今日の日経を題材に法律問題をコメント

2002年02月28日(木) 株価操縦で逮捕−捜査着手が遅いのではないか−

 日経社会面に、志村化工の株価操縦(証券取引法違反)の疑いで、2人が逮捕されたという記事が載っていた。

 株価操縦があったのは、昨年の1月とのことである。

 それが今頃逮捕されるのでは、遅すぎである。
 これでは、他に株価操縦している者に対し警告を与えるという効果はまったくない。

 志村化工に関する株の取引自体は、取引直後に分かるはずであり、その気になれば、半年くらいで捜査は可能であろう。

 株式取引の公正さを保障するためには、早期の取り締まりこそ有効であると思う。
 



2002年02月27日(水) インサイダー取引の規制は曖昧か

 今日の日経7面「病める金融」というコラムで、トヨタ自動車副社長が、インサイダー取引規制について、次のような意見を述べていた。

 「証券取引法には、インサイダー取引規制が規定されているが、企業が求めているのは、こういう場合になら違反しないというルールの明示だ。
 いくらでも拡大解釈が可能な現在の曖昧な規制では、誰も怖くて自社株の取引に参加できない。」


 確かに、ルールの明確化という要求は理解できる。
 実際、独禁法では、ガイドラインが作られている。

 しかし、それは、処罰すべき取引を取りこぼす可能性も生じることになってしまうことに留意すべきである。

 結局、ルールの明確化と、処罰すべき取引を見逃さないという両者のどちらの利益を優先すべきかという問題である。

 この点、裁判所は、インサイダー取引については、厳しい姿勢を見せており、処罰すべき取引を見逃さないという利益を優先している。

 それは、現在の証券取引は不公正な取引が多く、そのような不公正な取引を取り締まり、証券取引の公正さをはかるということを重視しているからである。

 したがって、ルールの明確化という要請は、一歩退かざるを得ないであろう。



2002年02月26日(火) 企業倫理に反する行為は、結局は損をする

 昨日の夕刊だが
 3面に、アメリカで、証券取引法違反の内部告発が急増しているとの記事が載っていた。

 それによると、証券取引法違反の関する情報提供が、1日平均525通もアメリカ証券取引委員会(SEC)に寄せられているそうである。

 これは、後ろめたいことがある企業にとっては、恐ろしい数字ではないだろうか。

 情報提供の多くは電子メールによるものらしい。
 電子メールは、気軽に発信することができるので、躊躇が少ないのだろう。
 また、出し方さえ工夫すれば、匿名性も確保される。

 したがって、日本においても、証券取引法違反だけでなく、様々な分野で情報提供、とりわけ内部告発が増えてくると思われる。


 雪印問題を例に取ると、雪印食品だけが牛の生産地を誤魔化していたとは思えない。
 おそらく、業界全体が同じことをやっていたのだろう。
 他の業界でも、企業倫理に問題のある企業は、極めて多いと思われる。

 その場合、必ず、「そんなきれい事を言っていたのでは、仕事にならない」という言い訳がなされる。


 しかし、雪印問題をみても分かるように、企業倫理を欠く会社は、一度不祥事を出したら、その回復には多大な年月と費用が掛かる。
 そして、これまでせっせと稼いできた利益をすべてふいにするのである。

 したがって、企業利益という観点からいっても、倫理に反する企業活動をしてはいけないのである。



2002年02月25日(月) アルゼンチン債購入で、公共団体の運営が危機に

 日経31面に、「アルゼンチン債購入問題で公共団体の運営が危機に陥っている」という記事が載っていた。

 複数の自治体の外郭団体が、資産形成のためにアルゼンチン債を購入していたが、その回収が困難になり、団体運営が危機に陥っているという内容である。


 このようなハイリスクの債権を購入した背景には、金利が低下し、元本保証の債権での運用益では、当該団体の事業拡大が期待できなくなったことにある。


 しかし、だからといって、ハイリスクの債権に手を出していいというものではないであろう。

 担当者は、事業に必要な運用益から逆算して、これだけの運用益が必要だからという理由で、投資する対象を選定したのではないだろうか。

 しかし、それは思考の順番が間違っていることは明らかであろう。


 公共団体といえども、資産を運用することは、投資であるということを念頭に置くべきである。
 そして、厳格な投資基準(元本保証に限るとか、あるいは何%マイナスになると必ず損切りするとか)を定めておくべきである。

