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2008年12月26日(金) ■ |
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『GTA(グランド・セフト・オート)3』に影響を与えた「日本ゲーム界の歴史的失敗作」 |
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『洋ゲー通信 Airport 51』(エンターブレイン)より。
(『キラー7』や『ノーモア★ヒーローズ』など、独特な作風で知られるゲームデザイナー須田剛一氏と、謎の洋ゲー(外国メーカーのゲーム)冒険家マスク・ド・UH氏による『週刊ファミ通』の人気連載を単行本化したものの一部です)
【マスク・ド・UH:『GTA(グランド・セフト・オート)3』の自由度の高いゲーム性には、じつはモデルが存在していたんです。ロックスター(GTAの制作メーカー)の社長であるサム・ハウザー自身が「あのゲームのコンセプトはよかった」と言っているシロモノが。
須田剛一:何ですか、そのゲームは?
UH:それは……『シェンムー』です!
須田:はああああ!! 『シェンムー』があったからこそ『GTA3』は作られた……
UH:日本が誇る大作『シェンムー』と、この”公共の敵ナンバー1”とまで言われたビデオゲームがリンクするんです!ふつうに考えれば、その2タイトルに関連性はないんですが、制作者レベルで考えると、根がいっしょということになるんですね(笑)。
須田:見かたを変えれば確かに『シェンムー』には『GTA』っぽいところがありますね。そこに生活があるんですよね。誰も行かないようなアパートの裏庭まで造ってある。
UH:僕は『シェンムー』で遊んでいたとき、あの限られた自由度の中で、どれだけ無法ができるか試しました。朝からパチスロするとか、中国人には絶対にジュースをおごらないとか。ネコには必ず油揚げ(笑)。いちばん好きだったのは、フラワーショップの女の子に無言電話をかけることですね(笑)。
須田:ダハハハハ! そのプレイ最高です!
UH:そんな無法レベルが、すごくワイドになったのが『GTA3』ということですよ!
須田:急にワイドになりましたね(笑)。
UH:本当に『GTA3』は『シェンムー』に似ているんです。街を自由にウロつくことを前提にした、3Dのフルマップのゲームは、『GTA3』以前には『シェンムー』ぐらいですよ。
須田:なるほどなるほど! これはスゴい話を聞いてしまった。
UH:また『GTA3』は、日本を舞台にした、あるハリウッド映画の影響を色濃く受けているんですよ。
須田:ほぉ! そのタイトルは?
UH:『ブラックレイン』です!
須田:松田優作!!
UH:『GTA3』の舞台になるリバティシティにはヤクザが”YAKUZA”という名称で登場するんですが、この設定が『ブラックレイン』そのままなんですよ。
須田:松田優作演じる”サトウ”っぽいキャラクターも登場するということですか?
UH:そっくりではありませんが、近い雰囲気のキャラクターは登場します。サム・ハウザー社長も優作の演技を見て、「あいつは本当にスゲぇカッコいい!」と絶賛していました。
須田:ロックスターの人たちは映画が大好きですよね。いろんな映画のシークエンスをミッションやミニゲームという形で自分たちのゲームに取り入れて、それをひとつの大きなゲームとして構築するという、ちょっと特殊な制作手法をとっていますよね。自分たちの好きなテイストが”遺伝子”としてゲームに入り込んでいるという感じでしょうか。】
参考リンク(1):『シェンムー』(Wikipedia)
参考リンク(2):『GTA(グランド・セフト・オート)3』(GTA3日本語サイト)
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たぶん今回の話は、ここをいつも読んでくださる方の8割くらいは「何それ?」という感じなのではないかと思うのですが、僕にとってはすごく印象深かったので御紹介しておきます。
『シェンムー』というゲームが最初に発売されたのはセガのドリームキャストだったのですが、このゲームは、当時プレイステーション2に圧倒的に押されていたドリームキャストの「逆転の切り札」として開発されていたものでした。 ところが、その「切り札」は、こだわりのあまり、開発が遅れに遅れてしまいます。ようやく全16章のうちの「第1章」が発売されたときには、すでにドリームキャスト陣営は、プレステ2に圧倒的な差をつけられてしまっていたのです。
セガが社運をかけてこのゲームに投入した開発費は、なんと70億円! 一時は、「世界でもっとも開発費がかかったゲーム」として、ギネスブックにも登録されていたそうです。 しかしながら、販売本数は100万本にも届きませんでした(それでも、当時のドリームキャストのゲームとしてはものすごく売れたんですけどね)。 ゲームのデキは賛否両論あったのですが、セールス的には間違いなく「大失敗作」。
Wikipediaの記述から引用すると、 【発売前の情報では「行きたいところに行き、見たいものを見て、触りたいものを触る」というコンセプトを発表していた。実質的に触れたり操作できるものはオブジェクトの多さと比較すると少ないが、それでも発売当時としては膨大な量だった。 一方で膨大なモーションキャプチャーによるリアルな演出、街をぶらつく脇役まで声のある完全フルボイス。全ての町並み、キャラクター、イベントシーンを実機ポリゴンで表現。天候が刻々と変化し、朝から夜に至るまでの時間の経過。登場キャラクター達が「生活習慣プログラム」によって日々を営む世界観は、各方面から評価され、「アニメーション神戸作品賞」や「文化庁メディア芸術祭 インタラクティブ部門優秀賞」など数多くの賞を獲得した。】 というように、当時から「破格のゲーム」であり、特に海外では評価が高かったようです。スピルバーグ監督もこのゲームを絶賛していた、という話もありますし。
当時セガマニアだった僕にとっては、まさに「セガの黒歴史」「ドリームキャスト敗北の象徴」であった『シェンムー』。 セガの「御用雑誌」と言われていた『BEEP』で大募集されたヒロインは結局『シェンムー(1)』では出番もないまま忘れられてしまい、あまりに発売延期が続いたため、本当に発売されたとき、誰も信じなかったというという「負の記憶」しかない作品。 でも、その「セガの無謀すぎる意欲作」が、こうしてゲーム界の「遺産」として、世界的に大ヒットした『GTA3』に生かされているというのは、なんだかとても嬉しいエピソードだったのですよね。
こういうときに「パイオニア」として先鞭をつけながら、美味しいところは後続のメーカーに譲ってしまうのが、セガらしいところではあります。 これでドリームキャストや、あのヒロインの女の子も少しは報われた……とは言えないか、やっぱり……
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2008年12月23日(火) ■ |
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『大乱闘スマッシュブラザーズ』に来たオファーのなかで「一番難しそうだと思ったキャラクター」 |
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『CONTINUE Vol.43』(太田出版)の「『ゲームセンターCX』特集」より。
(「スペシャル対談・有野晋哉(よゐこ)×桜井政博(有限会社ソラ)」の一部です。桜井さんが手がけている大ヒットシリーズ『大乱闘スマッシュブラザース』の登場キャラクターについて)
【有野晋哉:『スマブラX』(今年発売されたWii用ゲーム『大乱闘スマッシュブラザーズX』)には『パルテナの鏡』のピットが入ってるんですけど(笑)、なんで入ってきたんですか?
