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2008年02月29日(金)
「所詮、『忙しさ』なんてその程度のものだ」

『工作少年の日々』(森博嗣著・集英社文庫)より。

(「忙しさとは」というエッセイの一部です)

【そうだ。今日は、飛行場の草刈りだった。これも一般に意味が通じないと思うので説明しよう。ラジコン飛行機のクラブに入っている。あれは、スネ夫君みたいに住宅街の空き地や公園で飛ばせる代物ではない。道路も人家も近くになく、とてつもなく広い場所が必要で、それでも万が一の事故に備えて保険に入るくらいなのである。僕は三重県にあるラジコン飛行機のクラブに入っている。もう20年近くそこのメンバだ。高速道路を飛ばして1時間ほどかかるところにクラブが管理する模型専用の飛行場があって、周囲は田園と川、滑走路は長さ100メートル幅20メートルほどの一面の芝。その周囲の雑草を年に2回刈る。このイベントが「飛行場の草刈り」である。
 メンバは、この草刈りには絶対に欠席できない、というルールがあって、どんなことがあっても行かなければならない。雨でも中止になったことはない。根性の草刈り大会である。
 40人くらいのおじさんたちがメンバで、僕はだいたい年齢的に真ん中くらい。医師も会社員も議員も公務員もいるが、何の仕事をしているのかは、まったく話題にならない。飛行機の話しかしないからだ。普段の週末には10人も集まれば多い方であるが、草刈りの日は全員参加。大勢が一斉にエンジン草刈り機を回して1時間半ほど作業をする。僕自身、ここ以外で草を刈ったことは一度もない。草刈りは飛行場でするものだと思っている。草刈り機はクラブ所有のものが20機ほどあるのだが、自分の草刈り機を持ってくる人も半数近くいて、それがとても羨ましい。僕もいつかマイ草刈り機を持ちたいと考えているが、どうも1年に2回だけしか使わないものだという気がして、なかなか買えずにいる。だいたい、草刈り機が載せられるような自動車が森家にはない、という家庭の事情もあるため、もし草刈り機を買うならば、そのまえにまずそれ用の自動車を1台買う必要があるだろう。
 さて、何が言いたいのかといえば、どんなに忙しくてもメンバは全員草刈りにやってくる、所詮、「忙しさ」なんてその程度のものだ、ということだ。
 忙しさというのは、結局のところ、「忙しく」見せかけて、「やりたくないこと」から自分を防御するための偽装にすぎないのでは、という気がしてならない。
 多くの忙しさは、自分で望んで設定した忙しさだったりする。もっと早くやっておけば良かった。ぎりぎりまでやらずにいたのは、忙しくしないとできないほどつまらないものなのか、あるいは、ぎりぎりにやった方が短期決戦になって好都合なのか、誰かがやると思って様子を見ていたけれど、予想どおり誰もやらなかったものなのか、いろいろケースはあるにせよ、どれも、自分で予想して招いた(あるいは育てた)忙しさなのである。現に、「来週から再来週にかけて、忙しくなるから」なんて口にしたりするではないか。忙しくなることが予想できているのだ。予想できている忙しさなら、事前に何か手を打って回避すればよさそうなものだが、それもしないところをみると、なんとか凌げる程度の、取るに足らない「小粒の忙しさ」であるということ。本当に、どうしようもない「ジャイアントな忙しさ」なんてものは、まずお目にかかったことがない。
 いや、うちの会社では、もの凄い忙しさがある、という方もいるのかもしれない。死にものぐるいでやらないと、本当に過労死してしまうくらい忙しいのだ、と主張する人もいるだろう。しかし、現代の日本では奴隷制度はない。真面目な話、死ぬほど忙しいのならば、そんな仕事は辞めれば良い。死ぬくらい辛いのならば、転職すれば良いだろう。それをしないのは、ある意味で、今のその状況をあなたが望んでいるから、と言われてもまちがいではない。そう、忙しくしているのが好きな人は、しかたがない。ほら、またなんか能力開発セミナっぽい話題になっている。違う違う、そんな話がしたいのではないのだ。
 つまりはですね、「毎日徹夜だよ」と忙しさを強調し、自慢げに話す人間が、どうも好きになれない、ということ。極端にいえば、「勝手に忙しくしていたら?」と思う。
 中には、自分がこんなに忙しいのだから、みんなも忙しくしなくては駄目だ、という理不尽な論理を展開する人もいる。忙しさは、あくまでもその個人が望んでいる状況、甘んじている状況なのであって、大勢で共有したり、他人に強要するのはお門違いである。どうも、日本の仕事場というか、古い組織の体質というか、そういう観念がまかり通っているように思えてしかたがない。ある人は忙しく仕事をする。別の人は暇そうに仕事をする。どっちでも良いではないか。評価は、その人の仕事の結果を見れば良いだけだ。つまり、忙しくしているかどうかは、怒った顔をして仕事をしているか、笑いながら仕事をしているか、くらいの差でしかない。怒りたい人は怒って、笑いたい人は笑って仕事をすれば良いことなのに、みんなで一丸となって怒った顔をしよう、という発想が貧しい、と思う。ま、そんなところですゥ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この本に収録されているエッセイは、『小説すばる』の2002年11月号から2004年4月号に連載されていたそうですから、1957年生まれの森さんが40代半ばのときの話です。その年齢で、「年齢的にメンバの真ん中くらい」だそうですから、ラジコン飛行機というのは、「オトナの趣味」ということなのでしょうね。まあ、確かにお金かかりそうだものなあ。
 著者の森さんは、大学の教官と人気作家という二束のわらじを履いていて、どう考えても、ネットでしょっちゅう「忙しい忙しい」とばかり言っている人よりも「忙しそう」にみえるんですけど、このエッセイを読んでいると、「週末のほんの数時間」だけしか「趣味の工作」の時間がとれなくても、その時間は濃密なもので、かなり人生を楽しんでおられるように感じれます。

 この「年2回の草刈り」の話を読んでいると、確かに、どんなに「忙しい人」でも、本当に自分がやりたい、あるいはやらなければならないことのために時間をつくることは、けっして不可能ではないのだな、と思います。
 ここで森さんが挙げられているメンバーたちの職業や年齢からすれば、普段は、「なんで俺が草刈りなんか!」という人もいそうですよね。
 ところが、彼らは、「愛するラジコン飛行機のため」ならば、万難を排して、たかが「草刈り」のために、駆けつけてくるのです。
 アメリカの大統領や日本の首相、あるいは超売れっ子芸能人や大企業の社長ならさておき、ほとんどの「忙しい忙しいとくり返している人」の「忙しさ」っていうのは、「所詮、その程度のもの」なのです。「時間がない」のではなく「時間をつくろうとしない」あるいは、「時間を有効に使えない」だけのこと。

 雑誌の編集者や漫画家の「締め切り前の忙しさ」なんて、「普段から同じペースで仕事しておけば、ギリギリになってそんなに「忙しくなる」必要はないのかもしれませんし。

 もちろん、職種によっては、瞬間的な「忙しさ」を回避できない場合っていうのもあるんですけどね。
 医者でいえば、「当直のときに救急車が2台続けて入ってきた直後に心筋梗塞の患者さんが直接自家用車で来院」とか、警察官にとっての「立て続けの犯罪発生」とか、電力会社にとっての「自然災害からの復旧」のようなケースでは、「その『忙しさ』は、避けようがない」のも事実です。
 ただ、実際は、どんなに「忙しい人」であっても、「自分にとってどうしても大事な用事」であれば休むことは可能だし、「少し余裕がある時期」もあるのではないでしょうか。
 そもそも、「そんなに忙しいんなら、愛人の家に毎晩通うのをまず止めろよ」なんて言いたくなる人も多いですよね。

 いつも「忙しい」「帰りが遅い」と周囲にアピールしている人にかぎって、昼間は居眠りしていたり、だらだらと病棟で看護師さんと雑談していたり、という実例を僕もたくさん見てきましたし。
 また、そういう人に限って、「○○はいつも帰りが早い」なんて陰口を言ったりするんだよなあ。「実際に働いている時間」は、むしろその人のほうが多いくらいなのに。

 しかしながら、今の世の中では、「忙しい忙しいって言い続ける」っていうのは、ある意味「自分を守るための手段」でもあるんですよね。
 余裕がある(ように見える)人のところに、どんどん仕事が押し付けられていくという現実を僕はずっと見てきましたし、同じ仕事をしていても「忙しそうにみえる人」のほうを評価する上司も多いので。
 そして、僕のような「とくに人並み外れた才能も技術もない人間」は、森さんのように「評価は、その人の仕事の結果を見れば良いだけだ」と啖呵をきるほど「仕事ができている」わけでもないので、せめて「忙しさアピール」でもするしかないわけです。「でも、こんなに遅くまで頑張っているんですよ」って。

 でもまあ、「みんなで一丸となって怒った顔をしよう、という発想が貧しい」のは確かです。そもそも、「忙しさアピール」って、現場で一緒に働いている人にとっては、単に「余裕の無いヤツだ」という評価しか受けないことも多いのですけどね。



2008年02月28日(木)
ラサール石井さんが「暴走族コント」での失敗から学んだこと

『笑いの現場〜ひょうきん族前夜からM−1まで』(ラサール石井著・角川SSC新書)より。

(ラサール石井さんが1980年の「コント赤信号」の黎明期を振り返って)

【僕らの「暴走族」のコントは、最初まず石井が学生服で出てきて、「なんだこの静けさは」と言うところから始まる(余談だが、このフレーズをゆーとぴあのピースさんがいたく気に入り、後々ゆーとぴあのお得意のフレーズになるのである)。そこへ登場した同級生の小宮が暴走族になっているのを見て、何とか引き止めて更生させようとするところが導入部である。
 ここまでを見せると、いきなり(ゆーとぴあの)ホープさんに止められた。「おまえらのやっていることはウソだ」と言うのである。「小宮、おまえはここにいたくないんだろう。石井がちょっとでも間をあけたら。すぐに行っちゃえよ。石井、お前はこいつを止めたいんだろう。行っちゃったらなんとか引き止めろよ」。
 つまり、我々のコントは、決められたセリフをそのまま喋っているだけで、いくらでも逃げられる隙があるのに逃げない、また逃げられたら追いかける芝居ができない。というまったくリアリティーのない、予定調和な芝居だったのだ。
 そこでホープさんが、「いままでのセリフをまったく忘れて、一人は行きたい、一人は行かしたくない、それだけでもう一遍やってみろ」と言った。
 そこでもう一度やり直した。私がちょっとでもセリフを言いよどむと、小宮は「じゃあな」と行ってしまう。行かれてしまったらコントは終わってしまう。必死で腕をつかんで引き戻す。そして何とかここにいさせて話を聞かせ、いかに暴走族がよくないかをアドリブで語る。うまくいかないと、また「じゃあな」と小宮は行きかける。それを必死で止める。
 お互いに必死であった。必死だからこそリアルになる。見ているみんなが笑っている。本当だから面白いのだ。気が付いたら15分もやっていた。私は「行く、行かない」だけで、これほどコントができるのだということを初めて知った。
 まさに笑いとはこれであった。漫才でもコントでも、その時本当にそうであるというリアリティーがなかったら、人は笑わないのである。まさにお笑いも芝居も同じであった。演じていることが人に見えては駄目なのだ。
 その集会所で、毎日集まってはお互いのコントを見せあい、ああでもないこうでもないと言いあった。時にはコンビを取り替え、その場で設定を決めてアドリブでコントをつくったりもした。
 この一週間で学んだことは、後々まで非常に役に立った。コントのつくり方、演じ方、見せ方の基本をしっかりとたたき込まれたのである。】

