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2006年02月28日(火) ■ |
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「お前は何を言ってるんだ!」とキレてみるのも一興 |
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「ハンバーガーを待つ3分間の値段〜ゲームクリエーターの発想術〜」(齋藤由多加著・幻冬舎)より。
(『問題のすげかえ』という項より)
【人間が(しっかりとした理由もないのに)うしろめたさを感じてしまうという心理的な効果を『シーマン』で応用したことがあります。 『シーマン』はそもそも音声認識という未完成な技術を使っているゲームです。 目新しさのアピールもあって、試作品が出来上がった時点で発売元が話題作りを目的としたイベントを都内の大型水族館で催したことがありました。 館内に展示されたプロトタイプが動くテレビの横には、マイクとともに「話しかけてみてください」という表示があり、来館者が興味深げに画面の中の奇妙な魚に向かっていろいろと話しかけるようになっているわけです。 相手が言うであろう言葉をあらかじめ想定して入れ込んでおき、それぞれに対応するようになっていました。もし相手の音声が聞き取りにくく言葉として認識できないときは、 「え? 今なんて言った?」 「よくわからないぞ、もう1回言ってみて」 などと、認識できるまで聞きなおすように作られていたのです。 本来、この反応はユーザーにどういう状態かを知らせる、という意味でソフトウェアのメッセージとしては正しいもののはずでした。 ところが実際は、このセオリーがあだとなってしまったのです。 というのも来館者が語ってくる言葉というのは好き勝手放題で、こちらが想定していたものとはまったく違うものばかりだったため、ほとんどが認識できない言葉となってしまったのです。かわいそうなシーマンは、 「え? 今なんて言った? もう1回言ってみて」 「うーん、もう1回言ってみてくれ」 などと繰り返すばかり。 そんなシーマンが来館者にとっておもしろいはずがありません。多くの人が不満そうに、 「こいつバカじゃん!」 と言って、機械を蹴飛ばさんばかりに怒って立ち去ってしまったのです。 そういう光景をずっと観察していた私は、かなり落ち込みました。 池袋から山手線に乗っている間、どうしたらこの状況を解決できるか、あらゆる手立てを考えました。 認識できる言葉を増やすと認識率は下がる一方です。できることといえば、ユーザーにもっとわかりやすい言葉で話しかけてもらえるように働きかけることぐらいしかありません。 ですが、『シーマン』はゲームですからビジネスソフトのように説明をあれこれ入れてしまってはユーザーは完全に興ざめしてしまいます。残された時間はごくわずか……。 原宿駅で降りるまでのわずかな時間で決断したこと、それは、今にして思うとギャンブルに近いことでしたが、次のようなものでした。 音声が認識できない理由をユーザーに責任転嫁してしまおう、と。 つまり、認識できない言葉が続くとシーマンは怒った口調で、 「おまえの言葉、何回聞いてもわかんねぇよ! つまんないから帰るわ。バイバイ」 と不愉快そうに言い放ち、水槽の奥のほうに去ってしまう……。 認識できない原因が一方的にユーザーのせいであるとしてしまうわけです。 脅しにも似たこのとんでもないアイデアを入れた結果、ユーザーの反応はそれまでとはがらっと変わりました。 「……ごめんね、シーマン」 「おーい、お話しようよ」 「ねぇねぇ、シーマンてば」 「こっちおいでよ」 まるで赤子をあやすように、人はなるべくわかりやすい言葉をゆっくりと話すようになっていったのです。 こういうわかりやすい言葉はすべて認識できるようにしてありましたから、そうこうするうちに「……わかりゃいいんだよ。俺だって好きでお前に飼われているんじゃないんだからな、しっかり話してくれよ……」、そう愚痴を言いながらしぶしぶシーマンは戻ってくる……。 この反応の変化にスタッフは驚いたものです。何せ技術的にはまったく変わっていないのですから……。 このアイデアが功を奏したおかげで、世界初の音声認識会話ソフト『シーマン』は、認識率が低いというレッテルを貼られずに済んだのです。その代わりに、「気難しいペット」あるいは「口の悪いペット」というレッテルを貼られることにはなりましたが……。】
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ちなみに『シーマン』とは、こんなソフトです。たぶん、「どこかで見たことあるなあ」という方も多いのではないでしょうか。 『シーマン』の開発者である齋藤さんのこの文章を読んで、僕はけっこう驚きました。あの『シーマン』の「気難しさ」は、開発者側が狙ってそうしたものだと思っていたのに、実は「気難しくせざるをえなかった理由」というのがあったなんて。 この前半部を読んでいて、ユーザーたちに「バカ」呼ばわりされるシーマンをずっと観ていた齋藤さんの辛さが、僕にも伝わってくるようでした。自分が手塩にかけて作った「音声認識会話ソフト」が、目の前で罵倒されまくっているのですから。 「そんなわけのわからないことを聞くんじゃなくて、もっとちゃんとしたことを聞いてくれよ、お前のほうがバカだろ!」と言いたくもなりそうです。そもそも、そういう場で「試す」人はみんな、「これはわかんないだろう」というような言葉を選ぶものだと思われますし。 しかしながら、そこで、「認識できる言葉を増やすと認識率は下がる」し、いくら認識できる言葉の数を増やしても、結局はみんな「わからない言葉探し」を始めてしまうはず。本当に、どうすればいいんだろう?という状況ですよね。 でも、ここで齋藤さんが考えた「方法」というのは、まさに驚くべきものでした。「認識できる言葉をユーザーに喋らせるにはどうしたらいいのか?」という、逆転の発想で、齋藤さんは賭けにでたのです。 僕も『シーマン』をやっていたのですが、シーマンは画面の向こうの僕たちに対して、いろいろな言葉を投げてきて、ときにはへそを曲げて返事をしてくれなくなったり、水槽の奥に行ってしまったりします。そして、そういうときの僕の反応は、まさにここに書かれているように「どうやったらシーマンはわかってくれるんだろう?」と、「シーマンにわかりやすいように自分の話しかけかたを変える」というものでした。そう言われてみると、「どうしてこの言葉がわかんないんだよ!」とユーザーである僕がキレても良さそうなものなのですけど。 そういえば、僕はだいたい誰かとケンカすると、だんだん「あれは自分が悪かった、あるいは悪い面があったのでは…」と、どんどん自省モードにシフトしていく性質なのですが、これを読むと、そういう人間は、僕だけではないのですね、きっと。 もちろん、万人が「自分のほうが悪いのかな…」と感じるわけではないと思うのですが、「なんでも受け入れてくれそうな優しい人」に対しては、「これでも何も言わないのかよ!」と攻撃的になりがちなのにもかかわらず、「聞く耳を持たないわがままな人」に対しては、かえって相手の顔色をうかがってしまったりしがちなのも事実。 僕はテレビとかで「ヒモのパチスロ男に一方的に貢がされている女性」を見て、「こんな男のどこがいいんだ!」なんて憤ってしまいがちなんですけど、ああいうのも、男のほうに「お前が悪い!」なんて言われたら、「そうかなあ…」なんて考えてしまう人が多いということなのかもしれません。あの「催眠術ハーレム男」とかも、きっとそんなふうにして人の心を操っていたのではないでしょうか。 たぶん、「同じだけの知識」を持った人でも、その「見せかた」で、世間の評価というのは全然違ってくるのだろうなあ、とも思います。「自分が知っていることだけを大声で決めつけて喋って、他人の話を聞かない人」というのも、当事者以外にとっては、けっこう「頭が良い人」に見えているのかな……
〜〜〜〜〜〜〜 付記:読みやすくなるようにレイアウトを変えてみたのですが、いかがでしょうか?
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2006年02月27日(月) ■ |
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「日本の国民に謝罪」なんてしなくていいのに。 |
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毎日新聞の記事より。
【トリノ冬季五輪日本選手団の遅塚研一団長(日本オリンピック委員会常務理事)と亀岡寛治総監督(日本スケート連盟理事)が26日、当地で総括会見を行った。「メダル5個」を目標に掲げながら、フィギュアスケート女子の荒川静香(プリンスホテル)の金メダル一つに終わったことに対して、遅塚団長は「厳粛に受け止めなくてはならない。最低の結果といえる。日本の国民に謝罪を申し上げる」と話した。 荒川の金メダルについては「日本のウインタースポーツに新たな1ページを加えた画期的なこと」と称え、「私を含めて選手団全員が救われた」と感謝した。そのうえで「成績不振については徹底分析しなくてはいけない。各競技団体には猛省を促したい」と厳しい表情で語った。 目標と現実がかい離した原因については、選手団編成の際の各競技団体との個別折衝で、見通しの甘い数字を報告されたと説明。「端的な例はスノーボード。メダルは確実と答申を受けた。きちんと情報収集して確実な情報を上げるようにしないと」と要求した。 日本オリンピック委員会(JOC)選手強化本部の情報戦略チームは比較的正確な分析を行っていたことを明かし「最悪の場合はメダルゼロだった。だが、悪い数字を目標にするわけにはいかない」と話した。 今後については「選手団のスリム化にも手をつけなければならない。国内で競争原理を導入し、戦う選手団にする」と、各競技団体の派遣総枠を絞り込む方針を示した。】
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今回のトリノオリンピック、荒川静香選手の女子フィギュアでアジア人としてはじめての金メダルなんていう偉業があったものの、日本勢の総括としては「低迷」と言わざるをえないでしょうね。あれだけ僅差の4位だった選手がいたのは、当事者たちにとっては、「あと一歩なのに…」と無念の思いが強いのだろうな、とも思うのですけど。スピードスケートの岡崎選手や及川選手やスキーアルペンの皆川選手なんて、3位だったらまさに「快挙!」だったでしょうに。1位と2位ならともかく、3位と4位にこれだけの差があるというのは、ちょっと残酷な気もします。 もっとも、今朝テレビで観たコメンテーターの人によると、「アメリカ人は、金メダル以外はどうでもいいと思っている」らしいので、「メダルにばかりこだわる日本人」が、一概に冷たいとも言い切れないのかもしれません。 ところで、この遅塚団長の【「厳粛に受け止めなくてはならない。最低の結果といえる。日本の国民に謝罪を申し上げる」】という言葉って、僕としては「そこまで大仰にならなくても…」とも思うんですよね。そりゃあ、選手の派遣費用は税金でまかなわれているとはいえ、「オリンピック」というイベントは戦争じゃないんだし(でも、サッカーとかだと、「ワールドカップは戦争だ!」とか言う人が出てくるのには僕は閉口してしまうのですが)。僕自身、いわゆるウインタースポーツを観る機会って、せいぜい冬の日曜日にときどきやっているスキージャンプを「飛んでる飛んでる」とか言いながらボーっと眺めているくらいのものですから、日ごとから熱心にサポートしているわけではないですしね。
むしろ、雪の多い地域を除いては、けっして日常的な競技ではない冬のオリンピックなのに、日本人にこれだけ世界レベルの選手がいるというのは、すごいことなのかもしれません。フィギュアなどのごく一部の人気競技の選手を除いては、オリンピックに出場するような選手でさえ、「お金がなくて競技生活を続けられない」なんて話もありますし、以前、ショートトラックでメダルを獲得した選手でさえ、「スポンサーがいなくて競技者生命のピンチ」だったというスポーツ新聞の記事もありました。人気競技であるフィギュアスケートだって、リンクを借りきって練習しなければならないことが多いわけですから、ものすごくハイリスク、ハイリターンの世界だし。 日本の場合、地元の長野オリンピックの際は、開催国ということでそれなりにお金をかけて強化していたみたいなのですが、「長野以降」は、なかなか次の世代の選手への世代交代が進んでいかないのです。そりゃあ、日本国内で人気がなく、お金にもならない競技が、4年毎のオリンピックのときだけ急に強くなるわけなんてないのです。 そういう意味では、あの女子カーリングチームが、あれだけ困難な競技環境のなかであそこまで健闘したというのは、まさに「偉業」でしょう。
それにしても、この「アテが外れたこと」を謝罪するというのは、なんだかちょっとヘンですよね。天気予報じゃあるまいし、メダルが獲れなくて無念なのは、観ている国民より選手団のほうに決まっています。国民は、ちょっと「失望」はしたでしょうけど、原田選手の失格や荒川静香さんの金メダルで僕の人生が変わるなんてこともないわけで。「みなさんは残念に思っているだろうけれど、選手たちはできるだけのことをしました」とか言ってはダメなのかなあ。 もちろん「国民が日頃から応援してくれないからダメだった」なんて、口が裂けても言えないだろうけど。 しかしこの「とりあえずスノーボードのDQNコンビをスケープゴートにしておけ!」みたいなのって、なんだかとってもみっともないし、「お祭り」なんだから、多少欲目でみてしまうのもしょうがないのかな、とも思うのですよね。そりゃありアルタイムで観ていて、メダル候補のはずの人がいきなりゴロゴロ転がってしまっていたりするとガッカリしますけど、予想通りにいかないのがスポーツの面白さなのだし。それに、こうやって選手のことをあれこれみんなで話したりするだけでも、その人なりに「オリンピックに参加し、楽しんでいる」ということなのだとも思うのです。そういう意味では、今回のオリンピックって、「語りたくなるところ」が沢山あって、けっこう面白かったのではないかなあ。 まあ、予測なんて、どんな場合でも「最悪の場合はメダルゼロ」に決まっているので、そんな予測が当たっても嬉しくもなんともないからなあ。 「がっかりした」と言う人だって、「がっかりできるくらい期待できるものがあった」というのは、決してマイナスじゃないですよね。それこそ、お金を賭けてたわけじゃないのだから。 それにしても、荒川選手の金メダルは、すべてを「浄化」してしまったような気がします。世の中というのは、本当にうまくできているものです。僕の心の中には、「メダルゼロのオリンピック」になってしまった場合の世間のリアクションを観てみたかったというような、ちょっとだけ残念な気持ちもあるのですけど。
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2006年02月26日(日) ■ |
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『DSトレーニング』で、本当に脳は「鍛えられている」のか? |
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「CONTINUE Vol.26」(太田出版)の記事「GAME OF THE YEAR 2005」より。
(ニンテンドーDSの人気ソフト「東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太監修脳を鍛える大人のDSトレーニング(以下、脳トレ)ついての話題。ちなみに、御存知ない方へ、『脳トレ』というのは、こういうソフトです)
【司会者:ここで、ひとつお聞きしたいのは、果たして『脳トレ』はゲームや否やということなんですが、この点はどうでしょうか?
