今日の日経を題材に法律問題をコメント

2003年10月31日(金) 山口組組長に使用者責任を認める

 日経(H15.10.31付)社会面で、大阪高裁で、山口組組長に使用者責任を認めたと大きく報じていた。


 裁判所は、「抗争は、暴力団の基本的事業もしくは密接に関連する行為である」という判断をしたそうである。


 暴力団にとって、抗争が「事業またはそれに関連する行為」というのは何だか笑えるが、解釈としては可能かもしれない。


しかし、この事件のポイントは証拠の問題であったと思う。


 裁判所は、「誤射行為を、実行犯の私的行為ではなく、抗争である」と認定したうえで、「山口組組長は、下部組織についても指揮監督することが可能な使用者の地位であった」としている。


 しかし、「当該事件がその当事者だけのケンカなのかそれとも抗争なのか」、「山口組組長の指揮監督がどこまで及ぶか」などについての証拠としては、一般的には新聞報道ぐらいしかないと思う。

 つまり、裁判所を説得するだけの証拠を集めることは困難が伴うと思われる。


 ところが、この事件は警察官が誤って撃たれて死亡したものであり、その家族が山口組組長を訴えている。

 したがって、警察の全面的協力があり、捜査資料が積極的に提出されたのではないかと推測されるのである。


 そのような捜査資料があって初めて、前記の認定が可能だったのではないだろうか。


 言い換えれば、山口組が絡んだ事件であれば常に山口組組長を訴えることができるようになったわけではないということである。



2003年10月30日(木) オウム中川被告は、極刑を避けるべき事案だったか

 日経(H15.10.30付)社会面で、オウムの中川被告の死刑判決について報じていた。


 その記事の中で、弁護人が「責任能力に疑問があり、極刑を避けるべき事案だったと信じており、残念な判決」と述べていた。


 しかし、本当に「責任能力に疑問があり、極刑を避けるべきと信じていた」のだろうか。

 
私は、中川被告は報道でしか知らないが、報道される中川被告の発言を詠む限りでは、どう考えても責任能力に疑問があるとは思えない。


 もちろん、弁護人が責任能力はあるのではないかと思いつつ、裁判では責任能力がないと主張することはあり得る。

 しかし、「極刑を避ける事案であったと信じる」と言っているのにはちょっと驚いた。


 もっとも、新聞のコメントは前後の状況なく、言葉をつなぎ合わせるだけであるから、発言の真意は違ったものだったかも知れないが・・。



2003年10月29日(水) 「形だけです」という銀行員のいうことを信じて保証してはいけない

 日経(H15.10.29付)社会面で、そごうの水島元会長に、128億円の支払いを命じた判決が下されたと報じていた。


 興銀が、そごうに錦糸町店出店費用を融資したとき、水島元会長が個人保証したそうである。

 ところが、水島元会長側は、興銀の役員が「保証は形だけで、迷惑はかけません」と言ったとして、請求に応じなかったことから訴訟になったようである。


 しかし、裁判になると、興銀の役員は「そんなこと言ってない」と言うに決まっている。

 そうすると、保証契約書に書名捺印している以上、敗訴はやむを得ない。


 では、かりに「保証は形だけで、迷惑はかけない」ということを書いた念書が残っていた場合はどうでなったであろうか。


 保証契約書に署名している以上、その効力を否定することは裁判官としては大変な勇気がいる。


 それゆえ、「形だけ、迷惑をかけない」という書面があったとしても、その意味は、そごうの経営がうまくいっている限りは保証は形だけのものになり、迷惑はかからないという趣旨であると認定される可能性は高い。


 要するに、保証契約書に署名した以上、その責任を免れることは難しいということである。


 銀行担当者は、「形だけですから」「迷惑は絶対かけません。」ということを言いがちである。

 多分、水島元会長の場合も、銀行役員は「形だけです。迷惑はかけません。」と言ったのだと思う・


 しかし、それを信用してはいけないということである。



2003年10月28日(火) 裁判所支部の裁判官のレベルは、ばらつきが多い気がする

 日経(H15.10.28付)社会面に、水戸家裁下妻支部の裁判官が、少年に対し、「暴走族をやっていた君たちは、リサイクルできない産廃物以下だ。」と発言していたと報じていた。

