山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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いつもと同じ平日の月曜日がやってきた。
主治医の先生が回診して来た。聴診器を当てて見たりしながら、今日の血液検査で蛋白が増えているようだとデカドロンをはじめようということだった。できることならデカドロンは遠慮したい。
デカドロンを投与されると、急激にテンションが上がってしまうのだ。そして投与を中断するとテンションが下がる。そのギャップが結構きつい。寝汗もかく。こう暑くなってくると寝汗の処置も大変だ。
寝る間際になって、左の背中が痛み出した。角度によっては激痛に感じる。久しぶりに痛み止めの座薬をもらう。痛みが引いたかどうかわからないうちにそのまま眠りについてしまった。
日曜日であり、リハビリはお休み。よって何にも無い。午前中はいつものように眠いのでうつらうつらとしてる。
昼食直後、いとこの和田洋子・勝旗夫妻がにぎり寿司を二人前持って見舞ってくれる。 「まだ食ってねがべせ」 食ったよ。なんとタイミングの悪い人たちなんだろう。食ったばかりだというのに。今度来るときは時計を良く見て来て欲しいとお願いしておいた。この日は上の娘の結婚祝いを届けに来たようだ。披露宴も何もやらないからと断ったのだが拒否し切れなかった。贐として頂戴しておくことに落ち着いた。
結局お寿司は夕ご飯に代わった。病院の食事にかなり飽きていたところだったのでありがたかった。ちなみに寿司屋は田面木の奴寿司である。我々の消防団でも良く利用する。
今日はリハビリもない上に散歩などの自主トレもせずに過ごしてしまった。
今日土曜日はリハビリがお休みの日である。明日の日曜日もだ。そこで運動が途切れるとまずいので、若干の運動を兼ねて散歩に出かけてみた。
天気予報では雨の予報であったが、午後は曇り空がまだ我慢していた。ところが外に出てみると風が結構冷たく、その風も病棟の建物によるビル風となり強風となっていた。そのため早々に外の散歩はあきらめ病棟内に戻ってきた。あんまり運動にはならなかったが、ベッド上でじっとしているよりは多少は運動になっただろう。
部屋に戻って、今度はDVDを鑑賞した。先日ソンバンさんが中国は深[土]+[川](シンセン)から持ち帰ってくださった、「最后的愛、最初的愛」である。(監督:当摩寿史、主演:渡部篤郎、徐静蕾、董桔)
半分以上が中国語、4分の1は英語、残りちょっとだけ日本語ということで、理解に乏しいところも多々あったわけだが、何とか想像力を働かせて、最後まで見ることができた。中国人の女優がきれいなのと、映像そのものが美しいので満足。また何度か見直してみたい。
久しぶりに雨が降った。午後3時過ぎに空が俄かに掻き曇り、怪しいとおもったら、案の定雷を伴って夕立がきた。夏にありそうな天気であった。
国道方面から日赤に向かって雨水が流出し、日赤側には滝のような俄か水路が出来上がり、ごうごうと流れていた。あの水はいったいどこへ流れていくのだろう。大雨の時はこの付近の住宅も被害にあったはずだ。
雨のせいもあろうが、今日も生暖かい一日であった。そんな日はやはり眠い。一日中眠い。新聞を読んでいて居眠りをする。パソコンを開いても眠たくなる。冴えないオジサンである。
新入りの二人は結構派手に鼾をかくことが夕べ判明した。
昨日の日記で、血糖値を測っていたから糖尿病だろうと、単純に結論付けてしまったが、そうではないらしい。合併症として糖尿病にならないか調べているだけのことだ。
今日も暑い日だった。今日もリハビリの後、外に出てみたが、暖かくてのどかな気分であった。
主治医の沼岡先生が言うには、総蛋白の量が減ってきていたのが、ちょっと増えたので、様子を見てデカドロンを再開するかもしれない。できることならやりたくない。