桜井政博:『パルテナ』って、海外でものすごく人気なんですよ。それに『スマブラ』をシリーズでやっていく上で、必ず出てくるべきキャラクターのひとつだと思ってますし。ただ、イケメンにしましたけどね(笑)。
有野:僕は『スマブラ』に『スペランカー』も出てくるべきやと思うんですけど(笑)。
――(『MGS(メタルギアソリッド)』シリーズのスネークも出てきましたからね(笑)。
桜井:いやいや、スネークもいるから『スペランカー』も出るでしょうっていう風にはならない(苦笑)。スネークも関係者の間では「ダメだ!」「いや、やるべきだ!」と議論があったんです。きっかけは小島(秀夫)監督が「出してほしい」って、おっしゃったことなんですけどね。
有野:じゃあ『スマブラ』に課長も出たい、言うたら参加できますか?(笑)
桜井:一応、これワールドワイドで売らないといけないので(笑)。
有野:必殺技は「名刺を出す」とか(笑)。あとは根気しか武器がないですけど。
桜井:けっこういろいろなところから『スマブラ』にはオファーが来るんですよね。一番難しそうだと思ったのはレイトン教授(笑)。
有野:長いこと考えなあかんですよね(笑)。課長も動かへんもんなあ。】
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僕も『スマブラX』の登場キャラクターにピットが入っていたのを見て、ちょっと驚いた記憶があります。でも、『アイスクライマー』もいるくらいなので、そんなに違和感はなかったんですけどね。 任天堂のハードとは縁が薄かった『MGS』のスネークが登場したことには、「KONAMIとソニーはうまくいっていないのか?」と勘繰ってしまいましたが。
個人的には、ここでの有野課長の提案は却下されているのですが、ぜひ『スペランカー』を見てみたいものです。自分の腰くらいの高さから落ちると死ぬ「探検家」で、どうやって戦うことになるのだろう。 現在での知名度では、ピットよりも有名だと思いますので、次回作ではぜひ検討していただきたいものです。任天堂以外のキャラは、なかなか権利関係が難いのかな。
これを読んでいて、『スマブラ』に「レイトン教授」の登場オファーが来たという話には、思わず僕も笑ってしまいました。 確かに『レイトン教授』シリーズはいままでの3作品が大ヒットしており、ニンテンドーDSを代表するゲームのひとつです。 レイトン教授自身の知名度も高そうですが、いったいどうやって戦うんだ教授! 必殺技は「ナゾ解明」とかになるのでしょうけど、それを格闘ゲームで絵的に表現するのは、かなり難しそうです。 カービィと殴りあうレイトン教授というのは、ネタとして一度は見てみたい光景ではあるのですけど、レベルファイブはレイトン教授のイメージをどう考えているのだろう?
オファーするほうも勇気があると思いますが、いろいろ想像してみると、『スマブラ』にレイトン教授というのも、けっこう面白いかもしれません。
なんだか、次回作には本当に「レイトン教授」が出てきそうな予感がする……
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2008年12月20日(土) ■ |
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浦沢直樹さんが語る、「三谷幸喜さんと僕の共通のこだわり」 |
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『QJ(クイック・ジャパン)・vol.81』(太田出版)の「総力特集『漫画の底力』」の「1,5000字インタビュー・浦沢直樹」より。取材・文は吉留大貴さん。
【インタビュアー:浦沢先生は漫画というものに対してどこか客観的な視点を持って接しているように感じます。
浦沢直樹:もともと漫画家になりたかったわけではないですからね。就職活動で小学館を受けて、面接のときについでに原稿を持って行ったら、たまたまの流れで漫画家になっちゃったっていうのが僕のキャリアのスタートですから。でも貧乏はしたくないし(笑)、とりあえず食ってかなきゃいけないし、かといって魂も売りたくない。そうなると職業としてどこで帳尻を合わせるかを考えるじゃないですか。そりゃ初めて印刷物になって雑誌に載ったときも嬉しくなかったと言えば嘘になるけど、「憧れが実現した!」という感じは正直なかったですね。……手塚治虫先生の『陽だまりの樹』と隣り合わせで自分の漫画が載ったときは、さすがに「すごい!」と思ったけど。 僕の場合、単に絵が上手く描けちゃっただけなんです。嫌味に聞こえるかもしれないけど。だから漫画を生業にする際に、「絵が描けることをツールとしてどう使おうか」って考えながら、今までやってきた感じなんですね。
インタビュアー:キャリアの最初から”プロデューサー・浦沢直樹”という視点を持っていたということ?
浦沢:そういう感じが近いでしょうね。絵に関しては子供のころから異常に敏感だったし。例えば小学生のとき、アニメの『巨人の星』を見てると、4、5チームで作画しているのが分かっちゃうんですよ。それで、「ローテーション的に考えると来週はあのチームが作画だな。来週は良い場面だけどあのチームで大丈夫かな?」とか心配するような、イヤな子供だった(笑)。他にも『侍ジャイアンツ』と『アルプスの少女ハイジ』は同じアニメーターが描いてるってパッと見ただけで分かって。「別々のアニメーション会社で作っているのに、なんで同じ人たちが描いているのか、子供のころ気になってしかたなかった」とスタジオ・ジブリの鈴木敏夫さんにこの間お会いしたときに話したら驚いてました。まあ、そうやってクレジットを見たり調べたりしているうちに、宮崎駿・高畑勲・大塚康生という名前や、荒木伸吾という優れたアニメーターを、知らず知らずに覚えていったりもして。
インタビュアー:ちなみに、浦沢先生の考える漫画原作のアニメの最高傑作って何ですか?
浦沢:漫画をアニメ化ね……難しいけど……。『ど根性ガエル』とか好きでしたね。キャラといい、背景といい。あとやっぱり『ルパン3世』だな。あの爆発シーンは革命的だった。
(中略)
インタビュアー:時代を飾るアイテムを順列組み合わせにするのではなく、自分なりに組み替えることで、単なる嘘とは異なる仕掛け=トラップができる。このトラップの設定の巧さが、浦沢作品の根底を支えている気がします。
浦沢:もっと単純に、際どく言ってしまうと、僕には「男子の精通が始まっていない/始まっている」というラインがあるんじゃないかな。中学を起点にしてしまうと、どうしてもセクシャルな気持ち悪さが出てくるんですね。それが僕の生理に合わないんだと思います。
インタビュアー:例えば、あだち充さんのように、高校生を主人公にしても極端なまでに現実のセクシャルな要素を排除する作家もいますよね。でも、あそこまでそぎ落としてしまうと、逆に「性の不在」が強調されてくる。一方、浦沢先生は同じく高校生が主人公の『Happy!』ではある程度セックスを描いているし、『20世紀少年』では、ポルノ映画のポスターや平凡パンチといった具体的なアイテムを使って、少年なりの性的な部分を描いている。つまり、作家が設定したボーダーラインが目立ちにくいんですね。
浦沢:それは簡単に言うと、「笑えるうちが華だ」ってことですよね。これくらいがちょうどいいというラインを作品ごとに常に意識してますから。もちろん描こうと思えばいくらでも踏み込んだ絵を描けるけど、どんどん読者を限定してしまうことになるでしょう。別に僕はそういうのを見せたいわけじゃないから。もしセクシャルなところに踏み込んだとすると、少なくとも「ファミリー向け」の作品ではなくなってしまう。僕は自分の作品を何とかしてお茶の間に届けたいんです。だから自分の中で危険信号が点ると、急ハンドルを切るようなことをたまにやりますね。これ以上直進すると何かが限定されてしまう、というときにね。
インタビュアー:「お茶の間に届けたい」という思いはどこからきたのですか?