 どのような状況の下で言ったのかは分からないが、裁判官(正確には審判官であるが)がそのような「産廃物以下」という言葉を使うべきではないし、少年の気持ちを叩きのめすようなような言い方はすべきではない。


 裁判官の資質として問題があると思う。



 ここからは、その裁判官の話ではないし、単なるうわさ話であるが。


 東京周辺の都市にある裁判所の支部(記事にあった裁判官のいる下妻支部もその一つである)は、東京の本庁で使えない裁判官が赴任することが多いといわれている。


 裁判官は3年くらいの周期で転勤する。

 裁判官も人の子であるから、赴任先として東京を希望する人が圧倒的に多い。

 だから、通常の裁判官は、東京からかなり離れた地方で3年頑張ると、そのご褒美として東京本庁に戻り、3年間勤務できる。

 つまり、地方と、東京本庁とを行ったりきたりするのである(もっともエリートコースに乗った裁判官は、ほとんど東京を動かないが)。


 ところが、問題のある裁判官は、地方から東京本庁に戻ってこれず、東京周辺の支部に留められることが多い。


 あるいは、東京周辺の支部を衛星のようにぐるぐると転勤を繰り返している裁判官もいる。


 また、優秀ではあるが、青法協(かつては共産党系の団体とみられていた)に関係していると思われている裁判官も、東京本庁には帰って来れず、同じように支部回りしている。


 このような事情からか、支部の裁判官は、いい人もいるのだが、変な人も多く、レベルにばらつきがあるというのが私の印象である。



2003年10月27日(月) 水道水を沸かして、「温泉」とは。

 日経(H15.10.27付)社会面で、「天然温泉 議論沸く」「不当表示、業界に危機感」という見出しで、「温泉」のイメージが大きく揺らいでいることをリポートしていた。

 愛知県の吉良温泉では10年前から温泉が枯渇し、水道水を沸かしていたのに、「天然温泉」と偽っていたそうである。



 この記事の中で、「いまの制度では、泉質や効能を謳っていなければ、水道水を沸かしたお湯を『温泉』と名乗っても不当表示とは言い切れない」と書いていた。


 果たしてそうなのだろうか。


「温泉」の定義は、温泉法という法律で決められている。

 それによれば、「温泉」とは、地中から湧出する温水等で、温泉源での温度が25度以上であるか、または、法律で定める一定の量の物質(例えば一ミリグラム以上の硫黄)を有するものとされている。


 水道水は、「地中から湧出する」とはいえないだろう。


 また、温泉法では、温泉の成分などを掲示しなければならないと定めているから、吉良温泉でも温泉の成分を掲示していたはずである。

 そうすると、その掲示は不当表示以外の何ものでもないと思うのだが・・。



2003年10月24日(金) 授業料返還訴訟 消費者契約法制定の前後で結論が異なる?

 昨日の日経(H15.10.23付)夕刊、社会面で、入学金、授業料返還訴訟の東京地裁での判決を報じていた。


 入学金は返還不要、授業料は消費者契約法が成立する前は返還不要、成立後は返還すべきという判決のようである。


 判決の流れはこれで大体決まった感じである。



 しかし、授業料の返還義務について、消費者契約法成立前と成立後で判断を分けていいのかという疑問がある。


 これは、消費者契約法の性格をどのような捉えるかに関わっていると思う。

 つまり、消費者契約法は民法の公序良俗違反、詐欺などにおいて積み重ねてきた解釈を確認しただけであるとするならば、法律制定によって新たな規制が生じたわけではないことになる。

 したがって、消費者契約法の制定前と後とで結論を異にするのはおかしいということになる。


 他方、消費者契約法は、これまでの民法の解釈では消費者保護が不十分であったことから、消費者を特に保護するために業者に対し新たに規制したものであると解すると、消費者契約法制定前と後とで結論を異にしてもおかしくはないということになる。


