「バッカ」PV考 - 2007年11月29日(木) 「バッカ」PVに描かれた「銀河鉄道の夜」の意味をずっと考えている。 「銀河鉄道の夜」は、孤独な少年ジョバンニが 唯一心を寄せたカンパネルラと不思議な銀河鉄道の夜を旅する話だけれど、 それは、作者宮沢賢治が最も大切に想い続けた亡き妹としを偲んだ 樺太鉄道の旅が元に為って出来たのだそうだ。 クリスマスの夜、ひとり居酒屋で酒を飲み、街を彷徨う孤独なサラリーマン 吉井和哉が恋い求めるのは、自分自身が思い描く理想の幸せのかたち (それが自身の幼少時のものか現在のものかは不明だが)の幻影なのだろうか。 ビルの壁に映し出されたご両親に抱かれた赤ん坊の頃の 吉井和哉の映像に胸が熱くなった。 一番最初にもろにそれを感じたのは、THE YELLOW MONKEY「FATHER」だった。 その後ソロ活動を開始してからも、「SWEET CANDY RAIN」や 「CALIFORNIAN RIDER」など、亡き父への思慕を強く感じさせられる曲があった。 DVDの中で『父に逢いたくて静岡の用宗海岸に行く』という発言もあった。 吉井和哉が「父」を想う時その時は、きっと物心ついて父に甘えた幼少の頃、 父を失った5歳の頃に戻って仕舞うのかもしれない。 その渇望感は、成長して仕事や地位やその他も成功した今現在に為っても、 決して消える事は、ないのだろうな、と、そんな気がしている。 「SWEET CANDY RAIN」PVが発表された時に自分が受け取った 『喪失を受容せよ。』という言葉を もう一度噛み締めようと思った。 発売予定が延期されて、もしかしたら年内には出ないんじゃなかろうかと 案じていた吉井和哉自伝「失われた愛を求めて」は、どうやら 今年中には、出版されるらしい。 やっぱり怖いもんは怖い!(^_^;) 確かに、吉井和哉の原点は、その「父親からの愛」が失われた事に あるに違いないだろうが、それを言ったら自分自身は、どうなのか。 その事を自伝で赤裸々に話す事は出来るのか? それを暴いて心を痛める人は出ないのだろうか? この問題に拘り過ぎる私は、愚かなのだろうと思う。 けれど、人の世の「愛」を探し続ける事を 永遠の使命として与えられた人間=吉井和哉なのだとすれば、 『失われた愛』なんていう、そんな受動的な言葉じゃなくて、 どんな過酷な試練や孤独も一身に引き受けて 凛々しく立っていて欲しいと思うのだ。 なぜこの「バッカ」PVに「JAM」のモチーフが使われているのか? 「JAM」では、 “こんな夜は 逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて 君に逢いたくて 君に逢いたくて また明日を待ってる ” と歌われている。 身を刺すような深い孤独の夜に愛する人を一心に想う そのひたむきさは、 “音楽を軸に回るオレのLIFE この星の思い出を歌に” 残す為に 聖夜に独り「愛」を歌うその想いの強さに繋がっているのだと思う。 最後に伝えたいのは 『I LOVE YOU』だよね!? 黒い大きな帽子をかぶった「そのひと」に - 2007年11月28日(水) 『おまへはいったい何を泣いてゐるの。 ちょっとこっちをごらん。』と『やさしいセロのやうな声』で言われたい。 もちろん、「そのひと」は、何年か前に雑誌のグラビアに載った 黒い大きな帽子を被り黒いコートを纏ったあの吉井和哉の姿だ。 『さっきまでカムパネルラの座ってゐた席に 黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の痩せた大人がやさしくわらって 大きな一冊の本をもってゐました。』 昨日私は、「バッカ」PV冒頭に映し出されるあの文章は、 ブルカニロ博士の言葉だと思っていたが、今日改めて「銀河鉄道の夜」を 読み直してみて、この黒衣の「そのひと」は、ブルカニロ博士とは 別人格の存在ではないかと感じた。 「そのひと」は、ジョバァンニに『(カンパネルラは)ほんたうに こんや遠くへ行ったのだ。おまへはもうカンパネルラをさがしてもむだだ』 と告げる。ジョバァンニは、カンパネルラと 『いっしょにまっすぐに行かう』と二人で堅く誓い約束したと思っているのに。 『みんながさう考へる。けれどもいっしょに行けない。そしてみんなが カンパネルラだ。・・・あらゆるひとのいちばんの幸福をさがしみんなと 一しょに早くそこに行くがいい、そこでばかりおまへはほんたうにカンパネルラと いつまでもいっしょに行けるのだ』 「そのひと」は、なんて難しいおそろしい事を言うのだろう。 