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 「お笑い」なのだから、あんまり真剣に「演じる」必要はないんじゃないか、と考えてしまいがちなのですが、このラサールさんが書かれた文章を読んでみると、それは間違いなのだということがよくわかります。

 そういえば、僕が以前読んだ「作家になるためのガイドブック」というような本にも、こんなことが書いてあったんですよね。
「『悪役が主人公のために手加減してやるような小説』は、読者をしらけさせるだけだ」と。
 物語の作者というのは、キャラクターを思い通りに動かすことができるのですが、それは「諸刃の剣」でもあるわけです。「正義の味方からの視点」だけで書いていくと、「なぜかクライマックスで突然敵のボスが改心してしまうような話」や「危機一髪のところで悪の秘密兵器が故障してしまうような話」ばっかりになってしまうんですよね。
 そういう話を作者は「感動的」だと勘違いしてしまうのですが、読者からすれば、単なる「ありきたりの予定調和」でしかありません。
 悪役は「悪役として、彼らなりの最善を尽くしている」ように見えないと、やっぱり面白くないのです。
 『DEATH NOTE』があれだけ大ヒットした理由は、キラとLの双方が「ベストを尽くして闘った」からでもあるんですよね。もしキラが途中で「改心」してしまうような「感動的な」物語であれば、多くの読者は失望したはず。

 確かに、「予定調和な芝居」の「お約束」を楽しむという文化もあるのかもしれませんが、「虚構」だからこそ必要なリアリティーというのはあるのです、きっと。
 ただ、こういうのって、あまりに突き詰めて「どちらも最善の手を尽くす」ようにすると、「どんなものでも貫く矛とどんな武器も通さない盾の戦い」になってしまいそうなんですけどね。
 



2008年02月26日(火)
「コピーライターとしての資質を一瞬で見抜く」ための、たった一つの質問

『質問力』(齋藤孝著・ちくま文庫)より。

(「コピーライターの資質を一瞬で見抜く質問」という項の一部です)

【谷川俊太郎さんの質問もすばらしいが、もうひとつダ・カーポ別冊『投稿生活』(2002年6月1日号)という雑誌に掲載されたコピーライターの仲畑貴志さんのインタビューに、秀逸な質問の例があったのでここに紹介しておこう。
 仲畑さんの事務所でコピーライターを募集した時の質問だ。仲畑さんの質問をご紹介する前に、一瞬自分で考えてみて下さい。
「もし自分が経営者でコピーライターの社員を雇う場合、あなたは入社試験でどんな質問をするでしょうか?」
 質問自体はコピーライターの専門家でなくても何とか考え出せるものだ。だがよい答は難しい。
 仲畑さんの質問は「あなたがいいと思うコピーを10個書いてください」というものである。仲畑さんによれば、この答を聞いただけでだいたい能力がわかるというのである。もしあげた10個のコピーがセンスの悪いものだとすればその人に見込みはない。センスの悪いコピーライターを雇ってしまえば、その人に毎月払う給料はドブに捨てているようなものだ。経営者にとっては深刻な問題である。
 よいコピーが生み出せるかどうかは、世に出ているコピーの良し悪しを見分けるセンスと密接に関連している。審美眼があれば、自分の作ったコピーがよいものか判断できる。よくないものであれば、もっとよいコピーを思い出してブラッシュアップしていくだろう。
 しかし自分がインパクトを受けたコピーがよくないものだとすると、いくら自分のコピーにヤスリをかけようとしても、ヤスリ自体がよくないのだからブラッシュアップしていきようがない。
 10個あげたコピーを見れば、その人の傾向がはっきりわかる、具体的かつ本質的な非常にすぐれた質問といえよう。この質問は応用がきく。
 たとえば「あなたが今までの人生でインパクトを受けた本を10冊あげてください」とか「映画をあげてください」とか「人物を何人かあげてください」など、ヴァリエーションを付けられる。問いの構造がしっかりしているので、その業界ごとに変化させればいい。たまたま出た質問ではなく、よく練られた、構造がすぐれている質問である。
 そもそもコピーを10個あげられない人がいれば、勉強不足である。最近は入社試験でしっかり業界研究せずに、ただ憧れで受けてしまうことがある。だから最低限勉強して来いというメッセージも含まれる。また母集団が20個から10個選んだのか、1000個から10個選んだのかで、その10個は違ってくる。10個出せるかどうかも重要だが、選んだ10個の母集団も重要である。
 たとえばお菓子業界のコピーだけをあげてくれば、その人は非常に片寄った勉強をしていることになる。一方いろいろなジャンルから選ばれていれば、アンテナの幅が広い証拠だ。答から、それが出された貯水池の奥行きを推しはかることができる。】

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 「おしりだって、洗ってほしい」(TOTO・ウォシュレット)、 「目のつけどころが、シャープでしょ」(シャープ)、「反省だけなら猿でもできる」(大鵬薬品工業・チオビタドリンク)など、さまざまな名コピーを生み出してきた仲畑さんの「コピーライターの資質を一瞬で見抜く質問」の話です。

 受ける側としては、こういう「あなたがいいと思う○○を10個挙げてください」というような質問をされると、正直、「この面接官、気がきいた質問を何も考えてないんじゃないのか?」などと考えがちなのですが、こういうふうに、「なぜそれを聞くのか?」と解説されてみると、ものすごく効率的かつ本質的な質問であるということがよくわかります。
 つきつめていけば、このひとつの質問の中には、「10個挙げられるか?」「ちゃんと『面白い』コピーを選べているか?」「コピーのジャンルや作者が偏りすぎていないか?」「いいと思うコピーを挙げていく順番(最初に挙げたもののほうが、優れていると感じているものでしょうから」などのたくさんのチェックポイントがあって、「知識量」「センス」「バランス感覚」などがこれだけでわかるのです。

 答える側としては、こんなふうに聞かれたら、普通は「誰でも知っている有名なコピー」ばかり挙げては「個性がない」と思われそうですし、だからといって、あまりに奇を衒ったコピーばかりを挙げると、単なる頭でっかちのマニアだという印象を与えるのではないかと悩ましいところですよね。
 こういう質問って、緊張しているときにいきなり聞かれると、けっこう頭が混乱してしまいそうです。
 単なる知識やセンスに限らず、「頭の回転の速さ」なんていうのもわかるのではないかなあ。

 ただし、質問する側に圧倒的な知識と確固たる「価値観」が確立されていないと、この質問にはあまり価値はありません。
 目の前の志望者が、ちょっと珍しいコピーを挙げてきた際に、それをどんなふうに評価するのか?
 例えば、誰かに「好きな映画10本」を挙げてもらったとして、その人がもし「自分が知らない映画」の名前を口にした場合、「そんな映画も知っているのか!」とプラスの評価をするのか、「そんなの知らん!」とマイナスの評価をするのか、あるいは、「その映画に関しては、プラスマイナスゼロ」にするのか?おそらく、一般的には「プラスマイナスゼロ」なのでしょうが、評価する側の知識が不足している場合、「才能を見抜けない」可能性が高くなってしまいます。

 この場合、「ほとんどすべてのこういう際に名前が挙がりそうな映画に関して、自分なりの評価を持っている」人でないと、本当にこの質問を「活かす」ことができないんですよね。
 おそらく、仲畑さんがこの質問を思いついたのは、「彼らが挙げるようなコピーであれば、ほとんど自分は知っているし、それぞれの評価も済んでいる」という自信があるからなのです。
 友達との会話だったら、ひとつでも「自分と趣味が合う映画」があれば、「あっ、それ、俺も好き!」って会話の糸口にすれば十分なのでしょうが、「雇う」となると、相手をなるべく客観的に「評価」し、「こいつは使えるか?」という判断をする必要がありますしね。

 そういえば、僕も学生時代、「30歳女性の腹痛の患者がいる。鑑別疾患を10個挙げろ」なんて教授に質問されて絶句していたものです。今なら、それぞれの疾患の発生頻度や危険性などを考慮した上で、すみやかに答えられる質問ではあるのですが、当時は「うーん、交通事故、打撲、虫垂炎!」などと苦しまぎれに返事をして、「どうしようもねえなこいつは」という視線を浴びせられていたのをよく覚えています。
 コピーライターの資質とはちょっと違うかもしれませんが、自分の中の情報にすばやく的確にアクセスでき、必要なものを必要なだけ取り出せる能力というのは、どんな仕事にも必要なのでしょう。

 この話、逆に言えば、「クリエイターになりたい人」は、聞かれたときにすぐに「自分の好きな○○」を10個くらいは挙げられるように、しかも、その10個が「自分のベストチョイス」になるように、日頃からトレーニングしておかなくてはダメだ、ってことなのですよね。


 では、「自分がいいと思う本を10冊挙げろ!」
 
 実際にやってみると、ものすごく難しいですよ、これ……



2008年02月23日(土)
「お笑いって絶対に、負けのない職業だと思えたんだよね」

『ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』 (大田出版)より。

(この本に収録されている、浅草キッドの水道橋博士へのインタビューの一部です)

【インタビュアー:自分を『たけしのオールナイト』が救ってくれたのは、今振り返ると、どういうところが最も衝撃的だったからだと思います?