 消費者契約法9条では違約金は年14.6%を超える部分は無効としており、入学金、授業料返還訴訟では、この規定を根拠にしている。


 結局、裁判所は、この規定(9条)を消費者保護のために新たに規制したものである考えていることになる。


 しかし、民法の解釈としても、大学と入学予定者との力関係を考慮すると、14.6%を超える違約金は公序良俗に反するという解釈は十分可能なように思う。

 したがって、消費者契約法の制定前は、授業料返還義務なし、制定後は返還義務ありと結論が異なることには違和感がある。



2003年10月23日(木) チリ人妻と和解金なしの和解が成立

 日経(H15.10.23付)社会面で、青森巨額横領事件で、住宅供給公社とチリ人妻が和解をしたと報じていた。

 和解金はゼロであり、ただ、財産が見つかれば訴訟することができるという内容のようである。


 このような和解金ゼロの和解をして意味があるのだろうか。

 なんだかよく分からない和解である。


 メリットがあるとすると、仮差押えした際に保証金を積んでいるはずであるが、それが戻ってくるということがあるだろう。


 その保証金の金額が多かったのかもしれない。


 法制度が違うだろうから軽々にはいえないが、和解金なしの和解というのは釈然としない。

 
 住宅供給公社としては、早く幕を引きたいということなのかも知れない。



2003年10月22日(水) 契約はいかなる場合にも守らなければならないか

 日経(H15.10.22付)社会面で、サブリース契約においても賃料減額請求が可能であるという最高裁の初判断がなされたと報じていた。


 サブリース契約とは、地主がビルを建てて、そのビルを不動産会社などが一括で賃借し、他の入居者に賃貸するものである。


 通常、一括借り上げのときに地主に対し、長期間、一定の賃料を保証する。

 地主は、保証された賃料を前提に、建築費を借り入れるなどの資金計画を立てるわけである。


 したがって、賃料を下げられると資金計画が狂ってしまい、銀行への支払いできなくなるおそれもある。


 他方、一括で借り受けている側からすれば、建物の賃借人から賃料値下げ要求を受けるご時世であり、地主への賃料が当初のままであると、採算が取れなくなってしまう。


 そのため、地主側と、一括借り上げをしている側とで訴訟が多発しており、高裁段階での判断も分かれていたはずである。



 そもそも、一括借り上げをした会社は賃料を保証していたのに、今ごろになって賃料の減額請求ができるのだろうか。


 そこには、契約はいかなる場合でも守らなければならないのかという根本的問題があるといえる。



 その点はともかく、最高裁は、サブリース契約において借地借家法の適用があるとしつつ(適用があると、賃料の減額請求ができることになる)、賃料を定める判断要素を明らかにした。


 地主側にとってはつらい判決かもしれないが、基準が明確になったという意味で、紛争の解決に資するものであり、大いに評価することができる。



2003年10月21日(火) キャノン元社員が発明の対価として10億円の請求

 日経(H15.10.21付)社会面で、キャノンの元社員が発明の対価として10億円の支払を求める訴えをしたと報じていた。


 記事によれば、この人はレーザービームプリンタで用いられる技術に関する発明を行い、その結果、キャノンは458億円の利益をあげたのに、85万円しか報酬を得ていないそうである。


 この人の発明した技術は、レーザービームプリンタにとって不可欠な技術のようである。


 それゆえ、85万円の報酬というのは少ない気がする。


 しかし、その他の技術もなければ製品は完成しないわけである。


 すなわち、その人の発明した技術が売上にどの程度寄与したのかは明確でなく、そのため、職務発明の対価としてどの程度の金額が相当かもよく分からない。


 裁判官もよく分からないと思う。



 日立製作所を相手にした訴訟では、9億7000万円の請求に対し、職務発明の対価として約3500万円が認められた。


 どのように素晴らしい発明であったとしても、数億円もの報酬を認めるのは日本の常識からいえば多すぎる気がする。


 ところが、3000万円程度であればそれほど常識はずれでもないし、日立であれば払えるだろうとも思う。


 裁判官は、腹の中ではそのような大雑把な発想しかしてないと思う。

 
 そして、それなりの根拠を示して裁判官の思っている数字に近い金額を示すことができれば、裁判官は納得し、それに近い金額の判決をすることになるのである。


 (一応、売上高、独占的地位に起因する割合、実施料率、貢献度などを考慮する
 と言われているが、貢献度の算定は困難である)


