山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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この八戸にもインフルエンザが流行し始めたらしい。入院している八戸赤十字病院でもにわかにインフルエンザの患者が増えてきたそうだ。外来のあたりをなるべくなら通りたくないところだが、明日退院することになっておりどうしても通過せざるを得ない。マスクをして完全防備で行こう。
先日売店で購入した新書は「H5N1型ウィルス襲来」というものだった。新型インフルエンザが流行したらどうしたらいいのか、という内容のものだ。
世界中の誰もが免疫をもっていない新型インフルエンザが発生したらどうなるのかシミュレートし、その対策を提示しているものだ。誰も免疫がないから発生すれば数日で世界的に大流行することが予想されるそうだ。ではどうしたらよいか。外出を控えてじっとしている。どのぐらい?最低でも2週間以上。その間の食料も備蓄しておく。人の集まるところへは行かない。学校や市役所、映画館、ショッピングセンター、職場さえも。
こんなこと本当にできるのだろうか。でもそうしないと生き延びられないかもしれない。世界中で莫大な人数が死亡、大量の罹患者が発生し、医療機関だけでなく社会全体がカオスになる。これは一種の災害といえるだろう。その時どうすればよいか、今から考えておきたい。
ちなみに、自治体は何かしてくれるのか。県では行動計画を策定し、それに基づいたマニュアルを作成している。昨年7月には新型インフルエンザ対応訓練を行い、庁内にプロジェクトチームを設置して部局横断的な対策を進めることにしたそうだ。(その後Pチームが立ち上げられたかはわからない。)
http://www.pref.aomori.lg.jp/welfare/health/Aomori_pref_Pandemic_Flu.html
市では何か対策をしているのだろうか。ホームページから得られた情報はこれだけであった。
http://www.city.hachinohe.aomori.jp/news/index.cfm/detail.1.14947.html
2009年01月22日(木) |
ハーモニカコンサート |
午後三時から病院のエントランスホールで、ハーモニカのコンサートがあった。
水戸黄門やあばれんぼう将軍に、常に悪役で登場している役者さんだそうだが、失礼ながらあまり良く知らなかった。(山本さんとか)
黒のスーツに黒のハット、真っ赤なシャツという粋ないでたちで現れた山本氏、最初はハーモニカよりも悪役の話に熱が入っていた。
遠くて良くは見えなかったが、リードの音がきれいだったので、高級なハーモニカなのだろう。いい音を出していた。
悪役がハーモニカで病人たちのハートを癒すという構図であった。
病院内には見舞い客が来たときに集える「デイルーム」や、一緒に食事が出来る食堂のような広い部屋がとってある。その食堂に体重計が常設してあるので先日寄ってみたら、そこには本棚もあった。ほとんどがコミック本あったが、これまでに入院した人たちが置いていったであろう文庫本も何冊か並んでいた。
その中に「ビルマの竪琴」があった。作者は竹山道雄である。竪琴の名手となった水島上等兵が戦争が終わっても一人ビルマに残り、僧侶となって同胞の霊を弔うという物語である。
この映画を何度か見たことがある。1956年に映画化され、後に1985年リメークされているそうだ。昔は小学校の講堂で夜に映画会が催されることがあったが、その時に見たのであろうか、それとも学校行事として授業時間に体育館に暗幕を引いたムンムンしたところで見た映画だったろうか。とにかく当初の作品だったように思う。(中井喜一のリメーク作品はテレビで見た。)
原作を読んでこの物語が子供向けの童話として作られ、そして発表されたものだということを初めて知った。戦後、この戦争を否定するあまり、それにかり出された無垢な若い兵士たちまでが全て否定される風潮があり、それを疑問に思っていたところにこの作品が生まれたようだ。
あらかじめ内容を知っているためか、読みすすむ前に次を予測してしまい、次々と涙が出てなかなか前へ進まなかった。
最近とても涙脆くなった。年のせいか。お昼の時間にNHKBSでアニメを放送している。今は「愛少女ポリアンナ物語」で、以前は「母を訪ねて三千里」など、感動して涙を流しながらアニメを見ている。夜になると今度は大河ドラマで子どもの演技に感動し涙している。
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。
かの有名な「帯状疱疹」という名の病名をもらってしまった。
多発性骨髄腫の治療の副作用のため、白血球や血小板の数が大きく変動し、抵抗力が落ちるのだそうだ。免疫力が下がると帯状疱疹などのウィルスが顔を出してくるという。
年末に眠れない夜が何度か続き、なんとなくあちこち痒いような気がしていたら、お腹と背中がとても痒くなった。そのうち熱も出てきた。そうしているうちにお腹に赤い発疹ができた。これはなんか変だぞと思い看護師に見せたら、帯状疱疹の疑いありということで、すぐに採血をして検査したところ「ピンポーン」であった。
その日から飲み薬と塗り薬と、そして点滴に繋がれた。目覚めて直ぐの朝6時と、午前10時と、午後2時と、消灯後の午後10時にそれぞれ点滴をした。
年が明けて2日の午後10時の点滴をもってやっと解放された。それでもはやく治ってきたほうだそうだ。お腹にちょっとだけしか出なかった。ひどい人は顔に出たり内蔵に出たりするそうで、聞いていても恐ろしかった。
このところ数年、年末年始にトラブルが続く。去年も熱を出してこの八戸赤十字病院にお世話になった。
トラブルと言えば水道の断水騒ぎは 病院でも大変だった。当初断水に備えて浴槽に貯水するように指示があった。その指示が解除された後も何度も節水の呼びかけをしている。病院では自家用の地下水も利用しているからか、院内での断水はなかったようだ。幸いだった。
デーリー東北紙によると(唯一の情報源)、市や企業団の対応の不味さが目立ったようだ。特に情報の発出の遅さ、対応の遅れなどだ。企業団は朝早い段階で事故の情報をつかみ、全職員を招集し対応を検討するなど、しっかりと初動はしている。ところが企業長である市長への連絡や周辺町村への情報提供が遅かったのが残念である。
また、デーリー東北紙によると、周辺町村では早期に独居老人や障害者宅への対応をしていたが、八戸市は対応が遅かったらしい。これも後手に回った。
娘によると、今日6日、市の職員が全戸に対して、今回の対応がまずかった旨、謝罪に回っているそうだ。私が考えるに、ただ謝るだけではなく、いつから水が出なくなったか、いつ回復したか、どんなところに苦労したか、情報はどう伝わったか、何が一番欲しかったか(水以外に)、何をして欲しかったかなど、聞き取りをすべきである。それを地区別時間別に分類整理したら大変有用なデータベースが出来上がるはずだ。そして次に起こりうる災害に備えることができるに違いない。
市や企業団の職員は何日も眠らずに対応していたのだろう。今回の事故で卑屈にうならずに前向きにとらえてこれからの仕事に生かしてもらいたい。
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