午後にリハビリを終えた後、外に出てみた。天気は良い。救急患者出入り口は普段誰もいない。そこから悠々と車椅子を走らせ臨時の駐車場の方面へ行ってみる。手前に外来患者と医師のための駐車場があり、最も奥に一般職員の駐車場が配置されていた。
さっき出てきた救急患者出入り口に向かって戻ってくるとき、太陽がすっかり逆光の位置にあった。日差しが熱い。風はぬるくはなかったが日差しが熱かった。紫外線も強いのか数分間で日に焼けた気分だった。
最近お見舞いをしてくださる方々から一様に顔色が良いとお褒めいただく。自分で鏡を見てもずいぶんと色按配が良いと感じる。体調も上向きだからこの調子で頑張ろう。
リハビリを終えてしばらくしてからパソコンを叩いているところへ両親が来た。行きつけの皮膚科医院での治療が水曜日限定のため今日が治療日になったのだそうだ。二人とも元気そうで安心した。
最近また部屋の住人が新しくなった。今日も一人、私の隣に新人が来た。血糖値を測っていたから糖尿病らしい。前の人みたいに夜中にラジオをつけたりしないでね。
早朝3時半からラジオのスイッチを入れた人がある。イヤホンではなくスピーカで聞いているからはなはだ迷惑である。この御仁、午後には退院して行ったところをみると、どうやら退院がうれしく眠れなくて、早朝にラジオで暇つぶしをしていたというのが真相らしい。
それを除くとおおむね穏やかな一日であった。午後1時半にはいつもの通りリハビリをしに1階へ下がった。リハビリも最近は慣れてきた。淡々とメニューをこなしていく。しかし今日は途中で整形外科の外来に呼び出される。障害者認定に必要な調査をするらしい。いろいろ質問されたり測定されたりした。
整形外科終了後、正面玄関から外に出てみた。正面にあんなに大きな池があるとは知らなかった。工事の様子もいつもの病室から見る光景とは全く反対側を見ているわけで、とても新鮮に感じられた。
ちなみにきょうの大福は「プチよもぎ大福」であった。
20日の日記に記載した大樹の写真を撮影した。今日のリハビリの帰り道に外に出てみた。あらかじめデジカメを用意しておいた。付近は臨時の駐車場になっており、車の出入りが激しくうるさいが、その点を気にしなければのどかな雰囲気が伝わってこようというものだ。
この大樹は樹齢は500年を超えているのだろうか。先日の日記には、勝手に「ケヤキ」などと書いたが、実は樹木には疎く全く知識がない。何の木なんだろう。
今日の大福は「プチきなこ大福」であった。ピンポン球より幾分小さめの餅で粒餡入りであった。5個入りで150円。2個いただいた。
夕べはなぜか全く眠れなかった。部屋の中がうるさいとか暑苦しいとかいうことはなく、原因が不明である。体調を壊してしまう。今日はナイターもないことだしさっさと寝ることにしよう。
2004年05月23日(日) |
【写真付】中国帰りのソンバンさん |
長い間中国勤務だったソンバン(松坂)さんが帰ってきた。たくさんのお土産をもって来てくれた。やっと中国工場の建設現場勤務を解かれ、八戸へ戻ってきたということだ。本当にご苦労様。
今回もいろんなお土産を持ってきてくださった。まず数々の唐辛子グッズだ。大きいものから携帯ストラップ状の小さなものまで、いろんな飾りがあるものだ。中国では結構流行っているらしい。そういえば沖縄にこんな小さな唐辛子を泡盛につけた香辛料があった。そーきそばとかに入れて食べた記憶がある。大陸に近いからそういう文化も似ているのか。
その他に「最后的愛、最初的愛」という渡部篤郎主演のDVD(英題:Last Love)。パソコンで動画を見られるかどうかは未確認とソンバンさんは話していたが、大丈夫見ることができた。日中英3ヶ国語を駆使し字幕はは中国語だ。半分ぐらい内容がわかる。 それに現地ホテルのティッシュペーパー、のど飴、梅の果実を乾燥させて作った飴、麻婆豆腐のレトルトパック、マンゴープリンの詰め合わせだ。