 だからといって裁判官がいい加減であるわけではない。


「相当な対価」といっても、そのような形でしか判断できないということを言いたいのである。



2003年10月20日(月) 安部幹事長の発言は名誉毀損になるか

 昨日の日経(H15.10.19付)1面で、藤井道路公団総裁が、石原国交相や安部幹事長に対し、名誉毀損で民事、刑事の責任を問うと報じていた。


 安部幹事長は、街頭演説で、藤井総裁のことを「うそつき」と言っており、この発言は、代理人によると「教科書に出てくるような典型的な名誉毀損行為」だそうである。


 しかし、果たして「典型的な名誉毀損行為」なのだろうか。


 「民事、刑事の責任を問う」といっても、刑事責任を問うためには、事実をに摘示しなければならない。

 しかし、「うそつき」というだけでは事実の摘示としては不十分であり、刑法上の名誉毀損罪は成立しない。


 他方、民事責任では、名誉毀損が成立するためには事実の摘示までは不要とされているため、民事責任の有無は問題になり得る。


 名誉毀損になるかについて、判例は、「目的が公益を図るものであり、事実が主要な点において真実であるときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の違法性を欠く」としている。


 この基準を本件に当てはめると、財務諸表の存在について発言が変転した事情をみてみると、「藤井総裁が真実を述べていない」と論評することは可能だろう。



 ただ、「真実を述べていない」からといって、「うそつき」と言ってよいかは問題である。


 「『うそつき』という言葉は、人身攻撃であり論評としての域を逸脱している」という評価もあり得る。


 この点は、私は、藤井総裁が真実を述べていない以上、「うそつき」と評価されてもやむを得ないと考える。

 「うそつき」という言葉は、人身攻撃というほどの言葉でもないように思う。


 したがって、民事上も名誉毀損は成立しないと考える。


 少なくとも、「教科書に出てくるような典型的な名誉毀損行為」とはいえないであろう。



2003年10月17日(金) ダイオキシン報道の最高裁判決について

 日経(H15.10.17付)1面の「春秋」欄(「天声人語」みたいなもの)で、所沢ダイオキシンの最高裁判決について書いていた。


 「春秋」では、ニュースステーションの報道を聞いて、所沢の野菜がダイオキシンに汚染されていると思わないほうがおかしいと書いていた。

 ところが、「春秋」の最後では、最高裁がテレビから受ける全体の印象から判断すべきとしたことに対し、「印象だけを理由に報道の自由を制限していいのだろうか」と疑問を呈していた。


 何だか論旨のよく分からない、腰の据わらない論述である。



 汚染されてもいないのに「汚染されている」と言われた所沢の農家の人の怒りは当然であろう。


 しかし、放送において、久米キャスターが「野菜ですね」と言ったのに対し、分析した専門家は、「いや野菜ではありません。葉っぱものです。」と言って、久米キャスターの言うことを訂正していない。


