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2005年01月31日(月)
「学歴過少申告」と「逆差別」と「職業選択の自由」

河北新報の記事より。

【中・高卒者に採用を限定している青森市営バス運転士をめぐって、同市は大卒・短大卒だったことが発覚した30―40代の男性運転士3人を昨年10月と今月、懲戒免職とした。大卒では運転士になれないため、3人はいずれも学歴を「過少申告」していた。解雇に対し、市民の反応は「逆差別だ」「いや妥当」と真っ二つ。背景には、全国最悪レベルが続く青森県の就職事情も垣間見える。

 今月27日午前、青森市交通部労組の青森交通労組事務局に、学歴詐称のため20日付で懲戒免職となった運転士2人がやってきた。退職後の事務処理のためだ。
 「申し訳ないが、組合として身分を守ることはできない。何かあったら相談してほしい」。千葉敏彦委員長が苦渋の表情で語り掛ける。2人はうなだれたままだった。委員長室から出てきた2人は、組合職員らに「お世話になりました」と頭を下げ、去った。

 学歴を詐称した動機について、市交通部関係者の多くは「バス運転士へのあこがれがあったのではないか」と指摘する。同じく採用資格を中・高卒者に限定している仙台市営バスでも「『バスフリーク』は意外に多く、運転士は人気がある」(人事担当者)という。
 青森市交通部によると、運転士の初任給は15万1500円。東北各県の民間バス事業者と比べると高めで、労働環境や身分保障もしっかりしている。千葉委員長は「(3人には)安定した職に就きたいという思いもあったのだろう」と推し量る。

 市は1995年度、バス運転士など技能労務職員採用に当たり、それまで年齢制限だけだった資格に加えて、学歴制限を設けた。中・高卒者の就職状況が全国最悪レベルの青森県にあって、制限は「中・高卒者の採用枠を増やす」(市交通部)狙いがあった。
 昨年10月に最初の免職者が出て以降、市のインターネット掲示板などには「学歴の逆差別ではないか」「職業選択の自由に反するのではないか」との書き込みが相次いだ。別の公営バス関係者も「懲戒免職は厳しいと感じた」と打ち明ける。

 しかし、市は「学歴を隠して合格したため、本来合格すべき中高卒者が落ちた」(中川覚人事課長)との根拠で「懲戒免職は当然」とする。千葉委員長も「試験制度見直しなどの議論はあってしかるべきだが、現在ある要項を無視して『裏』から入ろうとするのは許されない」との見方だ。
 労働問題に詳しい東大社会科学研究所の水町勇一郎助教授(労働法)は「中・高卒者の採用を増やすという雇用政策上の要請と、職業選択の自由の兼ね合いが問題。一般的に学歴が上がればチャンスが増えるのに、大学に行ったことで逆に不利益を被っている。学歴の過少申告とのバランスからみて、懲戒免職という重い処分に疑問は残る」と話している。

[青森市営バス運転士の学歴詐称問題]市民からの通報で、運転士(32)が短大卒を高卒と偽っていた事実が発覚し、昨年10月20日付で懲戒免職処分となった。その後、95年度以降に採用した運転士88人の経歴を調べた結果、高卒と偽っていた大卒の運転士(43)と短大卒の運転士(35)の2人を今月20日付で懲戒免職とした。市は採用責任者1人を厳重注意に、試験担当者3人が月給の一部を自主返納すると発表した。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ちょっと前に、「ペパーダイン大学卒」という虚偽の学歴詐称で、結局辞職に追い込まれた国会議員の人がいましたが、この「バス運転士学歴詐称問題」については、学歴を低く詐称した、というのが問題になっているのです。普通、学歴詐称というのは、本当の自分の学歴より高学歴に詐称するが一般的なパターンなのですけど。
 ただ、僕は東大生になったことはありませんが、もし東大卒だったりしたら、たぶん「学歴詐称」したくなるような状況というのもあるんじゃないかなあ、と思います。世の中というのはなかなかうまくいかないもので、「高学歴」というだけで、「凄いですねえ」なんて持ち上げられているようで、実際は疎外感を味わう、なんてこともあるでしょうから。
 まあ、それはさておき、結論としては、「就業資格違反(しかも確信犯)」ということで、本人も「懲戒免職」に対して、裁判に訴えるとか、そういう動きにはなっていないようです。

 この件に関しては、「大学や短大を出ていたら、バスの運転手として何か不都合があるのか?」と疑問に思う人もいるでしょうし、「大学まで出ているんだったら、ただでさえ仕事がない状況なのだし、わざわざ『バスの運転手』という技術的な資格は必要だけど学歴とはあまり関係のない仕事をしなくてもいいじゃないか」という人がいるのは、当然のことだと思います。そして、どちらが正しい、という問題でもなさそうです。県の職員には、これとは逆に「大卒以上」なんていう条件がある職種だってあるのでしょうし、大卒じゃないと管理職になれない、なんていう「お約束」がある部署だって存在するはずです。そう考えたら、このくらいの「逆学歴差別」があっても仕方がないのかなあ、とも思えるのです。いやまあ、「それなら、大学に行けばよかったじゃないか!」とか言う人もいるんでしょうけど。
 ただ、「バスの運転手なんて、高学歴の人間がする仕事じゃないだろう!」というのはちょっとヘンな気もしますし、大卒だって、バスの運転手という仕事をしたい人がいるというのも理解できます。その一方で、この仕事を中・高卒者の雇用枠にしたい、という県側の立場もよくわかるのです。東大の先生が「職業選択の自由」と言ってみたところで、現実には、「自由に職業を選択できる」なんて立場の人はごく一握りなわけですから、誰だって、より条件が良くて、自分の希望に沿ったところで働きたいと思うはずです。そういう意味では、今回懲戒免職になってしまった3人は、「公のために犠牲になった」という面もあるんですよね。本来は、この記事にあるように、資格規定そのものがおかしいから、それを変えさせることが大事なのだろうけど、実際に自分が仕事を探している人間だとしたら、そんな悠長なバトルに身を任せているヒマなんてないだろうし、「学歴詐称」をしてでも、職を得たいというのは、けっして異常ではなさそうな気がします。実際より高学歴に見せかけるのは大変だろうけど、最終学歴が大学卒の人が高卒のフリをするには、出身高校で卒業証明書を貰って、大学に行ったことを履歴書で隠しておけばいいわけですから、調べる側が「性善説」に基づいていれば、「実は大卒だった」なんて、まずわからないのではないでしょうか?そういう意味では、試験官もとんだとばっちりを受けてしまった、と言えるかもしれませんね。

 それにしてもこの件でいちばん考えさせられたのは、最初に発覚した運転手の学歴については、誰かから「通報」があった、ということです。それも、本人の学歴を知っている人ですから、かなり近い人だったはずです。そういう「悪意」(密告した側は「正義の行使」のつもりだったとしても)について考えはじめると、正直、怖いな、とも思えてくるのです。少なくとも、運転手が解雇されても、この通報者が直接の利益を受ける可能性はないだろうに。
 もちろん、「嘘をつくこと」は悪いことなのですが……

 でも、本当にこれは、ある意味悲劇的なことですよね。解雇された人たちは、バスの運転手になりたくて大学に行ったわけではないのだろうし、景気が良くて仕事が有り余っている時代であれば、こんな諍いは起こらなかったような気もしますし。なんだか、「学歴社会への不満」を大卒・短大卒者の代表としてぶつけられてしまったみたいで、ちょっと不憫でもあるのです。

 しかし、このバスの運転手って、どういう基準で採用しているんだろう?まさか、「他所では採用してくれないような人」を優先的に雇用している、というわけでもないだろうしなあ。交通機関の運転手って、人の命を預かっているんだしねえ。



2005年01月30日(日)
友達を必要なのは、大人になった今なのに。

『対岸の彼女』(角田光代著・文藝春秋)の本のオビに著者である角田さんが書かれていた文章。

【おとなになったら、友達をつくるのはとたんにむずかしくなる。働いている女が、子どもを育てている女となかよくなったり、家事に追われている女が、未だ恋愛をしている女の悩みを聞いたりするのはむずかしい。高校生のころはかんたんだった。いっしょに学校を出て、甘いものを食べて、いつかわからない将来の話をしているだけで満たされた。けれど私は思うのだ。あのころのような、全身で信じられる女友達を必要なのは、大人になった今なのに、と。】

〜〜〜〜〜〜〜

 先日、仕事帰りに聴いていたラジオの番組で、こんな女性リスナーからの手紙が紹介されていました。
【短大時代に親友と同じ男性を好きになってしまい、結局、その関係に耐えられず、すべてをリセットしたくなって、誰にも言わずに遠くの街に就職を決め、短大の知り合いの誰にも(親友や好きだった男性も含めて)引越し先や連絡先を教えずに、ひとりになることを選びました。あれから年月が経って、風の噂で、彼は親友とは違う女性と結婚したと聞きましたが、なぜだか今の私には、彼と別れたことよりも、親友と別れてしまったことのほうが残念に思えてならないのです。大人になってみると、親友をつくるっていうのは、本当に難しいことだということがわかってきたような気がするから…】

 僕はそういう形で友人と彼女を取り合ったりしたことはないのですが、「大人にとっての、友達をつくることの難しさ」というのは、すごく切実に伝わってくるものがありました。
 僕が社会人になったのは24歳のときだったのですが、それ以来、医局の都合であったり、自分で勉強することを希望したりであったりで、同じ場所にいたのは2年から長くて3年くらい。短い期間でいろいろなところを転々としてきました。もちろん、こういうのは僕だけが特殊なわけではなくて、若い医者というのはだいたいこんなものなんですけど。
 でも、もともと他人に慣れない性格からなのか、どこでも「友人」というのはなかなかできないものだったなあ、とあらためて思います。もちろん仕事関係でつきあいがあって、一緒に飲みに行く人はいたし、休日に遊びに行ったりするようなこともありました。ただ、それはやっぱり「付き合い」の範疇を逸脱することはなかったような気がします。僕の場合は、残念ながら派手な女性関係なんてのは無かったのですが、実際に大人になってみると「異性とつきあう」よりも「同性の友達をつくる」ことのほうが、かえって難しいような感じもするのです。もちろん、僕のようなインドア系の男と違って、集団スポーツをやったり、趣味のキャンプにみんなで行ったりするようなアウトドア系の男には、そういう「友達ができない」なんて淋しさは、無縁なものなのかもしれませんが。

 僕が「女性はうらやましい」と思うことのひとつに、「女性は大人になってからでも、友達ができる」ということがありました。彼女たちは仕事帰りに颯爽と女2人で食事や映画に行ったり、休日は旅行に出たりできていいなあ、と。今の世の中というのは、「女二人」であれば、大概の場所では「異質なもの」として扱われないけど「男二人」でやることと言えば、「酒を飲むこと」くらいしかないのです。「男二人だけで映画」とか「男二人だけで旅行」なんてのは、むしろ、余計な想像力をかきたててしまうものでしかないような気もします。

 「友達づきあい」がやりやすくて、女性はいいなあ、って考えていたのですけど、実際のところ、「女同士のつきあい」というのも、なかなか大変なのだな、ということが最近ようやくわかってきました。「社会的な立場にとらわれない、人間と人間としての友人関係」なんて言いますが、実際のところ、そういう「計算のない友情」みたいなのって、なかなか難しいところもあるものです。「医者は医者同士でかたまってしまって、つまらない」なんて僕も思っていたけれど、「あなたは医者だからわからないでしょうけど」と「普通の人」から言われることが続けば、やっぱり付き合い辛いところもあって、「同じような職種のコミュニティ」に逃げ込んでしまうのだなあ、ということもわかってきました。そういうのって「自分達を特別視している」と他人からは見られているのかもしれませんが、当人たちからすれば「周りはわかってくれないから、仕方なく仲間で寄り集まっている」という面もあるのです。だから、そういう「壁」というのはけっして、「壁の中にいる人たち」だけの責任ではないのです。

 本当に「おとなにこそ、何でも相談できるような友達は必要」なんですよね、たぶん。
 そして僕たちは、「学生時代の友達はいいなあ」と、昔からの友人に、ついつい頼ってしまう。その「気楽なつきあい」の要因が、「利害関係がない」からだとしても。

 それにしても「友達ができない」と悩む男と、「ひとりにならないために、友達のふりをし続けなくてはならない」女と、いったいどちらが幸せなのでしょうか……
 



2005年01月29日(土)
どうしてそこで、「大量破壊兵器」を使わなかったのか?

『泣き虫弱虫諸葛孔明』(酒見賢一著・文藝春秋)のまえがきから。

【わたしはもう十年以上も前、『三国志』の後半、孔明南征のくだりを面白く読んでいたのだが、孔明率いる蜀漢軍に次々と襲いかかる一種の人種差別としか言いようのない、洞穴かなんかに棲んでいる南蛮の酋長どもの描写と戦闘がある。南蛮洞主が次々に繰り出す荒わざに、多分真面目な武将趙雲たちが、いきなり虎や豹の野獣軍と異種格闘技を強いられ苦戦するわけだが、ところが孔明少しもあわてず、
「既に成都におりしより情報を得て、このようなこともあろうかと準備しており申した」
 と、いつ造って運んできたのか知らないが、巨大な野獣模型兵器(人が中に入って動かすトロイの木馬的なものだが)を出動させ、口からは火炎放射、硫黄の毒煙を吐かせて野獣軍を四散させ、地雷まで仕掛けて、蛮族どもを虫けらのように焼き殺してしまうのであった。
 そんな孔明のこども好きのするおとなげない所業もさることながら、何故このロボット兵器群を、後の魏との北伐戦、斜谷、街亭、五丈原に投入して魏軍を攻撃させなかったのかが不思議でならない。読者だって司馬仲達の大軍が火を噴く怪獣兵器部隊にやられて地雷爆破を喰らって逃げまどうところを見たかったはずなのだ。そしたら勝てたのに、残念なことだ、と思うのはわたしだけか。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「いえ、あなただけではないです!」
 僕はこれを読んでいて、「三国志」を初めて読んでいた小学生の頃の疑問が鮮明によみがえってきました。ほんと、「なんであの新兵器を魏に使わないの?」と、まあ、そういうのが「お約束」であるのは内心悟りつつも、やっぱり「あれを使えば、蜀が勝っていたかもしれないのに!」と思わずにはいられませんでした。当時は、蜀=善、魏=悪、というシンプルな見方をしていましたから、それが覆らない歴史的事実に基づいたものだとしても、蜀を、孔明を勝たせたい、と切実に願っていたのです。現代人的な感覚でいえば、相手が未開の民族だからといって、そんな「大量破壊兵器」を投入するのは、ルール違反だし、そもそもそういう設定そのものが「人種差別的」なのではないかとも思われるのですが、とりあえずそのあたりは、「三国志」が書かれた時代からすれば、「あまり現代人が目くじら立てるのは、おとなげない」とも言えますよね。

 この手の「お約束」というのはいろんなところにあって、例えば「ドラえもん」を読んでいて、「どうしてここで、前に出てきたあの「ひみつ道具」を使わないんだ、その新しい道具よりも、あっちのほうがより効果的なんじゃないか?」と、ついツッコミたくなりますし、映画「ロード・オブ・ザ・リング〜王の帰還」でも、「アラゴルン、そこで解放してやる前に、もう一仕事させておけよ、どうせそいつらは死なないんだろ?」と言いたくなる場面がありました。そういうのは登場人物のプライドなのかもしれませんが、見ているほうとしては、つい口を出したくなるのですよね。
 どうしてここで、あれを使わないんだ!と。

 でも、最近僕は、そういう「お約束」に対して、自分が急速に寛容になってきているのを感じます。その一例が、アントニオ猪木さんに対するスタンスで、小学生の頃の猪木は、僕にとって、憧れのヒーローでした。常に体制に立ち向かっていく燃える闘魂・アントニオ猪木!
 しかしながら、「やっぱり、片手でブルーザー・ブロディと闘って、時間切れ引き分けなんていうのは、ちょっとありえないんじゃないか?」というあたりから僕の疑問は高まり、ハルク・ホーガンがアックスボンバーで猪木を場外ノックアウトしたときに、猪木を必死でリングに上げようとしている姿で、なんとなく僕は悟りました。プロレスというのは「お約束」の範疇なのだな、と。
 でも、30になる前くらいからでしょうか、僕はなんだか、「つまらない『リアル』よりは、面白い『フェイク」(あるいは『お約束』)のほうが、いいんじゃないか、と思えてきたのです。プロレスだって、あれだけ体を張ってやっているのだし、たとえある種の「お約束」に支配されているとしても、それを承知の上で、「乗せられてみる」のも、それはそれでいいのではないかと。
 というわけで、アントニオ猪木への僕の感情は、「ヒーロー」から「嘘つき」になったものの、最近は「ヒーロー」に戻ってきたのです。それは僕にとって「大人になった」ことなのかもしれないし、逆に「若さを失った」ことなのかもしれません。