中国での生活はそれなりにたいへん良かったそうだ。仕事でストレスが溜まると、電車でひとっ走り香港へ出かけ発散して来るんだそうだ。「香港はいいぞ、今度ぜひ一緒に。」ということで、体調が回復したら、ぜひ一緒に連れて行ってもらいたいものだ。安宿や食事の美味しいところなどなんでも任せてほしいとのことだった。
2004年05月22日(土) |
【写真付】たくさんの差し入れ |
今日5月の22日は下の娘の誕生日である。今日で二十歳になった。おめでとう。
3月まで企画部長を務め、現在ユートリーで広域事務局長をしておられる接待さんが八戸イチゴを持って見舞ってくださった。ユートリーで楽しく過ごしているそうだ。先日北海道からの観光客が八戸って何にも無いところだねと会話しているのを小耳に挟み、黙っていられずユートリーを案内して山車を見せたり、いろいろと紹介したら喜ばれた、という話をしていた。
接待さんと入れ替わるように柳町行政経営室長が来てくださった。前回同様お花のアレンジを持ってきてくださった。2週続けて来たことになる。下の望月総務部長の見舞いに行ってきたそうだが、既にピンピンして歩いていたとのことだった。来週の土曜日は秋田で行われるシンポジウムに参加するため、見舞いには来れないということだった。また、2・3日日記が更新されないと具合でも悪くなったかと心配してくださるそうで、なるべくまめに更新するよう心がけたいものだ。
そしてその柳町室長が帰った後、入れ替わるように、3月まで企画部次長だった、妻神都市開発部次長がきてくださった。人事異動で部が変わっても忘れずに来てくださって本当にうれしい。鯖寿司はちのへ巻と我が八幡の萬栄堂がリリースしているはちのへプレッツェルを差し入れてくださった。
鯖寿司はしめさばと菊の花で寿司飯を巻いたようなものでなかなか美味しかった。うたい文句には「特産の食用菊と近海美味の鯖が織りなす八戸地方独特の巻き寿司です。」と書いてあった。
八幡の萬栄堂の息子とは消防団でも一緒でお世話になっている。最近は鶴子まんじゅうだけでなくこういう洋風の菓子にも力を入れているらしいが、これを作っているのは知らなかった。数日前のデーリー東北に掲載されていいたそうだが、見落とした。
今年は剣道の仲間でトルコはイスタンブールを訪問するそうだ。今から根回しをしておいたほうがいい。ついでにパリも訪れることにしたら、剣道とは関係ない人たちまで参加申し込みが殺到しているそうである。テロが無いことを祈る。
夜明け前、吐き気に襲われる。昨日のカフェラッテがいけなかったかもしれない。そういえば以前缶コーヒーが嫌いだった。そういう意味ではカフェラッテも缶コーヒーと似たようなものだ。
朝食はほとんど食べられなかった。昼食はおそばだったので久しぶりに食った。リハビリはお休みした。今週は順調に訓練していただけに残念である。
調子の悪いときは寝ているに限る。
午前中は調子が悪い、らしい。治療薬として用いている「サリドマイド」がもともと睡眠薬ということもあって、夜服用しているサリドマイドが午前中ぐらいは効いているのだろうと思われる。昼飯を食う頃から調子が上向いてくるのだ。そういう意味で、今日は2・3日前よりも調子は良い。
腰の痛みは薄れてきた(慣れてしまったのかもしれないが)、体を半分起こしてパソコンを叩いたり新聞を読んだりしているうちに、首筋から背中にかけて痛くなってしまった。なにしろ元々手術をしたところが背中で、そこにチタンの代替骨が入っているのを忘れるところだった。無理な姿勢を続けないほうが良いだろう。
いつもどおり、午後の13時30分からリハビリ室へ行く。順調にリハビリが済んだ後、今日も外に出てみた。外の駐車場の様子や、元からの小さなお宮の景色が見えた。リハビリ室のすぐ裏手に、小さなお社がある。社は小さいが大きなケヤキの大樹が2本、社を守るように聳えていた。(後日チャンスがあれば写真を掲載してみたい。)病院ができる前はきっと田んぼの中に悠然と存在していたであろう姿を想像する。
