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2004年09月30日(木)
CCCDの壁が崩壊したあとに来るもの

読売新聞の記事より。

【レコード大手のソニー・ミュージックエンタテインメント(SMEJ)は30日、音楽をパソコンで複製できないように「コピーコントロール」処理をしたCD(コンパクトディスク)の発売をやめ、11月17日発売の商品から通常のCDに切り替えると発表した。

 SMEJは、違法な複製ビジネスを防ぐ目的で、2003年1月からCDにコピーコントロール処理をしてきた。処理したCDは一般的にMD(ミニディスク)やカセットテープへのコピーは可能だが、ハードディスク(HD)や別のCDへの書き込みができず、一般利用者の不評が高まっていた。

 SMEJは「著作権保護に対する認識が高まり、成果を得たため」と説明するが、HD搭載型の携帯音楽プレーヤー「iPod」の急激な普及で、音楽をHDに取り込む楽しみ方が広がったことが影響したとも見られる。

 日本レコード協会によると、現在、新作CDの約10%がコピーコントロールCDという。同業のエイベックスも9月から通常のCDへの切り替えを始めている。】

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 エイベックスに続いてソニーも、ということですから、どうやら、悪名高きコピーコントロールCD(以下CCCD)も、ようやく見直される時期が来たようです。
 僕は現在、パソコンに向かって仕事をしていることが多く、気分転換にヘッドフォンをして音楽を聴くこともあるのです。そういう場合に、「パソコンでは再生できないCCCD」に苛立ちを覚えたことは、一度や二度ではありません。
 「どうしてちゃんとお金を出して買った自分のCDなのに、自分のパソコンで聴けないんだ!」って、やっぱり思いますよね。
 このCCCDの理不尽さに、立ち上がったアーティストや音楽関係者たちの努力とユーザーからの非難もあったのでしょうが、実際のところはこの記事にあるように、「CCCDにしても、期待していたほど売り上げは伸びず、コストを考えると『iPod』などの携帯型HDD音楽プレイヤーで聴けないということで買い控えられるデメリットのほうが大きいとメーカーが判断したから」なのだと思います。
 最近は音楽不況の傾向はずっと続いていて、CCCDは結局のところ、その「救世主」どころか「憎まれっ子」になってしまったわけですが、とりあえず「自分で買ったCDが、より多彩な環境で楽しめる」ようになったのは、歓迎すべきことですよね。
 とはいえ、考えようによっては、これは「試金石」なのかもしれません。
 「CCCD廃止だ、勝った!」と僕などはつい考えてしまうのですが、その一方で、CCCDが無くなって、通常版CDになったとたんにコピーが横行し、「いままでのCDの売り上げ減少の幅は、CCCDのおかげでこの程度ですんでいたのか…」と痛感するようなことが起こったらどうでしょうか?
 今度は、メーカー側もさらに必死になってコピーガード技術を開発してくるに違いありません。それでもおそらく「コピーする人はする」のですが、結果的にプロテクトのためのコストを負担するのは「ちゃんとCDを買っているユーザー」からになるわけです。
 そうなってしまったら、コピーばかりが安く出回って、儲からなくなってしまったためにオリジナルが出なくなり、市場が大幅に縮小(あるいは消滅に近かったかも)しまった昔のパソコンゲームのような悲劇を生まないとも限りません。
 たぶん、CCCDに反対してきた人たち(僕も含めて)にとっては、これからが本当の勝負どころで、「CCCDにしなくても、ユーザーは聴きたいアーティストのCDをちゃんと買う」という姿勢をメーカーにアピールしていかなくてはならないと思うのです。
 「CCCD廃止」というのは、確かに「大きな一歩」なのですが、でも、これで終わりではないのです。メーカーが「やっぱりCCCDのほうが売れるな」と判断すれば、CCCDを再導入することは、技術的にはたやすいことでしょう。

 「まだ道の途中」であるのもかかわらず、それを「ゴール」とカンチガイしてしまったために生まれる悲劇というのは、けっして少なくありません。
 「人々を型にはめる共産主義が崩壊」し、市場経済を導入したあとに、市場に品物がなくなって人々は食べるものにも困り、「共産主義時代のほうがよかった…」なんて愚痴が聞こえてくる国があったり、「独裁者を排除して自由が勝利」したあとに、いつ果てるともない戦闘状態が続いている国とかも世界にはあるわけですから。
  
 まだまだ、CCCDは死んでしまったわけじゃない。
 「勝利」を宣言するのは、まだまだ時期尚早というものです。




2004年09月29日(水)
嫌いなヤツを許すための「対処法」

「変?」(中村うさぎ著・角川文庫)より。

(作家・原田宗典さんとの対談の一部です)

【中村:依存症の人って、自分を責めるじゃない。原田くんも、鬱状態になると自分を責めるの?

原田:それは確かにある。この前、高校の友人に「原田さぁ、お前四人おったら四人に好かれようと思っとらんか。四人おったらふたりは好き、ふたりは嫌いやで」と言われて、あっと思ったんだよ。俺ってそういうところがあるからさ。

中村:そうそう。昔から原田くんて、愛されたがりだよね。

原田:そうなんだよ。四人いたら四人に好かれたい。三人しか振り向いてくれないと拗ねちゃうんだよ。だから、ふたりでいいじゃないかと言われた時は、ホッとした。

中村:その愛されたがりが、鬱に関係あるのかな。

原田:そうかもしれない。

中村:じゃあ、自分が嫌いな人にもサービスしちゃうの?私はさ、嫌いなヤツに会うと好戦的になっちゃうんだよ。「ちょっと、あんたさー」って感じに。

原田:そのほうが、病気だよー。

中村:そうかなぁ。

原田:じゃ、お前に教えてやるよ、嫌いなヤツの対処法。以前、鷺沢萠さんに聞いたんだけど、友達を介してある人と三人で会ったんだって。そしたら、そいつが嫌なヤツで、もう途中で頭にきたんだけど、友達の友達だから何も言えないじゃん。それで、そいつが帰った後に「ホント、嫌なヤツね」と怒ったら、その友達がちょっと霊能力とかあって前世とか見える人でさ、「ごめんなさいね。あの人、人間やるの初めてなのよ。だから許してやって」と言うんだって。

中村:ハハハハ。ひでぇ〜!

原田:それまでずっと虫とか動物で、人間をやるのは今回が初めて。

中村:だから人間の常識がわからないんだ。そりゃ仕方ない、と。

原田:そう考えると、嫌なヤツも許せるだろ。】

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 ユーモアにあふれたエッセイを書いている原田さんは、近年躁鬱病に悩まされており、病気についての書かれた著書もあるのです。
 この対談を読んでいて、僕には原田さんが言われている「四人いたら四人に好かれたい」という気持ち、なんとなくわかるような気がしました。僕も「愛されたがり」なのだろうか。
 客観的にみれば「四人のうち半分の二人に好かれたら十分」です。いや、四人のうち一人でも、悪くはないかもしれない。「好かれる」というのは、それだけ難しいことだと思うから。
 でも、原田さんも僕も、そんなことは「理屈ではわかっている」んですよね。それでも、「自分を好きでいてくれる二人」よりも「自分を嫌っている二人」のほうに、つい意識がいってしまうのです。
 どうして、この二人の人は、僕のことを好きになってくれないのだろう?とその理由を考えて思い悩んでしまいます。
 
 全く同じ状況でも、「半分の人に好かれているからいいや」と、自分を好んでくれる人のほうを向いて、自分を嫌う人のことは意識の外に置いてしまうことができれば、だいぶラクになるというのは、「わかりきったこと」なんですけどねえ。
 わかりきっているのに、そういう「発想法」みたいなものって、テレビのスイッチを切り替えるようにすぐに変えられるものではなくて、そしてまた「そんなことにくよくよしてしまう自分」に落ちこんでみたり。
 「愛されたい」というよりは、「嫌われたくない」という感情に近い気もします。

 それにしても、この「嫌いなヤツの対処法」というのは強烈です。「人間じゃなかったんだから、しょうがないよな」というのは、ものすごく相手をバカにしているような、あきらめてしまっているような。
 とはいえ、考えてみれば、「嫌いなら、わざわざそんな相手に対処しようとせずに、『無視』するか『嫌なヤツ』ということでスポイルしてしまえばいいんじゃないのかな?」という気もするのです。わざわざ「許そう」としなくても。
 そういうときに「お前が100%悪い!」と決めつけることができない「優しさ」とか「自信の無さ」が、こういう「対処法」に反映されているのかもしれませんね。
 
 鷺沢萠さんも、豪快な人間を演じながら、「愛されたがり」の自分を持て余していたのだろうか……



2004年09月28日(火)
『サザエさん』は愉快じゃない!

「知識人99人の死に方」(荒俣宏監修・角川文庫)より。

(「サザエさん」の作者、漫画家・長谷川町子さんのエピソードの中から)

【長谷川は佐賀県生まれの福岡育ち。父親の死後、一家で上京し、山脇高等女学校に通いながら、『のらくろ』で有名な田河水泡の弟子となる。『サザエさん』をはじめ、『いじわるばあさん』『エプロンおばさん』など、一貫して庶民の生活に根ざした笑いを描き続けた。しかし、その産みの苦しみは想像を絶するものだったらしい。
 昭和57年、紫綬褒章を受章した際のインタビューで、「新作はいつか?」との問いに対して、きっぱりと「もう描くつもりはない」と答えている。
 「ファンの方から描けという手紙をいただくし、よくわかるんですが。私は、やっぱり健康でいたいし、自分で生命を縮めるようなことはしたくないですし……」(サンデー毎日S57・11・21)
 それでもエッセイふうのマンがなどはときおり発表することもあり、昭和62年3月22日、朝日新聞に掲載された『サザエさん旅あるき』が最後の作品となった。】

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 長谷川町子さんが心不全で亡くなられたのは平成4年、彼女が72歳のときのことですから、最後の作品は、亡くなられる5年前くらいに発表された、ということになります。「アンパンマン」の作者・やなせたかしさんなどは80代半ばでもまだまだお元気ですし、漫画家には比較的高齢まで活躍される方が多く、作風からは「無頼派」には見えない長谷川さんが、なくなられる5年前に実質的に「引退」されていたのは、ちょっと意外な気もします。もちろん、どこか体を壊されていた可能性もあるのですが。

 僕がこの長谷川さんのインタビューを読んで感じたことは、表現者にとって、作品の内容というのは、作家の心理状態と必ずしもシンクロしているものではないのだなあ、ということでした。
 「サザエさん」は、印象としては平和かつ軽いタッチの作品で、「思いついたことをサラサラと描いている」ような感じだったのに、ここまで作者が「命を削って」描いているなんて、想像もしていませんでした。
 「サザエさん」という作品自体は、アニメより漫画版のほうが「毒がある」のは事実とはいえ、世間には、もっと文字通り「命を削って描かれたような私小説」がゴロゴロしています。しかしながら、作中で「死」とかについて深刻に語っているような小説家の大部分よりも、「軽い庶民派の笑い」を描き続けてきたはずの長谷川さんのほうが、より自分の作品に対して真摯に取り組んでいたというのは、なんだか「表現者の根源的な矛盾」のわかりやすい一例のようで興味深いのです。
 きっと、「サザエさんらしい世界観」を守りつつ、マンネリになりすぎないように描き続けていくということは、非常に辛いことだったんでしょうね。
 「ドーランの 下に涙の 喜劇人」(ポール牧)
 こんな言葉をつい思い出してしまいもするのです。

 「深刻そうなことを言っている人間だけが、真剣に生きているわけではなくて、むしろバカみたいなことばかり言っているような人のほうが、「深刻さを超えて」いたりするんですよね、きっと。
 
 ♪サザエさん サザエさん サザエさんはゆかいだな〜

 というテーマを聴きながら、長谷川さんはひとり、「私以外の人にとってはね…」と、心の中で呟いていたのだろうか?
 



2004年09月27日(月)
和田と宅間と「その他の人々」

共同通信の記事より。

【イベント企画サークル「スーパーフリー」(解散)のメンバーによる女子大生集団暴行事件で、3件の準強姦(ごうかん)罪に問われた元代表で早稲田大生だった和田真一郎被告(30)の公判が27日、東京地裁(中谷雄二郎裁判長)であり、弁護側が最終弁論で「被告は人からの信頼も厚く、更生できる」などと寛大な刑を求め、結審した。判決は11月2日に言い渡される。
 和田被告は最終意見陳述で「人として恐ろしいことをやってしまった。真人間に生まれ変わって被害者のために罪を償いたい」と謝罪した。
 最終弁論で弁護側も「今回の事件の各被害者におわびしたい。陳謝してもしきれない。社会にも大きな影響を与えた」と述べた。
 検察側は、一連の事件で起訴された14被告の中で最も重い懲役15年を求刑している。】

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 あれだけのことをして、たったの懲役15年なのか…と慄然とぜざるをえないのですが、その一方で、この和田被告という人に対して、僕はなんだか不思議な感情を抱きもするのです。どうしてこの男は、あんなことをやったのだろう?って。
 この人は、たぶん今でも、「自分が悪いことをやった」という罪の意識はないのではないか、という気がするのです。もちろん「反省の弁」を彼は法廷で述べていますが、それは、「怒られたから謝る」という子供じみた条件反射みたいなもので、「被害者におわびしたい」というのは、おまけみたいなものではないでしょうか。

 和田被告という人は、人も羨むような名門大学に入って、人気サークルを作り上げ、「学生」という身分を利用してこのサークルを運営し、何千万円もの年収を得ていたそうです。端からみれば、「何が不満なんだ?」といような御身分であったわけなのに、結局、自分で作った「スーパーフリー」という自分の世界のルールに自分で酔ってしまったということなのでしょう。
 でも、同じようにすべてがうまくいっていたら、僕だって和田真一郎になっていたかもしれないな、とも思うんですよね。「早稲田なんていい大学に行っておきながら」というような批判の声を聞くたびに、真面目にやっている早稲田の学生たちもかわいそうだな、と思ったし。
 もちろん、彼の「活動」のためには、有名大学の名前は効果絶大だったでしょうから、そういう肩書きだけを妄信することのバカバカしさも、まざままざと見せ付けられたわけですが。

 和田被告と先日死刑が執行された宅間死刑囚、この2人について考えてみると、2人とも反社会的行為を行った人間でありますが、それまでの半生は、「何をやってもうまくいかず、暴発してしまった宅間」と「すべてがうまくいっていたはずなのに、うまくいきすぎて自分を見失ってしまった和田」というコントラストを描いています。
 率直に言うと、「宅間がやったことは絶対に許されないし、彼が死刑になるのは当然だけれど、彼の半生を辿ると、その『動機』は理解できる」のに比べて、「和田被告は単なるバカ」という感じしかしないのです。
 もちろん、あれだけの人を集めたのには、ある種の「才能」もあったのでしょうが、それが、彼の「カンチガイ」の元凶になってしまったのだから、どうしようもありません。