水道橋博士:これはあちこちで話していることだけど、放送を聴いていて、お笑いって絶対に、負けのない職業だと思えたんだよね。一生貧乏のまま終わっても、笑い飛ばせればいいわけだから。俺、それまでは竹中労に憧れて「ルポライターってかっこいいな」と思ってたんだけど、「部屋にひきこもってオナニーばっかりしている自分が何が正義かを問えるのか? 社会のために何か行動を起こせるのか? 起こせるはずがないじゃないか!」と思ってたの。もちろんお笑いの世界だって「クラスでひとことも話さない俺にできるはずがない」とは思うんだけど、でも、ひょっとしたら「こいつはしゃべらない男だぞ」ってことで笑いにつながることもあるだろうし、結果的にはまったく売れなかったとしても、それも笑い飛ばせるわけだし、どっち転んでも「しょうがねえなこいつは」って言葉で救われる。だからお笑いこそが最強だと思った。たけしさんがやったように、やりたい放題で、女を抱いてもいいわけだし。だって『たけしのオールナイトニッポン』のおねぇちゃんネタって、不倫をリアルタイムで実況してたようなもんじゃない? ああいう反社会的なことを公然とやっても、そこに笑いさえあれば、それは認められるんだって感じ。それまでは「正義」ってことが俺の中ですごく重要だったんだけど、正も邪もどちらも合わせて呑みこむ「お笑い」の中に突破口がある、そこにやっと出口を見つけた。お笑いは本当に最高の職業だな、って感じが『ビートたけしのオールナイトニッポン』にはあった。今でもたけしさんのそばに、十何年もずーっと一緒にいるんだけど、まるで売れない芸人とか、いっぱいいるわけじゃない? でも、彼らにも負けはないわけだしさ。そういうメッセージは、『たけしのオールナイトニッポン』の中にすごく入っていた。人生、勝ち負けじゃないんだよ、っていうことを教えてもらったのが一番大きいかな。あとは「くだらねぇな」とか「しょうがねぇな」っていう価値観。

(中略)

インタビュアー:博士は地方で鬱々としながら毎週『オールナイト』を聴いて「いつかは殿のもとに」と思ってたわけですよね。僕もそうですし、そういう少年たちって、当時日本中に何万人もいたと思うんです。だから博士は、その少年たちの中で、夢を実現した唯一の人、みたいなところがあると思うんです。

博士:そう思うね。「私は現在、地方でこういう生活をしていますが、当時『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聴きながら、ニッポン放送の前に行こうか行くまいか何度も悩みました。博士は、もう一人の私なんです」というような内容のメールはよくもらうし。俺も、そっち側にいる自分を何度も想定したからね。きっといずれは故郷に帰って、貯めていた『オールナイト』のテープを毎晩聴きながら泣くんだろうな、って思ってたからさ。

インタビュアー:正直、当時のたけし軍団って、みんながみんな、博士ほどたけしさんに心酔してる人たちばかりでもなかったと思うんです。

博士:そうだね。俺を玉袋(筋太郎、「浅草キッド」の相方)とコンビを組んだのは、そこの連帯感だから。「俺らは本当にビートたけしのことが好きなんだ!」っていう。俺たちが人気者になりたいわけじゃない。単にビートたけしの一番近くにいたいだけっていう。ビートたけしの弟子じゃなかったら、俺、お笑い界に入ってないから。

インタビュアー:芸人になりたかったわけですらない?

博士:俺の場合、そう言っても過言じゃないんだよね。少なくとも自分にとっては「お笑い」というジャンルよりも「ビートたけし」のほうが存在として大きかったし、「ビートたけし」のほうが好きだったのは間違いないね。】

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 『ビートたけしのオールナイトニッポン』は、1981年の1月から、1990年の12月まで、毎週木曜日の25時から27時まで放送されていた、まさに「伝説の深夜放送」です。
 僕にとっては、まさに「自分の10代とともにあった番組」なんですよね。
 こちらで紹介しているように、内容的にはかなり際どいというか、生真面目な少年だった僕にとっては「早口で何を言っているかよくわからず」「ちょっと悪のりしすぎているんじゃないか」と思われるようなところもあって、「その時間に起きていれば聴く」というくらいの存在ではあったのですが、それでも、2時間すごいペースで喋り続けていたたけしさんの口調を、今でもすぐに思い出すことができるのです。

 この水道橋博士のインタビューによると、博士は病気のために高校を留年し、自分の将来にも希望を持てず、「このまま高校を卒業して家業の紙問屋を継いで、普通に結婚して年取っていくんだろうなあ……」というようなことを考えて鬱々としていた時代に、『たけしのオールナイトニッポン』に出会い、衝撃を受けたのだそうです。
 これ読むと、博士がその時代から現在まで、「とにかくビートたけしが大好き」ということがよくわかります。
 人と人との関係というのは時間によって変わっていくのが当たり前ですが、今は同じ「芸人」というフィールドにいるにもかかわらず、これほど「変わらない関係」を維持しているというのもすごいですよね。
 普通だったら、少しは批判的になったり、敵愾心を持ったりしそうだもの。
 
 「お笑いって絶対に、負けのない職業だと思えたんだよね」という博士の言葉は、すごく印象的です。
 実際は、『M−1グランプリ』のような、「はっきりとしたガチンコ勝負の場」でなくても、「芸人」たちは、日常的に「今日はネタがウケた」とか「あいつらより俺たちのほうが面白かった(つまらなかった)」など、「勝ち負け」を意識している人がほとんどではないでしょうか。浅草キッドのお二人だって、そういう「競争意識」と全く無縁ではないはず。
 でも、「芸人として生きる」というのは、トータルでみれば、確かに、「全然ウケず、売れなくても、それはそれでひとつの『どうしようもない芸人の人生という芸』として成り立っている」のかもしれません。もちろん、芸人たちが、みんなそんなふうに考えているわけではないのでしょうけど。

 ただ、こういう「絶対に、負けのない職業」というのは、ある意味、「絶対的な、勝ちもない職業」という面もあるんですよね、きっと。
 「しゃべらない男」が笑いにつながることがある一方で、「クラス一面白いと言われ続けてきた、おしゃべりな男」が「全く笑ってもらえない」ことだってある世界。
 どんなネタだって、100%の人を笑わせ、楽しませることなんてできないし、観客から求められるネタに、自分で満足できることばかりではないはずです。人気やお金はひとつの「バロメーター」ではあるのでしょうが、もちろんそれが全てじゃない。
 「上」を望めばきりがないし、そもそも、何が「上」なのかよくわからない。
 今は人気絶頂でも、いつ飽きられるかわからないし、「次世代」はどんどん突き上げてくる。
 そう考えると、「売れている芸人」のほうが、むしろ、「ゴール」が見えなくて辛いときもありそうですよね。

 水道橋博士は、今でも「お笑いって絶対に、負けのない職業だ」と思っているのでしょうか?
 



2008年02月21日(木)
桜庭一樹さんに直木賞をもたらした、角川スニーカー文庫の編集者の言葉

『週刊文春』(文藝春秋)2008/2/21号の「阿川佐和子のこの人に会いたい・第717回」より。

(『私の男』で、第138回直木賞を受賞された作家・桜庭一樹さんと阿川さんの対談の一部です)

【阿川佐和子:こうすりゃ売れるだろうって気がついたことはありますか。

桜庭一樹:読者を考えながら書かなくちゃいけないんだなと思いました。

阿川:何がきっかけで?

桜庭:中村うさぎ先生に「こういうものはこの人にしか書けない」と言われたような一冊を書こうと思って、『赤×ピンク』を出したんです。出だしから泥レスをしている女の子が転がり出てくるようなインパクトがある小説なんですけど。

阿川:確かにインパクトありそう。

桜庭:そうしたら、角川のスニーカー文庫の編集さんに言われたんです。「極端なストーリーでも書きっぱなしにせずに読者が共感できるようにわかりやすくしなくちゃ。読者の70%が自分のことを言われているような話だと思い、20%は自分にもこんな面があるなと思い、あとの10%は、何だ、この本はと思う作り方をするとたくさんの人に読まれるよ」って。

阿川:へえ。参考にしよ。

桜庭:「コップでも把手があれば持ちやすいだろう。君はその持ち手の部分を小説につくるべきだ。それがあれば、いい面はあるから、もっと読まれる作家になれるはずだ」って。

阿川:名言ですねえ。

桜庭:直木賞を受賞したとき、本人にあの言葉のお陰ですって言ったら、全然憶えてなかったんですけど(笑)。】

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 もちろん、「読者の100%に、何だ、この本はと思われるような作品」では、「と学会」のような一部のマニアたちを除いては、誰も読んでくれないとは思うのですが、逆に「読者の100%が自分のことを言われているような話だと思う」ようなものも、「オリジナリティが無い」なんて批判されて、かえって「売れない」ということなのでしょうね。

 僕の感覚では、これだとちょっと「読者に歩み寄りすぎて」いて、むしろ、ここで挙げられている個々の数字とは正反対の「読者の10%が自分のことを言われているような話だと思い、20%は自分にもこんな面があるなと思い、あとの70%は、何だ、この本はと思う作り方」のほうが、結果的には「売れる」ような気がするのですけど。

 桜庭さんの直木賞受賞作『私の男』は、まさに「70%の人には唖然とされる本」ですし(もちろん、読んでみると確かに「自分にもこういう一面があるなあ、と考えずにはいられない作品でもあるのですが)。

 ただ、いわゆる「ライトノベル」の世界では、読者層が若いこともあり、このくらいが「売れる匙加減」なのかもしれません。僕だって中高生くらいのときは、「主人公に感情移入できない話」は、それだけで読む気になれなかった記憶がありますし。

 そして、確かに「売れる本」には、「把手」があることが多いですよね。
 『チーム・バチスタの栄光』というミステリは、映画化もされて大ヒットしていますが、この本の把手の部分は、「愚痴外来(不定愁訴外来)をやっている、うだつのあがらない大学講師の田口医師」にあたりそうです。この人そのものは、いわゆる「狂言回し」的な役割で、鋭い推理をみせるわけでも、派手なアクションで作品を盛り上げるわけでもないのですが、もし、この「普通の人の感覚に近い」キャラクター抜きで、「スーパードクターたちと頭はいいけど性格に問題がある厚生省の役人の物語」として、『チーム・バチスタの栄光』が語られていたら、たぶん、多くの読者は「置いてけぼり」にされてしまったはずです。
 作者が、どこまで意図的にそういう設定にしたのかはわかりませんが、採り上げる題材が特殊な世界であればあるほど、「把手」ってすごく大事なんですよね。
 それが無いばっかりに、美味しそうのに持てなくて飲めない、と思われた作品って、けっして少なくないはず。

 それにしても、この話を桜庭さんにした編集者もたいしたものではありますが、そのオーダーに過不足無く答えることができた桜庭さんの「筆力」の凄さにも驚かされる話です。
 これを「意識すること」と、そういう作品を「形にすること」には、本当に大きな「超えられない壁」があるはずだから。