 ほんと、子どものころって、「なんで大人は、『水戸黄門』なんてマンネリ&ワンパターンな時代劇が好きなんだ?」と思っていたのだけれど、ああいうのは、その「お約束」を楽しむものなんですよね。印籠見せびらかして歩いている、何もアクシデントが起こらない『水戸黄門』なんて、面白くないに決まっているのだから。



2005年01月28日(金)
悲しき「暴走族モラトリアム」

河北新報の記事より。

【宮城県で活動する暴走族グループのメンバーの年齢層が、高くなっている。以前は20歳前に足を洗うのが通例で、県警の調べでは、2000年に成人は10人に1人にとどまっていたが、04年には半分を占めるようになった。暴走族全体の構成員は年々減っており、年齢が上がる背景には後継者が集まらず、組織を維持するために抜けるに抜けられない現実があるようだ。
 県警が把握しているメンバーの年齢構成は別表の通り。主力が2000年は17―19歳だったのが、04年は19―21歳に移った。19歳以上で見ると、2000年は全体の4分の1だったのに対し、04年は4分の3に増えている。
 ここ数年、若者の暴走族離れが進み、構成員は減少の一途。2000年の347人をピークに減少し、04年にはほぼ3分の1の114人にまでになった=グラフ=。03年には県暴走族根絶条例が改正され、暴走族への勧誘が禁止になったことも、加入減に拍車を掛けた。
 暴走族はこれまで、高校卒業時などに「引退暴走」をして現役を退くパターンが多かった。しかし、なり手不足の進行で、県警は「組織を保つには、足抜けを踏みとどまらざるを得ず、結果的に年齢層が高くなった」とみている。
 後ろ盾の暴力団員が暴走族からの上納金を確保するために、脱退希望者に「新人を連れてこないと辞めさせない」と脅すケースもあった。
 仙台中央署が昨年摘発した暴走族グループは、メンバーの多くが20代で、最高齢は34歳だった。四輪車の暴走族も現れ、年齢が比較的高くても加わりやすくなっているのも一因だという。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕はこの記事を読んで、本当に驚きました。だって、暴走族って、高校生くらいがその主な構成員で、20歳を過ぎれば「引退してカタギに戻って、後輩に偉そうに人生論とかを説教する」というのが一般的なのだろうな、と思っていたから。
 あのうるさくて怖い暴走族そのものは大嫌いですが、それはそれとして、「ああいうスリルみたいなものに依存してしまう10代後半の不安な若者像」というのは、なんとなく理解できなくもないのです。でも、そんなことを30歳過ぎてまでやっていたら、単なる「迷惑な大人」に過ぎません。2004年の時点では、19歳以上が4分の3なんて、世も末というか、むしろ、「人は死んでも生き返ると思っている」とか世間から叩かれている小中学生のほうが、はるかに賢いのではないかとすら思います。
 まあ、「暴走族の高齢化」というのはけっして悪いことではなくて、若い人たちが新規参入してこなくなったために「過疎化」しているのだとしたら、このままこの「暴走族」という迷惑な集団が立ち枯れになってしまうことを願うばかりなのですけど。

 たぶん、今暴走族をやっている人たちも、「このままじゃ自分はダメだ」と思いつつも抜けるきっかけもなく、逆に20歳を過ぎて、社会人として1からやり直す勇気も出ないままズルズルと続けてしまい、そこから上納金を得ている暴力団も、この既得の利権を手放さない、という図式になっているのだと思われます。逆に大人になればなるほど、今までの「暴走族の幹部」という立場を捨てて、新入社員としてこき使われるのに対する恐怖感や嫌悪感も出てくるのかもしれません。
 なるべく「自分が偉ぶれる場所」に居たいという、悲しいモラトリアム。
 客観的にみれば、「そんな年になってまで…」としか言いようがないのですが…

 でも、この「暴走族の高齢化」の記事というのは、ある意味せつない印象を受けます。「社会のシガラミなんて糞食らえ!」と暴走族に入ったはずの若者たちが、今度はそこで「暴走族のシガラミ」にがんじがらめになってしまい、そして、今さら日常にも戻れない、というネガティブスパイラルになってしまっているのが現実ならば、現実社会で満たされない人たちが、オンラインゲームの世界では、やっぱりその「ゲーム社会でのシガラミ」に支配されているというのも現実。
 人間はもともと「帰属意識」というのが強い動物なのだとしても、結局何かの枠の中におさまりたいのなら、そんなに自分を追い込むような枠を選ばなくてもいいのになあ…とも感じます。

 結局、どこにも「楽園」なんてないんですよね……



2005年01月27日(木)
みんな、「落ちた後」の振る舞いを見ている。

毎日新聞の記事より。

(今月30日に引退相撲が予定されている、元大関貴ノ浪さんのインタビュー記事より。▼が貴ノ浪さんです。)

【−−相手を引っ張り込む相撲は、評論家から「異能」と批評されたことがあったが。

 ▼全く意に介さなかった。自分が大関で元気な時は、連日大入り。その前で相撲を取るのだから、「どうやったらお客さんが沸くか」ばかり考えていた。土俵に上がる前は、もどしそうになるぐらい緊張する。でもあの歓声を聞くと、また上がりたくなるし、勝ちたくなる。その繰り返しだった。

 −−大関で2回優勝し、綱取りのチャンスがあった。

 ▼綱取りも勝ち負けも、まったく考えなかった。歓声を浴びたい、前の師匠(二子山親方=元大関貴ノ花)にほめられたいことしか頭になかった。だから土俵際で「ここで体を入れ替えたら盛り上がるだろうな」なんてことも頭に浮かんだこともある。

 −−師匠にはどんなことを教えられたか。

 ▼ほめられたことは一度もなかった。でも次の日の新聞に「いい相撲だった」という師匠のコメントが載っているとうれしかった。相撲の技術は矯正されたこともない。心構えを教えられた。今でも鮮明に覚えているのは「自分が納得し、喜べる相撲を取らないと、お客さんは納得しないぞ」。大関から2回目に落ちた時、引退も考えたが「落ちたことは恥ずかしいことじゃない。お客さんは落ちた後の振る舞いを見ている。堂々としなさい」と言われ、もう一度やろうと思った。

 −−現在の角界は朝青龍の独走が続いている。

 ▼朝青龍はよく頑張っている。ただ彼を倒そうとする必死さが、ほかの力士に足りないと思う。怒らせることすらしない。例えば顔でもバンバン張る中で、勝機を見出せば沸くのに。お客さんも、その辺の覇気のなさを早くから感じているから、足が遠のいているのかな。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕はもともとそんな相撲フリークではないのですが、最近の大相撲は「いつのまにか始まって、いつのまにか終わっている」という感じがします。朝青龍さんに恨みはないのですが、もうちょっと手加減してやればいいのに、と思うくれいの独走態勢だし。

 貴ノ浪関は、「若貴時代」の名バイプレイヤーとして活躍され、優勝経験もある人なのですが、この人と先輩である霧島関は、大関まで上り詰めたもののケガなどもあって陥落してしまい、その後も一平幕力士として、長く相撲を取っていました。傍からみれば、どうして、無様な姿をさらして(という表現は不穏当かもしれませんが、大関まで上がった力士なら、ふがいない相撲しか取れなくなったら引退するのが当然、というのが当時の風潮でしたから)、番付が下がってまで現役にこだわるんだろう?」と疑問を抱いていた人も多かったのではないでしょうか。もちろん、当時はまだ若かった僕もそのうちのひとりだったのですが。
 まあ、現実的には、親方株とかいう権利の問題とか、いろいろあったというのも事実みたいですけど。

 しかしながら、このインタビューの中で、貴ノ浪関が師匠の前二子山親方から言われたという、「落ちたことは恥ずかしいことじゃない。お客さんは落ちた後の振る舞いを見ている。堂々としなさい」という言葉に、僕はハッとさせられました。
 正直、「落ちたことは恥ずかしくない」というのは、勝負の世界に生きる人間にとっては、けっして「本音」ではないと思うのです。やっぱり、負けたり、衰えた姿を見せるのって、恥ずかしいのではないでしょうか。
 でも、師匠はあえて愛弟子に「胸を張れ」と教えたに違いありません。それは、「負けることは仕方がないけれど、負けたことでプライドを失ったり、自暴自棄になってしまえば、それで失うもののほうが、よほど大きい」ということを師匠は知っていたからだと僕は思うのです。
 「失敗すること」は、人間であるかぎり、誰にだってあることです。でも、実際のところ「失敗すること」によって直接失うものよりも、失敗した後、ヤケになって荒れてしまったり、他人のせいにしたりすることによって、身近な人たちの信頼を失ってしまうことのほうが、長い目でみればよっぽど大きな「失敗」になることが多いような気がします。
 もちろんそれとは逆に、勝つことによって自分を見失ってしまう場合もあるのですが。

 実は、ひとつの「勝負」がついたと思った瞬間から、本当の「勝負」は、はじまっているのかもしれませんね。それこそ真の「大人としての勝負」なのでしょう。

 ただ、僕はこんなことも考えてしまうのです。勝負でどんなヒドイ負け方をしても、「大人としては、落ち込んだり荒れたりするヤツはダメ」だというのは、ある意味「一瞬の隙も許されない」ということですし、そうやって張り詰めて生きていくというのは、ものすごくキツイこと、でもありますよね。
 衝動的に泣いてしまう前に、「泣いてもどうしようもないよね」と自分に言い聞かせる生き方……
 そういう「大人」というのは、なんだかとてもせつない存在であるような気もするのです。

 



2005年01月26日(水)
困ったときの、”チキン”頼み!

「ばらっちからカモメール」(鴨志田穣=文・西原理恵子=絵・ゲッツ板谷=あほうりずむ、スターツ出版)より。

(鴨志田さん、西原さん夫妻(今は離婚されてしまいました)が、お互いの実家の人たちと一緒に、バリ島へ家族旅行したときの食事の際のエピソードです。)

【子供二人にはスパゲッティと焼メシ。
 幼児二人には大人の残りを与える、という事になった。
 周囲を見渡すと、きれいに正装した二人組ばかりが、しっぽりと瞳を見つめあい、静かに食事をしている。
 かさねがさね、申し訳なく思ってしまう。
「おかあさん、こういう所はチキンとかが無難なのよ!」
 ウチのおふくろがわけのわからない事を大声で言っているのが聞こえた。
 おふくろは五〜六回海外旅行に行った事がある。
 サイバラのおかあさんはハワイに一度だけだそうだ。
 おふくろは、当然全て格安ツアーの旅しか知らない。
 ガイドに宛がわれた食事を日に三度、何も考えずに食べることしかしていないはずだ。
「こうゆう所」とは何を意味しているのだろうか……
「チキンが無難」とは、何をもって無難なのだろう。
 わからない。
 つい意地悪な気持ちになってくる。
「おばあさん、何にしゆうが?」
 サイバラ兄にもそのやり取りが聞こえたのか、段取りを仕切り始めた。
 案の定サイバラ母は、
「チキン」
と答えた。
 一瞬サイバラ兄は、”グフフ”と低く笑った。
「チキンて、何をゆうが?なんちゃわかりやせん」
 と、土佐弁でまくしたてた。
 サイバラも怒りモードに入った。
「……チキンでええわ……」
 サイバラ母が皆に攻撃されてあわてたのがうちのおふくろであった。
「あのう。私も同じ物を……チキンを……」
 うちのテーブルからは、”チキン、チキン”とこの一言しか出てこない。
 欧米カップルは不思議そうに見つめる。
 ”弱虫、弱虫”と言い合っているのだから、そりゃ不思議な団体だろう。
「みんなでわけて食べようって決めたじゃないか、別なもんにしなよ!」
今度は僕がおふくろにきつく言う。
「そ、そうねえ」
 改めてメニューを見るおふくろ。
 判りっこないんだから、聞いてくれればいいものを……。
 たかが六回のツアー旅行で培った知ったかぶりと見栄のために失敗が失敗を呼んだ。
「じ、じゃあこの、ビーフを……」
 サイバラ兄が、また低くグフフと笑うのが聞こえた。
 チキンとビーフ。
「それしか読めんのだろ」
 身内の恥がいたかった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ああ、なんだかものすごく身につまされる話です。確かに、海外旅行の経験があるとは言っても、どんなものが美味しいかとか、そこに書いてあるのがどんな内容の料理なのか、なんていうのは、「わからなくて当たり前」のことのような気がします。料理の名前なんて、日本語で書いてあってもどんな料理なのか皆目見当がつかないこともよくあるのですし。
 でも、自分より海外旅行経験が浅い(と考えられる)人の前では、ついついミエを張って、とんでもない目にあってしまったりするのですよね。
 ちなみに、この後「チキンとビーフ」で運ばれてきた料理は、「鳥丸ごと一羽」と「激烈に辛い真っ赤なビーフカレー」で、まさに「トンデモナイ食事」になってしまったのですが。

 ところで、僕がこの文章を読んで最初に思ったのは、この「困ったときにはチキンが無難伝説」というのは、いったい誰が言い始めたことなのだろう?ということでした。僕の海外旅行経験は全然たいしたことないのですが、この「海外で知らないレストランに入ったときには、”チキン”を頼むのがいちばん安全」という話は、けっこういろんな人から聞いたような気がするのです。確かに、鶏肉というのは、牛肉・豚肉と並んで日本人にはメジャーな食肉だし、牛肉や豚肉と比べれば、「宗教上の理由で食べられない国」というのが比較的少ないので(もともと肉食自体が認められていないところもあるのですが)、慣れない食材を敬遠しがちな人間(僕も含めて)には、無難な食材ではあるのでしょうけど。

 ただ、僕の経験の限りでは、海外で「ものすごく美味しいチキン」というのを食べたことがないのも事実です。以前学会に行った際に、ランチつき研究会に参加したのですが、「とりあえず無難なチキンのコースが出てくるやつに出よう」と思ったのが運のつき、そこはなんと偉い人たちが各国の情勢について英語でディスカッションするような会で、英語が苦手な僕としては、いつ自分に話が振られるか不安で、食事が全然喉を通りませんでした。緊張のあまりものすごく胃は痛いし、そこに出てきたチキンは「これはゴム製ではないのか?」と思うほどカタイしで、本当にあの1時間は辛い記憶です。一生で一番長かった「1時間」かも。
 まあ、今となっては、恥ずかしいけれどもいい思い出なんですけどね。ネタとして元は取ったような気もするし。
 でも、もう二度とあんな目には遭いたくないなあ…

 この「チキンが無難伝説」は、きっと、「海外での食事に不安な日本人」には、まだまだ語り継がれていくに違いありません。そんなに「無難なもの」を食べたいのなら、マクドナルドに行け!とか海外通の人たちにバカにされつつも、やっぱりそれじゃ寂しいし。
 本当は、「何を食べるか」だけではなくて、「美味しい店を選ぶこと」が、いちばん大事なんでしょうけど。
 
 



2005年01月24日(月)
泣き虫、弱虫?石田純一

デイリースポーツの記事より。

【和田アキ子(54)が23日、都内のライブハウスで行われた映画「Ray/レイ」(29日公開)の試写会でトークショーを開いた。昨年死去した盲目のシンガー、レイ・チャールズを描いた作品。和田はレイと交流があり「神様」とあこがれている。また、長谷川理恵とクリスマス破局した石田純一とこの日会ったそうで「『(長谷川を)石田君が育てたようなもんだ』と言ったら『クリスマスでよかった。さようならの代わりにメリークリスマス』だって。キザだね」と苦笑。】

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 いやしかし、こういう芸能界のスキャンダルとか不祥事ネタになると必ず出てきますね和田アキ子さん。もう最近は、自分の本業である歌でというより、他人の行状にツッコミを入れることで稼いでいるような感じです。まあ、それはさておき、今回の石田純一さんと長谷川理恵さんの「破局」に関して、僕が観たかぎりでは、ほとんどすべてのメディアが石田純一さんに同情的だったことに、正直驚きました。だって、「不倫は文化だ」なんてウソブキながらつきあいはじめた相手なんだよ、結局離婚しちゃったんだし。そういうのって、時間が経てば、もう「時効」なんだろうか…

