halu
ものが食べられなくなってから、
当時付き合っていたNさんが、
毎日仕事終わりに家に来てくれるようになった。
私は神奈川に住んでいて、彼は都内在住。
片道1時間強を、仕事が終わって、毎日。
だいたい19時くらいに来て、22時くらいに帰っていった。
ご飯を作ってくれた。
私はそれを、ほんの少しだけ、食べた。
なんでもない話をして、笑ったりもした。
けれど、ちょっとしたことでパニックになって暴れたことも多かった。
私の手首には毎日新しい傷が出来て、
床には血のあとが残っていた。
ベッドの上で寝転がったまま手首を切って、
手首をたらして、
フローリングの床に血溜まりを作るのが好きだった。
何を求めていたのかわからないけれど、
死ねないくせに、死ねるみたいで。
たぶん、安心していたんだと思う。
毎日来てくれるNさんは、優しかった。
けれどその優しさが、次第に重くなっていった。
だから私は嘘をついた。
「明日からお母さんが来てくれるから、もう大丈夫だよ」
本当は来なかったのに。
最後の日、
Nさんとセックスをした。
私の体力は皆無に等しかったから、
良かったのかどうかはわからないけれど。
なんとなく、そうしたかった。
二度目の能動的な恋愛は、
私にとって、「最後」の恋愛でもある。
求められれば、私は私を望んでくれる人と共にあろうとする。
けれど、私は二度と、
能動的に他人を求めはしない。
傷つくのは、もうたくさん。
たった一度の失敗で、
と人はいうかもしれない。
でもその一度は、私に大きな傷痕を残した。
同じだけ課題も残した。
私は、今それを活かせているだろうか。
わたらない。
けれど。
あの頃愛したあの人にまた出会うことがあっても、
今はもう不安はない。
「さよなら」でもなく「ありがとう」でもなく、
「ごめん」が、きっと言える。
別れてからの3年で、私はきっとあの頃よりかは強くなったはずだから。
「終わりにしよう」のことばが、
私のなかにすとんと落ちて、
私はそれを探すように、
斜め下に視線を泳がせる。
想像のなかで何度も想像したそれよりも、
現実のことばは重くあっけなく。
抵抗した。
矛盾していると思っても、
嫌だった。
壊したくない。
けれど、
離れたくない。
優しさを優先するのなら、
私は彼から離れたほうがいいと思った。
なのに。
結局私は、
自分が可愛くて、
自分を甘やかす。
そばに居たい。
最後だから。
でも、
もしもこれが最後ではなくても。
彼を失う怖さは、
今までに感じたことのないもので。
失うことは怖い。
そばに居られたらと思う。
いつか、
どうしようもなく離れてしまう日まで。
それまで、
どうか、
そばに居られたら。
私の左薬指には指輪がある。
まだある。
まだ、
存在している。
傷つけられる恐怖を、
生きている限り避けられなくても。
傷つける恐怖を、
生きていく限り避けられなくても。
もう一度、
本当に信じてみようと思った。
「そばにいよう」
その「結論」が、
独りよがりでなければいい。
そのことばが、
ふたりの共通であれば良い。
ものが食べられなくなった。
水も飲めなくなった。
あまりに突然で、私は苛立っていた。
予兆はあった。
夏ごろから、私は週に3、4回嘔吐を繰り返していた。
躰の不調はなく、
ただ吐きたいから、吐いていた。
そのとき付き合っていた年上の恋人とも、
上手くいかないことが多かった。
彼は私のことを真剣に愛してくれた。
けれど私はそれをそのまま受け入れることは出来なくて、
愛される自分を否定し続けていた。
私は乖離を起こすようになっていたし、
リストカットの回数も増えていく一方だった。
2004年10月12日。
曇り空は重く、雨が降っていた。
禁煙の談話室でたばこを吸っている上級生に、
私は苛立ちからけんかをふっかけた。
その場に居た講師のおかげで事なきを得たけれど、