 なんだか、うまく説明できないのだけれど、「スーパーフリー」というのは、「オウム真理教」と同じで、幹部たちにとっては「ゲーム」みたいなものだったと思うのです。そして、プレイヤーたちは、「いざとなったら、リセットボタンを押せばいいや」と思い込んでしまって、滅茶苦茶なことをやり続けてしまったような。彼らは、宅間のように切実に何かに追い詰められていたわけではなかったはずなのに。
 それでも、現実にはリセットボタンなんてないし、傷つけられた人々の心が完全に癒える日が来るかどうかは、誰にもわからないのです。
 彼らが刑務所から出ることはあっても、「恵まれていたくせに酷いことをした」彼らを社会は温かく迎えてはくれないでしょう。
 それは、当然のこと。

 「さあ、ゲームのはじまりです」
 あの神戸の事件で、酒鬼薔薇聖斗は、そんな言葉を吐きました。 
 でもね、このゲームはセーブもできないし、リセットボタンも無いんだよ(厳密には、リセットできないことはないけれど、セーブしたところからやり直しはできない、永遠のゲームオーバーになってしまいます)。

 和田被告の姿は、「どこにでもいる、カンチガイしたエリート崩れ」ともいうべきもので、僕はああいうタイプの人を何人も知っています。
 本当は、スーツとか着て、理不尽な上司やお客さんにも頭を下げて、夜遅くまで残業する「普通の人生」のほうが、よっぽど大変なのにね。
 
 悪いことと知りながら、「死刑になるために」悪いことをした男。
 悪いことの感覚そのものがマヒしてしまい、「このくらいはいいだろ」とカンチガイしてしまった男。
 そして、自分が宅間でも和田でもない「普通の人間」であることに、胸をなでおろす人々。

 ただ、僕は正直、同じ立場になったら、ああいうことを自分もやってしまうのではないか、という不安に駆られることもあるのです。人生あまりにうまくいかなければヤケになってしまうかもしれないし、ああいうサークルの主催者で女の子がどんどん寄ってくれば、よからぬ性欲を抱くかもしれない。「普通」なんて、ものすごく曖昧な領域でしかないから。

 もしそうなったら、僕を容赦なく死刑にしてもらいたい。それだけは今のうちに言っておかなくては。



2004年09月26日(日)
犬を飼うときの、たった一つの約束

「泣く大人」(江國香織著・角川文庫)より。

【思いだすことがある。
 十二歳のときのことだ。うちで子犬を飼うことになった。犬が欲しいかと訊かれて欲しいとこたえると、父が私に、じゃあ一つだけ約束してくれと言った。一般的に、親は子供に、そういうとき、毎日散歩に連れていくように、とか、食事やトイレの世話をおこたらないように、とか、生き物を飼う上での責任を学ばせようとするものであるらしいことは、小説やテレビドラマで読んで(見て)知っていたのだが、あのとき父は別なことを言った。
一人ぼっちの淋しい女みたいに犬を溺愛するんじゃない。犬はいずれ死ぬ。そのとき、孤独なヒステリー女みたいに泣いたり騒いだりしないでくれ。父はそう言った。
 九年後にその犬が死んだとき、私は約束を覚えていたので父の前では泣かなかった。
 でも、と、いまになって私は気づかざるを得ない。十二歳のあのときもいまも、私は一人ぼっちではないが淋しい女ではあるし、孤独なヒステリー女でもあるのだ。そのことを、父がほんとうに知らずにいてくれたのだったらいいなと思う。】

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 「どうして江國さんのお父さんは、まだ十二歳の自分の娘にこんな『約束』をさせたのだろう?」
 この文章を読んで、僕はしばらくのあいだ、その理由を考えていました。
 どちらかというと、お父さんの立場で。

 「死ぬとかわいそうだから、生き物を飼わない」という話を耳にすることが、よくあります。僕も実家に犬がいたし、その犬が亡くなったときには、「飼わなければ、こんな悲しい思いをしなくてもよかったのに」とも思いました。
 とはいえ、一度動物を飼う喜びを知ってしまうと、「死んでしまうと辛い」という「未来への不安」よりも、「現在の幸福感」をとってしまうんですよね。

 「家で生き物を飼う」ときに、親が子供に望むことは何でしょうか?
 「責任」を身につけることなのかもしれないし、「愛情」を感じることなのかもしれません。あるいは、自分が家にいられないことの「罪滅ぼし」なのかもしれない。
 でも、人間よりおそらく早く「死」を迎えるであろう動物を家族の一員にする理由のひとつとして、それを積極的に望む人はいなくても、「愛するものとの別れの予行演習」という要素もあるのでしょう。

 ただ、そこで「娘が泣かないことを自分は望むのだろうか?」と僕は考え込んでしまいます。「そういう強い人になってもらいたい」という気持ちがあるのと同時に、「そういうときに泣けるような優しい人になってもらいたい」とも思うのではないかなあ、と。
 それは、両立しない二つの「理想像」で。
 
 もしかしたら、お父さんは、まだ十二歳の自分の娘が「優しすぎて、淋しがりや」であることに不安を抱いていたのかもしれません。だから、あえてそんな「試練」を娘に与えてみたのだろうか、なんて想像してもみるのです。

 まあ、実際は当の本人は九年前娘に言ったことなんて忘れて、「あんなに可愛がっていたのに、香織は泣かないなあ」とか考えていたり、自分のほうが泣き崩れていたりするものかもしれないのですが。



2004年09月25日(土)
「永遠」という言葉の魔力を超えて。

「永遠の出口」(森絵都著・集英社)より。

【私は、<永遠>という響きにめっぽう弱い子供だった。
 たとえば、ある休日。家族四人でくりだしたデパートで、母に手を引かれた私がおもちゃ売場に釘づけになっている隙に、父と姉が二人で家具売場ををぶらついていたとする。
「あーあ、紀ちゃん、かわいそう」
 と、そんなとき、姉は得意そうに顎を突きあげて言うのだ。
「紀ちゃんがいない間にあたしたち、すっごく素敵なランプを見たのに。かわいいお人形がついてるフランス製のランプ。店員さんが奥から出してきてくれたんだけど、紀ちゃんはあれ、もう永遠に見ることがないんだね。あんなに素敵なのに、一生、見れないんだ」
 永遠にー。
 この一言をきくなり、私は息苦しいほどの焦りに駆られて、そのランプはどこだ、店員はどこだ、と父にすがりついた。おもちゃに夢中だった紀子が悪いと言われても、見るまでは帰らないと半泣きになって訴えた。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕も「永遠」という言葉にめっぽう弱い子供でした。
 僕の場合は、「永遠至上主義」みたいなものでしたけど。
 例えば、ある2つの国が戦争をしていたのに、とりあえず停戦が決まったとします。「でも結局それって『永遠の平和』じゃないんだから、意味ないよね」というような、そんな子供。
 あるいは、「永遠でない恋愛など、ニセモノだ」と固く信じている、そんな子供。
 いや、そういうものの考え方って、「子供の頃」に限定されず、大学時代くらいまでは抜けていなかったような気がします。
 大学を卒業したときに、遠く離れた誰も知り合いがいない土地に、恋人を追いかけていった女の子がいました。
 僕は彼女のその決断に尊敬の念を抱き、「うまく言ってほしいな」と思っていたのですが、それから何年かして彼女から届いた年賀状には、彼女が「すべてを捨てて追いかけた男」とは全く別の人が、ウエディングドレス姿の彼女の隣に写っていたのです。
 「せっかく追いかけていったのに、人間の愛情なんて『永遠』ではないんだな」と、当時まだ20代の半ばくらいだった僕は、軽い失望を感じたものです。
 今の少しだけオトナになった僕からみると、きっと「追いかけていったときの彼女は、それだけ相手の男のことが好きだったんだな」と思いますし、その後の「心変わり」というのは、「そういう結果でも、追いかけていった瞬間の気持ちはウソではなかったのだろうし、それだけ誰かを好きになったというのは、けっしてマイナスではない」と考えるのですが。
 そう、後からみれば「一時の感情」でも、そのときは「そうせずにはいられなかった」という「必然的な行動」だったということは少なくないし、それを結果だけで「ムダ」だと判断することにもできないでしょう。
 「永遠」じゃなくても、「正しいこと」「仕方がないこと」は、たくさんあるのです。

 「永遠の平和」とか「永遠の繁栄」とか「永遠の愛情」とか、そういうのはある種の「幻影」なんだろうな、と今の僕は思います。
 「永遠の愛」というのは存在しなくって、添い遂げたカップルだって、「愛情の寿命」に至る前に、生物学的な寿命が来てしまっただけなのではないかな、とか。
 ただ、それは悪い意味ではなくて、「『永遠』なんて気が遠くなりそうな幻想に縛られて「オール・オア・ナッシング」になってしまうより、一時的なものかもしれないけれど、とりあえず「今日1日の愛情や平和」を1日1日積み重ねていくことのほうが大事なのではないか、という実感なのです。
 
 そもそも、人間に「死」があるかぎり「永遠」というのは、現実にはありえないからこそ、こんなに魅力的なのかもしれません。僕にとっては子供の頃の「永遠病」は、生きていく上で必要な時期だったのではないかな、とも思っているんですけどね。
 「永遠」がないからこそ、向上心や謙虚さや優しさが人間にはあるのかもしれないし。



2004年09月24日(金)
「事前に言ってくれてもいいじゃないか。知らない仲でもないんだし」

Asahi.comの記事より。

【プロ野球への新規参入を申請しているライブドアの堀江貴文社長は24日夜、ロンドンから帰国した足で宮城県庁に駆けつけ、仙台市の県営宮城球場を新球団の本拠にしたいという熱意を浅野史郎知事に改めて伝えた。浅野知事はこの日午前、仙台市をめぐってライブドアと争う形になった楽天の三木谷浩史社長と同じ県庁で会ったばかり。2社のうちどちらか一方を優先する扱いはせず、あくまで中立的な立場をとる意向を堀江社長に伝えたとみられる。

 会談で浅野知事は楽天が参入した経緯について堀江社長に説明した。会談後の記者会見では堀江社長が「なぜ参入を楽天と争わないといけないのか」と語り、浅野知事はその間、渋い表情だった。

 堀江社長は宮城県への申し入れが楽天よりも早かったことを有利な面としてこれまで強調してきた。ライブドアと同様に楽天も仙台市を本拠に新規参入をめざすことについて、堀江社長は県庁に向かう途中の成田空港やJR東京駅で「(ロンドンに)電話がかかってきて知った」「困惑している」「新規参入が増えるのはいいことだが、同じ仙台市ではけんかを売っているように端からは見える。事前に言ってくれてもいいじゃないか。知らない仲でもないんだし」などと語った。

 今月9日に東京都内で浅野知事に会った際は、こうした楽天の動きについて話題は出なかったという。

 一方、堀江―浅野会談に先立つ24日午前、その浅野知事に対し、宮城球場を本拠として申請することを正式に伝えた三木谷社長は、築50年を超える同球場の改修費として30億円を支出する用意があることを明らかにした。併せて長野市に準本拠を置くとする構想は白紙に戻す方針を示し、「長野が準本拠とは一度もいっていない。岩手や秋田などからもラブコールが思った以上にあり、考え直して東北優先でやりたい」と話したという。】

〜〜〜〜〜〜〜

 確かに「同じ仙台ではケンカを売っている」ように端からは見えますね。話の順序としては、ライブドアよりも資本力がある「楽天」が、あとから乗り込んできて、「球場の改修費の一部支出」などの好条件を提示してきたのですから、ライブドアとしてはたまったものではないでしょう。
 宮城県知事としても、心情的には先に手を挙げたライブドアなのかもしれませんが、正直なところ困惑しているのでは。
 ライブドアも楽天も「東北にプロ野球チームを!」という積極的なモチベーションがあったというよりは、「今、プロ野球チームのフランチャイズにするとしたら、どこがいちばん良いか?」と考えた場合、球場の老朽化などの諸問題はあるものの、仙台がいちばんベストだろう、という「消去法」によってここを選んだわけですから。
 それでも「中立的な扱いをする」とはいっても、まさか仙台に2つの球団が同時に本拠地を置くわけにもいかないでしょうから(もしそうなったら、それはそれで見ものだとは思うんですが)、結局はどちらかひとつ、ということになりそうですけど。

 しかし、堀江社長の「事前に言ってくれてもいいじゃないか。知らない仲でもないんだし」という発言は、たぶん本音なのでしょうが、考えてみると「事前に言ってどうなるものでもないだろうな」という気もします。
 もし仮に三木谷社長が堀江社長に、「うちも仙台にしたいんだけど、どう思う?」なんて相談しても、これは何十億円というお金のかかった「事業」ですから「ああいいよ」っていうわけにもいかないでしょうし、反対されるに決まっています。とはいえ、三木谷社長のほうだって、いくら堀江社長に面識があるからといっても、直接話したからといって「本拠地仙台」という「楽天」の会社としての決定事項を簡単に変えられるわけもありません。
 そういう意味では、「事前に言えなかった」のは、当然のような気はします。まあ、端からみれば、楽天の割り込み、という印象はぬぐえないものがありますし、そのイメージを増幅するつもりでこの言葉が出たのなら、堀江社長も役者ですけどねえ。

 やっぱり世の中「根回し」というのは大事で、「事前に自分に一言もなかった」というだけの理由で反対派にまわってしまうような人だっているわけですが、それでも、「水臭い、なんでオレに先に言ってくれなかったんだ」と後から言う人の多くは、「言ったって、どうしようもなかった人」あるいは「言わないほうが良かった人」なんですよね。
 水臭くなるには、それなりの理由があるのです。
 こういう場合に、「礼儀」と「実務」のどちらを優先するかというのは、非常に難しい問題なのですが、企業のトップとしては、「言えない」だろうなあ、とは思います。
 
 しかし、ライブドアにとって最高の結末は、「野球界を改革しようとして大企業に潰された良心的な先見の明を持つ企業」として、名前は売れて赤字球団を所有しなくて済む、というものではないでしょうか。
 だとしたら、まさに今の状況は「シナリオ通り」なのかも。



2004年09月23日(木)
「スチュワーデス物語」の復活と「乳姉妹」?