部屋に戻ってきてから、妻から足を洗ってもらう。(コルセットをしたままでは腰が曲がらない、手が届かないのだ。)ベッド上でシャンプーをしてもらう。シャンプーはちょっとテクニックがいる。洗浄後のお湯を吸い取るために紙おむつを利用する。
今日水曜日は介助が必要な患者さんの入浴日のはずだった。なぜこんな書き出しかというと、見事にキャンセルされてしまった。理由は、「今日は看護婦の数が足りないから、」だそうだ。そんな理由でキャンセルされるととっても辛い。週に1回しか入浴日は無いのだから。
午後はいつもどおりリハビリをした。だんだんに調子が上がっているような気がする。リハビリ終了してから車椅子で外に出てみた。久しぶりの外気であった。天気も良く、気温も低くなく、ちょうど良い気候であった。これからもチャンスがあったら外の空気を吸ってみたい。
昨日までよりは少し体調が回復してきたような気がする。ただ相変わらずぼんやりした感じはそのままだが。
リハビリのメニューが少しずつ増えてきた。だんだんと歩けるようになってきたからか。歩くといっても平行棒に掴りながら少しずつ、距離もほんの少しだけであるが。
歩く練習の前に、車椅子から立ち上がる練習をする。座った位置から真っ直ぐに立ち上がった姿勢に立ち上がるのだ。これが真っ直ぐに立ち上がらないと腰に来るのできつい。気をつけないとまた腰を痛めそうだ。
昨日は日記をサボった。
2004年05月16日(日) |
よしこちゃん今日も仕事 |
今日も一日ぼんやりしていた。
夕方、政策推進室の山本さんが来てくれた。チャリで来たそうだ。東京出張うまくいったようだ。休み明けに一仕事あるそうで、その準備で今日も仕事に出ていたそうだ。
午前中のうちに、以前下水道で一緒の事務所にいた、現在都市政策課の望月君が来てくれた。なんでもお父さんである望月部長が心筋梗塞で夕べのうちに日赤病院へ緊急入院したそうである。絶対安静とうことで面会謝絶である。合間を見て私のところへ寄ってくれたらしい。都市計画頑張ってね。
お昼ごはんは久しぶりに全部食べた。
午後昼寝をしていると、政策推進室の在家補佐が来てくださった。はやく職場復帰できるといいねと励ましてくださった。
その後、行政経営室の柳町室長が来てくださった。望月部長が緊急入院という情報を入手し見舞いに来てみたが面会謝絶で断られてしまった、と話していた。
朝から気分が優れない。腰より背中が痛い。それも昼ごはんを食べたあたりから良くなってきた。
午後からリハビリへ行く。昨日よりはいい感じだ。歩く距離もちょっとだけ増やした。リハビリの後、セブンティーン・アイスをご馳走になった。
夕方パソコンに向かっていると、近所の元老の娘さんが突然やってきた。長男が入院したんだそうだ。大変そうだけど頑張って欲しい。
お昼近くになって新井田の伯父夫婦が来てくれた。本当にお昼ご飯直前で、食事が配布になったため、伯父夫婦は直ぐに帰っていった。
いつもの時間にリハビリへ行った。いつもより力が入らなかった。そのことを担当の川崎先生に話すと、メニューを減らしてくれた。それでもちょっと調子が悪いので辛かった。
部屋に戻ってからしばらくすると、娘と母が来てくれた。サンデーで買い物をしたのだそうだ。花の苗や鉢植え用の土などがほしかったらしい。
そのうちに「かもめ」と「うみねこ」はどう違うのか、という話題になった。そりゃうみねこはかもめの一つの種類でしょ、とは言ってはみたものの、きちんと説明できないので、この際広辞苑を引いてみた。
かもめ(一説に、メは鳥を意味する語) チドリ目カモメ亜科の鳥の総称。主として沿岸海域にすみ、飛翔力強く、海面や海岸でさまざまなものを拾って食う。生魚をとることはほとんどない。世界に約四○種。ゴメ。また、その一種であるカモメは、大きさカラスほどで、体は白色、背と翼とは青灰色。幼鳥には褐色の小斑がある。夏、カムチャツカ・シベリア・カナダなどの海岸に繁殖。 冬は日本に現れ全国の海上に群棲。土佐「今し―群れゐて遊ぶところあり」 うみねこカモメの一種。背・翼は蒼灰色、尾羽に黒帯があるほか全身白色。鳴き声は猫に似、太平洋の北西部のみに分布。日本での繁殖地のうち青森県の蕪島(カブシマ)・山形県の飛島(トビシマ)・島根県の経島(フミシマ)などは天然記念物に指定。 ということであった。八戸の人は聞かれたら説明できなくっちゃいけないでしょ。
