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2005年06月30日(木)
「ネットコミュニケーションの実名化」がもたらす喪失感

共同通信の記事より。

【総務省は27日、自殺サイトなど「有害情報の温床」ともいわれるインターネットを健全に利用するために、ネットが持つ匿名性を排除し、実名でのネット利用を促す取り組みに着手する方針を固めた。匿名性が低いとされるブログ(日記風サイト)やSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)を小中学校の教育で活用するよう求め、文部科学省などと具体策を詰める。
 今週初めに発表する総務省の「情報フロンティア研究会」の最終報告書に盛り込む。
 国内のネット人口は増加する一方だが、匿名性が高いために自殺サイトの増殖や爆弾の作製方法がネットに公開されるなど、犯罪につながる有害情報があふれている。総務省はそうしたマイナス面を排除し、ネットを経済社会の発展につなげていくためには、実名でのネット使用を推進し、信頼性を高めることが不可欠と判断した。】

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 少なくとも今の日本のネット上では、利用者は一部のオフィシャルなサイトを除いて、自分の本名ではなく、HN(ハンドルネーム)を名乗るのが一般的です。普通の掲示板に、実名(らしきもの)で登場してきた人に対して僕が受ける印象というのは、よっぽどネットに慣れていない人なんだな、というものか、変わった人なのではないか、というものですし。
 正直、ネットの「匿名性」なんて、とくにネットで自分のことを書いている人に関しては、「相手が本気で(興信所などを使って)調べれば、けっこう簡単にわかる」という程度のものだと思うのですが。

 でも、僕はこんなふうにも思うのです。
 ネットでみんながHNを使うのは、「匿名」を利用して、悪いことをしたいからなのか?と。
 確かに、実名だと悪口なんて書きにくいし、ネットでの誹謗中傷は減るでしょう。おそらく、ネット上で、良くも悪くも「何か」をやろうという人も減るでしょうけど。
 「ネットの匿名性」が隠してくれるのは、「悪事」だけではなく、「羞恥心」もなのではないかなあ。誹謗中傷だけじゃなくて、日常生活では、なんとなく恥ずかしくて表に出せないような表現欲を「自分が誰だかわからない状態で、他の誰かに見てもらえる」という条件下だからこそ、発揮することができている人というのは、けっして少なくないのではないでしょうか。
 自分が描いた絵や綴った小説を、周りの人に見せる勇気はなくても、ネット上でなら「発表」できるという人は、けっこういるんじゃないかなあ。

 ここでこんな森羅万象(というのは言いすぎですが)に関してあれこれと論陣を張っている「じっぽ」というのは、ネットではない現実社会では、うだつの上がらない、他人の話を「ふーん、そうだねえ」なんてあんまり興味なさそうに聴いていて、あまり自分からあれこれと手を上げて発言することもない、そんな、比較的無害だけど存在感の薄い人間なのです。そして、リアルの僕は、そういう生き方が好きなのです。

 たぶんね、僕は自分が日頃「うまく生きる」ために心にしまっているものを、こうしてネットに「発表」しているのです。そして、現実世界の僕は、じっぽというHNで悪いことをしたいわけではなくて、「じっぽ」という人に、このネット世界の中でだけでも、なっていたいのだと思う。「ドラゴンクエスト」の中では、誰もが英雄であったり、ネットゲームの「ファイナルファンタジー」の中では、命がひとつなら絶対にできない冒険ができるように、僕にとって、「じっぽ」というのは、「隠れ蓑」ではなくて、自分にとって、ひとつの「演じてみたいキャラクター」なのです。そのキャラクターが、他人からみてどんなイメージか、というのはさておき、僕は、このキャラクターに愛着があるし、もし、この「ぼうけんのしょ」が消えたら、ものすごく悲しみます。

 ネットが実名になれば、確かに、「有害事象」の中に、減少するものも出てくるでしょう。でも、そういう「実名でも大声でモノが言えるタイプの人々」だけが発言するような世界は、僕にとってはものすごく居心地が悪いにちがいありません。

 でも、僕にはわかっています。
 おそらく、今後もこの世界はどんどん「じっぽ」にとって居づらいものになっていくはずです。おそらく、それはネットというものが「普通のもの」になっていくということなのでしょう。
 それが、僕にとっては、どんなに寂しい変化であったとしても。



2005年06月29日(水)
差し止め!!クロマティ高校

産経新聞の記事より。

【七月に公開予定の映画「魁(さきがけ)!!クロマティ高校THE★MOVIE」のタイトルに勝手に名前が使われているなどとして、プロ野球元巨人のウォーレン・クロマティさんが二十九日午後、配給会社のメディア・スーツ(東京)に対し、公開の差し止めを求める仮処分を東京地裁に申請することが分かった。
 代理人によると、クロマティさんは現在米国在住で、独立リーグ「サムライベアーズ」の監督を務めている。「青少年のために活動しているのに、自分の名前が不良高校の名前に使われており、憤りを感じる」などと話しているという。
 「魁!!クロマティ高校」は野中英次さんの人気ギャグ漫画で、不良高校を舞台に個性的なキャラクターが登場する。七月二十三日に実写版の映画公開が予定されている。
 クロマティさんは昭和五十九年に外野手として、巨人に入団。平成元年にはMVPを獲得するなど、二年に退団するまで、通算打率三割二分一厘、百七十一本塁打を記録するなど、主軸打者として活躍した。
 メディア・スーツの話「担当者がおらずコメントできない」】

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 「魁!!クロマティ高校」は、現在も「週刊少年マガジン」に連載中の人気マンガ(野中英次・作)なのですが、まさか、いまさらこんな問題が出てくるなんて、思ってもみませんでした。アニメ化もされている人気マンガなのだから、クロマティさん本人も知っているだろうと思っていたのに。
 「クロマティって名前は、野球選手のクロマティの専売特許じゃないですよ」とか言ってみても、この漫画に出てくる他の学校が「バース学園」だったり、「デストラーデ工業」だったりしますから、「関係ない」というのは、ちょっと苦しい言い訳ですからねえ…
 しかしまあ、このマンガの内容が、クロマティさんを誹謗中傷しているかどうかと問われれば、実際には高校の名前が「クロマティ」なだけという感じで、内容にはクロマティさんはほとんど関係ないようです。作者の野中さんが野球ファンで、親しみがある名前を適当につけただけで、深い意味はなかったのでは…と僕は思うのですけれども。まあ、少なくとも「悪意」はなさそうです。悪意がなければ、何をやってもいいってものではないでしょうが。
 しかしながら、このマンガがアニメ化されたときの紹介記事には,【東京都立クロマティ高校、そこは選りすぐりの不良達が揃う、「ワルのメジャーリーグ」とも言われるほど恐れられている高校である】なんて書かれていますから、まあ、クロマティさんが腹を立てるのもわからなくはないのです。いくらなんでも、自分の名前が「ワルのメジャーリーグ」では、あんまりです。イメージ的には、こういう「冗談」に目くじらを立てて「訴えてやる!」なんて言わないような感じではあったんだけどなあ。
 実際に、こういう「名前」に対して、「盗用」とか「名誉毀損」が成立するのかどうかは僕にはわかりません。小説や映画などの登場人物と同姓同名の人が「俺の名前をそんな登場人物に使うな!」なんて言い始めたら、登場人物は、Aさん(仮名)とBさん(仮名)とかになってしまかもしれないし。それとも、有名人であれば、やっぱり「名前だけ」でも、名誉毀損になってしまうのでしょうか。

 ただ、僕がひとつ心配なのは、当のクロマティさん本人は、このマンガの内容を本当に知っているのか?ということです。実際に自分の目で作品を確かめず、【自分の名前が不良高校の名前に使われている】という話だけを聞いて、「許せない!」という気持ちになっているのではないか、と僕は危惧しているのです。彼のセンスに合うかどうかはともかく、「クロマティ高校」というのは、不良を賞賛しているマンガではないのだけれど。
 「被害者」であるクロマティさんに、「そこまで確認しろ!」と罵声を浴びせるわけにもいきませんしねえ。

 たかが名前、されど名前。もしこのマンガのタイトルが「クロマティ高校」でなかったら、こんな大ヒット作になったかどうかもわからないし、「そのくらいは有名税」とか「日本で親しまれている証拠」というエクスキューズも、本人が不快であれば通用するはずもなく。 
 



2005年06月28日(火)
「はな垂れ女優」の逆襲

日刊スポーツの記事「日曜日のヒロイン・470」上野樹里さんのインタビューの一部です。

【インタビュアー:続く映画「スウィングガールズ」で、コメディエンヌの才能を発揮した。茶の間で家族とくつろぐ場面。寝そべって本を読んでいるとき、矢口史靖監督から、リラックスした雰囲気を狙って「鼻をほじって」と注文が出た。躊躇なくやってみせた。イノシシに襲われる場面では、鼻水を垂らした合成カット。現場では事務所スタッフの親心と、自分のサービス精神が”衝突”した。

上野:鼻をほじる場面では事務所スタッフが反対しましたが、面白いからいいじゃんと平気でやりました。キレイに映りたいという気持ちはあまりなくて、お客さんが楽しめる面白いものになればいいって考えちゃう。何でわかってくれないんだろうと少し落ち込みました。鼻水のシーンも、映画の完成前にスタッフから『はな垂れ女優って一生言われるぞ』って怒られたのですが、試写を見たらスタッフも大喜びしてました(笑い)。】

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 現在19歳、「スウィングガールズ」で一気にブレイクした観もある上野樹里(うえの・じゅり)さんのインタビュー記事なのですが、今の世の中でも、やっぱり、スタッフからのプレッシャーとか、事務所の方針みたいなものって、やっぱりあるのだなあ、と思いました。まあ、確かに「演技」とはいえ、うら若い女の子が、映画という公衆に晒される舞台で、鼻をほじったり、鼻水を垂らすなんていうのには、本人も抵抗はあるでしょうし、事務所としても「そんなことをやったら、イメージダウンになってしまう」と考えたに違いありません。
 でも、実際はどうだったかというと、この「面白いからいいじゃん」という上野さんの「サービス精神」が、結果として彼女を「個性派」として、人気女優に押し上げていったのですよね。実際、「鼻垂れ女優って言われる!」と危惧していたスタッフも、試写を観て「大喜びしていた」わけですし。
 やっぱり、観る側としては、「演じる側がカッコよくみせようとばかりしている、ナルシスティックな演技」よりも、「お客さんを楽しませたいというサービス精神」のほうが、好感が持てるし、インパクトもありますよね。
 そして、周りのマイナス面ばかりを気にしていたスタッフよりも、上野さん自身のほうが、自己プロデュースの仕方を理解していた、ということなのかもしれません。
 こうして考えると、「カッコ悪くみられるのはイヤだから、無難にやっている」つもりで、かえって、自分の魅力を引き出すチャンスを逸している場合も、けっこうあるのだと思います。いやまあ、誰だって「鼻さえほじれば魅力的!」なんてことはないんだけれど。

 今となっては、「はな垂れ女優」なんていうのも、女優・上野樹里の「看板」みたいなものですからねえ。



2005年06月27日(月)
あるミステリ作家の、隠れた「最大のヒット作」

「本棚探偵の冒険」(喜国雅彦著・双葉文庫)の一部です。

【ドライブがてらの我孫子さんの京都案内も耳に入らない。フィンランドから取り寄せた建材で建てられたという北欧建築の我孫子邸、通称『かまいたち御殿』の上品な美しさも目に入らない。

注:氏の脚本によるゲームソフト『かまいたちの夜』は氏の最大のヒット作である。】

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 京都在住のミステリ作家・我孫子武丸さんの家に、喜国さんがわざわざ「本棚の整理に」行ったときの話の一部です。喜国さんは「まったく誰も整理していないまっさらな本棚に本を並べていく快感」のために、わざわざ東京から京都まで新幹線で行かれたということですから、全くもって、好事家というのは凄いというか、常識を超越しているものだなあ、と感心してしまいます。僕も本は好きですけど、本を整理するのはちょっと…という感じだものなあ。
 ところで、この「注」の【ゲームソフト『かまいたちの夜』は氏の最大のヒット作】というところで、僕の目は留まったのです我孫子さんの略歴はこんな感じで、確かに、ミステリ好きには馴染み深い名前なのでしょうが、一般的な知名度からすれば、それほどメジャーではない、というところでしょうか。そして、僕が我孫子さんの名前を知ったのも、「かまいたちの夜」というゲームソフトのシナリオの原作者として、だったのです。
 我孫子さんは、この本のなかで「日本一シューティングゲームがうまいミステリ作家」なんて書かれていますし、生粋のゲーム好きが高じて、「かまいたちの夜」を作ったチュンソフトとの交流ができた(確か、ゲームに同梱されていたアンケート葉書がきっかけだったとか)、というエピソードがあるのですけど、「趣味」とか「副業」のはずだったゲームのシナリオが、「代表作」と呼ばれてしまうことには(この表現は、喜国さんのちょっとした皮肉のような気もするし)、どういう思いがあるのでしょうか。
 それにしてもまあ、本業である小説よりも、ゲーム作家としての仕事のほうが、「御殿」が建てられるほどお金になることもある、ということですよね。今の世の中、ちょっと本が売れたくらいでは「御殿」は建ちそうにないのに。
 実際は、そういう「一儲け」を狙って失敗した有名作家は少なくないし、我孫子さんとしては「かまいたちの夜」が「代表作」と呼ばれることには、あなり抵抗はないのかもしれませんが。
 そして、実際に遊んだ人間としては、遊びやすさが重要なゲームのシナリオとしてはともかく、小説家としては、「代表作」と呼ばれるほどのものかな、という気もしなくもないです。でも、世間的には「かまいたちの夜」の我孫子武丸に、なってしまっているのですよねえ。
 ところで、この「代表作」で思い出したのですが、「ファイナルファンタジー8」(スクウェア)という大ヒットゲームにフェイ・ウォンさんの"Eyes on Me"(1999年)という歌が挿入歌として使われています。ちなみに、ファイナルファンタジー8の売り上げ本数は、シリーズ最高の360万本ですから、実は、"Eyes on Me"は、1999年最高のヒット曲、と言えなくもないわけです。まあ、結構難しいゲームだったので、実際に曲が流れるシーンまでたどり着いた人は、そんなにいなかったとしても。
 こうして考えると、ゲームというのは、僕などがイメージしている以上に大きな「産業」になってきているのだなあ、とあらためて思います。そして、ゲームというメディアに影響を受けている人は、けっして少数派ではないのですよね。
 まあ、「作家的な評価」とか「アーティスト的な評価」としては、いまのところ、そういう「実績」というのは、黙殺されているのかもしれませんけど。