 その結果、運用益がマイナスになったとしても、その投資基準を守っている限りは、担当者の責任を問わないことが重要であろう。



2002年02月24日(日) 裁判官も人の子である

 日経社会面に、ヤコブ病裁判の和解に関する記事が載っていた。

 記事から判断すると、和解勧告は、東京地裁、大津地裁で事前に話し合いしたうえで、同一内容の和解案を提示したようである。

 このように各地で同種の裁判が行われるとき(例えば公害裁判など)、必ず、東京地裁の判断が注目される。


 しかし、司法の独立という意味からは、疑問もある。

 すなわち、司法の独立とは、行政や国会から独立しているという意味だけではなく、各裁判所がそれぞれ独立しているということでもある。

 そうすると、東京地裁と、大津地裁とは、それぞれ自己の判断で和解勧告すべきであり、他の裁判所の判断に影響されるべきではないといえる。


 実は、司法修習生の頃(司法試験に受かって実務に出るまでの研修期間)、水俣病裁判で、東京地裁において和解勧告がなされ、その後、次々と各地の裁判所で東京地裁と同様な内容の和解勧告がなされたことがあった。

 そのとき、私は、指導裁判官に対し、司法の独立の趣旨からいって、東京地裁に右へ倣えではおかしいのではないかと聞いたことがある。

 これに対し、その指導裁判官は、困った顔をしていた。

 建前上は、「それぞれの裁判所は自己の判断で和解勧告したものであり、右へ倣えをしたわけではない」というのが公式の回答であろうが、その裁判官は正直だったから、困った顔をしたのだろう。


 もちろん、地方の裁判官といっても、転勤で東京地裁に戻ることもあり、能力がないわけではない。
 しかし、それでも地方にいれば、東京の動向が気になる。

 ここでは、そのような地方の裁判官のあり方について批判しているわけではない。
 組織である以上、中央の動向が気になるというのは自然の成り行きではないかと思う。

 結局、裁判官も人の子ということが言いたいのである。



2002年02月23日(土) 会社更生法の改正−処理のスピードが重要−

 日経一面に、会社更正法改正の記事が載っていた。

 改正により、再建計画を1年以内に立てることを義務づけることになるそうである。


 会社更正法は1952年に制定されたから、すでに50年経っており、時代の要請に合わなくなっているところがある。

 とくに、問題なのは、厳格さを強調するあまり、処理スピードが遅くなることである。

 近時は、債権者も、長期間かけて返済を受けるより、配当率が多少低くても、さっさと処理してもらった方がいいと考えるようになってきている。

 それゆえ、厳格さよりも、手続を簡素化して、処理スピードを上げることが要請されている。


 もちろん、法的整理なのだから、公正さは必要である。

 ただ、これまでは、手続を厳格にして、裁判所が監督することによって、公正さを確保しようとしてきた。
 しかし、今後は、公正さは、債権者に対して、充分に情報を開示することによって確保すべきである。

 そして、これによって、処理の迅速化と公正さの両立をはかっていくべきであろう。



2002年02月22日(金) 株式公開にあたっての弁護士の役割

 日経16面に、「変わる未公開株投資」という連載記事で、弁護士が創業段階から企業家を支援する研究会のことが載っていた。

 その記事の中で、ベンチャー支援の専門家で、弁護士が一番足りないことを書いていた。


 アメリカでは、起業家が株式を公開する場合、必ず法律事務所に依頼する。
 これに対し、日本ではすべて監査法人に依頼し、弁護士は蚊帳の外である。

 
 しかし、株式公開にあたり、法律家が必要なことは多い。


 株式公開のためには様々な法規制があるから、それをクリアするために法律知識は必要である。
しかし、それだけであれば、弁護士でなくても、何度か経験すればとくに難しいことではない。
 それゆえ、弁護士が蚊帳の外であっても差し支えないのだろう。


 むしろ、それ以外の場面で弁護士が必要とされる場合がある。

 例えば、起業家はそれまで金銭的にも苦労している人も多く、トラブルを抱えたままであるとか、中には、怪しげな人たちとのつき合いがあることもある。

 これらのトラブルや、怪しげな人たちとのつき合いを、一つ一つ裁判を起こしたりして、法律的に整理する必要がある。

 中途半端な解決だと、株式公開した後、問題になる恐れがあるからである。


 これ以外にも、株式公開にあたり、弁護士の果たすべき役割は大きいのであるが、日本では、公開にあたっての業務を監査法人がすべて押さえてしまっていることは残念なことである。



2002年02月21日(木) 弁護士は法律の抜け穴ばかり探しているのか

 日経9面に、エンロン破綻問題で、アメリカ証券取引委員会委員長が、法律の抜け穴を探す弁護士や会計士のあり方を強く批判したとの記事が載っていた。


 古い話であるが、江川問題で、規定上空白の一日があることをついて、江川が強引に巨人に入団したことがあった。
 このとき、空白の一日があることを見つけだしたのは、私が知っている法律事務所である。