志田:いや、これはゲームですよ。
多根:単純な計算も、連続して解いていくことによってゲームになり得るというか。
志田:僕、最初は脳年齢が50歳台だったんですよ。それが日々プレイしていった結果、20歳台までになったんです。ところが、続編(『もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』をプレイしたら、また50歳台に戻っていたんですよ。それで「これは脳を鍛えたんじゃなくて、単純にプレイの腕前が上がったんじゃないか」ということに気付いてしまった(笑)。
宮:こういうタイトルって、いろんな会社でネタとして持ち上がっていたと思うんだけど、それを商品に作り上げて、話題を作り上げて、話題を膨らませていった任天堂の戦略は上手いよね。DSのユーザー層拡大にも繋がっているし。】
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あの松嶋菜々子さんがCMでやっている、大ヒット中の『脳トレ』なのですが、僕も日々(というより、ときどき、かも…)トレーニングしています。まあ、やってみるとけっこう面白いし、確かに「ちょっと頭が鍛えられたような気分」にはなるんですよね。 でも、実際に『脳トレ』をやっていると、ここで志田さんが仰っているように、【これは脳を鍛えたんじゃなくて、単純にプレイの腕前が上がったんじゃないか?】という疑問が湧き上がってくるのも事実です。例えば、簡単な四則計算を100問なるべく速くやるというトレーニングについては、速く終えるのに必要なのは計算能力というよりは、「いかに速く字を書くか?」というテクニックであり、画面に表示される28個の3文字の単語(「きのう」とか「こいぬ」とか「おでん」とか)を2分間で何個記憶できるか?というトレーニングは、最初は一個一個ばらばらに覚えて自分の記憶力のなさに愕然とするのですが、「きのう、こいぬがおでんを食べていた」というふうに、「関連づけ」「意味づけ」すると覚えやすくなります。「脳そのもののを鍛えているというよりは、このような「高得点を挙げるためのテクニック」を身につけることによってテスト結果の「脳年齢」を上げているという感じで、「これって、『頭が良くなった』というより、『テストのコツを掴んだ』だけなのではないかなあ」とも思えるんですよね。もっとも、「効率良く記憶力を上げる」には、「脳そのものの力を鍛える」というより、この「関連づけ」のようなテクニックのほうが重要なのかもしれませんけど。でも、ほんとにあれで、脳は鍛えられているのだろうか?『もっと脳を鍛える』になるとまた逆戻りというような、応用のきかない「鍛えかた」に、意味ってあるの? まあ、大事なのは、「脳を鍛えたような気分になる」ということなのだろうし、そういうニーズが、このソフトがミリオンセラーになるくらいあるなんて誰も予想していなかったのではないでしょうか。それだけみんな「もっと頭を使わなきゃ」という危機感を抱いている、ということなんですよね。「敬老の日」のプレゼントに、ニンテンドーDSと『脳トレ』を贈った人も多いと聞きますし。 ただ、僕自身は、この『脳トレ』ですら、めんどくさくて最近なかなか手に取らなくなっていんですよね。誰か『持っているだけで脳を鍛えてくれるトレーニング』を開発してくれないかなあ……
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2006年02月25日(土) ■ |
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「ウチのしのぶじゃなければ長続きしたのに」 |
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「阿川佐和子のワハハのハ〜この人に会いたい4」(文春文庫)より。
(阿川佐和子さんと大竹しのぶさんの対談記事の一部です。大竹さんが、明石家さんまさんと離婚したときのことを振り返って。ちなみにこの対談は、2001年に行われたものです)
【大竹:さんまさんとは1年以上かけて話をして結論を出したから、そんなに険悪じゃなかったかな。でも、ハッピーではないですよね。1年ぐらいは、ほんとにこれでよかったのかとか、私がもうちょっと我慢したほうがよかったんじゃないかとか、すごく悩んでました。でも、時間が経つにつれて、これでよかったんだって思うようになったし、よく会うようになると、余計に「あ、こういうところが嫌だったんだな」って(笑)。
阿川:どういうところが嫌なの?
大竹:たとえば、バイキングに一緒に行くと、子どもとかおかまいなしに、どんどん自分で好きなもの取って来て食べ始めちゃうんですよ。それにいっぱい取ってくるから、息子が(優しい声で)「そんなに食べられないでしょう?」って言うと、(さんまさんの口調で)「ええやん、タダなんやから」って。「あ、こういうところが嫌だったんだ」と思った(笑)。
阿川:いいじゃん、そのくらい(笑)。
大竹:子どもも最近は、「ボスって、けっこう人の話聞いてないよね」とか言うから、私も「でしょ、でしょ、でしょう」って(笑)。「ああ、やっと分かってきてくれた」と思って。
阿川:野田秀樹さんとは何で別れちゃったんですか? 嫌なとこがあったの?
大竹:う〜ん、さんまさんにしても、野田さんにしても、私を裏切るとか、ホントに嫌いなところはなかったと思うんですけど……、なんかそうなっちゃったんですね。
阿川:「なんか」、ねえ。】
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ほんと、読んでいた僕も「いいじゃん、そのくらい」と思ってしまったこのエピソードなのですが、こういうことの積み重ねで愛情というのは揺らぐこともあるのだなあ、と考えると、おちおち、バイキング料理の店にも入れません。「元を取る」とか言って、高そうなものばっかり食べている姿がみっともない、とか思われるかもしれないし。 確かに、この「ええやん、タダなんやから」というのは、「子どもみたい」だし、「人のことも自分のこともわかってない」し、「食べ物が勿体ない」のですけど、たぶん、さんまさん自身にはそんなに悪気はなくて、家族でバイキングに来たイキオイで、ついつい取りすぎてしまっただけのことなんですよね。せっかく「食べ放題」なんだから!という気持ちは僕にもよくわかるし、それこそ、最高級レストランですら、お会計を気にせずに好きなだけ食べられるはずのさんまさんが、こんなふうに「バイキングで太っ腹になっている姿」というのには、むしろ、親近感すら感じます。でも、「あなたのそういうところが嫌だった」と言われると、些細なことだけに、かえってその亀裂は決定的なもののようにも感じられるのですよね。 もちろん、このエピソードだけが、別れの「原因」ではなくて、この件に象徴されるような、さまざまな「考え方、行動パターンの不一致」が積み重なったものなのだとは思いますが。 ただ、少なくともこの対談が行われた2001年の時点では、大竹さんとさんまさんは時々会って、子どもたちと一緒に食事に行ったりもしていたようです(それが、今でも続いているかどうかはわかりません)。もし、本当に別れてしまう前に、この「嫌なところの正体」がわかっていたら、なんとかなったのだろうか?とか、僕はつい考えてしまうのです。考えてみたところで、当事者であるお二人にだって、わからないことなのだろうけど。
ちなみに、お二人が別れた当時、大竹さんのお母さんは、「さんまさんはほんとにいい人で、ウチのしのぶじゃなければ長続きしたのに」とコメントされたそうです。 それでも、あのときのさんまさんは大竹さんじゃなければダメだったわけですから、縁というのは不思議であり、残酷なものですよね……
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2006年02月24日(金) ■ |
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「社会で子どもを育てる」という選択肢 |
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asahi.comの記事より。
【人口減に悩む福島県が、従来の「里親制度」を、人工妊娠中絶を減らし、出生率を高めるための施策として活用していく方針を決めた。新年度から新たに「里親コーディネーター」を配置し、出産を迷う妊婦らにも制度を紹介する。女性の「産む、産まない」の選択権が狭められないかなどの論議も予想されるが、同県は「中絶を考えている人に産んでもらい、社会で子育てを担いたい」としている。 里親制度は、虐待などで親との同居が難しくなった子どもを一般家庭で育てる仕組み。各都道府県が所管しているが、厚生労働省によると、出産前に制度を紹介するのは異例だ。 福島県によると、まず産婦人科医に依頼し、出産を迷う妊婦のうち希望者に里親制度など子育て支援策を紹介するパンフレットを配布。問い合わせに応じて児童相談所が詳しく説明し、出産後、実際に子育てが困難な場合には里親を紹介する。里親は、原則18歳まで育てる「養育里親」を想定している。 県は新年度当初予算に約2000万円を計上、新たに里親コーディネーターと心理嘱託員を4人ずつ雇い、児童相談所に配置する。コーディネーターは親と里親の間をとりもち、心理嘱託員は紹介後も継続して親や里親の心のケアなどを担う。 福島県の人工妊娠中絶実施率(女性の人口千人あたりの件数)は04年度で15.8。全国平均の10.6を大きく上回った。15〜19歳では17.7とさらに高率だ。一方で県の人口は97年の約213万人をピークに減り続け、今年1月1日の推計で約209万人に。 里親コーディネーターらの配置は、児童相談所の児童福祉司不足を補うのが目的だったが、予算案を詰める際に中絶実施率の高さを問題視する声が上がり、里親制度の幅広い活用が論議された。 川手晃副知事は「妊娠中絶を考えている人に『産む』という選択肢も提示した上で、できるだけ産んでもらい、社会で子どもを育てようというのが狙いだ。倫理的な問題を指摘する声があるかもしれないが、出生率の低下や中絶の問題は深刻だ」と話している。】
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確かに、こういう「選択肢」が存在するというのは、けっして悪いことではないのだと思います。でも、その一方で、ここまでして少子化対策をやらなければならないところまで来ているのか…ということに、正直、違和感というか、戸惑いを感じずにはいられません。この制度というのは、要するに、「とりあえず子供さえ産んでくれれば、後はなんとかするよ」ということのように思えるので。 それでも、世の中には欲しくても子供に恵まれない夫婦もけっして少なくないわけですから、中絶で失われてしまう命であるならば、この制度で世に生を受けたほうが「幸せ」なのでしょうか?まあ、生まれてこなければ、幸せも何も関係ないわけで、やっぱり、これはこれで意義のある制度なのでしょう。 しかしながら、その一方で、産んだ側としては、いくら「社会で子どもを育てる」と言われたところで、この世界のどこかに「自分の子ども」がいるというだけで、やっぱり心のどこかにずっと引っかかっている面はあるでしょうし(それは、中絶でも同じなのかもしれませんが)、ひょっとしたら、里親制度で経済的には問題なくても、そういう「産んだ後も続く精神的な苦しみ」のほうが大きいのではないかなあ、と感じるのですよね。それに「社会で子どもを育てる」って豪語できるほど、社会の側には子どもを育てようという意思があるのだろうか? それにしても、若者の堕胎って、都会のほうが多いようなイメージがあったのですが、福島のようなあまり都会ではなさそうな土地でこんなに高率だったとは意外でした。他にやることないのか?と同じ田舎者の僕には言えた筋合いではないのですけど。
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2006年02月23日(木) ■ |
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「肖像画ビジネス」のお客様 |
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「週刊アスキー・2006.2.21号」の『だってサルなんだもん』(いしかわじゅん著)より。
(いしかわさんたちが「ベンチャーフェアJAPAN2006」というイベントに行ったときの話です)
【ワタシが一番面白かったのは、肖像画ビジネスであった。フィリピンに絵画工場を造って、写真を基に肖像画を生産するのである。 絵を工場で描くってのがすごい。絵にしたい写真をもらって、それをネットを使って途中で手直ししつつ、1ヶ月で完成させるのだ。ファクトリーの写真も見たが、小綺麗な大部屋にイーゼルがずらりと並び、ほんとに工場である。向こうの美大と提携してるそうだが、描いてるのは学生ではないようだ。 「絵の具、薄塗りですねえ」 ワタシはブースにいた眼鏡の中年男に聞いてみた。 「そうなんです、厚く塗ると乾くのに時間がかかるんで」 「画風はみんなこういう写実的なものなんですか」 「日本では写実的でないとうけないんですよー」 やっぱり商売だからなあ、お客様は神様である。 「芸術的にならずに質を高めるように努力してます」 「これって、どういう需要があるんですか」 「最初は、地方自治体の偉い人とかを想定していたんですが、すぐ頭打ちになってしまって、現在一番多いのは、ペットの絵ですねえ」 絵としてはヘボヘボであるが、こういう油絵が高級だと思っている人は多いだろうから、けっこう需要はあるんだろうなあ。いろんなこと考える人がいるもんである。】
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ちなみに、いしかわさんによると「全体に、ベンチャーはわりと地味」だったそうです。おそらく「王道」みたいなやつは、すでに誰かがやっている、ということなのでしょうね。 しかし、こんな「肖像画ビジネス」っていうのがあるなんて、僕は全く知りませんでした。「写実的なもの」を求めるのなら、それこそ「写真撮ればいいのに…」と僕などは思ってしまうのですが、実際は「肖像画を残せるくらい偉い人になった気分」を味わいたい人のほうが多いのかもしれません。現代では、ナポレオンや織田信長のように「肖像画の写真が後世の人々にとっての『本人像』になる」なんてことはないでしょうし、ヘタに美化した肖像画を残しでもすれば、写真と比べられて周囲の失笑を誘うのみ、という事態すらありえそうなのですが。でも、わざわざフィリピンで作ったほうが安くできるのか、肖像画って。 それにしても、現在一番多い注文が「ペットの絵」だというのはかなり意外に感じられました。それこそ、「写真やビデオじゃダメなの?」という感じです。ペット側としても、人間以上に「肖像画を残すという優越感」なんて持っていないでしょうから。一般的にペットの寿命は人間よりもはるかに短いとはいえ、本当に、愛好家にとっては、「王様」なのですね。 まあ、どんなに下手に描かれても、ペットは文句言わないだろうから、いいお客様ではあるのでしょうけど。
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2006年02月22日(水) ■ |
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実録!「ライブドア関連株」を持っていた男 |
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「パチンコ必勝ガイド 2006.3.16号」(白夜書房)のコラム「カブボロ」(グレート巨砲・文)より。