2005年06月26日(日)
「最悪」「失敗作」と罵倒された『スター・ウォーズ』

「九州ウォーカー・2005.No.14」(角川書店)のコラム「シネマ居酒屋」(Key教授・著)より。

(まもなく「スターウォーズ・エピソード3〜シスの復讐」が公開される、ジョージ・ルーカス監督に関するさまざまなエピソードなど。)

【72年、ルーカスは1年懸けてかった13枚の企画書を書く。イントロは、”これは有名なジェダイのパダワン、ウズビー・C・J・テープの親戚で、尊敬すべきオプチのジェダイ、メイス・ウインドゥの物語である”。これがスター・ウォーズの始まりだ。彼のこの構想はユニバーサルやワーナー、ユナイト等の多くのスタジオからB級SF映画だと失笑された。唯一20世紀フォックス映画の製作部長アラン・ラッドJrだけが350万ドルなら出そうと言った(ラッドは後に『エイリアン』『ブレードランナー』までも世に送る男となる)。ルーカスは経験から、フィルムにハサミを入れないことを約束してもらいスター・ウォーズの製作が本格化。が、完成したフィルムは妻マーシャから『失敗だわ』と言われ、試写を観た親友ブライアン・デ・パルマからは『最悪なものを観せられた』とののしられた。だか、周囲の酷評の中で唯一スピルバーグだけが『これはハリウッドの記録を塗り替える映画になるよ』と語った。77年、ついに2つの太陽が沈むのを見ながら”自身の人生を得る”ことを夢見るルーク・スカイウォーカーがスクリーンに映し出される。ここから伝説は始まったのだ…】

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 若き日のジョージ・ルーカスは、フランシス・F・コッポラの製作スタジオから、「THX−1138(1971年)」という実験的なSF映画を世に出したことがあるそうです。それこそ、「アーティスト」としてのプライドにかけて。しかしながら、その映画は、悲しいほど世間から無視されて、妻にまで「冷たい映画」だと酷評されたのだとか。
 そこで、ルーカスは「じゃあ、明るい映画ならいいんだな?」とばかりに、青春映画「アメリカン・グラフィティ」を撮りました。ちなみにこちらは大ヒット作品。
 もちろん、どちらの作品もジョージ・ルーカスという人が併せ持つ一面であることはまちがいないのですが、こういう経験が、ルーカス監督の「エンターテイメントとしての映画」観に、あらわれているような気がします。
 このコラムによると「スター・ウォーズ」の誕生時には、いわゆる「映画関係者」の評判は、あまり良くなかったようなのです。というか、ここに引用されている人々の反応からすると「最悪」に近かったのかもしれません。でも、ルーカス監督は、「映画マニアではない一般の観客」が、どういう作品を喜んで観るかというのをしっかり理解していて、そこから「芸術として評価されたい」という方向にブレることはなかったのです。それこそ「アーティストとしては不本意」だったのかもしれませんけど。
 今から考えると、「スター・ウォーズ」は、特撮技術は当時の最高峰のものだったのですが、ストーリーは至極シンプルです。正義のジェダイと悪の帝国、父と子の葛藤。この映画を最初に観たとき、小学生だった僕ですら、「なんてベタなストーリーなんだ!」と内心バカにしていたような記憶があります。それこそ、アーティスト志向の人には、「なんだこの底の浅い、パターン化された勧善懲悪SFは!」という感じだったのではないでしょうか。
 でも、ルーカス監督は、そういう「王道」こそが、多くの人の心をつかむものだというのを、たぶん理解していたのです。そして、この映画をメジャーにするために、わざと、「そういう話」にしたのです。
 だいたい、「ストーリーがベタ」なんて言いつつも、僕らはこの映画の面白さに感激して、掃除の時間にホウキを持って、ライトセイバーごっこをやったり、「コーホー」というダース・ベイダーの(ウォーズマンかむしろ?)マネをしたりしていたのだから。
 それにしても、「スター・ウォーズ」を賞賛した唯一の映画人が、スピルバーグ監督だった、という話は、とても興味深いものです。もちろん、「お金になる映画」=「良い映画」ではないにしても、「多くの人に観てもらえる映画」を作り続ける2大巨匠には、たぶん、当時から相通じるものがあったのでしょうね。



2005年06月24日(金)
「銭ゲバ」楽天球団とメールアドレスの「価値」

デイリースポーツの記事より。

【楽天・田尾安志監督(51)が23日、球団の営業方針に激怒した。楽天はこの日、フルキャスト宮城で行われた全体練習を一般ファンから入場料を取って公開する方針だった。あまりにも強い利益追求の姿勢に反発した田尾監督が、無料公開させた。
 練習中のスタンドに目をやった田尾監督が広報担当に声を掛けた。「きょうのお客さんはどうなの?」。それは、入場料金の有無の確認だった。
 23日、フルキャスト宮城で行われた全体練習は、ファンクラブ会員には無料公開だが、一般ファンから入場料500円を徴収するはずだった。それを知った田尾監督が激怒した。
 「練習でお金を取るなんて、みっともないからやめてくれと言ったんだ」と、22日に球団フロントに直談判。「みんなに無料で見せてやればいい」と憤慨する田尾監督に押され、一般客には入場口でのメールアドレス登録で無料とした。
 他球団ではまずあり得ない有料練習公開だが、楽天は、すでに4月21日の練習を有料化していた。ファンクラブ会員250人は無料ながら、一般客325人から入場料500円を徴収。
 利益追求の姿勢で、楽天は他球団の追随を許さない。球団創設当初は「20億円」と見込んでいた年間赤字を、今年5月の第一・四半期決算説明会では「10億円」まで下方修正している。
 米田球団代表は「現場の意見も反映して決めました」と話したが、メールアドレス登録もファンクラブ勧誘のためで、「サービス」より「営業」重視の姿勢は変わらない。】

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 325人×500円で、16万2500円。こういう「世知辛い運営」がファンに与えるイメージの悪さを考えれば、このくらいの収入に、プロ野球チームとして、何か意味があるのだろうか?と僕は思います。
 有料の練習といえば、このあいだ来日していたサッカーの「銀河系軍団」こと、レアル・マドリードも、何千円かの入場料で公開練習していましたが、レアルと楽天では、選手の世界的な知名度も、置かれた状況も違います。何より、日本に「出稼ぎ」に来たチームと、仙台という「地元」に、これから根を下ろしていかなければならないチームでは、こういうときの「ファンサービス」に対する姿勢も異なって当然のはずです。
 「ファンクラブ会員への特典」にしたかったのかもしれませんが、楽天イーグルスは、まだまだ人気的にも実力的にも、発展途上のチームという感じですから、既存のファンの囲い込みよりも、新規開拓が必要な状況でしょう。
 長年の歴史を持ちがなら、地元の人気も集客もチームの成績も低迷を続けている某広島カープファンの僕としては、あのフルキャストスタジアムで楽天を応援するファンの大歓声は、正直、羨ましくてしかたないのです。球場の形状もあるのかもしれませんが、交流戦を観ていて、どんなに厳しい状況の試合でも楽天のファンたちが選手を応援する声の大きさ、熱さは、今、12球団有数なのではないかと感じましたし。
 これを「創生期の一過性の熱気」に終わらせないためには、楽天の運営側は、もっと「先を見越した球団経営」をしていかなくてはならないはずです。今のロッテの躍進は、バレンタイン監督の「プロとしてのファンサービスの姿勢」のおかげですし、そういう球団側の努力が熱心なファンを生み、そういうファンの応援が、選手をレベルアップさせていく、という相乗効果が生まれてくるのではないでしょうか。
 球団としてのイメージよりも、目の前の16万2500円のほうが大事なんていう運営方針では、かなり、今後が不安です。こういうのって、運営担当者とかは「経費節減しました」なんて鼻高々だったりするのかもしれませんけど、それこそ、「本当にずっと球団を運営していく気があるの?」という感じです。
 だいたい、「楽天」という会社が、いま、イーグルスによって受けている恩恵(会社としての知名度や社会的認知度、株価の評価など)は、10億円どころではないはずなのに。
 田尾監督も「弱いとわかっているはずのチーム」の監督を引き受けて、成績不振を責められたり、こんな運営サイドの汚点にまで介入しなければならなかったりで、お気の毒だなあ、と同情せずにはいられません。それでもやりたいのが「プロ野球の監督」という仕事なのだろうか。

 ところで、僕がこの記事を読んで疑問に思ったのは、楽天側が「入場料」の500円を無料にする代わりに、「メールアドレスの登録」を義務付けたことでした。まあ、たぶんいろんな案内とかが送られてくることになるのでしょうが、正直、僕がこの観客のひとりなら、「500円払うから、メールアドレスは登録したくない」です。まあ、それ以前に観に行かないとは思いますけど。
 今までも「無料だけど住所を書かされる個展」で、あとから来るダイレクトメールや電話などのために、さんざん煩わしい思いをしてきたので、「ちょっとお金を出せば、後腐れがない」ほうが、望ましい気もするのです。楽天ファンならどうってことないのかもしれないけど、やっぱり、今後スパムが続々と送られてくるかもしれないメールアドレス登録は、ちょっと気持ち悪い。 500円くらいなら払ってもいいから、メールアドレスは勘弁してほしいと思うのは、僕だけでしょうか?

 それにしても、「ネット企業」にしては、メールアドレスの価値を安く考えてますよね、楽天さんは。たったの500円かよ。



2005年06月23日(木)
『大人の友情』における「距離の取り方」

「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)2005年6月号の記事「ダ・ヴィンチほりだし本『大人の友情』(河合隼雄著・朝日新聞社)」での、著者・河合隼雄さんへのインタビューの一部です。

【努力と工夫。そして、河合さんはもうひとつ「距離の取り方が大事」と言う。
河合「とくに若い人なんかは友だちといってもベタベタな関係になってしまう。ちょっと離れただけでも不安になって、急に淋しくなったりとか急に腹が立ったりとか。みんな人間との関係が欲しいと思ってるんやけど、”適当に距離をとって、しかもちゃんと深い”という感じがわからへんのやね。そこで焦る人のなかには、男女関係にいってしまう人も多いでしょ?セックスは”関係がある”と感じるからね。でも、身体は関係するけど心は関係しないから余計、孤独になる。”メル友”というのもあるけど、ケータイじゃなくて、生きてる人と生きてる人が関係を持つ、話をする、時間を共にする、というのをもっとやるべきやと思うね。みんな面白いよねぇ、忙しい忙しいって言うけど、ケータイばっかりやってるねんから(笑)。もっとじっくり、ときにはぼーっとしてるだけでもいいんですよ」】

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 「君子の交わりは、水の如し」なんていう有名な言葉がありますが、現代社会では、【若い人なんかは友だちといってもベタベタな関係になってしまう】ことが多いようです。ただまあ、「水のような交わり」というのが、果たして、正しい「友情」なのかどうかというのは、あまり他人と深くかかわるとめんどくさいよなあ、と考えがちな僕にとっては、よくわからないんですけどね。むしろ、「ベタベタした友情」みたいなものに、憧れてみたりもするし。
 そういうのは、単に、個人の嗜好なのかもしれないな、とも思います。
 「適当な距離」っていうのは、本当に難しい。

 「コミュニケーション」というものに対する考え方というのは、年々変わりつつあります。「電話」という手段が誕生したごく初期の頃は、「大事な用件は、会って話をするのが礼儀だ」と、多くの人が考えていたものです。
 でも、それから「手紙」の時代があって、「電話」そして「携帯電話」が主流になり、今は「メール」というのが、コミュニケーションの重要なツールになりました。今では、「メールだけじゃ失礼だから、電話を1本入れておいたら」なんて、「電話」というのも、どちらかといえば「無礼なコミュニケーション」から、「丁寧なコミュニケーション」に変わりつつあります。確かに、「メール」よりは声の調子とか大きさで、「温度」が伝わりやすいツールではありますし。逆に電話がかかってくると、このごろは正直、ちょっと身構えてしまいます。知らない番号だったら、「迷惑電話?」と思うし、最近親交がない知り合いからだと「結婚?」あるいは何かの勧誘?とか。一般的にはどうなのかわからないのですが、僕にとっては、電話がかかってくるのには、何かの「理由」が必要な時代になってきているのです。
 もう「ヒマだったから電話してみた」は、あまり好まれない時代なのではないか、と。

 河合さんの言葉は、もっともだなあ、と僕も思います。
 でも、その一方で、「実際に会っても、伝わらないものは伝わらないんだよなあ」と感じることもあるんですよね。それに「会うこと」そのものが難しい場合もあります。
 花田家の兄弟にしても、僕も最初は「実際に会って話をすれば、もっと関係改善をはかれるのではないか」と考えていたのですが、たぶん当人同士は「会いたくない」のだろうし、「そもそも、そう簡単に会えるような関係だったら、あんなことにはなっていない」のですよね。そういえば、僕も大学時代にものすごく仲が悪かった同級生がいて、それこそ部活を二分するような冷戦を繰り広げていたのですが、結局、お互いに「あのころは若かったねえ」なんて雪解けがみられたのは、部活を引退して何年か経ってから、だったんですよね。あとから考えれば「あのとき、直接本音で話し合っていれば、うまくいったのかもしれない」と、ものすごく後悔しているのですが、それからさらに時間が経った今、あらためて考えると、「あのときは、ああいうふうにしかできなかった」ような気もするのです。
 そういうのは、まさに「敗北主義」なのかもしれませんが。