 これも法律の抜け穴を探した一例であろう。

 しかし、江川問題でいえば、その法律事務所はセンスが悪いと思う。

 あのような強引なことをした結果、江川はその後ずっと苦しむことになったのである。


 私は、法律の抜け穴を探すことが適切とは思わないし、そのような弁護士は大成しないと思っている。
 その意味で、証券取引委員会委員長と同じ意見である。

 ただ、日本では、アメリカほど、法律の抜け穴を探そうとする弁護士は少ないのではないだろうか。



2002年02月20日(水) 盗まれた通帳の引き出しに、銀行の責任を認める

 日経社会面に、盗まれた通帳で預金を引き出された事件で、銀行の過失を認めた判決の記事が載っていた。

 近時、ピッキングによる事務所荒らしが多発し、盗まれた通帳から多額の預金が引き下ろされることが頻発しているが、その中のいくつかは、被害者が、銀行に対し、責任を問う裁判を起こしている。

 しかし、判例の流れとしては、銀行の責任を否定したものが多かった。
 これは、あまり銀行に注意義務を課すと、事務処理に慎重になり、事務処理の迅速性が害されるという価値判断があったのだろう。

 それゆえ、今回の判決は、銀行にとって衝撃的だったのではないだろうか。


 預金の払い戻しは、これまで払戻請求書に銀行印を押して、払い戻しを受けており、銀行は、印鑑の照合さえ注意すればよいように思われてきた。

 しかし、今後は、

払戻請求書の住所が届出住所と僅かながら違う、

当該預金者の住所以外の場所の支店で多額の払い戻し請求している、

払い戻し請求者が挙動不審である

などといった事情がある場合には、

運転免許証等でその人の身分を確認した上で払い戻しをするようなシステムにすべきではないだろうか。

 そのようなことをすれば、トラブルが起きたり、客が逃げるというかも知れない。

 しかし、事前に身分を確認することがあるということを周知徹底すればトラブルは防げるであろう。

 むしろ、セキュリティーを重視していることをアピールすることができ、高額預金者の顧客を獲得できるチャンスにさえなるのではないか。



 犯罪はどんどん進化して、犯罪者はあの手この手の手段を考える。
 それゆえ、ある程度の便利さは我慢してでも、セキュリティーを重視すべきで時代になってきていると思う。
 
 冒頭の、銀行の責任を認めた判決に対しても、銀行実務を分かっていないと憤るよりも、セキュリティーをより一層重視すべきであるという警告と受け止めるべきではないだろうか。



2002年02月19日(火) たまには刑事問題でも−田代まさしの刑は軽いのか−

 たまには刑事問題でも・・。

 今日の日経社会面の片隅に、田代まさしの覚せい剤取締法違反事件の判決が載っていた。
 それによると、懲役2年、執行猶予3年ということであった。

 執行猶予付というのは、軽すぎると思った人もいるのではないだろうか。

 他の新聞だが、識者のコメントとして、実刑にすべきであるという意見もあった。

 そこで、この判決の妥当性について考えてみよう。


 覚せい剤事件で刑罰の重さに影響する主な要素は、常習性の有無、所持していた覚醒剤の量、前科があるかどうか、逮捕当時の生活環境などである。

 そこで、田代まさしについてみてみると

 覚せい剤の常習性は強かったようである。

 前科関係については、覚せい剤での前科はなく、初犯である。
 しかし、盗撮したり、風呂場を覗いたりした前歴がある(盗撮したのときの処分は覚えていないが、罰金刑を受けたのであれば、前科になる)。

 他方、所持していた量は0.4グラムと、あまり多くない。

 生活環境については、覚せい剤で捕まる被告人には、相当ひどい生活環境の者がいるが、田代まさしは、これまで仕事をしており、家庭もあるから、生活環境は悪くはない。

 このような事情を考慮して、刑罰を決めることになる。

 ただ、覚せい剤事件においては、初犯の場合にはほとんど執行猶予がつく。
 したがって、田代まさしの場合が、特別に軽かったわけではない。

 しかし、求刑をみてみると、懲役2年6月であり、これは求刑としては重い。
 覚せい剤事件で初犯の場合、普通は、求刑2年だからである。

 求刑が通常より重いのは、検察官としては、田代まさしが悪質とみたからであろう。

 私も、田代まさしが盗撮の事件のとき、一応の制裁を受け、周囲の努力により復帰したのに、再び犯罪を犯した点を考えると、田代まさしには規範意識が欠如しているのではないかと思う。

 したがって、初犯ゆえ、執行猶予を付けたのは妥当であろうが、執行猶予の期間が3年というのは軽いとなあという印象である。
 実刑ぎりぎりという意味で、執行猶予5年程度が妥当ではなかったろうか。



2002年02月18日(月) 空売り規制は、一部肯定できないものがある

 今日の日経社説は、「株式取引には厳格なルールが必要だ」という見出しで、金融庁が要請した空売り規制について、過剰な規制とはいえないとして、それを肯定する内容であった。

