ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

咲け・・・花 - 2006年04月22日(土)

あの大阪城ホールから既に2ヶ月が経とうとしている上に
吉井和哉の夏フェス参加情報が次々に発表されている状況だけれど
あのアンコールの「バラ色の日々」で私が感じた事をもう一度纏めておこうと思う。


2006年2月28日大阪城ホールでの吉井和哉 TOUR2006『My Foolish Heart』
最終日、一番最後に演奏されたのは、THE YELLOW MONKEYが
混迷を続けていた期間に出されたあの「バラ色の日々」だった。
昨年夏に行われた初ソロツアーから約半年、新しく発表されたのは、
ツアー開始当日発売されたシングル「BEAUTIFUL」一枚のみという状況ではあったけれど、
各主要都市のZEPP会場と武道館2DAYS、そして最終日大阪城ホール計全国16公演のLIVEは、
昨年のものより格段に吉井自身の歌もパフォーマンスも
そして彼を支える演奏陣も全てがグレードアップされたものになっていた。
「at the BLACK HOLE」と「WHITE ROOM」という2枚のアルバムで、YOSHII LOVINSON名義で
発表された曲と吉井和哉として新しく第一歩を踏み出した「BEAUTIFUL」に収められた3曲とを
吉井は、力強く時に穏やかに伸び伸びと表現していた。
あのままLIVEが終了していたら、誰もがツアーファイナルとして満足するLIVEだった事だろう。
しかし吉井和哉という人は、それだけでは終わらない。
最後の最後に、ドでかいサプライズを仕掛けて来た。
本編中のMC『当日券が800枚残りました。後悔させるぐらいのLIVEにしましょう!』を聞いて、
THE YELLOW MONKEYのツアーファイナルなら即ソール度アウトだった筈だし、
例え武道館が2DAYSであろうと横浜アリーナ4DAYSであろうと、
「満員御礼」だったろうにと思った。
冗談めかした口調ではあったけれど、かなり悔しかったのだろうと感じた。
けれどあのアンコール最後の選曲は、吉井和哉の単なる「最終日のお祭り」的な
意味合いでは無かったと私は思う。
「吉井和哉」ツアーで演奏されるTHE YELLOW MONKEY曲がファンにどのような
反響を巻き起こすか、吉井は、多分ある程度覚悟していたのではないかと思う。
『カヴァーやろう!カヴァー。内緒だよ。』と、確信犯的笑みを浮かべながら
歌い出した“追いかけても 追いかけても”のフレーズは、
大阪城ホール全体を震撼させた。
一瞬の静寂の後、観客の大多数が叫び、泣き崩れ、熱狂した。
「バラ色の日々」を歌う吉井は、とても伸び伸びと気持ち良さそうに見えた。
傍らでギターを奏でる菊地英昭は、昔のままの華やかな「エマ」のオーラだった。
ツアー前のインタヴューで、吉井がTHE YELLOW MONKEYを歌う日は、
案外近いのかもしれないとは感じていた。
けれどまさか今回のツアーで、それも最終日のこの最後の最後で演奏されるとは、
思ってもみなかった。
ついに吉井は、越えたんだなと、その事が一番大きく響いていた。
だからTHE YELLOW MONKEYの曲があのメンバー以外で演奏されている、
ヴォーカルは吉井でギターはエマでも、ステージで鳴っている音が、ヒーセのベースや
アニーのドラムではないという事実、キーボードが三国さんじゃないという事、
バーニーさんというギターも鳴っている事を、全て終わって客電が点いて我に帰るまで
私は全く認識していなかった。
それ程までに吉井和哉の歌う「バラ色の日々」は圧倒的だった。
私が生で聴いた2001年大阪ドームで
“I WANT A FUTURE I WANT A FUTURE I WANT A FUTURE”と
繰り返されたあの時よりも、ずっと力強く艶やかな歌声だった。
THE YELLOW MONKEYだからじゃない、休止期間を経て、BLACK HOLEを潜り抜け
解散を決断して年輪を刻んだ39歳の男が歌う「勇気と希望の歌」だったからこそ、
魂が震わされたのだ。
今現在の吉井和哉が歌ったことで「バラ色の日々」という曲に、新たな命が
吹き込まれたのだと思う。
今回こうしてTHE YELLOW MONKEY曲の封印が解かれたとはいうものの、
今後のツアーでも吉井がTHE YELLOW MONKEYを歌うだろうかとは私も疑問に思う。
けれど私は、最高にROCKな曲だと信じる「球根」&「BULB」を
現在の吉井がどう歌うか聴きたい。

