ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

艶話 - 2006年03月16日(木)

KY今月のコラムは、日本に古くからある『色恋は芸の肥やし』
という決まり文句について語られていた。
《『色恋は芸の肥やし』という役者の世界とかでよく謡われる決まり文句も、
そろそろ「どうなんだろう?」と思うことがある。》そうだ。
吉井も40近くなって、
「艶」やら「色気」の出に不安を覚え始めたのだろうか?(笑)
私個人としては、「at the BLACK HOLE」時に感じていた吉井の
ヴィジュアルに関する不安は、「WHITE ROOM」以降どんどん解消されて行き、
「ジョン・レノン音楽祭」と今年のツアーで完全に払拭された。
吉井和哉には、年齢を重ねた大人の男の色気と艶が満ちていると思う。
ご本人がより一層の艶と色気を望んで、恋愛修行為さるつもりなら
全然それはそれで構わないけれども。
『血の滲むような恋』をしても何をしても、それが作品に良いように
昇華されるのならば結構なことだ。
修羅場を踏もうが本人の覚悟さえ定まっていれば、
傍がとやかく言う事ではないだろう。
『色恋は芸の肥やし』という言葉で私が思い出したのは、
昔見た「藤十郎の恋」という映画だ。
菊池寛原作のこのお話は、藤十郎が不義の男を演じる為に
夫ある身の芝居茶屋の女将に偽りの恋を仕掛けるというものなのだけれど、
女将役お梶の京マチ子を口説く長谷川一夫扮する坂田藤十郎の
色っぽさと言ったら堪らない。
役作りの為に利用されたと知ったお梶は自害するが、
藤十郎は平然と『藤十郎の芸の人気が女子一人の命などで
傷つけられてよいものか。』と言ってのける。
芸の為に非情に徹し切った役者の凄みが神懸っていた。
長谷川一夫を喩えに出されては、吉井も堪ったものじゃないとは思うが、
生涯現役恋愛体質を目指すも良し、
そうじゃない境地を目指すも良し、
どうぞ創作活動頑張って下さい!




『LOVE,LIFE,LIVE』 - 2006年03月11日(土)

待ちに待ったHEESEY WITH DUDES THE FAREWELL『LOVE,LIFE,LIVE』DVDを
ようやく手に出来た。昨年12月26日に予約していたから、
遅くとも発売日の翌日には、GET出来るだろうと考えていたのに
発売日を過ぎても一向に「発送通知」が送られて来ず、ヤキモキして
問い合わせたけれど、私と同じように予約者の一部に他にも
発送が遅れた人が居たようだ。その方達にも今日無事に届いたかな?
本当は落ち着いて見られる平日に観たかったが、
到底来週までなど待てずPCで再生した。
一曲目「HUSKY STREET」から、ヒーセと彼の仲間達が繰り出す音にヤラレタ!
とびきり楽しくて興奮して身体が熱くなるあのLIVEが甦って来た。
抜群のプロポーションで客席を煽りノセ捲くる「BEAUTIFUL ANIMALS」では、
自分もあの中に混ざりたくて堪らなくなった。
オノチンもMADさんも、そしてこのFAREWELLツアーに参加してしてくれた
オミーさんも本当に惚れ惚れするくらい格好良い。
でも私がずっと惹き付けられたのは、ヒーセだ。
こんなにセクシーな人だったんだ!
もうこのHEESEY WITH DUDESのLIVEが行われる事はないのだという事実が悔しい。
セニョさんの演奏を体験出来なかった事がかえすがえす残念だ。
ヒーセが歌う「ならず者アイムソーリー」が胸に沁みる。
ヒーセの歌声が優しく温かく力強く響いて、涙が溢れて来た。
「YEAH 7」で大盛り上がりで本編が終わり、続くアンコールで、
ヒーセの『君が歌うんだったら俺はいくらでもベース弾くよ。』
との紹介で登場した吉井和哉が
『金では換えられない世界一の500円の曲を歌わせて下さい。』と語って
歌い出した「ならず者アイムソーリー」は、吉井が登場してこの歌を歌った
という事より吉井の傍らでベースに専念する
ヒーセの姿を再び見られた事に感動した。
時が満つれば再び・・・そういう事もありえると私は思う。
会場全体が一つになった「NAMELESS LOVER」の凄さに酔いしれ、
「OLD CHILD」の激しさ熱さに痺れた。
最後にこんなにも素晴らしいLIVE・DVDを残してくれてありがとう!







