ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

年の瀬に - 2007年12月31日(月)

吉井和哉が今年最後にモバイルサイトへの書き込みに
『みなさんの幸せを本当に祈ってます。
 吉井和哉の音楽が好きな人で
 不幸な人がいるのは嫌だから。』とあった。
吉井和哉の優しさゆえの言葉なのだろうが
私は嬉しく思う以上に、あなたはファンに対して
そこまでしなくていいのにと思って仕舞った。
まずあなた自身が幸せになって下さいと。

話が逸れるようだけれど、
私は、美味しいものを食べたり、景色が綺麗だったり、
嬉しかったりすると直ぐ「幸せ〜!」という癖があるらしく、
今年一緒に温泉に行った妹に
『それって「幸せだ」と口に出すことでそう思い込もうと
しているんじゃないの?』と言われた。
それ以来、ちょっと「幸せ」という言葉に敏感に為っていた
のだけれども、「バッカ」PVで「本当の幸せ」という文字を
目にして、そして今朝の吉井の「幸せを祈ってます」という
文字を見て、心が揺れた。
吉井和哉はさあ、そんな皆の幸せを祈るようなことまで
しなくて良い人じゃないの!?
吉井和哉が自分の好きな音楽を作って世に出して、
それを受け取った人が幸せに為るっていう以上に
何を高望みするのよ!って思った。
吉井の書き込みを読んだ後に目にした朝刊の
読者欄の投稿に、甘えんぼのお子さんが毎晩
お母さんに「ママ、明日もにっこり合おうね。」と
ぎゅっとしてくれるというお話が載っていた。
「にっこりし合える」
親子でも夫婦でもカップルでも友人同士でも
人と人が、いえ、たとえ独りだって
「にっこり」出来ることを「幸せ」を
私は、大切にして生きたいと思った。


今年一年、この「Romantist Taste」と「Purple Sky」で
沢山の方々と触れ合えました。
本当に貴重な色々な想いを紡ぐことが出来ました。
ありがとうございました。
また来年もこの場所で吉井和哉とTHE YELLOW MONKEYへの
想いを綴っていきます。
どうぞ宜しくお願いします。





吉井武道館2007年12月28日 - 2007年12月29日(土)

12月28日に武道館Liveに行く事が、
長年の私の願いだった。
98年も99年もただ遠くから想いを馳せていた。
去年は、12月27日だけ何とか武道館LIVEを
観る事が出来たけれど28日に集う事は無理だった。
本当に、12月28日の武道館というものは、特別なのだと
実感した。
27日のセットリストを事前にお友達から聞いていたので、
そのうちの何曲が変更されるのだろうと、
是非聴きたいと願っていた曲が無くなって仕舞わないかと
気がかりだった。
結局、前日と変更されたのは、
LOVE LOVE SHOW→マンチーだけだった。
「Hummingbird in Forest of Space」、
「at the BLACK HOLE、WHITE ROOM」、そして
「39108」、YOSHII LOVINSONシングル、
オアシスとビートルズのカバー、THE YELLOW MONKEYの曲、
バラエティに富んだこのセットリストは、
2007年の年の暮れに吉井和哉が今聴かせたい曲なのだと
ダイレクトに伝わって来た。
自伝もこの歌達もみな、「吉井和哉という人間はこうなのだ。」と
世界に知って貰いたくて、晒け出したかったからこそなのだろう。
自伝を読み終えて、吉井和哉の作る曲は彼の人生そのものなのだと
改めて思い知らされたから、
「ワセドン」、「NATURAL」、「シュレッダー」、「TALI」、
「BELIEVE」、「バッカ」、「トブヨウニ」これらの曲は特に、
吉井の心情がもろにこちらに響いて来て震えた。
圧倒的なLIVEだった。
バーニーさんの「大都会」は、凄さまじかった。
歌える人だとは思っていたけれど、ここまで凄いとは知らなかった。
でも、この曲前のMCでゲストの話が出た時に
一瞬エマさんを思い浮かべた自分は、本当に業が深いと実感した。
この想いはいつになったら成仏できるのだろう。
昇華できる日が来るのだろう。
THE YELLOW MONKEYそのものだと信じる「SO YOUNG」は、
やはり激しく胸に迫った。

「吉井和哉15周年」というけれど、それはTHE YELLOW MONKEYが
デビューしての15年だ。
この12月28日にふさわしいならば、吉井和哉がボーカリストとして
世に誕生した日付、18周年というべきだと思う。
それなら吉井がTHE YEELOW MONKEYを歌おうが、LOVINSON時代を
歌おうが何だって好きにすればいい。
歌いたい曲を歌えば良いと思う。
けれど私は、自伝でこの曲はこういう背景だった、などという
リアルな意味付けをして欲しくなかったと思っている。
「俺の歌は俺のもの」それはそうだろうが、
世に出された曲は、聴く者の心で感じて良い筈だ。
だからオープニングゲストのアーサー・ホーランドさんの
お説教?も私は、吉井和哉のLIVEにはいらないと感じた。
良いお話だったと思う。
「吉井和哉がロックの星の王子樣」も面白いし、
インディアンの祈りの言葉も人が生きるうえでとても大切な言葉と
理解できる。
それでもそれは、各自が自分で見つけてこそのものと思う。
吉井和哉のLIVE会場でわざわざ「オープニング」でやって貰う必要が
あるのだろうか?
私は、LIVE前に流されるSEで、開演までの時間を
これから始まるめくるめくLIVE への期待と興奮に
胸を高鳴らせている時間が好きだ。
照明が消えて、吉井和哉がステージに現れ、音が鳴りだす瞬間が好きだ。
来年1月から始まるツアー第3部では、またあの時間を味わいたい。
きっともっと凄いLIVEにしてくれるだろう。
信じてます!