 僕は、メールの中にも「体温」を感じることがあるのです。そういうのを「友情」だというのは、あまりにも短絡的なのかもしれませんが、確かに、何かが伝わってくることはあるのです。【身体は関係するけど心は関係しない】という「関係」があるのなら、「身体は関係しないけど、心は関係している」という「関係」が、ネットを通じてできることだって、あるのかもしれない。
 そんなことを書きながら、僕自身、そういう「関係」については、半信半疑ではありますけど、少なくとも「心」がこもったメールもあれば、そうでないメールもある。

 ちなみに、河合さんによると肝心なその「距離の取り方」については、「毎日人と接するなかで、日々練習していくしかない」そうです。
 僕にとっては、それができれば、こんなに苦労してませんよ、という感じなんだけどなあ。




2005年06月22日(水)
携帯電話を、捨てられますか?

impress Watchの記事より。

【電気通信事業者協会と情報通信ネットワーク協会は21日、携帯電話・PHSのリサイクルに関する調査結果を発表した。
 携帯電話・PHS利用者2,000人に対して行なった同調査によれば、端末のリサイクル認知度は50%弱で、36%の利用者は端末をゴミとして処分していることがわかった。過去1年間に買換・解約をした利用者については、古い端末を「店に引き取ってもらった」という回答は24%、「処分した」という回答は16%に過ぎず、端末を捨てないで保有する傾向が見られた。
 端末を処分しない理由としては、メールや写真などが記録されている端末を「コレクション・思い出として残す」が30%で最も多く、個人情報保護の意識の高まりからか「個人情報が漏れるのが心配」とする回答が24%で続いた。そのほか、「電話帳」が22%、「データのバックアップ用」が19%、「ゲーム機」が8%などとなり、通信機能以外の用途で利用する人も多かった。】

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 そういえば、一時期、携帯の「裏ワザ」として、某携帯メーカーと新規加入の契約をして(新規だと、携帯の本体の料金が格安になるので)、その直後に解約して「画素数の多いカメラ」を手に入れるというのがありました。これだと、もちろんその携帯で通話はできませんが、内臓されているカメラはそのまま使えますから、かなり格安で「携帯デジカメ」を手に入れられるというわけです。さすがにこういうことは、最近はできなくなっているようですけど。
 ところで、僕は携帯電話というのを捨てたことがありません。リサイクルという概念からすれば、本当に申し訳ないことなのですが、携帯電話というのには、それを使っていたときに送られてきたメールとか、画像が保存していて、捨てるに忍びない、というのもありますし、第一、その携帯電話そのものに、なんとなく愛着がわいてしまって。というわけで、僕は「捨てられない」組の「コレクション・思い出として残す」派になります。「個人情報」というのは、もちろん心配にならなくはないのですが、正直、「そこまで神経質にならなくても、たいした情報でもないしなあ…」という感じです。やっぱり、個人情報保護のため、というより、「長年の『友達』を捨てられない」というか、この携帯電話がスクラップにされるなんて…というような気持ちになるんですよね。結果的には、僕の家で存在すら忘れられているよりは、リサイクルされて新しい命を吹き込まれたほうがいいのかもしれませんが。
 それにしても、こうして取っておいた携帯電話というのは、みんな、本当に使っているのでしょうか?僕はたまに思い出して昔もらったメールや写真を眺める以外には、電源を入れることはありません。そして、いざ電源を入れてみようと思うと充電が切れていて、「わざわざ充電しなおすのもめんどうだし、もういいや…」というようなこともあります。考えてみると「携帯電話の付属機能」というのは、それが「携帯電話という必需品についているから」価値があるわけで、例えば「ゲームをやるためにもう一台旧い携帯を持ち歩く」なら、ゲームポーイアドバンスなりPSPなりを持ち歩いたほうが、はるかにゲームで遊びやすいし、旧い携帯の中の電話帳にしか残っていないような電話番号は、実際は、めったに使用しないような気もします。確かに、バックアップ用としては「助かった!」ということもあるかもしれないけれど。
 こういうとき、僕は自分が「ものを捨てられない人間」であることをあらためて実感させられます。いや正直、ヘタに遺しておいて、僕が急死でもしてしまった場合、身内に履歴を見られまくったりするほうが、「個人情報漏洩」より、よっぽど怖いような気もしなくはないんですが。




2005年06月21日(火)
必要だと思って買ったのに、実際は使わない周辺機器

「日経ベストPCデジタル・2005年7月号」の記事「ロードテストアラカルト〜第1回・スキャナー CanoScan LiDE 500F」より。筆者は海平のりおさん。

【全国のスキャナユーザーの8割は、その保管場所や設置場所に頭を悩ませている。間違いない!と某お笑い芸人のように断言してみましたが、これって、案外真実なのではないかと思います。そう毎日使うものではないけど、ふと使いたくなったときに機械を出すのが面倒くさく、「また今度、なんかをスキャンするときに一緒にやればいいや」なんてことで、作業を延期してしまう。そんな経験ありませんか?みなさん。】

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 「必要だと思って買ったのに実際は使わない電器製品」のナンバーワンは「ミキサー」だというような話をよく耳にするのですが(僕の実感としては、「加湿器」かもしれない)、「必要だと思って買ったのに実際には使わないパソコン周辺機器」の代表格は、この「スキャナー」ではないでしょうか。最近ではそれに続くのがフロッピーでディスクといったところかな。実際、僕も「あったら便利なはず!」と思って買ってはみたものの、埃をかぶっているんですよね、スキャナー。
 確かに、スキャナーはけっこう大きくて、机の上に常備しておくには、かなりのスペースが必要です。でも、そのわりには「絶対にスキャナーが必要」という状況は、仕事場ならともかく(レントゲン写真などをカンファレンスのために取り込んだりするので)、家ではまずありません。最初は「サイトのコンテンツ製作に役立つはず!」と思っていたのですが、スキャナーで取り込めるようなものには、著作権の問題があったり、個人情報が含まれていたりで、なかなか「実用」には難しいのです。そして、あの大きさというのは、よっぽど広い作業スペースを確保していないと、常備しておくにはちょっと不向きなのです。気になる雑誌の記事とか、スキャナーでスクラップしておけば便利だな、なんて買うときには思うんですけどねえ。
 このCanoScan LiDE 500Fというのは、「縦置きできる」のが売りらしくて、常に平べったく広範囲に机の上を占拠するいままでのスキャナーに比べると、はるかに省スペースのようなのです。僕もこの紹介記事を読んでいて、「これなら邪魔にならないかな」と心惹かれるものがありました。
 でも、ちょっと冷静になってみると、僕がスキャナーを使わなかった理由というのは「デカくて邪魔だから」ではなくて、「いちいち立ち上げて使うのが面倒」なのと「実際にスキャンするべきものがあんまりない」からで、別に、省スペースになったからといって、必要性が増すわけではないんですよね。たぶん、使わないものは使わない。
 とかわかったようなことを言いながら、この手の「新機軸」には、何度も騙されて、結局同じものを何回も買っているのが現実なんですけどね。



2005年06月20日(月)
「宇宙旅行」の値段

「週刊アスキー・2005.6.21号」の連載コラム「仮想報道 Vol.389〜『日本にもあった宇宙客船計画』」(歌田明弘・著)より。

【宇宙旅行に行くためにいくらだったら払ってもいいと思いますか。『マイボイスコム』という会社がやった昨年末のネット調査では、宇宙旅行に行きたい人と行きたくない人は半々だが、行きたい人のうち100万円以上出してもいいと答えた人は33パーセント、つまり、3人に1人もいたそうだ。500万円以上となるとさすがに5パーセントに減るが、宇宙旅行にいけるのなら、かなりの額のお金を出してもいいと考えている人が相当いることになる。
 どれぐらいの期間行きたいかという質問には、数日間と答えた人が約44パーセント、1週間程度が31パーセント。もっとも短い選択肢はどうやら1日程度というものだったらしいが、そう答えた人は9パーセントしかいない。宇宙で行きたいところも宇宙ホテルとか宇宙ステーション、月と答えた人が多く、宇宙空間まで行ってすぐに帰ってくると答えた人は7パーセントにすぎない。
 前回書いたように、いま1000万円から2000万円の価格で参加者の募集がはじまっているのはまさにこの最後のパターン、宇宙空間に行ってすぐ戻ってくる弾道飛行と呼ばれるもの。’08年の開始予定でいま募集しているヴァージン・ギャラクティックの宇宙ツアーでは、飛び立つ前にホテルに泊まって雰囲気を盛り上げたりといったことはするものの、フライト全部で2時間半から3時間、宇宙空間にいるのは25分、無重力状態はわずか4,5分とのことだった。もっとも、あまり長く無重力状態でいると宇宙酔いになる心配が出てくるから、「誰でも行ける宇宙旅行」ということだと、これぐらいの時間のほうがじつは無難なのかもしれない。料金のほうも、宇宙ステーション滞在となるとさらに高くて、これまでに行った2人の民間人は日本円にして20数億円も払っている。】

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 「宇宙に行きたいですか?」
 今から25年前に、そう聞かれたら、「行きたい!」と僕は即答していたと思います。そのころは、「宇宙」という存在には、問答無用の「夢」みたいなものがあったし、「21世紀になったら、人類はみんな宇宙コロニーで生活する」なんていうことをみんな当然の未来像として受け入れていましたから。まあ、こういう発想には、「機動戦士ガンダム」とかの影響もあったのですけど。
 それにしても、大人になって、ここ十数年くらいは、「宇宙に行く」なんてことを真面目に考えたこともありませんでした。このコラムを読んで、「そういえば、昔は宇宙に行きたかったよなあ」なんて、まるで「宇宙」が「ハトヤ」であるかのような感慨に浸ってしまったくらいです。
 昔の僕は、かなり本気に「宇宙に行きたい」と思っていたんですけどね。
 その理由は、高校時代に読んだ、立花隆さんの「宇宙からの帰還」で、宇宙飛行士たちが「宇宙」を体験し、「地球」という星を外部から見ることによって、その美しさに魅せられるのと同時に、それぞれの人生観すら変わってしまった、というのを読んだからでもあるし(だって、宇宙飛行士という心の平静を保つトレーニングを受けているはずのエリートたちが、キリスト教の伝道師になってしまうようなインパクトがどんなものかって、興味がありませんか?)、「ライトスタッフ」とか「スペースキャンプ」というような映画の影響もありました。逆に、「アポロ13」を観たときには、「宇宙には、しばらく行かなくていいなあ」とも思ったのですが。

 皮肉なもので、「宇宙に行って、地球を外から見る」という体験は、現在では「常人には不可能なこと」ではなくなりつつあります。たとえ、【飛び立つ前にホテルに泊まって雰囲気を盛り上げたりといったことはするものの、フライト全部で2時間半から3時間、宇宙空間にいるのは25分、無重力状態はわずか4,5分】であっても、「宇宙体験」には違いないし、1000万から2000万というのは、「人生で他のいろんなものを犠牲にすれば、絶対に手が届かない金額ではない」のです。でも、今の僕は、1000万円あったら、オーストラリアに30回くらい行けるよなあ、とか、つい考えてしまうのです。もちろん、30回も行くわけがないとしても。

 所詮、宇宙というのは、「遠くにありて想うもの」なのかもしれません。しかし、行かなかったら行かなかったで、死ぬ直前とかに「やっぱり、宇宙に行っておけばよかった……」なんて、ちょっと後悔しそうな気もするのですが。



2005年06月19日(日)
ぼくは、春菊のおかげで、<氷>という字が書けなくなった。

「業界の濃い人」(いしかわじゅん著・角川文庫)より。

(内田春菊さんの回の一部です。春菊さんがクラブ歌手をやっていたころの話。当時は、歌手としての仕事のほかに「ホステスのような仕事」もやらされていたそうです。)

【ぼくは、春菊のおかげで、<氷>という字が書けなくなった。
 まあもちろん、全然書けないというわけではないが、書く時、これで正しいのかどうか、一瞬ためらってからでないと書けなくなってしまったのだ。

(中略)

 春菊のいたクラブでは、客がリクエストをできるシステムを採っていた。客の希望する歌を、専属クラブ歌手がその場で歌うという、かつての藤山寛美率いる『松竹新喜劇』みたいなことをやっていたのだった。

(中略)

 ある夜、ホステスが一枚のリクエストカードを、ステージにいる春菊に持ってきた。彼女のテーブルのお客さんがリクエストしてきたものを、そのホステスが鉛筆でメモして持ってきたのである。
 それを見た春菊は、首を捻った。
 そこには、<永雨>と書いてあった。
「つまり、<氷雨>のことなんです」
 春菊は困った顔で俯いた。
『氷雨』というのは、当時、大ヒットしていた歌謡曲である。何人もの競作になって、どれもかなりの売れゆきを示したと記憶している。
 わっはっは、<永雨>かあ、とぼくは大笑いし、それから、ふと不安になった。俺って、<氷>って字書けたっけ……。
 もちろん、書けるに決まっている。
 生まれてからそれまでに、ぼくは永という字を、おそらく百万回は書いている。そのうち一度だって、ぼくは<氷>と<永>を混同したことなどない。<氷>という字を書かせたら、その正確性において、漫画界でぼくの見右に出るものはいない。<氷>は<水>に<、>が左肩だ。<永>は<水>に<、>が頭の上だ。こんな小学生でも書けるような字を、ぼくが間違えるわけがないのだ。
 しかし、この時、ぼくは一度、<氷>と<永>に関して、不安を持ってしまったのだ。昨日まで、なんの疑いも持たずにできていたことが、案外と混同しやすく困難だったのかもしれない、と思ってしまったのだ。ぼくはこの時点で、常識というものの危うさに、既に気づいてしまったのだ。
 もう駄目である。
 これ以降、ぼくは<氷>という字を書くたびになんだか不安になり、一度別の紙に書いてみて、自分が<氷>という字を書いていないことを確かめてからでないと、本番に移れなくなってしまったのであった。】