大きな緑色の切符=どこでも、どこまででも行けるという特別な切符を ジョバンニは手にした。「あらゆるひとのいちばんの幸福」を求めなくては いけないという果てしない旅という使命を与えられて。 第四次稿には、ブルカニロ博士も「そのひと」も登場しない。 『「カンパネルラ、僕たち一緒に行かうねえ。」ジョバンニが斯う云ひながら ふりかへって見ましたらsのいままでカムパネルラの座ってゐた席にもう カムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかってゐました。』 「黒いびろうど」の質感が私には、吉井和哉その人のように感じられる。 永遠の少年性を持つ「吉井和哉」は、ジョバンニでありブルカニロ博士であり、 菩薩のような「そのひと」であるのだろうと思う。 ああわたくしもそれをもとめてゐる。 おまへはおまへの切符をしっかりもっておいで。 そして一しんに勉強しなけぁいけない。…… みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、 けれどもお互ほかの神様を信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。 それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだらう。 そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して 実験でちゃんとほんたうの考とうその考とを分けてしまへば その実験の方法さへきまればもう信仰も化学と同じやうになる。…… ぼくたちはぼくたちのからだだって考だって天の川だって汽車だって 歴史だってたゞさう感じてゐるのなんだから、 そらごらん、ぼくといっしょにすこしこゝろもちをしづかにしてごらん。 いゝか。 「バッカ」PV - 2007年11月27日(火) さあ、切符をしっかり持っておいで お前はもう夢の鉄道の中でなしに 本当の世界の火やはげしい波の中を大股に まっすぐ歩いて行かなければいけない 天の川の中でたった一つのほんたうの その切符を決しておまへはなくしてはいけない 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」第三稿までに遣る文章 冒頭、画面に浮かび上がって来たこの文字を見て驚いた。 驚いたけれども、この「バッカ」のPVを見終わった時、 ジョヴァンニというのは、サラリーマンの格好をしているけれど 少年のままこの現実社会で彷徨う吉井和哉自身であり、 そのジョヴァンニを教え諭す、 セロのような声だというブルカニロ博士のこの冒頭の言葉も 吉井和哉の落ち着いた深い優しい声なのだろうと そう思った。 居酒屋で「宇宙の納期」について論じているサラリーマンの 上司と部下があがた森魚さんと松田洋治さん。 あがたさんが出て下さっているのも嬉しいし、松田さんはホントに 上手い役者さんだよね。 てっきりKREVAさんが吉井を殴るチンピラ役なのかと思ったら、 意外なところで出演されててにんまり。 想像以上に似合ってらした。 チンピラ役は、お笑いの西川君とまさかのアッ君。 あまりの嵌り役に驚嘆。良く出てくださったなあ。感謝です。 そして、mixiでPV制作の話を知ってからずっと期待が高まっていた あの「JAM」PVの男の子と女の子がこんなにも成長した姿に感動! クリスマスの街で流れるTV画面の中の「JAM」PVの子供達の映像。 サラリーマン吉井が追憶している「JAM」の子達。 すっかり成長した二人の姿。 ビルの壁面に映し出された、おそらく吉井和哉自身の幼少時の写真。 クリスマスの歌だというのに、何とも痛いくらいに切なくて、 でもこれ以上ないくらいに愛しい気持ちが込み上げて来るPVだ。 『感じるだけで良い』 いつも私は、新しい曲を聴いたりPVを見たりすると 偉そうにああだこうだと沢山の言葉を並べてこの日記を綴っているけれど、 もう一度この「バッカ」PVを見ていたら、『吉井和哉が好きだ〜〜!』って それで良いじゃないかと、ただ『溢れ出しそうなこの愛』を感じるだけで それで良いじゃないかと思った。 「銀河鉄道の夜」の第一稿から第三稿、最終稿について考えていて 次の文章に出逢った。 