 確かに、金融庁が出した大部分の規制は肯定できるが、一部については、その目的からいって、適切でないと思われる箇所があると思う。


 そこで、金融庁が出した空売り規制をみてみると、次の内容である。

・空売りの価格制限の強化

・信用取引の残高情報の開示の充実の要請

・空売り用の株式貸出料の引き上げの要請

 これらの規制の目的は、不当な相場操縦を排除して、株式取引の公正化を図ることにあるはずである。

 いいかえるならば、その規制が、株価を上げるための対策であってはいけない。
 なぜなら、株価を上げるために政府が過剰規制することは、株式取引の公正化に反するからである。


 かかる目的に照らして検討してみると、先日も書いたが、信用取引の残高開示の充実というのは、遅すぎたくらいであるし、空売りの価格制限の強化も、相場操縦を防ぐという目的に合致しており、妥当な規制といえよう。

 しかし、株式貸出料の引き上げは、株式取引の公正化をはかるという目的には合致しないのではないか。

 貸出料の引き上げという対策には、むしろ、空売りを悪者とみて、空売りを排除して株価の下落を防ごうという意図が見える。

 日経社説は、すべての規制を一括りにして、その規制を肯定しているが、規制目的は何かを踏まえた上で、その目的に合致しているかどうかを一つ一つ検証すべきであろう。



2002年02月17日(日) 民事再生法−万能ではないことに留意すべきである−

 今日の日経17面に「検証 民事再生法」「急増の裏に勘違い」という記事が載っていた。

 その記事によれば、民事再生法は、処理のスピードが早く、かつ、経営者がそのまま残ることができることから、申立が急増している。
 しかし、民事再生法を使えば必ず会社が再建できると勘違いしている経営者も多く、うまくいかずに破産になってしまうケースが、東京地裁だと3割にも達している。
 結局、企業が再建できるかどうかは市場原理によって決まるという内容である。

 その通りだと思う。


 民事再生法を、単なる、法律による債権放棄と勘違いしている人は多い。


 私も、よく経営者から、民事再生は無理でしょうかと相談される。

 しかし、ほとんどの場合は、その会社に特別の技術やノウハウがあるわけでなく、しかも、受注は一貫して減少しており、たとえ債権放棄されても、今後受注が増大することは考えられないケースが大半である。

 そのような場合、民事再生手続きによって、債権放棄され、支払いが一時的に減り、その場はしのげても、再び債務超過になることは明らかである。

 しかも、そもそも、再生計画には債権者の同意が必要である。
 ところが、債権を放棄しても、再生の見込みが危うい場合には、債権者は再生計画について同意しないのである。

 したがって、再生が可能である案を立てる必要があるのに、どう考えても再生計画を立てられないケースが多いのである。

 このように、民事再生は到底無理であるのに、何とかならないかと相談されることがしばしばである。


 また、弁護士でも、勘違いしている人がいる。

 先日、私が代理人になって破産を申立てた事件で、破産管財人が、破産ではなく民事再生法を使って、取引先と従業員を営業譲渡した方がよかったのではないかと言ったことがあった。

 確かに、民事再生手続きにおいて、営業譲渡の手法が取られることがある。
 しかし、私が申し立てた会社はコンピューターソフト会社があり、取引先と社員を譲渡すると、会社には何にも残らないのである。
 したがって、債権カットされても、収入がないのだから、債務の返済は不可能である。
 その管財人は、その後、どうやって債務を支払っていくと思ったのだろうか。


 要するに、民事再生法は、「再生」しなければ意味がない。
 そして、再生するためは、企業活動によって儲けるしかないのである。
 民事再生法は、そのお手伝いをするだけにすぎないと考えておくべきだろう。
 



2002年02月16日(土) 金融審議会が、投資家保護のための基金設立−しかし、その効用は疑問である−

 日経7面に、金融審議会が、有価証券の決済電子化で、投資家保護のために基金の設立を求める報告をしたという記事が載っていた。

 その記事によると、審議会の報告書において、
「有価証券決済の電子化に伴い、誤った情報を入力するなどにより、投資家が被害を受けた場合に備え、投資家保護の基金を設ける必要性を明記した」
そうである。

 報告書の全文を読んでいないので、「誤った情報を入力する」というのが、いかなる場面を想定しているのかよく分からないが、
仮に、ネット取引で、投資家が入力ミスにより誤発注した場合などを想定しているのであれば、基金を設立するというのは、いささか問題ではないだろうか。


 入力ミス(誤発注)は、民法上では「錯誤」(95条)にあたる。
 錯誤の場合は、原則としてその取引は無効だが、錯誤に重過失がある場合は、無効を主張できないと規定されている。

 ただ、ネット取引では、誤発注を防ぐために、発注しても、一旦「確認」のボタンが出るようになっている(具体的なボタンは証券会社によって異なるが)。

 そのため、その「確認」ボタンをクリックして発注した場合は、それが誤発注であったとしても、錯誤に重過失があると認定される可能性があり、その場合には、当該取引の責任を負わないといけないことになる。