2008年02月19日(火)
「でも、親になったおかげで、子どもの頃の自分との距離がうんと近くなった」

『流星ワゴン』(重松清著・講談社文庫)の重松さん自身による「文庫版のためのあとがき」より。

【「父親」になっていたから書けたんだろうな、と思う自作はいくつかある。『流星ワゴン』もその一つ――というより、これは、「父親」になっていなければ書けなかった。そして、「父親」でありながら、「息子」でもある、そんな時期にこそ書いておきたかった。
 ぼくは28歳で「父親」になった。5年後、二人目の子どもが生まれた。二人とも女の子である。
 その頃から思い出話をすることが急に増えた。忘れかけていた少年時代の出来事が次々によみがえってきた。身も蓋もない言い方をしてしまえば、それがオヤジになってしまったということなのかもしれないが、ちょっとだけキザに言わせてもらえれば、「父親」になってから時間が重層的に流れはじめたのだ。
 5歳の次女を見ていると、長女が5歳だった頃を思いだし、その頃の自分のことも思いだす。さらにぼく自身の5歳の頃の記憶がよみがえり、当時のぼくの父親の姿も浮かんでくる。
「子を持って知る親の恩」なんてカッコいいもんじゃない。愛憎の「憎」の部分が際立ってしまうことのほうが多かったりもする。記憶から捨て去ったつもりでいた過去の自分に再会して、赤面したり、頭を抱え込んでしまったりすることだって、ある。
 でも、親になったおかげで、子どもの頃の自分との距離がうんと近くなった。その頃の父親の姿がくっきりとしてきて、当時はわからなかった父親の思いが少しずつ伝わってくるようにもなった。そのことを、ぼくは幸せだと思っている。】

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 『流星ワゴン』という小説は素晴らしい作品だったのですが、この「文庫版のためのあとがき」も、既婚・子ども無しの僕にとって、とても考えさせられる内容だったのです。

 僕より年齢が上の人たちが、その人の子ども時代のことを生き生きと語りだすのを聞いていると、「僕は記憶力が鈍いのだろうか?」と思ってしまうのですが、この文章を読むと、「ずっと覚えている」のではなくて、「子どもを持つことによって、自分の子ども時代のことを思いだす」ということのようです。自分の子どもを持つというのは、ある意味、「自分が子どもだった頃のことを再確認する機会」でもあるんですね。

 僕はずっと、「子どもを育てるっていうのは、苦労のわりに親にとっては何のメリットも無いのでは……」と感じていたのですが、子どもを持つということそのものが、ものすごく「新鮮な体験」なのだということが、この重松さんの文章からは伝わってきます。
 まあ、そういう「忘れてしまったはずの過去の記憶」のなかには、恥ずかしかったり、後悔したりしてしまうものも少なくなさそうですし、「自分がいかにイヤな子どもだったか」を再確認するのは、けっこう辛い体験になるのかもしれませんけど。



2008年02月17日(日)
女優・中谷美紀の「自然な演技」の秘密

『ないものねだり』(中谷美紀著・幻冬舎文庫)の巻末の黒沢清さんによる「解説」の一部です。

【今でも強烈に印象に残っている撮影現場の光景がある。中谷さんに、沼の上に突き出た桟橋をふらふらと歩いていき、突端まで行き着いてついにそれ以上進めなくなるという場面を演じてもらったときのことだ。これは、一見別にどうってことのない芝居に思える。正直私も簡単なことだろうとタカをくくっていた。だから中谷さんに「桟橋の先まで行って立ち止まってください」としか指示していない。中谷さんは「はい、わかりました。少し練習させてください」と言い、何度か桟橋を往復していたようだった。最初、ただ足場の安全性を確かめているのだろうくらいに思って気にも留めなかったのだが、そうではなかった。見ると、中谷さんはスタート位置から突端までの歩数を何度も往復して正確に測っている。私はこの時点でもまだ、それが何の目的なのかわからなかった。
 そしていよいよ撮影が開始され、よーいスタートとなり、中谷さんは桟橋を歩き始めた。徐々に突端に近づき、その端まで行ったとき、私もスタッフたちも一瞬「あっ!」と声を上げそうになった。と言うのは、彼女の身体がぐらりと傾き、本当に水に落ちてしまうのではないかと見えたからだ。しかし彼女はぎりぎりのところで踏みとどまって、まさに呆然と立ちすくんだのだ。もちろん私は一発でOKを出した。要するに彼女は、あらかじめこのぎりぎりのところで足を踏み外す寸前の歩数を正確に測っていたのだった。「なんて精密なんだ……」私は舌を巻いた。と同時に、この精密さがあったからこそ、彼女の芝居はまったく計算したようなところがなく、徹底して自然なのである。
 つまりこれは脚本に書かれた「桟橋の先まで行って、それ以上進めなくなる」という一行を完全に表現した結果だったのだ。どういうことかと言うと、この一行には実は伏せられた重要なポイントがある。なぜその女はそれ以上進めなくなるのか、という点だ。別に難しい抽象的な理由や心理的な原因があったわけではない。彼女は物理的に「行けなく」なったのだ。「行かない」ことを選んだのではなく「行けなく」なった。どうしてか? それ以上行ったら水に落ちてしまうから。現実には十分あり得るシチュエーションで、別に難しくも何ともないと思うかもしれないが、これを演技でやるとなると細心の注意が必要となる。先まで行って適当に立ち止まるのとは全然違い、落ちそうになって踏みとどまり立ち尽くすという動きによってのみそれは表現可能なのであって、そのためには桟橋の突端ぎりぎりまでの歩数を正確に把握しておかねばならないのだった。
 と偉そうなことを書いたが、中谷美紀が目の前でこれを実践してくれるまで私は気づかなかった。彼女は知っていたのだ。映画の中では全てのできごとは自然でなければならず、カメラの前で何ひとつゴマかしがきかないということを。そして、演技としての自然さは、徹底した計算によってのみ達成されるということを。ところで、このことは中谷さんの文章にもそのまま当てはまるのではないだろうか。】

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 もし僕が役者で、「桟橋の先まで行って、それ以上進めなくなる」という台本を受け取ったら、どんな演技をしていたでしょうか?
 たぶん、「こんなシーン、全然『見せ場』じゃないなあ」なんて思いながら、ただ、桟橋の先まで行き当たりばったりで歩いていって、突端のところで驚いたような表情をして……という感じだと思います。「自然に歩き」「自然に驚く」ようにしよう、なんて考えながら。

 しかし、ここに書かれているように、演じる側は、その桟橋で、自分が「先に行けない」ことを台本で読んで知っています。つまり、「予備知識がある状態」なんですよね。
 その状態で、「自然な演技」をするというのは、かなり難しいことなのです。

 「道端でいきなり昔の恋人に出くわす」という状況では、多くの人が「びっくりする」はずです。
 ところが、「演技」というのは、事前に「あなたは今日道端で昔の恋人にバッタリ出会うことになってるから」と言われている状態で、「自然に驚いているように見せなければならない」のです。
 あらためて考えてみると、これってけっこう難しいですよね。「自然に驚いているように見せよう」とすればするほど、かえってわざとらしくなってしまいそう。

 結局、中谷さんは、「どうやって『自然な演技』に見せるか?」という難問を「自然な演技を心がけました!」なんていうような「精神論」で解決するのではなく、「自然なリアクションの場合はこういう動きをするはずだから、それに準じて精巧に演じる」という「技術」で克服しようとしたのです。

 このエピソードをあらためて読んでみると、この中谷さんの「こだわり」に驚かされるのと同時に、映画監督である黒沢さんが驚かれたということですから、ここまで考えて「演技」をしている「役者」いうのは、けっして多くはない、ということなのでしょうね。
 いろんな役者さんのタイプがあるのでしょうが、「自然な演技」ができないのは精神面の問題だと考えて伸び悩んでいる人って、けっこういるのではないかなあ。

 この話、実は「演技」に限ったことではありません。
 一般社会でも「いつも自然体」に見える人って、けっして「好き放題やっている」わけでなくて、ちゃんと「(相手に好感を与えるような)自然体を演じている」場合がほとんどです。
 「自然体」を生み出すには、「本当に何も考えていない」か、「完璧な演技をする」かという両極端の方法しかない、というのも、なんだか不思議な話ではあるのですけど。



2008年02月15日(金)
「コンビニで一番万引きをする人って、誰だと思う?」

『牛丼一杯の儲けは9円』(坂口孝則著・幻冬舎新書)より。

【以前、あるコンビニの店長と話をしていたときのことです。
「一番万引きをする人って誰だと思う?」と訊かれるので、「学生? いや、サラリーマン? もしかしたら主婦っていうのもありそうですね」という答えをしたところ、「違うよ、バイトの店員だ」と返ってきました。
 どうやら、そのコンビニでは最も利益を減らす悪玉となっているのは、アルバイト店員のようなのです。
 そこから小売業に携わっている友人の何名かにも同様の質問をしてみました。すると、同じことをいうのです。「最も危ないのは身内だよ」と。
 見た目の恐い人が万引きしていて、それを注意できない、くらいであれば微笑ましいのですが、店員自身が万引きしてしまうのだから救いようがありません。
 スーパーなどでは、女子高生がレジに立つことがあります。そこで、その彼女の友人がレジに並ぶと、そのまま素通りさせるようなこともあるようです。後ろに客が並んでいたら、そんな芸当もやりにくいでしょうが、時間帯を選べばやれないことはありません。それに、後ろに客が並んでいたとしても、同じものをまとめて購入すれば、レジ係が本当は30個のところを10個と計算してもわかるはずもありません。
 スーパーでは、この不正を抑制するために、レジ係ごとの売上げをしっかりチェックしたり、客の様子をうかがったり、商品ごとの保有数を管理したり、レジにも監視カメラを設置したりしています。
 小売業は利益が1〜2%程度であることは珍しくない、と書きました。そんな低利益の商売で、何か1個を万引きされたとしましょう。そうすると、単純計算で50〜100個ほどの売り上げ分利益が吹っ飛ぶことになります。
 せっかく安く仕入れることができたとしても、その仕入れ商品を盗まれてしまってはどうしようもありません。
 かつては、中国にモノを運ぶと必ず数が少なくなってしまう、ということがありました。他に転用できそうなケーブル類や貴金属は、100個送っても、なぜだか90個しか届かない。しかも、それを保管庫に置いておくと、さらに80個になっている。私が付き合っていた中国業者か現地のスタッフが悪かったのでしょう。すっかりなくなってしまうこともありました。
 その他、各仕入れ担当者たちは、現場で働く外国人労働者たちから備品を盗まれたり、材料を奪われたりした経験を持っているようです。
 ただし、私は外国人労働者だけを批判しているわけではありません。外国人と日本人とでは質が異なる、という意見もあるでしょう。しかし、コンビニの例しかり、スーパーの例しかり、ホワイトカラー、ブルーカラーにかかわりなく同じような例が散見されます。
 文房具やコピー用紙は、自分で買うものではなく、「会社から持ってくるもの」という意識の人もたくさんいます。微々たるものであっても、これは社員万引きの一例です。一般的に会社にある文房具は使いにくく効率が落ちるため、私はとても使っていられないので、個人の手に合ったものを探すべきだと思います。しかし、まあそういうことを気にしない人もいるのでしょう。ただ、だからといって会社のものを盗んできてもよいということにはなりません。
 企業は、これまた多くの監視コストを払って、社員たちに盗ませないような仕組みを作っています。使い切ったペンを持参すれば、新品を得ることができたり、もしくは、一つ一つに申請用紙を書かせたり。信頼があれば、こういう手間暇はすぐにでも軽減されるものです。こういう手間暇は、まさにコストに直結します。】