「失われた愛を求めて」と「バッカ」 - 2007年12月26日(水)

そもそも「失われた愛を」求めようとしても無理だろう。
失われて仕舞っているのだから。
失くした「愛」をどこか他所で見つけようとしても、
それは、自分が真に欲しかった「愛」ではない。
何故なら、自分は、あの時あの状況で、「愛」に
満たされたかったのだから。
まして、誰かを犠牲にして手に入れる「愛」なんて
紛いものでしかない。
見つかるはずのない「愛」を求めて、
「愛」の飢餓状態にもがき苦しみ、安らぎを渇望し、
「失われた愛を求めて」生きる吉井和哉は、
永遠の旅人なのだろう。
「どこまででも行けるという特別な切符」を手渡され、
「あらゆるひとのいちばんの幸福」を求めなくては
いけないという果てしない旅を運命づけられているのだと思う。
「自伝」と「バッカ」PVで浮かび上がる吉井和哉の
イメージは、「孤独な旅人」だけれど、
ただ孤独を悲しんでいるのではないと感じた。
“音楽を軸に回るオレのLIFE
 この星の思い出を歌に
 ・・・・・・
 絶え間なく続いて行くドラマ
 ただ君と一緒にいたかった
 独り言言うよ
 メリークリスマス”
本当に大切なものは何かを見つけた男の静けさ、
それでも旅を続けて行かなくてはいけない男の厳しさ、
この「バッカ」は、
人間吉井和哉の「儚く切なく美しい」愛の歌だ。




merry Christmas! - 2007年12月24日(月)

12月24日真夜中、吉井和哉がモバイルBBSに書き込みをしていた。
『自伝のことで沢山の人を不快にさせてしまったことを
本当に申し訳なく思っています。』と。
モバイルサイトのファンへ何も謝る必要などないと思う。
吉井和哉が今『吉井和哉自伝 失われた愛を求めて』を
出したのは、お母様とそしてTHE YELLOW MONKEYデビューから
終了への歩みとほぼ時を同じくしたこの15年間、
吉井和哉が愛し慈しんだ家族達への
『I LOVE YOU』の形だと私は理解したから。
新たなスタート地点に立った吉井和哉が
『吉井和哉の音楽を必要としている人達のためだけに、
この道を選び、最後まで歌い続けるつもりです。
自分の人生だから。』
『また一からがんばります』
その決意を示したかったからに他ならない。
だからどうか『所詮、見世物小屋の道化師ですから』などと
「所詮」という言葉を使わないで欲しい。
あなたは、「ROCK STAR吉井和哉」!
胸を張って堂々と『ライブハウス武道館へようこそ!』と
煽ってください。
楽しみにしていますから!




吉井和哉自伝 失われた愛を求めて - 2007年12月22日(土)

吉井和哉の自伝が出版されると聞いて、
しかもそのタイトルが「失われた愛を求めて」だと知ってから、
ずっと不安だった。
吉井和哉の口から、「THE YELLOW MONKEYの実態はこうだった。」とか、
「解散の真相」だとか、「この曲にはこんな秘話」とかが暴露されて、
大好きな曲達をこれまでとは全く違って響いて来るようになったら
どうしよう、とそんな心配をしていた。
「音楽創造と家庭の間で揺れて結局音楽を選んだ男の深い孤独」等を
切々と語られたら辛過ぎるなどと考えていた。
確かに今度「BURN」を吉井和哉が歌うのを聴いたなら、
「台所の換気扇」のイメージが浮かんで仕舞うかもしれない。
それはちょっと困るかもしれないけれど、そんなの関係ない。
「JAM」が誰に向けて作った歌だったのかは、知っていた。
だから大丈夫。
「PUNCH DRUNKARD」ツアーでの事、そこまで過酷な状況だったという事
までは、知ってはいなかったけれど、おぼろげな様子を
人の噂に聞いていた。
「3.10横浜アリーナ」LIVEを『ファンがまったく見えていない。
暗闇の中でやっているしかなくて』『覚えてないです。』
本当に傷ましくて涙が溢れた。
『SO YOUNG』は、やっぱりこんなにも大きな意味があったんだよね。
武道館で聴けるのだろうか。どう響くのだろう。
怖いけれど是非聴いてみたい。

愛情問題については、『人間的な、総合的な部分を含めて、
女性もバンドと同じで、ひとつしかないんですかね。』って
言っているから、私は、もうそれで許してあげようかと思っている(笑)
ジョニー・デップの映画「リバティーン」を思い出した。
沢山の苦しみと哀しみを経て、『慈愛』の境地に至った妻の
愛の豊かさ・強さを感じた。
去年の奥様からの言葉というのは、最大限の愛の印だったのだろうと私は思う。
今現在、静岡のお母様とも山梨の家族とも、とっても良い関係を
築いていらっしゃるようだけれども、それは、
吉井和哉側から見たベストな状態であって、
他方からは大きな譲歩があるだろうという事を
心して欲しいなあと感じた。
本当に余計なお世話だろうけれど、大切にしてあげて下さい。
でもね、自伝でここまでぶっちゃけて仕舞うんだから、
ファンが私生活について、あれこれ感想を述べるなっていう方が
無理でしょ。
親子の問題について、私自身が親についてのトラウマを抱えているので、
一言言わずにいられない。ごめんなさい。
トラウマなんて、他人がどうこう言える問題じゃないのは
判っています。だから吉井和哉がお母様に39歳でようやく
溜めこんで来た想いをぶつけられた事は良かったと思う。
だからこそ、あなた自身の子供にトラウマを残さないように
最大限に配慮して欲しい。
幼い頃、両親のどちらにも必要ないとされた(そう思わされた)
子供の傷は、深い。
こんなにも愛情深い吉井和哉には、そんな心配いらないと思うけどね。
「リバティーン」で伯爵が、『これでも私を好きか?』と
問い掛けていたけれど、吉井和哉もこの自伝で、
「これが生身の吉井和哉という男だけれど、これでも俺を好きか?」と
突き付けているのだろうな。
それでも吉井和哉を好きですよ。
また新たなスタート地点に立った吉井和哉が
次にどんな音楽を紡いでくるのか、次回作が楽しみだ。
そして1週間を切った「吉井和哉武道館」で
どんなLIVEを魅せてくれるのか、わくわくしている。