 それゆえ、審議会では、基金を設立して、思わぬ被害を被る恐れのある投資家の保護の必要性が報告されたのであろう。


 しかし、誤発注した場合に、その投資家を保護すべきかどうかは議論の分かれるところである。
 誤発注した投資家が自己責任を負うべきであるという議論もあり得るからである。

 また、投資家を保護する基金といっても、その基金は誰が拠出するのかという問題もある。
 証券会社が拠出するのであれば、なぜ責任のない証券会社が拠出しなければならないのかという疑問も出よう。

 しかも、そもそも、誤発注と正常な発注とを、いかなる基準で区別し、誰が判断するのかという問題もある。
悪質な投資家が、後から、「誤発注だった」と言った場合に、それに対してどのようにして対抗するのだろうか。
 
 以上の通り、基金設立による投資家保護という手段は、さまざまな疑問がある。


 むしろ、このような基金を設立することによってお金を使うことよりも、むしろ、誤発注を防止するシステムの開発に努力すべきではないだろうか。

 例えば、その投資家の投資履歴からみて、明らかな過大な注文したと思われる場合や、現在の株価から相当程度かけ離れた指し値をした場合には、一度警告の表示がでるようなシステムにすべきではないだろうか。

 そして、行政が、そのようなシステムの採用を勧告すればいいのである。

 そうすれば、そのような勧告があるのに、あえて警告の表示が出るシステムを採用しなかった証券会社に対しては、たとえ誤発注したとしても、注文者に重過失があるとはいえず、錯誤無効を主張できるという解釈が可能になってくるように思う。


 要するに、行政としては、基金によって直接救済することに金を使うよりも、投資家が不利にならない流れを作り出すことの方が、コストパフォーマンスは高いように思うのである。



2002年02月15日(金) 弁護士の調査能力について

 日経18面の「公正な市場へ 監視委は変われるか」というコラムが連載されている。

 その中で、監視委の摘発能力は不十分であるということを書いており、そのようなことから、ある弁護士が、不正を犯した証券会社や企業を相手取り民事訴訟を起こす「民間特捜部」を立ち上げるそうである。

 「民間特捜部」の詳しい内容が分からないが、弁護士に、監視委以上の調査権限が付与されているわけではないので、監視委以上の期待はできないと思う。


 そこで、弁護士の調査能力について、少しコメントしたい。


 相談者の中には、弁護士に頼むと、何でも調査できるように誤解している人が多い。

 確かに、弁護士会を通じた照会制度というのがある。
 これは、相手方に照会書を送ると、その回答を得ることができ、それによって一定の調査は可能である。

 したがって、一般の方よりも、調査権限は与えられている。

 以前は、この弁護士会照会制度により、相手方の預金残高を知ることもできたこともある。しかし、最近は、すべての金融機関が、そのような照会には応じていない。
 つまり、相手方が断れば、それ以上の強制力はないのである。
 
 また、アメリカでは、訴訟の中で、証拠開示制度(ディスカバリ)というのがあり、これによって相手方の持っている証拠を徹底的に調べることができる。
 しかし、日本ではそのような制度はない(文書提出命令の制度はあるが、裁判所は提出命令を出すのに消極的である)。

 結局、弁護士には、そもそも、法律上、大した調査権限が与えられていないのであり、当然、調査能力も限定的なものにならざるを得ないのである。

 整理回収機構は、債権回収に一定の成果を上げているが、それは中坊さんが優秀だったというよりも、それなりの回収権限を法律上与えられたからである。

 要するに、調査能力に限っていうと、そもそも調査権限がないのだから、弁護士に過度な期待は止めた方がいいということである。



2002年02月14日(木) 証取法の規定は合憲の判決−日経の記事は大げさである−

 昨日の日経夕刊1面に、上場企業の大株主が短期間の売買で利益を得た場合、企業側が利益返還を請求できるとした証券取引法の規定(164条)について、最高裁は合憲の判断を示したという記事が載っていた。

 この判決について、日経は、「同条に関する最高裁の判断は初めてで、証券取引の透明性確保につながりそうだ。」との評価を下していた。


 しかし、それは大げさではないか。


 これまで、この規定の合憲性が問題視されており、実務で判断が待たれていたというのなら分かるが、そのようなことはなかった。

 また、この規定はすでに広く知られており、この判決がきっかけとなって、かかる規定の広報効果が期待されるということもない。


 その意味では、最高裁が合憲の判断をしたからといって、実務的な影響はないだろうし、この判決がきっかけで、「株不正取引防止に寄与」(日経の見出し)することもないだろう。



