ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

「プライマル。」雑感 - 2002年01月31日(木)

モンキーの「プライマル。」が発売されて今日でちょうど一年経つ。
思い起こせば当時、限定デジカードだとか期間限定企画サイト
(携帯でポイントシール入手とか)何だか良く判らないプロモーションを
遣っていたなあ。
“振り切ったら飛べそうじゃん”だの“卒業おめでとう”だの、歌詞が随分と
突き放したみたいな内容で、ホントに小憎たらしかった(笑)
イジワルなんだけど優しい。明るい曲調なのにシビアで、一筋縄でイカナイ所に
かなりくすぐられた。最後にこんな曲を持って来た彼等に
「しょうが無いなあ。幾らでも好きな事しちゃってクダサイ♪(苦笑)」って
気になったのを覚えている。
当時は、吉井さんなんかは割と早く動き出しそうな予感がしていたのに
実際は未だ何の音沙汰も無い。焦らして呉れるなあ。
久し振りに「プライマル。」を聴いてみた。英ラジオで
『まっすぐで、ねじれていて、甘くて、くる、苦しくて、優しくて、残酷。』と
私のコメントをアニーが読んでくれた時 (読み辛かったよね、アニー御免!)
エマが『ムーミン? 』
アニーが『ん? 』等と前コーナーから引っ張ったムーミンパパの物真似を
して2人でウケてたのが良い思い出になった(笑)
私はね、【思い出】は大切にそっと胸に抱き締めて、季節が流れていくのを
のんびり待っている事にするよ。それも一つの愛し方だと思うから。
私は貴方みたいな優しさなんてあげない。
“さようならきっと好きだった”だなんて、そんな優しさなど私はいらないし
無論、愛想尽かしなど効きはしないよ。





生きている証を見せて! - 2002年01月29日(火)

見るともなしにつけていたTVで東京スカパラダイスオーケストラの
「美しく燃える森」という曲のPVが流れた。
聞き覚えの在る歌声だと思ったら奥田民生だった。
うわっ、揃いのスーツなんか着込んじゃって民生さん、すっかり
スカパラに馴染んじゃってるじゃないか!
実に楽しそうにしかも可成り若返って歌っている。良い曲だ。
民生さんとスカパラ両者ががっぷり四つに組んでとっても素晴らしい作品を
創り上げている。
この前のミッシェルのチバさんが歌っていた「カナリヤ鳴く空」も
長めのストレートの髪形で歌う姿に、一昨年春ツアーの吉井和哉を
彷彿とさせられてドッキリしてしまったが、スカパラとの
コラボレーションって良いなあ。
詞も良いしブラスの入ったロックってノリが良いね。
吉井和哉はチバさんに被っちゃう所がありそうだから、企画は無理だろうか。
相変わらずオフィシャルには《吉井和哉ソロワークのメンバー募集》告知が
されたままだ。メンバーが決まったら幾らなんでも取り下げられる筈だから、
未だ掲載されているという事は、募集中って事なんだろう。
いっその事一度、他の人に曲から何から全て委ねてみても良いのじゃなかろうか。
まな板の上の鯉になって、存分に料理されてみたらイイのに。
新しい感覚に目覚めるんじゃないかしら。
JAPAN2月号で鹿野さんも書いていたけれど、時代を形作る音楽の流れの中で
一度止まってしまう事の怖さって在ると思う。
新しい流れに乗り遅れるという事ではなくて、今の若い世代の音楽の価値観は
その中で動かなくては空気感が掴めないって事もあるんじゃないだろうか。
バンドが決まらなくても、ちゃんと曲は作っているのだったら良いけれど。
吉井さん、生きてますか?貴方にとって生きてるって事は、魂の叫びを
音楽に込めるって事ではなかったの?貴方の声を聴かせて下さい。





美しい希望の季節を - 2002年01月27日(日)