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 僕はこれを読んで、「ああ、そういうのってある!」と大きく頷いてしまいました。そうなんですよね、あんまり考えずにやっているときは、とくに問題なくこなせていることでも、何かのきっかけでふと意識するようになると、急に不安になってしまうのです。僕にとっては、車の運転とかがそうだし、「床屋に行く」ということもそうだなあ。だって、剃刀を当てられている状況なんて、もし床屋さんが突然殺人鬼に変貌すれば、僕はまったく無力なわけですから。それは「妄想」なのかもしれませんが、そういうのって、一度気になりはじめたら、打ち消すのはなかなか難しい。
 いしかわさんは、ここで<氷>と<永>のことを書かれているのですが、確かに、<氷>と<永>というのは、「<、>の位置は近いけれど、意味も違うし、間違えるわけない」と僕も思います。というか、そんなのを間違えるなんて、これを読むまで、考えてもみませんでした。
 でも、一度これを読むと、次からはちょっと気になってしまいそうです。
 だいたい、ただでさえ最近はパソコンを使って文章を作成することが多く、うろ覚えのままでも表示された候補の中から選べばいいので、漢字に対する詳細な知識は失われつつあるのに……
 そういえば、僕は「博」という字が苦手です。この字の右側の「専」の右上に<、>を打つべきかどうか、なぜかいつも不安になり、悩んでしまうんですよね。<氷>と<永>に比べれば、もともと「悩ましい字」だとは思っているのですが、でも、この字を手書きで書かなければならなくなるたびに、「この間も『博多』で悩んだよなあ…」ということは思い出すのですが、肝心の「右上の<、>が必要かどうか」には、やっぱり自信が持てないのです。
 いやほんと、自分でも情けないのですけれど、一度気になってしまうと、どうしようもなくなるんだよねえ。

 これを読んだあなたも、もしかしたら、<氷>と<永>に、自信が無くなってしまうかも……



2005年06月18日(土)
文学新人賞を獲るための「傾向と対策」

「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)2005年7月号の記事「文学賞メッタ斬り!in 番外新人賞ナビゲート編」より。

(『文学賞メッタ斬り!』(PARCO出版)の名コンビ、豊崎由美さんと大森望さんが、「新人賞に挑む極意」について対談した記事の一部です。)

【大森:ところで、新人賞に応募する人のなかには、選考委員の作家で送り先を決める人もいますが、それについてはどう思います?

豊崎:うーん。たとえば好きな作家が選考委員をつとめている章に、その作家とよく似た作風のものを書いて出す人とかいますよね? でも、作家って自分と似たようなことを書く人にものすごく厳しい。ここもダメ、あそこもダメって、欠点がすごくよく見えるから。むしろ自分が敬愛している作家に落とされかねない事態も起こりうる。ここは気にかけたほうがいいと思います。

大森:たしかに。「どうしてもこの作家に読んでもらいたい」と強く思ったりしない限りは、選考委員の作家を意識するよりも過去の受賞作や候補作にどんな作品があるのかを見たほうがいい。

豊崎:そうそう。”何が獲っているのか”ということを調べることが大事ですよね。あと、書いたものを本好きの知り合いに読んでもらうのもいいかも、「これなら純文学系よりライトノベルでもいいんじゃん?」とか言ってくれる人がいるかもしれないし。自分じゃなかなか判断できない部分はありますからね。でも、もっとも大事なのは、募集要項をしっかり読むこと! 意外に難しいんですよ、「左側を綴じる」とか「○○字詰めの用紙で」とか。それでミスをしてハネられるなんて悲しすぎですよ(笑)。

大森:諦めない、ってことも大事。何回も応募することも必要ですよ。はじめて応募した先でスルっと賞を獲っちゃうケースよりも、1次・2次選考で落とされたものを磨いて、いろんなところを経由して受賞することも多いですから。】

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 これを読んでいて、ああ「投稿したものが採用されるための秘訣」というのは、文学賞でも、学術論文でも似たようなところがあるのだなあ、と思ったのです。もちろん、学術論文には、「その世界のしがらみ」というような、内容以外のファクターもけっこうあるみたいなのですが。
 でもまあ、最近の文学賞の傾向からすると「作者のキャラクター」というのが、けっこう重視されているような賞も多そうだけど。
 この「自分の好きな作家に落とされる悲劇」というのは、考えてみれば、確かにそうなんですよね。いくら自分のファンだとしても、同じジャンルであれば「書いてあることがわかる」から、細かいところも目につくでしょうし、一作家とすれば「自分の劣化コピー」みたいな人が新たに同じ業界に参入してくるのが快いはずもありません。逆に、自分が日頃接していないジャンルのほうが、目新しい印象を受けるかもしれないし。
 そして、「どこに応募するのか」というのも大事ですよね。僕も論文を書いているときに、指導してくれている先生に「どこに投稿するか、投稿する雑誌の傾向を研究しておくように」と言われました。もちろん、ノーベル賞クラスの研究とかであれば、「Nature」でも「New England Journal」でも好きなところに投稿すればいいのでしょうが、現実にできあがる論文というのは、もっとマニアックで、「読む人を選ぶ」ものがほとんどです。だから、「ある雑誌なら、一発でOKの内容でも、他の雑誌では『興味ない』と門前払い」なんていうのは、よくある話で。実際は、「ことごとく門前払い」なんていう状況も起こりうるわけなのです。同じようなジャンルに見える学術雑誌でも、エディターによって微妙に「好み」が異なるので、「どんなものが今まで載っているのか?」を研究するというのは、「邪道」っぽいですけど、けっこう大事なことなんですよね。「出したいところに出す」よりも「載せてくれるところに出す」という割り切りが必要なときもある。

 そして、「ストライクゾーン」というのは、イメージとは違うということも少なくないのです。
 この対談の中で、豊崎さんが【むしろ「ファンタジーノベル大賞」に「中世っぽい舞台で竜退治」みたいなド真ん中のファンタジーを送っても絶対に通りませんからね】と書かれていますが、確かに、 第一回の日本ファンタジーノベル大賞を受賞した、酒見賢一さんの「後宮小説」を読んだとき、僕は「これって、ファンタジーなの?」と思った記憶がありました。むしろ、歴史小説っぽい感じで。その後もこの賞で「ド真ん中のファンタジー(=「ドラゴンクエスト」のような世界観)」の受賞例って無いようです。「何がファンタジーか?」という解釈は難しいけれど、少なくとも「いかにも」というような作品は、かえって評価が辛くなるのでしょう。逆に歴史小説の賞に「後宮小説」が投稿されていたら、この作品は世に出られなかった可能性もあるわけで。

 「自分が良い作品を書く」ことは、もちろん大事なことなのですが、「相手をよく知る」というのも、やはり大事なことなんですよね。そういうのって、大概、さんざん苦労したあとにようやく気付くものなんですが…
 「Nature」でも「New England Journal」でも好きなところに投稿すればいいような論文、あるいは、どんな文学賞に投稿しても選考委員を圧倒するような作品が書ければ、それに越したことはないし、最初は、そのつもりでやっていたりするんだけどねえ。



2005年06月16日(木)
過剰に「管理」したがる人々

共同通信の記事より。

【大阪府警泉北署は15日、恐喝の疑いで同府堺市上之、駐車場管理人(61)を逮捕した。
 この管理人は駐車場内の管理人事務所前に「不法侵入など厳禁。見つけ次第罰金1万−3万円徴収のこと」などと書かれた看板を掲げ、契約していない車が入ってくると運転手に駆け寄って“罰金”を徴収した上、住所や氏名のほか母印まで押させていたという。
 調べでは、容疑者は5月20日夕、同市豊田の駐車場で、同市の女性(31)の軽乗用車が方向転換する際に車の前半分が駐車場を入ったことに対し「罰金を払え」と脅し、3000円を脅し取った疑い。
 同署によると、4月から計7人が同様に計6万3000円を脅し取られたと相談に訪れていたという。】

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 この記事を読んで、僕の前の職場の近くにある、「一風変わった管理人のいる駐車場」の話を思い出しました。
 その駐車場は、舗装されていなければ、ラインも引いていない、単なる「空き地」なのですが、それでも、その病院の近くには駐車スペースが少ないこともあって、借りている人はけっこう多いのです。でも、そこの管理人さんは、すごく怖い人で、誰かが歩いてその駐車場を通り抜けようとすると「ここは私有地だから、勝手に入ってくるな!」と「侵入者」をヒステリックに追い掛け回すそうなのです。実は僕も、転勤前で荷物をたくさん抱えていたときに、ダンボールを抱えたまま、魔がさしてそこを通って自分の車が置いてある駐車場までショートカットしようとしたために、さんざんイヤミを言われて、「ここはウチの土地ですからね!」とイヤミを言われて、不快な思いをしたことがあります。そりゃあもう、私有地ですから、通るほうが悪いのだし、そういうことが頻繁にあれば不愉快だというのはわかるんだけど、なんだか、「人間ってやつは、土地とか持ってたらロクなことにならんなあ…」というような感想を持ちつつ、心の中で悪態をつきまくっていたんですけどね。
 ところで、駐車場にはよく「違法駐車は、金1万円申し受けます」とか書いてあるわけですが、実際に僕はそういう目にあったことはないし(というか、めんどうなことはキライなので、違法駐車などはしないようにしています)、周りの人でも、実際に徴収されたという話は聞いたことがないのですが、この61歳の容疑者の場合は、ちょっと過激すぎるというか、酷すぎるというか…この人が「特殊」であることを願ってやまないのですが……
 【軽乗用車が方向転換する際に車の前半分が駐車場を入ったことに対し「罰金を払え」と脅し、3000円を脅し取った】というのは、さすがに「不法侵入の罰金」というよりは「言いがかり」ですよね。軽乗用車の前半分なんて、ほんのちょっとのスペースだし、この軽乗用車の女性だって、道を間違えたりして、やむなくスペースを拝借したのかもしれないし。

 この管理人は、駐車場の所有者ではなくて、あくまでも管理していただけの人みたいなので、自分の立場を利用して「小遣い稼ぎ」をしていたのでしょうけど、車を運転する機会の多い僕にとっては、こういう「怖い駐車場」の存在というのは、なんだかとても不安になるのです。こんなキャッチバーみたいな駐車場があるなんて。警察に相談に来たのが7人ということは、実際はもっと被害者は多かったはずだし。
 
 確かに、こういう「不法侵入」というのが、管理者にとって不快で迷惑な行為というのはわかります。でも、ものには程度というものがあるし、管理者側も利用者側も、お互いに節度をもってやっていかなければなりませんよね。たぶんこの管理人、おとなしそうな「侵入者」だけを狙って、こんなことをやっていたのだろうし。
 譲り合うべきなのは、道路の上だけじゃない。



2005年06月15日(水)
「プロの作家になれる人」の見分けかた

「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)2005年7月号の記事「出動!トロ・リサーチ・第19回〜持ち込みで本を出版できるのか?」より。

(「持ち込み」で本を出版できるのか確かめる、という企画の記事で、筆者が実際に各出版社の編集者に取材したものの一部です。

【「持ち込みですか、もちろん歓迎ですよ」
 開口一番、力強く言い切ってくれたのは、小学館出版局の菅原朝也(文芸副編集長)さんだ。同社が小説に本腰を入れ始めたのは1997年頃から。自社文学賞を持っていなかったから、どうすれば原稿を持ち込んでもらえるか頭を悩ませたほどだった。実際、菅原さん担当の文芸作品として最初のヒットとなった松岡圭祐氏の『催眠』は、知人を介して持ち込まれた原稿だったそうだ。
「その後、嶽本野ばらさんの本を出すとき、帯に原稿募集と入れてみたんです。この本に興味を持つ人なら、という読みですね。けっこう反響がありましたよ」
 そのなかには、後の大ヒットにつながる反響もあった。帯を見た市川拓司氏が、この本の編集者に読んでもらいたいと、既刊本を送ってくれたのだ。それを読んだ菅原さんがホレ込んで手紙を出し、『いま、会いにゆきます』へとつながっていったというから、本が持ち込みの役割を果たしたことになる。
「持ち込みで見るのは文体なんです。作家としての生理を持っているかが第一で、技術は二の次。こっちもプロですから、数枚読めばだいたいわかります。音楽プロデューサーがデモテープを聴くときに似ているかもしれない。楽曲ではない部分が決め手になるという意味で」】

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 もちろん、これは菅原さんへの個人的なインタビューですから、それぞれの編集者に、それぞれの見方があるのだとは思います。でも、この【持ち込みで見るのは文体なんです】という言葉には、やっぱり、「プロの目」あるいは、「プロ作家を見出す目」というのが感じられたのです。
 日頃誰かが書いたものを読むときに「文体」にこだわりを持っている読者というのは、そんなには多くないはずです。でも、よく考えてみると、それぞれの「作家らしさ」というのは、扱っているネタの内容というよりは、それぞれの作家特有の「文体」に依存している部分が大きいのです。
 「村上春樹らしさ」とか「椎名誠らしさ」とか「舞城王太郎らしさ」というのは、彼らが扱っている「内容」もさることながら、作者を知らずに読んでいても「あっ、村上さんが書いたものだな」と思い浮かぶような「文体」の賜物なんですよね。