 では、なぜ最高裁は、このような合憲性の判断をしたのか。

 それは、2審で敗訴して最高裁に上告する場合、2審の判決に憲法違反がある場合に制限されているため、上告理由で、憲法違反を主張せざるを得ないからである。

 そして、上告人の憲法違反の主張に対し、最高裁も答えざるを得ないので、冒頭のような判決がなされただけである。


 おそらく、上告人も、憲法違反の主張が認められるとは思っていなかっただろう。
 それなのに上告したのは、意地になっていたからではないだろうか。


 いずれにせよ、新聞の記事は、大げさに書きがちであるので注意が必要である。



2002年02月13日(水) 警察と検事との関係

 日経朝刊社会面で「若手検事 警察署で研修」という記事が載っていた。

 そこで、検事と警察の微妙な関係について述べてみる。


 通常事件では、警察が被疑者を取り調べで調書を作ったり、現場の状況を記載した実況見分調書を作る。
 検事は、それを読んだ上で、再度、被疑者の取り調べをするが、ほとんどは警察での調書と同じ内容である。

 したがって、検事にとっては、警察の捜査がなくてはまったく仕事にならないのである。


 実際、一つ一つ当たって潰していく警察の捜査手法はすごい。

 私が担当した事件でも、福島で頻発していた車上の荒しの事件で、犯人が「福島には来たのは今回が初めてです」と供述したことがあった。

 そのため、警察は、まず車上荒らしがあった日に福島の料金所で回収された高速のチケットを、全部指紋照合した。
 そこから、車上荒らしのあった日に、犯人が、福島に行ったことを突き止めたのである。

 このような地道な捜査は、検事には絶対にできない。
 すなわち、検事は、警察の捜査なしでは仕事はできないのである。



 他方、検事は、裁判で必ず有罪にしないといけない宿命にあるし、そもそも、裁判で争われるのをとてもいやがる。
 そのため、完全な証拠を要求して、警察に対し、あれこれ再捜査を要求するし、裁判で争われると思うと、起訴しないこともある。


 したがって、警察からみれば、自分たちがいなければ証拠も集められないのに、あれこれ余計な捜査の指示したり、せっかく捜査したのに起訴しないこともあるから、検事というのはおもしろくない存在なのである。


 以前、福岡の裁判官の妻に逮捕状ができとき、検事が逮捕を止めたことがリークされたが、その情報の発信元は、それを快く思わなかった福岡県警からではないだろうか。



 要するに、通常は意識しないであろうが、潜在意識として、警察しては、検察庁をおもしろくないと思っているし、検察庁は、警察が本気で怒るのを怖がっているのである。

 大分前に、神奈川県警が共産党幹部宅を盗聴したのに、検察庁はそれを事件にしなかったことがあったが、それについて、伊藤元検事総長は、本気で警察を怒らせた場合の悪影響を考えたからであると回顧している。
 これは、亡くなる直前に書いたものであり、真実なのであろう。



2002年02月12日(火) 信組・信金 高リスク投資に走る−預金と投資信託との違いがなくなってくる−

 今日は新聞休刊日なので、コラムも休みと思っていたら、新聞社同士の争いから、特別版が発行された。


 その特別版3面に、運用難に苦しむ信金・信組が高リスク投資に走って破綻する事例が相次いでいることが報じられている。

 こうなると、銀行預金も投資信託も、ある程度リスクの高い投資を行っている点では変わりがなく、意外に両者に違いがないことが分かる。

 むしろ、情報開示という点では、投資信託の方が投資の対象をある程度開示されており、優っているといえる。

 今後、金融商品は、次第に垣根がなくなり、違いがなくなっていくのではないだろか。



2002年02月09日(土) ネットによる風説−現行法では防ぐことは困難ではないか−

今日の日経ではなく、昨日の朝日だが、

 朝日社会面に、「ネット風説 攻防激化」という見出しで、ネットの風説が株価や経営に影響を与えており、それに対し、企業は自衛に苦心しているという記事が載っていた。

 ある証券会社では、複数の部署の社員が、終日インターネットで監視し続けているそうである。

 「風説の流布」は証券取引法で禁止されており、罰則もある。

 しかし、占いを利用して推奨記事を書き、株をつり上げ、儲けていた事件では、罰金額は50万円であった。

 この占い師が実際どれだけ儲けていたかは知らないが、これでは、風説を防ぐことはできないのではないだろうか。



2002年02月08日(金) 破産法改正−未払い給与最優先−

今日の日経トップは、破産法の改正で「未払い給与を最優先」という記事であった。

 会社が破産した場合、会社にある資産をすべて現金化して、債権者に配当するのであるが、配当には優先順位がある。

 そして、現行法では、税金が一番優先するのである。
 したがって、従業員にまで配当が回らないことが極めて多い。

 新聞に載る倒産は、大型企業が多いが、多くは中小企業である。
 そのような会社の社長は、今日の支払いのことしか頭にないから、銀行や、取引先に対する支払いを最優先し、税金などは後回しにしてしまう。