吉井和哉×菅原卓郎 - 2007年12月20日(木)

吉井和哉×菅原卓郎(9mm Parabellum Bullet)
『なんなんだ、このヴィジュアル。ロックの色気とはこれだ。』と
書かれているが、正にその通りだ!
菅原卓郎の面構えがホントに良いねえ。
吉井和哉と一緒に並んで、全然負けてない。
バスドラに腰掛けてる吉井が儚げに見える(笑)
菅原君が吉井和哉を≪幼い頃から憧れだった≫と
山崎洋一郎氏に紹介されて、その世代差に軽くショックを
受けつつやけに嬉しそうな吉井の様子が面白い。
吉井の9mmを評して『バンドサウンドの中に、
メロディが違う場所にいる・・・バンドの音が街とすると、
月ぐらい違うとこにいるの』『訳あり殺人バンド』と
表現していた所がとても印象深かった。
流石、吉井は美味い言葉を使うね。
菅原君からの吉井評が『大変な人だなあと思ってました』!
一言に尽きますね(笑)
吉井は、菅原君に『ジョー・ストラマーみたいなね、ああいうかっこよさを
持っているんですよね。媚びない。俺はそこで媚びて、
『構って構って』だったから。』と、大変素直に仰っている。
凄い。「構ってちゃん」の自覚は、あったんですね。
でも過去形で仰っているけれど、今も充分に「構って」体質だと思うわ。
吉井和哉という人は、相当なゲン担ぎ屋さんだとは思っていたが、
「at the BLACK HOLE」というアルバムタイトルを字画の本を見て
名づけたとは思いもよらなかった。
宗教は入っていない。『俺が教祖なんで』
いやあ、良く言った!
『エロエロ教祖』でも何でも好きなようにやっちゃって下さい。
菅原君に曲作りについて質問されて『4文字を6文字にしちゃいましょう。
メロディでひねりましょう。逆にメロディのフックになったりして・・・
新しい自分の財産ができると思う。』って、もう本当に親身に
頼もしい先輩のアドバイスしている姿に、ほろりと来た♪
吉井から菅原君への質問は、
『みんながみんなすごく好きなバンド』
だと思うけれど『もしひとりが辞めたいと言ったらどうします?』だった。
『バンドってほんとにそういう集合体の生命体だから、4人バンドは
4人分の運命とか人生が一緒に動いてるから、すごいスリリング……
うまくくぐり抜けて欲しい。』
あなたがそれを言うのか〜〜と突っ込みたかったけれど、本当にその通りだと思う。
9mm Parabellum Bulletというバンドがどのように進んで行くのか
物凄く楽しみだ。
吉井和哉と9mm Parabellum Bulletとのコラボレーション実現を期待したい。
吉井が9mmの演奏で歌う『Discomunication』を是非とも聴いてみたい。
何だかちょっぴり本気が混じってそうな吉井の『トリビュート、前の事務所に
言ってみようかな』発言が上手く転がって、
THE YELLOWMONKEYトリビュート&吉井和哉カバーに参加する
9mm Parabellum Bulletを楽しみにしている。

本誌164Pには、吉井和哉自伝「失われた愛を求めて」の案内が載っていた。
お母様に抱かれた赤ちゃんの吉井和哉。
お母様の目の強さ・美しさに目を奪われた。
兵庫慎司氏の「バッカ」DISC Reviewに、何故今「バッカ」を
シングルとして出すのか?それは、『改めて曲を聴けば聴くほど、
そして今の吉井が何を考えているのかを思えば思うほど、その真意が
見えて来る曲』だと書かれている。
シングル曲「バッカ」、「バッカPV」、そして12月25日発売予定の
この自伝「失われた愛を求めて」『この三者はわかちがたく結びついている』
のだそうだ。
自伝を読むと『「そういうことだったのか」といろいろわかります。』と仰る。
う〜ん、判るのが怖い気もするけれど。
ロッキンオン社で予約注文したので、早く届きますように。





祈りの言葉 - 2007年12月19日(水)

アルバムからのシングルカットで新曲もなしと知らされて、
ほんの少し淋しいと思っていた事が申し訳なく思った。
クリスマス前のこの時期に、この人恋しくなるこの季節に、
「バッカ」は、淋しさを抱える大人達に届けられた
クリスマスプレゼントなのだと実感した。
昨日、高橋栄樹監督のPV解説が発表された。
PVを初めて見た時から、お父様や赤んぼの和ちゃんを抱いたお母様の写真が
映し出されていたどこかの壁の場面が気に為っていたけれど、
あれが吉井和哉の生家だったんですねえ。
高橋監督が仰るところの
『サラリーマン吉井和哉』がクリスマスイヴの盛り場を歩く姿に託す
『意図=真実』を、もしかしたら私は、掴み取れてはいないのかもしれない。
けれど、イブの街を流離う男の姿、挿入される「JAM」PVの映像、
吉井和哉の生家、家族、死によって別たれた愛、
「JAM」の少年少女が成長した姿・・・それらから私が感じたものは、
「真実」とは、違うのかもしれない。
それでも私は、「バッカ」から自分が抱いた感触を大切にしたい。
『人は、独り。それでも生きていかなくちゃ。』
『連綿と続いていく命の継承。己を育んでくれた者達と
己の血を受け継ぐ者達へ、ありったけの愛を』
「バッカ」の最後に歌われる言葉は、
“独り言言うよ メリークリスマス”
直接伝える事は出来ないけれど、I wish you a merry Christmas!
祈りの言葉だ。

「シュレッダー」LIVEヴァージョンの威力は、想像以上だった。
CDでの「シュレッダー」も勿論良いけれど、
LIVE盤で音程を低く変えた箇所、声の張り、息継ぎ、掠れ・・・
臨場感が迫って来てゾクゾクさせられた。
「バッカ」LIVEヴァージョンの方は、ピアノの伴奏だけで
吉井和哉は、しっとりと繊細に歌い上げている。
切なさがより一層沁みて来た。
吉井和哉のLIVE未体験の人に是非聴いて貰いたい。
そして彼が何故「ROCK STAR」と謳われるのか、
実際にその目と耳で実感して欲しい。
知らないままでいるなんて、勿体ないもの!

