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2011年01月26日(水) ■ |
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Macの「壊れやすいパーツ」に対する、アップル社の「発想の転換」 |
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『予防接種は「効く」のか?』(岩田健太郎著・光文社新書)より。
【ゼロリスクを考える時、僕が思い出すのはアップル社のコンピューター、Macです。Macのノートブック型のコンピューターを僕は愛用しています(こんなにスティーブ・ジョブズに貢いで〔投資して〕宣伝もしているのに、アップル社からは何もいただいていませんが……)。 Macは使いやすいコンピューターですが、一つ大きな欠点がありました。電源コードとコンピューターとの接続部です。ここを頑強なプラグで接続していたのですが、足を引っかけたりするとプラグがひんまがって使えなくなってしまうのです。僕も昔、これでコンピューターを壊したことがあります(涙)。 これについて、世界最高レベルのコンピューターの作り手が対応しましたが、どうもうまくいかない。 彼らの普通の思考だと、「壊れるものは、もっと強くして壊れないようにしよう」と考えます。 「もっと強靭で壊れないプラグを」と、どんどん堅牢な、頑丈なプラグを開発しようと努力するのです。壊れるというリスクをどんどん減らしていけば、いつかはうまくいくだろうという「ゼロリスク」の希求です。 しかし、アップル社というのは興味深い会社です。こういう「専門家」の発想だけでコンピューターを作りません。「逆の発想」「専門家ではない素人の発想」を取り入れました。 なんと、逆に接続部が簡単に外れるようにしてしまったのです。プラグを簡単に外れる磁石にしたのでした。一般的な(質の高い)技術者とは反対の考え方をしたのです。 この新しい接続部は弱めの磁石でくっついているだけなので、足を引っかけると「簡単に外れるように」なっています。簡単に外れるから、ひんまがったりはしません。これで接続部は壊れなくなったのです。 リスクをゼロにしようとして堅牢に、頑丈に接続部をつくろうとしても、それより強い力が働けばやはりそこは壊れてしまう。リスクはゼロにはできないんだよ、という事実を率直に認め、むしろ外れちゃってもOKな仕組みにすればよいのだ、という素人による発想の転換が成果をもたらしました。】
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僕はWindowsを普段は使用しているので、この電源コードとコンピューターとの接続部のプラグが実際にどんなものであるのかはわからないのですが、この「アップル社の発想の転換」の話は、とても印象的でした。
ふだん「安全性」について考えるときには、「とにかくトラブルそのものが起こらないように、頑丈なもの、完璧なものを目指す」というのが一般的な方向性ではないでしょうか。 しかしながら、どんなに突き詰めていっても、「100%安全」というのは、人間がつくりだすものでは「100%不可能」なんですよね。 そう考えると、「トラブルが起こること」を前提にして、「トラブルが起こった際に、被害を最少にすること」は、合理的な発想です。
もっとも、Macのノートブックでこういう発想が可能になった前提条件として、もしコードに足を引っかけてプラグが外れてしまっても、しばらくの間は内部バッテリーの働きで、コンピューターそのものは動作できる」という技術の進歩もあるのです。 昔のマイコンのような、「電源コードが抜けたとたんに画面が真っ黒になって動作停止となり、データも消失」というレベルの時代に、こんな「簡単に外れることによって、プラグを守る」構造だったら、「プラグより、俺のデータを返してくれ!」ということになったでしょうから。
この「簡単に外れるようにすることによって、より大きな被害を防ぐ」という発想は、すぐに思い浮かぶようでいて、現場の技術者にとっては、なかなかイメージできないもののはず。 やっぱり、ずっとその世界でやってきている人は、「100%安全を目指す」ほうに行ってしまいそうです。 実際にこの「簡単に外れるプラグ」を思いついた人はもちろんなのですが、これを製品に採用したアップル社も、勇気がありますよね。 プラグが簡単に外れることによって、故障を防ぐことができたとしても、ユーザーは「起こらなかったこと」には、なかなか気づきませんから、「故障を防いだメリット」が実感されることは少なく、「なんでこのプラグ、こんなに外れやすいんだ。もうちょっとしっかりつくれよ!」って思われる機会のほうがはるかに多そうだものなあ。
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2011年01月20日(木) ■ |
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「相手に鋭く斬り込んで本音を聞き出すコツとか、なかなか心を開いてくれない人の心を開くコツって何かありませんか?」 |
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『バカの正体』(テリー伊藤著・角川oneテーマ21)より。