 ときには、従業員から徴収している社会保険料を支払っていないこともある。

 そうすると、いざ倒産となると、相当の税金が滞納していることになる。
 したがって、配当は税金にほとんど充てられ、従業員の給料には回らないのである。

 破産管財人は、破産会社の資産を回収して、債権者に配当するのが仕事であるが、ほとんど税金の支払いで終わるので、税務署のために仕事をしているようなものである。


 従業員の給料と、税金のどちらを優先すべきかは、簡単には言えない。
 財務省は、従業員の給料を最優先するという今回の法改正に強く反対しているそうであるが、それがまったく不当であるとはいえないだろう。

 しかし、破産した会社の従業員は、失業するのだから、心情的には従業員の給料を最優先すべきではないかと思う。



2002年02月07日(木) タックスシェルター(課税逃れ商品)

日経27面・経済教室に、「課税逃れ商品に対応を」という論文が書かれていた。

 ここでいう「課税逃れ商品」とは、タックスシェルターと呼ばれる商品であり、匿名組合契約を利用している。

 そこで、匿名組合について説明しておくと

匿名組合は、商法に規定された契約形態であり、

匿名組合員が営業者に出資する
営業者が商取引を行う
営業者が得た利益を、出資割合に応じて匿名組合員に配当する

という契約である。

 タックスシェルターの典型的なパターンとしては、

 この匿名組合を利用して、

 まず、オランダにペーパーカンパニーを設立して、それを匿名組合員とする。
 次に、ケイマンに設立したペーパーカンパニーの日本支店をつくり、それが営業者となる
 ケイマンの日本支店で得られた利益を匿名組合員であるオランダ法人に支払う

 ということにするのである。

 そして、ここがポイントだが、日蘭租税条約によって、オランダ法人に支払われる利益に対し、日本でもオランダでも課税されないのである。

 これによって、1兆円以上の税金が免れているともいわれている。

 しかも、これを商品として販売しているのである。
 つまり、投資家に対し、投資する対象の事業と、課税逃れ商品とをセットで販売するのである。

 よく考えるともんだと感心する。

 このシステムで、出資を小口にすると、一般の消費者に対しても販売は可能になるように思われる。

 しかし、一般の消費者の場合は、十分な注意が必要である。
 なぜなら、税制は毎年変わり、場合によっては、節税効果がなくなる可能性があるからである。

 かつて、ワンルームマンションが節税商品としてもてはやされたが、税制が変更になり、節税効果がほとんどなくなったことがある。
 そのため、多くの人が、売れないワンルームマンションを抱えたままになってしまったことは記憶に新しい。

 ましてや、このタックスシェルターは、すでに税務当局から目を付けられており、課税されたケースもあるようである。

 そのため、節税商品であると説明を受けたのに、税制が変わり、あるいは税務署の見解が変わり、課税処分を受けて被害を受けることがあり得るのである。

 したがって、このような商品についても、金融商品と同様、説明義務などが問題になってくると思われる。

 税金を払わなくてもいいという夢のような商品だが、それは、かつて、一円も相続税を払う必要がないということを謳い文句にした、変額保険を彷彿させる。

 それだけに、一般消費者の場合には、安易に飛びつくのは危険なように思う。



2002年02月06日(水) 裁判官は、意外と消費者的思考をする

 日経朝刊社会面に、「医薬品の仕入れ価格の公表は適法」という判決についての記事があった。

 その裁判は大正製薬と安売りチェーンとの争いで、争点は、「医薬品の仕入れ価格は、取引を通じて知り得た営業上の秘密に当たるか」ということのようである。

 その争点に対し、裁判所は、「仕入れ価格は、売買契約を通じて取得したのもので、営業上の秘密に当たらない」と判断したとのことである。

 この判断に対しては、売買価格が分かれば、当然に仕入れ価格も分かるのだろうかという疑問はある。
 その意味で、裁判所の判断には疑問がある(もちろん、新聞に出ていない事実もあるから断定はできないが)。

 しかし、言いたいことはその点ではない。
 言いたいのは、裁判官は、意外に消費者的思考をするということである。

 つまり、裁判官は、「仕入れ価格を明かしてどこが悪い。悪いのは、仕入れ価格を隠して高額で売る側ではないのか」という気持ちを持ちがちということである。

 したがって、本件でいえば、大正製薬側は、裁判官を説得するだけの相当の証拠が必要であり、もともとハンデを背負って裁判していると考えるべきだろう。



2002年02月05日(火) 法人登記でミス−法務局は問題である−

 日経朝刊社会面で、「法人登記でミス」という記事が載っていた。

 法務局が、会社の資本金を誤記したが、商業登記法に明文の規定がないため、誤記を抹消することができず、登記簿上はいったん減資したという記録が残るということである。

 会社は、「減資した事実もないのに履歴が残れば、株主らに不安を与え、迷惑だ」と憤っているそうである。

 もっともな言い分である。

 実は、私も、不動産登記で誤記があったケースについて相談されて、同じような目にあったことがある。
 そのときも、法務局は、「誤記を抹消する規定がない」の一点張りであった。