 このようなやり取りの中では、汚染されているのが野菜であると考えても仕方ないのではないか。


 この場合にまでテレビが責任を問われるとすると、テレビの報道は慎重にならざるを得ず、報道を萎縮させてしまいかねない。



 この事件に関していえば、農家の怒りは当然であろう。

 しかし、もともとごみ焼却を放置したのは行政の責任である。

 とするなら、農家が被った損害も行政によって填補すべきではなかったかと思う。



2003年10月16日(木) 「狙撃犯」の顔写真を広告に載せた日経の責任は

日経(H15.10.16付)11面に、週刊新潮の広告があったが「国松長官・狙撃犯は東大中退の殺人鬼だった」という見出しで、顔写真まで載せていた。


 こんな大胆なことを書いて大丈夫なのだろうか。


 この顔写真の人は、サンケイ新聞が、八王子スーパー殺人事件の犯人として再逮捕される見込みであると報じているが、国松長官の狙撃犯であることまでは報じていない。



 仮に週刊新潮の記事が名誉毀損にあたるとした場合、広告を載せた日経新聞まで責任を負うのだろうか。


 広告の見出しにはその人の名前を書いていなかったから、それだけでは名誉毀損にあたらないが、広告には顔写真まで掲載している。


 日経新聞には、新潮社が出した広告原稿をそのまま掲載する義務はなく、顔写真を載せないように要求することもできた。

 それをあえて顔写真まで掲載したのである。


 したがって、この人が国松長官の狙撃犯でなく、狙撃犯であると信じる相当の資料を提出できなかった場合は、新潮社はもちろん、その広告を載せた日経新聞も責任を負うことになる可能性は高いだろう。



2003年10月15日(水) 訴訟で決着をつけることは悪いことではない

 日経(H15.10.15付)3面で、日本道路公団の藤井総裁が聴聞の公開を要求し、訴訟も辞さない構えだそうである。


 藤井総裁は、解任される理由はないと思えば、聴聞で十分主張すればいいし、解任に納得がいかなければ訴訟を提起してもよい。

 これらは解任される立場の者にとっては当然の権利である。


 それに対し、国交相は、解任すべき事由があると考えているのだから、断固として解任して、争われれば司法の場できちんと主張すればいい。



 ところが、新聞は「先行きが見えない泥沼の訴訟合戦になった場合、民間の企業経営者は二の足を踏む」と書いていた。


 「先行きの見えない泥沼の訴訟合戦」という書き方には、訴訟で決着をつけることが適切でないかのような意識が伺える。


 しかし、訴訟で決着をつけることは決して悪いことではないのであって、かかる書き方は問題であると思う。



2003年10月14日(火) ハンバーガーの食べ過ぎによる肥満はマクドナルドの責任?

 昨日の日経(H15.10.13付)7面に、「病む世界、病む子供」という連載コラムで、ニューヨークの子供が「ハンバーガーの食べ過ぎで肥満になった」としてマクドナルドを訴えたマクドナルド訴訟の背景について書いていた。


 このマクドナルド訴訟は、弁護士が一儲けをたくらんで起こした訴訟かと思っていたが、記事によれば、そうではないようである。


 アメリカでは子どもの肥満が社会問題になっており、肥満の原因として、学校にファーストフードが進出していることが挙げられている。


 1980年代から、学校は財政難から、一定の契約料を取って、外食産業が学校に出店することを認めた。その結果、朝昼晩マクドナルドという子どもたちが出てきているそうである。


 また、肥満が貧困層に多いことも指摘されている。


 訴訟は、子どもの肥満が、社会の経済現象であることを訴えることを目的としたものだそうである。


 訴えは棄却になったけれど、子どもの肥満の問題をアピールすることには成功しており、その意味では目的は達成したといえる。



 日本でも子どもの肥満は問題になりつつあるが、日本で同様に子どもがマクドナルド相手に訴訟したらどうなるだろうか。


 子どもが訴えるといっても、実際には親が法定代理人として訴えることになるのであるが、恐らく、マスコミは、その子どもの親は、親の責任を棚に上げて人のせいにするとんでもない奴だという論調になるのではないだろうか。


 なんでも訴訟にするアメリカの司法文化には違和感があるが、訴えたことを非難する傾向のある日本の司法文化もいかがなものかと思う。



2003年10月10日(金) 中坊氏が弁護士を廃業

 日経(H15.10.10付)夕刊1面に、中坊氏が弁護士を廃業すると報じていた。

 RCCの債権回収を巡り、詐欺まがいのことをしたことが問題になったためである。


 事件の詳細については知らないが、他の金融機関に虚偽の売却額を知らせ、低額で抵当権を抹消させたということらしい。

 金融機関も売買金額について口頭だけでは信用しないし、稟議も通らないから、嘘の金額を書いた契約書を作って、金融機関に見せて信用させたと思われる。


 となると極めて悪質な詐欺行為である。


 この件に関しては、弁護士の間でも中坊氏を擁護する声は聞かない。

 中坊氏のこれまでの活動は素晴らしいものがあるが、この事件については批判されても仕方ない。


 RCCは国策であるということで、債権回収のために事実上大変な権力を与えられた。

 そのため、何をしてもいいと感違いしたのではないか。



2003年10月09日(木) 契約書は紙に印刷した方がいい

 日経(H15.10.9付)32面に、全面広告で「リストラすべきは今までの『契約書』」「これまでの契約業務にはムダなことが多すぎた」として、電子契約サーヒスを宣伝していた。