Hummingbird in Forest of Spaceアナログ盤
独りっきりでヘッドフォンを装着して、レコードに針を落とした。
「Introduction」から「雨雲」まで全13曲が
2枚組レコードに刻まれている。
とても豊かで深い音だ。
≪顕微鏡で見ながらレコードの溝を削っていくという
とても神経を使う作業を40年近くも≫やっておられるという
小鉄さんのお陰なのだ。
こんなに素晴らしいレコードを作り上げて下さって感謝です!
封入されてた「温野菜」の時の「赤外線ロッカー」ポスターは、
とっても素敵だったけれど、折り目が勿体ない。
このポスターもストアで通販すれば良いのに♪




暁に果てるまで! - 2007年12月17日(月)

三島由紀夫の「豊饒の海」を薦められて読んだ。
*「春の雪」巻末後註には、
『豊饒の海』は『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語であり、
因みにその題名は、月の海のひとつのラテン語名なる Mare Foecunditatis の邦訳である。と
書かれている。
初期構想では「第一巻『春の雪』は王朝風の恋愛小説で、
言はば『たおやめぶり』あるひは『和魂』の小説、第二巻『奔馬』は檄越な行動小説で、
『ますらおぶり』あるひは『荒魂』の小説、第三巻『暁の寺』は
エキゾチックな色彩的な心理小説で、いはば『奇魂』、第四巻『天人五衰』は
それの書かれるべき時点の事象をふんだんに取り込んだ追跡小説で、
『幸魂』へみちびかれてゆくもの、といふ風に配列」
(「『豊饒の海』について」)することを考えていた。
のだそうだ。
侯爵家の子息清顕と伯爵家の令嬢聡子の命を賭ける程に激しく儚い恋の行方・・・
清顕の親友本田は、ある時20歳で命を落とした清顕が転生した少年飯沼勲に出会う。
勲は、純粋な情熱に突き動かされ、最終的にはやはり20歳で死に到るのだけれど、
≪『日の出には遠い。それまで待つことはできない。昇る日輪はなく、
けだかい松の樹陰もなく、かがやく海もない』と勲は思った。・・・・・・
正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った。≫
まだ日の光は見えない暗闇ではあるけれども、勲は、死の瞬間、
確かに輝く太陽を視る事が出来た。

『暁に果てるまで 悲しきASIAN BOY!』
雄々しく高らかに叫ぶ吉井和哉の声が響いてくるような気がした。

第三巻『暁の寺』において、主人公の魂は、タイの王女ジン・ジャンとして
本田の前に現われていた。
『われわれが我執にとらわれて考える実体としての自我も、
われわれが死後に続くと考える霊魂も、
一切諸法を生ずる阿頼耶識から生じたもの』
『輪廻転生を惹き起す業の本体は、「思」すなわち意志である。』
『来世はただ今世の連続であり、この世と一つながりで
つづいてゆく終夜の灯明の火が生なのであった。』
『愛憎や怨念はどこへ行くのだろう。
熱帯の雲の翳りや激しい礫のようなしゅう雨はどこへ消えるのだろう。』
ジン・ジャンもまた20歳に為った春に突然命を喪う。
第四巻『天人五衰』で老いた本田は、転生の少年と思しき安永透を養子に迎え
育てるが、ある時自尊心を打ち砕かれた透は、服毒自殺を図り
本当の転生者ではなかった事が明らかになる。
60年振りにようやく月修寺を訪ねた本田は、御門跡たる聡子に対面する。
だが彼女の口から発せられたのは、想像を絶する言葉だった。
松枝清顕という名前をきいたこともないのだという。
『記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、
それを近いもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようなものやさかいに』
『それも心々ですさかい』
何とまあ凄まじい衝撃であろうか。
聡子が『つややかな肌が静かに照るようで、目の美しさもいよいよ澄み、
蒼古なほど内に輝うものがあって』というほどに清らかに美しくあれるのは、
命を燃やし愛した記憶も想いも全て浄化して仕舞ったからだろうか。
これが聡子にとってのニルヴァーナ(涅槃)なのだろうか。
だとすれば、心の平安がどんなに静謐で美しいとしても、
私は、THE YELLOW MONKEYや吉井和哉を想うこの想いを喪いたくはない。
どんなに浅ましく愚かしい想いであると謗られようと。





独り言いうよ - 2007年12月16日(日)

1994年吉井和哉は、「jaguar hard pain」アルバム最終曲
「MERRY X'MAS」で、
“部屋の真ん中に鏡を置いて君と二人紅をひくのさ
 最後の夜に最高の夜にこの世に背を向けよう
 魂は死ぬことなく
 君は悲しむ事なく
 ・・・・・・
 真っ白な雪の夜に確かに君がいる喜びに
 MerryX'mas MerryX'mas
 ・・・・・・
 君は一人じゃない!
 君は一人じゃない! 