【半年前から株をやってました。相場なりに儲かっていたけど、いろんな銘柄を買っていると、よっぽどのことがない限り1日の値動きは1%前後。思ったよりシケたギャンブルだな〜と思って、株の入門書ではたいてい「素人は手を出しちゃダメ」と書かれている信用取引に手を出してみた。 信用取引について説明すると、株や現金を担保に証券会社から株を借りての取引をすることで現金の約3倍の取引ができる。つまり勝つときは3倍だけど、負けるときも3倍速なわけ。さらに、いろんな株を買ってると1日の値動きは相場なりになるからってんで、銘柄を絞って購入。するとどうだろう。オデの買った銘柄がラッキー・チャチャチャなことにグイグイ上がっていくわけ。パソコンの画面をクリックするたびに画面のお金が増えているんです。「これは株で食っていけるんじゃねぇの?」と思ったところで、そうみなさまお待ちかねのライブドアショックですよ、ええ。 ごっそり持ってましたよ、ライブドア関連&新興銘柄(あくまで関連で本体は持ってない)。いや〜、勝つときも早いけど、負ける時はもっと早い。もう、雪崩をうって画面のお金が減っていくわけですよ。で、証券会社からはお金を入れないとピンチですよ。相談したいことがあるので電話くださいってメールがくるわけですよ。うっさい! 売りたくても取引が成立せんのじゃ、ボケ! 幸いオデの株は相当安いときに買ってたので、4日目に元の値段くらいで売れてどうにかなった(ホントはなってない)んだけど、株で首をくくるメカニズムがわかったよ。信用取引、超危険です。入門書、良いこと書いてるね。うん。 値段がついた後、、ふと鏡を見たらあれ、なんかオデ痩せてない? 値段がつくまでの間は毎日、胃がキリキリで痛みを紛らわせるためにパクパク、パクパク食ってたんだけど、体重計に乗ったら4キロ減ってたよ。しかも、その後おしっこしたら尿に赤いモノが交じってるし…弱いぜ、ヒューマン。そして怖いぜ、株。こうやって書いてる間も思い出して、胃がキューッ!ってなってきたよ。】
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いや、がんばって稼いだお金を銀行の普通預金口座に預けていても、何回か時間外に自分のお金を下ろせば消えてなくなるくらいの「利子」しかつかないような時代ですから、僕も「投資」とかをちょっと考えてみたりもしていたのです。あの「ライブドアショック」に関しても、不躾ながら、正直「あんな胡散臭そうな企業の株なんて買うから…」なんて他人事のように感じていました。でも、実際にそれを「体験」してしまった人のこの文章を読んでみると、やっぱり株というのは、僕には向かないというか、手を出さないほうがいいシロモノだなあ、と痛感したのです。ネット取引の増加などで、昔より身近になっている印象があったのですが、身近なだけに怖い面もかなりありそうです。 「株」っていうのは、「安定している企業の株しか買わない」ならば、そんなに大きなリスクはないのかもしれません。でも、それだとせいぜい1日1%の「相場なり」の値動きしかないのですよね。それでも銀行の預金の利子に比べたら、うまくやればはるかに儲かりそうなのですが、確かに「株で億万長者!」というイメージよりは「しけたギャンブル」とか感じてしまいそうです。でも、「大きく儲けよう」と思うと、今回のライブドア事件のような「暴落」のリスクも抱えなければなりません。
【もう、雪崩をうって画面のお金が減っていくわけですよ。で、証券会社からはお金を入れないとピンチですよ。相談したいことがあるので電話くださいってメールがくるわけですよ。】という体験談を聞くと、当事者にとってはすごいパニック状態だったのだ、ということがよくわかります。僕はライブドア株の暴落の際に、みんがあんなに日々安くなっていくのにライブドア株を売っているのを見て、こんなガンガン下がっているときに二束三文で売ってしまうよりは、むしろ、今は動かないで一発逆転に賭けたほうがマシなんじゃないか、とか、こんなに安くなっているのなら、今こそが「買い」なのではないか、とか考えていたのですが、ライブドア株を持っている当時者にとっては、その「どんどん画面のお金(=自分の資産)が減っていく状況」そのものに耐えられなくなってしまうのですよね、きっと。
「株は簡単になった」って言いますけど、取引そのものが簡単になっても、株そのもののリスクが軽減されたわけではないみたいです。片手間にひと稼ぎ、なんて甘くみていると、とんでもないしっぺ返しに遭うような…… 研究熱心で本気で取り組む気概がある人以外は、せいぜい、好きな会社の株を特典目当てに買うくらいにとどめておいたほうがよさそうですね。
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2006年02月21日(火) ■ |
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「どうしてハイジは、お山が火事よ、と言ったのかな」 |
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「はじめてわかる国語」(清水義範著・西原理恵子・絵:講談社文庫)より。
(大学の教育学部の学生だった清水さんが、教育実習に行ったときのエピソードです)
【大学二年生になって、今度は小学校へ、三週間教育実習に行った。私は国語科の、小学校課程の学生だったので、そっちのほうが専門で、期間も長いのである。 小学校では、国語の授業だけをすればいいのではない。算数も社会科もやり、音楽の授業ではオルガンをひいて歌を歌わせた。 でも、国語の授業が中心ではあった。私は四年生のクラスに配属されたのだが、四年生がちょうどその時国語で習っていたのは、小説の『ハイジ』だった。ただし、例によって教科書に『ハイジ』の全編が載っているはずはない。教科書で読む『ハイジ』は、アルプスの山で生活するようになったハイジが、そこでの暮らしに驚きながら、おじいさんと話をしたり、羊飼いのペーテル(訳本によってはピーター)と仲良くなったりする部分だ。 『ハイジ』なら、むずかしい問題もあるまい、と思って私は授業をした。普通にはできたと思う。 ところが、現役の先生の授業を見学して参考にする、という企画があり、国語科の学生はその授業を見せてもらった。三十歳ぐらいの女性教師がその模範授業をした。 その先生は、四年生に対して、その時の私にも答えられないようなことをきいた。 ハイジとペーテルが、羊を追って山の上へ登るシーンがある。景色の美しさも過不足なく書かれている。そして、時間がたち、ふいにハイジはこう言うのだ。 「ペーテル、ペーテル。お山が火事よ」 ペーテルは笑って、火事ではなくて、夕焼けで赤いんだよ、ということを教えてくれる。 そのシーンを読ませて、その先生はこう質問した。 「どうしてハイジは、お山が火事よ、と言ったのかな」 小学生には答えにくい質問だ。 「夕焼けを火事だと勘違いしたんです」 という答えだと、先生は、それだけかなあ、と言うのだ。 「ハイジはバカだからです」 という答えだと先生は不機嫌になる。 「ハイジは夕焼けを見たことがなかったので、火事だと思ったんです」 「ハイジは心細い気持ちだったので、美しいものも怖いものに見えたんです」 どういう答えに対しても、先生は違うと言う。実は、私にも先生がどんな答えを求めているのかわからなかった。 やがて、先生は説明し始めた。 「みんなも、赤い夕焼けを見たことはあるよね。ハイジも夕焼けは知っていたと思う。でも、今ハイジは、アルプスの山の上にいるのよ。そこで見る夕焼けは、街で見る夕焼けとはまるで別のものなの。びっくりするほど美しくて、赤くて、思わず山火事かと思ってしまうくらいにすごい夕焼けなの。だからハイジは、本当に火事かと思って驚いてしまったのよ」 うわあ、そこへ話を持っていくか、と私は驚いた。その先生は、「ペーテル、ペーテル。お山が火事よ」という科白から、アルプスの夕焼けの見事さを読み取れ、と言うのだ、それはもう、きみたちが知っている夕焼けとは全然違った、ギクリとするような美しさなんですよ、と。 その先生が間違っているわけではない。そう読むべき科白ではある。 しかし、私の意見では、それにしては翻訳が不適切だ。「ペーテル、ペーテル。お山が火事よ」では、なんとも牧歌的で、緊張感がなく、プッププーとホルンの音でもきこえてきそうではないか。 「わっ、大変! ペーテル、火事よ!」 とでも訳してあれば、その夕焼けがどんなにすごいかが少しは感じられるのだが。 そして私は、心中ひそかに首をひねった。 この先生は、この小説の中のこの科白に、いちばん感じたんだなあ、と。なんて美しい夕焼けなんだろう、ということにロマンを求める心を刺激され、ジーンときてしまったのだ。だからそれを子供に伝えたくってたまらないのだ。なまじの夕焼けだと思ったら大間違いなんだからね、と教育しているのだ。 その先生が、景色に感動するタイプの人間だからである。 しかし、人間のすべてが景色に感動するわけだからではない。たとえば私は、景色のよさには感度が鈍い。】
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このあと、清水さん自身が良く覚えているシーンとして、「おばあさんが『白いパン』だと喜ぶ場面」などを挙げておられます。確かに、同じ『ハイジ』でも、心に残るポイントというのは人それぞれですよね。僕も「おばあさんに白いパンを!」という科白はよく覚えていますが、それはアニメの影響でしょう。僕は最初にこれを読んだとき、この国語の先生の「すばらしく美しい夕焼け」のイメージというのも、この小説の文章だけから生み出されたものではなくて、テレビアニメの映像によって補完されているのだろうなあ、と思ったのです。ところが、「アルプスの少女ハイジ」のアニメが最初に放映されたのが1974年。清水さんは1947年生まれですから、この教育実習のときに二十歳くらいだとしたら、このエピソードは、アニメ放映前、ということになるのです。となると、この「三十歳くらいの女性教師」は、アニメに触発されたわけではなく、自力で、この「すごい夕焼け」の映像を作り上げていたのですね。そう考えると、この先生の想像力は凄いです。そこまで読み取らなきゃいけないの?という気もしなくはないですが。
でも、思いだしてみると「国語の授業」って、確かにこんな感じでしたよね。「ハイジがバカだからです!」とか答えてウケを狙おうというヤツもいたし。小学生の僕も「夕焼けを火事だと勘違いしたんです」くらいは答えられそうですが、「火事」という言葉には、「美しさ」よりも「恐怖感」しか感じられません。「すごい」は認めるけど、「怖いくらい美しい」というのは、さすがに拡大解釈じゃないのかなあ、と。アニメで観ると、「お山が火事よ」という科白にあまり違和感はなかったので、「文章だけで伝える」というのは難しいことなのだと、あらためて感じます。
まあ、僕自身は、教科書棒読みみたいな授業より、こういう先生のキャラクターが伝わってくるような授業のほうが好きだったのですが、「国語を教える」「国語力をつける」というのは、本当に難しいことですよね。「拡大解釈ができる能力」というのが「国語力」なのかと問われたら、それもちょっと違うような気もしますしねえ。
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2006年02月20日(月) ■ |
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「泣けるドラマ」と「初恋病」 |
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「ダ・カーポ」577号(マガジンハウス)の特集記事「『号泣』は最高のエクスタシー!?」の「みんながお茶の間で泣いたテレビ番組」より。
【初恋に破れ、その古傷をひきずって生きてきた主人公が、過去の恋人と再会する、あるいは似た人に出会うことで、過去の傷と向かい合い、再生していく。それが泣かせるドラマの方程式だと、『韓流、純愛、初恋病。』の著者で早稲田大学講師もつとめる、脚本家の小林竜雄さんは語る。
「初恋が成就せず、ずっとひきずっていくのを僕は<初恋病>と名づけましたが、<初恋病>というのは、ある種の精神の死みたいなもの。だからひきずってしまうんですが、あの恋は何だったんだろう、あの時自分は何を考えていたんだろうと見つめ直すことで、止まっていた時間が動き出す。そこから本当のドラマが始まるんです」 泣く方程式に当てはまるドラマの王道は、やはり”冬ソナ”。「とくに前半は、よくできてると思いました。27歳になったヒロインが、高校生の時の初恋とは何だったのかと考える。その機微がていねいに描かれていました。それと、『世界の中心で、愛をさけぶ』も、完全に泣きの図式に当てはまるドラマ。過去に精神的な傷をおった人間が、いまをどう生きるか。身内や恋人が亡くなれば悲しいに決まっているけれど、それだけではない。もう一歩踏みこみ、再生していくというところで感動し、泣けるんだと思います」
最近の純愛ものは相手が難病で死んでしまうケースも多い。それってズルくないですか?
「たしかに脚本家にとっては、禁じ手ではあります。不治の病を持ってきたらベタで泣くしかない。素材の力が圧倒的で、誰が書いてもある水準に達してしまいます。一般的にメロドラマはあまり良い印象はなかったですよね。山口百恵の<赤いシリーズ>が70年代にありましたけど、80年代はトレンディードラマは主流で、泣くドラマは見向きもされませんでした。でも今の若い人たちは、難病ものはお涙ちょうだいでダサいという先入観がないから、新鮮に見えるんでしょう」 泣けるドラマがブームになるのは、<初恋病>にかかっている人がそれだけ多いからではと小林さんは指摘する。若いもんに振り返る過去なぞ、ないんじゃないのって気もするが……。
「学生に”初恋病と私”というテーマでリポートを書いてもらったんですけど、8割近くの学生が自分も<初恋病>だと。過去の失恋がトラウマになっていて、ちゃんとした恋愛ができないらしいんです。いまの若い子はスマートに恋愛してると思ってたから、驚きましたね。でも、<初恋病>の人ってシンドいんですよ。どこかで決着をつけないと、一生ひきずってしまうから」】
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なんと、8割もの学生が<初恋病>なんですね、凄いなあ!と素直に感心したりしないんですけどね、別に。 この先生の講義を受けている学生たちが、「”初恋病と私”という課題を与えられたら、いちばんラクに単位を取れそうな内容は「私も<初恋病>」って書いちゃうことだと思いますし。逆に、残りの2割の冒険的な学生はどんなテーマで書いたのかのほうが気になるくらいです。 実際に、この手の「トラウマ」を引きずっている人って、そんなに多いのでしょうか。僕の周りの人々を見ていると、いくらなんでも8割というのはあんまりという気がします。心のうちはわかりませんが、みんな、けっこうあたりまえに恋愛していたり、できなかったりしているみたいですが。まあ、「初恋」とかいうのって、それなりに「影響」が残るところはあるのでしょうけど、それってどちらかというと「イタい経験」なのじゃないかなあ。 僕は『世界の中心で、愛をさけぶ』とかを読んでも、「ああ、なんてひねりの無い純愛小説なんだ…」としか思えなかったのですが、それはたぶん、小さい頃にその手の「泣かせるドラマ」に免疫がついてしまったから、なのでしょう。逆に「ドラマ体験」が、「カンチ、セックスしよ!」から始まったもう少し若い人たちは、ああいうストレートな「純愛モノ」が新鮮なのかもしれません。 僕はもう、「泣ける!」とかいう煽り文句には、内心、飽き飽きしているんですけどね。 ところで、僕が最も疑問だったのは、【過去の失恋がトラウマになっていて、ちゃんとした恋愛ができないらしいんです。】という部分でした。 僕は、この年まで、自分が「ちゃんとした恋愛」ができているなんて、全然思えないのですけど…… そもそも、「ちゃんとした恋愛」って、どんな恋愛なんだろう?