宮崎の賢治『農民芸術概論綱要』 「農民芸術の綜合」 ……おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を 一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか…… まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である 青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て 『つめくさ灯ともす宵のひろば たがひのラルゴをうたひかはし 雲をもどよもし夜風にわすれて とりいれまぢかに歳よ熟れぬ』 詞は詩であり 動作は舞踊 音は天楽 四方はかがやく風景画 われらに理解ある観衆があり われらにひとりの恋人がある 巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう ジョヴァンニが「銀河鉄道」の旅から帰って、 ひとりこの世の中の暮らしに向かって駆け出して行ったように 私もこの「バッカ」を見終えて、ひとつまた確かなものを 与えられた気がする。 おめでたいかもしれないけれど、そう感じられる事は、 とても幸せだと感謝した。 武道館の舞台裏 - 2007年11月24日(土) サウンド&レコーディング・マガジン12月号に 10月25日“GENIUS INDIANTOUR 2007”武道館公演PAが 紹介されていた。 宗元祐氏の談話が載せられている。 懐かしい。頭部に輝きが増していらっしゃるようだけれど とてもお元気そうで嬉しい。 本当に長い間吉井和哉のステージを見守り続けて来られた方なので、 吉井自身も安心して宗さんにPAを任せているんだろうな。 ROCKIN'ON JAPANやCDでーた、WHAT'S IN など 色々な音楽雑誌に載せられたいくつかの武道館レポも 興味深く読んだけれど、今日のこの武道館LIVEを 舞台裏から捉えた記事は、12連+3連に吊下げられた巨大スピーカー陣、 アリーナ後方のPA卓陣、ジュリアンとバーニーのギターアンプ、 ドラムセット、鶴谷さんのキーボード要塞から見やる客席、 吉井和哉のヴォーカルマイク・・・ これらの機材をセットして、音を調節して、そしてあの日あのステージで 実際に音を生み出したそれぞれのミュージシャンがいて、 宗さんを筆頭としたサウンドスタッフが会場全体に音を響かせて、 はじめてあの日のLIVEを成功させたのだと改めて実感して 何だかとても感激して仕舞った。 宗氏が『吉井君はあまりインイヤモニターが好きではない』と述べておられて、 「メカラウロコ8」を思い出したりもした。 『彼はごくまれにマイクを手で囲って歌う癖があるので』 『ハウって処理が大変なので・・・フェーダーから指が離せません。』 吉井の好みや癖を知り尽くして、万全の対応をして下さって なんて頼もしいお方だろうことか! 12月27日、28日の吉井和哉武道館も宗さんが音を作って下さるのだろうね。 どうぞ宜しくお願いします♪ 9mm Parabellum Bullet - 2007年11月23日(金) 12月20日発売予定『ROCKIN’ON JAPAN』1月号で 吉井和哉が9mm Parabellum Bulletヴォーカル菅原卓郎クンと対談すると聞いて、 ああそう言えば、スピッツのマサムネさんと吉井が表紙に為った「bridge」で 吉井が9mm Parabellum Bulletを推していた事を思い出した。 早速最近出たばかりだというアルバムを試聴したら、ビビッと来るものがあった。 アルバムを聴いた。 想像以上に良い。まずこの声が良い。 疾走感のあるサウンド、時にメロディアス、時に激しさがある。 歌詞がはっきり聴き取れるところが私はとても好きだ。 綺麗な心地良いだけの曲なら私は、心惹かれはしない。 けれど、この9mm Parabellum Bulletの「Termination」というアルバムからは、 ヒリヒリするようなROCKの衝動を感じた。 切なさと痛みが病みつきになるようだ。 シングル曲「Discommunication」の “喋るな 心が聞き取れなくなるから”、 「砂の惑星」の “失くしては怖いものを ぶっ壊して捨てるのさ”、 「Termination」の “観覧車越しに見上げた太陽 階段は途中で消えてしまったよ 簡単な永遠を数え終わる頃 明日だけが人間の持ち物” 引っ掻き傷を心に刻みつける「詞」だ。 RO69の取材情報に吉井和哉と菅原卓郎クンの撮影風景が 「ボウイとボラン」のようだったと書かれていたけれど、 私は、卓郎クンのあの髪形がシド・バレットのように思えた。 