山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
日記一覧前の日へ次の日へ


2005年07月24日(日) 49歳

ここ数日、やっと眩暈が治まってきた。数日間辛かったがやっと開放されつつある。ただ食欲が戻っていない。これが食べられるようになれば普通の生活に戻れるのだが。

今日49歳の誕生日を自宅で迎えた。

夕食を済ませて一段落していると、都市開発部区画整理課の山田補佐が来てくれた。山田氏とは平成8年に開発指導課に同時に土木職が初めて配属され、その時にこういうところからははやいとこ抜け出したいと話したものだ。山田さんには1年ですぐに逃げられた。私は4年間お世話になった。

話題は専ら役所内のことで、いろいろと新しい情報を提供してくれた。


2005年07月19日(火) 車椅子

この10日ほど眩暈がして非常に調子が悪い。パソコンも容易に打てない。横になっているときのほうが眩暈が強い。特に右や左に寝返りを打つときぐるぐると目が回る。12日に病院にいったとき先生に話したら、CTを撮ってみようかという話になりかけた。眩暈がするのは脳腫瘍の疑いなどが考えられるのだそうだ。でももう少し様子を見ることになった。

今日は八戸赤十字病院の整形外科を受診した。自前の車椅子を購入するために必要な書類を、整形外科を受診して書いてもらわないといけないのである。肺炎で入院していたときから3回目でやっと書類がもらえた。午後に妻が市役所の障害福祉課に提出した。これで何日かすれば車椅子を入手できることになる。


2005年07月04日(月) 山本さん

夕食が済んでから政策推進室の山本さんが来てくれた。いつものように溜まっていた書類などを届けてくれたのだ。最近の政策推進室のようすをうかがうことができたし、今日は特にプライベートなことまで聞くことができた。

今日はどうして遅い時間だったのかというと、「輝櫻庵(きおうあん)」という農家レストランが近所にあるが、そこで会合があり、その途中にうちに寄ってくれたのだ。

帰る頃にはあたりが真っ暗になってしまったので、妻が輝櫻庵まで送っていった。


2005年07月03日(日) パソコン入院

実は数日間、パソコンが入院した。ネットに接続できなくなったのだ。

数日前私が使用したあと、妻が使用しようとしたら、突然ネットに接続できないと言い出した。私が考えうる原因をいろいろと調査し、究明しようと試みたが、残念ながら復旧しなかった。

ついにパソコン本体や周辺機器を購入している古里電気へ連絡し、調整してもらうことになった。次の日きてくれたが原因がわからず、パソコンと無線LANのアンテナを持ち帰った。

そして今日、復活した。原因は無線LANのアンテナがいかれていたのだ。電気屋さんもパソコン本体が悪いのかあれこれ探ってみたらしいが、最終的にアンテナから電波が出ていないことに気がついた。ばらしてみるとコンデンサが壊れているのが見つかったそうだ。台湾製のそれはあやしいのが多いらしい。メルコ製のものに交換してもらいネットも復活した。

午後になって親戚のおばさんが雑誌を持ってきてくれた。「続はちのへ今昔」5・6・7月号である。
「あんださ読ませたくて」
ゆっくりと読んでみよう。


2005年07月02日(土) 次長のはなし

午後から妻神次長がきてくださった。今が旬のさくらんぼを差し入れてくれた。次長は剣道をやっており、最近は剣道のイベントで土日はヒマなしだそうだ。この日も夕方から練習があるといって急いで帰っていった。

次長の話がおもしろい。話題はもちろん市役所の話ではあるが、いわゆる裏話が多い。ここに書けないところがいいのだ。2年も職場から遠ざかっているため、貴重な話が多い。是非また何度でもお出でいただいて、話を聞かせて欲しい。


yama |MAILHomePage