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2006年02月19日(日) ■ |
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グルメリポーター・彦摩呂の苦悩 |
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日刊スポーツの記事「週刊テレビライフ」より。いまやグルメリポーター界の寵児となっている、彦摩呂さんへのインタビュー記事の一部です。
【インタビュアー:味の表現でポイントにしているのは
彦摩呂:僕が重視しているのは、テレビで伝えられない香りや食感。「肉の繊維がほろほろとほどけていきますわ」とか、食べて起こったことを五感で届けたい。
インタビュアー:すぐにコメントする瞬発力もすごいですね
彦摩呂:コメントにも鮮度があるんですよ。あ、またええこと言うた(笑い)。口に入れて長いこと時間が空くと言い訳みたいになってくる。でも、ベテランの俳優さんの中にはフッと笑うだけで伝えられる人もいますし、人それぞれですよね。食べた瞬間に「おいしい」なんて言うのはウソくさくて論外ですけど。
インタビュアー:私生活で、職業病は出ませんか
彦摩呂:出るー。2、3秒でコメントするクセがついているんで、女の子と食事に行っても「見てみ、この滑らかさ」とか言ってしまって「黙って食べてくれるー?」とか(笑い)。家でご飯作っても、ご飯、おかず、汁物を定食の集合写真のように並べてしまうし。普通に店に入ってもコックさんが調理場からのぞいてたり、外食もしづらくなった。
インタビュアー:うれしかった反響は
彦摩呂:街でご婦人から「彦摩呂ちゃんのレポートには体温があるから大好きよ」って言われたこと。
インタビュアー:ところで、16年で何キロ太りました
彦摩呂:20キロ!最近は怖くて体重計乗ってません。】
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いまや日本を代表する(というか、海外にもこういう仕事があるのかどうか僕は知らないんですが)グルメリポーターの1人である彦摩呂さん、イメージとしては、「タダでいろいろ美味しいものが食べられて羨ましい仕事だなあ」という感じなのですが、実際は、そんなに甘い世界ではないみたいです。 彦摩呂さんの話ではないのですが、「1日にフランス料理の店を7軒取材したときには、さすがに死ぬかと思った」なんていう話をされていたグルメリポーターの方もいらっしゃいましたし。グルメ番組の取材というのは予算がかけられていないためにかなりスケジュールがタイトで、「お腹が空いた状態で食べられる」というほうが珍しいくらいらしいのです。なんとも勿体無い話ではあるのですけど。 ちなみに、彦摩呂さんは【食べ物を扱う以上、最低限のマナーは大事にしているつもり。口にモノが入ったまましゃべったり、はしをちゃんと持てなかったり、真っ赤なマニキュアをしていたりというのはダメですよ】と、このインタビューの中で語っておられます。「食べるだけ」の仕事だからこそ、その「食べること」に対するこだわりもすごいのです。視聴者に「伝わる」ように、コメントでは観てわかるような外観よりも食感を大事にするとか、口に入れてからコメントするまでのタイミングとか、まさに「プロの技」ですよね。 しかし、ここまで食べることを仕事として認識してしまうと、逆に「食べる楽しみ」というのは彦摩呂さんにはあるのだろうか?と心配にもなってしまいます。少なくとも、プライベートでも「彦摩呂があんなものを食べている!」という視線を感じないわけにはいかないでしょうし。
そうそう、彦摩呂さんは、ポリシーとして常に「料理が悪者にならないように」と考えているそうですよ。唯一苦手なホヤ貝に対しても「お酒が好きな人にはたまらないでしょうね」というようにコメントしているのだとか。美味しくないと思ったものには、「おいしい」とは絶対に言わないということなので、ちょっと意地悪な観方をすれば、「美味しくないもの」に対して、彦摩呂さんがどういうコメントをするかというのも、ひとつの「見どころ」なのかもしれません。
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2006年02月18日(土) ■ |
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僕が「自己啓発中毒」だった頃 |
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「papyrus(パピルス)2006.2,Vol.4」(幻冬舎)の劇団ひとりさんへのインタビュー記事の一部です。
【過熱状態にある昨今の”お笑いブーム”のなかで、独自の存在感を保ちつづけている劇団ひとりだが、22歳頃大きなスランプを迎えたことがあるという。コンビ『スープレックス』を解散した直後のことだ。
劇団ひとり「コンビ時代は、お客さんが笑ってくれればすべてよし、でした。完全に客側に歩み寄っていたんですよね。ところが解散後はまったく逆の心理状態になった。いわゆるアーティスト気取りになってしまったんです。今思えば、あの頃僕がやっていたネタは、誰も笑うわけがないものだった。いつのまにか、お客さんに理解されなくてもいい、と思ってしまっていたんです」
当時を少し反省するように、彼は言う。
「やりすぎて失敗する時って、妙に深く考えてしまう。お笑い芸人をやる意義だとか、内なる哀しみがどうのだとか。そうすると、どんどんいけない方向に進み始めるんです。客は笑わないし、仕事はなくなるし、周りはどんどん出世していくし」
危機的状況のなか、本を読み漁った。
「図書館に行って、心理学の本を理解できないままに読んだ。人はなぜ笑うのかから考えてみようと。でも結果、笑いとはなんぞやと考えてもまったく意味がないという結論に達しました。それでこれじゃいけない、もうちょっと俺もポップになろうと思って、徐々にバランスを戻していったんです」
「すごい鬱状態だった」という当時の彼を支えたのは、難しすぎる心理学の本だけではなかった。並行してはまったのが、いわゆる「自己啓発本」。
「ある日書店に行ったら『小さなことにくよくよするな!』というタイトルが目に飛び込んできたんです。読んだら1日で鬱状態から回復しちゃいましたね。すごいですよ。読めば読むほど勝ち組になっていくような気がするんです。千円ちょっとで癒されるんだから、安いもんでしょう。次から次へと片っ端から読みました。自己啓発中毒です」
読めば自己が啓発されるのだから1冊で十分な気もするが、そういうわけでもないらしい。
「値段が安いだけに、やっぱり1ヵ月くらいしか持たないんですよ。1冊1冊の効果は薄い」
スランプに陥っていたのは5年前。今はもう遠い過去のことだ。
「本当にどうしようもなかった。その頃の僕は、今の僕を想像することすらできなかった。自分で言うのもなんだけど、今がいちばんいいバランスだと思う。客に媚びすぎず、離れすぎず」】
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劇団ひとりさんが、スランプだった5年前の自分を振り返って。 この話を読んでいると、人というのは、こうやって「ネガティブスパイラル」に嵌ってしまうのだなあ、ということを痛切に感じます。僕にもそういう時代があったんですよね(遠い目)。 【あの頃僕がやっていたネタは、誰も笑うわけがないものだった】というようなことは、後から冷静になって考えればわかりきったことなんですけど、リアルタイムでそれをやっているときって、「わからない方が悪い」とか「わからないほうがバカ」をか思い込んで、どんどん「わからないものを作ってしまう方向」に行ってしまいがちなのです。そして、「他人にわからないもの」を作っている自分に陶酔しつつ、その一方で、「わかってくれない他人」に失望してみたり。 しかしながら、そうやって到達した「結論」は、【笑いとはなんぞやと考えてもまったく意味がない】ということだったんですよね。なんだか、ぐるっと回ってスタート地点、という感じなのですが、そのプロセスというのは、劇団ひとりさんにとっては、大きな経験だったに違いありません。
それにしても、世間にはあれだけ「自己啓発本」が溢れていて、いったい誰があんなにたくさんの種類のああいう本を読んでいるのだろう?そんなにニーズがあるものだろうか?と疑問だったのですが、これを読んで、その疑問は氷解しました。この時期の劇団ひとりさんのような人生に迷っている人にとっては、「自己啓発本」というのは、麻薬のように「効く」ようなのです。でも、その効果が一時的なのも「麻薬的」で、結局は、その一時的な「回復」のために、片っ端から「自己啓発本」を渡り歩くということになるんですね。だから、それらしくて元気が出て自信がつきそうなことさえ書いてあれば、細かい内容なんて、あんまり関係なさそうです。本当に「効果と値段が比例する」のかどうかは不明ですが。
「自己啓発本」の読者って、なんだか「他人に影響されやすい、いいかげんな人」が多いのではないかというイメージがあったのですが、実際は、真面目に自分を突き詰めようとして、かえって「自己啓発中毒」になってしまう人のほうが多いのかもしれませんね。 しかし、「媚びすぎず、離れすぎず」のバランスって、簡単なようで、本当に難しいものですよね。僕も日々、「よそよそしすぎる」と「なれなれしすぎる」の間を行ったり来たり。
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2006年02月17日(金) ■ |
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「レジ打ち」の掟 |
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「県庁の星」(桂望実著・小学館)より。
【三階のエスカレーター横で梅雨対策用の品をワゴンに並べていると、背中越しに野村の接客する声が聞こえてきた。入店して半月余り、どうやらレジを任せてもらえるまでになったらしい。誰かが昼休憩に行っているからだろうか。ポップをテープで留め付けなからそっと野村を窺った。次になにをやったらいいのかわからないのだろう。包装紙を探してみたり、レジに向いたりを繰り返す。右に一歩、左に一歩。前に、後ろに、タン、タン、スタタン。カウンター前で小さなステップを踏み続ける。 野村が言った。「お客様、このカードは使用不可になっていまして、クレジット会社に連絡することとのメッセージが――」 泰子は速攻でレジに向かった。 客が怒りを爆発させる寸前に声を掛けた。「お客様、きっとコンピューターのトラブルです。磁気が弱っていると読み取れないことがあるんです。申し訳ございません。どういたしましょう。クレジット会社に私どもから電話いたしましょうか? すぐにコンピュータートラブルだとわかると思いますけど。問い合わせしている間、少々お待ちいただくことになりますので――お急ぎですよね。現金か、ほかのクレジットカードをお持ちではございませんか?」 客は頬を膨らませたまま財布からカードを出した。「これならどお?」 「恐れ入ります。野村さん、お包みをお願いします」 「あっ、はい」 カードを通した。すぐに決済が取れた。「お客様、こちらは大丈夫でした。やはりシステムのトラブルでしょうね。よくあるんです。お客様にご不快な思いをさせるから注意してほしいと言ってるんですけどね。回数は1回でよろしいでしょうか?」 泰子は最高級の笑顔で客を見送った。血圧が一気に上がっていくのがわかる。このバカ男に付き合っていると病気になる。店になんか立たせるべきじゃないんだ、こんなヤツ。 客の姿が見えなくなってから、泰子は低い声で言った。「ちょっと、今のなんなの。裏に来て」 野村が呑気そうな声で答えた。「今ですか? 売り場に誰もいなくなって――」 「いいから裏来なさい。ナベちゃんを店に立たせるから」 こういう男は小学生からやり直させなきゃだめだ。猛然と裏階段にダッシュした。 踊り場でタバコを吸っていた渡辺に言った。「県庁さんと話があるから、店お願い」 渡辺は慌ててタバコを消し、走って売り場に向かった。 泰子は一つ深呼吸をしてから言った。「今の、なんなの?」 「はい?」 「カードが通らなかったことを、なんで客にそのまま言っちゃうのよ。画面に出てきたことをそのまんま話すなら、人間いらないじゃない」 眉をしかめた。「よくわからないんですが」 グーで殴りたい。 「画面にカードの使用不可って出たんでしょ。カード会社に電話って、番号が出たんでしょ」 素直に頷いた。「そうです」 「そのまま言ってどうすんのよ」唇が震える。「限度額オーバーなのよ。それか支払いが滞ってるかのどっちかなのよ。盗難届けが出ている場合は、そう画面に出るでしょ。使用不可ってなんだと思ったわけ? 支払いがスムーズじゃないからに決まってるでしょ」 「はぁ」 「客に恥かかせてどうすんのよ。うちはクレジット会社じゃないんだから、商品の代金を貰えればいいの。コンピューターやカードの磁気のせいにして、客は全然悪くないってことにしなきゃ、二度とうちで買い物しなくなるでしょうが」 「そうでしたか、習ってなかったもんで」 十、九……やめた。こうなったら役人すべてを敵に回してやる。「私だって習ったことなんかないわよ。店にいる人、誰も習ってないわよ。これを言ったら客はどう感じるかって、わかんない? 商売は習うもんじゃなくて、客の気持ちを察することなの。県庁さんには資質がない。人を喜ばせたいとか、楽しませたいと思ったことないでしょ。県庁さんが新入社員だったら即クビ」】
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今月25日からは映画も公開される「県庁の星」の1シーンです。ここに出てくる野村さんは、県庁から民間に派遣されてきたエリート公務員なのですが、この場面を読んで、僕は正直なところ、「レジ打ち」ひとつとっても、サービス業っていうのはけっこういろいろと気を遣っているのだなあ、と驚いてしまいました。いや、失礼な話なんですが、あれって単にレジスターに数字を入力して、お金のやりとりだけしていればいい単純作業だとばかり思い込んでいたので。「サービス」っていうのは、奥が深いというかなんというか。確かに、「このカード、まだ使えるかな…」という後ろめたい状況で店の人に「カード会社に…」なんて言われれば、かなり気まずい思いをしてしまうでしょうし。 しかしながら、僕は以前某電器店で、「このカード使えないみたいなんですけど、カード会社に連絡してみましょうか?」とダイレクトに聞かれたことがあるので、これが、「サービス業のスタンダード」なのかどうかは、よくわからないのですが。やっぱり、このくらいのことは「自分で察する」ことができなければ、「サービス業」失格なのかなあ。さすがにそれは、厳しすぎるような気もします。
それにしても、「お客さまに不快な思いをさせない」というのも大事なんだろうけれど、考えようによっては、そんな「支払いがスムーズじゃない」お客さんでも、お金が取れるかぎりはモノを売り続けるなんていうのは、ある意味、「残酷」なのではないか、とも感じるんですけどね。
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2006年02月16日(木) ■ |
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ある人気若手俳優の「隠し子」という選択 |
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スポーツニッポンの記事より。
【俳優山田孝之(22)に隠し子がいることがスポニチ本紙報道で明らかになった15日、山田は公式ホームページ(HP)でその事実を認めた。すべて「自分自身の未熟さゆえ」とし、子供の母親(22)と結婚しなかったことは「彼女も、ご家族も理解してくれた」と説明。母子には「精いっぱいの誠意で接していこうと思っております」と心情を明かした。 山田はこの日、都内で主演中のTBSドラマ「白夜行」のロケに参加。収録を終えた午後8時ごろ、HP上でファンに対し、経緯と現在の心情を明かした。 子供の母親である女性とは「結婚を前提という気持ちで、一昨年前から交際させていただいておりました」と告白。そして昨年春、女性から妊娠したと告げられた。 結婚、出産について「2人で話し合いを重ねてきた」結果、子供を産み、女性が育てていくことで合意。「父親になり、家庭を持ち、役者を続けていくこと、どうしてもうまく自分自身の中で折り合いがつかず…」と、当時の苦しい胸の内を吐露し、「別々の道を歩いていくことを彼女はわかってくれ、ご家族も理解してくれました」と“未婚の父”になった経緯を説明した。 スポニチ本紙の取材によると、話し合いは円満で、専門家に生活費や子供が成人するまでの養育費を試算してもらい、すべて山田が負担。結婚に至らなかった意味での“慰謝料”も支払っている。 今後について、山田は「彼女と子供に対して、できる限り精いっぱいの誠意で接していこうと思っております」と固い決意。子供の母親であるかつての恋人は、家庭を捨ててまで選んだ道で成功することを願っており「役者として精進し、ご心配、ご迷惑をおかけした皆様にあらためて認めていただける自分になりたいと思います」としている。】
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僕もこのニュースを見て、正直ちょっと驚きました。「隠し子」なんて、あまりに前時代的なのではないか、と。歌舞伎界の「梨園のルール」的なものが(彼らの中では)残存している市川新之助さんや市川染五郎さんならともかく、あるいは、大物政治家とかならさておき、テレビで高校生の役をやっているような、若手人気俳優の山田孝之さんが、その「隠し子」の父親だなんて。 この記事を読んだ人は、いろいろな反応をしています。「山田くんがそんな酷いことを…」と嘆くファンの人がいれば、「人でなし!」と叫ぶアンチもいます。まあ、同世代とか若いファンからすれば、やはり、少なくとも好感度がアップするエピソードではないですよね。 それとも、ファンというのは「山田くんが結婚しないでいてくれて良かった!」とか思うのだろうか?