 僕は「トレンディドラマ直撃世代」ですから、トレンディドラマでキザな男を演じ続ける「本当にカッコいいと思われていた時代の石田純一」の記憶を持っているのです。そういえば「ハンマープライス」という番組では、「卒業式のあと、石田純一がスポーツカーでお迎えに来てくれて、ドライブのあと謝恩会に送ってくれる権」なんていうのが、かなり高額で落札されていたのを観た記憶もありますし。それをまた、会場の若い女性たちが、心底羨ましそうに観ていたんですよね…
 今、同じことをやらされたら、「罰ゲーム」なのではないかという気もするんですが、あのころは、「そういう時代」だったのです。僕たち男どもは内心「あんなキザなだけで中身のない(と当時は思っていた)男のどこがいいんだ!」なんて寄り集まっては毒づいていたものです。

 しかしながら、この石田純一・長谷川理恵というカップルに関して「石田純一が育てた」という表現には、なんだかしっくり来ない感じもするのです。なんというか、長谷川さんはマラソンやったり、ゴルフやったり、いろいろな活動をされているようなのですが、今の長谷川さんのポジションは、「石田純一の女」という域を出ないものであり、「育てられた」にしても、あんまり大きくは育ってないよなあ…という感じです。マラソンやっているって言っても、日本にはもっと速いランナーなんて、たくさんいるわけだし、だからといって、芸能人として「石田純一の女」という看板以外に彼女を一般にアピールするようなものは、何一つなさそうです。そして、現在31歳で今までほとんど石田さんとのペアでしか語られることがなかった長谷川さんが、これから芸能人として「大ブレイク」していくという可能性がそんなにあるとも思えないんですよね。「この経験を生かして、バラエティ進出」くらいしか選択肢は残っていないのかもしれません。
 石田さんは確かに長谷川さんを「芸能界で食っていけるようにしてあげた」のでしょうけど、所詮「食えるだけのレベルにしか、育てられなかった」とも言えそうです。
 それでも、この「育てた」に対して周囲が納得しているのは、「石田さんと付き合っていなかったら、長谷川さんは芸能人としては今以上にうだつが上がらなかったに違いない」という予測をみんなしている、ということになりますよね。実際のところは、どうだったのかなんていうのは、もはや知ることはできないのですが。

 それにしても「家まで建てさせられたのに別れを告げられた」石田さんに対して世間がことのほか優しいのを観ていると、世の中というのは、いわゆる「老いらくの恋」みたいなものに対して、ものすごく温かい目で見ているのだな、ということを感じます。今回のテレビ番組でのコメンテーターたちは、「もう50歳の石田純一さんには、もう後がなかった!」というような論調も目立ちましたし。そういえば、某歌舞伎界の大御所が若い女性とホテルで写真を撮られたときも、「お盛んで何より」みたいな報道ばっかりだったものなあ。今公開中の「東京タワー」で若い男の子と恋に落ちる黒木瞳さん演じる41歳の主人公にも、「それって『不倫』じゃないか!」というツッコミはほとんどないようですし。
 そう考えると「年を取ると、恋愛ができなくなってしまう」という恐怖感を持つ人はものすごく多いのかもしれないし、逆に年を取れば「恋愛さえできれば、どんな形だっていい」と思う人が増えてくるのかも。
 石田純一さんの今回の「破局」については、同世代の男たちにとっては、「所詮、石田純一でも50歳になれば『後がない』んだよなあ」という同情と共感と安堵を感じさせるものだったのでは。

 でも、僕は正直、石田さんがこれで「打ち止め」になるとは思えないんですよね。最近の石田さんは、バラエティ番組にどんどん出演して自分の「モテキャラだったころ」を切り売りして稼いでいるようにすら見えますし、今回の会見も、わざわざあんなに派手に「破局会見」とかやる必要なんてないと思いませんか?
 やっぱりそこには、「破局すら利用するしたたかさ」もあるのかなあ、とも感じてしまうのです。

 僕が聞いた話では、石田さんは、なかなか役者としては売れずに、大ブレイクしたトレンディドラマに出演するときに「もうこれで役者は最後にして、裏方(マネージャーとか)に回ってくれ」と事務所に宣告されており、どうせこれで最後なら、と開き直って、あの「同性にとってはムカつくくらいのキザな男」を演じたら、それがウケて今の地位を築いたそうです。

 ああ見えて、石田さんは、逆境には本当に強い人なのかもしれません。
 今回の「破局」だって、ちゃんと「ネタ」にしてしまっているわけだし、なんとなく、「別れるならクリスマスにしたほうが、ネタになるな」とか意識していたのではないでしょうか。

 ほんと、転んでもタダじゃ起きないですよね、ある意味見習わなくては。
 



2005年01月23日(日)
開かずにはいられない、スパムメールの件名

「週刊アスキー・2005年1/25号」の記事「スパム撲滅大作戦」より。

(「最近のスパムの傾向と実例をチェック!!」という項の一部です。)

【<巧妙な件名>
 思わず開きたくなる件名にだまされるな!

 メールを受信すると、メールソフトの画面上にメールの件名が一覧表示され、どんな内容か予測できる。最近のスパムはそれを逆手に取り、一見ふつうっぽい、知り合いからのメールのような件名をつけている。そのために受け取った人が思わず開いたり、返事してしまうケースも多い。
 巧妙な件名の傾向としては、「先日の件で」「昨日は楽しかったよ」といった、友人や知人を装うものが多い。また、思い当たる人にはピンとくる「掲示板見たよ!」や、つい見てしまいたくなる「ご当選通知」も増加中だ。自分が出したメールへの返信を装う”Re:”を付けたものも増加している。いずれにせよ見知らぬ差出人からのメールは無視したほうが無難だろう。

<一見、スパムに見えない!?>
件名:※最重要事項(緊急)
件名:サイト開きました!CBC山田
件名:Re:日曜日はちょっと……
件名:Re:違うと思います
件名:先日はありがとうございました
件名:今晩空いています       】

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 こうしてサイトをやっていると、やはりスパムメールというのはたくさんやってくるのです。もっとも、近頃ではサイト持ちでなくても、この手のスパムメールというのはものすごく多いみたいで、僕の周りの人々もみんな閉口しきっているのですが。
 とはいえ、ヘタに「送信拒否はこちらへ」なんていうアドレスに返信したりすれば、かえって「生きているメールアドレス」ということがわかって、スパム業者の思うツボ。なんとも腹が立つものではありますが、苦虫を噛み潰しながらスパムを削除する、というくらいのことしかできません。まあ、あれはあれで、「今度はどんな手を使ってくるのだろう?」と内心面白がっているところもなくはないのですが、こちらのほうも慣れてきましたから、「スパム臭」というのはわかるんですけどね。
 ただ、サイト管理人としては、そんなにたくさんの数が来るわけではありませんが、面識のない人からメールが来ることもありますから、「知らない人からのメールはすべて見ない」というわけにもいかないのです。

 上に例として挙げてある「スパムに見えない件名」ですが、最近はこの手の「知人風メール」というのも見慣れてきましたから、僕もこんなのには引っかかりません。と言いたいところなのですが、実は、このうち一つだけは、スパムだろうな、と思いつつも、開いてしまった経験があります。

 それは、「Re:違うと思います」というもの。
 こういうサイトをやっていると、たまにですが「反論」を送って来られる方がいらっしゃいます(もちろん、応援メールをいただくこともありますよ)。そういうものにはいくつか種類があって、書いている側からすれば、「正当な反論」であると思うようなものもありますし、その一方で、「そんなことどこに書いてあるの?」とこちらが聞きたいくらいの「独自の解釈」をされた上で「反論」してこられる方もいらっしゃるのです。ただ、サイト管理人というのは因果な生き物で、その内容がどんなものであれ、「観てくれている人からの反応」というのは気になるのです。
 それで、タイトルから判断して、いかにも「このメールは読むと精神衛生上ヤバイ!」という予感がしつつも、そういうネガティブメールをつい開いて読んでしまうのです。
 最近は、何行か読んで「これはいかん…」と思ったら、読むのを中止するようにしているんですけどね。そもそも僕は自分のサイトで、信者を増やしたり、世界に革命を起こしたりするつもりはないので、「イヤなら観ないほうがお互いのためですよ」と考えていますし。

 しかしながら、やっぱり「違うと思います」というタイトルを見ると、「スパム…だよね、でもね、たぶん、きっと…」とか思いつつも、なんとなく確認しなければならないような気持ちになってしまいます。それも「責任」なのではないか…とか。
 もしこれが「あなたは天才です」とか「大ファンです!ぜひ友達になってください!」とかいう「ポジティブもの」なら、もう脊髄反射レベルで「スパム!」と判定して、内容になど一瞥もくれずに、即座に削除できるのですが…

 結局、僕はこうやってサイトにいろんなことを書きながら、賞賛されることなんて信じられず、いつも攻撃されることばかりを怖れている、ということなんですよね。実際は、そんな「不躾なクレーマー」というのは、そんなに高頻度ではないんですけど。

 ほんと、なんでこんなことをやっているんだろう?と思いますよ、自分でも……



2005年01月21日(金)
「不道徳なゴム製品」をめぐる、希望と失望

日刊スポーツの記事より。

【スペインカトリック教会の司教協議会は19日夜、声明を発表し「道徳に反してコンドームの使用を勧めることはできない」と述べ、前日の協議会スポークスマンによるコンドーム使用の容認発言を公式に撤回した。

 20日の同国マスコミは「ローマ法王庁がスペイン教会に訂正を強制」(パイス紙)「多くの国民の驚きと希望は数時間しか続かなかった」(ペリオディコ紙)などと一斉に「失望」を表明した。

 スペイン・カトリック教会の司教協議会スポークスマン、マルティネス・カミノ司教は18日「コンドームもエイズ予防の文脈の中に位置付けられている」と述べ、初めてエイズ予防のためコンドーム使用を容認する考えを示していた。

 しかし、19日の協議会声明は「スポークスマンの発言は記者の質問に短く答えたもの。コンドームは不道徳なセックスをもたらすというローマ法王庁の教義の枠内での発言だ」と弁明した。】

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 世界に冠たる「性に寛容な国」である日本人の僕としては、「なんだか前時代的な話だなあ」と感じてしまう話なんですけどね。
 医者の立場からすれば、コンドームというのはAIDSをはじめとするSTD(性行為を通じて感染する病気)の予防に有効なのは間違いないことですし。
 前日の「コンドーム容認」の記事を読んだときには、ようやくこのスペインの教会も「現実的な転換」を行ったのだな、と感心したのに。

 こういう「教会のアナクロニズム」に対して日本人の多くは、ものすごく違和感を感じるのでしょうが、実際のところ、こういう「宗教的な禁忌」という問題については、現代の日本ほど「なんでもあり」な国というのはほとんどないのかもしれません。僕が日頃意識している宗教的習慣なんて、「北枕」と「箸渡し」は縁起が悪い、ということくらいだし。

 アメリカではいまだに妊娠中絶に対する議論があって、大統領選挙の際の争点にもされているのです。ただ、「中絶を認めない」という理念を持つ側が勝利を得たとしても、実際問題として「中絶禁止」が徹底できるかというと、それは難しいのでしょうけど。もしそんなことになれば、それこそ「裏家業」の人たちによる危険な堕胎が横行することにもなりかねませんし。
 いや、日本だって、大部分の場合は「優生保護法」という法律の「経済的事情」という項目に基づいて、かなりの拡大解釈で堕胎を容認しているだけなのですけどね(もちろん「容認」であって、「推奨」ではないです)。

 そもそも、宗教の教義というのは、その宗教が誕生した時代の実情に即しているものですから、人口問題が現在のように切実ではなく、「子どもをたくさん産んでも、全員が成人するのは難しい時代」の人々にとっては、「避妊」というのは、あまりメリットのないことだったのでしょう。その一方で、梅毒や淋病などの性感染症の蔓延を予防するためには、「貞淑」の概念も有意義だったわけです。逆に、パートナーを特定の人物に絞るというのは、「感染ルート」を極力減らすという意味でも有効なんですよね。もちろん今でも、不特定多数の異性との性的接触によって、HIVウイルスだけでなく、子宮ガンの危険因子であるHPV(ヒトパピローマウイルス)への感染の可能性が高まるので、不特定多数の相手との「不道徳なセックス」というのが危険であることは、間違いないのですが。

 この記事を読んで、僕は最初は「いつの時代の話?」とか感じたものの、今あらためて考えてみると「不道徳なセックスが当たり前のことだと、僕は思っているのだろうか?」と、ちょっと自分でも悲しくなりました。
 どうせみんな「不道徳なセックス」をするのなら、コンドームをつけておいたほうがいいじゃないか、って。
 もちろん、性感染症の予防以外にも、コンドームにはいろいろな役割がありますけどね。

 その一方で、コンドームがあれば、病気に感染するリスクがかなり減るから、少々遊んでも大丈夫、ということなのか?という気もするのです。
 でも、確かに「感染予防さえきちんとすれば、『愛のない快楽のためのセックス』だって、そんなに危険なことではない」のかもしれません。むしろ、「気持ちいいんだから、それでいいんじゃない?」という主義の人も少なくないのかも。そういう主張に対して「だって、危ないじゃないか!」という反論は、なんだか急速に力を失っているような気もします。
 「貞操観念」なんていうのは、もう死語なのでしょうし。
 でも、本当に「病気にさえならなければ、それでいい」のかな…
 「やっぱり、愛情がないと気持ちよくない!」という人が多数派であることを望みたい、というのは、僕の幻想なのでしょうか…

 まあ、「道徳的なセックス」というのも、なんだかそれはそれで「健全なギャンブル」と同じくらいの違和感のある言葉ではあるんですけどね。



2005年01月20日(木)
「オンライン痴話喧嘩」のリアルな結末

共同通信の記事より。

【別れ話の腹いせに、インターネットのオンラインゲーム「リネージュ」に不正アクセスし、元交際相手のゲーム内のアイテムを捨てるなどしたとして、福島署は20日までに、不正アクセス禁止法違反の疑いで、富山県高岡市の30代の女を書類送検した。
 調べでは、女は昨年4月ごろ、福島市の20代男性が持つゲームのIDとパスワードを不正に使用してゲームに侵入し、武器などのアイテムを捨てるなどした疑い。
 2人はゲーム内のチャットで2年ほど前に知り合い、交際するようになったが、別れ話が出ていたという。】

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 うーん、ネットゲームで知り合ったカップルとしては、ものすごく自然な「復讐」なのかもしれませんが、やっぱり、なんとなく違和感がありますよね。というか、「それですんで良かったね」と言うべきか。
 僕はオンラインゲームの経験はないのですが、知人の話や雑誌で読んだ記事などを総合すると「オンラインゲーム上でお金を稼ぐのは、普通に仕事をしている社会人には至難のワザ」とか「プレイヤーの中には、RMT(リアルマネートレード)という、『ゲーム内のお金や道具を、リアルでの現金で買う』という行為まで横行している」そうなのです。
 考えてみれば、僕だって長時間かけてレベルアップした「ドラゴンクエスト8」のデータを腹いせに消されてしまったらたまりませんから、「実体のないデータ」にだって、金銭的な価値が生じるのは当たり前の時代なのでしょうけど。
 そういうRMTの中には、その「元締め」になっているプレイヤーを中心に、何人もの「下働き」たちが日々敵を倒したりアイテムを造ったりして対価を得ている、というような「RMT集団」まで出現してきているそうなので、こうなると「ゲーム」というより「仕事」とか「バイト」という感覚かもしれません。実社会で働くのがイヤになった人たちが、そこから逃れてきたはずの「ゲーム社会」で単純労働をしている状況というのは、なんとなく皮肉めいた印象もありますね。結局、バーチャルのはずの世界すら、「リアルの延長」になってしまうのか、という諦念すら浮かんでくるのです。

 まあ、「ゲーム内のチャット」とか、そういうつきあい方をしたから、こんなわけのわからない「復讐」をしようとするんだ、と感じる一方で、きっと、現代人の付き合い方なんて、原始時代の人々からすれば、「バーチャルな付き合い方ばっかり」なのかもしれないなあ、とも思うのです。電話とかメールというのは、「情報」を伝えるツールではあるけれども、そこに介在するのは「文字」とか「音声」と言った、限定された情報なわけですから。
 「手で触れる」「体温が伝わる」位置関係でのコミュニケーションが主流だった人間たちからすれば、現代社会そのものが、僕たちにとっての「オンラインゲーム」みたいなものなのかもしれませんし。
 電話がない時代には「テレフォンセックス」なんて、みんな想像もしてなかっただろうし、そりゃもう、こんな時代になれば「少子化」が進むのも、いたしかたない、ような気もしてくるのです。

