non-fiction.



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halu



2009年02月28日(土)
■優しさの重み。

ものが食べられなくなってから、
当時付き合っていたNさんが、
毎日仕事終わりに家に来てくれるようになった。
私は神奈川に住んでいて、彼は都内在住。
片道1時間強を、仕事が終わって、毎日。
だいたい19時くらいに来て、22時くらいに帰っていった。
ご飯を作ってくれた。
私はそれを、ほんの少しだけ、食べた。
なんでもない話をして、笑ったりもした。
けれど、ちょっとしたことでパニックになって暴れたことも多かった。
私の手首には毎日新しい傷が出来て、
床には血のあとが残っていた。


ベッドの上で寝転がったまま手首を切って、
手首をたらして、
フローリングの床に血溜まりを作るのが好きだった。
何を求めていたのかわからないけれど、
死ねないくせに、死ねるみたいで。
たぶん、安心していたんだと思う。


毎日来てくれるNさんは、優しかった。
けれどその優しさが、次第に重くなっていった。

だから私は嘘をついた。
「明日からお母さんが来てくれるから、もう大丈夫だよ」
本当は来なかったのに。

最後の日、
Nさんとセックスをした。
私の体力は皆無に等しかったから、
良かったのかどうかはわからないけれど。
なんとなく、そうしたかった。

2009年02月25日(水)
「最後」のひかり。

二度目の能動的な恋愛は、
私にとって、「最後」の恋愛でもある。
求められれば、私は私を望んでくれる人と共にあろうとする。
けれど、私は二度と、
能動的に他人を求めはしない。
傷つくのは、もうたくさん。
たった一度の失敗で、
と人はいうかもしれない。
でもその一度は、私に大きな傷痕を残した。
同じだけ課題も残した。
私は、今それを活かせているだろうか。
わたらない。
けれど。


あの頃愛したあの人にまた出会うことがあっても、
今はもう不安はない。
「さよなら」でもなく「ありがとう」でもなく、
「ごめん」が、きっと言える。
別れてからの3年で、私はきっとあの頃よりかは強くなったはずだから。

2009年02月14日(土)
喪失する恐怖。

「終わりにしよう」のことばが、
私のなかにすとんと落ちて、
私はそれを探すように、
斜め下に視線を泳がせる。
想像のなかで何度も想像したそれよりも、
現実のことばは重くあっけなく。

抵抗した。
矛盾していると思っても、
嫌だった。
壊したくない。
けれど、
離れたくない。
優しさを優先するのなら、
私は彼から離れたほうがいいと思った。
なのに。
結局私は、
自分が可愛くて、
自分を甘やかす。

そばに居たい。

最後だから。
でも、
もしもこれが最後ではなくても。
彼を失う怖さは、
今までに感じたことのないもので。

失うことは怖い。
そばに居られたらと思う。
いつか、
どうしようもなく離れてしまう日まで。
それまで、
どうか、
そばに居られたら。


私の左薬指には指輪がある。
まだある。
まだ、
存在している。

傷つけられる恐怖を、
生きている限り避けられなくても。
傷つける恐怖を、
生きていく限り避けられなくても。

もう一度、
本当に信じてみようと思った。

「そばにいよう」

その「結論」が、
独りよがりでなければいい。
そのことばが、
ふたりの共通であれば良い。

2009年02月10日(火)
■2004年10月12日。

ものが食べられなくなった。
水も飲めなくなった。
あまりに突然で、私は苛立っていた。

予兆はあった。
夏ごろから、私は週に3、4回嘔吐を繰り返していた。
躰の不調はなく、
ただ吐きたいから、吐いていた。
そのとき付き合っていた年上の恋人とも、
上手くいかないことが多かった。
彼は私のことを真剣に愛してくれた。
けれど私はそれをそのまま受け入れることは出来なくて、
愛される自分を否定し続けていた。
私は乖離を起こすようになっていたし、
リストカットの回数も増えていく一方だった。


2004年10月12日。
曇り空は重く、雨が降っていた。
禁煙の談話室でたばこを吸っている上級生に、
私は苛立ちからけんかをふっかけた。
その場に居た講師のおかげで事なきを得たけれど、
私はひどい興奮状態で、
人前なのに涙が止まらなかった。