今はもう中年男になってしまった僕からすれば、彼の選択は、あんまり賢明なものではないように感じます。山田さんは「俳優」と「父親」は両立できない、と言っていたみたいだけど、「やってみればできないことないんじゃない?」とか、僕はつい考えてしまうのです。あるいは、そんなに「俳優の仕事に邪魔」ならば、不謹慎ながら、堕胎という方法だってあったはずなのに。 例えば、高校時代に「受験勉強のために別れた」なんてカップルの話をけっこう聞きますが、実際に大学に入ってから思い返してみると、「本当に、勉強のために別れる」ことが必要だったのだろうか」と疑問になりませんか?まあ、実際は、その瞬間には、「そうしなければならない」という強迫観念的なものに囚われていて、「うまく両立する」なんていう選択肢は、ありえないものではあるのでしょうし、そういうのが「若さ」なのでしょうけど。 もし山田さんが結婚したら、確かに、一時的に人気が落ちるかもしれません。でも、「父親」とか「夫」であることって、そんなに「役者としての人生」にとって、マイナスなのでしょうか。純アイドルならともかく、彼の今のポジションなら、結婚していて子供がいても、そんなに大きなダメージにはならないと思うのですが。そりゃあ、「役者」と「プロ野球選手」の両立は無理だろうけど、「役者」と「夫・父親」って、両立できないことはないはずです。 これって、自分を愛してくれた彼女に対して、あまりにも酷い仕打ちなのではないかと思うし、「円満解決」なんてありえないような気がします。それに、今の時点では「彼の成功を願ってシングルマザーの道を選んだ」女性だって、これからの人生は長いのだから、この選択が「足枷」になる可能性も十分考えられるはず。 僕はたぶん、山田さんが、これからどんなに素晴らしい役者になっても、「恋人と子供から逃げた男」だとしか思えないでしょう。「若気の至り」なのだったら、キレイゴトなんて、並べなければいいのに。彼女や子供に本当に必要なのは、「誠意」なんかじゃないはずです。そりゃあ、誠意すらないよりは、はるかにマシなのだとしてもね。 22歳で「父親」だなんて、困惑するのはわかるんだけど、だからと言って「役者」に逃げるなんて最低です。もしこれで許されるのなら、すごく便利ですね「役者」って。 まあ、外野としては、さんざん迷った末に「本人たちが決めた結論」なのだから、それが良い結果になってくれるといいね、としか言いようがないのだけどさ。
でも、もうこれで、人生「リアル白夜行」確定かもね。
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2006年02月15日(水) ■ |
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金メダリストたちの「第2の人生」 |
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日刊スポーツの記事より。
【初の金メダルを手に、氷上から金融経済の中心ウォール街に華麗な転身を図る。スピードスケート男子500メートルで金メダルに輝いたジョーイ・チーク(26=米国)が今季限りの引退を宣言した。「スピードスケートでやれることはすべてやった」。チークは朗らかに話した。 圧倒的なレースだった。1本目、2本目ともに、1人だけ34秒台をたたき出した。高地にあるカルガリーやソルトレークシティーとは違い、タイムが出にくいリンクでの34秒台だけに価値がある。本人も「信じられない。人生最高の2本だった」と驚くほどで、2位ドロフェエフに0秒65の大差をつける圧勝だった。 しかし、優勝記者会見は異例の展開となった。最初の質問を遮り、しゃべり始めた。「金メダルを取って、何か意味のあることに役立てたい」。米国オリンピック委員会から得る2万5000ドル(約290万円)の報奨金をアフリカ難民救済に寄付し、スポンサーにも寄付を呼び掛ける。政情が安定したら、自らもアフリカのスーダンを訪れる計画だ。
アイディアは、レースの数時間前に浮かんだ。「何か大きなことをしたら、その時は大きなものを社会に還元したいと思ってきた」。94年リレハンメル大会で3冠に輝いたコスが主催する慈善団体のオフィスが選手村にあった。そこを訪れ、寄付はその団体を通じて行われる。 競技生活からも今季限りで身を引く。大学で経済学を学び、ビジネスの世界に転身する計画だ。小学校6年生の時には、世界でも有数の経済紙ウォールストリート・ジャーナルを読んでいた。ハーバード大への申請は断られた。「しょうがないよ。10年間も学校からは離れていたから」。チークの言葉には、金メダルよりも、第2の人生への喜びがあふれていた。
<金メダリストのビックリ転身> ☆俳優 トニー・ザイラー:56年コルティナダンペッツォ大会スキーのアルペンで、史上初の3冠に輝き、引退後、俳優に転身した。「黒い稲妻」などで主演。「白銀は招くよ」では、同名の主題歌も大ヒット。
☆実業家 ジャンクロード・キリー:68年グルノーブル大会でアルペン3冠。自ら伊のブランド「キリー」がヒットし、実業家として成功。パリ・ダカ、ツール・ド・フランスなどを主催するアモリーグループの総帥。
☆医者 エリック・ハイデン:80年レークプラシッド大会のスピードスケートで、5冠を達成。21歳で引退した後は整形外科医として活躍した。02年ソルトレークシティー大会では、米国代表のチームドクターも務めた。
☆特使 ヨハンオラフ・コス:94年リレハンメル大会でスケート中長距離の3冠。引退後はオスロ大で医学を学びながらボランティア活動にも情熱を注ぎ、現在もユニセフのスポーツ特使として活躍している。
☆議員 萩原健司:92年アルベールビル、94年リレハンメルの両大会でノルディックスキー複合の団体連覇。02年に引退して04年参院選で当選。元金メダリストの国会議員として、教育問題などで活躍している。】
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僕も、このスピードスケート男子500メートルを観たのですが、ジョーイ・チーク選手には、まさに「圧倒的な強さ」を見せつけられました。日本期待の加藤条治選手や、「びっくりドンキー®」の及川佑選手も健闘していたものの、正直、今回のチーク選手は頭ひとつ抜けているなあ、という印象だったのです。2位と0秒65差なんていうのは、この競技としては、まさに「ぶっちぎり」でしょうし。 しかしながら、その金メダル会見で、いきなりこの26歳のチーク選手のオンステージが始まりました。喜びの会見は、一転して「引退会見」になってしまったのです。スピードスケートという競技の年齢的なピークというのは人それぞれなのでしょうが、26歳というのは、「大ベテラン」というわけでないし、少なくとも「まだまだやれる年齢」のはずです。せっかくこうして金メダリストになったのだから、第一線でやれるかぎりは競技を続けるのが普通のような気がするのですが、言われてみれば確かに、アマチュアのアスリートとしては、こうしてオリンピックで金メダルを獲るというのは、「スピードスケートでやれることはすべてやった」ということなのかもしれません。それでも、スピードスケートの清水宏保選手やジャンプの原田雅彦選手のように、「金メダルを獲っても、まだ競技人生を続けているアスリート」が多い日本という国に住んでいる僕からすれば、この潔すぎる引き際に、カッコいいなあ、と思う反面、ちょっともったいないなあ、とも感じるのです。
しかしながら、じゃあ、引退した日本の金メダリストたちはどうしているのか?と考えたとき、萩原さんみたいに政治の世界に転身したり、タレントとして活躍したりしている人を除けば、多くの選手たちは「その競技の指導者になる」しかないのが現実なのですよね。そして彼らは、オリンピックのときだけ担ぎ出されて解説をやっている、と。まあ、食いっぱぐれることはないとしても、彼らの多くが「金メダリスト」だからといって、そんなに恵まれた状況にあるわけではないのです。そういう「第2の人生」を考えれば、このチーク選手の「早すぎる引退」というのは、むしろ積極的な選択なのでしょう。彼に本当に「ビジネスの才能」があるかどうかというのは、また別の問題だとは思われますが。
それにしても、こうして「ビックリ転身」という記事が出るくらいですから、金メダリストが、自分の競技を離れて「第2の人生」で成功するっていうのは、やっぱりものすごく大変なことみたいですね。もちろん、一度でもオリンピックで金メダルを獲れたなら、第2の人生なんてどうでもいい、と考えている選手たちもたくさんいるのでしょうけど。
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2006年02月14日(火) ■ |
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「今まで、一番傷ついた言葉は何ですか?」 |
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「増量・誰も知らない名言集」(リリー・フランキー著・幻冬舎文庫)より。
【ボクが人にインタビューをする時決まって尋ねることがある。 「今まで、誰かに言われた言葉の中で、一番傷ついた言葉は何ですか?」 まず、こう聞かれると、誰しもが一拍あく。その一拍の中には色々あって、この質問をどうやってはぐらかそうかと考えている人もいるし、また、記憶がその言葉を呼び戻して、ヘコみ始める場合もある。 要するに、ボクが知りたいのは、その一拍あいた時の表情に漂う、その人の素を顕微鏡でキャッチし、心の深遠を覗きたいのである。 つくづく、怖い人間のオレ。 飛んでいるハエのアヌスを針で突き刺すような間の取り方が必要である。そして、重要なことは、相手が本当のことを言ったかではなく、このテンションの質問に対して相手が、どう言いたかったかということなのである。 そこで、相手がわかる。ある巨乳アイドルにその質問をした時、彼女はこう答えた。これは、付き合ってた彼氏に言われたそうだ。 「でも、オマエって結局、胸だけじゃん」 痛い!!ハートに五寸釘。しかしそれに対して、彼女はこう返した。 「アンタには、なんにもないじゃん!!」 痛―――――!!」クロスカウンターの打ち合い。でも、どっちかといえば「ある」ほうが強い。斬りに行って、突き返されたような泥試合。 このように、言葉は人を傷つけるには一番の凶器なのだ。普段の精神状態の時ならともかく、恋人同士の負のエネルギーは遠慮知らず。反則なしのアルティメット会話。 やっぱり、好きな人に傷つけられる時の傷は深く残るものだ。行為よりも態度よりも、わかりやすい言葉という暴力。 特に、別れ際の女は人情ノー。男は最後のひと言に美学を求めるが、女は最後のひと言と、引っ越しに出すゴミは同じ感覚。言わなくてもいいことまで吐き出してスッキリしたいという自分勝手な殺し屋である。】
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「今まで、誰かに言われた言葉の中で、一番傷ついた言葉は何ですか?」 いきなりこう問われて、言葉に詰まらない人はこの世に存在するのでしょうか。僕もこれを読んで、思わず考え込んでしまいました。 確かに、恋人同士の場合、お互いの長所はもちろんなのですが、短所も把握しきっていることが多いでしょうから、相手の「弱点」をピンポイントで攻められるのだと思います。そして、「お前は胸だけ!」なんて弱点をついたつもりが、全人格を否定されるような「逆襲」を受けてしまうわけで。 よりによって、好きだった彼女に「お前には何もない!」なんて言われたら、かなり長期間立ち直れないこと請け合いです。そりゃあ、「売り言葉に買い言葉」なのだとしてもねえ。 しかし、女性にとっては、本当に「最後のひと言と、引っ越しに出すゴミは同じ感覚」なのでしょうか。だとしたら、「最後の口喧嘩」は、男には勝ち目はまったくないような気がします。
ところで、僕もこの「一番傷ついた言葉」のことをずっと考えていたのですけど、確かにこれって、自分のトラウマをえぐっていくような作業なので、やっていてものすごく辛くなりますよ。僕の場合は、最初に思いついたのは、別れのひと言ではなくて、新人時代に当直に行ったときのことでした。重症の患者さんが救急でやってきたのですが、結局僕には診きれずにその病院の偉い先生を呼んでお願いしたあと、疲れきって当直室に帰っている途中で、そこのレントゲン技師さんがレントゲン室の中で同僚と話していた「こんな診断もできないなんて、あの医者はダメだな」という言葉でした。ああ、今から思い出しても、情けなくて悔しい。当時の僕のキャリアからすれば、「できなくてもしょうがなかった」のかもしれないけれど、たぶん、一生忘れられないと思います。面と向かって言われたのではないだけに、なおさら、「どうしようもない」のですよね。 考えてみれば、こういう「一番傷ついた言葉」って、ある意味、「その人がいちばん大事にしているもの」を象徴しているのかもしれません。当時の僕にとっては、「仕事に対する(根拠も無い)プライド」だったのかな。 しかし、バレンタインデーに、こんなこと書いてる僕も僕ですね……
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2006年02月13日(月) ■ |
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「通帳男」や「皿嘗め女」を愛せますか? |
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「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)2006年3月号の連載エッセイ「もしもし、運命の人ですか。」(穂村弘著)より。
【友人のなかに、いつも複数の貯金通帳を持ち歩いていて、初対面の女性にその残高を見せる男がいる。
「これとこれとこれとこれと……、足してごらん、ほら、6000万だよ」
などと云っている姿をみて、こいつ、とんでもないなあ、と思うのだが、現実に彼は非常にもてている。 それは決して金の力というわけではないようだ。異常なキャラクターそのものに、異性をひきつける力があるのだろう。ここまでいくと、もう自慢とか俗物とかの次元を突き抜けて、何か狂ったセクシーさと云うか、特殊なアピール力があるのかもしれない。 その様子をみていると、自慢話をしない、貧乏ゆすりをしない、などとちまちま考えている自分が虚しくなる。しかし、私に彼の真似はできない。二重にも三重にも不可能だ。 最高の自己アピールとは、結局、圧倒的な「個性」の提示に尽きるのかもしれない。 そう云えば、とやはり友人のひとりである画家の女性のことを思い出す。 初めて一緒に食事をしたレストランでのこと。 彼女は食べ終えたお皿を両手で掴んで、きれいにぺろぺろと嘗めたのだ。 びっくりした。 だが、それが一種の信念に基づく行為であることが直感的に理解できて、私は心を動かされた。 おそらくはエコロジカルな理由に因るのだろうか。前菜から最後のデザートまで、彼女はお皿を嘗め続けた。 いつどこで誰と一緒でも、必ずこうするのだ。 そう感じた瞬間に、このひとはもてる、と確信する。 この「皿嘗め」一発で彼女に惚れてしまう男は(そして女も)沢山いるだろう。 しかしながら、通帳を見せる行為と同じく、こちらもかたちだけ真似できるようなものではない。 異性にアピールするなどという目的意識を遥かに超えた「個性」の発現なのだ。】
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この引用した文の前には、【女性は、「押し」によって心が動かされる人と、「第一印象」で目の前の男が恋人になれるかどうかを決めてしまうという2つのタイプに2分されるのだが、その「第一印象派」の女性に最初に好印象を与えるにはどうすればいいのか?】というような内容が書かれています。 僕は正直、ここに挙げられている「いきなり通帳を見せる男性」とか「皿を嘗める女性」を実際に目の当たりにしたら、いくらそれが「エコロジカルな理由」であっても、かなり引きまくること確実ですが…いくらそれをやっているのが伊東美咲でも、百年の恋も醒めそうな気がします。しかし、絵的に考えれば、確かにそれをやる人によっては、ものすごくセクシーだったりするのだろうか。 「通帳開示」「皿嘗め」なんていうのは、考えてみれば、「誰だって、やろうと思えばできる」はずです。金額はさておき、銀行の通帳はみんな持っているだろうし、舌があれば、皿を嘗めることだって、けっして難しくはない。でも、誰か他の人、それも、憎からず思っている異性の前でそれをやるというのは、やっぱりかなりの「勇気」か「信念」が必要でしょう。僕たちは、それが「他人に『下品』だと思われる行為」であるということを知っていますから。 こういう「個性」というのは、「すごく興味を持たれる」可能性がある一方で、「ものすごく嫌われる」というリスクを抱えていて、どちらかといえば、嫌われる可能性のほうが高いと思います。いや、10人中9人くらいは引くのではないでしょうか。その一方で、いくら「人畜無害な男」であることをアピールしても、結局は何の印象も残らないのだから、それならば、一か八かに賭けるほうが、恋人探しには効率的なのかもしれませんね。かの羽賀研二さんも、「レストランで肉料理を皿に直接口をつけて(ナイフやフォークは使わずに)動物のように食べる」なんて言われていましたし、それが、相手に「インパクトを与える」ことだけはまちがいありません。
しかし、本当にこの人たちって、「モテる」のかなあ。やっぱり、僕にはちょっと信じがたいのですけど。 「通帳男」はキムタクそっくりだったり、「皿嘗め女」は深津絵里の生き写しだったりするのでは……
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2006年02月12日(日) ■ |
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「MSゴチック」への異常な愛情 |
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「ダ・カーポ」577号(マガジンハウス)の連載コラム「ことばのことばっかし」(金田一秀穂著)より。