 綿矢りささんの「蹴りたい背中」を読んで、僕などは不謹慎ながら「こんな話、誰にでも書けるんじゃない?」とか感じていたのですが、「ああいうストーリー」は誰にでも書けても、あの「綿矢りさ」らしい言い回し、すなわち「文体」は、誰にでも書けるというものではないですよねえ。「こんな話」は書けても、「こんなふうに」は書けない。それこそ、まさに「才能」なのだ、ということなのでしょう。そして、「何を書くか」ということにばかり目がいきがちだけれど、むしろ、プロとしてコンスタントに作品を生み出していくには、「どう書くか」を確立していくことが大事だということなのです。

 そういえば、最近のお笑い界は、いわゆる「あるあるネタ」ばかりをみんなやっているような気がしますけど、売れるために必要なのは、ひとつひとつのネタの面白さはさることながら、そのネタの「見せ方」なのではないかなあ、と思います。「ギター侍」波田陽区とかレギュラーの「あるある探検隊」というのは、ネタの中身が飛びぬけて他の芸人より面白いというよりは(もちろん、つまらなくはないとしても)、パフォーマンスとの組み合わせで、「より面白く見せている」のです。逆に、あの形式にのっとってさえいれば、多少出来の悪いネタが混じっていても、なんとなく笑ってしまいますしね。「文体」には、そういう利点もあるのです。

 まあ、WEBサイトの文章でそこまで意識する必要はないのでしょうが、「マンネリだ」と思われるほどの「自分の型を作る」というのは、面白いネタを毎日考えるよりも、有効な「売れるための手段」なのかもしれません。
 「何を書くか」に僕らはとらわれがちだけれど、長い目でみれば、「どう書くか」のほうが重要な場合も、けっして少なくはないようですから。



2005年06月14日(火)
「出てこい!マサルさん」

日刊スポーツの記事より。

【貴乃花親方は生出演した日本テレビの夕方のニュース番組で、兄勝氏を痛烈に批判した。この日の日本相撲協会葬後、報道各社にファクスでコメントして無言を貫いた兄に、辛らつな言葉を浴びせた。

 「勝さんも自分の口でお話をされるべきではないでしょうか。(コメントは協会葬の)直後に出していますね。計画的に練られた手法ではないでしょうか。目を見てお話しすることが必要。これ(ファクス)は理不尽。それに勝さんは当事者でしょう。(コメントを控えるなら)誰が、答えるのですか? 今後、どういう手法をとるのか興味があります」。

 人前に出てきちんと話をすることを求めた。確執発覚後、カメラの前でどんな話題にも答えてきた自負があるだけに、兄の行為に怒りをあらわにした。

 喪主を務めた協会葬が終了した直後の会見では、冷静沈着だった。兄との関係について質問が及んでも「今日は協会葬ですし、これまでお話ししている以上の進展はありません。あった時には私の口から正直にお話しします」と、いつもの落ち着いた口調だった。

 それが1枚のファクスを契機に、怒りが膨れあがった。兄のファクスを会見中に知ると「そうですか」と受け流した。しかし、胸中は違っていた。

 テレビでの暴走は続いた。「男同士、腹を割って1対1で話すことが最善策と思ってきました」「テレビの前に出て私の発言に対して、反論するならきちんと反論すべきです」「言葉よりも行動。目を見てお話しすることが必要」「兄に見合う行動をしてくれなければ兄という言葉は言えない」。画面の向こうの兄に訴えるように痛烈な言葉を並べたてた。

 今月6日、日本テレビの番組に貴乃花部屋で生出演したが、兄を批判することはなかった。「この問題に早く終止符を迎えたい。賛否両論あると思いますが、真実は1つ。ファクスのコメントではなく、テレビカメラの前でインタビューを受けることを望んでいます」。

 朝8時すぎに勝氏の自宅で遺骨を受け取り、その遺骨は協会葬後、貴乃花親方が自宅に連れ帰った。その経緯についても、貴乃花親方は会見で「勝氏はお寺(東京都杉並区の天桂寺)の住職に預かってほしいとお願いしていましたが、私が住職に一般的には納骨までどうするのかと聞いて、私の自宅に置くことにしました」と食い違いを明かした。兄弟間の溝は深まるばかりだ。】

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 この兄弟ゲンカ、いまや日本中の注目を集めています。昨日病室を回診していたときに、この貴乃花親方出演の番組を、どの患者さんも目を輝かせて観ていましたし。兄弟の不仲や内縁の妻、遺骨を巡っての争い、おしゃべりな家政婦…ここまで典型的な「骨肉の争い」というのは、滅多に観られるものじゃありません。「事実は小説より奇なり」とは言いますが、これはまさに「ベタすぎて小説に書いたら笑われるような事実」なわけで。たとえ、「花田家的なもの」というのをどの家族も少しずつは抱えていたとしても、ここまでそういう「要素」が揃っていることは、ものすごく珍しいのではないでしょうか。

 この貴乃花親方の会見なのですが、ある意味「不器用な人」なんだなあ、とも思えるものではあります。【「勝さんも自分の口でお話をされるべきではないでしょうか。(コメントは協会葬の)直後に出していますね。計画的に練られた手法ではないでしょうか。】というところなんか、読んでいて、「ラジオ番組にネタを送っているわけじゃないんだから、『計画的』に決まってるじゃん!」と、思わずツッコミたくなるんですけど。葬儀というのには、確実に儀礼的な面があるのは事実だし、みんなそういう「建前」を望んでいるということを誰か教えてあげなかったのでしょうか。
 確かに、お兄さんのほうは、今は「花田家の長男」としてキチンと振る舞っているのですが、これまでは、相撲協会をやめて芸能人化してみたものの何をやってもうまくいかなかったりしていますし、不倫騒動なんてのもありましたし、その点では、「父親が遺した部屋を継承するために頑張っている」弟のほうが、「親孝行」なのかもしれません。僕が受けている印象では、二子山親方は、「兄のほうがかわいいけれど、弟のほうを評価していた」のではないかなあ、という気がするのです。そして、この二人には、お互いに対するものすごいコンプレックスがあったのではないか、と。
 
 【「男同士、腹を割って1対1で話すことが最善策と思ってきました」】【「テレビの前に出て私の発言に対して、反論するならきちんと反論すべきです」】これは、両方とも貴乃花親方の発言です。世間一般からしたら、これってものすごく矛盾してますよね。でも、貴乃花親方にとっては、「1対1で直接会って話すこと」と「テレビカメラを通じて話すこと」は、同じことなのだと認識されているようです。それって、ものすごく違和感がありますよね。マスコミを通じての「対話」は、あくまでも、お互いに言いたいことを一方的に送りつけているだけなのに。
 普通に考えれば、「マスコミの介在しないところで、直接話をしたほうが、お互いに『手打ち』がしやすいのではないか」と思われます。こうやって大々的に報道されてしまっては、お互いの面子もあるだろうし、なかなか「折れる」わけにはいかなくなりますよね。実は、先に「折れて」しまったほうが、世間的には評価されるものだとしても。
 貴乃花親方は僕と同じくらいの年齢で、父親が若くして亡くなったのに、悲しんでいる時間より、骨肉の争いを繰り広げていく時間のほうがはるかに長そうなのも、正直観ていてせつないです。身内の死に対して、そんな「余裕」があるのだな、って。
 今回の騒動を観ていると、「世間に注目されること」というのは、人間のいろんな感覚を麻痺させていくのだ、ということをあらためて認識させられます。マイケル・ジャクソンにしても、花田家の人々にしても、変わっているからマスコミに注目されるのか、マスコミに囲まれていくうちに、どんどん変になってしまったのか、さて、どちらなのでしょうか……



2005年06月13日(月)
退屈な「元ひめゆり学徒の証言」

毎日新聞の記事より。

【青山学院高等部(東京都渋谷区)の今春の入試で、元ひめゆり学徒の証言を「退屈で飽きた」と感じたという内容の架空の英語感想文が出題された問題で、同高等部の大村修文(ただふみ)部長ら4人が13日、謝罪のため元学徒たちが証言活動をしているひめゆり平和祈念資料館(沖縄県糸満市)を訪れた。大村部長は謝罪を前に報道陣に「申し訳ないの一言に尽きます」と語った。
 大村部長のほかに訪れたのは、入試当時の教頭、問題作成にかかわった40代の英語教諭と事務職員。4人は午前10時半ごろ、同資料館前にある戦没学徒らの氏名を刻んだ「ひめゆりの塔」に花束をささげ、頭を下げた。午前11時から資料館で本村つる館長ら10人の元学徒と面会し、謝罪した。
 問題となったのは今年2月にあった入試の英文読解。戦争体験を伝えることの難しさを考えさせるのが狙いで、英語教諭が以前に沖縄を訪れた体験をもとに作った。
 入試問題には、沖縄のガマ(壕(ごう))に入った生徒が、元学徒の体験談を聞いたとき「退屈で飽きた。彼女が話せば話すほど、私は防空壕で受けた強い印象を失った」と感じたことが書かれていた。設問では、なぜ生徒が体験談を気に入らなかったかを問い「彼女の話し方が好きではなかったから」の選択肢を正解にしていた。
 元学徒側からは「どのような感想を持っても自由だが、それを入試として出題することがおかしい」「『未来永劫(えいごう)、平和が続きますように』が学業半ばで戦争に巻き込まれた『ひめゆりの心』。こういう問題が出ると今までやってきたことの意味を考え込まざるを得ない」などと反発と戸惑いの声が上がっている。
 ◇戦争の無残さ、先生が伝えて
 東京大空襲を語り継ぐ活動をしている海老名香葉子さん(71)は「私は悲しい、つらい出来事を自分の体が総毛立つ思いで話している。学校で話すこともあるが、多くの生徒さんが一生懸命、涙を流しながら聞いてくれる」と言う。今回の問題については「あまりにも悲惨だった戦争の悲しみを思う心が、戦後の先生にはないのでしょうか。戦争の無残さ、悲惨さを先生たちが伝えないと平和は守れない。そういう先生がいることは本当に残念」と語る。
 【ことば】沖縄戦とひめゆり学徒隊 1945年3月26日に米軍が沖縄県の慶良間(けらま)列島に上陸、日本軍の沖縄守備軍司令官らが自決し、組織的戦闘が終わったとされる6月23日まで民間人を巻き込む激しい地上戦があった。日本側の死者は軍人、民間人計20万人を超えた。負傷兵の看護に沖縄県立師範学校女子部と同第一高等女学校の女子学生らが加わり、両校のシンボル白百合と乙姫から「ひめゆり学徒隊」と呼ばれた。戦闘では引率教師を含む200人以上が犠牲になった。】

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 この【元ひめゆり学徒の証言を「退屈で飽きた」と感じたという内容の架空の英語感想文】が入試問題に出題されたという青山学院高等部には、かなりの非難の声が届いているようです。まあ、この話に関しては、「入試問題にするには、不適切だったよなあ」としか言い様がないような気もするのですが。
 しかしながら、この問題の「文意」というのを考えてみると、出題者の意図というのは、「遺物」として当時のまま存在している防空壕と、それとは逆に、戦後60年間語り続けられることによって、語り手も知らず知らずのうちに「上手に」なってしまい、どんどんリアリティを失ってしまっている「体験談」との対比にあるのではないかな、と僕は思います。ときに、あまりに立て板に水の演説よりも、たどたどしく、言葉に詰まりながらの話のほうが、人の心をとらえることがあるように。
 その変化はもちろん「語り部」の人たちの責任ではないとしても、そうやって長い間語り続けることによって、ある種の「演出」が加わってしまうことは、致し方ないことなのでしょうし、それを「退屈」だと感じる聞き手がいるというのは、わからなくもないのです。というか、そういう人もいるだろうと思うし、時と場合によっては、僕だって、そんなふうに感じてしまわないとは限らない。
 「語り部」の方々が【つらい出来事を自分の体が総毛立つ思いで話している】というのは、身につまされる言葉です。でも、それだからこそ、その「思い」が、もっとよく伝わるためにはどうすればいいのか、ということも、あらためて考えてみるべきなのではないかなあ、という気もします。
 残念というか、本来は喜ばしいことなのでしょうが、今の日本の子供たちにとって「戦争」というものに感じるリアリティはどんどん薄れてきています。逆に、「まあ、場合によっては戦争もしょうがないんじゃない?」というような考えを持っている子供たちも少なくないのです。「戦争」がどういうものかなんて、全然体験したこともないのに。
 もちろん僕も「戦争体験」は無いのですが、最近はメディアでも「戦争」について語られる機会が少なくなったような気がしています。8月15日の「終戦記念日」だって、「原爆の日」だって、ニュースで追悼集会の映像が流されるくらいのもので。
 それが「時間」というものなのだよ、と言われればそれまでなのですが、僕は、そうやって「戦争への嫌悪感」みたいなものが薄れていくのは、非常に怖いと感じています。でも、それを風化させないためには、どうしたらいいのだろう?と考えると、それは一筋縄ではいかないなあ、と頭を抱えてしまうのです。
 「退屈だと思うな!」といくら叫んでみたところで、表面上はつくろえても、「退屈だ」と感じる心の動きというのは、そう簡単に変えられるものじゃないのだろうし、「どうして『退屈だ』と思う子供がいるのだろう?」ということを考えてみるのは、マイナスではないですよね。この感想の筆者は、少なくとも「防空壕」という当時のままの存在には「強い印象」を受けていたのだから、こういう生徒に「より上手に伝えるための方法」は、何かないものなのでしょうか?