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 この新書を読んでみると、世の中の小売業というのは、いかに「薄利多売」でやりくりしているのか、ということがよくわかります。
 以前、「コンビニのおにぎりは1個売れても10円も儲からない」なんている話を聞いて驚いたことがあるのですが、この本によると、牛丼一杯を販売して得られる利益は、「9円」なのだとか。「松屋」の2007年3月期決算の営業利益率は2.63%で、吉野家の2007年2月期決算の営業利益率は3.51%、牛丼一杯を350円とすると、前者の利益は9.5円、後者は12.3円になるそうです。
 ちなみに、「三越」の2007年2月期決算の営業利益率は1.66%で、「ヤマダ電器」の2007年3月期は3.67%(ビックカメラは2007年8月期が2.98%)。
 あれだけ売れていれば、ものすごく儲かっているのだろうな、と考えてしまう量販店というのは、逆に、「あれくらい売れないとやっていけない」というのが実情のようです。

 ここに引用させていただいたエピソードに関しては、僕はあまり意外には感じませんでした。友達が遊びに来たときに、「サービス」してあげているバイトの若者を目にしたことがある人というのは、けっして少なくないはずですし、僕も内心「お金貰ってるんだから、プロらしく仕事時間中は公私の区別をつけろよ!」などとムカついてはいるのですが、そういうのをコンビニで目くじら立ててもしょうがないような気はします。単に「小うるさいオッサン」だとしか思われないだろうし。
 それに、最近のコンビニというのは、とにかく「人手不足」のようで、どうみてもサービス業に慣れてないだろ、というようなアルバイトの中年男性が、チョコレートが入った袋に、「一緒にいいですか」なんて、温めたおにぎりを入れようとしたり、「このままでいいですか?」と尋ねもしないで本をそのまま手渡そうとしたりしてくることがよくあるのです。
 客側しても、コンビニに「最上級の接客」を求めてもしょうがないし、この人たちもいろいろ事情があって深夜のコンビニで働いているんだろうし……などと、かえって考えこんでしまいます。

 実際、僕はここで取り上げられているような「バイト店員の万引き」を何度も目撃したことがあるのです。しかも、彼らには、それが「万引き」だという意識はほとんど無いように見えました。
 ただし、最近は堂々とやっているのはあまり見ないので、店側の「店員に対する監視の目」が厳しくなっているのでしょうね。
 しかしながら、「店員向けの監視カメラ」なんていうのは、やっぱり、あんまり建設的なコストだとは思えませんが……

 とはいえ、アルバイト店員がいないと営業時間が長い店はやっていけないでしょうし、経営していく側として考えると、「良質な店員を確保すること」というのは、まさに死活問題。それが難しい場合には、オーナー(やその家族)が店で働きっぱなし、という悲惨な状況になるわけです。
 たしかに、コンビニ経営もラクじゃないよなあ。

 僕は今まで「文房具の管理までキチンとしているような会社」に勤めたことはありませんし、病院というのはボールペンやメモ用紙などの文房具に関して言えば、(薬のメーカーが宣伝用のものをよく置いていくので)あまり切実に不足することがないのですけど、コピー用紙の無駄遣い、なんていうのは確かに「万引き」です。
 僕も偉そうなことを言える筋合いは全くないのですが、会社のネットワークを私用のネットサーフィンのために使うのも、一種の「万引き」ですしね……
 今のところは、仕事に支障が出たり、トラブルの元になるようなものでなければ、徹底的に糾弾されることはほとんどなさそうですが、今後は、そういう「目に見えない万引き」に対する締め付けも厳しくなってきそうな感じがします。

 本当は、友達や知り合いが来たら、ちょっとくらい「おまけ」しても大丈夫なくらいの余裕があったほうが良さそうではあるのですが、たぶん、これからもこの「ギリギリの営業利益での攻防」が続いていくのでしょう。
 個人的には、友達のバイト先にやってきて「サービスしろよ」なんていうような人間は、「友達失格」だとしか思えないのですけど。



2008年02月13日(水)
「人間関係のトラブルの原因って、ちょっとした生活習慣なんです」

『月刊CIRCUS・2008年3月号』(KKベストセラーズ)の特集記事「春の転職シーズン到来・採用責任者はココを見ていた!〜人事部長に訊け」より。

(『エンゼルバンク―ドラゴン桜外伝』の作者である、漫画家・三田紀房さんが語る「入社後を見据えた『ドラゴン桜』式転職術!」の一部です)

【私自身は「転職は非常にリスクの高い行為だと思っています。転職について、取材や情報収集をしていて感じることは、ほとんどの人の転職理由は、本当は「人間関係」なんですよ。「給料が安い」とか「職場環境が悪い」とか、みんなそれなりの理由を言うんですが、よくよく本音を聞いてみると、人間関係をきっかけに辞めようと考える人がほとんどなんです。
 確かに良好な人間関係があれば、よそで一から始めようという決心はしにくい。人間というのは、酷い状況下でも、仲間の存在があれば我慢できるんですね。逆にどんなに給料が良くても、仲間に恵まれないと辞めたくなるんです。
 そしていったん辞めたくなると、自分の可能性を試したいとか、チャレンジしたいとか、成長したいとか、ポジティブな理由を後付けして、決意を固めていくんです。
 でも本音は人間関係です。そこを認識しないまま、次の職場に行っても、自分の理想の人間関係が築けるという保証はどこにもない。次の職場でもギクシャクすれば、また辞めたくなる。それが職場を転々と替える原因になっているようです。
 でも、辞めたいものは、辞めたいですよね(笑)。だから転職は絶対ダメだとは言いませんが、辞める前にもう一度自分を見直してみる必要はあるんじゃないかな。単純に人間関係が理由なら、良好な関係になるよう努力してみるのもひとつの考え方だと思います。
 人間関係のトラブルの原因って、ちょっとした生活習慣なんです。
 机が汚いとか、時間にルーズとか、つき合いが悪いとか。世間一般が共有しているルールから外れると、急激におかしくなる、自分が気づいてない部分で人に不快感を与えてるかもしれません。そこを改善するだけでも人間関係って変わりますよ。】

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 『ドラゴン桜』にこんな「外伝」が出ているとは知りませんでしたが、ここで三田さんが話されている内容、「転職」を希望する勇気はないものの、日頃の人間関係には悩み続けている僕にとっては、非常にインパクトがあるものでした。これを読んで、あわてて職場の自分の机を少し片付けてしまいましたし。

 確かに、仕事の内容のキツさと同様に、あるいはそれ以上に「人間関係がうまくいっていない」という状況は、「環境を変えたい」という大きな要因になりうるものだと思います。逆に、どんな辛い状況でも「大切な仲間」がいれば、意外と踏ん張れたり、かえってやりがいを感じたりできる場合もあるのです。もちろん、「本当に酷い労働条件」の下では、どんなに素晴らしい人間たちでも、「良好な人間関係」を維持するのは困難だとは思うのですけど。

 この話のなかでいちばん考えさせられたのは、【人間関係のトラブルの原因って、ちょっとした生活習慣なんです。】という部分です。
 いや、「人間関係」にもさまざまな深さがあるとは思いますし、生活習慣を変えただけで、いきなり憧れの女性の間に恋愛感情が芽生えるとは考え難いのですが、少なくとも「職場で一緒に仕事をしていく上で、大きな摩擦を避けられれば良い」という程度の「人間関係」であれば、確かに「生活習慣」の影響って、けっこう大きいんですよね。
 多くの人は、「自分が同僚にスポイルされる理由」を「性格の不一致」や「相手の狭量さ」にあると思い込んでいるのですが、実際は、「遅刻が多くて会議で周囲を毎回5分待たせている」ことや「日頃から無遠慮な言葉を投げかけている」ことが原因であることって、けっして少なくないのです。「机が汚い」なんてのは「いちいちそんなことを気にするほうが悪い」っていう人も多いでしょうが、「隣の机が汚いのが、どうしても気になって不快」という人だっているのです(僕もこの三田さんの話を読んで反省しています)。
 裏を返せば、「いつも身奇麗で整理整頓を心がけ、時間をキチンと守り、言葉に棘がなくて最低限のつき合いはできる人」が同僚だったとして、誰がこの人をスポイルするでしょうか?
 そりゃあ、僕だってこういう人は「あまりに出来すぎていて人間味がなく、面白くない」と感じるかもしれません。
 しかしながら、「職場で一緒に仕事をする人」という関係であれば、こういう人とあえて争うメリットなんて、全くないですよね。
 少なくとも「職場レベル」では、「ほんのちょっと生活習慣を見直す」だけで、余計な摩擦をかなり避けられるのではないかと思います。

 あるいは「ちょっとしたコミュニケーションの不足」というのも、「人間関係をギクシャクさせる理由」になります。僕も以前の職場で、どうしても馬が合わない上司がいたのです。
 なかなかその人には相談しにくくて、結果的に仕事がうまくいかなかったり、滞ったりしてしまって、そのことでさらにその上司から責められて、ものすごく悩んでいました。
 ところがあるとき、同僚から「そういうときは、相手を変えるのは無理だから、お前のほうが歩み寄ることを考えたほうがいいんじゃない?」とアドバイスされたのをきっかけに、「否定されても冷たい態度をとられてもいいから、とにかく何でもその上司に相談する」ようにしてみました。
 「してみました」と軽く書いていますが、それまでの経緯もあったので、実際は話しかけるだけで手に脂汗がにじむような状態でした。

 ところが、なんとか踏ん張ってそれを続けていると、少しずつ、その上司との関係は改善されてきたのです。頼ってみると、役に立つアドバイスもちゃんとしてくれるし、ブツブツ言いながらも、けっこうちゃんと面倒を見てくれたんですよね。後から人づてに聞いた話では、上司のほうも、「僕が責任者である自分に相談せずにいろんなことを独断でやろうとしている」ことに対して不安を感じていたのだとか。
 コミュニケーションがとれてお互いのことがわかってくると、僕のほうも積極的に上司の手伝いをするようになっていき、お互いにサポートしあえるようになりました。
 結局僕は「こんなことでいちいちお伺いを立てていてはウザがられるんじゃないか?」とか「無能だと思われるんじゃないか?」と一人で考え込んで、かえって事態を悪くしていただけだったのです。
 もちろん、僕のこれまでの人生においても、こんな「幸せな実例」ばかりというわけではないんですけどね……

 「自分にしかできない仕事」や「圧倒的な能力」を持っている人は別なのでしょうが、「ちょっと人より仕事ができる」くらいのアドバンテージって、「でも少し時間にルーズ」というくらいの「生活習慣のマイナス」で、すぐに消えてしまう程度のものなのです。