【筆記具だけでなく、その時に書かれる文字の形も、思考の流れと影響し合うような気がする。気分的に落ち着いているときは、文字の形も安定していて、思考も安定しているように思う。なぜか文字が乱れ、粗っぽくなってしまうときがあって、そういうときに書いたものは、後で読み返すことができないくらい貧しいことしか書けていない。 手書きのときは、そういうことが当たり前であった。自分の書体は自分の脳内環境の顕れであるように思える。で、これがパソコンで、キーボードで打つことが普通になって、なおまだ、字体と思考が関連し合っているようなのだ。 この原稿はパソコンで打っているが、いろいろな字体が選べる。で、私の好きなのは、MSゴチック、というものだ。40字×40行。ぴったり400字詰め原稿用紙4枚分にして書く。 教科書体や明朝体で書かれているものは、自分の考えではないような気がする。自分の考えが乗り移ってくれないのだ。他人が書いたようなよそよそしさがある。とりつく島がないのだ。MSゴチであれば、いかにも自分の書いたものであると思える。 少し丸く、面を隅々まで使って拡がった書体。粘りけがあるような、それでいて明るく軽い。そういう字体が私の思考をきっちりと載せて運んでくれるような気がする。 たかが機械の字である。画面の上に電気で映されているかりそめの文字なのだが、しかし、字形はとても大切なのである。】
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言語学者、金田一秀穂さんの「字体」に対するこだわりの話です。僕は最近、自分が10年くらい前に仕事で書いたものを見直しているのですが、その手書きの文字を見ていると、「ああ、これを書いたときは、本当に気持ちに余裕がなくて、半泣きになりながら書いてたよなあ…」というようなことが次々と頭に浮かんできます。やっぱり、忙しかったり、気持ちが沈んでいるときには、そういう文字、あるいは文字列を書いているもののようです。 まあ、字の汚さは不変であるとしても。 今はもう、ワープロ時代ですから、そういう「書いているときの気持ち」というのは、少なくとも「字体」には顕れないだろうな、と思っていたのですが、この金田一さんの文章を読んでいると、その「ワープロの字体」ですら、書いている人の気持ちを反映しうるものなのだ、ということがわかります。もちろん、人それぞれ好みの「字体」というのはあると思いますし、だからこそ「WORD」にも、あれだけたくさんの(これ、どういう状況で使うの?というものまで含めて)字体が登録されているのでしょうけど、それにしても、【MSゴチであれば、いかにも自分の書いたものであると思える】なんてことは、考えたこともありませんでした。 これを読みながら、そういえば、ワープロで初めて自分が「書いた」ものを印刷したときには、その「本のような文字」に、「なんだか偉くなってみたいで、自分が書いたものとは思えない」というような気分になったことを思い出しました。あの頃は、「活字であること」そのものがファンタジーだったのですが、今は、「手書き」の機会が少なくなった分だけ、「ワープロの字体」に個性を反映させる時代のようです。そういう意味では、「フォント弄り」なんてのは、まさに「自分らしさ」の希求なのかもしれませんね。
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2006年02月10日(金) ■ |
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「ネットバトラー」は、すでに、負けている! |
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「ハンバーガーを待つ3分間の値段〜ゲームクリエーターの発想術〜」(齋藤由多加著・幻冬舎)より。
(『”たたき台”の底力』という項より)
【大手のゲーム会社を新作の契約を交わすときなどには、手始めにどちらか一社がまず草案を作ります。私の会社のような零細企業などの場合、法務担当者なんていませんから、たいてい大手企業側の法務部がサンプルを作り、それをもとにどこを直せ、いや譲れない、と押し問答の交渉が始まります。 両者とも零細企業の場合は、どちらにも担当者がいないものだから、面倒さにまかせてついつい契約書は後回し、となってしまいがちです。それくらい面倒な仕事です。 なのになぜか、大企業はこのたたき台づくりという面倒な仕事を進んでやってくれるのでありがたい、と思っていたのですが、その理由が最近になってやっとわかりました。彼らは、交渉の焦点がこの草案の修正にあることを知っているからです。 受け取った側の私たちが「ここを直してください」「ここはちょっと合意できない」などと、徹底的に修正を入れたところで、ベースとなっているのは所詮相手の作った条項です。 「○×社の契約書には徹底的に赤字を入れてやったのさ」と得意気に話している私は、まるで仏様の手の上であがいている孫悟空のようなものです。】
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齋藤さんは、あの問題作『シーマン』などのゲームを作った方なのですが、この文章を読んで、僕もあらためて、「自分が、いかにいい気になって他人の掌の上で踊っているのか」を思い知らされました。僕はこういう交渉事をやる機会はほとんどないのですが、「それがそのままでは合意できないような条件であっても、先に出してしまったほうが、圧倒的に『主導権』を握れる」ということは、日常生活にもたくさんあるのです。例えば、誰かを夕食のメニューを決めるときでさえ、真っ先に手を挙げて「ここの店はどう?」と店名を挙げる人のほうが、「えーっ、その店イヤ!」ってばかり言っている人よりも、はるかに希望する店に行ける可能性は高いですよね。 まあ、めんどくさいとか、否定されたら悲しいっていうためらいが、どうしてもついてまわるのですけど。 メディアの誤報や偏向報道に対して、「それは間違っている!」と声をいくらあげてみても、それはあくまでも、「相手の書いた記事」という限られた枠の上で戦っているだけなのですよね。その状況で、どんなに頑張って「自分の主張の正しさ」を訴えてみても、その最高の結果でさえ、「相手が間違っている」ということの証明でしかないのです。 ネット上でも、よく「○○の言っていることはおかしい!」などという意見の相違がキッカケで、バトルが勃発したりするのですが、どんなにすばらしい理論で相手を打ち負かそうとしても、所詮それって、「相手の掌のうちで踊らされている」だけなのかもしれません。そして、その打ち負かそうとしている意見が「くだらないもの」であればあるほど、叩いている人も「くだらないことで争っている人」になってしまうのです。 本当に自分の正しさを証明しようとするならば、「誰かの土俵の上で勝負する」のでは意味が無くて、「自分の土俵を創る」しかありません。 つまり、誰かを叩いたり、煽ったりしている時点で、すでに、「負けている」ってことなのですよね。
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2006年02月09日(木) ■ |
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ある「カウントダウンパーティー」の記憶 |
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「日経エンタテインメント!2006.2月号」(日経BP社)の飯島愛さんの対談連載「お友だちになりたい!」第46回より。ゲストは、脚本家・映画監督の三谷幸喜さん。
(映画「有頂天ホテル」に対する飯島さんの感想について)
【飯島:テンポが早くてあっという間でした。クスっと笑えるところがたくさんありましたね。日本人ってあなりパーティーをしなくなってますよね。クリスマスは彼氏と過ごすとか、年末も自宅とか。ホテルでパーティーというのは外国の発想じゃないかなと。
三谷:今はどうかわからないけど、日本のホテルも、パーティーをやっていることはやっているんですよね。行ったことありますが、全然盛り上がらないですけどね。
飯島:何に行かれたんですか?
三谷:カウントダウンパーティーです。10年くらい前ですけど、原稿を書くために年末年始をホテルで過ごしたんです。大みそかなのに自分は何をやっているんだろうと思っていたら、案内が来たんですよ。ドアの下からすっと。そういうのを読むと、同じように1人で泊まっている女性がいて、運命的な出会いをして、と思うじゃないですか。
飯島:話しかけられないんでしょう。さっき、シャイって。
三谷:もちろん、その時はたまたまぶつかって、あ、すみませんみたいな、そういう出会い。それで行ってみたら、仮装パーティーで、目を隠すやつを渡されたんです。
飯島:何色でしたか。
三谷:赤でラメの入ったやつでした。しかも、大みそかのパーティーって、だいたいカップルか家族なんですね。1人なんていないわけですよ。パーティーといっても音楽が鳴っているだけで、みんなお酒を飲んでいるけど盛り上がらないし。途中でマジックショーが始まったんですが、チープな感じでどんどん気持ちが沈んでいって。
飯島:仮面をつけながらね。
三谷:むなしいわけですよ。僕はお酒を飲めないから、炭酸水とか飲みながら、もうここにはいられないと思って、年が明ける前に部屋に戻っちゃったんです。映画のパーティーはもっと華やかだけど、大みそかにホテルに泊まった経験は生かされてますね。大みそかはどこにいても年は越すわけで、そういう意味でみんな孤独だけど一体感は感じるという。】
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映画「有頂天ホテル」を観たあとで、この三谷さんの話を読むと、確かに、その「経験」が生かされているなあ、と感じます。もっとも、「映画のパーティーはもっと華やか」ということは、この実際に体験された「カウントダウンパーティー」って、かなりこじんまりとしたものだったみたいですけど。 それにしても、いくら原稿書きで煮詰まっていたとはいえ、そんなパーティーに独りで参加するなんて、けっこう勇気というか、行動力があるなあ、と思います。10年前の三谷さんなら、今ほど顔が売れていなかったでしょうから、いろんな人に寄ってこられて大変、なんてことはないでしょうが、そういう「知り合いのいない場所」に、ぽつんと独りでいるのって、けっこう辛いものですよね。そういう孤独感って、部屋に独りでいるより、ある意味、よっぽど切実なもののような気がします。さらに、よりによって、「紅いラメ入りの目を隠すやつ」なんて渡されたら、僕だったらもう、その場で部屋にUターン確実です。いくら、「偶然の出会い」が待っているかもしれないって思ってもねえ。 だいたい、独りで旅行とかしていると、僕もこの「運命の出会い妄想」にとりつかれることがあるのですけど、本当にそんな「運命的の人」に出会ったことなど一度もありません。女の人が近づいてきたと思ったら、「すみません、写真撮ってください」とか、せいぜいそんなもの。写真じゃないと思ったら、幸せを祈られちゃったりなんかして。
いやほんと、パーティーというのは、知り合いがいないと淋しくて手持ち無沙汰だし、逆に、知り合いが多いと落ち着かないし煩わしい。「オシャレに生きる」っていうのは、いろいろと大変なのだなあ、と思いつつ、手持ち無沙汰と緊張で飲みすぎて悪酔いしてしまったりもするのです。
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2006年02月08日(水) ■ |
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21年目の「のり子は、今」 |
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読売新聞の記事より。
【サリドマイド児の日常を描いたドキュメンタリー映画「典子は、今」(1981年、松山善三監督)に主演、約21年間取材を断ってきた白井のり子さん(44)が、読売新聞のインタビューに応じた。3月末、勤務先の熊本市役所を退職、講演活動に専念する準備を進めていることを明かし、「私には障害者という自覚は全くありません。せっかく頂いた命、今を楽しく生きていきたい」と、にこやかな表情で語った。 熊本市出身。サリドマイドの影響で両腕に障害を持って生まれた。右目の視力もほとんどない。一度は入学を断られたが、小、中、高校と進み、1980年、サリドマイド被害者として全国初の公務員になった。 就職後間もなく、映画会社から出演の申し入れがあった。障害を売り物にするような抵抗感がある一方、知らない世界への興味もわいた。決断させたのは、監督の言葉だった。「多くの障害者が、あなたを見て元気になるような映画を作りたい」。母親は反対したが、自分に与えられた使命かもしれない、との思いで承諾した。 封切り以降、生活は一変した。全国から寄せられた手紙は、1か月3万通にのぼった。職場(福祉課)にも「見学者」が訪れた。カメラを向けられ、困った顔をすると、「映画と違って、愛想がないね」と非難された。 「映画の典子が独り歩きしていた」。映画を見た人がイメージする“典子”と、現実の自分のギャップに悩んだ。「自分を見失ってはいけない」との思いでいっぱいだった。
21歳で結婚。22歳で長女を出産した。以後、講演、執筆、取材などの依頼をすべて断ってきた。 「普通に生活、仕事をしているだけ。特別に話すことは何もない」。そう思っていた自分に、心境の変化が表れたのは、40歳を過ぎたころ。子育てが一段落して、自分を客観的に見つめられる余裕ができ、「映画を見てくれた人たちの感想を、素直に受け入れられるようになった」。 上がり症で、人前で話すのが苦手だったため、話し方教室に通い始めた。苦手意識を克服したことで肩の力が抜けてきた。 「映画の典子じゃなく、今の“のり子”を知ってもらえばいいのかな」。昨年8月、初めて講演依頼を引き受けた。 福岡市のイベントホールで、介護福祉士約600人を前に話した。緊張して原稿の棒読みになった。サリドマイド被害について。繰り返される薬害への憤り。家事と仕事との両立の難しさ。母として。長女、長男とも、ひもなどを使っておんぶやだっこをしたことも……。2時間があっという間だった。 「昔、映画を見ました。元気が出ました」。講演後、そう言って涙を流した同世代の女性がいた。「ありがとう」と素直に言えた。 昨年10月、退職を決意。事務所設立の準備を進めながら、これまでに熊本、福岡両県で7回講演した。 「皆さんの素朴な疑問が顔に書いてあるんです。『どうやって顔を洗うのかな』とか」。そんな時は機転を利かせ、足で携帯電話を取ってみせる。 「見せ物、との気持ちはなくなりました。これから、スカイダイビングやスキューバダイビングにも挑戦したい」と屈託なく話すのり子さん。新しい世界で、新しい自分に出会えるのを楽しみにしている。】
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若い女性が、駅の階段を上がる途中で、肩からかけていたバッグを、ごとん、と階段に落としてしまいます。その女性は、近くの人に「すみません!」と声をかけて、そのバッグを自分の肩にかけてもらいます。 しばらく歩いていると、彼女は、またバッグを床に落としてしまいます。 急いでいるのか、かかわりたくないのか、「すみません!」という声を何人かの人が無視して通り過ぎたあと、ひとりの男性が、バッグを拾って、彼女の肩にかけてあげます。……彼女には、両腕がありませんでした。 何度も繰り返される、その光景。落としてしまったバッグを、拾って自分の肩にかける、そんな「当たり前のこと」ができないというのは、こんなに大変なことなのだ…… 僕が「典子は、今」という映画で覚えているのって、実は、このシーンだけなのですよね。感動して泣いた、というよりは、ただただ、深いショックを受けて愕然としていました。
僕がこの映画のことを覚えているのは、日頃、映画にはほとんど興味が無さそうだった母親が突然「一緒に映画に行こう」と言って僕を連れていってくれたのが、「典子は、今」だったからなのです。僕の記憶では、あんなふうに母親と映画を観に行ったのって、たぶん、この作品だけでした。 この記事を読んで、僕ははじめて、「あの映画のあとに起こったこと」を知ったのです。「典子は、今」に出演後の、1ヵ月に3万通(!)の手紙をもらったこと、「見学者」が職場にまで現れて、「愛想の無さ」を責められたたこと。信じられない話なのですが、あの映画を観た人のなかには、彼女の映画出演を「売名行為」だとして非難する人までいたそうです。なんだか、本当に悲しくなってしまう話です。なんで、そんなふうにしか考えられないのだろう? そんなさまざまな彼女の心を傷つける出来事があって、結局、「のり子」が「典子」を受け入れられるのには、20年もの年月が必要だったのですよね……
【「私には障害者という自覚は全くありません。せっかく頂いた命、今を楽しく生きていきたい」】 なんだかね、「健常者」だと自分を思い込んで、「障害者」を哀れんでいるだけの人のほうが、よっぽど大きな「障害」を抱えているのではないかと感じることがあるのですよ。
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2006年02月07日(火) ■ |
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「街の自転車屋さん」が潰れない理由 |
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「潰れないのはさおだけ屋だけじゃなかった」(構成/リテール経済研究会・三銃士、宝島新書)より。
(「これが街の自転車屋の収入だ」という項より)
【クロス:最近、自転車ってけっこう流行ってますよね。電動アシストがついているものもあるでしょ。ぼくも欲しいし。うち丘の上だから帰りがタイヘンなんですよ。あと、「健康にもいい」ってサラリーマンの自転車通勤も雑誌で話題になっていました。実は自転車は意外に売れてる、が答えじゃないですか?