スポーツ報知の記事より。

【「スチュワーデス物語」「不良少女とよばれて」など1980年代にお茶の間を沸かせた人気ドラマがDVDで“復活”する。大映テレビドラマシリーズ9作品がDVD発売されることになり、22日、東京・六本木のヴェルファーレで会見が行われた。伊藤かずえ(37)、松村雄基(40)、いとうまい子(40)、杉浦幸(35)が出席し、撮影当時の苦労、思い出話に花が咲いた。

 派手な効果音、とっぴな物語設定、しつこいアクション。四半世紀の時を越えて懐かしのドラマがよみがえる。発売されるのは「スチュワーデス物語」など9作品でいずれも高視聴率を記録し社会現象にもなったドラマだ。

 当時のプロデューサー・春日千春さんは「『不良少女とよばれて』は再放送でも視聴率27%だった。でも『教育上よくない』と抗議を受けて終わった。まさかもう一度見られるとは…」と“幻の作品”の復活に喜んだ。

 会見に出席した出演者も感慨深げ。伊藤が「大映作品に参加させていただかなければ、今の私はなかった。ありがたいけれど、20年前の映像が見られるのは複雑」と笑うと松村も「10代から20代の前半まで、(共演者とは)家族より長い時間をすごしたからね」。

 また、いとう(当時は伊藤麻衣子)は「『不良少女―』にどうしても出演したくてプロデューサーの自宅に電話して『やらせてください』と訴えたら『タヌキ顔にはできない』って言われて…」と当時のエピソードを披露。伊藤が「流石(さすが)」というせりふを読めず「りゅうせき」と読んでしまい、松村から四字熟語を教えてもらったこともあり「青春、撮影所が学校でした」と振り返った。

 現在、ブームとなっている韓国ドラマにも影響を与えたといわれる大映ドラマ。「ヤヌスの鏡」主演の杉浦も「今のドラマの原点」と言い切る。いとうは「続編? 大映(作品)はきついので、若くないとできないですけれど、話が来たらやります」と続編に乗り気?だった。

◆発売作品と発売日

▼「スチュワーデス物語」
▼「花嫁衣裳は誰が着る」(11月17日発売)
▼「不良少女とよばれて」
▼「アリエスの乙女たち」(12月15日発売)
▼「乳姉妹」
▼「ヤヌスの鏡」
▼「少女に何が起ったか」(05年1月1日発売)
▼「ポニーテールはふり向かない」
▼「スタア誕生」(2月2日発売)】

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 ああ、懐かしいです大映ドラマ。
 とくに「スチュワーデス物語」なんて、当時は凄い大ヒットで、堀ちえみさんの「ドジでのろまなカメです!」とか「ヒロシ…」と呟きながら手袋を外す片平なぎささんなどは、当時小学生だった僕たちの間では、大流行だったのです。
 もちろん、内容に真剣に感情移入していたわけではなくて、「ネタとして」楽しんでいたわけですけど。
 今から考えたら、「スチュワーデス」が女性の憧れの職業になったのは、このドラマの影響がけっこう大きかったような気もします。
 いや、このドラマを観て、なぜ「スチュワーデスになりたい!」と思う人が増えたのかは、正直よくわからないのですが。

 上に挙げてある作品のなかで、僕の記憶に残っているのは「スチュワーデス」と「不良少女と呼ばれて」「アリエスの乙女たち」「ヤヌスの鏡」くらいなのですが、考えてみると、これらの「大映作品」に出演した人たちというのは、結局、これ以上の「代表作」に恵まれなかった人がほとんどのような印象もあります。
 伊藤かずえさんとか松村雄基さんなど、実際の本人のキャラクターとは無関係に、僕の中ではずっと「不良」だものなあ。
 堀さんは「ドジでのろまなカメ」で、風間さんは「教官」。
 ひょっとしたら、あのあまりに「濃すぎるドラマ」というのは、「役者のイメージを固定してしまう」という意味では、「役者泣かせ」だったのかもしれませんね。
 
 それにしても、当時は「ヤラセだ」とか「リアリティがない」「わざとらしい」とか文句ばかり言いながら大映ドラマを観ていた僕たちが、逆に今は上戸さんの「エースをねらえ!」とかを「あの過剰さが懐かしい!」なんて言いながらネタとして楽しんでいるのですから、時代というのは変わっていくものです。

 ところで、この作品リストを見ていて「乳姉妹」というタイトルに、一瞬「叶姉妹?」と絶句してしまったのですが、ようやく今思い出しました。
 これって確か、「ちきょうだい」って読むのです。
 そういえば、当時も「なんてタイトルなんだこれは…」と唖然とした記憶が蘇ってきました。
 内容は、全然そんなのじゃなかったんですけどね。



2004年09月22日(水)
インターネットは、「薔薇族」の夢を見るか?

asahi.comの記事より。

【同性愛専門誌の草分け的存在として、33年間続いてきた月刊誌「薔薇(ばら)族」が今月発売中の382号を最後に廃刊されることが決まった。伊藤文学編集長(72)は「不況で広告収入が激減し、これ以上の経営は困難と判断した」と話している。

 薔薇族は71年7月の創刊。「男同士の愛の場所は薔薇の木の下だった」というギリシャ神話から引用した。

 純文学関係の本を発行していた東京の出版社が経営母体となり、創刊時は1万部。当初は隔月発行だった。読者には大学教授や法曹関係者などもおり、作家の故寺山修司も寄稿していた。

 文通欄が人気だった。家族にも友人にも言えない悩みを取り上げるコーナーには月1000通以上の投稿があった。同性愛への差別やエイズなど社会問題にも取り組んだ。

 大手出版会社の流通ルートに乗せ、全国の書店に並ぶようになった80年代後半には毎月、約3万部を発行し、ほとんどを完売した。「タブーへの挑戦」を掲げ、発禁処分も4回あったという。

 だがここ数年、部数は低迷。現在は約3000。同様の専門誌が次々と刊行されただけでなく、インターネットが普及したことも響いたという。】

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 3000部、というのは、確かに商業詩としては厳しかっただろうなあ、と思います。編集長も72歳の御高齢の方ですし、「歴史的役割を終えた」というところなのかもしれませんね。
 僕は同性愛嗜好ではないので、この「薔薇族」という雑誌を読んだことはないのですが、「薔薇族」とか「さぶ」とかの「男性同性愛雑誌」というのは、失礼ながら「ネタとして」ラジオの深夜放送とかで取り上げられることも多くて、僕も雑誌の名前は知っていました。実際はどんな内容なのか純粋な興味はあったのですが(フンドシ姿の男が絡み合っているような写真が満載、なんていうのは、ある種の「好奇心」を刺激されますしね)、実際は大きな書店で何度か表紙を眺めたことがある程度だったのです。手にとる勇気は出なかったなあ。

 それにしても、この記事を読んでいて思ったのは、インターネットの普及というのは、今まで「アンダーグラウンド」に属していたものの「敷居」をどんどん低くしているのだろうな、ということでした。
 どう考えても「薔薇族」の文通欄に投稿するよりも、ネット上の同好の士の掲示板に書き込むほうが気軽だろうし、効率よく「出会う」こともできるでしょうし。まだまだ同性愛者に対する心理的な差別意識はあるでしょうから、「家族や友人にも言えない悩み」というのは共通なのでしょうが、それでも「薔薇族」の投稿欄に投書していた時代に比べたら、その「孤独感」というのは、かなり軽減されているのではないでしょうか。
 「ネット」というのは、「少数派」をダイレクトに結びつけるという意味では、まさに「革命的なツール」に違いありません。
 ただ、幼児ポルノとか反社会的宗教団体のような「困ったアンダーグラウンド」な人々にとっても、インターネットというのは格好のツールである、というのも否定できない事実ではあるのです。
 他人に迷惑をかけない限りは、趣味というのは個人の自由ではありますが、あまりに「反社会的なアンダーグラウンド嗜好」に対して寛容な社会というのは怖いなあ、とも思います。




2004年09月21日(火)
それは、まぎれもなく「凶器」なのに。

読売新聞の記事より。

【乗用車とカーチェイスをした末、タクシー運転手(当時60歳)ら2人を死傷させたとして、危険運転致死傷罪に問われたタンクローリー運転手の平井悦夫被告(54)に対し、最高裁第1小法廷(島田仁郎裁判長)は、上告を棄却する決定をした。

 決定は17日付。懲役6年とした1、2審判決が確定する。カーチェイス行為に危険運転致死傷罪が適用され、有罪判決が確定するのは異例。

 1、2審判決によると、平井被告は2002年5月29日午前4時ごろ、東京・神田の都道で、乗用車に追い越されたことに腹を立て、同車と時速90キロ近くであおり合った末、衝突のはずみで反対車線に飛び出して、対向してきたトラックと正面衝突。トラックは横転し、道路脇に客待ちで立っていたタクシー運転手の男性をはねて死亡させた。トラック運転手も2週間のけがを負った。】

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 まあ、これでも懲役6年でしかないわけで、亡くなった方や遺族はいたたまれないだろうなあ、と僕は思うのです。
 僕の経験上、世の中には「車を運転していると人格が変わる」という人は、けっして少なくないので、この「カーチェイス運転手」が、普段どんな人かはわからないし、そもそも、カーチェイスの相手をした乗用車の運転手には責任はないのか?とも考えてしまうのですが。
 しかしながら、僕も運転していて、トラックとかの大型車のマナーの悪い運転手の多さには、本当に辟易することが多いのです。彼らも仕事はキツイのだろうし、時間制限などもあってイライラしているのでしょうが、だからといって、ああいう大きな車で煽ったり幅寄せされたりすると、被害者側には加害者側が意識している以上の心理的圧迫感があるものです。だいたい、大きな車のほうは、どうせ自分はぶつかっても死なないとか考えているのではないかなあ、とか。
 そういう「荒っぽい運転」を「男らしい」とか勘違いしているような風潮もありますしね。

 僕は先日事故にあったこともあって、どうも最近車の運転をすることが怖くて仕方がありません。
 「ボウリング・フォー・コロンバイン」という映画を観て、「銃が氾濫しているアメリカ社会」というものについて考えさせられたのですが、それなかで、アメリカで銃によって亡くなられた人の数は、年間1万1千人、という数字が挙げられていました(ちなみに、日本は39人だそうです)。
 日本での交通事故による年間の死傷者数は、平成15年度で7700人(ただし、これは事故後24時間以内に亡くなられた人の数で、それ以降に事故が原因で亡くなられた人の数は、もっと多くなります)。車というのは、ひとつ間違えば強力な「凶器」となりうるものですし、銃のように「悪意を持って使用」しなくても、自分や他人を傷つけてしまう可能性を十分に持っているのです。
 「自動車」というのは「銃」よりもはるかに大きな産業になってしまっているため、「車の危険性」についてメディアで大きく取り上げられる機会というのは、その危険性に比べたらはるかに少ないのですけど。
 確かに、車という移動手段は便利で、一度使い始めたら手放せないところがありますし、今の社会自体が「車があること」を前提に動いていますから、もはや、車ナシの時代には戻れない、というのが現実なのでしょう。
 車の事故には、正直言って「自分が運転していても、同じような事故を起こしていただろうなあ…」というような「不可抗力」と思われるものもけっこう多いのですが、それにしても「避けられる事故は避けたい」とは思うのです。 こういう「カーチェイス」とかは、まさにその冠たるもので。
 「名誉を傷つけられた」と思うのかもしれないけれど、人間にとって「命がけで自分の勇気を示す機会」なんていうのは、そんなくだらない状況以外に、もっともっとたくさんあるはずなのに。
 
 この「ちょっとカッとしてしまって、カーチェイスをしてしまった」というだけのことで、少なくとも被害者と運転手の2人の人生が大きく捻じ曲げられてしまいました。
 もちろん、運転していたらイライラすることだってありますが、「カーチェイスをする勇気」よりも「そんな自分のカッとする気持ちを抑える勇気」を持てなくては、車に乗る資格はありません。
 車の力を自分の力だと過信して乱暴な運転をする人は、銃を持っているおかげで気が大きくなる人間と同類なのだから。



2004年09月19日(日)
「孫の代まで残したい言葉」

共同通信の記事より。

【出版社「宣伝会議」(東京)が20日の敬老の日を前に、60−90歳の男女300人を対象に「孫の代まで残したい言葉」をアンケートしたところ「いただきます」がトップになった。
 2位は、季節感が豊かだった時代へのノスタルジーからか「暑さ寒さも彼岸まで」。3位の「覆水盆に返らず」では、「どんなことをしても簡単に解決すると思っている若者が多い」と意見を付けた人もいて、現代の若者に対する不満もにじんだ。
 「残したい昔からの教え」としては「親しき中にも礼儀あり」がトップ。「苦労は買ってでもしろ」が3位、「芸は身を助く」が4位と、若者に生き方をアドバイスするようなことわざが上位に入った。2位は「遠くの親せきより近くの他人」だった。】

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 このアンケート結果を読んで思うことは、大先輩たちは、今の若者たちは「親しさに甘えて、守るべき最低限の礼儀を知らず」「苦労知らずで」「近所づきあいが悪くて」「苦労して手に職をつけるということをしない」と考えているのだな、ということです。まあ、言われてみればその通り、としか言いようがないんですけど。
 こういう話を聞くたびに、「そういえば、古代の遺跡に残されていた文書にも『最近の若いものは…』なんて年寄りの言葉が刻まれていたらしいなあ」なんていう、「永遠の世代間の断絶」というのを考えてみたりもするのですが、僕も30代になって考えると、自分の親が口を酸っぱくして言っていたお説教というのは、やっぱりバカにはできないなあ、という気がしています。車の運転で「危ない!と思ったときは、ブレーキに頼らずに、まずハンドルでよけることを考えろ」とか、「財産は遺せないが、勉強だけはさせてやる」とか。そのほか、「わかりきった説教だな…」と無視してしまっていたつもりのことが、この年になって妙に思い出されてならないのです。
 こんなはずでは、なかったんだけどねえ。

 しかし、これらの言葉が時代を超えて活きつづけてきたのは、要するに、「人間というのは、何百年・何千年という期間では、根本的に変わりはしないものだ」ということなのかもしれません。
 「覆水盆に帰らず」というのは、古代中国の賢人・太公望呂尚が、貧乏生活が嫌になって自分の下を去っていたのに、出世したあとに復縁を求めてきた妻に答えた言葉に由来したものと言われていますし。
 
 僕の個人的な意見としては、「しなくていい苦労なら買ってまでする必要はない」、もしくは、「他人に『苦労しろ』なんていうのはお門違い」だし、「遠くても近くでも、他人でも身内でも、アテになるものはなるし、ならないものはならない」のですけどね。



2004年09月18日(土)
メジャーリーグの観客に学ぶべきこと

「いつもひとりで」(阿川佐和子著・文春文庫)より。

(阿川さんが、アメリカ・アトランタのフルトンスタジアムにベースボール観戦に行ったときのこと)