 なんだか自己啓発書みたいで厭な感じではあるのですが、「環境を変える前に、まず自分を変えてみる」という発想って大事なのだと思います。
 ただ、まず変えてみるべきなのは、「考えかた」ではなくて、「生活習慣」のほうであるということを忘れずに。



2008年02月11日(月)
芥川賞作家・川上未映子さんが語る「今なぜ若い子にケータイ小説が受けるのか?」

『文藝春秋』2008年3月号(文藝春秋)の川上未映子さんへの「芥川賞受賞者インタビュー『家には本が一冊もなかった』」の一部です。

【インタビュアー:今後、どういう作品を書いていきたいですか。

川上未映子:私は人間に興味があるんです。今の私が、人間について語れるのは女性性を通してだったわけですけど、それが今後どうなっていくのか。それから私たちの認識を規定している言葉について知りたいという気持ちもあります。そもそも言葉は他者との関係性の中に発生したにもかかわらず、同時に言葉で意味や気持ちが伝わっているなんてのは全くの幻想かもしれません。でも哲学者のヴィトゲンシュタインが言ったように、そのコミュニケイションがそうした言語ゲームを超えて起爆力をもつ瞬間があるんじゃないかと私は信じてるんです。ってこれも既に言葉ですけれど(笑)。
 先日、社会学者の宮台真司さんが言っていたんですが、今なぜ若い子にケータイ小説が受けるかというと、彼女たちの人付き合いが刹那的だからだというんですね。彼女たちは週替りで相手を変える。でも、それはすれっからしだからではなく、ピュアすぎて傷つくことが怖いから、問題が起きたらすぐ別れてしまうんだと。ケータイ小説もそういう乗りなんですよ。「強姦された! 頑張れよと言われた。だから頑張る」みたいな(笑)。わかりやすいといえばわかりやすいけど、彼女たちはそういう表現にしかシンパシーを持てない。純文学が扱うような深い人間関係を照らす文章は、傷つくことが本当に怖いんですね。
 それを聞いて私が思ったのは、どうすれば彼女たちにも伝わる小説を書けるかということなんです。出来ないわけがないですよね。実際、村上春樹さんは出来ている。誰にでも伝わるテーマと書き方をしながら、読み終えたときには必ず読者の目盛りを3ミリ上げてくれる。名作って、やっぱりそういうものだと思います。

インタビュアー:村上さんの他に、現代作家で好きな人はいますか。

川上:文章が好きという意味では多和田葉子さん。海外では、カート・ボネガット、サリンジャー。柴田元幸さんが訳す翻訳小説のような無駄のない文章にも憧れるんです。ジュンパ・ラヒリも好きですね。

インタビュアー:今の30代の女性は、結婚や出産に後ろ向きと言われています。その理由は「他人とは共同生活を送れないから」とか「子供を育てる自信がないから」とか報じられていますが、同世代としてどう思いますか。

川上:私たちの世代は、産みたくないというよりも、「産む」ということについて考える時間が、図らずも長くなってしまったんですよね。昔は生理が来たら<子供>から<大人>になり、間もなく結婚・出産して<母親>になった。<大人>の期間はせいぜい12、3歳から22、3歳くらいの10年だった。ところが、今は結婚するのが遅くなり、20年近くもある。2倍あるんですから、考えてしまう時間も悩みも増えるわけです。
 今の私の結論は、考える前に子供をつくらないと子供は出来ないということですね。この時代、避妊も追いつかないくらい燃え上がっているときでないと、子供はつくれないような気がします。私たちの世代、出来ちゃった婚しかないと思いますよ(笑)。

インタビュアー:川上さんも結婚されていますが。

川上:はい、と言いながら子供については私は出遅れた感があります(笑)。】

〜〜〜〜〜〜〜

 『乳と卵』で、第138回の芥川賞を受賞された川上未映子さん。川上さんは1976年生まれで現在31歳。受賞後の報道では、人目を引くルックスや歌手活動のことばかりが取り上げられていましたが、このインタビューを読むと、いろいろな現代的な問題を真面目に考えている人なのだということがよくわかります。
 僕は正直、「ケータイ小説」に関して、「まともな日本語が読めなくなった若者たちが、短いセンテンスで展開が速く、刺激的な内容の『小説』にとびついているだけだろ」と内心バカにしていたのです。でも、川上さんは(正確には宮台真司さんからの引用なのですけど)、若者たちが「いわゆる文学作品」を「読めない」のではなくて、「読むことによって自分が傷つくことを恐れている」のだと考えておられるのです。
 そして、そういう「現実」を受け入れながらも、「彼女たちにも伝わる小説」を模索しているというのは、本当に凄いことだと思います。多くの「大家」たちや「文学愛好家」たちが、「ケータイ小説」を読んでいる若者たちをみて「あいつらはレベルが低いからしょうがない」と切り捨てているのと比べると、年齢が「ケータイ小説を読む若者たち」に近いこともあってか、川上さんは、かなり彼らのことが「理解できている」ように感じるんですよね。僕もいままで、「ケータイ小説」を読む若者たちを異星人のように忌避してきたのですけど、こんなふうに言われてみると、ケータイ小説のような人との接し方が当たり前になった時代だからこそ、若者たちはケータイ小説に惹かれるのだと思えてきました。

 あと、引用の後半部分の「30代女性の話」も、とても興味深かったです。「考える前に子供をつくらないと子供は出来ない」かあ、うーん……30代の夫婦の片割れである僕としては、すごく実感が湧く話。考えれば考えるほど「この時代に子供をつくるメリット」は無さそうな気はするし、とはいえ、今の時点で「子供がいない人生」を選択する勇気もないし……

 しかし、「ケータイ小説」ばかりを読んでいる若者が、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を読み遂げることができるのか?とか考えてしまうのもまた事実なんですよね。『ノルウェイの森』なら大丈夫なんじゃないかという気はしますけど。




2008年02月09日(土)
「ドリフの救護班」だった、もうひとつの『高木ブー伝説』

『絶望に効くクスリ Vol.9』(山田玲司著・小学館)より。

(山田玲司さんと各界で活躍している人々との対談を漫画化した作品の一部です。高木ブーさんの回より。)

【山田玲司:「何もできない人」のキャラクターをやっていても、ブーさんはそんな人じゃなかったわけですよね。

高木ブー:んー。まあひととおりの楽器もできて楽譜もかいてましたからね。まったくのバカじゃないですよ。ウクレレもギターも、ものすごく練習したしね…これは長さんだとうまく弾けないかなと思って、楽譜を書き替えたりね……

高木さんのマネージャーの山本さん:ブーさんのカバンっていうのがあるんですけどね…

山田:カバンですか?

山本:両サイドに6つのポケットがあって、それぞれに「針と糸」とか「ばんそうこう」とか入ってて…何かあったらみんながブーさんの所に行くんですよ。

山田:ドリフの救護班だったんですね…

高木:で…みんなが忘れ物とか楽屋にしていくんだけど、一番最後にチェックしていくのが俺なんだよね。そんなつもりはないんだけどさ。どーーーしてものろくて一番最後になっちゃうから、みんなのチェックするのにちょうどいいんだよ。

山田:それもまたブーさんのポジションなんですね。

高木:リーダーとか真ん中とかより2番とかがいいんだって。だから、ドリフの連中って、長さん以外は真ん中やるの上手くないよね…

山田:そーいえば、ドリフでやってる時は、みんなリラックスしてて楽しそうですもんね。

そんなブーさんにキャラクターを与えてあげようと長さんが考えたのが、雷様コントだった……
いつもワキに置かれて、スポットをあびることが少ないブーさんが、ふてぶてしく我が身の不満をいうコントだった。


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 子供の頃、僕たちをさんざん笑わせ、PTAからは目の敵にされたドリフターズ。そのメンバーのなかで、「誰かひとり要らない人を選べ」と言われたら、たぶん、最も票を集めるのは、高木ブーさんではないかと思います(と書きながら、仲本工事さんかも……という気もちょっとしてきたのですが、仲本さんの場合は、どちらかというと「目立たない」のであって、「要らない」という評価はされにくいかな……)。

 しかしながら、この高木ブーさんのインタビューを読んでみると、ドリフターズというグループの中での高木さんの「役割」の重要性がすごく伝わってくるのです。
 確かに、高木ブーは「主役」ではないし、「高木ブーがドリフの象徴」ではないのですけど、「高木ブーがいなけれど、ドリフは成り立っていかなかった」のですよね。
 『8時だヨ!全員集合』の番組打ち切り後や、いかりや長介さんが亡くなられたあと、『全員集合』時代ドリフターズのことについて書かれた本をかなりたくさん読んだのですが、「舞台裏のドリフターズは、けっして『仲良しグループ』ではなかった」ことは事実のようです。
 リーダーであり、大部分のコントを作っていた(そして、ギャラの取り分も多かった)いかりや長介さんと他のメンバーには「壁」があり、人気上昇とともに、メンバー間の確執も出てきました(「お笑い」の世界では、相方とプライベートでも仲良し、というほうがはるかに「特例」なのですけど)。
 そんな中で、高木ブーさんは、まさにドリフターズの「救護班」として存在していたのだと思います。御本人も仰っておられるように、ミュージシャンとしての実力もあり(ドリフのメンバーで、今でもプロのミュージシャンとして活躍されているのは高木さんだけです)、けっして、「何もできない人」ではなかったにもかかわらず、高木さんは自分のポジションを頑なに守ってきました。
 みんなが「自分が主役であること」を求める芸能界のなかで、「目立つことはできないけど、周りにそれとなく気配りをするという裏方」であることを受け入れ、そこに自分の存在価値を見出してきたという高木さんの存在は、まさに「異色」であり、個性派集団のドリフターズが長年続いてきたのも、高木さんの力が大きかったのではないでしょうか。
 また、そういう高木さんに、「雷様」という活躍の場をつくった、いかりや長介さんも優れたリーダーだったんですよね。いくら裏方に生きがいを見出したとしても、ガス抜きの場がなければどこかで爆発していたかもしれませんし。
 ちなみに大槻ケンヂさんの筋肉少女帯が『元祖・高木ブー伝説』でデビューしたとき、♪何もできない俺は まるで高木ブーだ!! という歌詞に高木さんの事務所は激怒し、抗議しようとしたそうなのですが、当事者の高木さんが「若いのが頑張ってやってるんだから、いいじゃない、別に」と擁護したために、この曲は「お蔵入り」にならずに済んだのだとか。

 たぶん、ドリフターズという特別な集団の中にいなければ、高木さんの「能力」はこれほどまでには活かされなかったと思いますし、ドリフターズにとっても、高木さんの存在があればこそ、「空中分解」を避けられたのでしょう。そういう意味では、「ドリフターズのメンバーに高木ブーがいたこと」というのは、まさにお互いにとって「最良の選択」だったのです。

 それにしても、【リーダーとか真ん中とかより2番とかがいいんだって。だから、ドリフの連中って、長さん以外は真ん中やるの上手くないよね…】というのは、まさに「慧眼」だなあ、と感じました。加藤茶さんも志村けんさんも、自分が仕切る役割のときはなんだか居心地が悪そうですし。
 志村さんが多くの番組でダチョウ倶楽部の上島さんのような「取り巻き」を従えているのも、「自分は仕切るタイプじゃなくて、周りからツッコミを入れてくれる人がいないと活かされない芸人なのだ」という自覚があるからなのかもしれませんね。



2008年02月06日(水)
川上弘美さんが「専業主婦に挫折した理由」

『阿川佐和子の会えばなるほど〜この人に会いたい6』(文春文庫)より。

(阿川佐和子さんと川上弘美さんの対談の一部です。2005年11月3日号の『週刊文春』掲載)

【阿川佐和子:小説を書き始めたのは?