江戸坂:そうかな? たしかに、格安の自転車を売っている量販店や高級なスポーツサイクルを売る専門店は繁盛しているだろうね。でも、街の自転車屋は高額な自転車を扱っているわけじゃないし、電動アシストつきにしても量販店よりも、2割も3割も高い。クロスくんだって自転車は量販店で買っているんだろ?
クロス:もちろん量販店でしか買ったことがありません! そして自転車屋さんに行くのは、パンク修理のときだけ……。あっそうか! 実は自転車屋さんは修理で儲けているんですね?
江戸坂:正解! オヤジさんに、「これから飲みに行きましょう」って、駅前の居酒屋に連れていかれてさ。酔っ払って詳しく教えてくれた街の自転車屋の月間の会計はこんなものだったんだ。
●新品自転車販売月6台 (販売価格2万円−仕入れ値1万2000円)×6=粗利4万8000円
●ライト、鍵、ヘルメットなど部品販売 約5万円−仕入れ値2万円=粗利3万円
●パンク修理月150件 (修理代1000円−修理財のコスト10円)×150=粗利14万8500円
●その他チューブ交換などの修理の利益 約20万円−材料代2万円=粗利18万円
●登録料、保険料など手数料 4万円−原価3万2千円=粗利8000円
●合計粗利額 41万4500円
江戸川:このお店はオヤジさん夫婦に加えて、土日はアルバイトの親戚の子が来ているから、人件費はバイト代のみ。お店は自宅を兼ねているので実質的には家賃はなく、3年前の改装費のローンがあるだけ。さらに12月、1月、3月、4月は年末年始と新学期でセールスが大きく伸びるそうだ。なかなか潰れそうにない堅実なバランスシートだね。
クロス:自転車屋さんなのに新車の販売は1割だけ。意外だなあ。世の中面白いものですね。
江戸坂:そうだね。利益の8割は修理代から出ている。言うまでもなくこれは原価率が低いからこそ利益が高く、稼ぎのカシラとなっているわけだ。
クロス:もう何度も出てきた商売の大キホンですね。
江戸坂:パンクの修理代なんて原価率1%だしね。もし新車の販売だけで40万円の粗利を得ようとしたら、50台も売らなければならない。量販店全盛の今、街の自転車屋は販売店ではなく、限りなく修理屋さんになっていたというわけさ。】
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街の小さな自転車屋を車の窓から眺めていて、本当にあれでやっていけるのだろうか?なんて疑問を持ったことがある人は、けっして少なくないと思います。だって、自転車なんてそんなにしょっちゅう買うものじゃないし、僕の周囲にも「自転車は、いつも近所の自転車屋さんで買っている」なんていう人はほとんどいませんし。 ああいう自転車屋さんは、借金を重ねながら、意地で営業を続けているのかと思いきやさにあらず、この「月間の粗利の内訳」を見ると、確かに「自転車が売れなくても食べていける」ということがよくわかります。むしろ「修理ができることをアピールするために、自転車を売っている」のではないかと思ってしまうくらいです。 街の小さな電器屋さんが潰れない理由というのも、たぶん、これと同じような感じで、「限りなく修理屋さんになっている」からなのでしょうね。 この計算式そのものにはものすごくリアリティがあるのですが、その一方で、一日にパンクの修理が5件もあるのだろうか?とか、1ヶ月に自転車が6台も売れるのだろうか?とか、ちょっと疑問にもなるのですけどね。ただ、夏場に道端でアイスクリームを売っている女の子が絶滅しないように、僕たちが直接目にする機会はなくても、意外と買いに来る人というのはいるのかもしれないし、そもそも、これだけ利益率が高ければ、そんなにたくさんお客さんが来なくても、なんとか食べていけるくらいの収入にはなる、ということのようです。もっとも、月収が40万というのも、「親の代からの店で、家賃がなくて改築費のローンだけ」だからこそやっていけそうな金額ですから、新しく街で自転車屋さんを開店するというのは、ちょっと難しいかもしれません。 そして、この本の中では、もうひとつ「みんなパンクというのは非常事態だから、原価10円の修理で1000円取られても修理を頼む」ということが書かれていました。確かに、パンクした自転車を「修理代が安いから」という理由で遠くまで抱えていく人はほとんどいないと思います。自転車の修理に関しては、近場に「競争相手」がいるような地域はほとんどないからこそ、原価の100倍なんていう価格設定も可能なのです。 それにしても、お客さんが絶えないコンビニでは、おにぎり1個の利益というのは10円もないくらいで、それこそ「どんなに商品が売れているようでも、1個万引きされたら、その分を取り返すのもたいへん」であることを考えれば、一見閑散としているような「街の自転車屋さん」も、条件にさえ恵まれれば、そんなに悪い商売ではないのかもしれません。自転車屋で万引きする人は、あんまりいないだろうし。 「修理屋さん」になってしまっていることには、やっぱり、無念の想いを抱いている人も少なくはないのでしょうけど。
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2006年02月06日(月) ■ |
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「責任をとりたくない」男たち |
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「週刊SPA!2006.2/7号」(扶桑社)の特集記事「『責任取りたくねー』男たちの群像」より。
【精神科医の香山リカ氏は、このように語る。 「先頃、私が『貧乏クジ世代』として紹介したのは’70年代生まれ、つまり現在27〜36歳の人々なのですが、彼らはバブル景気のお祭り騒ぎぶりを見聞きはしているけれど、恩恵はこうむっていない。もう少し早く生まれていれば、オイシイ思いができていたはずなのに……と恨みに似た気持ちを抱え、自らの不全感を生まれた時代のせいにしているケースが少なくないんです」 今回、「責任とりたくねー」男として登場した人たちは、24〜33歳。貧乏クジ世代とほぼシンクロしている。程度の差こそあれ、責任を回避したがる人は、特にこの世代に増えているようだと香山氏は言う。 「クリニックとを訪れる患者さんと話していても感じることなんですが、現在の不遇を会社や親、社会、運の悪さなどのせいにする割に、元凶に対して怒り、何かアクションを起こすかというとそうでもない。”あいつのせいだ”と責任転嫁を見つけたところでおしまい。自分自身の責任において現状を打破しようと闘うわけでもなく、ずっと不全感をくすぶらせている。『今の仕事に不満があり、転職したいけど、webの管理人として毎日掲示板をチェックしなければいけないから、そんなヒマがない』といった、本人にしか通らないような理屈を挙げ、行動に移さない人は決して少なくありません」 「もう少し頑張れば?」と、ついお節介を言いたくなるほどだと香山氏は苦笑する。
(中略)
もしも、自分が「責任とりたくねー」男に該当するかもしれないとしたら、どうすれば改善できるのか。 「心を入れ替えるのはいいけれど、いきなり大改革を目指すのは精神的な負担が大きく、危険です。毎年、今ぐらいの時期になると、精神的に調子を崩す人が急増します。それというのも、年賀状で知人の幸せそうな暮らしを目にすることで焦りが生まれ、空回りしがちになるんです」 まずは、できる範囲の”責任”を果たすのが最初の一歩だそう。 「滞納していた税金を払うとか、選挙があれば投票に出かけるといったことを通じて、『責任を果たすって、気持ちいい』と感じることが大事なんだと思いますよ」】
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この「貧乏クジ世代」にジャストミートしている僕としては、まさに他人事とは思えないような記事でした。ちなみに、この記事で紹介されている、「責任をとりたくない人の頻出フレーズ&語尾一覧」には、【「多分」「〜らしいですよ」「〜と思います」「ないことはない」「とか」「〜だったはず」「あなたの好きにしていいよ」】という言い回しが紹介されています。ああ、なおさら他人事じゃないなこれは。 僕自身は、バブルのあのうわついた雰囲気というのにそんなに「実感」はないですし、「乗り遅れて悔しい」なんていう気持ちは全然ないと思っていたのですが、ひょっとしたら、潜在意識にはそういう「損したな…」というのがあるのかもしれませんね。 それにしても、「責任転嫁したがる割には、その『責任転嫁する相手』さえ見つけてしまえば、それで自分を納得させてしまう」なんてバカバカしいとは思うけど、確かに僕も「僕は自分の仕事をやるだけだから」なんて考えがちなところがあって、身につまされる面もあるんですよね。結局は「『マイペース』の大義名分を振りかざして、根本的な解決をしようとしていない」わけだから。「本人にしか通らないような理由」で、行動に移すのを避けているというのも、まるで自分が責められているようですし。 ただし、この文章のなかで、香山さんは、【責任転嫁というのは、一概に悪いことばかりではなくて、「頑張ったときに『自分以外の何か』のせいにするのは、いわば生活の知恵です。すべてを自分のせいにすると精神的につらすぎますから。うつ病になりやすいのもこのタイプですからね。】とも仰っています。何でも「自分のせい」だと考えてしまうというのも、それはそれで、精神的には良くないみたいなのです。まあ、それはあくまでも「頑張ったときに」というのが大前提で、頑張る前から「自分以外の何か」のせいにするのは、単なる「責任逃れ」でしかないんですけどね。 しかし、「年賀状」ってけっこう怖いですね。ありきたりの時候の挨拶のように見えるけど、その幸せそうな家族写真が、僕のような「責任をとりなくねー男」には、けっこうダメージを与えているのだよなあ。 とりあえず、「選挙なんて、投票してもしなくても結果は一緒」とか「年金なんて、将来もらえるかわかんないんだから払わない」とか言う前に、そういう「簡単に果たせる責任」から果たしていくというのは、確かに効果的なような気がします。 しかし、そこから始めるとなると、いつになったら「責任がとれる男」になれることやら……
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2006年02月04日(土) ■ |
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WEB日記における、「一人称」問題 |
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「ゴーマニズム宣言EXTRA・挑戦的平和論・上巻」(小林よしのり著・幻冬舎)より。
【もともとわしが自分のことを「わし」と言うのは、未熟への羞恥心からだ。老人への憧れからだ。 「僕」は幼稚そうで、甘えていそうで嫌い。 「私」は、福岡・博多の感覚からいくと女みたい。 「俺」は気取ってる。野性的に見せようとしてる。矢沢永吉なら似合うが、わしには似合わない。 結局、「わし」というのが、一番、恥ずかしくない。気取りがない。そう思って、高校の頃から「わし」と言い始めた。】
〜〜〜〜〜〜〜 「自分のことを何と言うのか?」というのは、僕にとっても難しいテーマなのです。小学校低学年くらいまでは、定型的に「ぼく」で良かったと思うのですが、中学から大学くらいまでは、常に「自分のことを一人称でどう呼ぶのがいちばん正しいのか?」と悩んできたような気がします。 「僕」なんていうのは、確かに甘えているというか、九州の片田舎で自分のことを「僕」なんて呼んで許されるのはドラえもんくらいでしたし、「俺」っていうのも、どう考えても僕のキャラクターに合っておらず、まさに「背伸びして野性的に見せようとしている」みたいだったし、「自分」はちょっと体育会系すぎだし。「私」なんていうのは、テレビドラマのサラリーマンが会議中に使うような言葉で、まさに「論外」だったんですよね。「わし」っていうのも、ヤクザみたいで趣味じゃない。 というわけで、僕自身は、それがどうしても必要なとき以外は、「一人称」をなるべく使わないようにして生きてきた記憶があります。そういえば、大学時代などは、がんばって「お、オレは…」とかいう感じで喋ったりしていましたが、周囲からみれば、「オレって感じじゃないのにねえ…」なんて後ろ指をさされていたのかもしれません。まあ、そんなふうに僕が過剰な自意識と闘っている一方で、周りはそんなこといちいち気にしていなかった可能性が高いのですけど。
しかし、こうやってWEBとかに文章を書くときって、この「一人称問題」を避けては通れないですよね。僕の場合は、今ではすっかり「僕」に落ち着いてしまいましたが、最初は、なんだか「僕」だなんてカッコつけてるなあ、と自分でも気恥ずかしかったことを覚えています。そして、書き言葉の場合は、漢字の「僕」とひらがなの「ぼく」、カタカナの「ボク」は、それぞれまた違うニュアンスを持っているのです(僕のイメージでは、漢字>ひらがな>カタカナ)の順に、ちょっと堅苦しく感じられます)。 例えば、 「わしが『番長』清原じゃ!」というのと、 「ワシが『番長』清原じゃ!」というのでは、後者のほうが、ちょっとおっかない雰囲気がアップするような気がしませんか? 「僕」って書いたら村上春樹っぽいし、「おれ」は筒井康隆っぽいし、女性の「アタシ」は椎名林檎っぽいなあ、とか、「自分のことをどう呼ぶのか?」というだけで、読み手のほうが、けっこういろんな印象を持ってしまうものなのですよね。そう考えると、本当に「僕」でいいのか?とか、また悩みはじめてしまいます。 まあ、こちらに以前書いたように、「日記」には、「一人称」なんて必要ない、というのが正しいのかもしれません。むしろ、そうできたら、すごくラクになりそうな気もするのですが。
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2006年02月03日(金) ■ |