【ふと気がつくと、その少年たちが一様にグローブを持っている。最初は、自分のグローブにサインをしてもらうために持ってきたのだろうと思った。が、違うのだ。サインを求めない子供も、いや、大の大人までもがグローブを持って座っている。
 その理由は試合が始まってすぐにわかった。彼らは客席に流れてくるファウルボールやホームランボールをキャッチするために、グローブを持参してきていたのだ。むしろ、それが目的ではないかと思われるほど、ボールキャッチに燃えている。客席にボールが飛んでくると、そのボールの落下方向に向かって大きな人間ウエーブが起こる。日本ではボールから逃げようというウエーブが起こるのと正反対だ。
 そして観客の誰かが見事にボールを取ると、試合とは関係なく、その周辺で大拍手が起こる。取ったボールは返却不要。みんなお持ち帰りである。だから必死なのだろうが、その楽しそうな様子は、端で見学しているだけでウキウキしてくる。
 そんなわけだから観客にとって、当然、ネットは邪魔である。危険は自らが察知する。そのためにも試合展開を熱心に観戦する。常にボールがどこへ飛んでいるかを知ることは、試合をよりおもしろく見るためであり、また自分もその試合に参加するためであり、さらに、安全のためでもあるのだ。
 ときおりそよ風に乗って聞こえてくるピーナッツ売りやビール売り、綿菓子売りのかけ声が絶妙なハーモニーを作って耳に心地よい。楽しい緊張感と、のどかなムードのなかで、選手とお客の距離は近く、自由に観戦できる野球の試合は、さながら草野球のようである。】

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 僕は日本の野球に慣れ親しんでいることもあって、「無条件にメジャー万歳!」という心境にはなれませんし、「1点に、勝負にこだわる細かい日本野球」にだって、素晴らしい点はたくさんあるとは思っているのです。やっぱり、知っている選手が多いほうが、観ていて楽しい、というのはありますしね。
 でも、こうしてメジャーリーグの球場の風景を思い浮かべてみると、やはり長い「ベースボールの歴史」を有する国には、かなわないところもあるよなあ、と考えてしまうのです。
 日本の球場にもグローブを持ってきている子供たちはいるのですが、確かに少数派。交通事情もあって荷物になるグローブを持ってくるのは難しいだろうし。
 そもそも、冷静に考えれば、「野球観戦にグローブを持ってきて、ホームランボールやファウルボールをキャッチできる可能性」というのは、どのくらいのものなのでしょうか?スタンドに入るボール(ホームランボール、ファウルボールを含む)が一試合に100球だとしたら、5万人が入る球場ならば、キャッチできる可能性は、500人にひとり、ということになりますね。おそらく、実際はそんなに多くは飛んでこないだろうと思うのですが。
 このくらいの「キャッチできる確率」のためにグローブを持ってくるというのは、僕の感覚では「ムダなんじゃないかな?」という気もするんですよね。人気チームの試合なら、「500試合観に行って1回あるかどうか、という確率なのですから。
 それにしても、アメリカ人のイベントに対する楽しみかたは、本当に「参加型」なのだなあ、と思います。以前、ラスベガスのショーを観に行ったときのことです。そこではショーが始まる前に、場内の大きなスクリーンに客席の様子が映されるのですが、その画面に映っている人たちは、何か面白いポーズをとってみたり、ちょっとしたモノマネをやってみたりと、「観客なのに、カメラを向けられる」という状況に、全然違和感を持っていませんでした。
 僕などは、内心、「なんで客なのに、そんなパフォーマンスを他の人の前でやらなければならないんだ…」と、自分の順番になる前に、なんとかショーが始まってくれることを心から祈っていたんですけど。
 もちろん、すべてのアメリカ人がパフォーマーではないにしても、そういう「ステージと客席の境界」みたいな意識が、日本とは根本的に違うのだなあ、というのを感じたのです。
 
 もうひとつ、考えたこと。
 僕たちは、野球の「勝敗」に対して、あまりにこだわりすぎているのかもしれません。贔屓のチームが勝つにこしたことはありませんが、ともすれば、「野球観戦」のはずが、試合を観るより応援にばかり熱が入ってしまっていることが多いような気がします。
 「とにかく勝てばいい」というのは一面の真実ではありますが、せっかくのプロの試合なら、勝ち負けと同時に、一挙手一投足に対して、「こんな速い球を投げるのか!」とか「こんなにボールを遠くに飛ばせるんだ!」というような、根源的な「凄さ」を素直に感じてみてもいいんじゃないかな、と思うのです。それも、敵味方関係なく。
 実は「勝つことばかりを重視するファン」というのが、「史上最強打線」とかいう「大鑑巨砲主義」の元凶になってしまっているのではないでしょうか。そして、「某金満球団が選手を狩り集めている」のも事実であるけれども、そういうのって、「日本の野球ファンの多くが望んでいるチーム編成を金があるから実現できているだけ」なんですよね。
 まあ、メジャーリーグにだって、ヤンキースというお手本があるわけで、日本だけに限ったことではないようですけど。

 もっと「野球」というスポーツそのものを楽しむという付き合い方ができるようになればいいなあ、と僕は思います。
 贔屓のチームが勝っただけで自分が偉くなったような態度をとる「野球ファン」よりも、取れるはずもないボールを取るために、グローブ持参で球場に来る子供たちのほうが、よっぽど「野球をよく知っている」。そんな気がしてなりません。
 



2004年09月17日(金)
ライブドアと宮城県の歪んだ愛情

河北新報の記事より。

【ライブドア(東京)が新規参入球団の本拠地に選んだ県営宮城球場(仙台市宮城野区)は、老朽化が目立ち「プロ野球が最も嫌う球場」とも言われる。宮城県は建て替えを含めた整備促進を掲げながらも、財政難や周辺地域整備との兼ね合いから棚上げ状態。建て替えの機運が一気に高まることも予想される。が、県は「(参入が決まった)次の話」(浅野史郎知事)とビジョンを描けておらず、参入問題そのもののアキレスけんにもなりかねない状況だ。】

記事全文はこちらです。

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 この記事を読むまでは、僕は「ライブドアが仙台に新球団をつくる」という発想には、そんなに悪いイメージを持ってはいなかったのです。堀江社長は目立ちたがりな人だなあ、という印象はありますし、あれだけ「近鉄を買収する!」とぶち上げて、大阪ドームで「ホリエコール」を一身に浴びておきながら、球団合併が基底路線で覆すことが難しく、「楽天」が神戸を本拠地にして新球団を立ち上げるという話が出たとたんに、今度は仙台を本拠地に、というのは、なんとなく不誠実な感じはしますけど。
 近鉄ファンにとっては、「あの人は、近鉄を助けようと思っていたわけじゃなかったんだなあ…」という無念さだけが残っているかもしれません。
 いや、堀江社長自身も、最初から「近鉄にこだわらない」旨の発言をされてはいたんですけどね。

 でも、この記事を読むと、「ライブドアは、この県営宮城球場の実情を、どこまで把握しているのだろうか?」と疑問に感じてしまうのです。そして、ライブドアを迎え入れる側の宮城県は、「とりあえず参入が実現したら、球場の問題については考える」という態度で、「地元にプロ野球チームができることは歓迎だが、自分の腹を痛めるつもりはない」というように僕にはみえます。
 そもそも、球場の建て替えとか新球場の建設には莫大な費用がかかり、維持費だってばかになりません。近鉄の経営を圧迫している要因のひとつは、年間10億円ともいわれる大阪ドームの使用料であるというのは周知の事実です。
 広島カープの本拠地である広島市民球場などは、老朽化がひどく、「ベンチで異臭がする」なんて悪評が選手のあいだではあがったりもしたそうです。「新球場建設」は球団側やファンにとっては、まさに「悲願」なのですが、行政側はなかなか動いてくれません。そんな莫大な費用がかかり、しかも大阪ドームのようにかえって赤字になってしまうリスクを抱えた事業を自治体がやるべきかどうか?というのは、なかなか難しい問題です。
 僕のような野球ファンだけが住んでいるわけではないし、「そんな金があるなら、もっと他の『みんなのためになること』に使うべきだ」という言葉に対して、決定的な反論というのは不可能でしょう。
 実際に現存するプロ野球チームが本拠地にしている球場だってそんな感じなのですから、まだ海のものとも山のものともわからない「新球団・ライブドア」の新しい本拠地球場に対して、50億、ましてや500億なんてお金を投資するのは、正直難しいだろうな、と思います。
 そもそも、宮城県側は「自分たちはお金を出す気はない。ライブドアが出してくれるんだろ?」と公言しているも同然なんですよね。
 そしておそらく、ライブドア側は、「仙台にチームを作ってあげるんだから、地域は諸手をあげて準備を整えてくれるんだろ?」と楽観的な認識をしているのではないでしょうか?
 もちろん、実際に仙台にプロ野球チームができれば、地元の人たちが球場に押し寄せて人気球団になり、新球場建設もスムースにいく、という可能性だってあります。とはいえ、新しい球場なんて、計画・着工から完成までに何年もの歳月がかかるでしょうし、それまで、そんな「設備不足の球場」で積極的にプレーしたがる選手が、そんなにたくさんいるとは思えません。そんなチームが、魅力的な野球を観客に提供できるのでしょうか?
 とりあえず地元のチームだから、という理由で、みんな無条件に応援するものなのだろうか?

 本当に「球団買収」ではない「新球団」をつくろうと考えているのなら、もっと地元となる地域とのコミュニケーションをしっかりとっておくべきですし、「仙台が空いているから、仙台にする!」というような発想は、かえって信頼を失くすような結果になりかねません。
 日本ハムファイターズのような、野球チームとして組織的には既に完成しているチームでさえ、札幌移転には長い準備期間もかかりましたし、お金をかけて補強もしています。
 さらに、札幌ドームという器は、すでにそこにあったのです。逆に、札幌ドームという器が、日本ハムの本拠地移転を大きく後押ししたのもまちがいありません。地元の自治体だって、「球場を活かすために、プロ野球チームを必要としていた」のですから。
選手については、メジャーリーグで球団が増えたときには、他のチームからドラフトで選手を獲得してスタートしました。しかしながら、今の「ライブドア」というチームに入りたいと思う野球選手は、現存の12球団から戦力外となった人か、他球団から声がかからなかったアマチュア選手だけでしょう。残念ながら、現存のプロ球団の協力がなくては、やっぱり厳しいと言わざるをえません。

 「ゼロからの挑戦」というライブドアの姿勢は、正直「(ネタとしては)面白い!」とは思いますし、仙台の人々だって、「プロ野球チームがあればいいなあ」という気持ちを持っている人はたくさんいるでしょう。
 でも、だからこそ、本気であるなら、もっと慎重に物事を進めるべきなのではないかな、と僕は感じています。「楽天」へのライバル意識にわれを忘れては、自ら墓穴を掘る可能性が高そうなので。
 誰も救おうとしなかった近鉄を救うために立ち上がった堀江さんは、けっして悪人でも、無能な人でもないと思いますが、中途半端な善意は、かえって他人を失望させてしまうことも多いのですよ。
 話題になって、株価が上がって、社長が有名になればそれでいい、というのなら、それはそれで仕方ないですけど、IT産業というのは、「情報」を扱っているのですから、長い眼でみれば、一番大事なのは「信頼」のはずなのに。
  



2004年09月16日(木)
「シシュポスの巨石」と「死という刑罰」

「私のギリシャ神話」(阿刀田高著・集英社文庫)より。

【ギリシャ神話では冥界の一番奥深い底にタルタロスと呼ばれる無間地獄があって、最悪の罪を犯した者が、ここで永遠の苦痛に苛まれている。
 
(中略)

 そしてシシュポス。シシュポスは、ゼウスの恋を告げ口によって妨害し、そのとがで地獄へ送られるや今度は冥界の王ハデスを騙して生き返らせるなど、いくつかの悪事を犯してタルタロスへ落とされた。

(中略)

 それはともかく、シシュポスが受けた刑罰は……タルタロスにある丘の頂上に巨石を押し上げねばならない。全力を尽して急な坂を押し登り、いよいよ頂上と思ったとたん、巨石はゴロゴロと転がり落ちて、もとの地点へ。そこでまた押し上げる。永遠なる労苦のくり返し。こうして見ると、タルタロスの刑罰は、苦しみが永遠に続くことに特徴がある。確かに、この”果てしなく続く”という点にこそ、苦しみの本当の苦しさがあると言ってよいだろう。】

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 この「シシュポスが受けた刑罰」の話、僕は子どものころにどこかで知って、「なんて恐ろしい刑罰なんだ…」と思った記憶があります。この本で読みなおすまで、そんな目にあっているのがシシュポスという神で、こんな刑罰を受けた理由が「恋の妨害」だったなんてことは、すっかり忘れていたのですが。
 生きている多くの人々は、辛いこと、悲しいことがあったときに「こんな目にあうのなら、死んだほうがマシだ」なんて思ったことが一度くらいはあるのではないでしょうか?もちろん、僕にもあります。
 僕も含めてほとんどの人は、そんな感情を抱きつつも、自ら「死」を選ぶことはなく、時間とともに傷は癒されていきます。次の辛いこと、悲しいことが、いずれはやってくるとしても。

 僕は、これを読んでいて、こんなことを考えてしまうのです。
 「この世に、『死刑より辛い刑罰』というのは、存在するのだろうか?」と。
 「死ぬより辛い目にあわせてやる」とかいうけれど、「死ぬ」というのは別次元なのではないかという気がするのです。
 大部分の現代人にとっては、「死」というのはイコール「無」と解釈されていると思われます。
 「死ぬこと」というのは、「すべてが無くなること」であり、「無くなってしまったことすら感じられなくなること」なのです。

 「それなら、生きて辛い目にあうよりは、死んで何もかも無くなってしまったほうがマシなんじゃない?」
 確かに、そういう考え方もあると思うし、その発想を自分に対して実行する人は後を絶ちません。僕はそういう選択はしてもらいたくないけれど、それを一概に否定できるほどの根拠を持っていないというのも事実。

 でもね、僕はこんなふうにも思うのですよ。
 シシュポスは確かに辛いだろう。しかし、それは「死ぬよりつらい」のだろうか?って。
 正直、今の僕にとっては、「自分がこの世から無くなってしまって、そのことすら自分でもわからなくなる」というのは、ものすごく怖いことです。
 「ずっと巨石を転がし続けるのは、確かに辛いだろうな」とは思うけれど、それでも「死ぬより辛い刑罰」なのかどうかは、正直よくわからないし、巨石を転がしながらもいろんな考え事をしたり、楽しかったことを思い出したりすれば、それはそれで生きてて良かった、と思う瞬間だってなくはないだろう、とも考えるのです。
 死んでしまったら、そういう心境になることは、絶対にありえないわけですし。
 生きていれば、どんな状況下でも、パンドラの箱に最後に残った「希望」というのを持ち続けることだって、けっして不可能ではないはず。

 「死より辛い刑罰」というのは、果たして存在するのでしょうか?
 もちろんそれは、受ける側の感覚的なものもあるだろうし、人それぞれなのかもしれません。
 でも、僕はやっぱり、「死ぬこと以上の刑罰というのは、少なくとも文化的・文明的であることが前提条件の社会では、存在することは難しいのではないか?」という気がしています。
 