 それを見て、「えつ!これまでの契約書にはそんなに無駄な面があったの?」と思った。


 でもよく読むと、そのサービスでコストダウンできるのは、「契約書作成のための紙代」「契約書取り交わしのための郵送費・交通費」などだそうである。

 それぐらいのコストは、その電子システムの導入費に比べると僅かな額であろう。


 なんだかせこい広告である(広告主は天下のNTTコミュニケーションズであるが)。


 それはともかく、契約書というのは紙に印刷しないとダメだと思う。

 というのは、契約書は一覧性がないと不便であり、間違いの元なのであるが、「電子契約書」では一覧性に欠けるからである。


 いざ争いになると、最大の拠り所となるのは契約書である。


 それゆえ、契約書作成の印刷代をケチろうなどというせこい考えはしないほうがいい。



2003年10月08日(水) 女性は裁判官向きである

 日経(H15.10.8付)社会面に、最高裁が修習を終えた約1000人の司法修習生のうち、100人を判事補として内定したと報じていた。

 そのうち、女性が29人で約3割であり、裁判官全体での割合は14%になったとのことである。


 いまでは合議体の法廷で(裁判官が3人いる)、全員が女性裁判官というのもめずらしくない。



 女性裁判官は、杓子定規的で柔軟性に欠けるという評判がある。

 しかし、女性裁判官にあたったても、依頼者が「女性裁判官で大丈夫ですか?」ということは意外と言わない。

 実際、あまり感情的になることもなく、淡々とこなしている感じである。


 女性は裁判官に向いているのかもしれない。



2003年10月07日(火) 藤井総裁は解任無効を争うことができるか

 日経(H15.10.7付)1面に、日本道路公団の藤井総裁が辞表提出を拒絶したことから、解任手続きに入ったと報じていた。

 他のマスコミでは、藤井総裁が法的手続きを取る可能性があるとも報じている。


 仮に、藤井総裁が解任は無効の訴えをした場合、認められるのだろうか。


 日本道路公団法によれば、国土交通大臣は、「総裁として適しないと認めるときは解任することができる。」と定めている。


 条文の規定上は解任するには理由は必要ないように思える。


 しかし、権力の濫用防止という見地からは、大臣による恣意的な解任は許されないだろう。

 また、任期中であるのに、理由もなく一方的に解任されたのでは、解任される方はたまらない。


 他方、例えば、会社法では「取締役の解任はいつでもできるが、正当事由がない場合には損害賠償請求ができる」という規定があるが、日本道路公団法にはそのような解任を制約するような文言はない。


 とすると、総裁の解任には何らかの理由が必要ではあるが、それは一応の合理的理由であれば足りるという解釈になると思う。



 それを前提に検討すると、

 財務諸表に関する答弁が変遷した

 造反者を出すなど道路公団職員が混乱しており監督責任がある

 これら一連のごたごたにより道路公団の信用を失墜させた

といった事情を考慮すると、解任する一応の合理的理由はあると思う。


 したがって、藤井総裁が訴訟で争っても勝つ見込みはないだろう。


 それにしても、この人は何でこんなに頑固なのだろうか。






2003年10月06日(月) 弁護士は依頼者の利益を守るのが使命である

 一昨日の朝日(H15.10.4付)であるが、日曜版「Be」に、コロンビアミュージックエンタテイメントの尾関CFOという人が弁護士像について気になることを書いていた。