久し振りにロキオンBBSに書いてみた。載るかしら?
イエローモンキー活動休止に関しては、私もイエローモンキーは
第一期を終了したのだと思っています。そしてドームライブが
イエローモンキーの第一部修了のセレモニーだったと感じています。
彼らは期限を決めない長い春休みという充電期間に入っているのだと
私は思っているのです。区切りをきっちりつける為に『解散』と
したって良いじゃないかという意見が在って良いと思います。
個人がそれぞれ解釈するのは当然です。
でも大雑誌の編集長自らが「イエローモンキーは終わった。散った。」
という表現を使われるのはどうでしょうか。只でさえ現在世間では
「イエローモンキーは解散したバンド」という認識であるのに、
JAPANの読者層にまでイエローモンキーは既に終わったバンドと
されてしまう危険があります。大体において、休止を発表する時
いっそ「解散」とした方がインパクトは大きかった筈です。
そりゃファンに与える衝撃は計り知れないモノであったでしょうが、
一般層にとっては、解散を惜しむ声が彼らの音楽そのものへの再評価
ひいては既存の音源やその後発売されたベストの売上増加にも
繋がったかも知れません。希望的観測でしょうけれども(笑)
ですが、彼らは敢えてピリオドを打たなかった。
未来に希望を残してくれたのです。
《ここで終わるってことは何かの始まりだっていう終わり方を
バンドはしていた》と書いていらっしゃいますが、
その通りだと思います。春休みの期間がどれ位になるのか、
当初の予想よりも長引きそうな気配ですが、
私は何れ新しい季節が、第二部が始まると信じています。





お願い「ジ・ャ・ポ・ン!」!!!  - 2002年01月24日(木)

ジュディマリは解散、イエローモンキーは活動休止じゃ、
何考えとんじゃワレ〜!
遅ればせながら、JAPAN2月号を読みました。
私は普段なら決してこのような物言いは致しませんが、
今回は言わせて頂きます。
>鹿野編集長
イエローモンキーとジュディマリが終わっただの、散っただの、
一くくりにして言うんじゃねぇ!
《イエローモンキーとジュディマリの後では解散しにくい》
あんさん、編集長さんでっしゃろ?紛らわしい事、雑誌に載せたらあきまへんで。
《まだ吉井和哉って人は出てきちゃいないんだけど、このままじゃ終わらないし。
ここで終わるってことは何かの始まりだっていう終わり方をバンドはしていた》
これは、同感だ。私はドームライブがイエローモンキーの第一部修了の
セレモニーのように感じた。メンバーはこれから次のステップまでの
春休みのような期間に入るんだなと。
そして何れ新しい季節が、第二部が始まるんだと思った。
この春休みの期間がどれ位になるのか、当初の予想よりも長引きそうな気配だが
私は今でも希望はあると信じている。

それなのに...何だ、何度も何度も解散したバンドと並べて
《イエローモンキーというバンドがいなくなった》
《例えばイエローモンキーはわかんないけど、ジュディマリはどう考えても
再結成する事はないと思うし、その再結成に何か期待を抱かせる事も
彼らはしなかった》って、何なんだよっ!?
吉井和哉は大阪ドームで、ちゃんと言ったのっ!
『帰って来ます。』って!約束したんだから。
まあ、ね、不本意な形で戻って来られても、こちらとしても辛いので
ソロでも何でもヤる事ヤって気が済んでから、第二期イエローモンキーの事を
考えて欲しいので、幾らでも待つ積もりでいるんです。
《イエローモンキーとジュディマリがロックバンドとして、
ドリームとマジックを持っていた。けれど、ロック・ファンタジーに対して
彼らが疲れてしまった》
これも確かにそう思うんですよ。

だけれども、あの記事を読んだ読者はどう感じるのでしょうねえ。
イエローモンキーとジュディマリ=解散した、終わったバンド。
と、受け取られるんじゃないでしょうか?
影響力のある天下のROCKIN'ON JAPANの編集長サマが
【新春恒例の編集部内座談会】だとはいえ、無責任とも受け取られかねない
主観の垂れ流しは慎んで頂きたいんですよねえ。
お願いしますよ。ホントに(笑)




巨大なモーターのエスカレーター - 2002年01月22日(火)