 MerryX'mas MerryX'mas
 MerryX'mas MerryX'mas ”
と歌った。
聖夜に、時空を超えて離れ離れに為った分身とも言うべき
ジャガーとマリーという恋人達が巡り合い一つになって
昇天していくというドラマチックな曲だ。
この時吉井和哉は、“I shall return!”と叫んでいた。
“雪は変わらない!
 永遠に変わらない!
 君は一人じゃない!”
と。
1994年12月27日「JAGUAR HARD PAIN FINAL TOUR '94 "I Shall Return !"」
ツアー最終日、中野サンプラザホールのステージで
吉井和哉は、マリーの黒いドレスを胸に抱き、そう歌ったのだという。
「永遠」って何だろう。
『君と二人』『君は一人じゃない!』と繰り返される程に
際立つ、「個」の極み。
あれからちょうど13年経ったこの年の瀬に流れる「バッカ」には、
“夜なのに 今夜は聖なる夜なのに
 絶え間なく続く星の爆発
 音もなく消えていなくなった
 ・・・・・・
 夜なのに 今夜は聖なる夜なのに
 絶え間なく続いて行くドラマ
 ただ君と一緒にいたかった”

ただ独りこの星に取り残されて、長い長い転生を繰り返し
生き続ける宿命を背負わされて仕舞ったかのような男の
深い孤独と諦観というべきような、そういう静けさを感じる。
切なさがとても身に沁みてくるのだけれど、
人を愛することの掛け替えのなさ、豊かさ、喜びを
知っているからこその、この淋しさがあるのだとそう思えば、
独りきりのこの夜の想いをひとつ残らず
自分の両腕でグッと抱き締めて遣りたくなるような、
そういう歌だと思う。






聖なるもの - 2007年12月13日(木)

アレハンドロ・ホドロフスキー監督の「サンタ・サングレ 聖なる血」を観た。
この作品の名前を知ってから随分経つ。
あまりに血生臭い猟奇映画だという先入観があって
今まで見そびれていた。
けれど、年末発売予定の吉井和哉自伝に書かれていると告知された
「母の呪縛」という言葉をきっかけに、ようやく観る踏ん切りがついた。
確かに残酷でグロテスクではあった。
けれどとても美しい映像だとも感じた。
何故もっと早く体験しなかったのかと悔まれた。
主人公フェニックスは、不死鳥、死して再び蘇るもの。
アルマは、スペイン語で魂。母コンチェは、貝、女性器の象徴。
父オルガは、生、性?
物語のラストにフェニックスは、残酷な現実を突き付けられたけれど、
彼は、あの「私の手だ!」というあの場面で、
真に解放されたのだと思う。
画面に映し出された

私はあなたに手を差し延べ
わが魂は渇いた地のようにあなたを慕う
道を教えたまえわが魂はあなたを仰ぐ
詩篇143篇


アルマがフェニックスの呪縛を解いていくシーンに
流れる音楽がとても優しく哀しく響いて胸に迫って来た。
フェニックスの少年時代と青年時代を演じたのが
監督の息子達だという事に驚いた。更に劇場の切符売りも。
美形揃いだ。手が美しい。
切り落とされた母親の両腕に為り代って、
舞台で演じたりピアノを弾いたりするフェニックスの
手指は、本当に艶かしく、手指自体に人格が宿って
蠢いているようで、妖しく美しかった。
「GENIUS INDIAN TOUR」で映し出された映像の
蠢く赤い指先を思い出した。

観終わって考えたのは、「呪縛」を解くのは、
「赦し」ということなのかなあという事だ。
人を、自分を、赦すというのは、本当に難しいことだよね。
私自身の課題でもある。
でも、いつか必ず、その日が早く来ますように!





愛の連鎖 - 2007年12月12日(水)

ジョン・レノン・スーパーライヴでトリビュート・バンドのバンマスを
務められた和田春彦さんのブログ「バンマスのぼやき」を教えて貰った。
出演アーティストとのリハーサルの様子がとても興味深い。
特に吉井和哉とのセッションを『すごく刺激的で大いに盛り上がり』、
『吉井さん自身は相変わらずのクールさ』だが、
『彼はこちら側をやる気にさせる何かを発散してくる』と書かれていて、
とても誇らしく思った。
『ビートルズ時代のジョンのある名曲を、オリジナル通りでなく・・・
全く別のサウンドにアレンジ・・・かなり大きなスケール感を
持った曲になった』『とても高揚感のある時間になりました』
これは、「HELP」のアレンジについて仰っているんだよね。
本番でもこの演奏は、非常に評判が良かったそうだし、
いずれTV放送で見聴き出来る日がとても楽しみだ。
スーパーライブ翌日の吉井和哉がモバイル公式に書き込んだ
『ロックって熱さ?ここ何年か、オレには熱さが足りなかった。
とはいえ、熱さを取り戻したかというとそうでもない。
熱さを取り戻そうと、必死になって鳴らすのも十分熱いだろ。

ジョン・レノン・スーパーライヴでの裏側で、
なんでもないふりして必死になってる、同世代のミュージシャンと
穏やかな時を過ごせて、今日は幸せだった。
ジョンがくれた、かけがえのない一日だった。
みんながんばってるよ。
みんな、いちいち細かいことは言わないけど、
本当にがんばってるんだ。』
という文章をもう一度
噛み締めるように読んだ。
吉井和哉は、色々な場所で色々な出逢いをして
確実に様々なものを吸収しているのだね。
2001年秋、吉井和哉が初めてジョン・レノン・スーパーライヴに
出演した時、ステージに鈴木享明氏を伴って現れた姿に
私は、どうしようもなく動揺した。
あの時私は、吉井和哉がTHE YELLOW MONKEYメンバー以外の人と
組むことを受け入れ難かった。ソロツアーが始まり
吉井サポートメンバーの顔ぶれに少しづつ慣れてはいったが、
インディアンツアーでエマさんのギターが不在である事実は、
やはり私には、想像以上に大きなものだった。
今日この和田春彦さんのブログを読ませて貰って、
好きだという気持ちだけでミュージシャンを枠に嵌めようと
するような、自由を奪うような想いは、
とても申し訳ないことなのだろうと思わされた。
吉井さん、どうぞ思うまま新しい風を吹かせて下さい!
どんな化学変化を起こして魅せて下さるか、楽しみしてます。