 しかし、これは法律が悪いのではない。行政が悪いのである。

 誤記を抹消する規定を定めていない場合、登記法は、誤記を抹消してはいけないという趣旨なのだろうか。

 確かに、登記申請者が誤記した場合には、登記官は、形式的審査権しかないため、誤記であると分かってもそのまま受け付けざるを得ない。
 したがって、それを抹消するのは、錯誤を原因とする登記によるしかない。

 しかし、問題になっているのは、登記官が誤記した場合である。
 そのような場合には抹消するのが当然のことであり、それゆえ、法はあえて規定しなかったにすぎない。

 むしろ、「減資をしていないのに、いったん減資したという記録が残ってしまう」ことこそ、法の趣旨に反するのではないか。


 前述の不動産登記の件で、法務局に非常に嫌な思いをしたことを思い出し、つい、語気(誤記ではない)が強くなってしまった。 



2002年02月04日(月) 株の短期取引活発という記事を読んで

 日経朝刊1面に、「株の短期取引活発」「売買回転率、高水準」という記事があった。
 今日は、これに対する単なる感想だが・・。


 先日、持っていた株を、証券会社の担当者に無断で売買されたという法律相談を受けた。
 そのとき、その人は高齢の方であったが、「株は売るものではないと思っていたから、私が売るなんて言うはずがない。」と言っていた。

 その言葉を聞いて、「株は売るものではない、という時代もあったのだなあ」と思った。

 かつては、株価は右肩上がりであり、じっと持っているだけで資産価値が増えていた。それゆえ、「株は売るものではない」という考えは間違っていなかったのである。

 しかし、もはや右肩上がりの時代ではなくなった。
 バブル前に株を持っていた人が、じっと保有していたままだと、バブル前の株価水準に戻った現時点では、資産価値はまったく増えていないことになる。

 日本はすでに経済は成熟しており、短期的だけでなく、長期的にみても、株価は上がったり下がったりする時代に入ったのだと思う。

 したがって、株はじっと持っているだけでは資産は増えず、買ったり売ったりしないといけないようになったのだと思う。

 日経の「株の短期取引活発」という記事を読んで、そのようなことを考えた。
 



2002年02月02日(土) カラ売り規制−カラ売り自体が悪いのか−

日経朝刊4面に、「過剰なカラ売り防止」「金融庁、東証など要請」という記事が載っていた。

 最近、カラ売りに関して行政処分を受ける証券会社が相次いであることがきっかけとなったようである。

 その対策の1つとして、売り残、買い残額の発表が一週間に一度だったのを、今後は毎日公表することにするそうである。
(これまでは、過熱した銘柄だけを「日々公表銘柄」に指定して、その銘柄だけ毎日公表していた。)

 しかし、毎日の売り残、買い残は、東証はデータとして持っていたはずである。
 それをこれまで公表せず、カラ売りが問題になってから、初めて公表するという東証の姿勢は疑問である。

 そもそも、金融庁は、カラ売りは悪であるという意識を持っているような気がする。
 しかし、私は、取引形態というのは多様であっていいと思う。したがって、カラ売り自体は非難されるべきでないと考えている。

 ただ、前提として、充分な情報公開が必要である。
 それがなされるならば、ハイリスクなものも含め、様々な取引手段があっていいと思う。



2002年02月01日(金) 迷惑メールの規制−規制はやむを得ないのではないか−

日経3面に「迷惑メール 夏にも規制」という記事が載っていた。

 その記事によれば、迷惑メールを規制する方向で検討しているが、規制対象を商業広告に限定するか、発信業者全体に広げるかということとと、罰則として、罰金刑だけでなく懲役刑まで入れるかという点で意見が分かれているそうである。

 規制対象を商業広告に限定しようという理由は、「何でも規制すればいいというわけではない」ということらしい。
 つまり、表現活動に対して過度な規制になってはいけないということなのだろう。

 しかし、私自身は、迷惑メールが嫌で、携帯電話ではメールはつかっていない。
 また、現在行われているブロック対策(宛先不明の大量メールをブロックする)のため、正当な広告メールまで配信できない場合があるそうである。

 すなわち、迷惑メールが原因で、携帯電話でのメールという情報伝達手段が制約される結果になっているのである。

 そうであれば、自由な表現活動を確保するためにも、むしろ規制が必要ということになろう。
 しかも、その規制を実効性あるものにするためには、規制対象を広げ、広範囲に規制しなければ意味がない。

 また、罰金刑だけでは不十分であろう。
 罰金を払う以上に儲かるのであれば、だれも迷惑メールを止めないからである。

 IT革命は、情報伝達手段の多様性をもたらした。
 しかし、野放しでいいわけがなく、適切な規制をしないと、かえって情報伝達手段が制約されることがあることに留意すべきと思う。

(事務所のインターネット接続をADSLに変えたのですが、接続がうまくいかず、更新が遅れてしまいました。来週末まで、更新は夜になると思います。)


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