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「レースゲーム脳」参上! |
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読売新聞の記事より。
【松山市で昨年12月、同市立中学3年の男子生徒(15)が、市内の市道などで約3時間にわたって断続的に車を運転し、幅がわずか5メートルの道を時速約100キロ以上で走行したり、急発進・急減速を繰り返したりしたあげく、ひき逃げ事故を起こし、松山東署に業務上過失傷害、道交法違反(ひき逃げ、無免許)容疑で逮捕されていたことがわかった。 ゲームセンターのレースゲームで運転技術を磨いたという男子生徒は「本物の車に乗り、スリルを味わいたかった」と供述している。 調べでは、男子生徒は昨年12月10日午前0時ごろ、盗んだ乗用車に仲間の少年少女5人を乗せて、松山市南西部の住宅街の市道などを暴走。赤点滅の信号を無視して交差点に進入、タクシーとぶつかり、タクシー運転手の男性(51)ら6人に重軽傷を負わせた疑い。男子生徒は2日後に逮捕された。 調べに対し、男子生徒は、週末には親や先輩の車を借りて公園や港の岸壁で運転し、「運転技術には自信があり、公道でスピードを出してみたかった」と話しているという。 捜査員は「幅約5メートルの細い道で100キロも出すなんて信じられない。ゲームの影響かもしれない」とあきれている。】
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またまた出た!ゲーム狩り記事!という感じです。ほんと、「ゲーム」「アニメ」「医者」は、メディアにとっての「バッシング3種の神器」なのではないかと思えてきます。この記事を読んだ「善良な市民」たちが、「危険なレースゲーム根絶」なんてことを訴え始めないことを願っています。 僕もレースゲームは大好きで、それこそ「ポールポジション」(ナムコ)の時代から、ずっとレースゲームに接してきているのですが、だからといって、無免許運転をしたり、暴走行為をしたことはありません。 確かに、最初に自動車学校に行く前までは、「こんなにゲームで運転に慣れているんだし、きっと自分は運転が上手いに違いない」とか、思い込んでいたのですけど。 しかしながら、実際に自動車教習を受けてみると、やっぱり、ゲームとは違うのだ、ということに気がつきました。いや、なんというか、怖いんですよ車の運転って。ゲームって、いくらクラッシュして車が爆発炎上しても何秒かすれば元通りになってゲーム再開なのですが、実際の車の運転では、それこそ「一瞬のミス」も許されないのです。コースとか操作に関しては、はるかに「ゲームより簡単」なはずなのですが、それでも、はじめて路上に出たときには、とにかく緊張しまくって疲れ果ててしまったような記憶があるのです。どんなにゲームが進化しても、「現実とゲームは違う」のは、当たり前のことなんですよね。だって、車の運転なんて、ちょっと油断しただけで殺人者になってしまう可能性があるのだから、そのスリルは、どんな派手なゲームより、はるかに大きいものだと思いませんか? 逆に、だからこそ、多くの大人たちが、ゲームの中で「暴走」して快感を得ているのです。こういうのがキッカケで「安全運転シミュレーション」みたいなゲームばっかりになるとしたら、なんてつまらない世の中なのだろう! ゲームが運転シミュレーターなどの形で社会に還元されているというメリットも考え合わせると、率直なところ、こんなので「ゲーム狩り」が行われるのには納得がいきません。こういうのって、盗んだ車ならともかく、子供に車を運転させる」というリスクを考えずにホイホイと車を貸してしまう親とか先輩が悪いのですよ。「レースゲームの影響」とか言う前に、なぜそれを問題にしないのでしょうか?「レースゲームのせい」というより、「レースゲームと現実の区別もつかない人間になった原因」のほうが、重要なのでは? そもそも、ゲームと現実の区別もつかないようなバカには、ゲームという高尚な趣味は、勿体無さすぎなんだよなあ。
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2006年02月02日(木) ■ |
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武豊騎手が「大一番」に強い理由 |
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「武豊×オリビエ・ペリエ〜勝つには理由(わけ)がある」(小学館文庫)より。
(人気・実力ともに当代随一の騎手である2人が、テーマに沿って自分の考えを語っていく本です。どうして「大一番」に強いのか?という質問に対する、武豊騎手の言葉)
【普通の人間は大舞台になればなるほど、迷いが生じてしまうものだろう。しかし、そういう舞台こそ、迷いは禁物だと、ユタカは言った。 「競馬だからね。い津どんなチャンスがくるかわからない。だからこそ、思いきって乗ることが大切だと思うんですよ」 ここまで言うと、「でも」と逆説を話し始めた。 「競馬はいつどんなチャンスがくるかわからない。でも、これは、逆にいえば、チャンスを逃す可能性も同じくらいあるということですからね」 つまり、何をすべきなのか。ユタカは言う。 「大きな舞台になってから慌ててもダメだと思うんです。未勝利戦とかの下級条件でも、できることは常にきっちりとやる。これが大切だと思うんです。常日頃からできることをきっちりやるという姿勢が、結局は大舞台で成果を出せるか否かにつながるのではないでしょうか」 大舞台では普段以上に思いきりが必要。ただし、普段以上の思いきりを発揮するためには、普段の姿勢が大事。ユタカはそう言って頷いてみせた。】
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緊張なんて言葉には縁がなさそうな武豊騎手。ときには何十億、何百億ものお金がかかったレースでも平常心で勝利を積み重ねていくというのは、考えてみれば凄いことですよね。その武豊騎手も、さすがにディープインパクトのダービーのときは「緊張した」そうなのですが。 僕には、もちろん武さんほどの「大舞台」に立つ機会はありませんが、それでも人前で発表をするときなど、ものすごく緊張してしまって失敗ばかりしています。そして、終わったあと、「大舞台に弱い自分」を嘆いてばかりなのです。 でも、この武豊さんの話を読んで感じたのは、結局、「大舞台だから緊張してダメ」なんて言うのは、言い訳でしかないのだな、ということでした。「大舞台だから」頑張るとか、リラックスするとか言う前に、「大舞台でない日常的なこと」からしっかりやることが大事なのです。そもそも、一瞬の判断力が問われるスポーツの世界よりも、僕が学会などでやってしまう「大舞台での失敗」の真の理由は、「本番で緊張してしまったから」ではなくて、「準備不足」が原因であることはるかに多いはずなのに。 そういう「自分の日頃の努力不足」を棚上げして、「緊張してしまうからどうしてもダメだ」なんて言ってしまえば、ある意味ラクではありますし。
たぶん、「練習のための練習」をいくら長時間やっても、「練習上手」になるだけで、けっして本番に強くはならないのだと思います。それよりも、時間は短くても「常に自分の全力を出していくこと、出せるようにトレーニングしていくこと」が必要なのですよね。 まあ、競馬のG1レースとか、オリンピックのような「本当の大一番」には、やっぱり「プラスアルファ」が必要な気もするのですけど。
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2006年02月01日(水) ■ |
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「最初に文庫で出て、あとから単行本になる」 |
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「この文庫がすごい!2005年度版」(宝島社)より。
(作家・姫野カオルコさんのインタビューの一部です。取材・文は、梅村千恵さん)
【姫野:私は、どうして本って最初に単行本になって、あとから文庫になるのかな、という疑問を常々持っているんですよ。筑摩書房のウェブ連載にも書いたことがある。「最初に文庫で出て、あとから単行本になる」というのが普通になったらいいのに、と。
インタビュアー:本というものが、すべて文庫本の形で出版されるほうがいいということですか?
姫野:すべての本というわけにはいかないでしょうが、小説や随筆などは、最初に装丁もシンプルな文庫本で、廉価で出版する。で、そういう文庫作品のなかから、とくに売れたものとか、根強い人気のものとか、読者カードによる単行本化要請度の高かったものとかを、コミックの愛蔵版のような立派な本にするほうがいいように思う。
インタビュアー:現在のスタンダードである、ハードカバーから文庫本へ、という流れを逆にするということですね?
姫野:そう。それで、ハードカバーになったら、解説はもちろん、それ以外の付加価値をたくさん付けるんです。たとえばその作品が発表された際のインタビュー記事や書評とか。ルックスがステキな作家のかたには、特別カラー著者写真などを掲載してもらってもいいでしょう。江國香織さんの着物写真とかが作品と一緒に掲載されていたら、ファンのかたはそれだけでもうれしいだろうし、京極夏彦さんの作品の愛蔵版みたいに、装丁とか書体を凝りに凝るのもいいですよね。そういう本なら、多少価格は高くてもファンの人は買うだろうし、インタビュー記事や書評付きなら資料的価値もあるからファンじゃない人も購買意欲が湧くと思うんですが……。
インタビュアー:まずは敷居を低くして、気軽に作品を手に取れるようにする、と。そして読書を楽しんで、その先は、本を買う喜び、保存する喜びが堪能できるようなものにするわけですね。
姫野:そうそう。最近の若い人は小説を読まないなんて言われているけど、それって、本というものを取り巻く仕組みがそうさせている部分も大きいんじゃないでしょうか。みんあTVドラマや映画は好きだし、インターネット上の書き込みなんかも楽しんで見ているでしょう? フィクションとして愉しんでいるんだから、”物語”を欲する志向は、それなりに脈々と続いていると思うんですよ。ところが本を読むということになると、何か堅苦しいイメージが立ちはだかってるような気がする。コミックも買うしゲームも買う、それと同じように文庫も買うという流れになれば、読者の気分も、なんていうか今より自由になるんじゃないでしょうか。自分のカンで選んで読んで、各人の好みで楽しんでいけばいいのではないかと……。】
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この本には、姫野さんの他にも、伊坂幸太郎さんのインタビューや、書店で働いている人たちの話が紹介されているのですが、僕が思っている以上に、みんな「文庫」という書籍の形態に愛着を持っているのだなあ、ということを思い知らされました。 作家や書店の立場からすれば、「ハードカバー至上主義」であり、「文庫は安いし儲からないから、新刊書のオマケみたいなものだ」とか「みんな文庫ばっかり買わずに、もっと新刊書を買ってくれ!」というのが本音だと予想していたのですが、「本が好きな人々」にとっては、「とにかく、いろんな人に、もっとたくさん本を読んでもらいたい!」というのが一番の願いのようなのです。確かに、中学生や高校生の頃から1000円以上もする新刊書を好きなだけ買えるような人生を送ってきた人なんていないだろうし、人気作家だって、書店員だって、本を好きになった時代に「自分で買える本」は、「文庫本」だったのですよね。 「文庫書き下ろし」の本もあるにせよ、現在の主流は、新刊書→何年か経ってから文庫化、というものです。いくら新しい本を読みたい、と思っていたとしても、新刊書の価格というのは、けっして「安い」ものではありませんし、「この金額だったら、文庫なら、2〜3冊は買える」と思えば、よほど「今、読みたい本」でなければ、手が出にくいのは事実です。僕も学生の頃は、「文庫になるまで待った」本がたくさんありますし。まあ、残念ながら、待っているうちに忘れてしまったり、どうでもよくなったりもしがちなのですけれども。
ここで姫野さんが仰っている「最初に文庫で」という発想って、あらためて言われてみれば、確かに、今の「本が売れない時代」に対する、ひとつの打開策であるような気がするのです。だって、買う側にとっても、安い文庫であれば経済的にも助かりますし、新しい作家の作品にも、気軽に手を出しやすくなると思うのです。新刊書で「話題作しか売れない」理由としては、価格が高いので買う側も「冒険」しにくい、ということもあると思うのですよね。書店で見つけて、ちょっと「面白そうかな」と思った作品が、500円ならその場で手を出せても、1300円なら、ハズレたらきついしなあ…とか、考えてしまいますよね。そして、結果的には、「一部の指名買いしてもらえる有名作家以外の本は新刊書では売れず、売れないから文庫にもならない」という悪循環に陥ってしまうのです。 まず文庫でたくさんの人に読んでもらって、コアなファンのためにハードカバーを出す、という発想って、まさに今、マンガが行っている売り方と同じなのです。そして、「新しいものが安く読める」というのは、とくに若者たちにとっては、ものすごく希求力がありそうです。 もし、その作品がものすごく気に入れば、「ハードカバー」を手元に置いておけばいいわけだしね。
まあ、江國香織さんの「着物写真」っていうのは、「特典」としては、本当にコアなファンにしか意味がないんじゃなかろうか、とか、「ハリー・ポッター」を出版しているところは大反対だろうな、とは思うのですが。 もしかしたら、出版社は、ごく一部の大ベストセラーで「ひと山当てた快感」が忘れられずに、現在のシステムをずっと続けているのだろうか……
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