浦沢:例えば僕はハリウッドの名匠、ビリー・ワイルダーが大好きなんだけど、あんなに面白い作品をみんなが忘れていってしまうことに対する反発があるからかもね。面白いものはお茶の間に届けられるべきなんです、ずっと。たぶん三谷幸喜さんも同じように考えているんじゃないかな。何をやるにしろ、最終的にはお茶の間に流せない作品はやらないという基準を、僕は捨てたくないんでしょうね。】
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現代を代表する漫画家のひとり、浦沢直樹さんの1,5000字という長いインタビューの一部です。 浦沢さんは『YAWARA!』『MONSTER』『20世紀少年』『PLUTO』と、大ヒット作を描き続けておられるのですが、その作品の人気と知名度のわりには、「漫画家・浦沢直樹」本人はあまりメディアに露出しておらず、このインタビューはかなり貴重なものだと思います。
この浦沢さんの話を読むと、世間の「漫画家志望の子供たち」の多くは、「人気漫画家になる人は、子供のころからこんなに違うものなのか……」と、ガッカリしてしまうのではないかと心配です。 「僕の場合、単に絵が上手く描けちゃっただけなんです」という浦沢さんにとっては、「絵が上手く描けること」というのは単なる「自然に身に付いていた能力」でしかなくて、「絵を上手く描けることを、どう利用したらうまく生きられるか」というのが「悩みどころ」だったのです。 多くの漫画家志望の人たちが「まず絵を上手く描くこと」に悩まなければならないことを考えると、「有利」であったことは間違いないでしょう。 実際は、インタビューではこんなふうに答えておられても、かなり研究したり練習したりされた可能性もありますが、少なくとも、そういうトレーニングも浦沢さんにとってはあまり苦にはならなかったようです。 それにしても、世の中には、こんなにアニメの内容じゃなくて「絵そのもの」にこだわっている子供がいたのだなあ。 『ど根性ガエル』の好きなところとして最初にあがるのが「キャラ」と「背景」だし、『ルパン3世』は「爆発シーン」だからなあ…… そういう「細部」を客観的に評価し、そこにこだわることができる性質というのが、浦沢さんの「個性」なのでしょう。
このインタビューで僕はいちばん印象に残ったのは、浦沢さんが三谷幸喜さんの名前を挙げつつ、「自分の作品がお茶の間で流れることへのこだわり」を語っておられる部分でした。 僕は三谷幸喜さんの作品、とくに映画を観ていると、ストーリーの緻密さや伏線の消化のしかたの上手さにに感動するのと同時に、「三谷作品だから、登場人物が惨殺されたり、ものすごく不幸になったりはしないのだろうな……」というような「物足りなさ」を感じてしまうのです。 たまには、「三谷幸喜らしくない」ものすごくグロテスクな作品とか、理不尽な展開の作品とかを作ってみればいいのに、とも思います。技術的には、そういう作品でも面白いものが描けるはず。 似たような「三谷幸喜っぽい」作品ばかり書いている三谷さんには、もう「冒険心」が無くなってしまっているのではないか、というようなことを、つい考えてしまうんですよね。
でも、この浦沢さんの話を読んでいて思ったのは、「お茶の間に届くような作品を描く」というのは、「手抜き」ではなく「多くの人に届けるために、あえて自分の表現に制約を設けること」なのです。 それは、少なからず表現の幅を狭めてしまうはず。 創作者からすれば、エロ・グロをはじめとした過激な表現というのは、読者を制限してしまうかわりに、それだけてひとつの「オリジナリティ」として評価されることもあります。 いずれにしても、「面白いもの」じゃないと生き残れない世界ですから、そこで自ら「制約」を設けるというのは、少なからずハンデを背負うことになるでしょう。 そして、浦沢さんの場合、「ボーダーライン」を「漫画家・浦沢直樹のボーダーライン」ではなく、「作品ごとに設定している」というのは、けっこうすごい話ですね。 浦沢さん自身がマンガ界の『MONSTER』なのかも……
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2008年12月16日(火) ■ |
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『本の雑誌』の危機 |
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『本の雑誌』2009年1月号(本の雑誌社)の椎名誠さんの「今月のお話」の一部です。椎名さんが、いままでのつくってきた数々の出版物(学級新聞からストアーズ・レポート、「本の雑誌」まで)の「編集長歴」について書き連ねてきた文章の最後の部分。
【『本の雑誌』の実質的な編集長をやっていたのは創刊して十年目ぐらいまでだったろうか。あとは目黒(孝二)が実質的な発行人兼編集長をやっておりぼくはモノカキの世界であっちこっち動きまわっていた。作家になって4年ぐらいして「白い手」という高校生のときに学校新聞で書いた掌編を長編小説に書き、それは東宝で映画化された。『本の雑誌』はその頃5万部になっていた。 2008年になって『本の雑誌』の経営が急に悪化し、このままでは「休刊」に追い込まれるかもしれない、と現経営者に聞き、これはいかん、と思い、ぼくはもう何年も前から実質的な編集現場から離れていたが、なんとか立ち直る方向でみんなと頑張ることにした。今回いきなり自分の編集長の系譜を書いたのは、これが最後の「今月のお話」になるかも知れないから、と言われたからだが、これを書いている途中で(締切前日に)まだもう少し這いつくばってでも出していこう、というスタッフみんなの決意になった。地方の講演などに行くと、むかし『本の雑誌』読んでました、などという人とよく会うけれど空前の危機を迎えてしまったのでぜひまた『本の雑誌』を読むようにしてほしい。】
巻末の発行人・浜本茂さんの言葉 【今月のお話で編集長が書いているとおり、2008年になって当社の経営財務状態は急激に悪化した。それもサブプライムだのリーマンだのと言われだした時期に一気に悪くなったので、おお、わが社は世界経済ともリンクしていたのか、さすがワールドワイドな雑誌だのお。などと束の間は笑っていたのだが、もちろん笑っている場合ではなく、気がついたら存亡の危機に陥っていたのである。結果的に、人件費を始め、さらなる歳出削減を進めた上で、いましばらく這いつくばってみよう、ということになったが、本誌を取り巻く状況が楽観的ではないことは、お伝えしておかなければならないだろう。それはひとえに私の責任だが、今後、定価の改定等、読者のみなさんにもご負担をいただくことになるかもしれません。この雑誌を読んでしまったのが運の尽きと、継続的な刊行に力を貸してもらえるとうれしいです。】
参考リンク(1):WEB本の雑誌
参考リンク(2):「本の雑誌」(本の雑誌社)の経営危機について(愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記(2008/12/16))
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僕がこの「『本の雑誌』の危機」を最初に知ったのは、このサイトの12月12日付けの記事でした。 あわてて『本の雑誌』の今月号を買って読んだのですけど、いつも通りの誌面(なかには、「今号から新しく連載をはじめます!」なんてい人もいました)の巻末に、編集長の椎名さんと現発行人の浜本さんの言葉があったのです。 僕が『本の雑誌』のことを知ったのは、大学時代に先輩に教えられて愛読するようになった椎名誠さんの著書からでした。椎名さんたちが安アパートに男だけで集団生活をしていたときのことを描いた『哀愁の町に霧が降るのだ』を読み、その仲間たちが同人誌から手弁当で『本の雑誌』を立ち上げ、部数を伸ばしていったのを知って、当時「周りに仲間もいない、孤独な本好き」だった僕は胸を躍らせていたのです。 僕もぜひ『本の雑誌』を手にとってみたいものだとずっと憧れていたのですが、僕が住んでいた地方都市の1990年代前半は、中規模な郊外型書店が乱立していたものの『本の雑誌』を置いているような大型書店はありませんでした。 ですから、僕が『本の雑誌』をはじめて実際に見たのは当時天神コアにあった紀伊国屋で、それからもしばらくは、「博多に出たときにしか買えない本」だったのです。当時は、Amazonなんて影も形もありませんでしたしね。今から考えたら、通販で定期購読するという手もあったので、やはり、それほど熱心な読者ではなかったのかもしれませんけど。