 ただ、僕はやっぱり、これを入試問題として採用したことには問題があるのだろうな、とも思います。正直、「戦争は悪い」と感じる心というのは、人間に生まれつきあるものというよりは、後天的な教育の賜物だから。実際に、「戦争で死ぬのは美徳だ」という教育がされていれば、(表面上でも)喜んで戦地に向かうような人は、増えていくはずです。
 そういう意味では、子どもたちには、「戦争は悲惨なものだ」という、一種の「刷り込み」も必要なのかな、と思うんですよね。



2005年06月12日(日)
「メールマガジン」の落日

読売新聞の記事より。

【小泉内閣メールマガジンが14日、創刊4周年を迎える。昨年10月から「シリーズ郵政民営化」と題して竹中郵政民営化相らの談話を連載するなど、政権課題推進の“武器”として活用しているが、肝心の登録者数は、政権4年目でも依然、50%前後の高水準を維持する内閣支持率と違って、長期低落に歯止めがかからない状態だ。
 小泉メルマガは政権発足2か月後の01年6月14日、登録者78万人でスタートした。80%を超える内閣支持率を背景に登録者数はわずか3週間で200万人を突破、02年1月に227万人とピークを迎えた。しかし、同月の田中真紀子・元外相の更迭後に減少が始まり、最新の191号時点の登録者は162万人で、ピーク時の7割に落ち込んだ。
 内閣広報室で5月末、登録者にアンケートを実施したところ、「もっと本音で語ってほしい」「役所言葉を改めてほしい」など、首相らしい率直な話しぶりを望む声が多かったという。
 首相周辺は「当初は首相に直接手紙をもらう新鮮さが受けた。今はメルマガ自体の物珍しさは薄れ、内容も当たり障りのないものになっている」と低迷の理由を分析する。
 編集長を務める杉浦正健官房副長官らは、「私とメルマガ」のエッセーを募って優秀作を掲載するなどの新企画を検討している。200号を迎える8月11日までに始める考えだが、「読者」を呼び戻すのは簡単ではなさそうだ。】

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 最近、メールマガジン読んでますか?
 この小泉メルマガの読者数減少に関しては、僕は「しょうがないんじゃないのかなあ」という気もします。今でも162万人が登録しているということ自体が、むしろ凄いことで。
 4年前といえば、だいぶパソコンによるインターネットが普及してきた時代ですが、それでも現在のように「職場に着いたら、まずメールチェック」というような感じではありませんでした。今では「メールで連絡事項を送る」というのは多くの企業や組織で常識になっており、その事項に関するトラブルがあれば「メールを確認していないほうが悪い」ということになるような場合でも、4年前なら「メールで送るだけで済ませるほうが悪い」ということになっていたような記憶があります。いつごろが、その「転換点」になったのかは、僕にもはっきりとはわからないのですが。

 僕がインターネットを始めたのは、今から5年くらい前の話なのですが、当時は、「メールというものが送られてくる」ということだけでも、すごく楽しかったような気がします。今みたいに受信メールのタイトルに「逆援助!」とか「簡単に稼げるビジネス」なんていうスパムが並ぶこともなかったし、こんなに簡単に誰かとコミュニケーションがとれるツールがあるのか、と感動していたものでした。
 あのころは、ペットがメールを運んできてくれるという「Postpet」というメールソフトが大流行していて、とにかく、「メールが来る」ということそのものにも、プラスの印象があったのです。
 だからこそ「メールマガジン」というのは、急速に流行しましたし、ちょっと気になるメルマガには、どんどん登録していった記憶があります。
 もっとも、そういうメルマガのなかで、長続きしたものはほとんど無いのですけど。
 しかしながら、メールというツールは急速に一般化してきて、大量のスパムメールなどによって「なんだかめんどくさいもの」になってしまいつつあるのです。さすがに小泉メルマガはそんなことないでしょうが、紹介されていた内容とは全然関係ない広告しか載っていないメルマガとかも多いようですし。
 4年前は「なんでもいいから、とにかくメールが欲しい」という人が多かった時代だったのに、今は、「なるべく必要なもの以外のメールは欲しくない」という人が多い時代になってしまったのだから、「メールマガジン」という媒体そのものが、すでに冬の時代に陥っているのかもしれませんね。一般的なメールという形式は、文字情報としては、けっして読みやすいものではないですから、必要な情報は、自分でサイトにアクセスしたほうがいいのかもしれないし。
 もちろん、使い方によっては、まだまだ可能性はある媒体だとは思うのだけど、メールマガジンにとっては、今後も厳しい道のりが続きそうですね。
 だいたい、登録者数162万人とか言っても、今では惰性で受信している人がほとんどで、実際に読んでいる人は半分もいないんじゃなかろうか……



2005年06月11日(土)
「この番組はフィクションであり…」の起源

「監督不行届」(安野モヨコ著・祥伝社)の巻末の「オタク用語2万字解説」より。

【・この漫画はフィクションであり…

 TVドラマでよく目にするこの断り書きは、1972年放映の人気特撮番組「超人バロム1」に端を発する。番組に登場する悪役と同じ名前の子供が、学校でイジメられたことが社会問題となり、あらゆるドラマにこのテロップが出るようになった。】

参考リンク:『超人バロム1』

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 この話の詳細は、参考リンクによると、【在日外国人のドルゲという家族からバロム1のドルゲ(悪の首領)がもとで、いじめられると放送局に苦情の抗議が入り、この事は当時の新聞にも大きくとりあげられ、波紋をよんだ。結果、番組の最後に「このドラマにでてくるドルゲはかくうのものでじつざいのひとはかんけいありません」と子供にも分りやすくひらがなで書かれたテロップが入れられた。】ということのようです。
 本当に、ドルゲさんにとっては、青天の霹靂というか、とばっちりというか、笑い話ではすまされませんよね。それにしても、いくら子供でも(子供だから、なのか?)、「実在の人は関係ない」なんてことは、わかりそうなものなのですけど。
 まあ、こういうのって、「わかっていて、いじめるネタにしている」のだよなあ、きっと。
 ところで、この手の「ドラマや漫画の登場人物と同じ名前」というのは、ときに、子供時代を暗いものにしてしまいます。例えば、女の子なら「ちえ」ちゃんは「じゃりん子」にされて「テツって言えよ!」とか絡まれてしまいますし、「ひろし」君などは、あまりにメジャーな名前のために「ピョン吉はどこに行った?」とか、「ヒロシ〜」と呼びかけられながら、目の前で手袋を口で外されたりします(by「スチュワーデス物語」)。そういえば、今は、そのものズバリ「ヒロシ」もいますから、「ヒロシ」にとっては、ずっと受難の時代が続いているのかもしれません。もちろん、親はいろんな願いをこめて命名しているのでしょうけど、子供のころ、「なんでこんな名前に…」と思ったことがある人は、けっして少なくないと思います。僕にも同じような「辛い体験」があるわけで。
 それにしても、外国から来ていきなり「名前が同じというだけで悪の首領扱い」というのは、ドルゲさんにとっては災難ですよね。こういうのって、外国には無い慣習なのだろうか。子供はみんな、自分の名前で一度くらいは嫌な目にあっているはずなのに、他人事となると、けっこう残酷なところがあるものなあ。
 この「フィクションであり…」のテロップって、実際には少しは効果があるのでしょうか?放送局側の「責任逃れ」というような意味あいが大きいような気がしますが、とはいえ、まさか登場人物を全員「A君」「Bさん」のようにするわけにもいかないし、名前をつけるというのは、フィクションの世界でもなかなか難しいことのようですね。



2005年06月10日(金)
1600回目の無言電話

共同通信の記事より。

【交際を断られた男性の勤務先などに計1万数千回の無言電話や数万回の電子メールを繰り返したとして、福岡県警博多署は10日、偽計業務妨害の疑いで福岡市博多区昭南町、会社員(34)を逮捕した。
 調べでは、容疑者は昨年9月28日から今年6月4日までの間、ほぼ連日にわたり、衣類販売会社員の男性(34)の勤務先や男性が使う営業用の携帯電話に、1日当たり数回から約1600回の無言電話をかけるなどして業務を妨害した疑い。同容疑者は容疑を否認している。
 斉藤容疑者と男性は福岡市内で開かれた「お見合いパーティー」で知り合い、昨年3−9月に交際していた。
 同容疑者は無言電話のほか「よりを戻したい。変になってもいいですか」などと復縁を求める内容のメールや手紙、ファクスを送っていた。】

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 「変になってもいいですか?」
 って、もう十分ヘンですから!!という感じなのですが、それにしても、この「1万数千回の無言電話」とか「数万回の電子メール」というのは、ものすごい数ですよね。ちなみに、1日1600回の無言電話となると、1時間に約67回ずつ、寝ずに無言電話をかけ続けなければならないわけで、睡眠時間を8時間とすれば、1時間に100回はかけなければなりません。しかも、無言電話というのは、相手が受話器を取ったのを確認してから切らなければならないはずで、片手間にはやりにくいですよね。相手も事務所とかであれば、いたずら電話ばかりでも電話を受けないわけにもいかず、さぞかし迷惑だったことでしょう。そんな暇と根性があるのなら、入手困難なコンサートのチケットでも取るために生かせば良かったのに。
 しかし、僕はこういう記事を読むたびに思うのです。世の中が「便利」になってしまったがためにこういう罪を犯してしまう人というのも、出てくるんだろうなあ、と。
 もし仮に、手紙しかない時代であれば、恨みつらみを書いた手紙をたくさん送ることは可能でも、読まずに捨てればそれほどダメージはないし、自分の時間を拘束されることも少ないでしょう。まあ、かなり気持ち悪いのは事実ですが、手紙をそんなにたくさん書くのは、ものすごく大変そうだし、その嫌がらせは、そんなに長続きはしないと思うのです。
 リダイアル機能のない時代の黒電話なら、こんなにたくさんの無言電話を続けてかけるなんて無理でしょうし。
 携帯がない時代なら、少なくとも電話から離れていれば、この「無言電話攻撃」からは解放されます。
 逆に、電話やメールといったツールの機能が便利になってしまっていることによって、やっている側の苦労よりはるかに大きなダメージを相手に与えることができるようになってしまっているのです。この人だって、リダイアル機能がなければ、こんなことで逮捕されることはなかったのかもしれないのに。

 それにしても、愛情というのはやっかいなものですよね。こんな、「冷静に考えたら、絶対に気味悪がられたり、嫌われたりする行為」を「よりを戻そうとして」やってしまうのだから。



2005年06月09日(木)
アインシュタイン博士からの手紙

毎日新聞の記事より。

【アインシュタイン(1879〜1955)博士が平和観や戦争責任についてつづった6通の手紙の寄贈先を、東京都中野区在住、哲学者の故・篠原正瑛(せいえい)さんの家族が探している。博士は第二次大戦中、ルーズベルト米大統領(当時)に原爆開発を促す連名の書簡を送った。「あなたは平和主義者と言うが、なぜ開発を促したのか」と批判する篠原さんの指摘をきっかけに始まった文通の手紙で、家族は「今年は戦後60年の節目。平和を考える材料にしてほしい」と話している。
 篠原さんは戦前、ドイツに留学して哲学を学んだ。現地で終戦を迎え、連合国軍に2年間抑留された後に帰国、著述活動を始めた。ドイツ語で書かれた博士への最初の手紙は53年1月。6通は53年2月から54年7月にかけ博士が送った。
 53年2月22日付の手紙で博士は「私は絶対的な平和主義者ではない」と書き、ナチス・ドイツに対して暴力を用いることは正当で、必要なことだったと主張した。
 「日本は原爆投下のモルモットにされたのではないか」。篠原さんが同6月18日付の手紙でただすと、非礼と知りながら、あえてその裏に返事を書いた同23日付の手紙が博士から届いた。
 「日本への原爆使用は常に有罪と考えているが、日本人が朝鮮や中国で行った行為に対して(篠原さんに)責任があると言われるのと同様、(私は)何もできなかった」とし、「他人の行為については、十分な情報を手に入れてから意見を述べるよう努力すべきだ」と怒りをあらわにした。
 時に感情をぶつけ合うこうしたやり取りから、2人に友情が生まれた。篠原さんは人形や絵画を米国へ届け、博士はサイン入りの写真を贈った。
 篠原さんと結婚したばかりの妻信子さん(80)は、写真の博士が古びたカーディガン姿なのを見て、手編みのセーターを贈ると申し出た。博士は「あなたの国にも必要とする人は大勢いらっしゃる」と丁重に辞退した。
 博士は戦後、平和運動に取り組み、核兵器廃絶を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出た55年に死去した。
 篠原さんは90年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、01年に89歳で亡くなった。信子さんは蔵書などを売って療養費に充てたが、手紙は手放さなかった。遺産は、預金約30万円と書籍約3000冊だった。
 
 ◇アインシュタイン博士からの手紙(抜粋)
1953年2月22日
……私は絶対的な平和主義者だとは言っていません。私は常に、確信的な平和主義者です。つまり、確信的な平和主義者としてでも、私の考えでは暴力が必要になる条件があるのです。
その条件というのは、私に敵がいて、その敵の目的が私や私の家族を無条件に抹殺しようとしている場合です。……したがって、私の考えではナチス・ドイツに対して暴力を用いることは正当なことであり、そうする必要がありました。
1953年6月23日
……私は日本に対する原爆使用は常に有罪だと考えていますが、この致命的な決定を阻止するためには何もできなかった。日本人が朝鮮や中国で行ったすべての行為に対して「あなた(篠原さん)に責任がある」と言われるのと同様、(私は)ほとんど何もできなかったのです。……他人やその人の行為についてはまず、十分な情報を手に入れてから、自分の意見を述べるように努力すべきでしょう。あなたは、日本で私を批判的に説明しようとしている。……
1953年7月18日
あなたが前回のお手紙で予告されていた、素晴らしい日本の木彫りの人形が届きました。素晴らしい贈り物に心から感謝します。
1954年5月25日
……奥様からの感動的なお申し出をありがとうございます。しかし、私はどのみち要求の多い人間でありますし、あなたの国にも必要とされるふさわしい人たちは大勢いらっしゃるでしょうから、その友情をお受けすることはできません。
1954年7月7日
……原爆開発で唯一の私の慰めとなることは、今回のおぞましい効果が継続して認識され、国家を超えた安全保障の構築が早まっていることです。ただ、国粋主義的なばかげた動きは相変わらずあるようです。
(手紙はすべてドイツ語。藤生竹志訳す)】