2004年05月12日(水) |
【写真付】葛きりの食べ方 |
今日は何の日? 「看護の日」である。ナイチンゲールの生まれた日にちなんでわが国では5月12日を「看護の日」としているそうだ。
中学の同級生、山本(旧姓:伊東)恵子さんがあわただしく寄ってくれた。なぜ「あわただしく」か、というと、彼女は埼玉県和光市で家庭を持っているが、実家(八幡)のお母さんが白内障の手術のため一時帰省したのだった。その病院が八戸赤十字病院だとばかり思っていたら、そんな人はいないといわれ、慌てて捜したら市内のM眼科だということが判明し、これから大急ぎでそちらへ向かうとのことだった。結構ドジである。 「はやく行ってあげて」 首を長くして待っているだろう。
彼女が差し入れてくれたお菓子は「川越そーめん」という葛きりであった。冷やしてから食べるのが良いそうなので、自宅へもって行って試してもらうことにする。食べ方が記載されていた。
お召し上がり方 器に氷を三個から五個入れ、 袋から当製品を移してください。 よく冷やしてから、 箸でお召し上がりください。 蜜の味もお楽しみください。
午後には高館の叔父が来てくれた。叔父自身が入院していたこともあり、どうしているのか心配していたが、元気そうで安心した。2ヶ月入院したそうだ。叔父も私の顔色が良いのを見て安心したらしい。顔色が良いと連発していた。
叔父と入れ替わりに両親が通院帰りに寄ってくれた。今日はフルーツを差し入れてくれた。
妻が所用のため午後から出かけた。代わりに母が付き添いに付いてくれた。
その母がホットコーヒーが飲みたいと言い出し、久しぶりに缶コーヒーをご馳走になった。たまには缶コーヒーもいいものだ。
ワシントンの慶長さんから、ソーシャル・ネットワーキングへの誘いがあった。もう既に何人かが慶長さんの紹介文を掲載している。私も明日にでもなんとか掲載まで持ち込みたい。
午前中に散髪をしてもらう。いつものように下の理髪店に予約をしておき、ベッド上で散髪をしてもらった。
血圧が極端に低い。87〜55である。起き上がるとふらふらする。そこで今日はリハビリを休んだ。無理をして壊れても大変だし。
妻は美容室へ出かけたのだが、いろんなお菓子をもらったといって、残りのお菓子を持参で帰ってきた。おすそ分けをいただいたわけだ。中でもせんべいが気になった。 1.林檎せんべい 2.いかせんべい 3.南部せんべい-落花生 このうち1と2は岩手屋の商品であった。どちらも初めて食べた。不思議な味わいであった。これまで食べたことのない味わいであった。1はごませんべいにりんごのチップスをまぶしたもの、2はごませんべいに細かい裂きイカをまぶしたものというイメージである。
3については包装に製造社名が記載されていなかったが、おそらく1,2と同様に岩手屋の製品ではないかと思われる。いわゆる豆せんべいであり、これは昔懐かしい味がした。
ご馳走様。
なんとなく一日が過ぎた。
暑くてだるい一日だった。ベッド上にばかりいるから汗をかき、何度となく着替えをした。
ぼんやりしていた。
昨日八幡の国道で路線バスとトラックが衝突するという事故があった。路線バスの事故ということでか、NHKのローカルニュースでは再三繰り返して放送していた。その映像の中になんだか見たことのある人物像があった。舘分団の栄田分団長であった。栄田運送の社長といったほうが適切か。それほど大きくは映っていなかったが、あのシルエットを見ただけでも間違うはずがない。2度目のニュースで確認した。彼は消防で出動したのだろうか、それとも単なる野次馬か?