 「日本の弁護士には不満がある。弁護士は依頼者の権利と利益を守るのが使命であるのに、最初から係争の仲介役を務めようとする。」

 「依頼人としては、自分の弁護士が本当に自分の利益を100%守るために戦ってくれているのか不安になる。」
というのである。



 確かに、日本の弁護士はそのような傾向がある。

 「仲介役を務める」つもりはないのだが、妥当な結論を先に考えて、そこに持っていくために依頼者を説得しようとするのである。

 これは弁護士の間で評判のよい弁護士ほど、その傾向が強い。


 司法研修所でも、「依頼者が無理を言った場合に、それを説得する力があるのがいい弁護士である。依頼者の言うままに主張したのでは、弁護士なんか必要ない。」という考え方が強かった。


 このような考え方は裁判官には受けるだろう。

 依頼者が無理な主張しないように抑えてくれるのだから。


 しかし、それでは法廷に裁判官が二人いるのと同じではないだろうか。


 私も弁護士になりたての頃は、依頼者のわがままを説得して妥当な結論に導くのがいい弁護士であると考えていた。


 いまだにそのしっぽを引きずっている面もあるが、今の基本的考え方としては、依頼者の利益を100%実現するために最大の努力しようと思っている。



2003年10月03日(金) 石器発掘捏造事件で検察庁が告発を受理

 日経(H15.10.3付)社会面に、石器発掘捏造事件で、藤村氏を業務妨害罪で告発したことに対し、検察庁が告発を受理したと報じていた。


 確実な資料がないのに事実と異なることを不特定多数の人に伝え、もって業務を妨害した場合には、業務妨害罪が成立する。

 藤村氏は、石器を発掘したとうそを言って、それをマスコミに公表し、もって教科書を書き換えさせるなどして業務を妨害したというわけである。


 なんだかこじつけのような気もするが、検察庁が告発を受理した以上、それなりに立件の見込みがあると考えたからであろう。


 この事件では事実関係がかなり明らかになっているようだから、捜査機関が藤村氏を呼び出し、藤村氏が自分の行ったことを認める供述をすれば、刑事事件として立件される可能性は高いと思う。


 ただ、藤村氏の行為は絶対に許されない行為であるにしても、刑事事件として立件して何か解決するのだろうか。

 あまりに安易に信じた学者などの専門家の姿勢こそ問われるべきであると思う。



2003年10月02日(木) 有料老人ホームについて不当表示

 日経(H15.10.2付)社会面に、公正取引委員会が有料老人ホームについて不当表示になる場合を例示して、取締りを強化すると報じていた。

 記事によれば、「24時間の医療」と謳いながら実際はそのようなサービスは行っていなかった例があるのだから、ひどい話である。


 この記事を読んで「詐欺ではないか」と思った人もいたと思うが、公正取引委員会の取り締まりの根拠となる法律は不当景品類及び不当表示防止法(景品表示法)しかない。


 というのは、公正取引委員会は行政機関であるから、私人間に適用される消費者保護法や民法の規定に基づき処分することはできないからである。


 このあたりが、法律の専門家でない人にとっては分かりにくい問題なのかもしれない。



2003年10月01日(水) 東京地検が田中真紀子前外相を不起訴に

 日経(H15.10.1付)1面に、秘書給与を巡って、東京地検が田中真紀子前外相を不起訴にしたと報じていた。


 その事件では田中前外相に対し告発がなされていたのであるが、告発や告訴された事件では、起訴・不起訴の処分結果を告発人・告訴人に通知をしなければならないとされている。

 したがって、不起訴にする通知が告発人になされたことから、新聞でも報道されたのだろう。


 告訴人等に対して通知をする主な理由は、不起訴処分をした場合に告訴人等に対し、検察審査会に審査請求をする機会を与えるためである。


 したがって、告訴事件でない場合には、不起訴処分にしても、検察庁は容疑者に通知しないことはもちろん、被害者にも通知しない。



 修習生のころ、検察修習で担当していた事件で、不起訴処分に決めたのだが、そのとき、指導検察官に、「不起訴とするなら、容疑者に連絡してやった方がいいのではないですか」と聞いたら、何でそんなバカなことを言うのかという顔をして、「そのような義務はない」と言われた。



 確かに、法律上は、通知義務があるのは告訴等をした場合だけである。

 しかし、被害者や容疑者のためには通知してあげた方が親切ではないかと今でも思っているのだが・・。


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