山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2007年05月31日(木) 野鳥の声

朝、隣の庭に来ているらしいうぐいすの鳴き声で目覚める。
「ホー、ホケキョ」と、しばらくの間泣き続けている。聞き入っているうちにまた眠りに落ちている。

朝食後静かにしていると神社の森のほうからカッコーの鳴き声が聞こえてくる。さわやかな声だ。カッコーの声で子どもたちのピアノ曲でカッコーの変奏曲を思い出す。発表会のためによく練習していた。もう一つ思い出すのは小学校の音楽室だ。当時木造校舎の音楽室で器楽部の練習をしていたが、そこからはカッコーの鳴き声がよく聞こえた。

我が家は昭和63年の建築で、今年で19年目になる。さすがに痛んだところがでてきた。今年の春先には給湯器が不調になり、何度も修理をしたが持ちこたえられず交換した。

照明もあちこちの蛍光灯がつかなくなり交換を余儀なくされた。なじみの古里電気に依頼して両親の寝室とダイニングキッチンの蛍光灯を取り替えてもらった。その際ちょうど鳴いていたカッコーの声に感動していた。小中野では聞くことができないのだ。


2007年05月26日(土) 電子辞書」

最近高機能の素晴らしい電子辞書がでている。今日のNKKEIプラス1では最近の売れ筋の電子辞書を特集していた。

数年前、職場の同僚に触発されて電子辞書を購入した。カシオのEX−word XD−S2100というやつで、当時は最高級機であった。職場で自慢したらなんとその同僚が持っているものと同じ機種だった。内蔵している辞書は、
広辞苑
ジーニアス英和辞典
ジーニアス和英辞典
類語辞典
漢字字典
などである。当時としては広辞苑と本格的な英語の辞書が一緒になったものとしては画期的だった。電巧堂の広告を見てちょうど安売りの対象になっていたのを大喜びで買った記憶がある。

今注目しているのは、セイコーインスツルのSR−G9000という機種だ。英語上級者向けだが、日本語の辞書も充実している。英語の辞書が20種類ぐらい、その他に百科が2種、国語が4種、さらにビジネス関係が何種類か内蔵している。こんな小さなボディにこんなにも詰まっているものだ。

⇒こちら

少々高いが欲しくなる。

ベッドで辞書検索をしていると、遊びに来ていた孫の桜菜ちゃんがベッドによじ登ってきて隣に座った。そして私から取り返して自分でキーを押し始めた。液晶画面が次々と変わっていくのが面白いらしく、しばらく遊んでいた。そしてわけのわからない発音をして笑って楽しんでいる。この頃は彼女が来るたびにベッドに上がり要求される。電子辞書のもう一つの楽しみ方だ。


2007年05月23日(水) 病状

こんな病気(多発性骨髄腫)になってもう4年になる。最初の1年はあちこちの病院を渡り歩いた。

最初は個人病院の整形外科だったが、まず市民病院に入院し第10胸椎の手術をした。その後労災病院に移り抗がん剤と放射線の治療を受けた。さらに岩手医大付属病院にいって抗がん剤の投与とサリドマイドの服用を始めた。あまり効果が見られないところで八戸赤十字病院へ移された。ここでサリドマイドが効き始めてきた。症状が落ち着いたところで退院させられた。忙しい1年だった。

この病気にはサリドマイドが効くらしい、という情報があってそれを試すことができたのは岩手医大に行ってからだ。知っての通り認可薬ではないので扱いが難しい。国内では製造販売していない。医師にお願いして個人輸入の形で購入する。だから高い。私が服用している間にも一度2倍に価格が上がったことがある。弱みにつけこんだボッタクリみたいなものだ。それでもこの薬のおかげで病状が落ち着いているのだから文句は言えない。

手術した胸椎はチタン合金でつないだから大丈夫だろうが、腰の痛みは残ったままだ。リハビリのときに痛めたことがあるので、もしかしたら以前よりもずうっと悪くなっているのだろう。下半身がしびれている。感覚が薄く麻痺状態だ。だから歩くのがままならない。この痺れ感覚は手先にもある。