ちなみに9mm Parabellum Bulletの由来は、現在世界で最も普及している 弾薬である9mmパラベラム弾で ラテン語「Si Vis Pacem, Para Bellum」(汝平和を欲さば、戦への備えをせよ) から来ているのだそうだ。 エフェクターを壊したり、ギターとヴォーカルがステージ上で衝突して 流血沙汰に為る事もあるという凄まじく激しいLIVEなのだそうだ。 物凄く楽しみなバンドだね。 JAPAN来月号が待ち遠しい! 太陽と月 - 2007年11月19日(月) 「白夜行」に激ハマり中らしい吉井和哉は、 この「白夜行」DVDを見ていて、 『女性って青空に輝く太陽のような人と、白夜に潜む 太陽のような人と両方いる』と思ったそうだ。 澄み切った青空に燦々と輝き万物を明るく照らす太陽のような 女性も、白夜にま白く光る太陽のような柔らかで優しい風情の 女性もどちらも吉井和哉には素敵に映るのだろうね。 私は、太陽に憧れているけれど、太陽にはなれない。 夜空に明るく輝く月にもなれない。 ひっそりと輪郭もぼやけながら空に浮かぶ真昼の月だろうか。 吉井和哉の発言一つ一つでどうしてこうまで心揺らされて仕舞うのだろうか。 今日届いたROCKIN'ON JAPAN12月号に掲載されていた 高橋智樹さんによる10月24日武道館初日の吉井和哉LIVEレポに、 『ロックが持つ猥雑さ、艶やかさ、危うさ、痛さをすべて抱き締めながら、 イマジネーティヴな音楽の魔力と包容力を持ってシーンど真ん中で闘う……』 吉井和哉はそんな洋楽ソロ・アーティスト的アプローチを力技で実現しつつある と書かれていた。 格好良さ、いかがわしさ、艶やかさは勿論言うまでもなく、 吉井和哉には、危うさと痛みの度合いが絶妙な味わいをもたらしているのだと 私は思う。 “「真実なんてロープじゃ縛れない 痛みが好き 嘘つかないの」 ・・・・・・ 感動の瞬間だよ GIRLIE FEEL SO GOOD?” 痛さを感じるのは、嫌いじゃない。 痛みを感じるその時は、まやかしじゃないから。 「雨雲」 - 2007年11月12日(月) 10月25日吉井和哉武道館公演2日目の記事が載せられた 「ぴあ11・15号」と「TV Bros」を読んだ。 「ぴあ」の方は、「吉井和哉武道館2007」の 特別先行予約のハガキ付きで、これから初めて吉井和哉に 触れようとする人をも惹き込むようなそういう文章だと感じた。 1stソロアルバム「at the BLACKHOLE」で描かれた 当時の吉井和哉が迷い込んでいた混沌とした世界から 今作「Hummingbird in Forest of Space」冒頭の 「Introduction」で吉井和哉が、ついにブラックホールを 抜け出し広大な宇宙へ飛び立った様が良く判る。 「TV Bros」の青木優さんによれば、 『まだ過渡期、抜けきっていない現状』も感じられたそうだけれど、 THE YELLOW MONKEY活動休止から6年あまり、吉井和哉が 長い間悩みに悩み、試行錯誤を続けて来た末に辿り着いた今の姿、 『重い扉を開け、新しいスタートラインに立ち、吉井和哉という 音楽のスタイルを築き上げつつある』という事は、 吉井にとって大きな手ごたえと為ったのだろう。 武道館LIVEの最後に聴いた「雨雲」を歌う吉井和哉は、 本当に大きな包容力で会場全体を優しく抱きとめていたと思う。 「雨雲」は、困難や障害を現す負のものばかりじゃなく、 慈雨を降らせる大切な雲でもあるのだよね。 “I LOVE YOU I LOVE YOU”という言葉を噛み締める。 愛しいです。 「Dragon head Miracle tour 2008」申し込み開始 - 2007年11月02日(金) 吉井和哉Dragon head Miracle tour 2008のチケット申し込みが始まった。 全国10会場計16公演、私が申し込んだのは、初日1公演のみ。 どうか無事チケットを入手出来ますように! ツアータイトルが「Dragon head Miracle tour 2008」と知って 「GENIUS INDIAN」の次に何故「龍頭?」と不思議に思っていたが、 この「Dragon head」というのは、占星術において 日食や月食に重要な意味を持つものなのですってね。 <ドラゴンヘッド・ドラゴンテール>ドラゴンヘッドとドラゴンテールは、月の軌道と太陽の軌道の交点であり、 太陽、地球、月という並びでこのどちらかの位置になった時(満月)は、 <月食>が起こり、太陽、月、地球という並びでこのどちらかの位置になった時 (新月)は、<日食>が起こる。 