『本の雑誌』は1976年4月から発行されていたそうなので、僕が実際に読んでいたのは、ある程度軌道に乗ってから、ということになります。 あの頃は、『本の雑誌』の他には「面白い本をまとめて紹介してくれる雑誌」を知らなかったので、読むたびに欲しい本が増えていきました。 まあ、「マニアックすぎてよくわからない書評」も多かったし、読みたい本でも、翻訳書やマイナーな作家の本などは、読みたくても僕の地元ではなかなか手に入らなかったのですが。
それから20年近く、僕と『本の雑誌』とは、「ときどき顔を合わせては世間話をする昔からの友達」のような関係をキープしてきました。 『本の雑誌』ほど見かけよりもコストパフォーマンスが高い本はなかなか無いとは思うのだけど、今でもやはり、『本の雑誌』を置いている書店というのはそんなに多くはないんですよね。僕が住んでいる人口数万人程度の地方都市ではなおさら。
その間、『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)が「本を紹介するお洒落な本」として成功をおさめた一方で、『ダ・カーポ』は「本を紹介する雑誌への転換」を図ろうとしたもののうまくいかず、休刊に追い込まれてしまいました。 同じ「本を紹介する雑誌」でも、『本の雑誌』が、「初版ですぐに絶版になるような本を1万部売ろうとしている雑誌」だとすれば、『ダ・ヴィンチ』は、「もともと10万部売れそうな本を20万部売ろうとしている雑誌」であり、この両者は異なる「書評誌」だと思っています。 でも僕は、コンビニで買える『ダ・ヴィンチ』は毎号欠かさずに買っていても、車で1時間かけて、混んでいるショッピングセンターのなかの紀伊国屋に行かないと買えない『本の雑誌』からは、少しずつ疎遠になってしまっていたのです。「毎年1月号の『今年のベスト10』は忘れずに買うけど、あとは偶然書店で見つけたら買うかもしれない」という程度の付き合い。
正直、『本屋大賞』は、いまや「直木賞に次ぐ『受賞作が売れる文学賞』」になっていますし、『本の雑誌』がそんな状況になっているなんて、思ってもみなかった、というのが僕の実感です。みんなが「自分が読まなくても、どうせ固定ファンが変わらず買い続けているだろう」と楽観しているうちに、いつのまにか斜陽になってしまったのでしょうか。
『本の雑誌』の危機の原因というのは、インターネットで気軽にさまざまな「書評」を読めるようになったこともあるでしょうし、『ダ・ヴィンチ』の影響もあるかもしれません。 そして、必ずしも「読者離れ」だけではなく、「すべての出版物において、特例を除き書店からの返品を受けない、完全買切制をとっている」という点にもあると思うんですよ。コンビニに並べて売れる本かどうかは微妙ですが、もっと一般の書店で買えるようになっていたら、もう少し売れていたかもしれません。あるいは、この不景気で、大型書店でも、「完全買切制」を敬遠するようになったのか……
椎名さんも、もう還暦を過ぎておられますし(外見はものすごく若々しいのですが)、雑誌というのが「永遠に続く」ものではないかぎり、いつかは「終わり」が来るのは必然のことです。 でも、僕は「憧れの人たちがつくった、憧れの本」である『本の雑誌』がこんな苦境に陥っているというのは、やっぱり寂しいし、できるだけの応援はしたいのです。 椎名さんも浜本さんも「這いつくばってでも」という言葉を使っておられるのは、『本の雑誌』が現在置かれている状況の厳しさをあらわしているのでしょう。そして、ふたりの決意の強さも。 椎名さんは作家として十分にひとり立ちしておられるので、「もう古い殻は捨てる」という選択肢もあるはずなのに。
「潰れそうになったから応援する」というのは、ちょっとみっともないのは百も承知なのですが、それでも、僕は『本の雑誌』を続けてもらいたいし、そのためにここでささやかながらエールをおくらせていただきます。雑誌が続くかぎり、月1冊ずつですが、買い続けていくつもりです。 ネットでいろんな人の書評が読める時代だからこそ、「プロの書評」には価値があると思うのですが……
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2008年12月12日(金) ■ |
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サウスウエスト航空の「ベルトを締めるのがどうしても嫌だというお客さまのための特別席」 |
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『客室乗務員の内緒話』(伊集院憲弘著・新潮文庫)より。
(「健全経営」「社員を大事にする経営理念」「ユーモアを尊重する企業風土」で知られる、アメリカのサウスウエスト航空の「面白い機内アナウンス」あれこれ。
【以前、取材で本社を訪れるために搭乗した機内においても、いくつか面白いアナウンスを耳にした。
1.ラップのリズムでアナウンス 離陸前に実施されるシートベルトや酸素マスク、救命胴衣の着用方法を紹介するアナウンスを、ラップのリズムに乗せて行った客室乗務員がいた。 航空機に乗り慣れている人の多くが案内ビデオや乗務員が実施するアナウンス、デモンストレーションに関心を示さないのが実情である。しかし、サウスウエスト航空のような遊び心を加えれば、ほとんどの乗客が聞き耳を立てること間違いなしである。通路でのデモンストレーションに必然的に視線がいくことにもなるので、目的は立派に果たされる。
2.ビールのお釣りとアナウンス テキサス州ヒューストンからダラスへ向かう、35分のフライト中に体験した出来事である。離陸後、女性乗務員がビールを男性客にものに持参し、代金の2ドルを受け取ろうとした。あいにく、彼は20ドル札しか持ち合わせていないようだ。近くの座席からその一部始終を見ていた私は、次に客室乗務員がとった行動に驚いた。 客室乗務員は男性に一声かけたかと思うと、後部ドアの位置まで引き返す。彼女はマイクを取り上げるや、次のようなアナウンスをやってのけた。 「すみませーん、お客さまのなかでどなたか20ドル札をくずしてくださる方はいらっしゃいませんかぁー。ビールを注文されたお客様にお渡しする釣り銭が不足しています。ご協力をお願いいたしまーす!」 すると、キャビン中央に座っている中年男性客が、すかさず右手を高くかざしながら大声で叫んだ。 「はいよー、まかしといて。私が細かくしてあげるよ!」 爆笑が起きた。客室乗務員は彼のもとへ駆けつけ、礼を述べると、ビールの注文主のもとへと戻った。 「この次は、細かい札をご用意頂けると私たちも助かりますので、よろしくお願いしますね」 女性乗務員はいたずらっぽい顔をして言うと、ビールのおつり18ドルを数えながら手渡した。 「わかった、わかった。これからは少なくとも1ドル札を20枚は用意してから乗ることにするよ。そうすれば、この次は僕が20ドル札をくずしてあげられるからね」 二人のやりとりを耳にした周囲の乗客たちは大喜びであった。
3.スパイスの効いたアナウンス ある空港に到着後、客室責任者が行ったフェアウェルのアナウンスに客室内はどよめいたという。 「本日はサウスウエスト航空をご利用いただき、ありがとうございました。本日、サービスをさせていただいた私ども客室乗務員の名前は、キャロン、スーザン、フローレンスの3名でございました。私たちのサービスにご満足いただけたことを願っています。しかし、残念ながら私たちのサービスに十分満足されなかったというお客様には、私たちの名前を、カレン、メリー、ダイアナというように覚えていただけたら助かります」