最近からだの変化が気になる。一つは腹の出っ張りだ。以前はスマートな体型だったのに、ベッドに寝てばかりいるせいか腹が出てきた。食事はほんの少しなのに腹が出るのは変だ。中年太りのように下腹が出るのではなく、胃のあたりから全体が膨らんでいる。コルセットのサイズが合わなくなりそうで心配だ。

もう一つは前歯が傾いたことである。それも上の前歯の右側1本だけだ。ここ数ヶ月の間に気がついたのだが、並んでいた前歯の1本だけが内側に傾いてきた。どういうことだろう。何かにぶつかったことも、誰かに殴られたこともない。とんでもない違和感だ。話すにも支障がある。第一みっともない。


2007年05月22日(火) 娘の誕生日

今日は次女の誕生日だ。23歳になる。今年大学を卒業し東京で就職した。病気をしないで元気に暮らしてくれるといい。

誕生日おめでとう。


2007年05月20日(日) 中国という国

NHKのBSで、「関口知宏の中国鉄道大紀行」という番組を放送している。中国国内の鉄道数万kmを乗りつくすというものだ。これを見ていて中国の広大さに改めて感動する。

関口が行く先々の都市が、初めて聞くような都市名でも人口数百万人の大都市ばかりで、こんなにたくさんの大都市があるとは思わなかった。さすがに人口が爆発している国だ。

列車の中で関口が触れ合う中国人たちはみな人なつこく、先ごろの反日デモの影は全く感じられない。とてもいい雰囲気でそれぞれの街を紹介している。

映像を見ながら、1984年の日中青年友好交流を思い出した。当時の胡燿邦総書記の呼びかけによりわが国から3,000人の若者が中国に招待された。その一員として参加することができたのだった。10日間で、北京、西安、上海とまわり、友好交流行事に参加した。

その10年後に東京は港区元麻布にある中国大使館で、この友好交流の10周年記念の同窓会が催されたことがある。この時は懐かしい団のメンバーと再会し、また大使館の若い書記官らと交流を深めた。このあと書記官の一人としばらく文通をしていた。美しい中国のグリーティング・カードをもらったものだ。

テレビに谷村新司が出演していたが、上海音楽学院で教授をしているそうだ。上海の絵が出ていた。上海はものすごく変化したのだそうだ。別世界だそうである。私が見たのは既に20年以上前のこと、ぜひもう一度その発展を遂げた上海を見てみたいと思うのである。

⇒’84 日中青年友好交流


2007年05月08日(火) 慶長さんの笑顔

ワシントンの世界銀行に勤務する慶長さんがスリランカに赴任する途中を利用して我が家にも立ち寄ってくださった。大坪国保年金課長が一緒に来てくれた。

スリランカの事務所には2年間の予定で、その後はワシントンの本部に戻るのだそうだ。家族は後で合流するそうである。

2000年にワシントンに慶長さんを訪ねた。2002年にはブリスベンに出向した慶長さんを訪ねた。当然今度はスリランカへのツアーが企画されるだろう。音喜多さんは既に張り切っているとのことだ。

自分も奇跡的な回復をしてスリランカ・ツアーに参加したいものだ。


2007年05月05日(土) 硫黄島

以前開発指導課でお世話になった山田憲男さんがきてくださった。たらの芽を取りに行ってきたそうでお土産に」たくさんくださった。また、せいをつけろといって馬刺しをくださった。ありがたくおいしくいたいた。

最近「十七歳の硫黄島」(秋草鶴次著、文春新書)という本を読んだ。最近話題の映画「硫黄島からの手紙」を観る前に読んでおきたかったのだ。わずか17歳の筆者が見た悲惨な現場をまるで昨日のことのように書いている。
「硫黄島からの手紙」のほかにクリント・イーストウッドは「父親たちの星条旗」という米国側からみた硫黄島の戦いの作品も作っている。そこで今日アマゾンで両方のDVDを注文した。見比べるのが楽しみである。


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