 ゲームのおかげで、世界中の人々は、「ゲームをやっているあいだだけは別の人間になる」ことができるようになりました。凄腕の格闘家であったり、世界を救う英雄であったりという体験は、それまでは、書物や他人の話を聞いて、頭の中で想像するしかなかった「妄念」のようなものだったのに。
 でも、こうしてバーチャルの世界ばかりが進化していくと、「誰がリアルの責任を取るのだろう?」と不安になってくるのも事実です。
 それこそ、生まれたときから自動的に栄養分を補給され続け、ずっとパソコンの前に座って家から一歩も出ないまま、バーチャルの世界で「救世主」として生きていくことだって、不可能ではないのだし。
 僕は映画「マトリックス」を観ても、「リアルがあんなに厳しい世界なら、いっそのことずっとプラグ指しっぱなしにしてもらって、バーチャルで生きたほうがいいんじゃないかな?」と真剣に考えましたけど。

 それにしても、このくらいの「復讐」で書類送検されてしまうなんて、バーチャルな世界での痴話喧嘩というのも笑い話になりませんね。実際は、他人になりすましての「不正アクセス」そのものが問題になってしまったようですが。

 そのうち、「オンラインゲーム上で人を殺した!」とかいうことで、実刑を受ける人が出てくるんじゃないでしょうか…



2005年01月19日(水)
「みんなのため」と「一人一人のため」の闘争

「となり町戦争」(三崎亜紀著・集英社)より。

【香西さんは、僕の思いを慮るかのように、小さくうなずきながら聞いていたが、僕が話し終わると視線を逸らして窓のほうを見た。じっと「闘争心育成樹」を見つめていた。やがて、音楽が止み、香西さんは口を開いた。

「昔、ある都市で、料金の滞納のために水道やガスを止められて、結果的に部屋の中で餓死して発見された人がいたってニュースがありました。覚えていますか?」

「ああ、そういえば、なんとなく覚えてるな」

 おぼろげな記憶をたどる。確か、働き手であるご主人が亡くなって収入がなくなり、奥さんと子どもは、生活保護を受けるすべも知らぬままに、しばらくは水だけで生きながらえていたらしいが、水道やガスを止められてしまったので、結果的に餓死した状況で発見された、というものだった。

「あの当時は、マスコミでもだいぶ取り上げられ、水道やガスを管理する、その都市の公営企業が批判を受けました。止める前に、なぜ一度家の中をのぞいてみなかったんだって。そうしたら助かったのにって。そうですね。確かに、一市民の生命、という側から見れば、そんな生活をしているのに追い討ちをかけるように水道やガスを止める血も涙もない対応だ、って言うことができますね。ですが、私たち役場の人間にとっては毎回何百、何千という数の滞納者がいるうちの一人でしかないんですよ。あの家は今奥さんが病気で入院されているから、とか、あの家は先月ご主人がリストラされて生活が苦しいから、とか個別の事情を把握することはできないし、そんなことを考慮して対応することができると思いますか?」

「だけど……。だけど行政の仕事っていうのは、住民のために、住民一人一人のためにあるものではないのかな?」

「もちろんおっしゃるとおりです。私たちは住民のために仕事をしています。ですが、そこで言う「住民のため」とは、すべての住民に公平で同質のサービスを提供する、ということです。一人の住民にあやふやな基準で便宜をはかれば、それによって私たちが料金を徴収したり、住民に義務を負わせたりする行為は、なし崩しに壊れていってしまいます。たとえどんなに杓子定規といわれようが、きちんとした減免や猶予の規定がない限り、私たちは住民に対して公平に、均等に接していかなければならないのです」

 香西さんは小さく息をついだ。静かではあったが、言葉を差し挟ませない意志を伴っていた。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ちなみに、これはあくまでも小説内の描写であり、香西さんは実在の行政従事者ではなく、作者が創造した人物です。
 「戦争」という「公共事業」に巻き込まれてしまった「僕」は、「総務課となり町戦争係」の職員である「香西さん」という女性と行動を共にすることになるのですが、ここに引用したのは、無機質に「戦争という公共事業」を遂行しようとしている香西さんに対する、主人公の「そういうふうに、個々の戦死者のことを思いやることもなく『戦争』を行うことに疑問を感じないのか?」という問いへの回答です。

 このニュースそのものだったかは定かではないのですが、このような「お役所仕事による犠牲者」の話を僕の大学時代の法学の講師が好んでされていたのを思い出しました。そして、僕自身も、こういう「融通の利かない行政の対応」に対して憤っていたということも。
 しかし、この香西さんの言葉が、「お役所仕事をやらざるをえない側」の事情を代弁しているのも間違いないでしょう。「餓死」という結果に対して人々は憤ったものの、もしこの一家がアッサリ「特例として」多額の援助をしてもらったり、公共料金がタダにしてもらえたら、それに対する非難の声というのも、けっして少なくないと思います。「どうしてあの家だけ特別なんだ!」「うちだって困っているんだから、うちもタダにしろ!」という人が続出するのは十分に予想されることですし。
 そして、そういう「大声が出せる人」が「放っておくとうるさいから」というような理由で、むしろ優遇されていたりもするのです。

 ただ、そういう「行政側の事情」も理解しつつも、やはり「死んでしまった小さい子どもの写真」とかを目の当たりにすると「なんとかならなかったのか!」と言いたくなるのも事実なんですけどね。

 「一人一人にこだわりすぎると、かえって一人一人の『住民のため』にはならない」ということもあるのでしょう。もともと、行政側のマンパワーだって限られているわけですから。

 しかし、こういうふうに考えると「公平」というのは、追求すれば追及するほど「個々のニーズに対応する」ということとかけ離れていく、ということですよね。「特例」というのは「不公平」なものですし、

 「公平でありながら、個々のニーズにも対応せよ!」というのは、本当に無理難題なのです。ディズニーランドのような「遊びに来る場所」ならともかく、みんなが好まないような、役所とか病院ではなおさら「特例」に対して寛容になれない場合も多いのです。

 僕たちは、「みんなのため」と「一人一人のため」両立することを常に望んでいるのですが、それは、ひょっとしたら本質的に矛盾しているのかもしれません。
 両立するのではなくて、行き過ぎないように「バランスをとっていく」しかないのだろうけれど、誰も「みんなのための犠牲」にはなりたくないよね…



2005年01月18日(火)
「市民サービス」と「不当労働」の低次元の争い

西日本新聞の記事より。

【長崎市が新年から、全職員を対象に、毎朝、始業前の「あいさつ唱和」に取り組んでいる。民間の接客意識を採り入れ、市民サービスの向上を図る作戦だが、労組は「職務命令での参加強要はおかしい」と反発。実施率も低く、市民は首をひねるばかり。果たして効果のほどは…。

 「あいさつ唱和」は百貨店などで行われ、社員らに接客マナーを徹底させるため「いらっしゃいませ」などの言葉を発声させている。官公庁では長崎地方法務局対馬支局が実施。群馬県太田市では「市民の目線で考えます」などの心構えを唱和している。
 長崎市は昨年末、総務部長名で全部署に「おはようございます」「お待たせいたしました」など四つの言葉を唱和するよう通知。周辺六町を編入し、新長崎市となった四日にスタートさせた。
 各部署で毎日午前八時四十五分の始業直前に行い、係長が参加者数を記録する。その結果、企画した人事課や、広報課ではほぼ全員参加。これに対し、窓口業務が多い市民課では、五つの係のうち二係が「普段からあいさつしており、必要ない」などの理由で実施しておらず、財政課も「忙しくて一日しかやらなかった」。保育所や市民病院など本庁外の機関では、出勤時間が異なることもあり、ほとんど行われていない。
 一方、三つの職員組合でつくる市労連は、昨年末から「窓口サービス向上が目的ならば、あいさつが不十分な人を個別に指導すべきだ。時間外の勤務命令は不当」として労使交渉を要求。これに対し、人事課は「労組との協議事項ではない。公務員にも民間並みのサービスが求められる今、意識改革の一環ととらえてほしい」と回答、平行線のままだ。
 市役所を訪れた女性会社員(50)は「あいさつができない人が、唱和で改善されるとは思えないし、組合が騒ぐほどのことでもないと思うんだけど」とあきれ顔だった。】

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 当事者でない僕からすれば、まさに最後に出てきた女性会社員が言った通りだなあ、と思います。別に朝から「あいさつ唱和」を行ったところで改善されるわけもないし、そもそも、やっていない、もしくは勤務時間が不規則でやれない部署がこんなにある状況では…
 しかしながら、この「無意味な強制」に対して「そんなことは意味がないし、みんな気をつけるからいいじゃないか」という反論ではなくて、【時間外の勤務命令は不当」として労使交渉を要求】なんていうのは、「法的には効果的な手段」なのかもしれませんが、そんなに大げさに騒ぐようなことかな、とも感じます。そんな「あいさつ唱和」なんて、5分くらいのものでしょうし。
 考えてみれば、民間企業の多くは、けっこう長い朝礼が行われていたり、厳しい「接客教育」が行われているのですから、こんな「あいさつ唱和」なんてバカバカしい、と思う人も多いのではないでしょうか?「社訓」とか「社歌」とかを一生懸命大声で言わされているところに通りかかったり、社長の長い訓示を毎週聞かされる、なんて話を聞くたびに、「そんなのバカバカしいなあ」と思いつつも、それに耐えなければならない「大人」というものの辛さが伝わってくるのです。中学生だったら、かったるいラジオ体操なんて、指の先をちょこちょこ動かすくらいだったのに、大人になってお金を稼がなければならない立場になれば、もっとバカバカしくて前時代的な「社訓」なんていうのを大声で叫ばなくてはならないのですから。

 しかし、こういうのが本当に「意識改革」につながっているのかどうかはかなり怪しいところで、実のところ「接客サービスの向上に努めている」ことをわかりやすくアピールしたい、というのが行政側の目的なのだと思います。こんなので実際に効果があるなんて、やっている側だって期待していないだろうけど、少なくとも「宣伝効果」はあるのではないか、と。
 確かに、役所の窓口というのも以前よりは無愛想な態度をとる人の割合は少なくなったような気はするのですが、こういう話を聞くと、「まだまだだなあ…」という気がします。本気でやるのなら、一般企業みたいに本格的に研修するべきなのに。
 ほんと、「あいさつ唱和」をさせるほうもバカだけど、「時間外勤務」なんて言って抗議するほうもなんだかなあ…
 なんだかもう「趣味の悪いデキレース」を見せられているような気がしてくるのです。
 どっちに転んでも、全然たいしたことやってないんだし、浮き彫りにされるのは、「危機感のなさ」ばかりで。




2005年01月17日(月)
「物語」という通路をとおして

「朝日新聞」の1月17日号、「特集・阪神大震災10年」に掲載された村上春樹さんの文章の一部です。

(1995年の1月に、村上さんはアメリカ・マサチューセッツ州のケンブリッジにおられたそうです。そして、テレビでこの「廃墟と化したどこかの都市の風景」を観て、そしてほどなく、それが、見覚えのある、子ども時代から高校時代を過ごした風景であることに気がついた、ということです。)

【だから言うまでもなく、まるで空襲を受けたあとのような神戸の街の光景を、テレビの画面で唐突に目にして、強いショックを受けることになった。両親や友人たちがそこに暮らしていたこともある。彼らの安否ももちろん心配だった。しかしそれと同時に、街の崩壊そのものが、その痛ましい情景自体が僕にもたらした衝撃も大きかった。自分の中にある大事な源(みなもと)のようなものが揺さぶられて崩れ、焼かれ、個人的な時間軸が剥離されてしまったみたいな、生々しい感覚がそこにあった。
 でもそれと同時に、僕は自分が既に、その街にとってただの傍観者でしかなくなってしまていることを実感しないわけにはいかなかった。神戸の人々が1月17日の朝に感じたはずの激しい振動を、僕は感じてはいない。それはむろん当然のことといえば当然のことである。「彼ら」は、現実に神戸にいて、僕は現実にそこにいなかったのだから。それでも僕は何かを物理的に、肉体的に感じなくてはいけないのではないか――切実にそう感じた。

(中略)

 でもそれは簡単なことではなかった。自分が小説家として何をするべきなのか、そのイメージをつかみ、納得のいく方法を設定するまでに、思ったより時間がかかってしまったのだ。僕が『神の子どもたちはみな踊る』(雑誌連載時のタイトルは、『地震のあとで』)という短編小説集を書き始めたのは、地震から4年を経た夏のことだ。この連作短編は、失われた僕の街とのコミットメント回復の作業であると同時に、自分の中にある源と時間軸の今一度の見直し作業――(僕はそのとき50歳になっていた――)でもあった。その6編の物語の中で、登場人物たちは今もそれぞれに余震を感じ続けている、個人的余震だ。彼らは地震のあとの世界に住んでいる。その世界は彼らがかつて見知っていた世界ではない。それでも彼らはもう一度、個人的源への信頼を取り戻そうと試みている。

(中略・この『神の子どもたちはみな踊る』という作品が、ちょうど9・11事件の少しあとにアメリカで翻訳出版され、村上さんにとっても予想外なくらい、アメリカ人の読者から「この本を読んで、今の自分の心に深く感じるところがあった」という反応があった、ということを受けて)

 人為テロと自然災害という差異はあれ、巨大なカタストロフのあとの感情的源の損傷と、その回復への努力という点においては、精神的に分かち合われるべきものは少なくなかったのだろう。物語という通路をとおして、ある場合には我々は静かに心を結び合うこともできる。物語にできるのは、それくらいのことでしかないのだが、それはおそらく物語にしかできない種類の心的結託ではあるまいか、と僕は考えている。というかそれが、この10年ほどのあいだに小説家としての僕がたどりつくことになった地点なのだ。】

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 僕は以前、ある有名な作家が「村上春樹は神戸に住んでいたのに、どうしてオウムの事件については『アンダーグラウンド』などで書いているのに、『あの震災』について何も書かないのか?」と評していたのを読んだ記憶があります。ここに書いてあるのは、その「書けなかった理由」についてでもあり、また、「間接的な震災体験」を通して辿りついた、村上さんにとっての「小説を書く理由」でもあるのです。

 僕は阪神淡路大震災のニュースをちょうど病棟実習中に知りましたが、正直なところ自分の目の前の実習をこなすことで精一杯で、記憶にあるのは、関西出身の同級生が病院の食堂にあるテレビをみつめていた不安そうな表情と「医療チームとして○○先生が派遣されるらしい」というような噂話くらいです。「何かをしなくてはならないのではないか」と思ってはいたけれど、結局、何もできず、ただただ、ひとりの傍観者でしかなかったのです。
 
 村上さんが、アメリカで自分の「源」が崩れていく姿を観て感じたことは、「悲しみ」や「喪失感」と同時に「自分がその場にいないことへの罪の意識」だったのかもしれません。それは「感傷」だと言う人もいるでしょうし、客観的にみれば「幸運」だったのですが、あの地震の光景に対して、そういう複雑な感情を抱いた人は、けっして少なくなかったと思います。あれは、「日本のどこで起こってもおかしくないこと」なのですから。

 僕は「傍観者としてしか体験していないこと」について、このようなネット上にでも書くということに、われながら、「そんな資格があるのだろうか?」と考えることがあるのです。僕は震災で何も失っていない人間であるにもかかわらず、「ご冥福をお祈りします」なんて、軽々しく書くことは、偽善に過ぎないのではないか、と。

 でも、この村上さんの書かれたものを読んで、僕はなんとなく「こうやって書くこともまた、『少しでも共有すること』になるのではないかな」と思ったのです。
 もちろん、村上さんが書かれるような「物語という通路」にはなりえないとしても。
 
 まだまだ「個人的な余震」は続いているのだろうし、「源への信頼」は、完全には取り戻されていないのでしょう。
 それでも、こうやって残された人々が語り継いでいくことは、けっして、ムダではないのだと思います。

 関西出身の僕の同級生は、卒業して地元に帰り、今では結婚して2児の父親になりました。
 震災で家や家族を失った独居老人の孤独な死は、今でも絶えません。

 あれから、10年が経ちました。



2005年01月16日(日)
ブレーキの壊れた「日記書き」

「文藝冬号」(河出書房新社)の俵万智特集での、俵さんと柳美里さんとの対談より。

(柳さんが『8月の果て』という作品について、「小さなお子さんを育てながら、よくこれだけ残酷なシーンを書けましたね。どうやってバランスを取ったんですか?」と何度もインタビューで聞かれたという話を受けて。)

【柳:うーん……どんな状況であれ、書くことにブレーキをかけたことはありませんね。書くことに限っていえば、ブレーキがないんだと思う。作中人物のモデルの女性から訴えられて、最高裁によって出版差し止めを命じられても……。

司会者:それは法律的な言葉に落とし込むのは難しいですよね。

柳」非常に難しいです。本心を言えば何もいいたくないんです。作品が全てですから、読んで判断してください、と。だけど法廷の場に引き摺り出されたら、読んでくださいじゃ済まされません。小説の中から一行一行取り出されて、「ここは名誉権の侵害で、ここはプライバシー権の侵害に当たる」とやられるわけで、それこそ一行一行、小説なんか読んだことがないかもしれない裁判官にもわかるように解説しなくちゃならない。最終的には憲法の中の言葉で対するしかないんですよ。で、「表現の自由」という言葉を盾にした途端に、「ペンの暴力だ」、「何を書いても許されると思ってるのか」、「表現の自由を振りかざして弱者を踏みにじった」というような話になるわけですよ。

俵:盾に対する、お決まりの矛ですね。

柳:でも、ブレーキは今もありません。書きたいことを書くというのとも違います。書かずに済むのなら書きたくない。でも書かずにはいられないんです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 柳美里さんの「石に泳ぐ魚」裁判については、以前こちらに書きました。

 先日の「女性医師暴言サイト事件」に関して「それでは、どこまで書いていいのか?」という議論もあるようです。それに関しては、実際のところ、僕にはよくわかりません。明確なボーダーラインがあるのかどうか?