【「テリーさんは、いろんな有名人にインタビューしたり対談したりしてますよね。相手に鋭く斬り込んで本音を聞き出すコツとか、なかなか心を開いてくれない人の心を開くコツって何かありませんか?」 よくそう質問されることがある。私の答えは簡単だ。 「相手が話したいことしか聞かないこと」 すると、たいてい質問した人は意外そうな顔をしている。テリー伊藤といえば「ズバリ斬り込む」とか「あの大物の本音に迫る」などというのが持ち芸だと思われているからだろう。たしかに、いままでそういう番組や記事がいくつかあったから、そう思われるのも無理はない。 しかし、本当の私は、やさしいナイスガイである。ズバリ斬り込むことなんて好きでもなんでもないし、事実、やっていない。「テリーが鋭くつっこんでいる」というのは錯覚なのだ。 自分の名前を看板にして商売している有名人は、基本的に、そうそう本年なんかしゃべらないし、聞かれたくもないのだ。そこに質問者が鋭く斬り込んでいったって、ますます話したくなくなるだけである。 人に聞かれたくないことを質問したり、しゃべらせようとしてもインタビューが盛り上がるはずもない。そんなことをするよりは、その人はしゃべりたいことをしゃべってもらうのがいちばんいいのだ。 むしろ、そうやって自分が話したいことを話していると、そのなかにその人の本質や本音が自然に表れてくるものだ。しゃべりたくもない話を無理に聞けば、だれだって心を閉ざしてしまうから、本音なんか出てこないのだ。 そりゃあ国の一大事に直面している政治家に「田原総一朗が斬り込む」という番組なら、政治家も職業上、本質論を語りもするだろう。 しかし、そういうケース以外は、ズンズンつっこんだって口を割る人は少ない。運よく聞き出せたとしても、せいぜい一言。そのあとは言った本人も「しまった、ついしゃべっちゃった」と思って自制して、さっき以上に身構えてしまう。 わざわざ斬り込んでいって、そんな空気を作ってしまったら、盛り上がるものも盛り上がらなくなってしまう。それよりは、相手が好きな話をなるべく自由に気持ちよく話してもらった方がいい。 たとえば、熱愛や結婚の噂がある人に「本当に結婚するんですか?」という直接的な質問をしても、多くの人は答えない。「いやあ、そんなことは……」などと言って、のらりくらりするだけだ。 それよりは、最近その人が出演したドラマの話を聞いたり、おもしろいと思った映画やアニメの話を聞いたりしたほうがよっぽどいい。 「最近、私、『サザエさん』をよく見てるんですよ。あったかい気持ちになれるから」 そういう話を聞けば、「ああ、この人は家庭のぬくもりがほしいと思いはじめているのかな」と気づく。
(中略)
芸能人にかぎらず、いきなりその人の本質的なことを聞こうと思っても、なかなかしゃべってくれる人はいない。「あなたはどういう人間ですか?」とか「将来、どんな仕事をなしとげて、どんな人と結婚したいですか?」と聞かれても、スラスラ語れる人は、そんなに多くはいないはずだ。 「最近、何かおもしろい映画は見ましたか?」 「3〜4日、休みがとれたら、真っ先に行きたいところはどこですか?」 そういう楽しそうな質問をして楽しい会話がはずめば、その人の本音もおずと見えてくるものなのだ。鋭いつっこみは、まったく必要ないのである。】
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正直なところ、僕はテリーさんの対談記事をときどき週刊誌で読んでいたくらいなので、テリーさんの「会話術」が実際にどのくらいの効果をあげているのか判断しきれないところはあるのです。 それでも、この「相手の本音を聞き出すコツ」「心を開いてもらうためのコツ」には、なるほどなあ、と感じました。
相手の本音を聞き出すためには、「かなり思い切った、相手の意表をつくような上手い質問」をしなければならないし、そういう質問は、場合によっては、相手の機嫌を損ねてしまうかもしれない」と僕は考えていたのですが、実は、そんなふうに「斬り込む」のは愚策なんですね。
たしかに、自分がインタビューされる側(あるいは、日常会話での聞き役)だったら、いきなり、「あなたはどんな人間ですか?」なんて聞かれたら、真面目に答えるよりも、「この人はなんでこんな質問をしてくるんだ?」という不安のほうが強いはず。 ものすごく酔っ払っている、というような状況でもなければ、いくら強い言葉で質問をしても、「本音」なんて出てこないのが当たり前です。
そういえば、プロインタビュアーの吉田豪さんは、事前にかなり下調べをされているそうですが、インタビューの場では、とにかく相手に楽しくしゃべってもらうことに徹して、自分では「ダハハハハ」なんて相槌を打っていることが多いですよね。 「本音を引き出す」ためには、とにかく相手に楽しくしゃべってもらうこと。 人間って、楽しくしゃべっていれば、ついつい「本音」が出てしまうものだから。 もっとも、「世間話からはじめて、相手に楽しくしゃべってもらう」というのは、世間話が苦手な僕にとっては、かなり難しいことだとも思います。 もしかしたら、いきなり「あなたはどんな人間ですか?」と聞くよりも、大変かもしれません。
ところで、これを読んでいて思いついたのですが、「自分がどんな人間かわからない」ってこと、ありませんか? そういうときには、自分が好きな映画とか本のことを思い出すと、「自分はこういう物語に共感する人間なんだな」ということがわかるのではないでしょうか。
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2011年01月14日(金) ■ |
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とりたてて魅力があるとも思えないのに、女性には困ったためしがない男 |
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『20歳のときに知っておきたかったこと』(ティナ・シーリグ著・高遠裕子訳・阪急コミュニケーションズ)より。