バラ色の日々 - 2006年03月05日(日)

大阪城ホールでのあの「バラ色の日々」の事をまとめて置こうと思う。
LIVE本編中に『当日券800枚売れ残った。後悔させてやるくらい良いLIVEにしよう!』って
吉井は言っていたし、ツアーファイナル大阪城ホールでは、サプライズがあると
武道館2DAYSが終わった頃にはもう話しに出ていたらしいけれど、
あの日あの時「バラ色の日々」を演った事は、只の吉井の気まぐれだったとは私には思えない。
「バラ色の日々」演奏の最終決定がいつ為されたのかは判らないけれど、
吉井和哉がTHE YELLOW MONKEYの曲を歌うとは、
そんな生半可な事では決して無かっただろう。
未だに熱烈にTHE YELLOW MONKEYを愛し続けるファン、
解散を受け入れられずにいるファン、
再結成を願うファン、大阪城に集うファン、当日来れなかったファン、
彼等が「吉井和哉」ツアーで演奏される「バラ色の日々」をどう受け入れるか、
どのような反響を巻き起こすか、吉井にはある程度は予想がついていたんじゃないかと思う。
それでも吉井は、『カヴァーやろうか。内緒だよ。』と
あのフレーズを歌い出した。
KYのLIVEレポでは、『冒頭のメロディーで明らかに泣いているのかなと思うような声だった』と
書かれていた。
けれど私の記憶の中では、吉井はとても力強く伸びやかに歌っていた。
ぶわぁっと涙が込み上げて来たけれど、私は慌てて涙を拭いて、
楽しそうに気持ちよさそうに歌う吉井に見蕩れていた。
華麗なエマのギターに聴き惚れていた。
『歌え、大阪〜!』に懸命に応えようとした。
『Beautiful!』と掛けて貰えた声が本当に嬉しくて
“(長い鎖に繋がれても)→長い鎖を引きちぎっても
明日は明日の風の中を飛ぼうと決めた”
そっかあ、吉井は引きちぎったのかぁと感慨深く、
そして、あのメカラウロコ8の大阪ドームや東京ドームでは
“I WANT A FUTURE I WANT A FUTURE I WANT A FUTURE”と
繰り返されたフレーズが、ちゃんと
“I WANT POWER I WANT FLOWERS
I WANT A FUTURE I WANT PLEASURE”と歌われた事に安堵したり、
“I'M JUST A DREAMER”と胸を張る吉井の歌声の力強さ・艶やかさが
熱く胸に迫って来た。
最初、とうとう吉井は THE YELLOW MONKEYを歌ったのだと、
その衝撃の大きさにノックアウトされていたのが、途中からもう
『バラ色の日々』という曲に呑み込まれていた。
あれは、THE YELLOW MONKEYの『バラ色の日々』だったから
感動したんじゃない。曲そのものに感動したんじゃないかと今は思う。
曲に新しい命が吹き込まれた瞬間だったのじゃないかと思う。
曲の命とは、演奏されてこそ、歌われてこそのものではないかと私は思う。
吉井は、かつて「Black Cock's Horse」の中で“俺の歌 君のものじゃないぜ”と歌った。
けれど、吉井和哉が作った曲は、発表した時点で彼の手を離れ、
彼の曲をLIVEを受け入れる側のものでもあるのじゃないかな。
『バラ色の日々』だけじゃない、他のTHE YELLOW MONKEYの
曲たちの命も甦らせてやって欲しい。
埋もれてしまうには惜し過ぎる曲が一杯だ!

THE YELLOW MONKEY公式サイトBBSが閉鎖された2004年12月28日、
吉井和哉は『これからもあなたが好きな歌をずっと歌い続けててください。
15年間本当にどうもありがとう・・・』と「JAM」の歌詞を引用しつつメッセージを寄せていた。
メカラウロコ15で最後に「JAM」をメンバーで演奏し『ずっと歌っててください』と一言残した
その意味を私達に語ってくれたのだ。
思い起こせば98年10月岡山での「このツアーは失敗でした」発言やら何やら、
吉井の言動にはファンに正しく彼の真意が伝わらない事が多いようだ。
私達ファンの側が吉井に過剰な情念をぶつけ過ぎている所為なのかもしれないけれど。
もっと自由に羽ばたいて貰いたいけれど、でも、吉井和哉という人は、もう
鎖やら重荷やらずっしり重い諸々を背負って足掻いて、それでも浮かび上がろうとする歌を
歌うところでこの上なく光る人だと私は思うので、どんどん突き詰めて行って欲しいと思う。
歌い続けてさえ下されば、それ以上何も文句などありません!