 それとも「生きる」ということ自体が、この「シシュポスの刑罰」みたいなもので、「死」というのは「救い」なのだろうか…



2004年09月15日(水)
宅間守の「早すぎる死刑執行」に思う。

産経新聞の記事より。

【遺族ら悔しさ新た 帰らぬ子供 悲しみは癒えず
 十四日、明らかになった宅間守死刑囚(四〇)の刑の執行。死刑判決が言い渡されたのは昨年八月末。約一カ月後の刑の確定から、一年足らずという異例の早さだった。突然の連絡に付属池田小の犠牲者の遺族は絶句し、謝罪のないままの執行に悔しさを新たにした。「刑が執行されるまで、事件は終わらない」としてきた遺族の悲しみと怒り。刑は執行されても、遺族ら関係者の心が安らぐことはなかった。
 この日、刑の執行を伝えられたある遺族は「えっ、本当ですか」と一瞬、絶句した。「(刑確定から)ちょうど一年ぐらいですか。長かったかな」。遺族はしみじみとつぶやき、こう続けた。
 「八人もの子供を殺しておいて、なぜいつまでも生かされるのか、という気持ちもありました。昨年(の刑確定)から自分に『もう決まったんだ』と言い聞かせてきた。あれだけの罪を犯して判決を受けたのだから、執行は当然です」
 別の遺族は「執行までに、子供たちへの謝罪はあったのかが、気になります。執行されても子供が帰ってくるわけじゃない。でも、元気に跳びはねていた命を理不尽に奪われた子供たちには謝ってほしい」と声を震わせた。
 昨年の冬、池田小では、子供たちの間で宅間死刑囚の刑が執行されたといううわさが流れたという。
 凶行を目の当たりにした少年の母親によると、「(宅間死刑囚は)死刑になったんでしょ」。めったに事件のことを語らない息子がそう口にしたという。「まだだと思うけど。きっとそうなるから安心してていいよ」。そう答えるのが精いっぱいだった。
 少年は、宅間死刑囚が無言のまま引き戸を開けて一階の教室に侵入し、同級生たちを刺す光景を目の当たりにした。発生直後は「なんかこのへんがいっぱいなの」と自分の胸を指さした。樹液を見て「血が流れている」と言ったこともある。
 「いまでも、物音や暗闇には敏感で、『音がする』といって私がバットを持って見にいくとネコだったりすることもあります。事件の影響がこれからどういう形で出るのかわかりません」。当時、二年生だった子供たちも五年生になった。いまも子供たちの心身の傷の回復に心を砕く。
 重傷を負わされた児童の親は「一年以内は早いのでしょうが、正直言って過去のお話のような感覚すらあります」と淡々と語り、「反省したのか、生き続けることに未練を残して苦しんで死んだのか、そういう詳しい姿を知りたかったなと思います」と話した。法務省には執行前に知らせてほしいと要望していたが、連絡はなかったという。
 同小の大日方(おびなた)重利校長は刑の執行について「亡くなった八人の児童たちのご家族の皆さま、負傷したり、心に傷を負っている児童たちとそのご家族の皆さまのお気持ちの回復に少しでも助けになることを願わずにはいられません」とコメントした。】


時事通信の記事より。

【宅間守死刑囚ら2人の刑が執行されたことを受け、「死刑廃止を推進する議員連盟」(亀井静香会長)のメンバーが14日、法務省を訪れ、樋渡利秋事務次官に野沢太三法相あての抗議声明を手渡した。
 声明は「国会閉会中で、野沢法相の在任期間が残りわずかなタイミングでの執行は、死刑に対する議論を行わせない政治的な意図がある」としている。
 面会後会見した議連事務局長の山花郁夫衆院議員によると、野沢法相は政務のため不在。法務省側は「2名の執行があったのは事実だが、名前は公表していない」と回答し、抗議声明には「しっかり大臣に伝える」と答えたという。
 山花議員は「時間の経過で心境の変化や謝罪の意が生まれる場合もある。それが全く引き出せない刑の執行は本当にいいのかどうか」と確定から1年での執行に疑問を呈した。】

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 死刑確定後1年での執行に、疑問の声も上がっている、宅間守死刑囚への死刑執行。僕も昨日の昼にこのニュースを知って、「えっ、もう?」と驚きました。だって、彼の控訴取り下げによって死刑が確定したのは、つい最近のような気がしていたから。

 今回の執行に対する世間の反応には、大きく分けて3つのタイプがあって、ひとつは「死刑も当然だし、速やかに死刑を執行するのもやむをえないことだ」というもの。二つめは、「死刑は当然だが、時期尚早だったのではないか?」というもの、そして三つめは、「死刑制度そのものが間違っている」というものです。
 「死刑制度そのものが間違っている」という意見については、正直なところ、「宅間死刑囚に対しても、『死刑は間違っている』と一点の曇りも無く言える人は、本当に筋金入りの(加害者側の)人権主義者、あるいは世間で起こる事件は、すべてテレビの中だけで起こっていると感じている人なのではないか、と思うくらいです。

 逆に「死刑廃止論者」たちにとっては、「宅間はどうなんだ?あんなことをやっても、死刑にならなくていいのか?」と問われることは、一種の「踏み絵」だったのではないでしょうか。

 執行の時期については、僕も、「(死刑執行が)早いな」とは思ったのです。そして「なるべく早く死刑にしてくれ」という死刑囚を希望通り死刑にしてしまうのは、ある意味「敗北」なのではないかなあ、と。
 こんなに早い執行は「遺族・社会感情に対する配慮」だったのか、それとも、「死刑になる男へのせめてもの温情」だったのか…

 「反省の言葉もないままに、死刑にしてもいいのか」
 これは、確かにどうなのだろうか、とは思うところです。宅間死刑囚だって同じ人間なのだから、「罪の意識」というのを持つことはできるはずだ、そうであってほしい、でないと「宅間のようなモンスター」が世間をウヨウヨしているのではないか、という恐怖は拭い去られることはありません。
 そもそもあんな残虐かつ身勝手な犯罪をやった男に対してさえ、「支えてあげたい」と獄中結婚を申し出る人がいたり、「社会・環境のせい」というエクスキューズを用意してあげる人たちだっているのだし。

 でも、その一方で、「それじゃあ、その『罪の意識』を持てない人間は、それが芽生えるまで粘り強く待ってから死刑にして、すぐに『罪の意識』を持って謝罪した犯罪者は、順番に絞首台行き、というのは、あまりにも「不公平」なのではないかな、と考えざるをえないのです。
 「死刑より厳しい、罪の意識を抱えて生きる無期懲役」なんていうけれど、そんなに残虐な刑なら、むしろ「無期懲役廃止運動」をやったほうがいいのではないか、とも思うし。
 「死刑になりたくないから、謝罪しない」なんて犯罪者だって出てくるかもしれない。
 死刑囚の手記を読むと、彼らが非常に辛い思いをしていることはわかります。とはいえ、人間というのは、生きているかぎり「全然何の喜びもない人生」とか「一日中頭の中は自責の念ばかり」なんてことは、絶対ありえないのではないでしょうか。
 1日の「生活」の中では、昔の楽しかったことを思い出すことだってあるだろうし。
 そして、「生きている」ということには、やはり「死」との大きな違いがあると思うのです。
 宅間の苛立ちをぶつけるために殺められた子どもたちは、もう二度と「何かを考えることもできない」のだから。
 死んでしまった人間には「何もない」のです。もちろん「子どもたちは天国で幸せにやっている」という希望を僕は否定するものではありませんし、そうであってもらいたい、とは思っているのだけれど。

 本当は、僕にもよくわからないのです。
 宅間守という男を、いったいどうするのが「正解」だったのか、ということが。
 「死んでもいい、あるいは死を望んでいる」という人間にとっては、どんな「悪事」に対しても、真の意味で「贖罪」をさせることなんて不可能なのではないか、という気がしてなりません。
 そもそも「懲役刑」とか「罰金刑」とか「死刑」なんていうのは、それを苦痛だと思う人間に対して行使されるから効果があるわけで、ビル・ゲイツが「一万円の罰金刑」とかに処せられても「払いに行くのがかったるいなあ」という感じでしかないはずです。
 「自由を奪われる」とか「死」というのは、多くの人間にとって最大公約数的に「苦痛なこと」なはずですが、宅間死刑囚のように、「自分の死を望み、しかも他人に苦痛を与えることを望む人間」には、「刑罰」にならないのでは、とも思うのです。
 彼にとっての「苦痛」とは何だろう?と考えると、それこそ拷問のような肉体的・物理的苦痛しかないのかもしれません。
 でも、そうするわけにもいかないのが近代社会の建前だし、僕の考えられる範囲では、「死刑」以上の「贖罪に少しでも近い方法」というのは、思いつかないのです。
 確かに、宅間が「反省」していれば、「ナチュラル・ボーン・キラー」なんて存在しないさ、と安心できるところはあるかもしれないけれど、そのために、彼に「生きる時間」を与えて「人格改造」をやることの意義というのは、いったいどこにあるのでしょうか。

 僕は怖い。
 彼のように「罪の意識が欠落して(あるいは、ある種の狂信的な状態になっていて)、自分はどうなってしまってもいい」という人間にとっては、現代社会はあまりに無防備だから。
 「自分も死ぬつもり」というテロリストが満員電車で自爆テロをやったり、刃物を持って路上で切りかかってきたりしたら、誰だって次の被害者になる可能性はあるのです。
 でも、そういうことに神経質になりすぎていたら社会生活は送れない。

 結局、「救いようのないことが、世の中にはあるのかもしれない」という虚しい気持ちだけが取り残されて、僕の周りを漂っています。

 せめて、宅間が死刑になったことによって、少しでも遺族の方々や被害にあった子どもたちの心の傷が癒されるきっかけになってくれればいいのだけれど…
 今の僕にはただ、そう「願う」ことしかできなくて。



2004年09月14日(火)
されど、われらがチェッカーズ。

スポーツニッポンの記事より。

【元チェッカーズのドラマーで先月17日、舌がんで亡くなった“クロベエ”こと徳永善也さん(享年40歳)を送る会が13日、東京・新木場のスタジオコーストで行われた。チェッカーズの残りのメンバー6人全員が解散以来12年ぶりに集結したが、高杢禎彦(42)と鶴久政治(40)は発起人に名前を連ねることができず、記者会見も別々。旧メンバー同士の確執があらためて浮き彫りになった。

 かつての仲間たちの確執を、天国の徳永さんはどんな気持ちで見ていたのだろうか。先に会見を開いたのはリーダーの武内享(42)と藤井フミヤ(42)、藤井尚之(39)、大土井裕二(41)の4人。フミヤは高杢らとの確執について「ないと言ったらうそになるし、大きいのは本(高杢が昨年6月に刊行した自叙伝“チェッカーズ”)のこと。高杢は高杢でがんで大変だったんだろうけど…」と不仲を認める発言。「“でたらめの本だから読まないほうがいいよ”と人に言われたから読んでいない。溝にならなかったと言ったらうそになる」と語った。

 フミヤと高杢は保育園からの幼なじみだったが、92年の解散をめぐって言い争いとなり絶縁状態に。高杢は自叙伝の中で、のどを痛めていながら外を出歩くフミヤについて「他人に迷惑かけることでもバレなければ、自分のやりたいことはソッと隠れてやる。こういう性格にもう俺(おれ)は我慢ができなかった」などと痛烈に批判した。この日、リーダーの武内は「解散して12年もたつと付き合いもなくなるし、会わなくなった」と説明。再結成の可能性を「クロベエがいないから…」と否定した。

 一方の高杢と鶴久は、この直後に会見。高杢は「(確執は)僕的にはない。自分としては自叙伝であり、自分の思いや家族への思いを書いた」と弁明。発起人に名前がないことに「発起人っていうか、こういう会見に6人で並べないのが残念」と唇をかんだ。2人は前日の12日まで、発起人に並べてくれるよう武内と交渉したがかなわず。鶴久は「(会場の)中にいたし、天国からみれば6人一緒だと見てくれると思います」と複雑な表情で語った。】

〜〜〜〜〜〜〜

 チェッカーズのデビューは、1983年の9月21日、「ギザギザハートの子守唄」でした。翌年1月発売の「涙のリクエスト」が大ヒットとなり、その後は出す曲のすべてが大ヒット、映画まで作られたりして、まさに「一世を風靡した人気グループ」だったのです。
 まあ、僕も今となってはこんなふうに「歴史的事実」としてチェッカーズを思い出すことができるのですが、中学生で、リアルタイムにチェッカーズを観ていたころの僕は、クラスの女子がみんな「フミヤー」とか言っているのに、「ケッ、なんだよあのチャラチャラした連中は!」とか内心毒づいていたものです。まあ、時代のならいというやつで、あんなに「チェッカーズ嫌い」だったはずなのに、今でもチェッカーズの曲がカラオケで流れてくれば、ちゃんと歌えてしまう自分に唖然とするのですが。

 しかし、「チャラチャラしやがって」と思っていたのは、実は、僕たち「アイドルを妬む男ども」だけではなかった、ということを後で知りました。
 解散後のメンバーのインタビューなどで、チェッカーズのメンバーたち自身も、「自分たちはロックをやっていたはずなのに、あんな派手な格好でアイドルみたいに売り出されたのは本当にイヤだった」と告白していたのです。
 まあ、結果として彼らは大成功を収めましたし、活動期間が長くなるにつれて、少しずつ自分たちのスタイルを出せるようになってきたみたいなのですが。

 そんなチェッカーズも解散後はフミヤさんは相変わらずの活躍ぶりなのですが、他のメンバーに関しては、あんまり名前を聞かないなあ、という印象でした。メンバーのうち2人が癌による闘病生活余儀なくされるなど、本人たちにとっても、最近は不幸続きだったのではないでしょうか?
 高杢さんの「告白本」については、ここに引用されている内容の【のどを痛めていながら外を出歩くフミヤについて「他人に迷惑かけることでもバレなければ、自分のやりたいことはソッと隠れてやる。こういう性格にもう俺(おれ)は我慢ができなかった」などと痛烈に批判した。】というのは、確かにひどい人格攻撃なのですが、そういった「性格の不一致」みたいなものの他にも、不和の原因には、表に出せない事情があったような気もします。ひょっとしたら、「フミヤばっかりいいとこどりしやがって!」というような嫉妬もあったのかもしれないし。