 以前、椎名誠さんがエッセイの中で、彼の代表作である「岳物語」について、こんなことを書いておられました。「ある時、岳は、『もう自分のことを本に書くのはやめてくれ』と言ってきた。たぶん、自分のことが書いてある本のことで、友達に何か言われたりしたのだろう」って。
 「岳物語」は、主人公(=椎名さん)と、その息子との心温まる交流を描いた物語なのですが、少なくとも大人になって僕が読んだ感想は、「いい親子だなあ」というもので、何も悪意は感じませんでした。もちろん、椎名さんにも「悪意」は全くなかったのだと思います。
 その一方で、自分の友達が出ているという本に、小さいころの失敗談が書いてあれば、ちょっとからかってみたくなるのもよくわかります。そして、そう言うことに対してモデルになった子どもが「羞恥心」を感じであろうことも。
 大部分の読者にとって「好感を持って」受け入れられた物語であっても、そのモデルにとっては、必ずしも歓迎すべきことばかりではないのです。時間が経てば、「書いておいてもらって良かった」と思うこともあるでしょうけど。

 「ここまで書いてもいい」というボーダーラインというのは、実は、書き手のほうにあるのではなくて、書かれる側のほうにあるのではないかなあ、と僕は考えているのです。書き手のほうが「愛情を持って書いている」つもりの内容でも、書かれる側にとっては「自分が貶められている」と感じられることだってあるでしょうし、そもそも「そうやって人前にさらされること」そのものを受け入れがたく感じる人は、けっして少数派だとは思えません。書く前にネタになる人に対して了承をとっていれば別ですが、基本的には、「ここまでは書いていい」という線引きは、法律的には可能なのかもしれませんが、モラルとしての「線引き」があるとすれば「モデルの了解を得ないかぎりは、他人のことは書くな」としか言いようがないのです。
 実際のところは、「モデルに了解を取って書かれた話」の大部分は、「単なる自己満足の美談」にすぎなくて、ガッカリすることも多いのですが。

 もちろん「匿名である」とか「状況を変えて書いている」という配慮がされている場合も多いのでしょうが、だからといって、書き手の側が「これなら書いていいだろ!」というのは傲慢であるような気がします。
 
 僕は柳さんという人は大の苦手なのですが、この最後のところの【書かずに済むのなら書きたくない。でも書かずにはいられないんです】という部分には、共感させられる面もありました。こうやってWEB日記を書き続けている人間というのは、やっぱり何らかの「書きたい衝動」を抑えられない人が多いのではないかという印象がありますから。

 「ここまでなら書いてもいい」なんて声高に主張するより、「どうしても書きたいので、なるべく迷惑をかけないように注意しますから、お願いだから書かせていただけないでしょうか?」というのが、書き手の立場としては妥当な線なのではないかなあ。

 いやまあ、印税がもらえるわけでもないこんな作業に、それだけの価値を見出せる人がどのくらいいるかは、甚だ疑問だとしても。
 「他人を傷つけてでも、書く価値のあるもの」なんて、実はそんなに存在しないのではないでしょうか。それでも、書き手のほうは「自分基準」に頼ってしまって、そして、反響がないことに半ば調子に乗り、半ばヤケになって、暴走していくばかり。いつも自分が「書く側の立場」だとは限らないのに。

 確かにあのサイトは酷いけど、ああいうサイトは、まだ日本にたくさんあるのです、きっと。

 



2005年01月14日(金)
個人サイトに「とんでもないこと」を書いてしまう人々

「共同通信」の記事より。

【水戸市の水戸協同病院(津久井一院長)の耳鼻咽喉科の女性医師(28)が、自分のホームページ(HP)に患者とのやりとりや手術の様子を書き込んで「頭悪い」などと、患者を中傷していたことが14日、分かった。医師は指摘を受けてHPを閉鎖。病院は処分を検討している。
 病院によると、医師はHPの日記のコーナーに治療内容などを公開。匿名ではあるが、文句を言う患者に「今すぐ帰れ。二度と来るな」と書いたり、忘年会中に呼び出された緊急手術について「この緊張感がたまらない」と記したりしていた。
 情報提供があった昨年12月下旬、病院が医師に確認すると「日記がわりに書き込んでいた。申し訳ないことをした」と述べたという。】

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 いろんなところに出ていますから、僕もこの女性医師の「日記」というのを読みました。そして、「頭の中で何を考えても自由だけど、さすがにこれをWEB上で誰でも見られるような形で公開しておくのは『非常識』だろうな」と思いました。いや、いろんな不満というのはあって当然なのだろうけど、ここまで露悪的に書いてしまうと、弁護のしようもないよなあ、と。たぶん「ウケを狙おう」として書けば書くほど、「他人からみれば笑えない内容」になってしまったのでしょうね。こういう心境は、サイトをやっている人間にとっては、わからなくもないですし。こうなってみてはじめて、自分の「暴走」に気がつくわけで。

 それにしても、なぜ人はサイトを作り、世界中に向けて公開するのでしょうか?もちろん、現実には「世界の人に見られているサイト」なんて、ごく一握りで(そもそも、英語のコンテンツを持っている日本のサイトは少数派ですから)、実際は「自分と知り合いしか来ないよう個人サイト」が大多数を占めているんですけどね。
 例えば、有料サイトだったり、何かを売ろうとしていたり、宣伝しようとしていたり、個人サイトでも、広告でお金を稼ごうとしているようなところは、その「理由」というのがハッキリしています。
 お金が目的ではなくても、自分の個人情報を公開して運営しているサイトというのは、「共通の趣味の人と知り合いたい」であるとか、「自分が書いたものや造ったものを知ってもらいたい」という目的があれば、その「理由」はわかるのです。そのためには、WEBというのは本当に優れた世界ですから。
 一方で、「個人情報」を公開すると、嫌がらせや誹謗中傷を受けるリスクが高いのも事実なんですけどね。

 それでは、匿名でWEBサイトをやっており、そんなに積極的に「自分の交友関係を広げるためにネットを活用」していない僕のような人間にとって、サイトを運営する意味というのは、いったいどこにあるのでしょうか?
 もちろん、「書いたものを褒めてもらいたい」というのもありますが、「不満の捌け口」という一面があるのも否定できないような気がします。
 「そういうのは、広告の裏に書け!」と言われるのかもしれませんが、WEB日記というのは、「お互いに匿名で、自分以外の知らない人に読んでもらえる」というのがメリットだったのです。実際に日記をつけてみた経験がある人ならわかっていただけると思うのですが、どんな「ひみつの日記」でも、「自分以外の誰も読まない文章」を一生懸命書くというのは、けっこうめんどうで不毛な作業です。少なくとも後世に残っている「日記」の中には、「他人に読まれることを全く意識していない日記」なんてありませんし。
 「知り合いに読まれたら困るけど、誰も読んでくれなければ書いてもしょうがない」という感じなんですよね、実際のところ。
 
 この女性医師の場合をはじめとして、実のところ多くの人にとって「日記を公開する」ということは、デメリットに比べてメリットは極小です。
 そもそも「金正日のアホ!」とか書けるのは、たぶん相手が自分のサイトの存在を知らない、あるいは万が一知っていたとしても、いちいちこの小さなサイトの書き手をつきとめて復讐しにきたりはしないだろう、という「希望的観測」を持っているからで、実際に内容証明を送りつけられて、「謝罪しなければ訴える」と言われても「自分の言葉に責任を持つ」人というのは、ほとんどいないと思うのです。もちろん僕も即時謝ります。
 まあ、今のところは訴える側も手間ばかりかかって得るものはないので、「泣き寝入り」のような状況ですが、それがこの先もずっと続いていくかどうかなんて、わかりませんし。

 ほんと「匿名でサイトを運営することの楽しみ」なんて、たまにメールとかで褒められたり、アクセス解析をみて、訪問者数が増えているのを確認してニヤニヤしたりする以外に、何もないんじゃないかという気もするんですよね。ネット友達ができる、というのはメリットのひとつなのですが、その一方で、ひとつのすばらしい出会いのためには、その10倍くらいの失望が必要なのではないか、とも感じています。

 それでも、これだけたくさんの人が個人サイトを運営しているというのには、やっぱり理由もあるのでしょうし、こういうのは中毒の一種なのではないかなあ、とも思うんですけどね。

 現実的には「万が一知り合いに読まれても困らない」くらいのサイトであればいいはずです。今後の時代の趨勢というのも、おそらくその方向に向かっていくでしょう。

 でもね、その一方で、僕のような自意識過剰な人間は、知り合いが読んでいると思うだけで、他の人が「そんなの知り合いに読まれても気にすることないじゃん」というような内容だって書けなくなるだろうし、だからといって、嘘ばかりを書いたサイトに人がたくさん来てくれたり褒められたりしても、全然嬉しくないのです。
 自分を知ってもらいたいけど、詮索されたくない、というのは、あまりにムシがいいスタンスなのかもしれませんが、だからこそ書けるという僕のような人間は、けっして、ひとりだけではないと思います。そして、そういう人間にとって、急速に現実とリンクしつつあるWEBの世界は、どんどん住みにくくなっているのです。

 本当のところ、「どうしてこんなに自分に役に立たないことを延々と一生懸命やっているのだろう?」と自分でも不思議です。
 ただ、僕は子どものころ、母に仕事の愚痴をこばしてばかりの父親がすごく嫌で仕方なかったのですが、今はその気持ち、悔しいけど理解できます。

 みんな、「誰にもわかってもらえない自分」のことを知ってもらいたいんだよね、きっと…



2005年01月13日(木)
「発明対価」をめぐる仁義無き戦い

徳島新聞の記事より。

【青色発光ダイオード(LED)の発明対価をめぐる訴訟の控訴審が十一日に東京高裁で和解したことを受け、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授(50)と日亜化学工業(本社阿南市)の小川英治社長(67)が十二日、それぞれ記者会見した。「司法は腐っている」と高裁を痛烈に批判した中村教授に対し、小川社長は「一人による発明ではないことが認められた」と納得の表情をみせた。

◆不満足 怒り心頭 中村教授、司法批判

 中村教授は和解を受けて、急きょ帰国した。「まったく不満足。怒り心頭です」。東京の霞が関ビルの一室で、そう切り出した中村教授の記者会見は、東京高裁での和解内容、日本の司法に対する憤りに満ちた激しい批判、非難の言葉が相次いだ。

 「(相当対価の)六億円がどこから出てきたのか分からない。まず六億円ありきの和解案」「裁判官は提出した書面さえ読んでないのじゃないか」。次から次へと批判の言葉をまくしたてる中村教授。高裁への不信感をあらわに声を荒げ、不満を爆発させた。

 和解案を承諾した理由については「高裁に判決を求めても最高裁で争っても(和解案を)上回る可能性はないようだから」と語る。「地裁判決からすれば和解内容は百パーセント負け。1%でも勝つ可能性があれば、最高裁に行きたかったが弁護士にそれもないと言われた」と無念さをにじませた。

 和解内容への怒りは日本の司法制度の在り方にも向かい「裁判は国民にとって(紛争解決の)最後のとりで。それが腐っていたらどうしようもない」と激しい口調で非難を続ける。米国での訴訟経験を踏まえ「(日本の司法制度は)企業側が持っている書類や証拠を開示させることができず、個人が企業と対等に戦えるものではない」と改革の必要性を訴えた。

◆対価でなく経費 日亜社長、時折笑み

 「当社の主張が完全に認められた。(青色LEDの開発は)一人の天才が仕上げたように流布されているが、多数の技術者が参画した成果と認められたことで、当社の若い技術者の名誉が回復された」。阿南市内の日亜化学工業本社で開いた記者会見で、小川社長は時折、笑みも浮かべながら満足そうな表情をみせた。

 「和解でなく高裁判決という選択はなかったのか」との記者の問いには「(中村氏から別件の訴訟が)次々と起こされることが予想され、前向きの仕事に取り組みにくくなる。会社経営という点から、訴訟をいったん終わりにして本業に力を注ぎたいと考えた」と回答。「私としては(和解金は)発明対価というより、今後問題を起こさないための経費と考えている」と淡々と語った。

 自らも技術者出身らしく「ほとんどの技術者は仕事に興味を持ち、技術的成果に喜びや楽しみを感じている。単純に金銭に置き換える人はそうはいない」と中村氏を意識してか、強い口調で言い切った。

 一方で「事業成果は全従業員の働きの中から出てくるもので、発明対価を正確に算出するのは不可能。不可能な事柄を対象にしている特許法そのものに問題がある。今回の訴訟でクローズアップされたことで、今後は正常化していくのではないか」と指摘した。】

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 昨日「これを言うために、わざわざアメリカから日本に帰ってきた」という中村教授の会見の一部ををテレビで観たのですが、そのときの僕の感想は、「ああ、この人はきっと優秀な人なんだろうなあ。でも、この人と一緒に仕事をするのはキツイだろうなあ…」ということでした。現在基礎系の研究職にいる(まあ、腰かけ研究者みたいなものなのですが)僕としては、あの中村教授のエキセントリックな会見は、「こういう人、確かにいるんだよねえ。優秀で業績も申し分ないけれど、なんというか、取り付く島がないような感じの人…」と感じてしまうものだったのです。その瞬間は、「発明対価」の妥当性とかはさておき、「こういう難しそうな人を研究者として雇用し続けて結果を出させた日亜化学工業って、けっこう寛容な会社だったのではないかなあ」とか考えてみたり。
 もちろん、そういった面以上に、研究開発者としての能力で、企業にメリットをもたらしてもいたんでしょうけど。
 その一方で、例えば簡単な実験をするにしても、企業の研究室であれば、研究のサポートをしてくれる人や、器材を用意してくれる人などがいるわけで、コストも企業が負担していたのでしょうし、中村教授が自宅でひとり引きこもって出した成果でもないのだから、この人ひとりだけが「対価」を受け取るのはどうなのか?とも思っていました。その「青色ダイオード研究開発チーム」そのものが、会社に対して対価を求めたのであれば、僕はもっと好感を持てたのかもしれません。そういうのは、いかにも「プロジェクトX」的というか、日本人好みではありますが。

 中村教授が発明した「青色LED」というのを僕が知ったのは、たぶんパチンコの雑誌だったと思います。【それまで盤面の電飾には青色の光が使えなかったのだけれど、最近の研究の結果青色のダイオードができた。でも、まだその青色のダイオードは、他の色のものに比べて1個が10倍くらいの価格がする】というような話でした。僕はそのとき、「青いバラも不可能なんて言われているから、青という色は、人間にとって再現するのが難しい色なのかもしれないな、と思った記憶があります。最近では、僕が考えるような「青」とはちょっと違うのですが、「青いバラ」も開発されたみたいなんですけどね。
 そういえば、最近信号機が本当に「青」になったのは、この青色ダイオードのおかげなのだそうです。