帰り道、
そのとき入っていたサークルの上級生ふたりと歩いているとき、
私は横道にひとり入り、
手首を切った。
そして、そのうちのひとりに、「たすけて」と、メールを送った。

血は道路を汚し、
服を汚した。

どうやって帰ったのか覚えていない。
つれて帰ってもらったような気がする。
自力で帰ったような気がする。


雨が降っていた。
寒かった。


翌日から、起き上がることすら、出来なくなって、
学校に行けなくなった。
固形物はほぼ何も食べられなくなり、
食べてもすべて吐いた。
液体も口に含む程度しか飲めなくなった。
少しでも量が多ければ、
それすらもすべて、吐いた。

体重は1週間足らずで7キロ強落ちた。
私の手首には常に、
たくさんの生傷があった。
ごみばこのなかはいつでも、
赤いティッシュで埋まっていた。

2009年02月09日(月)
■18歳の友達作り。

人見知りで、知らない人に話しかけるのは苦手だった。
いつもいつも、
自分に興味を持って話しかけてもらうのを待っていた。
中学のころはそれでなんとかなった。
部活のときは、頑張って自分から話しかけた。
高校は一貫校だったからその延長線で、関係なかった。

18歳と12歳は違う。

「友達」は出来なかった。
話しかけてくれる子は居た。
けれど、私はそれにどう返していいのかわからなくなっていた。
気持ちでは私はいつも、「友達」を欲していた。
けれど、
表面上の私はいつも、ひとりで平気だった。

やがて、
「それ」はゆっくりと、私のなかに溜まっていった。

2009年02月08日(日)
誰の幸福を祈るか。

「明日は家でゆっくりしたいから」

きっかけは、ほんのひとことだった。
此処は恋人にとっての、帰る家ではない。
私は家族ではない。
忙しいのに時間を作って会いに来てくれる。
それは「愛情」という行為にほかならないはずなのに、
私はそれに対して罪悪感を得る。
本当は家でゆっくりしていたほうがよかったんじゃないのか、と。
どうしても気を遣ってしまう私のそばにいるよりも。
気を遣わない家族の元に居たほうがいいんじゃないだろうか。

たくさん顔を殴った。
止められた。けど私は止めなかった。
涙は出なかった。
何も考えられなくて、なんにもことばが出なかった。

恋人は苦しんでいた。
呻いてもがいて、
最後には、ただ言葉にならない声を発しながら涙を流した。
私の声も届かないで。
ただ私をじっと見た。
怖かった。逸らしたかったけれど、逸らしてはいけないと思った。
怖かったけれど視線に視線を返した。

光のない涙に濡れた目は、
ことばはなく、わたしを責めているようだった。

ああ、
壊してしまう、
思った。

恋人は私の辛いところを背負いたいと言った。
そばで支えたいと言った。
けれど、彼の心はとても繊細で、決して丈夫でない。
私の問いかけには、いつも「大丈夫」と返す。
私が差し出す手を、取ろうとはしない。

壊してしまうのなら。
離れてしまったほうが良い、と思った。
壊れて欲しくない。
笑っていて欲しい。
倖せであって欲しい。

極論しか考えられないのは、もはやどうにもならないのか。
私のなかで「結論」が主張する。
でもそんなのは嫌だと、
「結論」以外の私は言う。
今日、外で少しだけ恋人の顔を見た。
何を話したわけではないけれど、なんだか安心した。
やっぱりそばに居たいんだと思った。
けれど、
どうしても、
私は傷つけたり苦しめたりすることしか出来ない。
はじめて、左の頬に赤あざが出来た。
輪郭がいびつで、それを髪の毛で隠す。

私自身の幸福を思うなら、
そばに居続ければいい。それに迷いはない。
けれど、彼の幸福を思うなら。
私は消えたほうがいいのかもしれない。



からっぽで、
痛くて、
淋しくて、
そわそわして、
なんだか、
哀しい。

これで最後なのに。
最後なのに、
やっぱり私は、
ちゃんと人を愛せない。
貰った愛情を対等に愛情で返せない。


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