川上弘美:SF研の雑誌をつくり始めたとき。雰囲気的には今とほとんど変わらないものを書いていましたね。ただ、若い者は自意識が強いので、恥ずかしくて読み返したくないです。

阿川:それ、残してありますか。

川上:あるんです(笑)。私、捨てないんです。『噂の真相』に載った嫌な記事とかもちゃんととってある。嫌なことがあればあるほどそれを見届けたい、というか。これはきっと小説家に向く資質だと思うんですけど。

阿川:私、向いてないわ(笑)。

川上:昔、あまりよく知らない男の子からもらった、「きみを殺すにはこういう方法でやる」などという変質的な手紙もとってある(笑)。あと50枚にわたる愛憎入り混じった、でもおもに罵倒のラブレターとかね。怖い、どうしてそんなものが来るんだろう。

阿川:知りませんよ(笑)。ラブレターもとってあるの?

川上:ほんとに大切なものはとってありますけど、どちらかといえば嬉しいものより変なもの、怖いものをとっておきたがるのかもしれない。

阿川:やっぱり変な人だよ(笑)。

(中略)

阿川:で、就職はうまくいかなくて。

川上:大学院も落ちて。さる出版社を受けたけど、「著者に原稿依頼の手紙を書け」という試験問題が出て、時候の挨拶を考えているうちに時間が終わっちゃって落ちて(笑)。

阿川:アハハハハ。

川上:父のツテで研究室に押し込んでもらったんですけどここでもさぼってばかりで。「小説を書いていきたいんです」と父に言ったら、「お前は行李いっぱい書いてみたのか!書き散らしてるだけでものが書けるはずがないんだッ!」と叱られて。

阿川:で、北の湖との結婚話が出たのね(笑)

川上:そうそう。でももちろん北の湖どころか誰と結婚するアテもなくて、2年ほど研究生しつつウロウロしてたら、友達が教員の口を紹介してくれて、中学・高校一貫の女子高の理科の教師になったんです。

阿川:先生業はどうでしたか。

川上:教えるのは嫌いじゃなかったけど、私、だめな人間なので、担任を持っても生徒のことを親身になって考える能力がないんです。いや、自分では親身になってるつもりなんですけど、考えも人生経験も足らないし、通り一遍のことしかできない。自己嫌悪に陥るばかりで。

阿川:先生が登校拒否になっちゃうような。

川上:時々、嘘ついて休んでましたよ。叔父が亡くなったっていうのを4回ぐらい使った(笑)。

阿川:叔父さん何人いるんだ(笑)。

川上:それで、この職業も向かないと思ってるところに、結婚してくれるという人が出てきて、おまけにすぐに転勤で名古屋に行くと。私のためにも生徒のためにもよかったァって仕事やめて(笑)。

阿川:逃げたい気持ちもあった。

川上:絶対あった、すごくあった。でも、そういう言い方は夫に失礼ですね。結婚したのは単純に夫が大好きで、一緒にいたかったからです(笑)。

阿川:旦那様と知り合ったのは?

川上:大学時代に、同じSF研の仲間だったんです。

阿川:結婚なさってからは、ご主人の転勤にくっついて……。

川上:4、5ヵ所行ったかな。専業主婦は自分に向いていると思っていました。主婦の仕事って家事よりもむしろマネージメントがメインでしょう? お金のことを含めて家庭を回していく。

阿川:やったことないから、わかんない(笑)。

川上:今はものすごい丼勘定ですけど、当時は家計簿もバッチリつけて、来月の予算とか1年の予算を組んだりするのが面白くて。だけど、子どもの友達のお母さんと付き合わなくちゃならなくなって、また挫折しちゃったんです。

阿川:あれは大変そうよね。

川上:でも、私、団地の子ども会の仕事とか、幼稚園の学級委員とかどんどんやってたんですよ。仕事になっちゃうのはいいんです。もっと微妙なお付き合い、おうちに呼ばれたり、呼び返したりみたいなことがひどく苦手で。

阿川:主婦は社交が仕事ってとこがありますからね。

川上:そう、それ。で、苦手意識に押しひしがれたところから出てきたのが、デビュー作になった『神様』という短編なんです。】

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 この対談を読むと、川上さんにとって、「小説家」というのは、まさに「天職」だったのだな、という気がします。というか、女子高の先生、しかも国語ならともかく、理科を教えていたことがあるなんて!どんな先生だったか、この対談を読んでいるとなんとなく想像はつきますし、生徒たちにとっては「なかなか面白いお姉さん」だったのではないかとも思うのですが、御本人にとっては、かなり辛い体験だったみたいです。

 僕がこの「小説家になるまでの川上さんの職業遍歴」を読んで感じたのは、「どんな職業でも、外から見たイメージと、実際にその仕事についてから必要とされるスキルというのは、けっこう違うものなのだな」ということでした。「親身になる能力が足りない」なんていうのは、なんとなくわかるような気もするのですが、それはむしろ川上さんが「本当に親身になっていない」ということを受け入れられない、自分に嘘がつけない人だというだけではないか、とも思うんですけどね。

 なかでも「専業主婦」というのは、「とりあえず家事をキチンとやって、家計をしっかり管理して、とにかく家の中のことをしっかりやればいい立場」だと僕は考えていたのですが、実際に「専業主婦体験」をしてみた川上さんにとっては、主婦こそ「社交が仕事」のように感じられたのだそうです。
 もちろん、外界との付き合いを極力絶つようなやり方を貫いている人だっているのでしょうが、そういう家は、事件が起こったときに、ワイドショーで近所の人に「あの家の人は道で会っても挨拶もしない」なんて言われてしまいますし、子供に友達がいれば、普通は「子供の友達のお母さん」を無視するわけにはいかないはずです。
 仕事として役割が決められている状況なら、他の人と接するのもそんなに苦痛じゃないけど、「付かず離れずみたいな微妙な関係を自分で距離を測りながら続けていく」というのがけっこう辛いというのは、僕にもなんとなくわかるんですよね。

 たぶん、世の中には、「サービス業に疲れたから、専業主婦になりたい(あるいは、なってしまった)」っていう人も少なくないと思うのですが、実際は、「家のことだけやっていればいい」なんて簡単なものではないのです。まあ、こういうのって、どの職業でもそうなのかもしれません。
 学校の先生も「授業をやって生徒と接しているだけじゃない」し、医者だって、「患者さんを診て病気の治療をしているだけじゃない」。結局、どんな職業も、最後にモノを言うのは「コミュニケーション能力」なのかもしれないな、と考えると、僕はもう暗澹たる気持ちにさいなまれるばかりです。

 それにしても、川上さんのところに来た数々の「ヘンな手紙」のエピソードを読むと、小説家になれるような人というのは、こういう体験を呼び寄せる何かがあるのではないかと考えさせられますね。



2008年02月05日(火)
「私が文章書きになれたのは、”夢”を持ち続けていたからではない」

『社会派くんがゆく! 復活編』(唐沢俊一、村崎百郎共著・アスペクト)より。

(「あなたには夢がない」と妹になじられた浪人生が、その妹を殺害した「幡ヶ谷女子短大生殺害事件」が起こったのは2006年の12月。
 その事件を受けて、「夢」について唐沢俊一さんが書かれた文章の一部です)

【「自分には夢があるから」と考えている大半のバカ共にあえて言う。お前らの持っている夢なんて、まずほとんどがクズである。単なる有名人志向、タレント志向、でなければ、自分の中の(まだどこにあるか自分で発見もしていない、あるかどうかの保証もない)才能ひとつで楽に稼げる商売になれたらいいなあ、とぼんやり考えているだけのナマケ病に過ぎない。好きなことをやって、稼げて、人にあこがれられて、などという生き方は、それこそ100万人に1人、1億人に1人の才能の持ち主にのみ許されていることで、自分がはたしてそれほど衆に秀でた才能の持ち主かということは、何も長く生きて考察するには及ばない。中学・高校で思春期を迎えたあたりではっきり分かるものである。何も大才能の持ち主しかこの世に存在が許されないわけではない、中才能小才能、それぞれに使い道はある。一方でそんな才能といったあやふやなものに頼らず、世間に出て手堅く己の分の中で生活を固めよう、という選択肢も当然のことながらある。昔は中卒で親の店を継ぐ、などというクラスメイトは”オトナである”と尊敬のまなざしで見られたものである。いまでも、クラス会に出て、最も幅を利かせているのはそういう連中だ。彼らの、中学卒業時の選択――夢なんてものにあこがれない――は、ちゃんと成功している。なればこそ、昔はそのあたりの時期に進路指導をして、将来のことを自分で決定させたのである。いまはその時期の進路指導が無きに等しくなり、猫も杓子も上級の学校に進みたがるようになった。人生の選択、要するに自分の才能への見切りのつけかたを先のばしにするようになった。ここらが諸悪の根源である。