 しかし、一晩経って考えると、中村教授御本人のキャラクターへの好みはさておき、今回の訴訟が研究者にもたらしたものは、けっして少なくないとも思います。そもそも、中村教授が最初に受け取った「報奨金」は、わずか2万円だったそうで、その研究の成果がもたらした利益を考えれば、あまりに低すぎる評価だと感じたのはまちがいないでしょう。たぶん、僕が同じ立場でも怒ります。
 しかし、昨日観たテレビ番組では、ハードディスク内蔵DVDを開発した人は、その電器メーカーの社長よりも高い給料をもらっているのだそうです。もちろん、日本の企業の社長基準ですから、そんなビックリするような金額ではないとしても、「成功報酬」という面では、かなり変わってきているのでしょう。僕が中学生のころ、ファミコンが大ヒットしていた任天堂は、社員のボーナスが36か月分(!)と言われていましたから、こういうのは、一概に「日本企業は渋い」と言えないのかもしれないし。ただ、アメリカのように「一攫千金」というケースはないのは確かみたいです。
 「企業にとって、社員は駒」という意識に対して、200億円という強大なアンチテーゼを突きつけたという点では、やはり、この訴訟はものすごく意味がありそうです。僕は正直「個人に200億円も払ったら、日亜化学工業は潰れるのではないだろうか?」とか心配したくらいですから。実際に潰れはしないまでも、こんな訴訟を起こされるのは企業にとっても大ダメージでしょうから、優秀な技術者が大事にされるようになるきっかけには、なっていると思います。

 小川社長の【自らも技術者出身らしく「ほとんどの技術者は仕事に興味を持ち、技術的成果に喜びや楽しみを感じている。単純に金銭に置き換える人はそうはいない」と中村氏を意識してか、強い口調で言い切った。】というコメントも、会社のトップとしての発言であると同時に、僕もこういう「技術者」というのがたくさんいて、日本企業の開発力を支えているのだということもわかるのです。僕の周りにも、そういう人はけっこういますから。
 考えてみると、研究者にとっての支えというのは「研究そのものが好き」か「名声」か「お金」しかないわけです。日本の民間企業では、金銭的に若干恵まれる代わりに、大学などの公的機関に比べて「名声を得る」というのはなかなか難しいことですし、中村教授が「自分への客観的な評価」として「お金」を選んだのは、自然なことのようにも思えます。「不満なら最後まで闘うべき」なのにもかかわらず、こうして文句を言いながらも和解に応じた背景には、長引く裁判の煩わしさというのもあるでしょうし、この裁判によって、彼自身の「名声欲」というのが少し満たされたという面もあるのではないかなあ、という気もするのです。僕の勝手な解釈ですが、この人は、実際に8億円もらうことよりも、「あなたの研究には、600億円の価値がある」と言われることのほうが嬉しい人なのではないでしょうか。

 中村教授は、「能力があって、チャンスが欲しい人にとっては、アメリカのほうがいい。適当にやりたい人にとっては、日本のほうがいい」と会見で言われていました。正直鼻につく言い方ではありますが、実際にアメリカで研究者としてやっていくのは「常に具体的な結果を求められる」という点で日本でやっていくよりはるかに厳しいところがありますし、この人はこの人なりに、日本の良さみたいなものも理解しているのでしょう。
 だいたい、中村教授のインタビューの中には、考えさせられる言葉もたくさんあったのに、テレビで採り上げられたのはエキセントリックに「日本の司法は腐っている!」というシーンばかりなのですから、こういうのも「出る杭は打たれる文化」と言えそうです。
 【「(日本の司法制度は)企業側が持っている書類や証拠を開示させることができず、個人が企業と対等に戦えるものではない」】という言葉なんて「日本の司法は腐っている!」なんてセンセーショナルではあるけれど内容は全然ない言葉よりも、はるかに「伝えられるべきこと」だと思うんですけどねえ。

 まあ、「優秀な人材」=「万人に愛される人間」とは限らないのですよね。研究の成果とか作品が素晴らしさと「八方美人」とは、相容れないような気もするし、他人にマネできないようなことをする人は、多少なりとも「常軌を逸している」のが、むしろ当然なのかもしれません。

 でも「発明対価よこせ!」というのは、ある意味「普通」かな…



2005年01月12日(水)
『リアル鬼ごっこ』の魅力を奪うな!

「このミステリーがすごい!2005年度版」(宝島社)の「行列のできるミステリー相談所」より(構成・文:福井健太)

(読者の『リアル鬼ごっこ』(山田悠介・幻冬舎文庫)という作品を読んで「困惑」したのだが、プロの書評家は、このような作品をどう評価しているのか?という相談に対しての回答。回答者は、福井さんの他に、杉江松恋さんと米光一成さん。)

【司会:この件は福井さんからどうぞ。

福井:自費出版やインターネットで発表された小説が大手から刊行され、ベストセラーになるケースが増えています。これは好ましいことですが、そこで気になるのが、出版社のクオリティコントロールの問題。山田悠介の『リアル鬼ごっこ』は、2001年に文芸社から刊行され、2004年に幻冬舎文庫に入ったんですが……

米光:文芸社版が、いいんですよ!中学生の気持ちにもどって、友達がノートに描いた落書き漫画を読むようなノリで楽しむのがコツです。「最後の大きな大会では見事全国大会に出場」って、馬から落ちて落馬してかよッってツッコミながら読むんです。「真っ暗だった。森の中は本当に真っ暗で視界が一気に閉ざされた。目の前の物しか確認できず、目を少しでも離せば愛がどのあたりにいるのかも見失ってしまう。それ程、森の中は真っ暗なのだ」って、どんだけ真っ暗なんだッ(笑)。

福井:「二人が向かった先は地元で有名なスーパーに足を踏み入れた」……。

米光:「今一度、翼は辺りをキョロキョロさせながら」とか。辺りがキョロキョロするんですよ(笑)。十行に1個くらいの勢いで出てくるんですから、こういうのが。ここまでくると芸ですよ。

(中略)

福井:最初にインターネットで「こんなにひどいのがあるぞ」って話題になったんですよね。笑うためのネタとして言及された。それが影響力をもって、そこまでひどいのなら買おうという人が出てくる。そうすると現実に売れるわけで、そこから雪だるま式に売れて、大手出版社が連絡してくる。そのスパイラル現象はどうなんだろうという違和感があるんですよ。

米光:最後は「この話は人々の間とともに長く受け継がれていく」って、日本語がへっぽこなのがまたいい味だしてるんですが、ヒーローになっちゃうのも、ダメ学生願望ノリ。でも、残念なことに、そういったへっぽこなところが、文庫版では直ってるんです。

司会:読み上げてもらった部分は、文庫版ではどう直されてるんですか?

米光:「大会」の重複はなくなってるし、へっぽこで面白いところがほとんど直されてて、文庫版は、ただのつたない話になっちゃってるんですよ。中途半端なことしちゃダメですよね。】

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 ちなみに、上の引用は原文のママです。
 確かに「中途半端なことしちゃ、ダメ」かもしれない。
 この「リアル鬼ごっこ」は、とにかく「話題になっている」というのは聞いていたのですが、確かにこれは凄い!
 でも、僕はこの本が売れていた「本当の理由」というのを知らなくて、本屋でパラパラめくってみて、「どうしてこれが売れるんだろう?」と疑問に感じてもいたのです。この文章を読んで、確かに「これは凄い作品だなあ」ということがわかりました。まあ、まさか本屋さんで宣伝コピーとして、「拙い日本語で『2ちゃんねる』で話題の…」なんて書くわけにもいかないし、「これだけ売れているんだから、面白いんだろう」ということで買って悶絶してしまった人も多いのではないでしょうか…
 しかしながら、大勢の人が読めば「面白い!」と感動する人が出てきたり、「あれだけ売れているんだから、これはいい作品なんだよなあ」と自分に言い聞かせた人もけっこういるのかもしれませんね。

 それにしても、この日本語はやっぱり凄いなあ。「ネットの力」というのは、こういう「トンデモ本」に属するような本をベストセラーにしてしまうくらいになっているのですねえ。最初に「ネタとして」楽しんでいた人たちは、まさかこんなに売れるとは思ってもみなかったでしょうけど、出版不況に悩む出版社としては、「売れる本なら、内容は問わない」のもいたしかたないところなのでしょうか。でも確かに「大手出版社の良心」として「日本語を更正」してしまった幻冬舎版は、「単につまらない話」になってしまっているようです。そういう意味では、「幻冬舎は、わかってない!」のかもしれないし、文庫版だけを読んだ人は、この小説の「真髄」を味わっていないわけですよね。幻冬舎の人の担当者は、わかっていて更正したのか、ちょっと気になるところではあるのですが。

 でもなあ、こういう話を読むにつれ、「売れてしまうこと、知られてしまうことの怖さ」みたいなものも感じるんですよね。山田さんは「狙っていた」わけではないでしょうから、「作家としては、ちょっと違和感のある日本語」を全国にばら撒いてしまったわけですから。多くの人に読まれれば印税もたくさん入って嬉しいのはもちろんだろうけど、その一方で「なんでこんなのが売れるんだ!」と批判する人も当然たくさん出てくるわけです。それこそ、「同人誌に発表」しているレベルなら、仲間うちで「厳しく批評」される程度ですむのでしょうけど。
 「世界の中心で、愛をさけぶ」が、どちらかというと「別にものすごくヘンとまでは思わないが、こんなに売れるのはおかしい!」という判断基準で批判されていたのに比べて、この『リアル鬼ごっこ』は、明らかに「ネタ」として面白がられて売れているわけですし、これだけ言われていれば、山田さん本人の耳にも、この手の嘲笑は届いているに違いありません。ここまで来れば「知らないふり」をする以外の選択肢はないのかな。

 御本人は「俺の小説のほうが、『DEEP LOVE』よりは遥かに上だな」とか悦に入っていたりして…
 



2005年01月10日(月)
メールの返信までの時間に対する「許容範囲」

「人のセックスを笑うな」(山崎ナオコーラ著・河出書房新社)より。

【ユリは携帯にメールを送っても次の日に返事をしてくるし、電話には滅多に出ない。着信履歴を見ても、かけ直してくれない。聞いてみると、それが当たり前と思っていた、と言う。携帯は家に置き忘れることも多いし、大事じゃない人には、一週間ぐらいしてから返事を出している、次の日返事を出すのは早いと思ってた、と言うのだ。
 オレや友達はみな、携帯は常に持っていて、すぐに返事を出していたから、驚きだった。】

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 19歳の美術学生(オレ)と39歳の講師(ユリ)のラブストーリーの一節です。メールというのは、比較的「自分の好きなときに受信して、自分の好きなときに返信できる」というコミュニケーションツールだったのですが、携帯電話での「メール」の普及により、そういう「メールらしさ」のようなものは、だいぶ薄れているような気がします。僕のような「メールという文化に途中から乗せてもらった世代の人間」にとっては、駅で高校生が延々と「受信」「送信」を繰り返しているのを見て、「それなら電話しろよ!」とかつい思ってしまうんですけどね。
 僕自身にしても、携帯メールをやっていて、ついメールのやりとりを自分が「メールを受信して、返事をしていない状態」で打ち切るのは失礼じゃないか、なんて思い、同じところをグルグルまわっているようなことも少なくないのですが。
 そういう人間同士がメールをやっていれば、いつまで経っても終わらないメール無限ループになってしまうわけです。まあ、こういうのは電話にしたって、「そろそろ話し疲れたな…」と内心思いつつ、いきなり相手にガチャンと切られれば「自分は何か気に障るようなことを言っただろうか…」と悩んだり、自分から切れば「相手は気にしていないだろうか…」なんて考え込んだりもするものです。
 僕自身は、来た携帯メールの返事は、急ぎのものでないかぎり1日くらいは「寝かせる」ことが多いです。そうしないと、僕もキツイし、相手にも「すぐ返事来たから、こっちもすぐ出さなくちゃ…」というようなプレッシャーを与えてしまうような気がするから。
 こういうメールの返信に対する「許容範囲」というのも人それぞれみたいで、当日中に返信が来ないと「遅い!」という人もいるでしょうし、あまりに即レスが続くと「ちょっとつきあいきれないなあ」と思う人もいるようです。少なくとも「自分がすぐ返事が返ってこないと不安だからといって、他人も同じ基準だとは限らない」というのは、当たり前のことではありますが、しっかり頭に入れておいたほうが良いでしょう。
 でも、こういう「許容範囲」があまりに違う人とやりとりするというのは、お互いにものすごく苦痛を伴うことでもあるんですよね。

 まあ、携帯では「ショートメール」くらいで、パソコンでしか長いメールができなかった時代(とはいってもせいぜい5年くらい前)には、「メールチェックは1ヵ月に一度」なんて人はそんなに珍しくなかったのですから、そういう「メールの常識」そのものが、まだ未成熟なんでしょうけど。

 それにしても、ちょっと前までは、「メールボックスに新しいメールが来ただけで嬉しい時代」なんてのもあったのにねえ。
 今では、開ける前から「またスパムばっかりなんだろうな…」とちょっと憂鬱になってしまうのです。



2005年01月08日(土)
「有料じゃないと駄目」だと思っていた理由

「はてなの本」(田口和裕・松永英明・上ノ郷谷太一著:翔泳社)より。

(「はてな」代表・近藤淳也さんの30000字インタビューより。聞き手は松永英明さん。)

【松永:「人力検索はてな」が始まったのは2001年7月ですね。そのころにも、質問に答えてもらえるサイトはいくつかありましたが……。

近藤:多少は気になっていましたけれど、有料でちゃんと運営されているところはあんまりなかったんです。一応は有料のところもありましたが、「専門家が答えます」という仕組みだったので、発想としてはちょっと違いますよね。僕は電話番号案内のインターネット版みたいなものを作りたいなと思っていたんで。
 無料のところは、回答者の立場が強くて、圧倒的に雰囲気が違うじゃないですか。「そんなのここにありますよ」「前にも同じ質問がありました」とか言われるんですよね。でも、それが検索できないからこそ聞いているんだから、「そういうのを言うのはナシだろ」と思っていました。
 逆に、質問料を払っているんだったら、質問者がどんなことを聞こうと別に勝手じゃないですか。だから、無料のところとはてなでは、そういうところがちょっと違うと思いますね。

(中略)

 だから、有料じゃないと駄目だと思っていました。無料だったら「別に2ちゃんねるで聞けばいいじゃないか」っていうことになりますし。すでに十分盛り上がっている場があるんだったら、同じことをあえてやっても意味がないです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ネット上でのさまざまなツールは、「無料」というのが大原則だという捉えられかたをしていた時代がありましたし、今でも「有料というだけで、利用する気になれない」という人はけっこう多いのではないでしょうか?僕もやっぱり「これは有料」と言われると、その金額が本当に些細な、それこそ缶ジュース1本分くらいのものでさえ、ちょっと足踏みしてしまいます。
 もちろん、お金がもったいないというのもありますが、「ネットで課金して金儲けをしようなんて、なんだか感じ悪い」というようなイメージも少しはありますし。
 でも、考えてみると、「タダより高いものはない」という言葉があるように、「無料」というのは、必ずしも利用者にとってメリットばかりではないよなあ、と、この近藤さんの話を聞いて、あらためて思いました。例えば、親戚の家の近くに用事がある際には、もちろん親戚の家に泊めてもらう人だっているでしょうが、自分でお金を出してホテルに泊まる人だって少なくないのではないでしょうか。
 それは、「金銭的な損失」と、特別仲が悪くはなかったとしても、「相手に気を遣わせること」や「相手に気を遣わせることに、自分も配慮しなくてはならない」という「面倒なこと」を比較して、結局、どちらを選ぶか、という問題なのです。たぶん僕は、「水くさい」とか言われながら、ホテルに泊まることが多いと思います。
 「オレは客だ!」ということで、事あるごとに「主を呼べ!」とクレームをつけるような人はあんまりだとしても、少なくとも「お金を払っている」ということは、ある意味、心理的に優位に立てる面もあります。近藤さんが書かれているように、無料の掲示板などで質問すれば、「過去ログ見ろ!」「激しくガイシュツ」「そんなの常識!」というような酷い目に遭って、「ネット上のコミュニケーション」の性質の悪さに辟易することだってあるでしょう。それは教える側にとっても「善意で無料で教えてやっているんだから」という気持ちもあるでしょうし。
 極論かもしれませんが、タダで他人に何かしてあげれば「親切なボランティア精神」という自己満足に浸れますが、それでお金を貰ってしまえば「仕事」になってしまいますしね。
 そういう意味では、「お金を介在させることによって、ちゃんとした対応をしてもらえたり、自分が平身低頭しなくてもいいなら、お金を払ったほうがラク」だと考える人は、それが妥当な金額でさえあれば、けっして少なくないと思います。逆に「お金になるのなら、もっと懇切丁寧に対応する」という人もいるでしょうし。
 