活動休止が発表された頃に聞いた話なので、細かい部分が違っているかも
知れないのだけれど、吉井さんがバンドの事を
「株式を上場している企業のように為って仕舞っていた。」と
語ったんだそうです。
『菊地英昭』の中で語られた、『イギリスから帰って来た吉井が
「とりあえず、もう疲れた」と言ったのが、第一声。』...この事と
合わせて考えると、何だか納得出来る気がします。
音楽産業という《巨大なモーターのエスカレーター》に乗り込んだ彼等。
次第に高い場所に登り詰めて行った時、自分達では自由に身動き出来ない大きな力
それは外界からの風圧だったり、ビジネスとして成り立たせる為の様々な思惑
だったり、軋轢だったり。一旦乗り込んで仕舞ったエスカレーターに向かって
「もう少しゆっくりにしてくれ。」だの、「ちょっと止まってくれ。」なんて
言っても無理ですよね。だから、思い切って危険を覚悟で
飛び降りたんじゃないのかなあ、と思うんです(笑)
《エスカレーター》に乗ったまんま、自分達の望んでもいない場所へ
連れて行かれる位なら、期限を付けない休止というリスクを敢えて犯してでも、
自分達の思うような活動をしたいという未来を選んだのじゃないでしょうかねえ。
“裏か表か答えは100年後に知るだろう”だそうだから
彼等がどんな答えを出して下さるのか、楽しみに待ってる事に致しましょうか♪




吉井和哉待望論! - 2002年01月19日(土)

そんなモノが果たして在るのかどうかは知らないが、ともかく
ジョン・レノン祭りのライヴレポでJAPANの鹿野編集長が
「今こそこの国のロックにあなたが必要だ。」と書いていた事は事実だ。
オフィシャルBBSに書き込まれて即削除になっていたが、どこぞのCD屋で
「吉井和哉7月新譜予定」というボードを見た人がいるらしい。
どうだろうなー。7月という所に信憑性があるような無いような。
ある場所で、『吉井ソロについて、とりあえず今年中には絶対始動しないと
「吉井和哉」という人間の商品性がどんどんなくなってっちゃう。
(新しい人で才能ある人、どんどん出てるから)』と書かれているのを見た。
【商品性】という言葉にギョッとしたのだが
確かに言われる通りなんだろうなあ。
随分前の事になるのだが、ユニコーン解散後暫く隠遁(笑)していた奥田民生氏が
ソロデヴュー時に「笑っていいとも」にゲストで出ていた。
タモリさんのインタヴューに答えて休み中、若い子に混じって船舶免許取得の合宿に参加したり釣り三昧の生活を送っていたと答える民生氏は、存分に英気を養い
「これからは、まあ仕事もやりますわ。」と飄々としてらした。
彼が表舞台に登場するのを待ち望んでいたらしい会場の熱気と声援が凄かったのが
印象深かったのを覚えている。
93年9月にユニコーン解散で94年10月「愛のために」発売とデータにあって
実質的な休養は半年間だったらしい。
もっと間が空いていたのかと思っていた。
タイミングというものも非常に大事だしなあ。
若くて奇麗で才能があるアーティストがどんどん音楽シーンに登場してきますよ。
うかうかしてられませんよね〜。どうなんですか、吉井さん!?




“淡路の大空の下でRock'n Roll I Love You” - 2002年01月17日(木)