【成功者に話を聞くと、このテーマは繰り返し登場します。彼らは、多くのことに挑戦しようとし、実験の一部が大きな成果につながると自信を持っています。しかし同時に、途中に落とし穴が待ち受けていることも知っています。こうした姿勢は、課題の大きさに関係なく通用するものです。友人から、こんな話を聞きました。女性には困ったためしがない、と思えるような男性がいました。とくにハンサムなわけでもないし、面白いわけでもありません。頭がいいわけでもなく、とりたてて魅力があるとも思えません。だから、女性にモテるのが不思議でした。友人はある日、思いきって聞いてみました。どうして切れ目なく女性とつきあえるのか、と。すると、こう答えたそうです。「単純なことだよ。魅力的な女性がいたら、片っ端からデートに誘っているんだ。なかにはイエスと言ってくれる娘もいるからね」。この男性は、数少ないヒットを打つためなら、どれほど空振りしても気にしなかったのです。ここから、ごく一般的な教訓が引き出せます。外に出て、多くの物事に挑戦する人の方が、電話がかかってくるのを待っている人よりも成功する確率は高い、ということです。 この逸話は、わたしが父から言い聞かされてきたこととも一致しています。父はよくこう言っていました。「あれこれ言っても結果が変わることは滅多にない。だが、結論が出るのが早くなる」と。決して、言ってもらえることのない「イエス」を待って、ぐずぐずしていてはいけません。遅いよりは早いほうがいい。早ければ、成功する確率の高いチャンスにエネルギーを注ぎ込むことができます。これはさまざまな場面であてはまります。仕事を探すときに、出資者を探すときにも、デートの相手を探すときにもあてはまるのです。要するに、壁を押し続け、途中の失敗をもろともしなければ、成功に突き当たる確率が高まるのです。
以上で紹介した逸話から、重要なポイントが浮かび上がります。仕事で成功した人は、一直線に来たわけではなく、浮き沈みを経験し、キャリアは波形を描いている、という点です。】
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要するに「下手な鉄砲も数撃ちゃあたる」ってことだろ? 僕もこれを読んで、そう思いました。
でも、よくよく考えてみると、これは確かに、すごく「合理的な手段」ではあるんですよね。 「射撃の腕に自信が無ければ、射撃の腕そのものを磨くよりも、撃つ回数を増やすほうが簡単」というケースは、けっこうあるような気がします。
まあ、そんなことはみんな「言われなくてもわかっている」はず。 しかしながら、とくに「女性に声をかける」というような場合には、普通、拒絶されるとけっこうダメージが大きいのです。 僕のようなネガティブ思考の人間は、誘ってみて断られると、ああ、嫌われているんだな、とか、気持ち悪い人だと思われているかもしれない、とか、いちいち想像してしまいます。 それで、誘う前に「誘って断られた場合のダメージ」が怖くて、声をかけそびれてしまうのです。
しかし、「片っ端からデートに誘ってくるような男」に対しても、それなりに受け入れている女性というのはいるものなんですね。 以前、知人女性に、「風俗で働くつもりはないけれど、風俗のスカウトでも、町を歩いていて自分だけ声をかけられないと、なんとなく淋しい」という話を聞いたことがあって、人間というのは、基本的に「誰かに声をかけてもらえる」というのが好きなのかもしれません。 いや、僕はめんどくさくて厭なんですが、本当に。
空振りすることを恐れずにスイングを続ければ、いつかはバットにボールが当たる。 どんな有名な成功者でも、生まれてから死ぬまでに、一度も失敗をしなかった人はいません。 イチローだって、10回バッターボックスに入ったうちの、6回から7回は「凡打」なのだし。
とはいえ、「失敗を気にしないで(あるいは、気にしているのを周囲に悟られずに)挑戦を続ける」というのは、最初に挑戦することよりも、ずっと難しいような気がします。 個人的には、そんな精神的にキツイ「修行」をするのなら、もう、デートなんてしなくていいや、とも思うのですが。
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2011年01月07日(金) ■ |
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ソフトバンクのCMで、「お父さんが犬になった理由」 |
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『カンブリア宮殿<特別版> 村上龍×孫正義』(村上 龍 (著), テレビ東京報道局 (編集)・日本経済新聞出版社)より。
(ソフトバンクの「お父さん犬」のCMについて)
【村上龍:今はもうすっかり有名になって親しまれているお父さん犬のCMですけど、最初、僕はあれを見て、結構微妙だなと思ったんです。面白がる人もいるけど、ふざけすぎだと思う人もいるかもしれない。孫さんがあれを見て、これでいこうと思ったのは、どういうところだったんですか。
孫正義:うちは矢継ぎ早に新しい料金プランだとか、サービスを始めるのですが、ソフトバンクのホワイトプランに、ファミリープラン、家族割というのを出すということを急きょ決めたのです。二週間ぐらいでCM作品を準備しないと間に合わない。 それでホワイトファミリー、あの家族になったんだけど、お母さん役を誰にするか、娘役を誰にするか、お兄ちゃん役を誰にするかって、そこまでは、ああだこうだとやって決まったんです。で、最後に期限切れの一日前で、お父さん役を誰にしようかと、いろいろ候補を挙げたら……。
村上:一日前だったんですか?