 今回の「徳永さんを送る会」にしても、こういう傍からみれば「いびつな状況」になってしまったのは、おそらく、徳永さんは「フミヤさんグループ」だったからだったのでしょう。もし徳永さんがもともと「中立」であったならば、どちらかのグループが締め出されることはなかっただろうし(逆に、誰も「送る会」とかやってくれなかった可能性もありますけど)。
 とはいえ、こういう席でまで、そういう確執を引きずるのは、伝統的な日本人の「死せる者への感情」からすると、ちょっと悲しい気持ちになるのも事実。
 すべてのケースがそうではないにしても、親の葬式には勘当された息子も来る、というような状況を多くの人が望んでいるはずですし。
 そういう意味では、「故人のために、表面だけでも全員揃って送ってあげるべき」なのか、それとも「故人の遺志を尊重して、裏切り者(?)を排除すべき」なのかというのは、非常に難しいところです。
 赤の他人としては、「フミヤのプロ意識の欠如も若くて遊びたい盛りだったんだろうし、暴露本も闘病生活で自分の思いを遺しておきたくて、金も必要だったんだろうから、お互いに水に流すことはできないのかなあ」なんて思いもあるんですけどね。
 とはいえ、実際に公の場で悪口を言われた側としては、しこりが残るのも当然でしょう。ケンカ別れしたのだとしても「昔の仲間」であればなおさら許せなくなる気持ちもわかります。
 
 それにしても「送る会」が「チェッカーズの元メンバー同士の縄張り争い」みたいに報道されるのは、どう考えても不自然なことですが。

 彼らが大スターにならなければ、ひょっとしたら「昔はバンドやってたよなあ」なんて仲良く酒を酌み交わすような、そんなオッサンたちになっていたのかもしれません。結局、一度大スターになってしまうと、売れなくなっても、解散しても、命を落としても「元チェッカーズ」。その栄光とレッテルをずっと引きずる人生。

 もし天国というところがあるのなら、徳永さんは、「もう、『元チェッカーズ』はやめてくれよ…」とかぼやいているかもしれませんね。



2004年09月13日(月)
「大規模書店戦争」がもたらすもの

読売新聞の記事より。

【この秋、東京駅と新宿駅周辺にマンモス書店が相次ぎ開店、首都の真ん中で、“大艦巨砲”の書店戦争が始まる。出版物の売り上げが7年連続で減少し毎年1000店以上の中小書店が消える出版不況にもかかわらず、全国的な大書店ラッシュは、なぜ続くのか。

 1869年創業の老舗・丸善は14日、東京・丸の内に「丸の内本店」を開店する。全国3位の5775平方メートルの売り場を確保、東京駅をはさんで八重洲口の八重洲ブックセンター本店との“東西戦争”に挑む。

 在庫は120万冊、20台の在庫検索端末、十数人のブックアドバイザーを配し「百貨店並みの接客」を図る。回遊しやすい広い廊下も設け、「探しやすさや居心地の良さで八重洲をしのぐ」と強気で、年商60億円を目指している。

 迎え撃つ八重洲ブックセンターは、「何でもそろう」をモットーに1978年に開店した大型書店の草分け。「蔵書は150万。品ぞろえで負けない」と自信を示す。今月10日からはギャラリーを新設。講演会などを開き応戦する。

 神戸発祥のジュンク堂書店は10月末、紀伊国屋書店の新宿本店と向き合うデパート、三越の7、8階に3630平方メートル、在庫90万冊の新店舗をオープンする。紀伊国屋にとって、新宿は2つのマンモス店を有する金城湯池。9年前から全国で書店戦争を仕掛け、池袋に全国最大の書店を有する新興勢力、ジュンク堂が、書店業界の雄の発祥の地に切り込む構図だ。

 全国で書店の大型化が目立ち始めたのはバブル崩壊で商業ビルのテナント料が下がったこの10年ほど。札幌、仙台、福岡など主要都市で大型書店チェーンが出店競争を繰り広げてきた。

 一方、コンビニや大書店に売り上げを奪われた中小の既存書店のダメージは激しく、地方の老舗の破たんも目立つ。1999年に2万2000店余だった全国の書店は、転廃業が相次ぎ1万8000店に減少している。】

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 先日は、青山ブックセンターの突然の閉鎖が大きな話題になりましたが(注・一部再開されるみたいです)、最近の出版不況にもかかわらず、僕の住んでいるような、人口数十万人程度の地方都市でも、ショッピングセンターに併設されるような形式で、大型書店が何軒か続けてオープンしています。その一方で、ちょっと車で郊外に出ると、一時期ものすごくたくさんあった「郊外型中規模書店」は、軒並み閉店していたり、他の店になったりしているのです。
 確かに雑誌や流行のマンガはコンビニで買えますし、逆に、ちょっと専門的な本は大きな書店でないと手に入らないことが多いので、どうしても「二極化」が起こってしまうのだろうな、というのはわかります。郊外型の書店の多くは、どうしても「中途半端」になってしまいがちなものですし、レンタルビデオ店との併設などで、なおさら本屋としては「希薄化」してしまっているところが多いような気もします。マンガや雑誌はともかく、新刊書などは棚ひとつ、「世界の中心で、愛をさけぶ」と直木賞受賞作品と綿矢さんオンリー、なんていう「書店」には、さすがに驚きましたが(まあ、この店は、例のごとくレンタルショップ併設だったので、みんな本はついでに手に取るような感じではあったのですけど)。
 そして、Amazonなどのネットで買える本屋さんもありますから、やっぱり、「中途半端な品揃え」の書店には、厳しい状況であることは間違いないでしょう。知らない誰かが触れたもの、というのに抵抗がなければ、ブックオフのほうが、安くて品揃えも良かったりもするし。

 たとえ買おうと思っている本がどこにでも置いてあるようなベストセラーであっても、いろんなものが置いてあるほうが見ていて楽しい、と疲れていないときは思うし、文芸書のコーナーなどに、パラパラと点在している人たちを観察するというのも、なかなか興味深いものです。「ああ、こういう人が、こんな哲学書とか、美術書とかを読んでいるんだな」とか。そして、自分もつい、全然わからないような専門書を手にとってみたり。

 しかしながら、あの郊外の中規模書店の雰囲気というのも、なんだかとても捨てがたいものがあるんですよね。街中の大規模書店は閉店時間がけっこう早いし、車で行くにもちょっと不便なんですよね(都会では、どちらにしても車で行くようなものではないんでしょうが)。
 郊外型の中規模書店は、店内にもあまり緊張感がありませんし、本の圧迫感も少ないし。蔵書が限られているだけに、その書店の店員さんの好みが見えるような品揃えだったりもするし、なによりそんなに店内を探し回らずに済みますし。
 実際に、僕の周りの中規模書店でも、ちゃんと「客層を意識した、ちょっとマニアックな品揃え」だったり、「マンガの品揃えはすごい」というような店は、いつも駐車場がいっぱいで、生き残っていっているようなんですけどね。
 ただ、それもある程度の規模があっての話で、商店街の小さな本屋さんにとっては、にっちもさっちもいかない時代ではあるのかもしれません。

 これを書いていて、そういえば、僕が中学生のころに偶然入った小さな本屋が「エロ本専門書店」みたいなところで、すごく気まずい思いをしたことを思い出しました。
 あれも、当時の僕からすれば「エッチだなあ、この本屋…」という負の印象しかなかったのですが、実際は、「そうしないと生き延びられない状況」だったのだろうなあ。
 逆に、蔵書100万冊!とかいうような明るい大規模書店ばかりになると、エロ本とか買いにくいのじゃないかと僕はちょっと心配になってしまうのですが。
 それこそ、「コンビニで買う」か「ネットがあるからいい」のかもしれませんけど。

 ただ、あまりに大型書店ばかりになると、新しく本を読もうという人たちにとっては、かえって間口が狭くなってしまうのではないかな、などと、僕は考えてしまうのですが。



2004年09月11日(土)
身軽になれない、心配性のかばん

「あるようなないような」(川上弘美著・中公文庫)より。

【心配性なので、かばんにたくさんの荷物を持って、歩く。
 ハンカチは二枚、ちり紙も二包み、電車の中で読む本二冊、夏ならば扇子に黒い眼鏡、日傘にてんかふん。
 持って歩いているものを実際に使うことは、あまり、ない。天瓜粉なんか、実は一回も使ったことがない。いったい外出途中のどの場所で、天瓜粉をはたくことができるというのか?そのくせ、財布だのくちべにだのをかばんに入れ忘れたりする。財布を忘れて駅から引き返したことは、この夏だけで四回あった。いったい何を考えているのやら。

 かばんに多くのものを入れておかなければ困る心もちになる人は、あんがい多いようで、たとえばある知り合いは、どこに行くのにも四角い大判のアタッシェケースを持ち、その中には髭剃りとホチキスとウォークマンと時刻表と胃薬とかゆみどめと本三冊と雑誌二冊とはさみと簡易ワードプロセッサーと電話と傘と下着一組とのりとサインペン四本とものさし二組とねじまわしを常備していると言っていた。
 驚いて聞くと、
 ねじまわし。
 と落ち着いて答える。
 いざというときにあると役に立つんですよ、ねじまわし。持ってる人少ないですからね。そんなふうに答えて、知り合いは、アタッシェケースを地面に置き、その上に涼しい顔で座ったりしたものだった。】

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 いや、あると確かに便利ですよ、ねじまわし。僕の場合は、眼鏡常用なので、眼鏡のゆるんだねじを締められるような、小さな精密ドライバーを常備しています。
 「あると確かに便利」って書いたけど実際に役に立った記憶は、今までの人生で何度かしかありませんけど。

 「かばんの中身」って、確かに性格があらわれるような気がします。
 僕も心配性なので、いろんなものを余計に入れすぎてしまって、大変な思いをすることが多いのです。洋服は汚れるかもしれないから、宿泊の日数より少し多めにとか、洗面用具とか、携帯ゲームとか、旅先で勉強するための専門書とか…
 結果的には、ものすごい重さの荷物になってしまいますし、そのわりには、趣味のものや「ヒマつぶしのための娯楽用グッズ」を選ぶのが優先で、「旅行には必要だけど、僕個人としてはあまり興味の持てないもの」である生活用品を入れ忘れていたり、ひどいときには飛行機のチケットやパスポートなどを机の上に置きっぱなしで、本でパンパンになったバッグを持って出発しようとしてしまったりするわけです。
 「旅行に行くときに、何をまず準備しようとするか?」というのは、ものすごく人生観を反映するような気がするんですよね。
 着る服を選ぶのに時間をかける人もいるでしょうし、まず財布やパスポート、という人もいるでしょうし、デジカメの人もいれば、僕のように携行していく本をまず選ぼうとする人間もいるみたいだし。

 しかしながら、僕の場合には、そうやって「これは今回の旅行向き」と心を篭めて選んだ本たちは、たいがいバッグの底に置きっぱなしになっていて(そもそも、その本を全部読んだら、旅行の自由時間が全部潰れてしまうくらいの量になっていたりもするので)、帰りは土産物などでさらに重くなった荷物を抱えながら、「なんで、こんな要らないものをたくさん持ってきたんだろう…」と後悔することの繰り返し。
 それでも、一昔前に比べれば、日本国内ならコンビニでも雑誌やマンガは買えますし、だいぶ荷物は軽くなったんですけどね。
 まあ、究極的には「財布さえ忘れなければ、なんとかなる」のです。

 実際には、わかっているつもりでも、毎回帰りの飛行機の手荷物検査場で、電源すら入れなかったパソコンを抱えて溜息をついているのだけれど。



2004年09月10日(金)
「とんでもなく安いもの」にばかり、頼るのは止めよう。

「ゴーマニズム宣言EXTRA1」(小林よしのり著・幻冬舎)より。

(「湯布院」を日本有数の人気観光地にした功労者のひとり、中谷健太郎さんの著書から、小林さんが引用された文章です。)

【中谷氏は、こう書いている。
「どこかに安くて、とんでもなくいいものがあるから、それを仕入れてきて売れば、それで経済が伸びていくっていうような、考えももう止めたいのです。少なくともそれらに頼り切ってしまうことは止めたい。
 それを止めないと子どもたちに残すものが何もなくなる、そう思っています。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「安さ」には、それなりの理由があります。
 もちろん、売り手の良心だったり、お客を呼び寄せたいという計算だったり、薄利でもたくさん売れれば儲かるという読みだったりするのかもしれませんが、その一方で、そのものの質や安全性に問題がある可能性だって否定はできません。
 それでも、やっぱり「安さ」っていうのは、ひとつの魅力ではありますよね。お金だって節約するにこしたことはないし、同じものでも情報力で安く買うのは、そのプロセス自体がけっこう楽しかったりしますしね。
 実際には、「そんな安いスタンドにわざわざ行くまでの時間で、トクしたつもりの金額くらいのガソリンは、余計に使っちゃったんじゃないの?とか、言いたくなることもあるわけですが。

 中谷さんが書かれている「どこかにある、安くてとんでもなくいいもの」というのは、一概に幻想だとばかりは言い切れなかったところもあるのです。
 今までの世界では、経済格差によって、安い金額で他国から品物を輸入したり、現地生産を行ったり、あるいは、大量生産によるコストダウンを徹底して「安いもの」を生み出してきました。
 でも、そういうシステム自体が、そろそろ限界なのではないかなあ、と僕は最近思うのです。
 そうやって「格差」を利用すればするほど、その「格差」は埋まっていく、あるいはもう埋まってしまっているような気がするのです。

 30過ぎてから、コンビニ弁当やファーストフードが続くのにも飽きてきたし、正直、食事をするということに、「栄養補給」以外の喜びを感じることが少なくなってきたような気がしてなりません。
 もちろん「安いもの」を否定するつもりはありませんし、それによって助かっている人間は、僕も含めて少なくないでしょう。
 ただ、だからといって、「安全性」を無視して「安さ」のほうだけ重視するのは、やっぱり危険な兆候だと思うのです。
 「安いもの」がある一方で、「安くはないけれど、美味しくて安全なもの」も選択できるのが、本来の姿のはずです。
 僕は自分の子どもにどんなものを食べさせたいだろうか?と考えたときに、そこに思い浮かぶのは、やっぱり某チェーン店のハンバーガーではないんですよね。おそらく子どもは食べたがるだろうし、「絶対にダメ!」と言うつもりもないですが、少なくともそんなに頻繁には食べさせたくない。

 アメリカとの折衝で、近い将来にアメリカ産牛肉の輸入が再開されそうな情勢です。BSE検査については、「検査の効果に疑問がある、若い牛を除いて実施する」という方向で。
 しかしながら、BSE検査に一頭当たりどのくらいのコストがかかるかわかりませんが、それで肉が値上がりすることがあっても、僕は全頭検査をしてもらいたいと考えているのです。
 もしそれが「コストに見合わない、経済的に意味のない検査」だとしても、少しくらい値上がりしても構わないから。
 僕は、某大手牛丼チェーン店の偉い人が、輸入停止早々に「全頭検査は無意味だから、早く輸入を再開してもらいたい」なんてキャンペーンを張っているのをみて、「この人は、どこを向いて食べ物を売っているのだろうか?」「自分たちが売っているものの安全性に、多少なりとも不安を感じたりしないのだろうか?」と疑問に思いました。
 企業にとって死活問題なのはわかります。でも、だからといって、他人の口に入るものに対して、そんなに過信ばかりしていてもいいのでしょうか?