娘が午後1時半過ぎに病室へやってきた。「はい」といって妻に母の日のプレセントを差し出した。娘の手作りのハワイアンキルトのチビバッグとそれに入ったスパークリングワイン2本である。これに妻は大感激で、お礼に寿司を買ってあげたらしい。完全にのぼせてしまった。
私も驚いたことがある。それは意外にもキルトのパッチワークが上手にできていたことである。私の母がパッチワークの虜になって、退職してからの十数年以上をそれに費やしてしるが、それに匹敵する。将来が楽しみだ。
妻が病院で使用している椅子は、盛岡の岩手医大付属病院に入院しているときに、付近の雑貨屋から1万円のところ3千円で調達してきた折りたたみ式アルミニウム製椅子である。ことあるごとに、この椅子を買って本当に良かったと連呼している。
昨日よりは体調が良い。良く鳴ったり悪くなったり、まさに「3歩進んで2歩下がる」の心境である。
田面木の叔父が来てくれた。いつも「山のきぶどう」ジュースを持ってきてくださる。いつも家族一緒なのだが、今日は一人で来た。奥さんも話し好きなので一緒だと話す時間が無くなってしまう。今日は充分お話をする時間が取れた。この叔父さんのやさしいところが好きだ。
夕食後、水道企業団の田中光彦夫妻が来てくださった。私は仕事や郷土芸能保存会で、妻は田中さんの夫人が経営する美容室モンパルでお世話になっている。田中さんのところは一人娘、我が家は二人娘、お互い娘の愚痴で盛り上ったりする。
ちょっと頭痛がある。おなかの調子も良くない。食欲も無い。熱は無い。主治医の先生に訴えたら、薬を出してくれるそうだ。ちょっとした風邪薬だそうだ。
今日は一日中寝てばっかりだった。本も読めないし、リハビリも行けないぞ。
夕食後、政策推進室の小笠原、佐々木、磯嶋の若手3人がきてくれた。以前リクエストしておいたソフトを持ってきてくれたのだ。話題は専ら飲み会の様子。私に話しながら彼らは屋形船の追体験をしているらしく、とても楽しそうであった。うらやましい。早く全治して参加したいものである。
突然だが部屋を替わるよう婦長から言い渡され、数分後には隣の部屋に移った。今度の部屋は580号室である。
今日は不調だ。めまいがする、吐き気がする。汗をかく。おなかが張るもののガスが出ない。何が原因なのだろう。
体調不良のため、リハビリもお休みにしてもらった。
大型連休も最終日となってしまった。(自分には関係ない。毎日大型連休である。)テレビのニュースでは毎日Uターンの混雑ぶりを鉄道や高速道路を引き合いに出して解説している。天気はというとそれほどの大崩も無く、比較的穏やかなゴールデンウィークだったのではなかろうか。
連休の間はリハビリもお休みとなるため、専ら自主トレに頼らざるを得ないが、これがなかなか自分からトレーニングをするというのがうまくいかない。ベッド上で体を動かす。座高車(車椅子)に移って歩き回る。(歩く練習は自前ではできない。)
今日は妻に車椅子を押してもらいながら、1階の自動販売機のところまで行き、二人でセブンティーン・アイスを食べた。程よい大きさで程よい甘さであった。
入院してからあまり鏡を見る機会がなかったが、最近髭を剃るときにちょっと映してみると、なんだか肉が付いたような気がする。ほっぺたのあたりが厚くなったような気がするのだ。妻は面の皮が厚くなったとからかうが、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。
見舞いに来てくださる方々はほとんどが、顔色が良いとか痩せていないとおっしゃる。痩せたかどうかがこの手の病気の進行度のバロメータになっているのだろう。それと顔色を見ればその時々の健康状態がわかるというものだ。
今日の夕食は手巻き寿司である。妻がストレス解消のために、近くのスーパー3店舗を見比べた結果、ユニバースが最も美味しそうで値段も安かったらしく、そこで調達してきた。大量に購入し、一部を実家の両親へ届け、一部を見舞いに来ていた娘夫婦へ、そして残りを我々がいただくということになっている。
2004年05月04日(火) |
