かった。
常に頭が痛かった。
いつもいつも、あたまの片側が痛かった。

部活は好きだった。
部室にいるときだけは、
楽しいと思えた。

リストカットをし始めた。
いらいらしている自分が嫌だった。
誰かに悪意を持つ自分を赦せなかった。
ストレスを与えてくる周りが赦せなかった。
手首の傷は毎日少しずつ確実に増えていって、
隠すためにリストバントをつけ始めた。

そのころ、
私はウェブ上で、ひとつの日記を書き始めた。
私とは違うもうひとりを作り上げた。
リストカットやいらいらや、
そういう醜いものすべては、
「彼女」がしていることにした。
そうすることによって、
私はほんの少しだけ、
救われていた。


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