私はひどい興奮状態で、
人前なのに涙が止まらなかった。
帰り道、
そのとき入っていたサークルの上級生ふたりと歩いているとき、
私は横道にひとり入り、
手首を切った。
そして、そのうちのひとりに、「たすけて」と、メールを送った。
血は道路を汚し、
服を汚した。
どうやって帰ったのか覚えていない。
つれて帰ってもらったような気がする。
自力で帰ったような気がする。
雨が降っていた。
寒かった。
翌日から、起き上がることすら、出来なくなって、
学校に行けなくなった。
固形物はほぼ何も食べられなくなり、
食べてもすべて吐いた。
液体も口に含む程度しか飲めなくなった。
少しでも量が多ければ、
それすらもすべて、吐いた。
体重は1週間足らずで7キロ強落ちた。
私の手首には常に、
たくさんの生傷があった。
ごみばこのなかはいつでも、
赤いティッシュで埋まっていた。
人見知りで、知らない人に話しかけるのは苦手だった。
いつもいつも、
自分に興味を持って話しかけてもらうのを待っていた。
中学のころはそれでなんとかなった。
部活のときは、頑張って自分から話しかけた。
高校は一貫校だったからその延長線で、関係なかった。
18歳と12歳は違う。
「友達」は出来なかった。
話しかけてくれる子は居た。
けれど、私はそれにどう返していいのかわからなくなっていた。
気持ちでは私はいつも、「友達」を欲していた。
けれど、
表面上の私はいつも、ひとりで平気だった。
やがて、
「それ」はゆっくりと、私のなかに溜まっていった。
「明日は家でゆっくりしたいから」
きっかけは、ほんのひとことだった。
此処は恋人にとっての、帰る家ではない。
私は家族ではない。
忙しいのに時間を作って会いに来てくれる。
それは「愛情」という行為にほかならないはずなのに、
私はそれに対して罪悪感を得る。
本当は家でゆっくりしていたほうがよかったんじゃないのか、と。
どうしても気を遣ってしまう私のそばにいるよりも。
気を遣わない家族の元に居たほうがいいんじゃないだろうか。
たくさん顔を殴った。
止められた。けど私は止めなかった。
涙は出なかった。
何も考えられなくて、なんにもことばが出なかった。
恋人は苦しんでいた。
呻いてもがいて、
最後には、ただ言葉にならない声を発しながら涙を流した。
私の声も届かないで。
ただ私をじっと見た。
怖かった。逸らしたかったけれど、逸らしてはいけないと思った。
怖かったけれど視線に視線を返した。
光のない涙に濡れた目は、
ことばはなく、わたしを責めているようだった。
ああ、
壊してしまう、
思った。
恋人は私の辛いところを背負いたいと言った。
そばで支えたいと言った。
けれど、彼の心はとても繊細で、決して丈夫でない。
私の問いかけには、いつも「大丈夫」と返す。
私が差し出す手を、取ろうとはしない。
壊してしまうのなら。
離れてしまったほうが良い、と思った。
壊れて欲しくない。
笑っていて欲しい。
倖せであって欲しい。
極論しか考えられないのは、もはやどうにもならないのか。
私のなかで「結論」が主張する。
でもそんなのは嫌だと、
「結論」以外の私は言う。
今日、外で少しだけ恋人の顔を見た。
何を話したわけではないけれど、なんだか安心した。
やっぱりそばに居たいんだと思った。
けれど、
どうしても、
私は傷つけたり苦しめたりすることしか出来ない。
はじめて、左の頬に赤あざが出来た。
輪郭がいびつで、それを髪の毛で隠す。
私自身の幸福を思うなら、
そばに居続ければいい。それに迷いはない。
けれど、彼の幸福を思うなら。
私は消えたほうがいいのかもしれない。
からっぽで、
痛くて、
淋しくて、
そわそわして、
なんだか、
哀しい。
これで最後なのに。
最後なのに、
やっぱり私は、
ちゃんと人を愛せない。
貰った愛情を対等に愛情で返せない。