このようなアナウンスもあった。 「皆様、只今から座席ベルト着用方法についてご説明いたします。皆様の安全のため、離着陸時には必ず座席ベルトをお締めください。どうしても、ベルトを締めるのは嫌だというお客さまはご遠慮なく客室乗務員にお申し出ください。そのようなお客さまのためには、特別なお席が用意されております。翼の上でございます。また、そのお席では、特別な映画がご覧いただけます。映画のタイトルは“風とともに去りぬ”でございます」】
参考リンク:サウスウエスト航空(Wikipedia)
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僕はこれを読んで、「本当なのかこれは?」と、思わずネットで「サウスウエスト航空」を検索してしまいました。 参考リンクもぜひ見ていただきたいのですが、こういうユニークな航空会社がアメリカにはあるんですね。ちなみに、サウスウエスト航空は、アメリカの国内線のみの航空会社だそうなのですが、けっして「一路線しかない零細航空会社」ではありません。 Wikipediaには、 【同社のポリシーとして「顧客第二主義」「従業員の満足(Employee Satisfaction)第一主義」を掲げる。これは、不確定要素の存在する顧客よりも、発展の原動力であり信頼できる人間関係を築き上げることが可能な社員を上位に位置づけているものである。この「従業員を満足させることで、却って従業員自らが顧客に最高の満足を提供する」という経営哲学を追求することにより、実際に高い顧客満足度を得ている。 「乗客に空の旅を楽しんでもらう」ことを従業員に推奨しており、出発前に客室乗務員によるパフォーマンスがあったりするなど、特異な経営方針を持つ。日本の航空会社では考えられないことであり、賛否両論あるようだが、おおむねジョークとして受け入れられている。そもそもアメリカの航空会社においては、乗務員の態度はおおむねフランクである土壌があるが、その中でも同社従業員は目立つ存在である。また、従業員の採用に際して、ユーモアのセンスがあることを重要視するという】 という、同社のユニークな「経営方針」が紹介されています。
この「アナウンス」の話だけでも、僕が慣れ親しんでいる(っていうほど頻回に利用しているわけでもないんですけどね)日本の航空会社では「考えられない」ことですし、以前乗ったことがあるアメリカの国内線(たしか、「アメリカン航空」だったと記憶しています)でも、「アメリカのCAは愛想悪いなあ……」と思ったくらいで、さすがにこんな体験はしたことがありません。 もし、これと同じことをANAやJALが日本でやれば、間違いなく抗議が殺到するはずです。「安全のために気を抜くことが許されない飛行機の運行中にふざけるなんてとんでもない話だ!」って。 第2のアナウンスでは、「釣り銭も用意していないのか!」と客は激怒し、第3のアナウンスがもし流れたら、「自分の名前をごまかすなんて、お前らそれでもサービスのプロか!」「客に翼に乗れだなんて、失礼な!」と「企業のモラル」を追及されるかもしれません。
こうして読んでいると「面白そうでいいんじゃない?」とおおらかな気分になれますが、飛行中に目の前でこんなパフォーマンスをやられたら、ナーバスになってしまう人がいるというのもわかります。僕も飛行機がちょっと苦手なので、飛行中は、「堕ちないように、なるべくおとなしく、そーっと飛んでくれ……」って思うもの。 アメリカ人だって、飛行機のなかで、こんな「下町情緒」を味わいたい人ばかりではないでしょう。 でも、そんな顧客に対して、サウスウエスト航空は、「それならウチの飛行機には、もう乗らないほうがいいですよ」と「忠告」するのだとか。
サウスウエスト航空の大きな魅力は、やはり「安さ」だそうなのですが、この航空会社、安全性もかなり高く、「ふざけているから危ない」というものでもないみたいです。 まあ、人間というのは、あまりに緊張し続けていると、かえってフッと気が抜けたり、疲れて大きなミスをしたりしがちなものですし。
それでも、僕個人としては、やはり日本の航空会社のホスピタリティにいちばん「安心できる」のです。 ただ、日本の航空会社のCAさんたちの立ち振る舞いに関して、外国人からは「あれじゃ召使いみたいだ」という反応もあるようなのですけど。
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2008年12月09日(火) ■ |
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「一泣き10万部!」という某有名女性タレントの「影響力」 |
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『このミステリーがすごい! 2009年版』(宝島社)の「このミス座談会2008」より。パネリストは大森望さん(翻訳家・書評家)、香山二三郎さん(コラムニスト)、杉江松恋さん(書評家・作家)、西上心太さん(書評家)の4名です。
【西上心太:東野(圭吾)、伊坂(幸太郎)、海堂(尊)、有川(浩)、この4人の後に続く作家って誰だろう?
香山二三郎:新人では『告白』の湊かなえが脚光を浴びたじゃない。今後どうなるかな。
杉江松恋:これは大森さん言うところの「優香効果」ですか。「王様のブランチ」での。
大森望:最近は、あの番組で優香が一言コメントするとドカンと跳ね上がるんだよ。小川糸『食堂かたつむり』がその典型。優香がカメラに向かって「泣きました」って言うと売れる。「はてなの茶碗」(落語)の茶金さんじゃないけど、一泣き10万部(笑)。「優香がおもしろいって言うなら私にも読める」っていう信頼感があるのかな。
西上:「週刊ブックレビュー」で中江有里が泣いても駄目なわけね。
大森:年に300冊も読む人は一般視聴者と違うでしょ。最近は『ブランチ』で横にいる谷原章介が時代小説担当になっていて、張り合って『のぼうの城』を薦めたり。効果は優香の3分の1ぐらいみたいだけど。
香山:『告白』って、泣ける話じゃないだけどね。どういう薦め方をしたのかな。
大森:優香は「ハマりました。すごく面白かったです」と言ったみたい。このストレートさがポイント(笑)。『告白』は、これまで売れない本ばかり作り続けていた双葉社のベテラン編集者・平野さんが放った起死回生のホームランでもある。本当に惚れ込んでいて、平野さんに言われたもん。「大森さん、ゲラあるけど読みたい? 今読んでおいたほうが絶対得だから、どうしても読みたいっていうなら読ませてあげてもいいわよ」って(笑)。】
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『王様のブランチ』で紹介された本は売れる、という話はよく耳にするのですが、優香さんの「一泣き10万部」には驚きました。 そういえば、僕がまだ学生の頃、小泉今日子さんが「愛読書」として紹介した『モモ』が大ベストセラーになったことがあったなあ(調べてみたら、1987年のことみたいです)。 でも、『王様のブランチ』を観て、優香さんが紹介した本を買っている人というのは、必ずしも「優香さんの大ファン」ばかりではなさそうなんですよね。もちろん、「優香なんて大嫌い」という人は買わないのでしょうけど。
大森望さんが書かれている【「優香がおもしろいって言うなら私にも読める」っていう信頼感】というのが正しいのかどうか、僕にはよくわかりません。 僕自身は、「優香が薦めているから、読んでみよう」とは思わないし。 ただ、「あの番組で紹介される本は、優香さんが読む前にある程度厳選されているんだろうな」というのはわかります。忙しい優香さんが、書店で新刊を買いあさって自分でレビューする本を決めているってことはないでしょうから。 そういう意味では、「いま、注目の本」が紹介されているのは間違いないところです。 それでも、谷原章介さんの3倍の効果があるというのは、よっぽど「優香さんへの信頼」が厚いってことなんでしょう。