1996年1月15日阪神淡路大震災の震源地淡路島北淡町で
吉井和哉のオールナイトニッポン主催(大塚製薬協賛?)のチャリティライヴが
行われたんですよね。ライヴ当日の夜、オールナイトの生放送で
新成人の人達やライヴに協力してくれた村の方達が出ていたんです。
吉井さんと遣り取りする青年達の初々しさ、真っ直ぐさが眩しい気がします。
何日か前に全国ニュースで取り上げられていた騒ぐ新成人達の姿を思うにつけ
大震災を経験した彼等が、翌年のイエローモンキーのライブで何を
感じてくれたのかきっと大きな体験だったに違いないと思うのです。
その小学校で行われたライヴの音源が流れたんですが、「太陽が燃えている」と
「FOUR SEASONS」まだ発売未定だと言ってた「JAM」が強く響きました。
この放送が「JAM」の初オンエアだったんですね。この放送を聞いていた人達には
強い印象を与えたんだろうなと思います。
そして次の週に放送された“淡路の大空の下でRock'n Roll I love you”と
歌われた「FATHER」がもう本当に凄いです。
震災から一年後の島は未だ大災害の傷跡が生々しく残っていたそうですが
島の人々がとても明るく強くて、メンバー其々がこのライヴで得られたモノが
とても大きかったと話していました。
観客は700人だったとの事ですが、当日彼らの生の演奏を聴けた村の人々、
ボランティアに駆けつけたファン達は貴重な体験をしたんでしょうねえ。
復活の暁には小さな会場でライヴを演る事はあるのでしょうか。
新生THE YELLOW MONKEYがライヴハウスから始まるってのも
見てみたい気もします。
番組の最後に吉井さんは、こう語っています。
俺達は前向きにポジティヴに(最初ネガティヴと言い間違えてた)ロックを演って
色んなモノを壊していきたいと思います。良い意味でね。
でコツコツとね、ホントに、前向きに生きて行こうと思います。
ねっ、そうですよね。コツコツと前向きに。私もそうありたいです。
ここで終われば奇麗なんですが、
吉井さんが嬉しそうにエマと一緒にお風呂に入った話をしてました。
エマは細いからねえ、最初入って来た時女の子かと思ってドキッとしたんだとか♪
普通身体を洗ってから湯船に入るのに、エマさんたら股間をちょっと湿らせて
イキナリ湯船に入っちゃうんだって(笑)




強さと弱さ - 2002年01月11日(金)

“Imagine all the people Living life in peace”
大きな戦争とかではなく、人と人との争いが無くなればいいのに。
等と発言すると、青い?甘い?うそ臭い?
でもね、
“闘うべき敵は常に自分の心の中に有る”ってその通りだと思う。
ほんの少しの優しさで人の心が通じる事がある。
優しさは強さだよね。
自分自身の弱さをきちんと受け留める事が出来るようになれば
それは大きな力になるんじゃないだろうか。
“タフでなければ生きてはいけない。優しくなれなかったら生きていく資格は無い”
どうせならマーロウを気取りたいと私は思うぞ。
もうオフィシャルに書き込む事は無いのだけれど
ああいうツリーを見るのは哀しい。
あの場所にいる人達の多くが吉井さんや出演者や会場全体で歌った
“Imagine”の映像を見た筈なのに......。




1月8日東京ドーム - 2002年01月08日(火)

一年経ったね。やっと?もう?
早かったような気もするし、あの日から何だか随分と
時間が過ぎたような気もするし。
自分の中ではTHE YELLOW MONKEYはずっと大きな存在のままだから
希望を信じられている今はもしかしたら、
居心地の良い時間なのじゃないかと考えてみたりもする。
この先、其々のソロワークが始まって、実際にメンバーが其々別のバンドを
組んで、思いもかけないような音楽アプローチを提示して来たとしたら、
そんな時に自分が違和感とか本体の将来に不安を感じて仕舞ったら
どうしようって実は微かに畏れている。
大人の振りをして、物分りの良い模範的なファンの言動を取れるだろうか。
何だか怖いのだ。
そんな事じゃあ、前にも進めず後戻りも出来ず、宙ぶらりんなまま
取り残されちゃうのにねえ。
と、書いてて窓の外を見たら、吹雪いてます。
“ASIANBOY”のあの紙吹雪の時のよう。
私が浴びたのは大阪ドームでだったけれど。
周り中真っ白になって、近くに来ていた筈のロビンが観えなかったもの。
奇麗だった。なんて思い出していたら、現金なもので
早くロビンの歌を聴きたくなった。
良いよ、何してくれても。どうせ私は貴方について行っちゃうに違いないもの。
やはり貴方様は私にとって【神の最高級の悪戯】目が離せる訳が有りません。
何なんでしょう?この恥ずかしい文章は!?惚気てるのか、自分!