 プリオンの発見者であるプルシナー教授は、現時点では、「私は現在、米国では牛肉を食べない。食べるならきちんと全頭検査している日本でのみ食べる。日本の全頭検査は正しい」と断言されているそうです。
 実のところ、「全頭検査の非科学性」以前に、「プリオン」というものの正体すら、すべてわかっているわけではないのだから、「やれることはやっておく」という姿勢は、多少コストがかかっても、間違ったものではないような気がするのです。

 ただ、僕はこんなことも考えます。偽装表示が横行していているようなこんな時代じゃ、「高いから安全」だとも言えないよな、って。
 「どうせみんな危ないなら、安いほうがいいや」というのも、悲しい真実なのかもしれませんね。

 



2004年09月09日(木)
つらい「漁夫の利フィーバー」

毎日新聞の記事より。

【マダイを養殖していた高知県土佐清水市あしずり港内のいけすが8月末の台風16号の影響で壊れ、ほとんどマダイが逃げた。湾内に回遊した数は約11万匹とみられ、この情報を県内外の釣り人が聞きつけ、同港は思わぬ「漁夫の利フィーバー」に沸いている。】

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 「エビでタイを釣る」という言葉があるように、タイっていうのは、釣り人にとっては憧れの存在のようです。
 そして、このいけすから逃げたタイのおかげで、このあしずり港では、タイがまさに「入れ食い状態」なのだとか。
 今まで餌を人間からもらって生活していた魚が、自然界で自力で餌をとらなくてはならなくなったのですから、タイたちにとっても、餌を選り好みしていられない状況なのでしょうし。
 しかし、このことを「漁夫の利フィーバー」なんて書いてありますが、僕はこれを読んでいて、「タイに逃げられた養殖業者は、たまらないだろうなあ…」とつい考えてしまうのです。
 もちろん、一度海に逃げてしまえば、誰が釣ろうが「うちのタイ返せ!」なんて言える筋合いではないでしょうし、そういう恨みがましいことをこの業者の人たちが言っているという事実もありません。
 自然を相手に仕事をしている人たちにとっては、「こういうこともあるさ」とあきらめられる範疇なのかもしれませんけど。

 それにしても、こういうときに「他の人が逃がしてしまった魚をわざわざ釣りに行く」という行為に関して、僕はなんとなく割り切れないものを感じてしまうんですよね。世の中というものが、誰かが損をすることによって回っているにしても、顔が見える相手の不幸で自分が利益を得るというのは、やっぱり辛いものです。
 この場合は、「火事場泥棒」なんて犯罪チックなものではないし、どっちにしても取り返すことはできないものだし、そもそも、11万匹なんて、釣り人が少々がんばってみても、その10分の1ですら釣り上げることはできないだろうし、致し方ないかな、というところなのかもしれませんが。
 「タイの入れ食い」というのは、やっぱり気持ちいいだろうし、あんまり深刻になりすぎないほうが、お互いにとって幸せなんだろう、とも思います。

 でも、もし僕だったら、自分が逃がした魚で「漁夫の利フィーバー」とかが起こったら、ちょっと落ち込みそうな気もするんですよね。
 



2004年09月08日(水)
「眠っている人」に対する、さまざまな偏見

「発作的座談会」(椎名誠、沢野ひとし、木村晋介、目黒孝二著・角川文庫)より。

(「絶対に飽きないものは何か?」というタイトルでの4人の会話の一部です。)

【沢野:でも、オレも悩みあるよ。夜八時頃寝るだろう。で、朝早く起きるんだけど、昼頃ちょっと眠くなってまた寝ちゃう。すると気がつくと夕方なんだ。

目黒:それが悩みなの?

沢野:なんだか頭がぼーっとして。子供はえらいよな。夜十時頃に寝て、朝七時に起きる。それでちゃんと学校へ行くんだよ。あれ見てると偉いなあと思って……。

木村:とにかくこいつらは克美荘(椎名さんたち4人が若い頃に共同生活していたアパート)にいた頃から寝るのが早いんだよ。

目黒:昔から変わらないんだ。

沢野:椎名はさ、ちょっとスキがあると眠ろうとしているだろ。タクシーの中とかで。あれは意識的なの?

椎名:いや、オレ寝るのが好きだから。

木村:あれを見てね、この頃椎名さん疲れているから、とか同情する奴がいるんだけど、違うよ。

目黒:ただ寝るのが好きなだけで。

椎名:オレ、水平だったらどこでも眠れる。

目黒:そうか、毎日でも飽きないのはラーメンとか酒じゃなくて、眠ることなんだ(笑)。】

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 ああ、確かに「眠ること」だけはラーメンよりも酒よりも飽きずに毎日続けているなあ、と思いました。いや、僕にだって、「眠れない時代」だってあったし、「眠いけど、なんだか今寝たらもったいないような気がする」とか言いながら往生際悪く夜更かししてしまい、翌日になって眠い目をこすりながら、「ちゃんと寝ておけばよかった…」なんて後悔していることが多いんですけどね。

 この文章の中で、僕がいちばん印象深かったのが、椎名さんが「寝るのが好きだから寝ている」ということへの世間の好意的な見方に対して、長年の盟友である3人がツッコミを入れているところです。
 もし僕が飛行機の中で眠っている椎名さんを見かけたら、やっぱり「売れっ子作家だし、アクティブな人だから、きっと疲れているんだろうなあ」なんて自分で結論づけてしまうと思いますし。
 しかしながら、「疲れているというより、単に寝たいから寝ているだけ」の椎名さんに対して(本当は、それなりに疲れてもいるとは思うけど)、先入観だけで「忙しくて大変だなあ」と結論づける一方で、僕は日頃、講義中に寝ている学生に対しては、「不真面目だから寝ている」とか「昨日夜遊びしてたんじゃないか?」とか、ちょっと不愉快な印象を持ってしまいます。もちろん、講義の内容自体がつまんない、っていう要因もあるんだろうけど。
 でも、本当は、彼らは病気の親の看病をしていたのかもしれないし、一概に「眠っているからけしからん!」というのは、あまりに狭量なのかな。

 いや、僕だって、「会議なんてどうでもいいから、いつも居眠りしている」わけじゃないんですよ、本当に。
 「会議よりも眠るのが好きなだけ」なんだけどなあ。



2004年09月07日(火)
歴史の証人としての「フロッピー・ディスク」

「IT media」の記事「『過去の遺物』になるフロッピー」より。

【一部には、フロッピーに満足しているからというだけの理由だけで、捨てるのをためらう人もいると、米大手コンピュータ小売業者Vision Computersのタルン・バクタ社長は語る。
 バクタ氏の店では、基本的なコンピュータモデルに必要な装備をすべて付けているが、フロッピードライブは付けていない。
 「フロッピードライブが欲しいと言う人がいると、私はこう尋ねる。『最後にいつフロッピーを使いましたか?』と。多くの場合、『全然使っていない』という答えが返ってくる」(同氏)
 しかし、日常的にコンピュータを使う多数の普通のユーザーは、フロッピーが消えることを望んでいない。
 「私の子供にとっては、(フロッピーによって)学校でも家でも課題ができる。フロッピーはとてもいいアイデアだと思う」と買い物に来たマーク・オードウェイさんは話す。
 「私と夫が簡単に使えるものが欲しいだけ」と話すのは、パット・ブレイズデルさん。
 CD-RWやキーチェーンフラッシュメモリデバイスなど、フロッピーディスクに代わるものは幾つかある。いずれもフロッピーよりも大量のデータを格納でき、壊れにくい。
 それでも、フロッピーは1970年代から存在しており、人々はフロッピーに慣れている。今も出回っている最も古いリムーバブルストレージだ。】

参考リンク:「フロッピーディスク」(ウィキペディア)

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 「最近フロッピーを使ったことがありますか?」その質問を聞いて、僕はちょっと考え込んでしまいました。確かな記憶では、おそらく2年以上は使っていないと思います。
 職場にはフロッピーディスクもまだありますし、取り扱うのが画像のない文章のみであれば、現在でもフロッピーディスクでほとんどの仕事は事足りるのかもしれません。それでも、実際にフラッシュメモリを使うのに慣れてしまうと、フロッピーを使う機会というのはほとんどありません。
 そういえば、昔記録したデータはどうなっているんだろう?なんて心配にもなるのですが、考えてみれば3年くらい思い出さなかったものをこれからあらためて使う機会があるのかどうか、甚だ疑問でもあります。

 それにしても、フロッピーディスクというのは、僕にとっては感傷的な気分にさせられるメディアなんですよね。
 僕がはじめてパソコン(当時は「マイコン」と言っていましたが)を手に入れた20年前には、パソコンの記憶媒体は、カセットテープが主流で、フロッピーディスクは一部のマニアしか持っていないような「高嶺の花」だったのです。実際、ディスクドライブだけで10万円とかいう時代でしたし。
 僕は、一瞬でロードが終わってゲームが始まるというフロッピーディスクに憧れながら、カッタンカッタンとのどかに読み込まれるカセットテープの音を聞きつつ、ゲームの読み込みが終わるのを真っ暗な画面を見つめながら待っていたものでした。
 容量の関係もあって、フロッピーディスクのゲームには超大作(もちろん、当時の感覚ですが)も多くて「いつか、このフロッピー専用のゲームで遊んでみたいものだなあ」なんて、雑誌の紹介記事を穴が開くほど見つめていました。

 はじめてフロッピーディスク付きのコンピューターを手に入れたのは高校生のとき。その読み込みの早さは、まさに感動的なものでした。今までの「カッタンカッタン」が「カタタン」という短い音とともに次の場面に切り替わるのですから、それはもう嬉しくって。
 そして、フロッピーディスクというのは、カセットテープとは違って「パソコン(もしくはワープロ)でしか使われないメディア」でしたから、なんとなく「特別なもの」というイメージもあったんですよね。
 当時のフロッピーは320キロバイトでしたから(ちなみに、1000キロバイトが1メガバイト。CD−ROMの主流は640メガバイト)、今から考えたら、「圧縮しないと、デジカメの画像1枚分ですら入らないくらいの容量」だったんですけどねえ。

 昔のペラペラの5インチフロッピーよりも、はるかにコンパクトで大容量にはなりましたが、それでも現在の大容量化には逆らえないでしょうし、フロッピーディスクにとっては、その長い歴史の終点が近づいているのでしょう。
 でも、僕にとっての「コンピューターの歴史」は、フロッピーディスクとともにあったような気がするのです。
 あの「フロッピーディスクが読み込まれる音」には、「何か新しいことがはじまる期待感」が、たくさんつまっていたのです。
 「コンピューターが夢だった時代」も、すでに「過去の遺物」となりつつあるのかもしれませんね。



2004年09月06日(月)
お父さんは霊感症!

「ファミコン通信・2004/9/17号」の記事「新作ゲームクロスレビュー」の菅谷あゆむさんのコメントより。

【家族で幽霊の話をしていたとき、父が突如「じつはお父さんには霊が見える」と言い出した。「家にはよく女性の霊が出入りしていて、決まってあの時計のあたりにいる」。それを聞いた誰もが驚愕。母も「何十年もいっしょにいたけど初めて聞いた」と困惑の表情を浮かべた。】

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 父親の衝撃の告白!ということなのですが、この「霊が見える」という話っていうのは、なんともリアクションが難しいところです。「見える人」が「あっ、そこそこ、そこに霊が!」と言ったところで、「見えない人」は、同じところを見ても何も見えないわけですから。
 「突然そんなこと言われてもねえ…」っていうお母さんの困惑、わかるなあ。
 僕自身には、いわゆる「霊感」はまったくありませんし、「霊の存在を信じるか?」という問いに対しては、「とりあえず、先人の伝統と遺志は尊重したいけど、それと「霊」というものとは別だろう、と思うのです。
 そもそも「霊」って、あまりロクなことをしないという印象もありますしね。
 「ここに霊がいます」と霊能者が言っている場所は、いかにも「出そうな場所」ばかりで、プロなら「ごく日常的な場所」にいる霊をむしろ見つけてほしいなあ、なんていう気もします。
 しかし、考えてみれば、「本当に霊が見える人」にとっては、僕みたいな疑り深い人間は「自分は見ることができないから」という理由で信じてくれないのだから、「他人が見えないものが見える」というのは、けっこう辛いことなのかもしれません。「シックス・センス」という映画に出てきた「死者が見える子供」のように。
 「自分が見えないものが、他人には見える」というのと同じか、それ以上に辛い立場なときもあるはずで。
 
 万が一、日頃相手にしてもらえないお父さんが家族の注目を集めようと、「霊が見える!」と言っていたとすれば、それは、「本当に霊が見えること以上の悲劇」なんでしょうけどね。



2004年09月05日(日)
「みんな遠くにいっちゃうと思うみたい。」

日刊スポーツの記事より。

【新人アーティストUtadaが始動した。今回のラジオ出演は、日米両国で行う大掛かりなプロモーションの一環。アルバム「EXODUS(エキソドス)」は今月8日に日本で先行発売され、10月5日に全米で発売される。
 パンダのイラスト入りのTシャツにジーンズというカジュアルな格好で登場。「(ガラス越しに見られるので)動物園のパンダの気分だなと思って」と笑顔でファンに手を振った。DJに「あさって(6日)が結婚記念日ですよね」と突っ込まれると「あっ、ありがとうございます」としきりに照れて慌てて水に手を伸ばしていた。
 レコード会社との契約発表から2年半、制作には1年が費やされた。「やっとできたなという感じ。ほとんど毎日、ニューヨークのスタジオにいました。自分でこんなにできるんだと思いました」と語るこん身の1枚がついに完成した。
 全米デビューについては「結婚したときもそうだったけど、みんな遠くにいっちゃうと思うみたい。でもそんなこと言われると、私が寂しいよ。日本に来ないの?  そんなわけないでしょ」と日本ファンにメッセージを送った。「これからもたくさん日本語での歌も英語での歌もやっていくのでよろしく」とあいさつして、スタジオを後にした。】

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 僕は土曜日に車の中でこのFMの番組を聴いていたのですが、宇多田さんももう21歳なのか(おまけに結婚もされてますしね)と時間の流れの速さを痛感しました。
 はじめて彼女のプロモーションビデオを観たときに、「歌はすごくうまいしいい曲だけど、垢抜けてないしあんまり売る気なさそうなプロモーションビデオだなあ」なんて思ったのは、僕にとっては昨日とまでは言わなくても、ついこの間のようなイメージなのですが。
 ところで、この宇多田さんのコメントで僕が興味深いなあ、と感じたのは、【結婚したときもそうだったけど、みんな遠くにいっちゃうと思うみたい。でもそんなこと言われると、私が寂しいよ。】というところでした。僕が子供の頃ほど、アイドル(宇多田さんは「アイドル」ではないけれど、「カリスマ」ではありますから)と本気で結婚したいというファンは多くないでしょうし、同じ日本に住んでいても実際に接する機会なんてテレビやラジオの中か運良くチケットが手に入ったコンサート会場くらいしかないのに、それでも、「結婚した」ということに対して、「自分との距離が開いた」と感じる人がけっこういるものなのですね。
 確かに、「職場のちょっといいなあと思っている異性」くらいであれば、「結婚すると遠くに行ってしまう感じ」というのもわかる気はするのですけど。
 そういえば、結婚した同僚が、こんなことを言っていました。
 「結婚して何が寂しいって、前はみんなよく飲み会に誘ってくれたのに、結婚してからは、みんな声をかけてくれなくなったことだなあ。まあ、嫁さんが待ってるから実際には行けないことが多いんだけど、それでも、声だけでもかけてほしいなあ、って思うよ」
 誘う側だって、「結婚したばっかりだから」と遠慮しているわけで、お互いに悪気があるわけでもないのに気配りから距離というのは開いていくわけです。「何日か前から言っておいてくれれば、一緒に行けるのになあ」というような状況であっても、そういうタイミングって、突発的なことも多いですしね。
 宇多田さんにとって、結婚生活はけっして悪くないものでしょうけど、まだ21歳のひとりの女性としては、一抹の寂しさなんてのもあるのだろうな、と僕は感じると同時に、それを素直に【私が寂しいよ】言えてしまうこの人は、タダモノではないなあ、という印象が残りました。

 まあ、何かを得るためには何かを捨てなければならないこともありますし、僕はそこに「誰かの願いが叶うころ」という彼女の歌を重ね合わせてみたりもするのです。



2004年09月04日(土)
なんで日本人は英語がうまく勉強できないの?

