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アイ ナンカ イラナイ。
夏野 空の日記

2003年08月31日(日) トランキライザー

前日、夜更かししたわけでもないのに、
そしていつもより早めに寝たというのに、
日曜日「ぱちり」と目が覚めたのは夕方だった。


ふと、自分の居場所が分からなくなる。

自分がこれからどこへ向かって行ったらいいのかも分からなくなる。

それどころか「今」自分が何をしたらいいのかも分からないでいる。


今日はどうやらあまり天気が良くはなかったようで、
それは夕方というにはあまりに暗い窓ガラスを通して
アタシにそれを伝えてくる。

「お腹が空いて目が覚める」とか「朝はやはりお腹が空く」とか、
そんな話を聞くことがよくあるのだが、
アタシはそんな感覚を持ったことがあったのだろうか。

今日も寝起きにアイスコーヒーで薬を喉の奥へと流し込む。
勿論、お腹は空いてなどいない。
「これから食べるんだとすると、もう晩御飯だな」と思ったら
食べるという行為すら億劫になった。


トランキライザー。

メジャートランキライザーもマイナートランキライザーも、
アタシはこの数年で一体何種類、何錠をこの体内に飲み込んだのだろう。
もうその名前すら一々思い出せはしない。
当たり前のように次々と、まるで飢えてでもいるように貪る、
けれどそれは「薬」という名の、
「食べ物」とは違うどう考えても「糧」ではなく。


セルシン、ソラナックス、メイラックス、レキソタン、デパス、
グッドミン、ハルシオン、レンドルミン、ロヒプノール、ユーロジン、
ベンザリン、コントミン、ヒルナミン、レボトミン、セレネース、
フェノバール、テトラミド、トリプタノール、スルモンチール、
トフラニール、テグレトール、テトラミド、レスリン、デジレル、
ドグマチール、アナフラニール、メレリル、ホリゾン、ピレチア・・・・・

分厚くなった薬名ノートを見て苦笑いする。



自分の居場所など、とうに無くなっている。

自分がこれから向かっていくアテなどないことも分かっている。

とりあえず「今」は。



シャワーでも浴びておこうか。





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2003年08月22日(金) くっ・・・・・

アタシは元々「タダノヒト」にしては
どうやらメールが多い方だったらしいし、
ちょっとズレているところもあるらしいので、
大概の「怖い文章(言葉)」にも慣れている。

と思っていた。

が、今日届いたメールは、ほんの5行足らずで
ここのところ上り調子だったアタシを奈落の底へ突き落とした。

「文章(言葉)というのは恐ろしい」ということは認識していたが、
それに拍車をかける要因として「メールの差出人」というのがあるのだな、と
今日、このトシになってようやく悟った。
悟らされた。


どうも最近いいことばかり続いているなぁ、とは思っていたのだが、
世の中やはりそう甘くはなかったのだな。


と、改めて思い知らされた夜(涙)。





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2003年08月19日(火) ご主人様からの連絡

夜、寝る前の習慣になっているメールチェックをする。
PCを落とす前に全てのメールボックスに目を通す習慣。
別に返信をするわけではないのだけれど。

その中に、アタシとご主人様の連絡用のメールボックスがある。


数ヶ月に一度しか連絡のなかったそこに一通のメールが来ていた。
家族や会社の同僚にも内緒の携帯を入手できた旨。
これからは頻繁に連絡が取れるようになる旨。
番号とアドレスと。
そしてちゃっかりと「こちらでSMショーが見れる店を知らないか?」と
調べてくれという旨。

慌ててレスを返すとすぐに返信が来た。
今度からは携帯で連絡をとり合おう、という旨。
一杯書きすぎると字数制限を超えちゃうよ、という旨。

笑う

Webメールでしか繋がっていなかったのが、
携帯で連絡をとりあえるようになるだけでこんなにも
安心できるものなのだなぁ、と我ながら可笑しくなった。

「携帯電話」という存在の不可思議さ。
その今の時代における存在価値の大きさ。
あるいはアタシにとってだけなのかもしれないけれど。

どうしようか。
パートナー契約など破棄しようと決めた時期もあったというのに。

結果

あまりにも簡単に元の鞘に納まってしまって、嬉しさのあまり
夫にメールを見せびらかす。



今日。
夫の仕事が休みだったこともあり、間抜けな時間に目覚めてしまったこともあり、
ここ数ヶ月続いていた耳の塞がりを診て貰おうと、
近所で評判のいい耳鼻科に行ってみた。