新しいと言えば、mixi日記内で高橋栄樹監督が
「バッカ」MVについて、『イエローモンキーのビデオを撮っていた時からは
随分変わった気がする』と書いておられた。
実際、7年振りに吉井さんにカメラを向け撮影を開始し、
演出をした直後くらいに 吉井さんから
「もしかして、キャラ変わった??」と聞かれたのだそうだ。
技術的に、細かいカット割りがなくなったし
カメラアングルも、色彩も、そんなにこだわっていないのだという。
『ただ一つこだわっているのは、・・・画面の中にいる人々が本当に息づいていて、
それが 画面外の(つまり映像をみている方々)の友人として、
佇んでいられるかどうかに、興味が集中している。
だからもしMVを観て、その中の人物に、今まで以上の愛着を
感じてもらえたら、僕の仕事は殆ど完了してるんだろう。』と仰っている。
「バッカ」PVを見て、とても懐かしい切ない気持になったものなあ。
サラリーマン吉井和哉は、「JAM」の中のあの孤独な青年の歳を重ねた
姿なのか、はたまた時空の旅を続けるジョバンニの化身なのか、
高橋監督の意図するところを私は、完全に理解出来ていないかもしれないけれど
とても印象的なPVだった。
最近BLOGを開設されたらしい。
EIKI TAKAHASHI BLOG
期待してます!




鎖 - 2007年12月11日(火)

ロッキンオンHPに「吉井和哉自伝」の告知ページが出来た。


吉井和哉自伝
失われた愛を求めて

ロック・スターの人生は美しいのか? 悲しいのか?


独白! 出生、父の死、静岡で過ごした暗黒少年時代、歌謡曲、祖母、ロックへの目覚め、母への想い、結婚、父親業、イエロー・モンキー解散、そしてソロへ……ロックンロールに人生を捧げた男が不惑を越えた今だからこそ明かす半生記


母親の呪縛から逃げない限り、俺の人生はないんだっていうのは、漠然とあった。やりたかったことをやめて鉄工所に入って亡くなった父親と同じ人生になってしまう、と思ってすごい怖くて――

本文より 
   
他サイトで12月29日発売と案内されているそうだが、
何とか年内に出る事は確定したようで良かった。
年末「吉井和哉武道館」物販で並んでいたりするのだろうか。
「本文より」で目を奪われたのは、“母親の呪縛”という文字だ。
吉井和哉は、「束縛」ではなく「呪縛」という言葉を使ったのだなあ。
そう言えば、吉井和哉という人は、
昔っから縛られるのが好きな人なのだったな。
(歌詞中に良く出て来るという意味において)(笑)


「WELCOME TO MY DOGHOUSE」
Welcome to my doghouse 私の首の鎖を
Welcome to my doghouse すぐに すぐに外して

「I LOVE YOU BABY」
足枷という名の幸せの 鎖を外すカギを探す
何時までここに居られるの必ず見つけるさ
Come on!

「エヴリデイ」
軽い気持ちで 重い答えを どこかで 僕は待ちながら
寒い季節を 熱いまやかしで
首にはずせない くさりつけた

「バラ色の日々」
砂漠の荒野に倒れても 長い鎖につながれても

束縛・呪縛・・・誰かからの強い干渉、行動制限。
けれど、吉井の場合は、心理的なものが大きいのではなかろうかと
思って仕舞う。
その対象になる事柄が吉井を繋ぐというよりかは、吉井自身が鎖を
作って仕舞うとでもいうような。
だから静岡時代にお母様に感じた「呪縛」というものは、
東京へ出て来てからは、当時の境遇や、
その後THE YELLOW MONKEYとしてデビューして成功したのちは、
THE YELLOW MONKEYという存在自体に、そしてもしかしたら、
吉井和哉が積み上げて来た、手に入れて来たもの全てに
「呪縛」を感じてしまうのではと、そういう風に感じた。
『因果な人だなあ』
なんて、読む前から判ったような口を叩いちゃいけませんね。
≪40年余の人生すべてが彼の「歌」につながっていた、という運命の必然≫を
心して読ませていただきます!

12月10日付のROCKIN'ON JAPAN編集長・山崎洋一郎さんの日記に
ダイムバッグ・ダレルを追悼して道端で延々ギターを弾き続けていた
少年の話が書かれていた。
≪ただ大好きなアーティストのことだけを思いながら弾いているのが
伝わって来た≫と。
≪そうしないといてもたってもいられないような気持ち≫!!!
傍から見れば意味の無い行為に思えるかもしれないけれど、
私がここにこうやって書いているのも、
「書かずにいられない気持ち」に違いないと思う。
THE YELLOW MONKEY、吉井和哉が大好きなこの気持ちが
思い出に為る日が来るとは、今のところ想像も着かないなあ。
死ぬまで現役目指しましょう♪(笑)






DUST TO DUST - 2007年12月07日(金)

突然「jaguar hard pain Live」の映像を見たくなって、
古い映像を引っ張り出して観た。
これは、LIVE Yで放送されたものだ。
暗いステージにスポットライトが当たって、
黒スーツに赤い羽根飾りのアイマスクを着けた男の姿が浮かび上がる。
「DUST AND DUST」
日に焼けた赤い船 血の絶えた恋を乗せ

波を切る DUST TO DUST

血の絶えた恋はまた 手紙の声に耳を立て

その胸を震わせる DUST TO DUST

弔いの身は果てた 清らかな水を浸せ

時は枯れて 鳥よ羽ばたけ

DUST TO DUST

In the midst of life we are in death. Earth to earth, ashes to ashes, dust
to dust; in sure and certain hope of the Resurrection into eternal life.
キリスト教の葬儀で埋葬の時に、唱えられる祈祷文だ。
≪われら、生のさなかに死に臨む。土は土に、灰は灰に、塵は塵に。
永遠の生への復活を信じ願いつつ。≫