 だから、無料=善、有料=悪ではなくて、各人が個々のニーズに合わせて使い分けられれば、それでいいのでしょう。僕も「はてな」を何度か使ったことがありますが、ポイント配分とかがちょっと面倒でしたが、望んでいた答えを100円程度で迅速に手に入れることができましたし(いくらかかるかというのは、その質問の内容によって違ってもくるのですが)。
 ただ、課金システムが面倒だったり、セキュリティに不安が残ったりという点では、まだまだ改善の余地も大きいな、とも思うんですけどね。
 もうひとつ難点といえば、回答者とのコミュニケーションがけっこうめんどくさいことでしょうか。「回答者へのお礼のコメント」とか書かなければならないような雰囲気は、コミュニケーションツールとしては正解なのかもしれないけれど、検索ツールとしては、ちょっと「気が重い」感じもします。

 まあ「ネットは何でも無料」とか言いつつ、実際僕たちはお金以上に貴重かもしれない「時間」をけっこうムダに遣っている、というのも事実なんですが…



2005年01月07日(金)
「日本で一番ウザい男」と、その長年の「相方」

日刊スポーツの記事より。

【昨年12月下旬から都内の病院に緊急入院していた人気お笑いコンビ「カンニング」の中島忠幸(33)が急性リンパ球性白血病であることが6日、分かった。この日、都内の所属事務所で会見を行った相方の竹山隆範(33)は「良性で100%完治するものと聞いています。必ず2人でまた舞台に立ちます」と語った。治療に専念し、半年から1年での復帰を目指すという。
 「良性と聞いて、本人も僕もホッとしています」。“ぶちキレ”芸風で人気の竹山だが、この日は終始淡々とした口調で、相方を気遣った。
 所属事務所によると、中島が体調を崩したのは12月上旬。検査入院を繰り返し、結果が判明した12月下旬に都内の病院に入院した。顔色が悪く、むくんだ状態だったという。竹山は「『調子が悪いんだよ』と話していたが、忙しく眠る時間もない状態。だから、疲れかなと思っていた」という。
 竹山は中島を3回ほど見舞った。マネジャーから病名を聞き、最初は驚いたという。「先生から『見つかったのが早いし、100%完治する』と聞いた。初めはどうなるかと思ったが、治ると分かり『治るなら治そうや』と話し合いました」。

 93年にコンビを結成。昨年、日本テレビ「エンタの神様」などで注目され、これからという時期だった。竹山は「マイナスに考えてもしょうがない。昨年12月下旬から都内の病院に緊急入院していた人気お笑いコンビ「カンニング」の中島忠幸(33)が急性リンパ球性白血病であることが6日、分かった。この日、都内の所属事務所で会見を行った相方の竹山隆範(33)は「良性で100%完治するものと聞いています。必ず2人でまた舞台に立ちます」と語った。治療に専念し、半年から1年での復帰を目指すという。

 「良性と聞いて、本人も僕もホッとしています」。“ぶちキレ”芸風で人気の竹山だが、この日は終始淡々とした口調で、相方を気遣った。

 所属事務所によると、中島が体調を崩したのは12月上旬。検査入院を繰り返し、結果が判明した12月下旬に都内の病院に入院した。顔色が悪く、むくんだ状態だったという。竹山は「『調子が悪いんだよ』と話していたが、忙しく眠る時間もない状態。だから、疲れかなと思っていた」という。

 竹山は中島を3回ほど見舞った。マネジャーから病名を聞き、最初は驚いたという。「先生から『見つかったのが早いし、100%完治する』と聞いた。初めはどうなるかと思ったが、治ると分かり『治るなら治そうや』と話し合いました」。

 現在、中島は抗がん剤を投与する治療を受けている。その後、骨髄移植も予定しているが、回復は順調。前日5日に見舞った関係者によると、中島は「体調はここ数カ月で一番いい」と話していた。6日から食事も普通になり、中島は病院内の売店で納豆を買って食べたという。

 93年にコンビを結成。昨年、日本テレビ「エンタの神様」などで注目され、これからという時期だった。竹山は「マイナスに考えてもしょうがない。この12年間、いろいろなトラブルがいろいろあって、やめなきゃダメかな、という時もあった。慣れっこというのも変ですが、助かると分かった時、また、いけるだろうと2人とも思った」と語った。

 中島は半年から1年での復帰を目指して治療に専念する。それまで竹山は1人でタレント活動を行う。「暴走するのをいい感じで止めるのは相方しかない。完治して必ず戻ってきますので。お笑いブームが終わっちゃうかもしれませんが、ひっそりとやってますから」。関係者によると、竹山はギャラの一部を、中島の治療費に充ててほしいと話しているという。】

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 去年は「お笑いブーム」でしたから、年末から年始にかけて、さまざまな番組に芸人たちが登場していたのですが、そういえば、カンニングは「カンニング竹山」ずっとひとりで出演していて、僕は中島さんが体調不良だとは知らなかったものですから、「使えない相方と離れてソロ活動?売れはじめたらそんなものなのかな」とか思っていました。もともとお笑いの世界に詳しくはないとはいえ、申し訳ない気持ちになります。
 
 僕がはじめてカンニングを観たのは「エンタの神様」の番組中で、ちょうどその番組を観ていた友人が「何この人たち、気持ち悪い!」と言っていたのが、カンニングの竹山さんだったのです。
 カンニングといえば、「最近のウザい芸能人ランキング」で断トツトップを独走している竹山さんのほうは印象に残っていたのですが、中島さんのことは正直あまり記憶にありませんでした。

 昨日、竹山さんの記者会見を観ていて、僕はなんだかとても感動してしまったのです。良い大人なのに…と自分のことながら、情けなくも思うのですが。あの「ウザい男」竹山さんが、淡々とインタビューに答えていて、その姿が逆に、事態の深刻さをあらわしているような気がして。「簡単な病気ではない」と思いますし、そのことは彼らも理解しているのでしょう。でも、そういうときにこそ本音というのは出るものだし、あの会見での竹山さんには、相方への気遣いとファンを不安にさせないようにという気配りをすごく感じました。ああいう会見というのは、「お涙頂戴」にしようと思えば、いくらでもそうできたはすなのに。

 「カンニング」は、平成5年結成だそうなのですが、10年くらい全然売れなくて、このインタビュー中にもあるように、【この12年間、いろいろなトラブルがいろいろあって、やめなきゃダメかな、という時もあった】そうですし、実際に中島さんは料理人の修行もしていて、最近まで総菜屋さんの副店長として「兼業」していたそうです。収入的には、そちらのほうが「本業」の時代も長かったのだとか。やっと人気が出てきて、昨春結婚、秋には子どもが産まれたばかり。

 「カンニング」にとっては、ようやく巡ってきた春なのに、こんな不測の事態になって、無念な気持ちはあるでしょう。竹山さんの【「『調子が悪いんだよ』と話していたが、忙しく眠る時間もない状態。だから、疲れかなと思っていた」】という言葉からは、はじめて「売れっ子になる」という体験をして、その状況を自分でもよく把握できていなかったんだろうな、というのが伝わってきます。それこそ不遇な時代には、「死んでもいいから、一度は売れっ子になってみたい」と思ったこともあったのではないでしょうか。

 この病気の治療には時間が必要です。ブームもいつまで続くかはわかりません。彼らが復帰してきたときには、もう「お笑いブーム」は終わっているかもしれない。でも、【お笑いブームが終わっちゃうかもしれませんが、ひっそりとやってますから】という竹山さんの言葉は、きっと中島さんをものすごく勇気づけたのではないかなあ。
 ふたりは、小学校1年生のときからのつきあい、なのだそうですし。

 「相方」っていいなあ、ちょっと不謹慎だけど、そんなふうにも感じました。
 お笑いブームが終わって、マスコミも、ファンも忘れてしまうかもしれないけれど、家族と少なくともひとりの男だけは、絶対に待っていてくれる。

 まったく、こんなにしんみりさせるなんて、芸人としてはマイナスだよなあ、笑えなくなっちゃうよ。

 「あーあ、またウザいのが帰ってきやがった!」って、帰ってきたら言ってやるからな!



2005年01月06日(木)
その飲酒運転は、誰のせい?

読売新聞の記事より。

【埼玉県坂戸市で2001年、近くに住む大東文化大1年の正林幸絵(まさばやし・さちえ)さん(当時19歳)ら3人が酒酔い運転の車にひき逃げされ、死傷した事件で、正林さんの両親と2人の兄が、運転手の男性(35)(危険運転致死傷罪などで懲役7年確定)に加え、妻や勤務先の会社、同僚を相手取り、計約8100万円の損害賠償を求める訴訟を起こしていたことが分かった。
 加害車両の同乗者を運転手と共に提訴するケースはあるが、家族や同僚まで訴えるのは異例だ。
 訴えでは「常習的な飲酒運転を知りながら制止せず、助長した」としており、交通事件の過失に詳しい専門家は「飲酒運転ほう助のような積極的な関与が認められるかがポイントだ」と注目している。
 訴状や刑事裁判の記録によると、2001年12月29日未明、同県日高市にある建設機械リース会社の社員だった男性は、酒を飲んで正常な運転ができないことを認識しながら社有のライトバンを運転。時速約60キロで走行中、坂戸市花影町の市道で仮眠状態となり、帰宅中の正林さんら3人をはねて逃走。正林さんと女子短大生(当時20歳)を死亡させ、男子大学生(当時21歳)にも2週間のけがをさせた。
 男性の妻(38)は、男性が数年前にも酒気帯び運転で罰金刑を受けるなど日ごろから飲酒運転を繰り返し、事件当日も飲んで帰るのを聞かされていたのに、「注意して帰って」としか言わなかった。同僚(52)も当日、飲食店3軒で男性とはしご酒をして、男性が深酔い状態で車に乗るのを見ていたのに、止めなかった。
 こうしたことから、妻や同僚も、男性が飲酒運転で事故を起こすのを防げたのに、助長したとしている。
 男性の供述によると、勤務先の安全運転責任者を務める部長(64)は、社有車が居酒屋などに止めてあると立ち寄り、部下らの飲食代を払う一方、代行車を呼ぶなどの措置は取らなかったという。この部長は「『酔いをさましてから行けよ』という程度で、車の鍵を取り上げず手ぬるいところはあったが、黙認していたわけではない。事件以来、飲酒運転をしないよう社内で徹底している」と話している。男性の妻側は「話すことはない」としている。
 交通事件の過失論などに詳しい松本誠弁護士は、「飲酒運転への関与は、容認しただけでなく、積極的なかかわりがないと認定するのは難しい。だが、被害者側からすれば、責任は関与した全員にというのは当然の感情だ。危険運転致死傷罪が被害者らの声で出来たことを考えても、周辺者の責任が問われないのは不公平だろう」と話している。】

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 確かに、この20歳くらいの若者3人が、飲酒運転の常習者に撥ねられて命を奪われた事故のことを被害者の立場に立って考えると、この加害者の男性の「懲役7年」という刑事罰は、あまりに軽いという気がします。それが凶器だと知っていながら、ところかまわず振り回した結果2人の人間の命を奪ってしまったにもかかわらず、この程度の量刑だったのは、酷いですよね。
 日本は以前から「酔っ払いに甘い国」と言われており、最近の道路交通法の改正で飲酒運転に対する刑罰が重くなったのですが、それでもまだこの程度なのです。

 ただ、「周辺者の責任が問われないのは不公平」であるし、「どうして制止しなかったのか?」と感じる一方で、こういう状況というのは、今日も日本中のあちこちで起こっているのだろうなあ、とも感じるのです。飲酒運転の罰則が厳しくなったことによって、かなりマシにはなっているとしても。
 日本という国は(まあ、世界中の多くの国がそうかもしれませんが)、ごく一部の大都会を除いては、「車がないと生活できない」というところはたくさんあるのです。都市生活者にとっては、酒を飲んだら、電車で最寄の駅まで行って、あとはタクシーで帰ればいいや、ということなのでしょうが、交通網が発達していない田舎では、車で通勤というのが当たり前になっています。そして今でも、「仕事帰りに飲みに行く」人のうち、少なくない割合が飲酒運転をしているのです。もちろん、それが悪いことだと知りながら。
 田舎に住んで自家用車で通勤している人たちが、「仕事帰りに酒を飲む」場合、自分で車を運転せずに家に帰ろうとすれば「歩く」か「誰かに送ってもらう(あるいは迎えにきてもらう)」「タクシーの代行を呼ぶ」くらいしか方法はありません。歩いて帰れるほど近ければいいですが、そうでない場合、そんなに都合よく送り迎えしてくれる人なんていないでしょうし、代行にかかるお金もバカになりません。そんなふうに逡巡しているうちに、悪いことだと知りながら、「このくらいなら大丈夫」と飲酒運転をしてしまうわけです。
 そして、お酒を出す店のほうも「当店は車の運転をされる方にアルコールは出しません」と書いてある店がたくさんあるにもかかわらず、実際に、客が帰るところまでキチンとチェックする店員さんなんて寡聞にして見たことがありません。僕は以前「飲酒運転の罰則が厳しくなって、売り上げが下がって困る。本音を言うと、車を運転する人に全然酒を出さないようにすると、田舎ではやっていけない」」という居酒屋の店主の話をテレビで聞いたことがありますし、「飲酒運転をする客がいるのも仕方ない。自分たちだって稼いで生きていかなければならないのだから」という気持ちもあるのでしょう。つまり「飲酒運転をしないと、成り立たないようなシステム」が、この国には完成してしまっていたのです。
 おそらく、この加害者の妻だって、「飲酒運転が悪い」なんてことは、百も承知のはずです。過去に罰金刑を受けていたわけですし。でも、こういう常習犯の場合「いくら注意しても聞かない」という状況だったことは十分に考えられるのです。「そんな男とは別れなさい!」と言いきれればいいのかもしれませんが、実際にはなかなかそうはいかないでしょうし、「どっちにしても言うことを聞いてくれないのなら、気をつけてね、くらいしか言いようがない」のかもしれないし。
 上司にしたって、「こういう人が飲酒運転で事故を起こす確率」と「口うるさく注意して、人間関係にヒビが入る可能性」などを考えると、「なんとかして止めさせる」という判断をしなかった理由もわからなくはないのです。そもそも、相手もいい大人なんだから、いくら安全運転責任者だからといって、上司が「飲み代を払ってやった」上に「代行まで手配する」必要性があるのかと言われたら、それは「過保護」なのではないかな、とも思います。それこそ「自己責任」なのではないかと。
 「もし代行を呼んでいたら、若い2人の命は奪われなかったのに!」と憤る御遺族の心境はよくわかります。「どうして周りの人は止めてくれなかったんだ!」という気持ちも。
 でも、その一方で、今の日本の「飲酒に対する寛容さ」というのは、まだ「飲酒運転をして帰る人を制止するのは不粋だ」と考えている人がたくさんいる、というレベルであり、飲食店も、家族も、周りの人も、本人さえも、「飲酒運転の危険性」に対する認識が低いこと甚だしいし、そういう意味では、この妻や部長は、一種のスケープゴート的な印象もあるのです。それこそ「みんな流れに乗ってスピード違反をやっているのに、なんで自分たちだけ切符切られるんだ、どうせならみんな捕まえろよ!」みたいな心境なのかなあ、とか想像してみたり。
 肝心の警察ですら、どこまで本気で飲酒運転を取り締まろうと考えているのか、疑わしくも思えますしね。本気なら、それこそ居酒屋の出口に張り込んで飲酒運転できないようにすればいいはずなのに、そのあたりはなんとなく「地場産業保護」みたいな馴れ合いになってしまうし、乗る前に注意しては罰金を取れないから、「予防措置」にはあまり積極的でないような印象すら受けるのです。

 今後の「アナウンス効果」というものを考えれば、この妻や上司に賠償責任あり、という判決が出たほうがいいのは間違いないでしょう。とはいえ、その「連座制第一号」になる人に対しては、正直「ちょっとかわいそうな気もしなくはない」のです。本来、お酒なんて、自分の責任で飲まなければならないもののはずだし、彼らも積極的に飲酒運転を奨めていたわけではなさそうだし。
 とはいえ、少しずつでも、今の世の中の「飲酒運転を生み出す負の連鎖」と変えていかなければならないのは確かです。こういう事故って、被害者にはもちろん、加害者にとっても、まさに悲劇なのですから。
 そして、そのための最良の方法は、やっぱり個々の自覚以上のものはありません。嫌がる人の口に無理やり酒を流し込む居酒屋店主や飲酒運転をしてこないと機嫌が悪くなる妻なんて、いるわけないんだからさ。
 そう、僕が、あなたが、ほんの少しだけ自覚を持てれば。

 「3億円当たるかもしれないから、宝くじを買う」くらいなら、「事故を起こすかもしれないから、酒を飲んだら代行を呼ぶ」ほうが、よっぽど有益かつ確実なお金の使い方だと思うのですが…



2005年01月05日(水)
なぜコンビニは、こんなに多くの商品を捨てるのか?