【写真付】慶長氏と福田氏 |
ブータンへ出張していた慶長氏がワシントンへ帰る途中、東京へ寄ったそうだ。福田先生と焼き鳥屋で飲んだのだそうだ。証拠写真が回覧されてきたので、無断掲載してみたい。
一晩だけでアメリカへ発ったのだろうか。今朝の書き込みではもう既にワシントンに着いたということだ。
八戸には今度は7月に来れそうだということなので、また何かのイベントを企画してみたいところだ。ピンピンしてたらの話だが。まあ、誰かが考えてくれるだろう。
写真を見て欲しい。焼き鳥屋で飲んだ後、和歌山らーめんの店で腹ごしらえをした時の写真だそうだ。(背景をカットした)
ところでこの二人、並べてみると似ていると思わないか。
夕方になってから、弘前市役所に勤務している八戸高専女子バスケットボール部OBの佐藤絵美が見舞ってくれた。学校で中村先生から山コーチが入院しているのは日赤だったかどうか確認してから来たということだった。いつも友だちと一緒に来るらしく、外に待たせてあるのでと、あわただしく帰っていった。彼氏とデートの途中なのかな?でも、こうして顔を見せてくれるだけでもありがたい。うれしいものである。
2004年05月03日(月) |
【写真付】特選和菓子 |
大福はちょっと飽きたので、和菓子のうちで別なものを捜してみた。
よこまちストアで各地の名物を集めてなんとかフェアを開催していたので、妻から少々調達してもらった。
1.石川 加賀あんころ 2.京都 おたべ(ニッキ、抹茶) 3.郡山 くるみゆべし 4.北海道 三方六
1から3は完璧和菓子であるが、4番の「三方六」は手にとって初めて判ったがバウムクーヘンであった。ネーミングの仕方でどうにでもなるものだ。
たくさん買ったのはいいが食べきれない。実家へ持っていってお袋から手伝ってもらうことにした。これだけ和菓子を見たらもうしばらくは見るのも嫌だという風になるかと思ったら、なぜかまた大福が食いたくなった。
病院の食事に飽きてきたので、とりあえず昼食に外来食堂へ行ってみた。妻は野菜ラーメン、私はざるそばをいただいた。評価は、妻は◎(二重丸)、私は△(三角)という結果になった。
妻も私も外食は1年ぶりであった。妻は五目ラーメンとかタン麺とかの野菜系ラーメンが好きだ。今回の食堂のラーメンも口にあったようである。それに引き換え、私がいただいたざるそばはイマイチからイマニぐらいであった。なにしろ冷たすぎた。そばも冷たかったが汁が冷たすぎで、味の感覚が伝わってこなかった。
食堂に行く前に売店に寄ってみたが、さすがに大福は売っておらず、品数も少なめだった。やはりゴールデンウィークだから仕入れも控えているのかもしれない。明日は妻に頼んで和菓子を何か買ってきてもらおうと思う。大福でもいいし、柏餅、桜餅、道明寺、何でもいいぞ。
今日から5月、しかも1日だから今日はメーデーである。といっても公務員の私には縁はないが。天気も良く快晴で穏やかな日である。ただし気温は高くなかった。
病院もゴールデンウィークに突入したわけで、その間はリハビリテーションも休みである。ベッド上あるいはベッドサイドで自主トレに励まなければならない。
大福はもう飽きた、といったら、妻は今度は「麦もち」を買ってきた。小麦粉を練って作った皮で味噌と砂糖で作ったあんこを包んだ、この辺で「麦もち」とか「味噌もち」、あるいは「ばほりもち」などという、餃子を大きくしたような形をしたあれである。さすがにこれを食わせられるのであれば大福のほうが良かった。今日、もちは遠慮しておいた。
夕方にはバスケット部の先輩上田さんが見舞ってくださった。海外旅行へ行ってきたそうで、そのお土産を届けてくださった。シンガポールの目と鼻の先のインドネシア領にビンタン島というリゾートがあるそうで、そこへ行ってきたそうだ。プールやビーチで泳ぎ三昧だったそうで、真っ黒に日焼けして帰ってきた。お土産に私のほかに妻にまでTシャツをいただいた。そのほかにドライフルーツの詰め合わせを頂戴した。
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