先日、知り合いに耳鼻科の恐ろしさを聞かされていたばかりだったので
鼻の穴やら耳の穴やらに色々チューブを突っ込まれるのだろうと
覚悟して行ったら、それぞれの診察と検査で結果が出てしまった。

簡単

「全ての原因は過労です。美味しいものたらふく食べて横になっていなさい。」
と言われて出てくる。

大病だと思って戦々恐々としていたのに、晴れ晴れとした気分になる。
また嬉しくなったので、夫と久しぶりの行きつけで男山を頂きながら
鮎の塩焼きとサンマの刺身を頂いた。


少しずつ、少しずつ。
よい方向に向かっている。

ような。





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2003年08月12日(火) 闘病日記(その5)

8月12日(火)

まとめて。

7月の中旬から上がっていた熱は下旬になっても下がりきらず
時に上がり、時に下がりを繰り返す。
「風邪のせいだろう」と放っておいた咳も日増しに酷くなり、
それは風邪の残りなのかあるいは他のものなのか。
内科の知り合いに「膠原病じゃぁないだろうねぇ」と言われてもピンと来ない。

放っておいたのだけれど8月に入ってからバタバタと。
知り合いが二人続けて子宮内に腫瘍を認められた。
一人は良性だったが、もう一人は悪性だった。
胃の検査にばかり気を取られて、
「ああ、そう言えば区から婦人科検診の案内も来ていたなぁ。」と
自分も婦人科系の疾患があるのではないかと、ふと不安になる。

翌日、呼吸困難と歩行困難をおして近所の婦人科にかかると、
検査の結果、総合病院を紹介され、すぐにでも行くように言われる。
ので、行ってみた。

紹介状を見せた後で一通りの検査をしてくると、診察した後で、
初期の子宮癌だと判明。
翌日朝一番での緊急オペということで、
すぐに帰宅して入院の用意をするよう言われる。
体調が悪い上に急な災難で、何がどうなっているのかよく分からない。
が、腫瘍を取り除くことよりも以前に、持病の喘息と呼吸機能の低下により、
麻酔を使うことのほうが危険だということをかろうじて理解する。
専門の麻酔医が必要。

診察をしてくれた医者はテキパキとした医者で、
アタシの目の前で、翌朝一番でのオペ室予約と専門の麻酔医へのオペ連絡、
入院にあたっての個室確保を看護婦に指示する。
が、こんな急な指示がすんなりと通るはずもなく。
しまいになって怒鳴り散らす医者は大声で
「婦長を呼べ!緊急オペの患者なのに個室が押さえられなくてどうする!」

緊急オペと入院が可能だという結果を貰って病院を出てきたアタシはそれでも
「ああ、何だか大変なことになったのだなぁ」と、
まだ実感を伴わない。

何とか地元まで戻ってきて、駅前のスーパーで入院準備品を揃える。
息が続かない。
空気が肺に入ってこない。
とりあえず必要であろう、と思われる物を買って表に出る。

家で入院の支度をしながら知り合いに連絡をする。
「・・・・・まぁ、そういう訳なので、当分連絡できなくなります」
あちらこちらに電話をしたりメールを打ったり、
相手と受け答えしているうちに、じわじわと実感がわいて来る。

「腫瘍はともかく、麻酔による命の危険が考えられ・・・・・」

でも成功すれば3〜4日で退院。
失敗したら1ヶ月程の入院で生還できるか命を落とすか。

3〜4日で退院して来よう、と何故か分からないけれどそう考える。
が、1週間分の入院の準備をしている矛盾。

そして翌朝。
夫と朝一番で入院手続きを済ませる。
オペ中に緊急処置が必要になった場合、同意書にサインが必要になる、
ということで急遽、知り合いにも来てもらう。

何だかバタバタであったがオペは成功。
もちろん、麻酔は正しく効き、正しく覚めた。
もちろん、まだ本調子ではないけれど。

そうしてアタシは今この日記を書いている。



そう言えば、麻酔が効いている間、夢を見た。


まるで血でもぶちまけたように真っ赤な中にそそり立つ紫禁城と、
その前を整然と行進していく清の時代の民族衣装を着た
数え切れないほどの人、人、人、人の波。
時折、真っ赤な中を黒い色が通り過ぎていく。


あれは何だったのだろう。





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