「日食」や「月食」を古代人が『神聖なる太陽や月を天の竜(ドラゴン)が飲みんだ』 と恐れおののいたことに端を発し研究されて来たのだそうだ。 占星術上では、ドラゴンテールが前世、ドラゴンヘッドが現世を象徴しながら、 輪廻していくとみなされているらしい。 「GENIUS INDIAN TOUR」の「シュレッダー」で、 皆既日食の映像が使われていたのだったね。 ゆっくりと月が太陽を覆い尽くしていって、コロナが無数に蠢く赤いマニキュアの 女性の指に変わり、やがて女性の髪の毛のうねりに変化していく・・・ 幻想的な美しい映像だった。 ちゃんと第二部へ繋がっているんだねえ。 「Dragon head」がミラクルを起こすツアーなのか! ドラゴンヘッドの根本的な象意は、『飽くことのない貪欲さ』 ドラゴンテイルの根本的な象意は、『純粋さ・精神性の高さ』 を現すらしい。 決して現状に満足せず、常に新たな高みを目指し、 迷い苦しみながらも突き進む吉井和哉の姿に重なる。 右手首にコバルト色のドラゴンを刺青したあなたが どんなミラクルを起こして魅せて下さるのか楽しみです! 「bridgeVOL.54吉井和哉×草野マサムネ」艶(あで)と草 - 2007年11月01日(木) 普段なら発売日に届くものが今回一日遅れたものだから、 もう本当に待ち兼ねていて、今朝本を受け取るや否や 貪るように読んだ(笑) 吉井和哉と草野マサムネ対談を実現してくれた渋谷社長ありがとう! マサムネさん、この対談読んで益々凄いと思った。 吉井和哉の漢字一文字マサムネ評が「草」だそうだけれども、 単に優しそうな「草食動物」っていうんじゃないんだよね。 結構したたかで「『草』って、植物の持ってる卑猥さもあるし、 危なさもある」と、吉井が述べているが、上手い事言うわ。 エロくて狡くて危険な男だと思う。 マサムネさんの吉井評は、「艶(あで)」。 水晶の「晶」とも言われて吉井が嬉しそうだ。 『吉井くんはロックスターを引き受けてる感がすごくある』と マサムネさんに言われて、『……悲しい……』と応じる吉井の 姿が目に浮かぶようだ、 渋谷社長に『(女の子が実際つきあったら、二人とも) 大事にされながらひどい目にあいますよ。』と 断言されているのが面白かった。 それにしても『まったくモテないですよ!!』と言い張り、 マサムネさんに『自分の理想のモテ方と違うってだけでしょ?』、 渋谷氏に『そりゃ図々しい』と言われてしゅんとなる吉井が 可愛い。 『吉井くんはすごい少年ぽいと思う』とマサムネさんに 言われちゃう訳だ。 マサムネさんは、吉井が言うように少年の部分と全てを見通している 老人の部分を併せ持ってる人だよね。 『女の子がいなくなったあとのベッドにひとりでいるのが好き!』だの 『女の子が洗い物してくれると最高』だの、 フリーを強調してらっしゃる吉井和哉さんよりも、 『俺ね、洗ってあげたいほうです』と仰るマサムネさんにキュンとしちゃう 世の女性は多いと思うよ。 マサムネさんに勝負ありって私は感じちゃったぞ(笑) 凄い面倒くさい事を言っちゃうと、『青臭い青春で言えば、 自分はもう、26で子供ができたんで、その瞬間に終わったかなと思います。』と 自分から話したのなら、「赤ちゃんを抱きたい」という話の中で ファンに怒られて「楽屋で赤ちゃん抱っこ企画」がダメになっただの、 『でも7歳ぐらいになると別にどうでもいいんです。』という発言は、 ちょっとどうかと思った。 音楽雑誌「bridge」の対談なのだから、こちらがその部分に拘るのはおかしい のかも知れない。 でも「あなたがラヴソングを作る原動力はどこにあると思いますか?」と 問われて、『人を愛すること』と答える吉井和哉であるならば、 まず第一番に来る筈の愛情を注ぐ対象の存在をもっと想いやって欲しいと思った。 『ラブソングってあんまりないんですよね。 自分を愛してるのしかないので(笑)』って、 ご自分の事良く判ってらっしゃる。 12月発売予定「吉井和哉自伝」を震えつつ待とう(汗) 「温野菜」MCで前日行われたこの「bridge」取材後体調不良に陥ったと 聞いていたから、対談大丈夫だったかな?等と少々心配していたが、 期待以上の充実ぶりだった。 「キューティクルハニー」と「盗人」を是非、聴かせて頂きたい!
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