しかし、世の中には優香さんよりももっとたくさん本を読んでいて、面白い本を知っているはずの「書評家」がたくさんいます。同じ芸能人としても、本当に「年間300冊読んでいる」という中江有里さんのほうが、はるかに「見る目がある」のではないでしょうか。 ところが、そういう「書評のプロとして一生懸命本を読んで、自分の言葉で語っている人たち」の書評というのは、なかなか直接の売上げにはつながらない。 優香さんなら、「ハマりました。すごく面白かったです」っていう「ありきたりの感想」を述べるだけで、その本を大ベストセラーにすることができるのに。
双葉社のベテラン編集者・平野さんが「大ホームラン」を放ったというのは心温まる話ではあるのだけれど、こういう「本のプロ」の地道な努力が実るかどうかを最終的に決めるのが、優香さんの「ストレートな感想」だというのは、なんだかちょっと割に合わない話のような気もします。
世の中の大部分の人は、結局のところ、「どんな言葉で薦められたか」ではなくて、「誰が薦めたのか」で判断しているんだろうなあ……
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2008年12月07日(日) ■ |
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北島康介選手を「わざと負けさせた」コーチの作戦 |
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『見抜く力』(平井伯昌著・幻冬舎新書)より。
(アテネ、北京五輪で続けて金メダルを獲得した北島康介選手のコーチとして知られる(現・競泳日本代表ヘッドコーチ)の平井さんの著書の一部です)
【すべてにパーフェクトな選手などいない。 選手と出会ったときに、「身体的特性」「泳ぎ」「精神力」のどこが優れているかと、まず見るようにしている。 もちろん選手の個性は、それぞれに千差万別である。もともと泳ぎがよくて、体も柔らかいが、精神的なものがまだまだ磨ききれていない選手もいるし、反対に泳ぎのセンスはいまいちでも、精神力が強く、素直な性格のため技術を人一倍体得できている選手もいる。 体が大きくて筋力があれば、簡単に習得できるテクニックもあるし、また、精神力で引き上げていかなければならない挑戦もある。それを、どんなふうに補っていくかが問題なのだ。 そうした要素がいくつかあるなかで、「身体的特性」「泳ぎ」「精神力」のそれぞれを掛け算して、いちばん大きくなりそうな育て方を選択している。 康介の場合も、実は心・技・体の中で「体」である「身体的特性」の部分が、いちばん劣っていた。 他の少年よりも痩せていたし、体は硬いし、故障も起こしやすかった。その欠けているところ、足りないところをうまく補いながら、時間をかけて残る「心・技」を伸ばす指導をつづけてきたのだ。 若いうちは体力とかパワーで泳ぐことはできるが、ある程度の実力がついてくると、こんどはその体を心が支えていかないと伸びていかない。 水泳競技では、記録が先行してしまうケースが意外に多いのだ。たとえばある選手の場合、記録と成績が先行してしまい、心の部分がついていかないということがあった。伸びが途中で止まってしまったのだ。 指導する立場としては、つねに「心・技・体のバランス」に気をくばり、強くなった理由を見つけて話しあったり、目標を与えて努力を促していくことが大切だと思っている。 康介が中学3年生のときの、こんなエピソードがある。 当時、康介の練習を見ていて、ジュニア・オリンピックで中学記録が出そうになったことがあったのだ。周りの人たちも、 「この調子でいくと、中学記録が出るだろう」 と騒ぎはじめた。 だが、それまで学童記録を出した選手を何人も教えていた私の経験からして、変に注目を浴びてほしくなかった。チヤホヤする外野が増えると、かえって面倒なことになる。 そこで、試合前の練習を厳しくした。うまく泳げていると思っても、 「やり直し!」 と声をかけ、いつもより負担をかけて疲れさせる作戦を実行した。 調子をわざと落とさせたおかげで、試合では中学記録にも及ばず負けてしまった。康介には申し訳ないことをしたが、正直に言えば「負けてよかった」と思う。 ストレートにオリンピックをめざさなければいけない時期だった。中学記録程度で浮かれている暇はなかった。四年間弱という短期間でオリンピックを狙う選手をつくることが先決で、寄り道している場合ではなかったのだ。 このとき中学記録を獲らせていたら、おそらく「心・技・体のバランス」は狂ってしまっただろう。 私たちは、もっと遠くを見つめているんだ、という気持ちがあった。】
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このエピソードを読んで、「オリンピックを狙い、そこで勝つこと」の壮絶さをあらためて思い知らされたような気がしました。 僕は運動音痴で、アスリートの世界のことは全く実感できないのですが、「ここまでやらなければならないのか」と。
この平井コーチの「作戦」、もし北島選手がこれだけの「結果」を残せなかったら、当然批判の対象となるはずです。 素人目では、「オリンピックが目標だからといって、目の前のジュニアオリンピックで『わざと負けさせる』必要なんてない」と思いますし、そもそも、ジュニアオリンピックは、ほとんどの同世代の選手にとって、ひとつの「目標」のはず。 そこで「負ける」ことで自信を失ってしまうかもしれないし、試合前にハードな練習でコンディションを崩してしまったことで、コーチへの信頼が薄れてしまうかもしれません。
それでも、平井コーチは、「北島康介をわざと負けさせる」ことを選んだのです。 大人だったら、「慢心させないために負けさせる」というのもアリかもしれませんが、当時の北島選手はまだ中学3年生。これはあまりに「危険な賭け」だなあ、と思うのです。 もちろん、平井コーチは、「相手が北島康介だからこそ、それが将来的にはプラスになる」と判断していたのでしょう。 平井コーチは北島選手のいちばん優れた特性を「精神力」だと評価していたそうですし。 他の選手にも同じように接していたわけではなく、「その選手の個性に合った指導」をされているというのも、この本にはちゃんと書かれています。
それでも、「やっぱりスポーツの世界も『結果を伴わないと意味がない』『結果を出すことによって、プロセスが正当化される』のだなあ……」と僕は考えずにはいられませんでした。 もしその大会で「記録」を出していたらどうなっていたのかは、結局のところわからないのですが、北島選手に関していえば、これが「正解」だったのでしょうね。 「オリンピックで2大会連続で2個の金メダル」という以上の「成果」というのは、想像もつきませんし。
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2008年12月05日(金) ■ |
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「この業界で成功するには、一に体力、二に人柄、三四がなくて、五に才能」 |
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『週刊SPA!』2008/12/2号(扶桑社)の鴻上尚史さんのコラム「ドン・キホーテのピアス・693」より。