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 いやまあ、このエピソード自体は、「日本人哲学者と偉大な科学者の友情物語」というよりは、「有名な科学者に突っかかっていった、ちょっと偏執的な人の話」のような気もしなくはないんですけどね。アインシュタイン博士の「サイン入りの写真」なんて、「友情」というよりむしろ、「ファンサービス」的なものなのではないかなあ、とか思ってしまいます。「古びたカーディガンを写真で着ているから、手編みのセーターを贈ります」なんて言われたら、僕がアインシュタインだとしたら、イヤミじゃないか、とか勘繰ってしまいそう。
 でも、この「アインシュタインからの手紙」は、相手が公人であったり、公の場でのやりとりだったりしないが故の、「本心」が語られているような感じで、とても興味深いものでした。
 歴史的な観点から言えば、アインシュタイン博士は、原爆を開発した「マンハッタン計画」に大きな影響を与えた人物(名目上は参加メンバーに入っていないとしても)であったことは否定のしようがないでしょう。博士自身は、その使用に対しては、その威力を知るが故に、反対の立場をとってはいたのですが。
 そして「アインシュタイン博士が、あんな恐ろしい殺戮兵器の開発に協力しなかったら、広島・長崎の悲劇は起こらなかったのではないだろうか?」という疑問を後世の人間は抱いています。
 彼らが造らなければ、誰かが同じようなものを造ったに違いないのかもしれないし、一科学者の「良心」みたいなものが、戦時下の政治に影響力を行使することは難しかったとしても。

 アインシュタイン博士は、「同じもの(核兵器)をナチスドイツに先に造られたら大変なことになる」という危機感を持っていたのでしょうし、実際のところ、その時代に生きた人々にとっては、それは「切実な恐怖」だったはずです。「自分や愛する人々の身を守るための暴力」というのを、完全に否定するというのは、本当に難しいことですし。
 結果的には、「原爆」というのは、「身を守るための暴力」としては、あまりに強力で、あまりに容赦のない兵器として完成してしまったわけですけど。

【私は日本に対する原爆使用は常に有罪だと考えていますが、この致命的な決定を阻止するためには何もできなかった。日本人が朝鮮や中国で行ったすべての行為に対して「あなた(篠原さん)に責任がある」と言われるのと同様、(私は)ほとんど何もできなかったのです。】という言葉からは、博士の「いたたまれない心境」が伝わってきます。たぶん、博士の実感として、本当に「何もできなかった」のでしょう。「ある人物に対する歴史的な認識」と「当事者のリアルタイムでの実感」には、やっぱり、大きな乖離があるようです。

 ただ、こんなふうに「歴史」というものを考えていくと、結局のところ「すべてのことは、『運命』であり、個人というのは、その流れの上に乗っているだけなのではないか?」という気もしてきます。
 例えば、第2次大戦の最大の戦犯とされているヒトラーだって、もし彼がいなくても、他の人物が同じように戦争をやっていたのではないか、とか。
 そして、その可能性を否定することは、誰にもできないのです。

 それでも、「何が起こっても、それは運命であり、誰のせいでもないんだよ」なんていう心境には、なかなかなれないのが人間でもあり、アインシュタインが、この「無礼な手紙」に返事をしたのは、きっと、彼自身の中にも、吐き出したいものがあったのでしょう。
 「自分にはどうしようもなかった」という一方で、消せない「罪の意識」もあったのだと思います。

 それにしても、こういうのって、「誰のせいでもない」としたら、一体、どうすればいいんでしょうね……

 核兵器に焼かれるのも、すべては、運命?



2005年06月07日(火)
父と娘の「文章教室」

「週刊ポスト2005/6/3号」の記事「父と娘の肖像〜最終回」(江川紹子・著)より。

(エッセイスト・阿川佐和子さんと、そのお父さんである作家・阿川弘之さんのエピソードです。)

【初めて仕事として文章を書いた頃、佐和子はまだ両親と同居していた。書き上げた原稿を編集部に届けようとした彼女を、父が呼び止めた。
「編集の方に電話して、三十分遅れると言いなさい」
 そして、父の原稿チェックが行われた。その後も、同じような場面は何度もあったが、父の指摘は、文章の書き方や言葉の使い方、意味などについてで、文章の内容に関して意見することはなかった。
 佐和子が一人住まいをするようになり、月刊誌で連載を始めると、どこから聞きつけたのか、父からこんな電話がかかってきた。
「雑誌は、うちにも届けていただくようにしなさい」
 そして、毎月雑誌が届く頃になると、また電話。
「百三十六ページ、一番上の段、頭から七行目。こういう形容詞を使うな。何度言った分かる」
 エッセー集を出した時には、実家に呼び出しがかかった。「電話で済ませられるような量じゃない」と言われ、佐和子は仕方なく”出頭”。本に付箋を五十か所以上貼り付けて待ちかまえていた父は、一つひとつ意見を述べていった。言葉の語源や、昔と今で使われ方がどのように変わっていったのかなど、まるで文章教室のように話は広がった。生徒は娘ただ一人。
「『うん?』と思う時もあるけれど、本当に貴重なことなので、(そういう機会には)なるべく素直な心になって聞いてます」
 せっかく殊勝になっている娘に、父は、「タダで文章修行をさせてやっている。ありがたいと思え」と憎まれ口を叩いたりもする。
 けれどこの父は、娘の文章を読んでも、その出来が芳しくないと思った時は、逆に何も言わない。
 佐和子にもスランプはある。担当編集者から「最近の文章は面白くありません」と言われて落ち込んだ時、父のアドバイスはこうだった。
「そういう時はあるものだ。それはしょうがない。野球選手だって、打つのは三割。次に頑張ればいい」
 暴君のような日常があるからこそ、こんな優しいひと言は、何十倍もありがたく心に沁みるし、長持ちもする。
 だからだろう、悪口を書き連ねているにもかかわらず、佐和子の文章には父への愛情や敬意がにじみ出ている。】

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 先日、江國香織さんが初めて日記を書いたときにお父さんに注意されたことを題材に取り上げたのですが(『活字中毒R(5/26)』)、ここにもまたひとり、「作家の父親」がいます。阿川佐和子さんは、エッセイストあるいはタレントなどとして活躍されているのですが、お父さんの弘之さんも(「も」とか書いている時点で、御本人が聞いたら怒りそうなんですが)戦記ものや鉄道ものなどの作品で有名な作家なのです。僕にとっては、娘・佐和子さんのエッセイに出てくる厳しいけど憎めない父親、というイメージのほうが強いのですけど。

 女性のエッセイストには、「父親」のことを描かれる方が多いような印象があるのですが、なかでも僕の記憶に残っているのは、向田邦子さんです。向田さんの父親も、頑固で厳しい「昔気質の親父像」そのもので、向田さんも「ほんとにうちの父親は…」みたいな感じで半ば呆れていたような感じなのに、それでも、そんなお父さんのことを書かれるときの向田さんのエッセイからは、なんだかとても深い愛情が伝わってきたような気がします。阿川佐和子さんも、何度もお父さんをエッセイのネタにされていますが、本当にもうワガママなんだけど、憎めないという雰囲気が伝わってくるのです。そういう文章を読んでいると、やっぱり、女の子は父親の影響を強く受ける存在で、父親も娘には甘いのかな、とか考えてしまいます。
 逆に、男性作家で、父親に添削してもらった、なんて話は聞きませんから(言わないだけ?)
 この阿川さんの「父親チェック」は、僕が添削される立場だったら、「ウザイ!」とか思いそうですけど。

 それでも、【父の指摘は、文章の書き方や言葉の使い方、意味などについてで、文章の内容に関して意見することはなかった】というようなエピソードを聞くと、やっぱり、「父親」だけど、「作家」なのだなあ、という気がしますよね。自分のことが「とんでもない父親」として書いてあるところなんて、「削除」したい気持ちになったのではないでしょうか。
 でも、相手が娘とはいえ、他人の作品にそれをやったら、「作家」としての沽券にかかわる、と考えておられたのでしょうね。
 さんざん娘にネタにされて、父親としては、どういう心境だったのか、ちょっと興味深いところではあるんですけど。



2005年06月06日(月)
「お金がほしいなら、もっとべつの仕事をしているよ」

「象の消滅〜村上春樹短編選集1980〜1991」(新潮社)より。

(村上春樹さんが、この短編集の冒頭に書かれている「アメリカで『象の消滅』が出版された頃」という文章の中のアメリカの出版業界の人たちと実際に接してみての感想を書かれた部分です。)

【はっきり言って、お金がほしいならもっとべつの仕事をしているよ、というのが、僕がこれまでに出会ったアメリカの――とくに純文学系の――出版人の多くの本音である。アメリカの出版業界の平均的な給与は、ほかの業種に比べて――たとえば金融や広告代理店に比べて――決して恵まれているとはいえない。日本の大手出版社の社員待遇とは、たぶん比較にならないのではないか。だからそのぶん、この業界でプロフェッショナルとして働いている人たちの目的意識ははっきりしている。「わたしは本が好きだからこそ、作家と一緒に仕事をするのが好きだからこそ、この仕事をしているのだ」ということだ。もちろんベストセラーが出せたなら、それは何より、言うことはない。しかしそれとはべつに、自分が誇りにできる本を一冊でも多く世に出したい――心ある出版人なら、どこの国の人だってそう願って仕事をしているはずだ。アメリカでもそれはまったく同じなのだ。
 したがって、いったん気持ちがあえば、こちらが差し出す作品を向こうが評価してくれれば、数字的な損得なんか抜きで一生懸命親身になってくれるところがある。小さな地方文芸誌相手の仕事や、自主映画制作者との交渉のような、ほとんどもうけにならないことでも、それが僕のキャリアにとって何らかのかたちで有益だと思えば、意外なくらい丁寧に対応してくれる。「ハルキ、これはお金の入らない仕事だけどやるべきだ」と忠告してくれたりもする。金銭のやりとりだけの問題ではないのだ。】

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 いまや「日本人でいちばんノーベル文学賞に近い作家」などとも言われている村上春樹さんが、アメリカの「出版人」たちについて書かれた文章です。ちなみにこのあと村上さんは「アメリカは厳密な契約社会だと言われるけれど、ほとんどの局面においてものごとは『よし、まかせておけ』的な個人的信頼関係で成り立っている」とも書かれています。実際にその懐に入ってみると、外からみたイメージや先入観とは違うところというのは、たくさんあるみたいです。

 ところで、僕がこの文章を読んでいて、思わずハッとさせられたのは、【「はっきり言って、お金がほしいなら、もっとべつの仕事をしているよ」】という、「アメリカの純文学系の多くの出版人の本音」でした。僕は医療を生業としている人間なのですが、なんだか、昔の青臭い自分に大学時代の日記を差し出されたような、そんな気分になったのです。
 「本当に金持ちになって、ラクな暮らしをしたかったら、医者になんかなるもんじゃない」というのは、僕を含む、中堅医師の「本音」です。仕事の拘束時間は長いし、休みといっても急に呼ばれたり、指示を仰ぐ電話がかかってくることも頻繁です。でも、「給料はいいじゃないか!」と言われれば確かにその通りなのですが、実質は「時給はコンビニ以下」だったり、「退職金とかを合わせれば、大手企業のサラリーマンのほうが、生涯賃金は遥かに上」だったりするのです。まあ、現時点では「定年がない」というのは、大きなメリットかもしれませんが。
 それでも、「ああ、30過ぎてもこんな生活なら、医者になんかなるんじゃなかった……」と、芸能人の妻やレースクイーンの彼女を従えたIT企業家を横目に、溜息をついてみたりもするのです。
 自分も、「あっちの方」へ行っていたら、今頃は、ああなれていたんじゃないかな、って。
 もちろん、そういうのは妄想の領域で、あの「IT企業家」たちば、同じ夢をみた多くの人の屍の上に成り立っている、希少な成功例でしかないわけなのですが……

 結局、僕は自分の現在の待遇や仕事内容に不満たらたらのわけですが、思い返してみると、別に「待遇」や「お金」を求めて、今の仕事を選んだわけではないんですよね。そりゃ、「無給でもやるのか?」と問われたら、当然やりませんけど。ただ、お金が「目的」ではなかったはず。
 「生活」の前では、無力になってしまう「理想」というのが現実だとしても、そういう「理想」を忘れて仕事をするのは、ちょっと寂しいな、と僕は思います。せめて、【お金がほしいなら、もっとべつの仕事をしているよ】という見栄だけでも張っていたい。
 いや、だからといって、理不尽な酷使を正当化されてはたまらないんだけどね。



2005年06月05日(日)
ネットが生み出す「疑心暗鬼」たち

時事通信の記事より。

【インターネットの掲示板に知人女性の名誉を傷つける内容の書き込みをしたとして、警視庁八王子署は5日までに、東京都世田谷区役所職員榎本裕容疑者(45)=町田市中町=を名誉棄損の疑いで逮捕した。
 調べでは、榎本容疑者は2月25日、出会い系サイトの掲示板に2回にわたり、別のサイトを通じて知り合った都内の女性医師(37)の名前や携帯電話の番号とともに、卑わいな内容を書き込んだ疑い。
 榎本容疑者は「女性に交際を断られ、その後大量の迷惑メールが届いた。女性からと思い、腹が立った」などと供述しているという。】

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 他人事として考えてみれば、この女性がわざわざこの男のところに迷惑メールを大量に送りつけてくる理由なんてなさそうな気がします。そもそも、そんなに嫌がられていると思うなら、交際なんて申し込むこと自体がムダだろう、と。
 そんなこともわからないなんて、バカだよねえ…と一笑に付してしまいたいところなんですが、考えてみれば、僕にも、こういうのを笑えないところもあるんですよね。
 ずっとサイトをやっていると、いろんなメールを戴くことがあったり、他のサイトをやっている人たちとの付き合いがあったりするのですが、それは、必ずしも好意的なコミュニケーションばかりではないのです。中には、誹謗中傷をされたり、抗議を受けるようなこともあるわけです。まあ、直接自分が名指しで対象になっているものは、腹が立ったり嫌になったりはするものの、それはそれでしょうがないのですが、「これは特定のサイトのことではありませんが…」とか書いてある内容に対して「ひょっとしたら自分のことでは…」なんて勘繰ってみたり、批判的な内容が書かれた直後にスパムメールがたくさん来たら、「まさかあの人が……?」なんて疑ってみたり、似たような内容が書いてあるサイトが直後に更新されたら「パクられたのか?」とかいうような、理不尽な疑心暗鬼に襲われることもあるのです。
 冷静になってみたら、わざわざスパムメールを送ってくるような暇人がそんなにいるわけもないし、僕が書いていることの多くは世間で話題になっていることを取り上げているのだから、他の人と多少内容が被るのは致し方ないことなのに。他人が「一般論として」書いたことにいちいち反応していては、こうしてやっていくのは辛いことですしね。それに、多くの人にあてはまるからこその「一般論」のはず。

 ネットというのは、言葉だけの偏ったコミュニケーションになりがちなので、比較的「疑心暗鬼」を生み出しやすいツールのように思われます。「交際を断られた直後に迷惑メールが多量に届いた」というのも、この男のように出会い系にメールアドレスをさらしていれば、いつなんどき、スパムが多量に送られてきてもおかしくないはずなのですけど……

 ネット上には、つまらない自意識過剰が、今日もまた溢れているのです。



2005年06月04日(土)
日立Prius「いいとこ観」の秘密!