死と再生を歌ったアルバム「jaguar hard pain」のLIVEの幕開けに相応しい
オープニングだ。
「DUST TO DUST」を歌い切ると男は、ステージに崩れ落ちる。
客席がざわめく中、あのギターフレーズが響き始め、
白いスーツ姿の吉井和哉がゆっくりと姿を現す。
何度見てもゾクゾクする格好良さだ。
DVD BOXに収められた「jaguar hard pain Live '94」の紹介文は、
『1994年、伝説のJAGUAR HARD PAIN TOURはその幕を開けた。
壮大なドラマに取り憑かれた情念のシアトリカル・ステージが遂に蘇る!』だけれど、
「薔薇娼婦麗奈」で曲間にタンゴを踊る男女のダンサーに負けず劣らず
妖しく歌い踊るjaguar吉井は神懸っている。
華麗に激しくギターを奏でるエマ、身体の芯を震わすようなヒーセのベース、
胸の鼓動を駆り立てるようなアニーのドラム、この4人が合わさって作り出す
エネルギーの大きさに眩暈がしそうだ。
「Red Light」歌い出しのエロさは、ヤバ過ぎる。
あれから13年。
もし、今の吉井和哉が「jaguar hard pain」を歌うとしたら
あれらの曲を一体どう表現するのだろう。
先日モバ公式で吉井が「嘆くなり我が夜のFantasy」を
「ペッパー警部とウォンテッド」と表現してから、
「吉井武道館」で衝撃の曲達が披露されるのではないかと
ドキドキしている。
「あの曲だけは、THE YELLOW MONKEYだけの物にしておいて」
そう願う曲もあるけれど。
≪永遠の生への復活を信じ願いつつ≫
そう祈る為には、必ずきちんと弔う必要があるのにね。
過去を過去と区切る事が私には、どうしても無理のようだ。




高く遠い夢 - 2007年12月05日(水)

高く遠く、永遠にたどり着けないような高い山
あきらめなければ 登りつづけられる
一歩づつ いつか夢の頂上へ
そう思うも 現実ははるかに厳しい
死力を尽くして 不撓不屈
根性 情熱を燃やして
限界を超えて 登りつづける

三浦雄一郎 5月23日 下山中、サウスコルにて



日曜の午後、TVで「三浦雄一郎 70歳のエベレスト登山」
という番組が放送されていた。
2003年5月に70歳という年齢でエベレスト登頂に成功した
三浦雄一郎さんのドキュメント映像だった。
YOSHII LOVINSONの頃にコラムで、吉井が飛行機の中で読んだ
この三浦さんのインタヴューの話を取り上げていたのを思い出し、
興味深く観ていた。
エベレスト登頂に向けての厳しいトレーニングの日々の様子が
描かれていた。「何故、そこまで遣らねばならないのか。」と
傍目には思えて仕舞う程の過酷なトレーニングを、
三浦さんは、飄々とこなして行く。
やがて現地へ到着し、徐々に身体を慣らし、いよいよ明日から
エベレスト挑戦が始まるという前夜、日本で待つ娘さんと奥様に
電話で話した折、「無理をしないで。」と呼び掛ける奥様に
三浦さんが『いくところまで行けば、その先は、宇宙しかないから。』と
答えておられた場面がとても印象深かった。
C2(6450m)地点、テントの周りには、ヒマラヤスズメやカラス達が
集っている光景に驚く。
けれどその先には、青光りする氷の壁が立ちはだかっている。
酸素の助けを借りてようやくC4サウスコル(7984m)に辿り着いた時、
三浦さんは、剥製のように固く凍りついた鷲の亡骸に遭遇する。
大きな岩の上に石を積んでお墓を作り、
手を合わせ弔ってあげる三浦親子の様子に
命というものの厳しさ、尊さというものを知る人の温もり、
極限に挑む人の清らかさを感じた。
TVのナレーションは、このC4サウスコルが
『世界で最も高い峠』なのだと告げていた。
「人が登ろうとするからこそ、峠が生まれる」
以前この日記にも書いたことがある。
THE YELLOW MONKEYの曲で私が最も愛するのは、「峠」だ。
どんなに強い風が吹こうと視界が悪かろうと
きっとその先には、「虹」がある。

三浦さんと二男の豪太さん、カメラマン村口さんの三人は、
狭い岩の間にテントを張ったC5(8400m)という場所で
登頂アタックの機を狙う。限界ギリギリの状況で
まさに死と隣り合わせの場面で、最善の判断を下す。
あの精神力の強靭さは、脅威だ。
ベースキャンプからつぶさに詳しく情報を送る
長男雄大さんの力も大きい。
ついに70歳と7ヶ月で三浦雄一郎がエベレストの頂に立つ日がやって来た。
1970年三浦さんがエベレスト滑降を成功させた時にも撮影したという
カメラマンが超望遠レンズで捉えた映像が物凄く美しかった。

今日、三浦雄一郎さんが書かれた70歳エベレスト登頂記「高く遠い夢」を
読んで、改めて思った。
吉井和哉も菊地英昭も広瀬洋一も菊地英二も
やっぱり「峠」の戦士だ。
今は、きっとそれぞれの「峠」に挑んでいるのだろう。
けれど、戦士達が目指す空の彼方にはきっと同じ「虹」が出ているのだと思う。





「SO YOUNG」 - 2007年12月04日(火)