【大学時代、テレビで久米宏さんが「この業界で成功するには、一に体力、二に人柄、三四がなくて、五に才能」と言うのを聞いて、体の力みがスーッと消えたことがありました。 その当時の久米さんは、歌番組やバラエティー番組を飛ぶ鳥を落とす勢いで司会していましたから、「ああ、この人でもそう思っているんだ」とほっとしたのです。 その当時の僕は、劇団を旗揚げしたばかりで、「自分には才能があるのか。ちゃんとした作品を書けるのか、ナイスな演出ができるのか」と、見えないものだけを心配していましたから、「なんだ、まずは体力なんだ。で、次が人柄なんだ。才能は、そのずっと後なんだ」と思っただけで、うんと楽になったのです。 体力は、目に見えることですから、周りが睡眠不足で音を上げても、踏ん張ればすむ話でしたし、人柄も、周りがキレたり怒ったり負けたり不満を言ったり文句を言ったりグチを言ったりしている時に、ただ、積極的に仕事をすればすむ話でした。 その当時、成功した社長の人生訓とか座右の銘とかを読むと、じつに平凡なことが書かれていることに気づきました。「時間を絶対に守る」とか「嘘をつかない」とか「他人の噂話は、直接、本人に確認しない限り信じない」とか「感謝の気持ちを忘れない」とか「積極的にあいさるをする」とか「感情に振り回されず、穏やかに微笑む」とかです。 最初は、「なんだよ、成功した人間でも、こんなことしか言えないのかよ」と思っていたのですが、ある日、「待てよ、こういう一番平凡で基本的なことさえできないのが人間で、こういうことができた人間はそれだけで成功するんじゃないか」と気づいたのです。 結局は、経営手腕だの経営戦略だの言うまえに、体力と人柄の勝負なんだと納得したのです。 この年まで生きてきて、本当の才能勝負の時も、もちろんありますが、それは、百回の勝負のうちのほんの数回で、それ以外は、体力と人柄なんだとようやく分かります。 特に、演劇なんぞをやっていると、個人の才能の力なんかはたかが知れていると思わされます。それより、集団作業ですから、どれだけ才能のある人達に集まってもらえるか、いろんな人がどれだけ力を発揮してくれるか、にかかっていると分かるのです。 で、才能ある人に集まってもらうために、やっぱり、体力と人柄だと気づくのです。
今、僕は『虚構の劇団』の第2回公演『リアリティ・ショウ』の稽古の真っ最中です。12月の12日から始まるのですが、平均年齢22.5歳の若者たちの毎日のガンバリを見ていると、「ああ、やっぱり、体力と人柄だよなあ」と思うのです。 ずば抜けた才能なんてのは、そんなにあるわけじゃないのです。そんな天才がごろごろしていたら、かえって困ります。 そうではなくて、次の日に稽古する脚本の部分を、ちゃんと覚えてきて、役の心情を深く想像、理解して、なおかつ、面白いしゃべり方と動きを考えてきて、そして、それを実行する。という、きわめて基本的なことをちゃんとやっている俳優だけが、生き残るんだよなとしみじみするのです。 毎日、1時から9時までの稽古で、生活も不安定ですからバイトをしなければいけない奴もいて、ヘトヘトになってしまうのですが、それでも、毎日、ちゃんと次のことを考えて、次の日の課題を疲れと眠気に負けずにやってきた人間だけが、次のステップに行けるのです。 それは、「目の醒めるような演技をした」とか「才能溢れる完璧な演技」ということとまったくかけ離れています。 当たり前のことを当たり前にする、それだけのことなのです。】
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僕はこれを「鴻上さん、けっこう厳しいことをサラッと書いてるなあ……」と思いながら読みました。 久米宏さんがそんなに「人格者」かどうかは知りませんし、どんなに才能がなくても、「体力と人柄」さえ優れていれば良いっていうのは極論でしょう。おそらく、この話には「ある程度の才能、あるいは能力を持っている人のなかで競争する場合」という前提条件がつくはずです。 僕のいままでの経験からも、「最後に勝負を決めるのは体力と人柄」だというのは納得できるし、逆に「才能はあるのに、体力や人柄の問題で失敗してしまった人」もたくさん知っています。
いや、順風満帆のときって、意外と「体力」や「人柄」ってどうでもよかったりするんですよ、その人に「能力」があれば。 ところが、逆境に置かれたときには、「そういう生物としての基本的なポテンシャル」みたいなものって、すごくものをいってくるのです。
以前、不祥事が発覚した雪印の社長が、記者たちにむかって「私は寝てないんだ!」と「逆ギレ」して大バッシングされていました。 僕はあの映像を観るたびに、社長がちょっとかわいそうになったんですよね。 病院で働いていると、「当直」という業務があります。 これは、「日中仕事をしたあと、そのまま病院に泊まって時間外の救急患者に一晩中対応する(もちろん翌朝からも通常業務)」という仕事なのですが、一睡もしていないのに、朝の4時とか5時になっても患者さんが途切れない、という状況は「そういう仕事だと頭では理解していても」やっぱり辛いものなのです。 イライラして集中力が途切れそうになったり、スタッフに対して声を少し荒げてしまったりすることもあります。 それでも、「寝不足だからといって患者を断ったり、ミスをすることが許されない仕事」なんですよね。 「頭はいい」のだけれども、そういう「肉体的なキツさ」に耐えられなかった人を、僕は何人も見てきましたし、自分自身、いまでもけっこう綱渡りだなあ、と感じています。
あのときの雪印の社長は、本当に体力的にも精神的にもキツかったんだろうと思うんですよね。 記者たちは「私たちも寝てないんだ!」と言い返していましたが、そりゃあ、同じく「寝ていない」のだとしても、一晩中周囲から責められ続けている人と、他者のミスを責めるだけの人の「疲労度」を比較するのは不公平ってものです。 僕だって、ずっと呼ばれる心配もなくゲームやってていいのなら、徹夜だってそれほど苦にならない(ってことはないけど、当直で寝られないよりははるかにマシ)。 でも、「他人からの評価」って、そういう「特別な状況」のときに定まってしまいがち。 普段は「いい人」なのかもしれないし、そもそも、「普段からどうしようもない人」であれば、あれだけの大企業の社長にはなれなかったはず。 それなのに、あの社長への世間のイメージは、「『私は寝てないんだ!』の人」になってしまいました。
人間の「体力」と「精神力」っていうのは、それなりにリンクしていて、「疲れはてているとき」に他人に普段と同じように接することができるというのは、それだけですごいことです。 かならずしも正比例とはいえないのでしょうが、やはり、体力がある人のほうが、過酷な仕事のときにも「キレないで普段と同じ仕事をできる」可能性は高い。
鴻上さんは、【成功した社長の人生訓とか座右の銘とかを読むと、じつに平凡なことが書かれていることに気づきました】と書かれていますが、僕も学生時代にそういうのを読んで、「みんなつまんなことしか言わないなあ、『時間を必ず守る』って、小学生かよ!」と内心毒づいていたのです。 ところが、こうして大人になってみると、「時間を必ず守る」って大変なことなんですよね。 いつも好天に恵まれ、道路も渋滞せず、事故にも巻き込まれないなんてことはまずありえないし、お酒を飲んだ翌朝などは「起きたくない」。体調が悪い日だってあるでしょうし、気乗りしない約束には、ついつい足が重くなります。 そういうときでも「時間を守る、守り続ける」というのは、日頃からよっぽど注意していないとできるものではありません。もちろん、体力があるに超したことはありません。偉くなればなるほど、スケジュールは肉体的にもハードになっていくものだから。
「当たり前のことを、当たり前にやり続ける」ことができる人って、本当に、ごくごく一握りだけであり、「成功」する人というのは、その「難しさ」を理解できる人なのでしょう。 でも、頭では「理解」しているつもりでも、それを「実行」するというのは、またさらに高いハードルなんだよなあ……
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2008年12月01日(月) ■ |
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「アフィリエイトで手っ取り早く月30万円を稼ぐ方法を教えます」 |
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『ブログ論壇の誕生』(佐々木俊尚著・文春新書)より。