空の青と本当の気持ち - 2002年01月04日(金)

大阪ドームライブからちょうど一年です。
私はTHE YELLOW MONKEYの復活を心から願っているけれど
そして復帰は必ずあると信じてはいるけれど、本当の事を言うと
その日は遠いのではないかと感じているのです。
活動休止が伝えられた時、何故か何の根拠もなく脳裏に浮かんだのは
「5年」という数字でした。吉井和哉が何か新しい事をやりたいと
望んでいる事は休止報道以前からインタヴューなどで伺えたし
その新しい目論見の種を蒔いて、望むだけの成果が得られるまでは
ある程度時間が必要でしょう。
現実問題、彼のソロプロジェクトは未だ我々には何の情報も入っては来ません。
水面下で着々と準備が進んでいると良いのですが。
彼の納得がいくまで拘って良いものを創り上げて欲しいです。
時間が掛かっても、結局はその方が未来のTHE YELLOW MONKEYにとっては
プラスになる筈です。
THE YELLOW MONKEYの4人のステージを早く観たい。
新しいTHE YELLOW MONKEYの音楽を聴きたいと云う気持ちはやまやまです。
私は昨年1月8日の東京ドームのライブ中継を見終わった後、
「充分に感動を貰いました。『帰ってくる』なんていう約束に
縛られないで下さい。自由に4人共、想い想いの自由な空へ羽ばたいて下さい。
また何処かで出会えたら良いね。」とvoiceに投稿しました。
「待つ」という言葉があなた方の重荷になるのでは?と悩んだ時期もありました。
けれど、THE YELLOW MONKEYは終わらない私の青春なのです。
私は誰でもない自分自身が輝く為にTHE YELLOW MONKEYの未来を望むのです。
賢く冷静なファンでは無いかも知れませんが、それだけこのバンドとの出会いは
私にとって重大な出来事だったのです。夢は終わらせません。




今年の抱負 - 2002年01月02日(水)

CD付きの豪華版では無くともぺチからの年賀状は嬉しい。
「お金を使っちゃって無いから今年は頑張る」というロビンと
「好き!美しい!ペガサスも馬?」等とナルが入っちゃって
今年は「天馬行空」と答えて呉れる笑魔さんが素敵だ。
今年最初に動くのは吉井かヒーセか?
年末放送されたジョン・レノンスーパーライヴで、吉井和哉は
「自分は夢を追い掛ける歌は死ぬほど創れるが、ジョンのように
夢を終わらせる歌は創れない。」と語った。
“The dream is over”
“I don't believe BEATLES”と「GOD」の中で吉井和哉は歌ったけれど
彼は「I don't believe THE YELLOW MONKEY」とは歌えない筈だ。
何故ならTHE YELLOW MONKEYは彼そのもの、彼の夢そのものだから。
一昨年、彼はBRIDGE誌で奥田民生さんとの対談で
インタヴュアー渋谷陽一氏の「生涯一バンド論」を聴いて
どう感じていたか。当時既に活動休止が決定していたとは、
我々は全く知らなかったが、今改めて読み返すと非常に感慨深いものがある。
見果てぬ夢を追い続けるのが吉井和哉だ。現状に満足せず、ロック苦行僧の如く
自らに大きな試練を課す、永遠のMロックヴォーカリストなのだ。
彼は間違いなくMだろう。と同時にSでもあるね。
自分の受ける痛みも好きだが、他人へ傷を与える罪の意識も快感なのではないだろうか。
被虐性と嗜虐性を併せ持つアンドロギュヌス、それが私の求める吉井和哉なのである。
痛みと快楽のカリスマ、吉井和哉。
そして光と影のように、彼と表裏一体、必要不可欠の男、笑魔。
2002年、私は彼らを追い続けます。
もっと輝いて魅せて下さい!私のスタア達☆






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INDEX
past  will

溶けた砂
時の谷間