『花びらは散っても、花は散らない。』
THE YELLOW MONKEYというバンドは、終わりを迎えたけれど、
THE YELLOW MONKEYが作り出した楽曲、LIVE、
私達が味わった感動、諸々の感情の全て・・・『THE YELLOW MONKEY』は
これからも生き続けて行く。
『人は去っても、面影は去らない。』
THE YELLOW MONKEYの面影は去らない・・・それだけじゃ淋しい。
曲の命は、歌われてこそ演奏されてこそのものだ。
吉井和哉が大阪城ホールだけで、そして菊地英昭をサポートギタリストに迎えた状態で
THE YELLOW MONKEYの「バラ色の日々」を歌った事を複雑に捉えるファンも多いようだ。
『よくぞ歌ってくれた!』『歌えるようになって良かった。』『もう聴けないかと思っていた。』等
肯定的な意見と共に、『裏切りだ。』『ヒーセやアニーも見に来ていた武道館でやるべき、または
やって見せれば良かったのに。』等など、つくづく感じるが、どうしてこうも吉井和哉という人は、
様々な感情を呼び興す人だろうか。
THE YELLOW MONKEYのファンには、ファンの数だけのTHE YELLOW MONKEY観が存在
しているのだろう。
その時その時のTHE YELLOW MONKEYを愛して来たファンには、
彼らの音楽がそれぞれの人生にまで根を張っていると云っても言い過ぎではない気がする。
98年10月岡山LIVEで自分の誕生日が近かった吉井が
ファンに正直に気持ちを伝えようとして大反響を巻き起こした
『このツアーは失敗でした。』発言、2000年春『有珠山』発言、
2004年「メカラウロコ15」で一曲のみ演奏した「JAM」での『ずっと歌っててください』発言・・・
吉井和哉の真意を掴みかねて私達ファンは、どれほど当惑し悩み、
そして答えをようやく手に出来た時に、どれほど愛を深めて行った事だろう。
THE YELLOW MONKEYに出会えて、吉井和哉という人間の作り出す音楽に触れる事が出来て
ファンの醍醐味だ。
おめでたいかもしれないが、他のミュージシャンでは、
中々ここまでの苦痛と快楽は味わえないのじゃないかな。
吉井ドランカーならではの感想だろうけれど。

“世界は粉々になった
でも 希望の水を 僕は撒いて”  (球根)

“夜が終わりを告げれば 
俺達が何をしてきたかわかるだろう
子宮の中の胎児のように 太陽を待っている花のように
塩水を与えられれば そこから何が生まれるだろう?俺達に・・・”  (BULB・訳詩)

これらの曲に、もう一度命を与えて欲しい。
吉井和哉、菊地英昭、廣瀬洋一、菊地英二、四人が健康で音楽生活を続けていくなら、
どれだけ時間が掛かろうと、いつかまたきっと四人が一緒に音楽を作り始める日が
来るものと私は、信じている。
大阪城で吉井は、“I'M JUST A DREAMER ARE YOU A BELIEVER?
ARE YOU A BELIEVER?”と歌い掛けていた。
私は、胸を張って答える。
I'M JUST A DREAMERでありBELIEVERだ。






bridgeを読んで - 2006年04月05日(水)

bridge最新号を読んだ。
2006年2月24日吉井和哉が7年振りに「帰って来た」武道館ライブを
井上貴子さんと兵庫慎司さんのお二人がレヴューを載せておられた。
今期からbridge編集部へと現場復帰なさった井上貴子さんの
THE YELLOW MONKEYデビュー前からずっと吉井和哉を見てこられた方
ならではの、吉井が今現在奏でようとしているロックの変化と意気込みを
『静かで、力強い、2度目の産声』と表現された事に、流石!と感動を覚えた。
bridge編集部でこれからも、みっちり吉井和哉に迫って頂きたい。
兵庫慎司さんのレヴューは、これはいつも感じる事だけど、
兵庫さんの文章は、私自身が感じていた思いを的確に表現しておられて、
今回も『リミッターを外して・・・』のくだりが「その通り!」と
大いに納得した。
『ブレーキはなくなった。』という記述が嬉しかった。
兵庫さんはJAPAN編集部へ異動だそうで、引き続き期待してます。