 自分をバカの例にとるのもナンであるが、私がそういう”夢”の犠牲者であった。親が薬屋で、自分もその道に進んでいれば四海波静か、何の問題もなかったものを、たまたま、文章書きになりたいなどという夢を抱いてしまったが故に、二十代前半の時期を、まず”地獄というのはこういうことか”という状況で過ごさねばならなかった。この犯人とは違って薬大には一応籍を置けたのだから、クスリを売ってもそこそこの才能はあったといまでも思うのだが、”夢”ジャンキーだった私は、文章にこそオレの生きる道はある、と信じて、一切そんな勉強はせず、同人誌を作ったり、演劇のほうに走ったりして、両親とぶつかり、親戚からはアホウ扱いされ、人生の貴重な時間を無駄にしつくした。よく「でも結局文章書きで身を立てられたのだから夢をかなえたことになるんじゃないの?」などと言われるが、そんな甘いものではない。時間が経つにつれて、自分に、そんな才能がないことは明らかになっていく。悪いことに、その”現実”から目をそらせていられるほど私は”弱く”なかった。ならば、せめて夢を抱いたまま死のうと、同じく夢アーパーな女と心中を企てて突発的に大阪へ逃げたこともある。このときは旅先でその女と大ゲンカして結局、死ぬこともできず、お好み焼きを食って帰ってきたが、薬学の勉強を強制されたことの恩恵で、自死ができるクスリに関しては詳しくなったから、いろいろ手を回して入手したその薬品を常に手元に置き、いつでも死ねる準備はそれからも怠りなくしていた。その頃の自分の写真はほとんど手元に残っていない。いま見ても死相というか狂気の相が表れていて、見るだにゾッとするのである。「青春をもう一度やりなおしたい」とか言うヤツがいるが、私に関して言えば死んでも御免こうむりたいというのが正直な気持ちだ。私が実際に物書きになるのはその後、”夢”は捨てたものの真面目に勉強もしなかったツケで薬屋にもなれず、さてこの先どうしたものか、とあぐねていたところで、”商売”として文章書きを選択してからだ。夢を捨てた後の文章書きだったから、仕事さえあって金が入れば何の文句も言わず、アダルトビデオ紹介記事であろうと鬼畜雑誌系のコラムであろうとハイハイと引き受けた。地道にそういう仕事をこなしていったおかげで、ある程度そういう知識もたまり、業界に名も売れ、村崎百郎なんて友人もでき、なんとかかんとか、現在まで口を糊することができている。私が文章書きになれたのは、”夢”を持ち続けていたからではない。”夢”を捨てて、生き延びる方法を真剣に考えたからなのである。”夢”の麻薬性の怖さは身をもって知っている。】

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 唐沢俊一さんにこんな「過去」があったなんて、僕は全然知りませんでした。人気番組『トリビアの泉』のアドバイザーとしても活躍していて、古本好きで猟奇事件のエピソードやマニアックな知識を集めて生きている好事家、という僕の唐沢さんのイメージは、これを読んでかなり変わったような気がします。

 唐沢さんに対して、「自分の好きなことをやって有名になれてお金も稼げているんだから、羨ましいかぎり」だと感じている人も少なくないと思うのですが、唐沢さん自身にとっては、けっして現在の状況というのは「夢を実現した」とは言いがたいもののようなのです。同じ「物書きとして生きている」ように見えても、「夢を追うために書くこと」から、「食べていくために商売として書くこと」への大きな転換が唐沢さんにはあったんですね……
 これは、傍から見ると「同じ物書き」であっても、本人にとっては、かなりの「挫折」だったのではないでしょうか。

 しかしながら、唐沢さん自身にとっての唐沢俊一は「村上春樹になれなかった男」であったとしても、世間には「唐沢俊一にさえなれなかった男」が数え切れないほどいるというのもまた事実なのです。そして、世間の人々がみんな「身の程を知ってしまう」ようになったら、世界を動かしたり、みんなを楽しませてくれる「特別な人間」は存在しなくなってしまいます。
 結局のところ、多くの「勘違いしている人」が頂上を目指して上っていくなかで、最終的に生き残ったのが「本当に才能があった人」ということであって、実際は土俵に上がってみないとわからない部分ってけっこう大きいのではないかとも思うのです。あのイチロー選手だって、高校時代にオリックスに指名されたときは「ドラフト4位」だったのですから。

 もちろん、野球選手で言えば、ドラフトで指名され、プロに入れるということそのものがひとつの「偉業」なのですが、その中でもまた競争があり、スタープレイヤーとして生きてけるのは、そのまたごく一握り。学生時代不動の4番、チームのエースだった選手たちが集まれば、やっぱり、みんなが「主役」ってわけにはいきません。ワンポイントリリーフとか、守備固めに「活路」を見出さざるを得ない選手もたくさん出てきます。そしてもちろん、「プロでは全く使い物にならなかった」選手もいるわけです。
 まあ、基本的に「夢」なんて、追いかけはじめたらキリが無い。スポーツ選手や作家だけじゃなくて、大企業に入ったり官僚になったり、医者や弁護士になったりしても、その世界のなかで競争があり、大部分の人には、自分が「普通のエリートサラリーマン」「普通の医者」であるという現実を受け入れなければならないときがやってきます。

 この話を読んでいて、僕は「夢に溺れること」の怖さをあらためて考えさせられました。たしかに、「才能の無い人間」にとっては、「分をわきまえて生きる」ほうが幸せなのかもしれないな、とも思います。

 しかしながら、有史以来、「若者が夢に憧れることを許される時代」というのは、本当にごくごく限られた期間だけなのだ、とも思うのです。そういう時代に生まれた人間に、あえて、「才能も無いのに夢なんてみてもしょうがないだろ?」と言ったとしても、やっぱり、それはなかなか「受け入れがたいこと」ではないでしょうか?
 そういえば、僕の父親はよく、「昔はバナナを1本丸ごと食べるのが夢だったんだ」と言って、子供の頃の僕にバナナを食べさせてくれたのですが、正直、当時の僕は「バナナなんていつでも食べられるから、ケーキにしてくれないかなあ……」と内心その「いつもの話」に食傷していたんですよね。

 人間の欲望っていうのは、そう簡単に「後戻り」してはくれません。それこそ、戦争や大飢饉でも起こって、「バナナすら手に入らない時代」になれば、話は別なんでしょうけど……



2008年02月02日(土)
「世界一のセールスマン」スティーブ・ジョブズ

『iPodをつくった男』(大谷和利著・アスキー新書)より。

(現アップル社CEO・スティーブ・ジョブズが、(1985年にアップル社を追放されたあと紆余曲折を経て)1996年にアップル社に復帰した際に最初に行った「大仕事」の話)

【世間の一部で犬猿の仲と思われているマイクロソフト社のビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズは、もちろん最大のライバル同士であはあるのだが、かつては酔っぱらったゲイツがジョブズの家にイタズラ電話をかけたりしたこともある旧知の関係で、最近もウォールストリートジャーナルが主催したD5というイベントに2人並んで出演し、過去を振り返りつつも、熱く未来への展望を語っている。
 話を戻せば、ジョブズがアップル復帰後の最初の大仕事としてマイクロソフト社を訪れたとき、交渉の相手として出てきたのは、やはりゲイツだった。もはや風前の灯とも言えた当時のマックを製品として存続させるには、マイクロソフト社が次世代OS(後のマックOS X)にもオフィス製品を対応させてくれることが不可欠だった。
 開口一番、ジョブズはゲイツにこう切り出した。「ビル、君と僕とでデスクトップの100%を押さえていることになる」。ここで言う「デスクトップ」とは、パーソナルコンピューター製品のことを指す。確かにジョブズの言葉は嘘ではないが、これではあたかもウィンドウズとマックOSが五分五分の関係にあるかのように聞こえる。多少大目に見ても六分四分か、百歩譲っても七分三分が良いところだろう。しかし、当時のシェアは、ウィンドウズが97%で、マックOSは3%に過ぎなかった。
 これには、さすがのビル・ゲイツも驚いた。そして、マイクロソフト社としては、まだ普及するかどうかもわからないアップル社の次期OSにコミットする気はない、と突っぱねようとした。しかしジョブズは、さらに畳みかけるように、前にコミットしたときにはずいぶん良い思いをしたではないかと、ゲイツの痛いところを突いた。それは、ゲイツが発売前の初代マックを見て夢中になり、最初のエクセルをマックのOS向けに開発して、後のオフィス帝国を築く礎になったことを指している。
 結局、ゲイツはジョブズの要求を飲むはめとなって、こうつぶやいたのである。「彼は世界一のセールスマンだよ」。
 この会談の結果、97年にボストンで開催されたマックワールドエキスポでは、アップル社とマイクロソフト社の歴史的な提携が発表された。アップル社との関係をさらに強化するため、マイクロソフト社が同社に1億5000万ドルを出資して、議決権のない株を収得するというのだ。ジョブズのキーノート・プレゼンテーションの最中にスクリーンにゲイツの姿が現れ、会場からはブーイングも起こった。
 コンピューター業界の事情に疎い日本の大手新聞社は、この出来事を「マック白旗」といった見出しで紹介。そして他の大多数のマスコミもゴシップ的な興味で飛びつき、マイクロソフト社がアップル社を買収したとか、アップル社がマイクロソフト社の軍門に下ったような記事を書いた。だが、現実には株取得と言っても全アップル株式の5〜6%にしか相当せず、議決権もないため、買収とはほど遠い話だった。】

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 もしこのとき、ビル・ゲイツが断固としてマックのOS Xへのオフィス製品対応を拒絶すれば、確かにマックは「息の根を止められていた」かもしれません。
 あの時期に、「オフィス製品がマックでは使えない」ということになれば、ビジネスユースのマックユーザーたちの多くは、ウィンドウズに乗り換えざるをえなかったでしょうし。
 しかしながら、マイクロソフトにとっては、この時期「オフィスをマックに対応させる」ということには、あまりメリットは無かったはずなんですよね。
 シェアが圧倒的に少ないマック版は、開発費や手間のわりに大きな売り上げは見込めないでしょうし、この段階では多少の利益が出たとしても、将来のことを考えれば、いっそのことここでマックを潰したほうが、今後「マック版を開発する手間」も省けます。

 このスティーブ・ジョブズの「世界一のセールスマン伝説」を読むと、まさに「不可能を可能にした」ジョブズのすごさに圧倒されてしまうのですが、その一方で、僕はこんなことも考えてしまうのです。

 「なぜ、ビル・ゲイツは、ジョブズのこの『理不尽な要求』を受け入れることにしたのだろうか?」と。
 ジョブズがどんな素晴らしいセールストークをしたとしても、この要求が「マイクロソフト社にとってプラスになるとは思えない」ですよね。
 ということは、結局のところ、ビル・ゲイツを動かしたのは、「情」の部分だったのではないかと。もともと親交があったという2人ですし、ビル・ゲイツは以前、マックというコンピューターを手放しで賞賛していたそうですから、もしかしたら、「マックを潰したくなかった」のは、ビル・ゲイツのほうだったのではないかと僕は考えてしまうのです。
 いやまあ、もしかしたら、ジョブスは外部の人間には想像もつかないような「切り札」を出したりしていたのかもしれないけれども。ビル・ゲイツの若い頃の「失敗談」をばらすぞ、と脅していたとか(笑)。
 結局、どんな大きなビジネスでも、最後にモノを言ったのは「人と人との情」ということが少なくないのかもしれません。それが周囲に知られているかどうかはともかくとして。

 そういえば、僕もここで紹介されている提携のニュースを聞いて「マックも終わったな……」というような感慨を抱いた記憶があります。こういう、ニュースを読んだだけでわかったつもりになっていたことって、この話に限らず、今までにもたくさんあったのだろうなあ……