「日経ベストPCデジタル・2005年6月号」の記事「なすび的超快適PC生活」より。

【そんなこんなで、今回は日立さんトコの一体型デスクトップPC"PriusAir One"。えぐって参りますは、秘密兵器!録画したテレビ番組を再生する時に、「再生率」を設定することで、時間を短縮して番組を視聴しちゃえる機能……その名も「いいとこ観(み)」!!再生モードは、「指定なし」「野球」「サッカー」の3つから設定できる寸法。そのカラクリは、歓声などから盛り上がっているところを抽出しているようで。だからでしょうか、♪じゃあ早速サッカーを「いいとこ観」したのにぃ〜折角のゴールシーンが観られない!なぁ〜んでか? それはね……アウェーチームがゴール決めちゃって歓声が無かったからぁ〜(なーんでかフラメンコ調)、なんて事もあるんですな。そんで野球でも、ホームランとか、タイムリーなんてな派手な得点シーンはちゃんと押さえてくれるんですが……ズバッと三振!とか、イブシ銀的なゲッツウ!!な渋いシーンは微妙に忘れ去られてしまうのは、仕方ないんでしょうな、うんうん。あと、恥ずかしながらもオマケで自分が出演したバラエティーも、いいとこ紡いでくれるかと観てみましたが……とても微妙な?感じに編集されてました。単純に盛り上がった場面が無かった、というような私批判に繋がる悪意が込められていない事を祈ります。
 結論と致しましては、何処が飛ばされたのか?的な不安を無視してでも、兎に角素早くこんだけは観ないと逆に不安ってなセッカチ仕様な貴方とか、ハードディスクの容量がパンパンで、一刻も早く観ないと次の録画が間に合わないぃ〜ってな、録り溜め上等な貴女にはお得ですな。そんでもうすぐ発売されるおNEWな夏モダェ〜ルには、更に2モードが追加されるとの事。この調子でドンドン進化させて……自分の観方を記憶させられる「プライベート・いいとこ観」みたいなのが出来たら、凄く魅力的じゃ御座んせん?】

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 テレビCMでもさんざんアピールされている、この日立PriusAirの「いいとこ観」、僕も「どんな感じなのだろう?」とちょっと気になっていたのです。どんなふうに編集されるのか?とか、実際に「使える」機能なのか、とか。
 このなすびさんのレポートを読んでみると、どうも「いいとこ観」は、現時点では、「使えない!」というほどの目くじらを立てるものではないとしても、「あんなに宣伝するほどのものじゃない」ような気がします。
 設定されているのが「野球」「サッカー」「その他」の3モードなのだそうですが、実際のところ、インターネットでいつでも試合の経過や結果を知ることができる現代社会で、わざわざその「試合のダイジェスト版」を観たいというニーズがどのくらいあるのかは疑問です。これはサッカーでも同じことで、結果だけわかればいい人は、スポーツ紙のサイトを見ればいいのだし、本当に観たい人は、わざわざダイジェストにせずに「完全版」を観ると思いますから。
 僕は、「どんなふうに編集しているんだろうか?最先端の『重要ポイント判別システム』が組み込まれているのだろうか?」といろいろ想像していたのですが、なすびさんが書かれたものからすると「単純に、歓声の大きさのような音量で判断している」ということのようなのです。正直、いろいろ想像して損した…なんて考えてしまうほどのシンプルな「編集法」なのですが、確かに「歓声の大きさ」以上の重要な場面の簡単な見分け方を探すというのは、なかなか難しいようです。それはそれで、「アウェーのチームのゴールシーンは静まり返っているからカット」なんて話になってしまうようなんですけどね。
 それにしても、日頃「最新鋭のテクノロジー」だと思い込んでいることが、実はものすごくシンプルなアイディアに基づいていたりすることって、けっこうあるのかもしれません。「音の大きさに合わせて編集する機能」ならば、今までの技術で十分可能なのではないかと思われますが、それを「いいとこ観」としてセールスポイントにしてしまうというのは、やっぱり「アイディア」だよなあ、と感じます。

 でもね、夏モデルで新しく追加されたモードって「大相撲」と「歌番組」らしいですよ。
 うーん、真の意味での「いいとこ観」への道のりは、まだまだ通そうな気もするなあ……



2005年06月03日(金)
「妻と恋人」と「ごはんとお菓子」

「泣かない子供」(江國香織著・角川文庫)より。

【あのね、ラルフ。私は、奥さんには奥さんの特権があると思う。それはもう理屈じゃなくて、侵害できないものがあると思うの。じたばたしても駄目みたい。ただ、反対に恋人には恋人の特権がちゃんとあって、役柄をとりかえるわけにはいかないけれど、どっちにもそれぞれの存在価値があるはずだと思うのです。ごはんとお菓子みたいにね。それをみんなが認めようとしないのは、変だと思うなあ、実際。
 あなたがエレンと出会ったように、私もあれから別の恋をしました。少しは大人になったと思うのだけれど、それでもね、私はやっぱり、好きな人に条件なんてつけられない、と思うのです。たとえば最近「三高」という言葉があって、日本の女の子は、背が高く、学歴が高く、収入の高い男性しか好きにならない、といわれているのですが(勿論これは事実ではありません、念のため)、たいていの人はそれを困った傾向だと考えています。条件つきで人を愛するなんて不遜だ、不誠実だ、あまりにも打算的だ、ってね。私には、独身の人しか好きにならないというのも同じことに思えます。
 一週間くらい前、友人と串カツを食べながらそういう話をしました。その友人は独身ですが、結婚している女性と恋をしたことは一度もないし、自分が結婚したら、奥さん以外の女性と恋など決してしないと言うのです。「要するに意志の問題だと思う」と彼は言いました。その通りかもしれないけれど、もしそうだとしたら、私は怖くて、誰かの奥さんになんてとてもなれない、と思いました。だって結婚してから何年ものあいだ、自分の夫が他の女性と一度も恋をしなかったとして、それが彼の意志の力なのだと思ったら、自分の存在の意味を疑わずにはいられないでしょう? この人が毎日ここに帰ってくるのは意志が強いせいであって、私を好きだからじゃないのかもしれないって、一秒ごとに不安になると思う。不安で不安で死にそうになると思う。一秒ごとに不安になりながら何十年も暮らすなんてこと、ほんとに可能だと思う? そんな苦しいこと、みんなどうしてできるのかしら。恋人なら、少なくともその人が遊びに来てくれた時、ああ私に会いたいと思ったんだなってわかるでしょ。ああうれしいって思って抱きあえるでしょ。】

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 江國香織さんのエッセイ(というか、この部分は、個人的な「手紙」に属するのかもしれませんが)の一部です。
 なんだか、すごく僕の心に残った文章なので。
 「三高」なんて言葉が出てきますから、かなり前に書かれたものなんですけどね。

 僕はこの年まで、「不倫」とか「浮気」というものに対して、けっして良い感情は抱いていませんでしたし、今でも、許し難い裏切り行為だという気持ちを捨てることはできません。でも、この江國さんの文章を読んでいると、そういう「先入観で他人をみる」ということは、「恋」とは、本質的に相容れないのかな、という気もするのです。確かに、【独身の人しか好きにならないというのも同じこと】なのかもしれないなあ、って。
 結局そこには「いろんなトラブルに巻き込まれるのはゴメンだ」という打算や「不倫は自分のモラルが許さない」というような意識がはたらいている面はあると思うのです。そして、結婚したあとに、自分のパートナー以上の異性と出会う可能性というのを考えてみると、例えば、30歳で結婚したとして、それまでの15年くらいの「恋愛人生」と、それからの30年くらいの「恋愛人生」を比較すれば、「パートナーよりも、もっと好きな人」にめぐり合う可能性は、けっして低くはなさそうです。むしろ、「この人と先に出会っていたら…」なんてことは、少なくないのではなかろうか。
 そして、そういう感情の「暴走」が「理性」で抑えられるくらいのものであるのなら、確かに、それはもう、純粋な「恋」ではないのかもしれませんね。

 でも、江國さんが書かれていることに「そうだよなあ…」と頷いてしまう一方で、「恋愛に不自由な人間」である僕としては、「そんな自由恋愛社会なんて、滅茶苦茶になりそうだし、だいたい、江国さんみたいにモテる人はそれでもいいだろうけどさ……」などと考えてみたりもするのです。たとえお互いに「打算」や「意志の力」に縛られているのだとしても、心の平穏が得られるのなら、それはそれでいいのではないか、と。

 「恋」というのは、本質的には「結婚制度」とは、相容れないものなのかな、と僕はこれを読んで思ったのです。そして、僕は、純粋な「恋」に、たどり着くことはないのかもしれません。
 こういうのは、どちらが「正しい」とか「幸せ」かなんて、誰にもわからないことなのでしょうけど。




2005年06月01日(水)
この更新がすごい!!

「週刊アスキー・2005.6.7号」の記事「気になる日記ブロッガー13人」のタレント・中川翔子さんの「しょこたん☆ぶろぐ」の紹介記事より。

【「1日に50更新したときはすごい気持ちよかったです」と語る中川さん。ブログ以前は日記を公開していたが、当時から1日も欠かしたことがないのが小さなジマンだとか。
「ブログを始めたら2日目にランキングに入って、ネットにも「更新がすごい」って書かれるようになりました。それが嬉しいから、更新することが空気みたいになったんです」
 ふだんの更新は携帯電話から。内蔵カメラの都合からムーバを利用しており、月に数万円のパケ代を支払っている。「あのランキングは自腹で上げてるんです。でもパケ代は怖いですね。ギャラが出ればよかったのに。仕事につながってる気がするんだけどなあ」】

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中川翔子さんの「しょこたん☆ぶろぐ」はこんなサイトです。

 うーん、人前では開きにくじゃないかこのサイト!
 とかいうのはさておき、「ミス週刊少年マガジン2002」にも輝いたアイドル、だったはずの中川さん、「自らヲタを公言し、ブルース・リー、松田聖子、楳図かずおに心酔する」という異色のアイドル道を突き進んでおられるようです。
 ところで、僕が最初この記事を読んで思ったのは、「1日50更新なんて、仕事がないのか、中川翔子!」ということだったのです。いくら「携帯電話からの更新」とはいえ、1日8時間睡眠とすれば、50更新というのは、1時間に3回ずつ、起きている間じゅう更新しなければならない数字です。人気ブロガー、眞鍋かをりさんのネタ系テキストに比べると写真が多く、比較的文章が少なめな内容とはいえ、これはやっぱり大変なことですよね。そもそも、1日に50通メールを書けとか言われたら、普通は10通くらい書いたら飽きそうなものですし、2回や3回の更新ならさておき、50回ともなると、あまりにコストパフォーマンスに乏しい更新のような気がしなくもありません。まあ、中川さんはよっぽどブログが好きで、「性に合っている」のでしょうね。そして、(局所的な)仕事の獲得にも役に立ってもいるようなのです。「ネットランナー」にも連載を持っているらしいし。
 それにしても、「今日は何個アップするのかな?」とか書いてあるのは凄すぎます、「しょこたん☆ぶろぐ」。実は、アイドルになったことよりも、アイドルをやっているおかげでブログのアクセスが増えることのほうが嬉しいんじゃなかろうか。

 サイトの更新頻度というのは不思議なもので、あんまり更新していないと自分でも書き方を忘れてしまいますし、人気サイトであれば「更新待ってます」とか「ちゃんと更新しろ!」というような励ましのメッセージがやってくるようです。
 でも、その一方で、あまりに更新回数が多いと「真面目に仕事やっているのか?」とか「そもそも、仕事がないんじゃないか?」なんて、それはそれで誹謗中傷の原因になったりもするんですよね。
 そういう意味では、「更新がすごい!」っていうのは、褒められているのかどうか、ちょっと微妙な感じだよなあ…粗製乱造っぽい響きもなくはないし……