その他の記事で興味深かったのは、デビュー25周年・二代目サポートバンド
結成10周年記念全国ツアーを行った佐野元春への渋谷陽一インタヴューだ。
佐野さんは、これまで往年のヒット曲もライブでは必ず同時代サウンドでの
アレンジだったそうだけれど、今回のツアーでは、ほぼ原曲どおりの
アレンジで演奏されたのだという。
何故か?最初のサポートバンドだったハートランドが16年続き解散した。
その事を非常に尊重しているからその次に組んだザ・ホーボーキング・バンドでは、
ハートランドのアレンジでやりたくなかった。
けれど現在のバンドも10周年を迎え「独自の音」という自信を得られたからこそ、
今再び原曲のアレンジでライブを行えるのだという。
佐野元春という人は、『自分で詞も曲も書き、アレンジもプロデュースも』やる人
だけれど、その人をして『僕の曲というよりは、この20数年間のファンの曲
という気持ちで演奏』なのだそうだ。
『オーディエンスからどよめき』という記述があったけれど、
その光景が目に浮かぶ気がする。
ファンもその曲自体も幸せだね。

あの大阪城ホールから5週間も経ったのに、未だにあの「バラ色の日々」に
拘る私は、限定Tシャツ『しつこいぞ』そのものだろうが、
言わせていただく。
曲の命は、歌われてこそ演奏されてこそのものだ。
THE YELLOW MONKEYの曲を封印しないで欲しい。
THE YELLOW MONKEYだろうがYOSHII LOVINSONだろうが吉井和哉名義だろうが、
あなたが歌いたい時に歌いたい歌を歌って下さい。
それが願いだ。

非常に遅い話題だけれど、KYのQ&Aコーナーで大反響を巻き起こした
吉井和哉の質問返し
『僕が何をしたらファンやめますか?』について。
最初あの吉井の質問を目にした時『この人はまた何を言い出すんだろうか?』と思った。
何か新しい事をやろうとしていてファンの反応が怖いとか?
『大丈夫ですよ〜。何があっても付いて行きますから。(はぁと)』という
レスを期待しているんだろうか、
とも思ったり。でもそれは流石に考え過ぎだろう。
キレの良いアンサーを狙ったのかも知れないし、シンプルに興味があったのかも知れないし。
お陰で結構真面目に「ファンとは、そもそも何だろう?」と考えてもみた。
うちのBBSで『万が一吉井本人にファンをやめろと言われたら、
その場は「ハイ」と答えても、こっそりファンであり続けるだろう』とか
いう意見が出て、私も同感!だったし、
『”ファン”となると、やはり”私”が、ファンとして存在することを本人に許されていないといけない気がする』と
仰った方がいて、それはとても大きな事だなあとも思ったりもした。
たとえ吉井和哉が音楽界を去ったとしても、吉井和哉が生み出した音楽が
好きな私は、吉井和哉のファンであり続けるだろう。音楽をやらない素の吉井和哉を好きで居続けるかどうかはまた別の話だ。
万一の場合・・・そんな事は起りっこないと信じているが・・・
私の心が吉井から離れる危険があるとすれば、
吉井和哉が音楽への誠意を失う時かもしれない。
THE YELLOW MONKEYの休止から解散への流れで彼が辿った険しい道は、
彼の音楽への誠実さと愛情の深さゆえと思っているので、
吉井のそのストイックまでな姿勢が「安易な妥協」へと変貌したら、
そういう匂いを少しでも感じたら幻滅するだろう。
1曲や2曲、私の嗜好とちょっと違った路線で来ても、
次に期待するので全然心配はしません。
『曲作り中』だという新曲が楽しみでならない。
呑み週間終わったらバリバリお仕事して下さいね!





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