昨日行われた『THANX! ELL 30th ANNIVERSARY・フラワーカンパニーズ追加公演』に
オープニングアクトとして登場した吉井和哉は、ピアノの鶴谷崇さんの伴奏で
「TALI」「シュレッダー」「バッカ」「SO YOUNG」のアコースティックヴァージョンを
披露したそうだ。
夕方吉井がモバBBSに、
『今日は鶴ちゃんと「アコースティックライブ」を“かましてきます!”』なんて
書き込んでいたから「TALI」は、あるんじゃないかと思っていた。
けれどまさか「SO YOUNG」とは、予想もつかなかった。
大阪城ホール「バラ色の日々」以来の衝撃だ。
私にとっては、吉井和哉がソロで「JAM」を歌うこと以上に大きい。
何故なら「JAM」は、THE YELLOW MONKEYの代表曲と言っていいほどに
大きな曲だとは思うけれど、その歌われた世界は、一個人ともいうべき
ひとの孤独、愛を求める想いの強さというものが主題だと私は感じている。
それに対して、「SO YOUNG」は、あの過酷なパンチドランカーツアーで
生み出された曲であり、あのツアー最終日「3.10横浜アリーナ」で
演奏された壮絶な印象が強かったからだ。
だからこそ「SO YOUNG」は、THE YELLOW MONKEYそのもののように
私は、これまで思って来た。
THE YELLOW MONKEYの正式な終わりの日は、2004年7月7日だったけれど、
THE YELLOW MONKEYの実質的な最終公演は、2001年1月8日だったけれど、
1989年産声を上げたTHE YELLOW MONKEYの炎が最後に大きく燃え上がったのは、
この1999年3月10日横浜アリーナの「SO YOUNG」だと思う。
“終わりのない青春
 それを選んで絶望の波にのまれても
 ひたすら泳いでたどりつけば
 また何か覚えるだろう”

「終わりのない青春」と歌われてはいても、これが
THE YELLOW MONKEYの終わりの歌だったのだと感じる。
しばらく休んだ後のプロデューサーシリーズから
スプリングツアー、夏フェス、「8」リリース、そして
大阪ドームと東京ドームでの「メカラウロコ8」までの道のりは、
あれはきっと高速で回転し続けていたTHE YELLOW MONKEYという強大な
エネルギー体が回転を止めようとしても止められずに
空中分解しない為にゆっくりと止まるために必要な緩衝帯、
余韻のように感じられる。
殯(もがり)という言葉が浮かんで来て仕舞った。
私には、そんなイメージだ。

「SO YOUNG」を歌い切った後、メンバーが肩を組んで大観衆をバックに
撮ったあの記念写真を後に吉井は、「遺影」だと表現した。
吉井和哉自身にとっても「SO YOUNG」は、大きな意味を持つ曲である筈だ。
その曲を、ソロで、ピアノだけをバックに歌ったなんてなあ。
インディーズの頃からとても世話になったライブハウスのオーナーの方に
感謝の意を表する為?30周年のお祝いに「終わりのない青春」を?
吉井の意図したところは、私には、想像することさえ出来ない。
けれどもし、12月28日の吉井武道館で、「SO YOUNG」のあのイントロが
流れ始めたら私は、どうなるだろう。
立っていられないかもしれない。歓喜の涙を流すだろうか。
エマのあのギターソロを死ぬ程恋しいと涙を流すだろうか。
その時私が、たとえどんなに涙を流していようとも、
吉井和哉には、彼が選んだ“好きな歌を”歌っていて欲しい。

「北を向いての曲もあり!?」
「デビュー15周年YEARを記念した年末恒例2days武道館チケットが
即日SOLD OUTとなりましたため、
急遽1F北スタンドを開放することが決定いたしました!!
前代未聞!北を向いての曲もあり!?」

吉井和哉モバイル公式からメルマガが届いた。
北スタンド席発売!?
確かに公式上では、SOLD OUTになっているようだが、
オークションでは、27日のチケットが大量に、
28日のチケットも数多く売られているのに?
良席確保の為に複数応募した結果か、
もしくは、最初からオークション等で稼ぐ為なのかは、
知らないが、結局捌き切れずにアリーナ後方や
1階席、2階席に空席が出て、一般客が北席を埋めている
なんていう状況になったら、どんなに悲しいだろう。
チケットを申し込んだのなら責任を持って欲しいと思う。
その事も気がかりだけれど、それ以上に気に為ったのは、
『前代未聞!北を向いての曲もあり!?』という言葉だ。
武道館北には、日の丸が掲げられている。
もしかして、あの曲を演って仕舞うのか!?
『吉井和哉には、彼が選んだ“好きな歌を”歌っていて欲しい。』
そう思う心に嘘はないけれど、
生半可な気持ちでは、「吉井武道館」に参加出来ないような
そんな胸騒ぎがする。




ARENA 37℃ SPECIAL - 2007年12月01日(土)

現在発売中の雑誌「ARENA 37℃ SPECIAL」2008/01号に
10月24.25日吉井和哉武道館公演の記事が載っている。
実際目にする前は、載っているとは言っても、
せいぜい1Pか2Pくらいが良いとこだろうと思っていたのに
何と、大きなカラー写真入りで6Pも掲載されている。
こういう若者向けの雑誌に取り上げて貰えるなんて、と
感動した。
赤い照明に照らされて、サングラス、黒革手袋姿の吉井が
上向きに唇をつぼめてみせるこの仕草・・・
削げた顎のラインと首筋の陰影にゾクゾクさせられる。
羽織った白シャツの脇の汗染みがくっきりと目立つ程に
汗を滴らせ、両腕を伸ばし虚空を見上げる吉井の目の輝きに
目を奪われた。
頬の窪み、法令線、年齢を重ねた男の顔だ。
10年以上前にこの雑誌に載った時のような、
艶つやのお肌ではなくなったかも知れないが、
私は、このフォトの吉井和哉もこの上なく美しいと思った。
親指を高く掲げ、得意そうに唇を突き出す表情が好きだ。
白スーツでアンコールを歌う吉井をステージ後方から映し
盛り上がる客席を映したフォトは、どうやら24日のものらしい。
判別不能だが、きっとあの中に私も居た筈だ。
そう考えるだけで、吉井和哉のLIVEに参加出来た幸せを
より一層深く感じた。





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