毎日新聞の記事「挑む’05・若手経営者のメッセージ」より。

(新浪剛史・ローソン社長(45歳)へのインタビュー記事の一部です。聞き手は小林理さん。)

【聞き手:コンビニのあり方を根本から見直すということですか。

新浪社長:そうだ。欧州では、日本のように24時間営業の店はほとんどない。でも生活は豊かだ。ひと昔前の日本は、夜に物が足りなくなったら、お隣さんに借りに行っていた。そんな地域のつながりが消えつつある。

聞き手:24時間営業が問題なのですか?

新浪社長:一律に24時間営業をやめろ、ということではない。地方など、状況に応じて24時間営業をしなくてもいい店があるのでは、との問題提起だ。コンビニ店主の高齢化も進み、深夜から未明の営業は大変だ。疲れた声で「おはようございます」とあいさつするようでは無理がある。数年かけて、深夜から未明の営業を中止する店を徐々に増やしていきたい。

聞き手:「コンビニ」のイメージが変わります。

新浪社長:もっと言うなら、なぜコンビニはこんなに多くの商品を捨てるのか。食品は賞味期限が切れればすべて捨てる。その額は当社では経常利益を上回るほどだ。こんなビジネスモデルが今後30年、60年続くとは到底思えない。注文を受けてから、2分30秒で出来立てのお弁当を出す仕組み作りに挑戦しないといけない。】

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 こちら(livedoorファイナンス)によると、ローソンの2004年2月期の経常利益は、約376億円です。新浪社長のインタビューによると、これ以上の額の商品(主にお弁当などの食品だと思われます)が、「賞味期限切れ」で捨てられているわけですね。確かに「こんなビジネスモデルが、ずっと続くとは思えない」という言葉にも頷けるというものです。単価を考えたら、膨大な量の食品が捨てられているわけですから。
 「いつでも待たずに買える」のが売りであるコンビニというのは、逆に、これだけ商品のロスも大きくなる、ということなんですね。ほんと、「世界には食べ物に困っている人もたくさんいるのに…」というのは、あまりに手垢がつきまくった表現ではあるのですが、ちょっと勿体ない気はしますよね。
 でも、だからといって、「商品が揃っていない」コンビニにはお客さんの足は向いてくれませんし、賞味期限切れのものを売ってしまえば信用問題です。これだけたくさんのコンビニチェーンが競合している状況では、「勿体ない」と言ってもいられない、というのも現実なのでしょう。コンビニの営業時間だって、もともとは「セブンイレブン」の名前に象徴されるように「朝早くから夜遅くまで営業している」だけで、24時間営業が当たり前になったのは、20年前(僕が住んでいる田舎では、15年前)くらいからのはずです。確かに、田舎では深夜にコンビニに行っても、自分と本を立ち読みしている店員さんだけ、なんてこともけっこうありますし、その時間帯だけみれば、けっして黒字ではないでしょう。困った人たちの溜まり場になって、近所から苦情が絶えない、なんてことも多いみたいだし。
 それでも、買う側からすれば「24時間営業のほうが安心」のような気がするんですよね。深夜や早朝に利用することなんて、ほとんどないのに。
 都会ならともかく、学生が少ない田舎では深夜アルバイトを確保するのも大変で、結局経営者の家族がずっと店番、という現実もあるそうです。

 ただ、この新浪社長のインタビューを読んで僕が思ったのは、社長が言われることは正しいけれど、それに対しての消費者の反応は、なかなか期待通りにはならないだろうな、ということでした。
 【欧州では、日本のように24時間営業の店はほとんどない。でも生活は豊かだ。ひと昔前の日本は、夜に物が足りなくなったら、お隣さんに借りに行っていた。そんな地域のつながりが消えつつある。】というけれど、正直現代の日本人としては、「でも、夜中に醤油がないからってお隣に借りにいく気まずさや近所づきあいの煩わしさを考えたら、多少遠くてもコンビニに買いに行ったほうがいい」人だって、多いのではないでしょうか?「お隣に借りに行けないような時代」だから、こんなにコンビニ全盛になったのか、コンビニができたから「お隣に借りに行けないような時代」になったのか、それははっきりとはわかりませんが、もし「お隣に借りに行くほうが手軽」な時代であれば、いくらコンビニがあったって、実際に利用する人は少なかったはずです。
 人間というのは、一般的に便利なほう、ラクなほうに流れていく習性があって、たぶん、ものの貸し借りをする人付き合いよりも、コンビニで買ってきたほうが、僕を含む多くの人にとってはラクなのだと思います。「地域のつながり」というのは、理想像としては美しいけれど、その現実は、あまりにも煩わしいことばかりで。
 
 理想はさておき、いろいろなものの歴史を考えていくと、時代につれて「不便なほう」に発展しているものって、本当に少ない、というか、ほとんど思いつかないのです。。
 それとも、そろそろ「不便さを見直す時代」がやってくるのだろうか…

 



2005年01月04日(火)
君に「負け犬」を語る資格があるのか!

スポーツ報知の記事より。

【タレントの小野真弓(23)が、日テレ系新春ドラマスペシャル「負け犬の遠吠え」(8日、午後9時)でウエディングドレス姿を披露する。
 30代以上、未婚、子ナシは「負け犬」、普通に結婚して子供がいる人は「勝ち犬」という定義でさまざまな反響を呼んだ酒井順子のベストセラーエッセーをドラマ化。負け犬予備軍の小倉美帆(中越典子)の友人役で、結婚式を挙げる幸せな女性を演じる。
 撮影を終えた小野は「結婚式のシーンを撮影すると、結婚したい気持ちに傾きますね。自分が結婚するときは普通のドレスのほかに、インドのサリーとかいろんな国の民族衣装も着てみたい」とウットリ。「でも、ちょっと心配なのは結婚前にドレスを着ると婚期が遅れるという話。あんまり着てしまうと、どんどん負け犬に近づくんじゃないかなって心配」と乙女心をのぞかせた。
 今は仕事が楽しいので、すぐに結婚はないというが「負けず嫌いな私としては、やっぱり20代に結婚して勝ち犬になりたいな。でも人生を楽しんでいる『負け犬』に実際の自分は近いんじゃないかな」と笑顔を見せていた。】

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 2004年の流行語にもなった、この「負け犬」という言葉、2005年もこのまま使われつづけて、そのうち一般的な言葉になってしまうのでしょうか?
 これはあくまでも僕の感覚なのですが、この「負け犬」という言葉、女性蔑視的であるにもかかわらず、男性の口から出ることは少なくて(いや、そもそもセクハラとか大変ですしね)、同性であるはずの女性、しかも自分が「負け犬」の条件にあてはまる人が自虐的に「私って負け犬だから…」という感じで使っているケースが多いような気がします。もっとも、医者の世界というのは、ストレートで国家試験に合格しても24歳になってしまいますし、卒業して何年かの研修期間中は、結婚どころじゃない、という世界ですから(むしろ、卒業直後に結婚する人のほうが多い)、男女ともに晩婚なのは仕方ないとは思うんですけどね。それで、物心ついてようやく仕事らしい仕事ができるようになったら、もう「負け犬年齢」になってしまうのです(このあたりの事情は、こちらを御覧下さい)。
 でもまあ、23歳の小野さんに「負け犬」にはなりたくない、なんて言われたら、同性としてはかなりムカつくのではないかなあ、と僕も心配になるんですけどね。「負けず嫌い」だからといって、20代に結婚すればいいってものじゃないだろう!とか、年齢で結婚を決めるなんて、なんだか不純だ、という気もするのですが、その一方で、「愛に年齢なんて全然関係ない!」と言い切るには、僕も年をとりすぎてしまいました。考えてみれば、女性の30代独身は「わたしたち負け犬よね」とか自虐ネタにもできるかもしれないけれど、男の場合は、一部の「独身貴族」を除けば、ただうら寂しいだけで、「負けミジンコ」みたいなものなのかもしれないし。

 それにしても、「負け犬」は慣用句だとしても「勝ち犬」っていうのは、なんだかちょっとおかしくないのかなあ。勝っても負けても、所詮犬かよ!とか思わなくもありません。
 本物の犬からすれば、そんな例えに使われて迷惑なだけなんだろうけどさ。



2005年01月03日(月)
「被災者への配慮」と手拍子のない音楽会

共同通信の記事より。

【初春のウィーンの恒例行事、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートが一日行われ、スマトラ沖地震の被災者への配慮からクライマックスの「ラデツキー行進曲」を演奏しないなど、例年よりも祝賀色を抑えた演奏会となった。
 ラデツキー行進曲はヨハン・シュトラウスの作品。軽快で楽しい曲のため、コンサートでは毎回最後に演奏され、聴衆が手拍子で新年を祝う。しかし今年は指揮者のロリン・マゼール氏らから「被災者が苦しんでいる中でそぐわない」との声が出たため、ワルツ「美しく青きドナウ」でしめくくった。
 コンサートにはドイツのシュレーダー首相が招かれていたが、地震の対応のためキャンセル。約三十枚の空席チケットはオークションで完売し、売り上げ約八百七十万円は被災者支援に寄付された。】

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 こういう「自粛」というものに対しては、「当然のこと」と感じる人と「偽善」だと感じる人がいるのだろうな、と思います。「苦しんでいる人がいる中、明るい曲で自分たちだけ新年を祝うなんて!」というのも、「そういう時だからこそ、むしろ明るく新年を祝うことに意義がある。被災者の人たちだって、暗い気分でばかりはいられないだろうし」というのもわかりますし。
 日本では、紅白歌合戦の一番最後に歌った小林幸子さんが、「中越地震の被害者に配慮して」恒例になっていた豪華衣装を封印したことも話題になりました。そのことに対しても、「衣装を地味にすれば、それでいいのか?」「むしろ、あの豪華衣装を楽しみにしている人だって多いのではないのか?」という意見も出ましたよね。意地の悪い見方をすれば、小林さんにとっては、あの地震というのは、自分をアピールする機会にもなったわけだし。もしあの災害がなければ、小林さんが「大トリ」ということもなかったでしょう。もちろんその一方で、「小林さんの歌で励まされた」という人も少なくないのも事実。

 こうしている間にも、世界各地では飢餓で苦しんでいたり、犯罪に巻き込まれて命を落としている人たちがたくさんいます。極端な話、24時間、365日ずっと「自粛期間」であってもおかしくないくらいに。そういう意味では、こういう「自粛」なんていうのは、「直接被害を受けていない人間の欺瞞」でしかないのです。こういう「自粛」というのは、単に「幸運な人間であること」への後ろめたさを表に出して、自己満足に浸っているだけなのかもしれません。

 そういえば、テレビで、被災者たちがいちばん励まされた曲は、平原綾香さんの「ジュピター」だという話を聞きましたが、実際に自分が被災したらと考えると、普段と違う落ち着いた音楽ばかり聴いてもいないだろうし、明るい曲や楽しい曲だって、同じように聴くのではないかと思うんですよね。「マツケンサンバ」に励まされる人だっているのだろうし。もちろん、被災直後は明るい曲に、かえって暗い気分になったとしても、「生き続ける」というのは、いろんなものをバランス良く取り入れていくことなのではないかなあ、と。

 もっとも、こうやって「自分が被害者でないことへの後ろめたさ」を感じるというのは、「ざまーみろ」とか思うよりは、はるかに健全であるような気もするのですが。
 いずれにしても、「自粛する側」であるというのは幸福なことなのでしょうし、「自粛」から一歩踏み出して、形のある支援をしていくことが大事なのだろうけど。



2005年01月01日(土)
失われるべきもの、その名はWEB日記

読売新聞の記事「思い出 デジタル時代の保存術」より。

【埼玉県の主婦高野恵子さん(38)は、文庫本より少し大きい青い表紙の本五冊を、押し入れにしまっている。タイトルは「ミキとマコ かあちゃん奮闘記」。インターネット上の日記サイト「きゅるる」に公開している育児日記をまとめたものだ。紙の日記や家計簿は「三日坊主」だが、ネットに公開する日記は、読んだ人の感想が励みになって続けられた。ただ、もしこの日記サイトそのものが閉鎖されたらー。「自分のパソコンに保存してはいましたが、何となく心配で」。そんな時、サイト上の日記を紙の本にしてくれる「きゅるる文庫」サービスが始まった。料金は一冊(三か月分)につき3000円。「活字になって手元に来ると安心感がある。やっぱりペーパー世代なのでしょうか」
 こうしたサービスを始める日記サイトが相次いでいる。「Cal.Log(カルログ)」は、携帯メールでつづった日記が一年分たまると製本できる。8万人が利用する「はてなダイアリー」でも、今年一月から約百冊の注文があった。「はてな」(東京)社長の近藤淳也さん(29)は、「利用者間の交流がある日記サイトの長所は続けやすさ。紙の本には、見やすさや安心感がある。デジタルとアナログ両方のよさを併せ持つサービスです」と話す。】

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 こうやって、パソコンに日記や雑感などを書いていけば、ずっと残っていくはず…
 少なくとも、「紙の無い時代」よりは、そうやって「残っていく時間や確率」というのがアップしたのは間違いありません。でも、いろんな「要らなくなったもの」を整理するたびに思うのは、「記録というのは、失われていくものだ」ということです。
 例えば、8ミリで録られた記録フィルムを観られる環境というのは現在では非常に少ないでしょうし、絶対に録画・録音しなくては!と思いながら記録したはずのカセットテープやビデオテープも、いつのまにか押入れの奥にしまわれっぱなしになったり、CDやMDが主流になったり、DVDに記録メディアが移行していくにつれ、「失われていくもの」というのは少なくないはずです。もちろん、ものすごく大事なものに関しては、記録メディアを移行しつつ受け継がれていくのでしょうが、ビデオテープをDVDに記録しなおすというのも、実際にやってみるとけっこうめんどうな作業ですしね。
 そういうものの積み重ねで、大事なはずの「記録」というのは、どんどん失われていくのです。
 紛失の心配がなく、いつでも見られるはずのネット上の文章も、ここに書いてあるように、サービス側のトラブルで消えてしまう可能性はあります。手元にバックアップしておけば問題ないわけですが、そのバックアップというのもやってみるとめんどくさいし、そもそも、ネット上に文章を置いていたって、常に誰かが目を向けてくれるとは限りません。よほど話題性と普遍性のあるもの以外は、学校の机のあちこちに刻まれた落書きと同じくらい後世に受け継がれていけば、まあ立派なものでしょう。
 そして、この「インターネット」という媒体そのものが、いつまでもこのまま続いていくとは限りません。もっと効率のいいコミュニケーション方法が出てくる可能性もありますし、逆に、こんなものはリスクが高いということで、禁止されてしまう可能性もあります。だから、いくらこの広い広いネットの海に小瓶を流してみたところで、誰にも拾われず、海そのものが干からびてしまうことだってありえるのです。
 そういう意味では、「本にして遺す」という選択をした人たちの気持ちは、僕にはよくわかります。僕もまた、「何か自分が生きてきた証拠を遺したい」と考える人間のひとりであり、そのためには「方法は多いほうがいい」わけですから。
 もっとも、こうして本にして遺したところで、僕の子孫ですら、そんなものの内容に興味を抱いてくれるかは、怪しいものだということもわかるんですけどね。

 「遺される」側の人間の時間が有限であり、それは今の人間とそんなに変わらないものである以上、どんなに記録を遺すために努力してみたところで、その大部分は失われてしまう運命にあるのです。
 でも、こうやって、その「失われるべきもの」を書き続けている理由というのも、きっとどこかにあるのでしょう。

 この「何かを遺したい」という欲求が、「偉業」をなしとげなくても、あまりに簡単にかなえられるような気がする時代というのは、人類の発展のためには、ものすごくマイナスなのかもしれませんが。


 なにはともあれ、本年も「活字中毒R。」をよろしくお願いいたします。