孫:ええ。それで候補を挙げたのですが、大物の男優さんは、時間的にもう交渉は無理です、と言われてしまったんです。予算の問題以前に、時間的に無理だと。
小池栄子:一日前ですもんね。
孫:それで、もともとあの家族には、ペットとして犬を入れておこうというところまでのプランはあったんですよ。
小池:そうだったんですね。
孫:それで、犬が決まった、お母さんが決まった、娘とお兄ちゃんも決まった。最後にギリギリで、お父さんをどうしようかというのが、もう時間切れになってしまったんです。かといって中途半端なお父さんは嫌だと。それで、犬になった。
小池:中途半端じゃなく、思い切った決断でしたよね。
村上:結構、いい加減な理由だったんですね。
孫:CMプランナーの澤本嘉光という天才的な男がいるのですが、彼が、「もう仕方ない、社長、犬でいきますか」と言って、「ん?」と思ったのですが、「面白いかもしれんな」ということになったんです。
村上:そんな感じで決まったんですか。】
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いまや、ソフトバンクのCMといえば「お父さん犬」。 先日、長崎のハウステンボスに行ったときに、「1月某日に『お父さん犬』が来園!」という大きなポスターがありました。 いくらなんでも、犬ですよ犬。似たような犬を連れてきても、誰も気づかないかもしれない。 でも、僕はそれを見て、「おおっ、お父さん犬をナマで見たい!」と思ったんですよね。 いやほんと、そこらのタレントさんよりも、よっぽど集客力があるのではないでしょうか。
これは、テレビ東京の『カンブリア宮殿』のなかで、孫正義社長が、司会の村上龍さん・小池栄子さんにソフトバンクのCMについて話しておられたものの一部なのですが、僕はあのCMを最初に見たときには、「こんな不条理系のCMが、携帯電話会社の幅広い世代の顧客に受け入れられるのだろうか?」と思いました。 このCMは、予想以上に人気となり、結果的には大成功を収めたのですが、「情報」を扱い、「信用」が重視される携帯電話会社のCMとしては、かなりの冒険だったはずです。 「こんなふざけたCMの会社、なんとなく信じられないな……」と思われてしまったら、もうおしまいなわけですから。
この「『お父さん犬』誕生秘話」を読むと、あのCMは、ソフトバンクにとっても、予定外というか、スケジュールの都合での「苦肉の策」だったようです。 ただ、お父さん役を人間のタレントにするのであれば、前日に考えても間に合わないことはわかりきっているはずですから、これは、CMプランナーの「作戦」だったのかもしれませんが。 いきなり「お父さんは犬にしましょう」と言っても、なかなかそのプランは通らないはずなので、「そうせざるをえない状況」をつくった可能性もあります。 それでも、ソフトバンクという大会社のお金やコネを使えば、「それなりのタレントを連れてくる」ことは絶対に不可能ではなかったと思われますので、「お父さん犬」のインパクトに魅かれるところが、孫社長にもあったのではないかなあ。
このやりとりの後で、村上龍さんの「自信をもって『やろう』という感じだったのですか?」という問いに対して、孫社長は「まあ、でもそこは賭けですよね。普通のことをやっていても、結局、目立たないし、効果は少ない。どうせチャレンジャーですから」と答えておられます。 「お父さん犬」は、ソフトバンクが「チャレンジャー」だったからこそ生まれたのです。 たぶん、NTTドコモには、やりたくてもできないCMだっただろうなあ。
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