My Foolish Heartツアーファイナル「大阪城ホール」 - 2006年03月01日(水)

名古屋ZEPP初日に行ってか一ヶ月余り、待ちに待ったLIVEだった。
曲順は同じ、そして見る位置も名古屋とほぼ同じだったから
純粋にこの一ヶ月間にどれだけこのMy Foolish Heartツアーが
成熟していったかを感じることが出来た。
吉井は、声が良く伸びて、ステージの縦横を動き回り、ツアーファイナルを
無事迎えた喜びを全身で表しているようだ。
名古屋で感激した「SADE JOPLIN」 は、更に格好良いROCKになっていて痺れたし、
「カート・コバーンに捧げます」といって歌いだされた「HATE」の
間奏での“母さん、母さん・・・”の呟きに、ゾクリとさせられた。
「MUDDY WATER 」では、うがい方「イナバウアー」を実践してみせたが、
随分身体硬いんですねえ。あんなにくねくね踊るのにね。
バーニーには、コップの水ではなく「月桂冠」一升瓶で「イナバウアー」を
何度もやらせ、強引に「バ!」へ持って行き、会場を沸かせた。
バーニーさんが、次第に顔を紅潮させていって、吉井があとで「ごめんね」と
言ってるのが微笑ましかった。
エマさんは、吉井に促されて中央へ出てくる事があって、
また右側前方へも出て来て華麗なソロを魅せてくれた。
膝を屈伸させて仰け反るように弾くエマさんは、より細くなっていたが、
この人の懐の深さ・優しさにどれだけ吉井は、助けられているんだろうかと、
エマさんの存在の力の大きさを感じた。
「ここに来ている皆に共通する事は、確実に死ぬこと、今生きていること」
そう語って歌い出された「SWEET CANDY RAIN」は、より一層心に沁みた。
心の弦を何度も掻き毟るように歌っていたのは、何の曲だったろうか。
この人の肉体を通して奏でられ響いてくる音を聴けることは、何て
幸せなことだろうかと思った。
本編ラストの「BEAUTIFUL」まで本当に密度の濃いLIVEが繰り広げられていった。
曲順がとても良いから、ここまで全く時間を感じていなかった。
あとは、アンコールを残すのみと為ったことがとても惜しい気持ちだった。
「HIKARETA」で始まったアンコール2曲目は「トブヨウニ」が演奏された。
“OPEN YOUR EYES
 OPEN YOUR MINDS
 OPEN YOUR LIFE
 心ひとつかじって
 トブヨウニ”
インゴ・マウラーの巨大なハートの照明オブジェ「Cuore Aperto(開かれた心)」が
美しかった。
『ワイヤー切れて落ちて刺さったら・・・良いオブジェになるでしょう。ハートが刺さって死ぬのなら本望』とか
言ってたけど。
「MY FOOLISH HEART」は、一ヶ月前よりももっとずっと心に響いて来た。
これで終わりかと思ったその時、
『カバーをやりましょう』と言ったから、「え?何か外国の曲演るの?でも何だろ?」と
???が渦巻いたところに鳴り始めた曲は、何と「バラ色の日々」だった。
THE YELLOW MONKEYのカバーだったのだ。
いつの日か吉井がTHE YELLOW MONKEYの曲を歌う時も来るだろうとは思っていたが
それがこの時だとは思いもしていなかった。
“長い鎖を引き千切っても”と歌う吉井から目が離せなかった。
吉井の姿も歌声もTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉として見えなかった。
それまで「吉井和哉」ソロのサポートとしてきっちり仕事をしているというクールさ控えめさを
感じていたエマさんがこの「バラ色の日々」では、THE YELLOW MONKEYのエマそのものに見えた。
伸びやかに気持ち良さそうに歌うヴォーカルの傍らに、鮮やかな華を輝かせるギタリストがいた。
私には、二人しか見えていなかったから、ヒーセではないベーシスト、アニーではないドラマー、
三国さんじゃないキーボーディストがどうだったのか、全く記憶にない。
「ああ、吉井はついに越えたんだな」と「この曲をうたえるようになったんだなあ」と
嬉しさと切なさが入り混じった何ともいえない感情の坩堝だった。
歌い終えて吉井は、いつもだったらあっさり引っ込んで行くのを
昨日はゆっくりと客席を見遣っていたし、エマさんはエマは丁寧に深くお辞儀をしてくれた。
あの姿にじんとさせられた。
ファイナルでTHE YELLOW MONKEYの曲を「バラ色の日々」を遣った事に賛否両論あるようだ。
けれど、私はこの意味は大きいと思う。
考えて見れば、「バラ色の日々」はTHE YELLOW MONKEYの一番苦しい時期に出来た曲だ。
「生きる苦しみ・生きる喜び」これは、休止・解散を経た吉井和哉が一貫して歌い続けているテーマだ。
みんな自然に繋がっている。

急がなくても良い。
ゆっくりじっくり吉井の目指す音楽を突き詰めて行って欲しい。
それが結局、彼の「THE YELLOW MONKEY」究極の姿に近づく一番の道だと私は思う。

LIVE前に出会えた方々、LIVEを一緒に見れた方、LIVE後に出会えた方々、
素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。





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