【アフィリエイトをめぐる現状を、少し説明しておこう。 アフィリエイトが最初に登場したのは割合と古く、1996年にまでさかのぼる。発明者はオンライン書店のアマゾンだ。以下のようなエピソードがある。 ――アマゾンの創設者であるジェフ・ベゾス氏がある日、パーティでひとりの女性を紹介された。彼女は、ベゾス氏に言った。 「わたしは離婚に関するホームページを作っていて、かなり多くアクセス数を稼いでいるの。このサイト上で商品を売ったら儲かると思う?」 ベゾス氏は答えた。「そりゃ儲かるかもしれないけれど、商品を売るためには倉庫も必要だし、決済の仕組みも作らなければいけないからたいへんだと思うね」 すると女性は、冗談交じりにこう返した。「じゃあ私のサイトでアマゾンの本を売るのはどう?」 この会話がヒントとなって、ベゾス氏は個人サイトで本を紹介してもらい、その売り上げに応じて報酬を支払うというアフィリエイトを生みだした。 アフィリエイトは従来のテレビCMや雑誌広告、あるいはウェブサイトのバナー広告と比べても、広告主にとっては突出したメリットがあった。商品がそのアフィリエイト広告によってどれだけ売れ、どれだけのコストを必要としたのかが一目瞭然で、費用対効果を簡単に計算することができたのだ。テレビや雑誌、新聞など従来型の広告宣伝がかなりギャンブル的な要素を持っているのに対し、アフィリエイトであれば、売れた分だけ広告費を支払えばいいからだ。広告主にとっては、非常に事業計画の立てやすい仕組みになっていたのである。グローバリゼーションが進み、企業のコストがあらゆる面で削減されている中で、2000年以降、アフィリエイト広告は急成長し、インターネットの広告モデルの中でも大きな位置を占めるようになったのだった。
そしてこのアフィリエイトというモデルは、驚くべき玉石混淆の世界であり、最北の地にはアフィリエイトを機械的な金儲けツールとしてとらえ、徹底的に利用していこうというビジネスもある。 たとえば「月収10万円を軽くクリア」というキャッチフレーズで、「ブログアフィリエイト成功マシーン」というソフトを5250円で販売しているサイトがある。キーワードを指定して作成ボタンをクリックするだけで、この「マシーン」が自動的に記事を作成してくれるという。利用者はその記事をアフィリエイト広告を自分のブログに貼り付けるだけで良いというわけだ。 おそらくはインターネットを巡回し、利用者が設定した広告キーワードに適合したウェブのテキストを、どこかのサイトからコピーしているのではないかと思われる。たとえば「自動車」というキーワードを設定しておけば、自動車に関連した記事を探してきてコピーし、自動車関連のアフィリエイト広告とともにブログ上に自動的に貼り付けるような仕組みになっているのだろう。
(中略)
実際、このようなソフトを使って更新したと思われる、非常に中身の薄いブログは、インターネット上に爆発的に増えている。なぜ人があまり訪れないような、このようなサイトがあふれているのだろうか? こんなサイトを作るよりも、リスペクトをきちんと打ち出した良質なアフィリエイトブログを作った方が、自分のためにも人のためにも役に立つのではないだろうか? その疑問に答えてくれる明快な文章が、「PLAMO WEB2.0」のサイトに記されている。 「アフィリエイトで手っ取り早く月30万円を稼ぐ方法を教えます。その方法は、実にシンプルでとてもパワフルです。それは…『月3000円稼ぐサイトを100サイト作れば良いんです!』どうです? 簡単でしょう? 『月3000円稼ぐサイト』というのは、ちょっとコツを知ってしまえば誰でも簡単に作れます。 はっきり言いますが、サイトの量産は手っ取り早く稼ぐための唯一の方法です」 機械的にブログを量産し、それぞれのブログに偶然立ち寄った読者にうっかり広告をクリックさせることで、小さな儲けをたくさん発生させる。要するに「塵も積もれば山となる」である。金儲けの戦術としては決して間違いではないが、しかしそこにはウェブ2.0的な集合知も人と人とのつながりもない。ただひたすら、自動的にブログが量産されていく、近代のロボット工場のようなものが出現しているだけだ。】
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「アフィリエイト」が今から12年も前に始まっていて、しかも、創始者が「Amazon」だったというのを、僕はこの本ではじめて知りました。そう言われてみると、さすがにAmazonのアフィリエイトというのはシステムが洗練されているな、という気もしてきます。
僕はこの『活字中毒R。』とは別の場所でブログをやっていて、そこでは本の紹介のエントリを書いています。 それほど気合を入れて「売ろう!」としているわけではないからなのかもしれませんが、そこでの「成績」は、アフィリエイトってそんなに甘いものじゃないなあ、というのは実感せざるをえないんですよね。 3%の報酬だと、1000円の本が一冊売れたとして、もらえるお金が30円。しかも、実際にアフィリエイトをやっていても、そんなに簡単に商品は売れるものではありません。近くの書店に売っているような本なら、出かけて買ってきたほうがはるかに手っ取り早い場合も多いですし。
僕の経験上、【『月3000円稼ぐサイト』というのは、ちょっとコツを知ってしまえば誰でも簡単に作れます】というのは、あまりにも甘すぎる見通しです。いや、100個のうち1個くらい、「月3000円稼げるサイト」ができることはあるかもしれませんが、100個のサイトのアフィリエイト報酬の平均が「月3000円」というのは、ちょっと考えられません。Amazon基準でいけば、報酬を3000円稼ぐには10万円分の商品を売らなければならず、×100ということは、月に1000万円の売上げが必要となるわけです。 いわゆる「アルファブロガー」ならともかく、普通の人がそういう既成のツールを使って作成した「ありきたりのサイト」で、そんなに商品が売れるとは思えないのです。 自分が「買い手」の立場になってみれば、そんな「金儲けのためにやってます!」っていう雰囲気が伝わってくるブログで買い物をする人がほとんどいないというのは、御理解いただけるのではないでしょうか。 だいたい、本当にそんなに儲かるんだったら、そんなソフトを売るんじゃなくて、絶対に自分で『月3000円稼げるサイト』を1000個くらい運営するって。
それでも、「甘い言葉」に誘われて、世間には「泡沫アフィリエイトブログ」が多量に生まれ続けており、そこからのスパムトラックバックやエントリの無断コピーに「一般ブログ運営者」たちは悩まされ、ネットユーザーはウンザリさせられているのです。 ところで、この佐々木さんの文章のなかで僕が印象に残ったのは、アフィリエイトに「広告主にとっては突出したメリットがあった」というところでした。 アフィリエイトでお金を貰うブロガー側からすれば、「実体のない『宣伝』という行為でお金がもらえること」はなんだかすごく儲かったような気がするのではないかと思うのです。 しかしながら、広告主からすれば、「先行投資をする必要がなく、ブロガーたちが自主的に売ってくれた商品の利益の一部を還元すればいい」というのは、ブロガー側が思っているよりもはるかにありがたいシステムのはず。 テレビや新聞などのメディアで、「商品が売れたら広告費払うから、先にCM流しておいて」というのはありえません(もしそうなったら、メディアは一層「とんでもないこと」になりそうですが)。
個人ブロガーは小金のために言いたいことが言えなくなったり、スパムに悩まされる一方で、企業はノーリスクの宣伝媒体を手に入れている…… 結局、「ネットだから、お金をラクに稼げる」なんていうのは幻想なんですよね。 でも、「ウェブ2.0的な集合知」という「ネットの理想」も、そういう「バカバカしい一攫千金の幻想」に押しつぶされていくのが、現実というものなのでしょう。
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