「ダーリンは外国人」(小栗左多里著・メディアファクトリー)より。

(著者の小栗さんと夫のトニーさんが「どうして日本人は英語がうまく勉強できないのか?」について考えたこと)

【小栗:なんで日本人は英語がうまく勉強できないんだと思う?

 トニー:たぶん…ひとつは完璧主義だから。

<トニーの主張>
 例えば外国語で本を読むとき、日本人の多くは1ページを100%理解してからでないと、次のページに進めないと考えます。
 でも、そうすると、いつまでたっても次のページには行けません。
 「100%の理解」なんて、ネイティヴだってしてるのかどうか。
 ある程度で先に進みましょう。

 小栗:あと「間違えて恥をかきたくない」っていうのもあるよね。発音に自信ないし。

 トニー:「失敗するのがイヤだから話さない」これも大きな間違い!!
 「失敗」とは何か?恥ずかしがって少ししかしゃべらなかったら、意味が間違って伝わるかも知れない。それこそが「失敗」なのでは?

(例)「地球儀」という言葉がわからない

 「地球儀」を説明するために
      「地図のような…」
      「世界中の国が見られる…」
      「ボールみたいな…」

       ↑の言葉が多いほど伝わるわけだから、《いっぱい話す=失敗の確率が高まる》というワケではない。

 トニー:いっぱい話すことこそ、発音の悪さをカバーできることだと思いますよ。

 小栗:「日本人は英語がニガテである」刷りこまれてしまったこの先入観を自ら乗り越えるのが第一歩って感じでしょーか】

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 「日本人は英語が苦手な理由」について、あらためて、こうして日常的に英語に接している人の言葉を聞くと、なるほどなあ、と感じてしまいます。
 僕も英語は苦手で、いつも苦労が絶えないのですが、「全部理解しようと意識過剰になりすぎて、結局時間ばかりが過ぎていき、「もう間に合わない…」と途中で投げ出してしまう、なんてことは、けっこうありますし。
 確かに、母国語であるはずの日本語の文学作品や論文でも、本当にその内容を100%理解しているか?と問われたら、けっこうニュアンスだけ汲み取って流してしまっている部分もあるような気がします。そう、自分の国の言葉」でさえ理解しているわけでもないのに、外国語だから完璧に理解していなければならない、というのは、とてもおかしな話なんですよね。
 ただ、実際に自分で読んでいると、「理解不能なところが、実は重要な部分なのではないか?」という疑心暗鬼にとらわれることも多いので、やっぱり「必要なところを見極める」には、ある程度の慣れは必要でしょうけど。

 そして、「いっぱい話すこと」のメリットというのも、当たり前のことなのに、新鮮かつ納得できる説明だと思います。
 「単語さえわかれば、観光レベルならそんなに外国でも困らない」というのはよく言われることですが、「その単語がわからない」という状況では、昔テレビでやっていた「連想ゲーム」みたいに、「ヒントが多ければ多いほど、正解に近づく」というのは、当たり前のことですよね。
 あるいは、何かを説明するときにも、ひとつの方法だけでは正反対の内容になってしまったり、大きな間違いを招くことがあるかもしれませんが、断片的なものでも情報をなるべく多く提供しておけば、どれか一つや二つが全然違っていても、「全体としては、まあ及第点」の情報になるわけです。
 ひとりの人間について「どんな人ですか?」と誰かひとりにだけ尋ねれば、その聞いた相手の好感度に大きく左右されてしまうのに比べて、大勢の人にインタビューすれば、「ちょっと曖昧になってしまう面はあるけれど、概略としては間違っていない人物像」がイメージできるのと同じことです。

 そう、たくさん話すことによって高まるのは、「コミュニケーションが失敗する確率」ではなくて、「自分が変な英語を喋ってしまって、恥をかく確率」なんですよね。
 客観的にみれば、僕だって外国の人の「ヘンな日本語」を聞いても、一生懸命に喋ろうとしている相手に共感しこそすれ軽蔑なんてしないし、そういうのは、おそらく万国共通だと思うのだけど(もちろん、そうでない人もいるでしょうが)。
 それでも、やっぱり「ヘンなこと言ったら恥ずかしい」っていう気持ちは、なかなか払拭でき無いのも事実なのです。
 こういう「自意識過剰」こそが、英語習得の最大の壁なのかもしれませんね。とくに英語の場合「デキル社会人は、使えて当然!」みたいな風潮もありますし。
 僕も英会話教室に通おうと以前から考えているんですが、普通の習い事とは違った「敷居の高さ」みたいなのを感じていた理由が、なんとなくわかったような気がします。
 ピアノが弾けないからピアノ教室に行くのって、そんなに照れたり恥ずかしくなったりしないのに、英会話教室でヘタな英語を喋るのって、講師の先生とか周りの生徒たちにバカにされるんじゃないかな、とか思い込んでいたのかもしれません。
 向こうからしてみれば、「喋れない人が来る」のが、あたりまえのはずなのに。



2004年09月03日(金)
「究極の前向き」における「競争心の必要性」

「週刊アスキー・2004.8.31号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?』」より。

(モノマネ界のパイオニア、コロッケさんとの対談の一節です)

【進藤:究極の前向き、コロッケさん流、前向きでいられるコツを教えていただけませんか?

 コロッケ:いつも自分で思っていることは、人に対して競争心をもたないということかな。焦ってやってもいいことないし、引いて見ることによって、視野も広くなりますしね。

 進藤:染みる言葉ですね。

 コロッケ:負けたくないって気持ちをもっていた時期もあったんですけど、でもこの社会ってスポーツみたいにサラッとした戦いにはどうしてもならないんですよ。けっこうドロドロしているんで。「やった、アイツより上にあがったよ」みたいな、いやらしい気持ちになるなら、競争心ってもたないほうがいいんじゃないか。お互いにアドバイスし合えたりする間柄での競争心ならいいんですが、相手を蹴落としたり、憎んだりしなきゃいけないのはね。】

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 「競争心」という言葉にもさまざまな解釈があるわけで。
 ここでコロッケさんが語られていることで大事なのは、「人に対して」競争心を持たない、ということだと僕は思うのです。
 「競争は良くない」という「平等精神」のもとに、小学校の運動会はみんな同時にゴールするようになったり、競技の勝ち負けを決めなくなったりしているそうです。そういう風潮というのは、確かに「平等の精神」を植えつけているのではないかという気もしますが、その一方で、「努力してもしなくても一緒」という発想は、子供たちが生きていくうえで、必ずしもプラスにばかりは働かないでしょう。
 やっぱり、石にかじりついても踏ん張らないといけないときっていうのは、生きていれば必ずありますから。

 【(芸能界は)スポーツの世界みたいにサラッとしていない】とコロッケさんは言われていますが、実際はスポーツの世界だって、ドーピング問題や代表選考のイザコザなど、「サラッとしていない面」もあるのだと思いますけど。
 僕は、アテネオリンピックのハンマー投げでアヌシュ選手のドーピングによる失格の結果金メダルに輝いた室伏選手に対して「さて、室伏選手は本当に嬉しいのだろうか?」と感じていたのです。
 もちろん、ドーピングはスポーツの根源にかかわる問題だし、薬物の力で出した記録には、記録としての「意味」はないでしょう。
 でも、「目の前で自分より30cmも遠くにハンマーを投げた選手がいる」という現実に対して、室伏選手にいくばくかの「心残り」が無かったというのは嘘になるのではないかな、と。

 しかしながら、室伏選手の言動を観ていると、彼がものすごく平静に見えることに僕は驚くばかりなのです。
 御本人も仰っていましたが、室伏選手にとっては、金メダルよりも、もっと大事なことがあったのでしょうね。
 彼にとっては、「ハンマーをより遠くに投げる」ということが目的で、メダルというのは、その付加価値でしかなかったのかもしれません。
 自分は、できるかぎりハンマーを遠くに投げる。自分より遠くに投げる人がいるかどうかは、あくまでも結果に過ぎない。

 言い尽くされたことではありますが、他人と競争するというのは、対象が見えやすい反面、自分の立ち位置を相対的にしか判断できないという弱点があります。相手を弱くするというのも、「手段のひとつ」なのですから。
 でも、高校生の受験勉強ならともかく、ただでさえ自分の立っている場所がわかりにくい大人にとっては、「他人と競争しないで、自分のペースで自分のゴールを目指す」というのは大事なことかもしれません。
 他人に勝とうとするあまり、本来の自分には合っていない「ゴール」を目指してしまって、ゴールにたどり着いたものの「なにかが違う…」と悩み続けている人は、けっして少なくないようですし。

 それにしても、芸能界というのは「上」とか「下」にこだわりがある人が多い場所みたいですね。
 以前にやっていた、あの「芸能人格付けランキング」っていう企画、芸能人にとっては、本当に「シャレになってなかった」のかも。



2004年09月02日(木)
本当に偉いのは二番目に食べた人

「三谷幸喜のありふれた生活3〜大河な日々」(三谷幸喜著・朝日新聞社)より。

【初めてナマコを食べた人は偉いという話を聞くが、それは大きな間違いである。どんな時代にも、変なものをふざけて口に入れるお調子者はいるのだ。本当に偉いのは二番目に食べた人。二番目があるかないかで、それが 文化として定着するかどうかが決まる。続く人間がいなければ、最初の人間はただのおバカだ。】

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 これは、三谷さんが「日本最初のシットコム」(実際にどんなものだったかは、番組をご覧になった方はご存知だと思います)である、「HR」という作品について書いた文章の一部です。
 僕などは、「やっぱり、最初に食べた人が偉んじゃないかな、とりあえず、誰かが食べて無事なら『毒はなさそう』ってことはわかるし」という印象を持っていたのですが、確かに、その人ひとりで終わってしまったら「昔、あのイビツな生き物を食べたことがある人がいるらしい」という伝承だけが残って、ナマコは日本の食文化のひとつとして定着することはなかったでしょう。
 あるいは、昔の人は石ころとか土とかだって、誰かが口にしたことはあったのかもしれません。
 でも、後に続く人がいなかったから(まあ、最初に食べた人にとっても美味しくなくて、他人に薦めることもなかったでしょうし)、これらのものは「食べられないもの」として定着しているのではないでしょうか。

 そう考えてみると「文化」というのを定着させるためには、「後継者」というのがどうしても必要不可欠ではあるんですよね。世の中には「特別な才能を持っていた人にしかできなかったため、一代かぎりで終わってしまった文化」というのも少なくないはずです。
 能とかダンスとか短歌とかが定着したのは、そのもの自体が人の心や体を感動させられるものだったのと同時に、後継者を育成するシステムがしっかりしていたり、学び方が手軽だったりといった要因があって、「二番手」が延々と受け継がれてきているからなのです。

 「創始者」ほど目立たないけど、続いていくために大事なのは「二番目の人」。とはいえ、最初の人に次の人を惹きつける魅力がないと、どうしようもない気もするんですけどね。
 最初に食べた人が渋い顔をしてたら、ナマコを食べようという「二番手」は、なかなか現れないだろうから。



2004年09月01日(水)
目を見たら分かるなんて、絶対分かるわけない。

「PRIDE名勝負伝説」(宝島社)の桜庭和志さんのインタビュー記事「シウバ戦を”名勝負数え唄”にする」より。

【桜庭:そうですね。判定勝ちは勝ちじゃないと思います。なぜなら判定っていうのは、向こうにまだ戦う意思があるってワケじゃないですか。だから、完全に一本で勝つっていうのが理想ですね。相手が完全に参ったしたっていうのが、本当に勝ったってことですから。でも、秒殺はダメですけど。

インタビュアー:というと?

桜庭:面白くないですよ。見てる人もやってる人も。少なくとも僕は面白くないですね。最低でも、5分ぐらいは……。3分から5分はこう肌を合わして、ゴロゴロしてね。楽しむっていう訳じゃないですけど、相手の攻撃とか、防御の癖とかあるじゃないですか。そういうのを見ながらやりたいですから。

インタビュアー:3分から5分ぐらいやると、分かりますか。」

桜庭:なんとなく、分かりますね。よく、握手するとわかるなんて、そんなの絶対ないです。

インタビュアー:組むと分かる?

桜庭:分かんない、分かんない。ただ、力が強いか弱いかしか、分からないです。

インタビュアー:プロレスなんかだとよく、「ロックアップした瞬間に分かる」とか言うじゃないですか。

桜庭:動いてみないと、絶対分かんないですよ。あと、目を見たら分かるなんて、絶対分かるわけない。相手が攻撃してくるときも、目を見ていれば何をしてくるか分かるなんて言うけど、絶対分かんないですから。目なんか見てたらボーンって、ハイキック食らっちゃいますよ。】

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 桜庭さんはものすごい正直者か、ものすごい大嘘つきかのどちらかですね。僕は、ものすごく正直な人だなあ、と思ったのですが。
 こういう「組めばわかる!」「目を見ればわかる!」っていうような「闘う男の直感」みたいな説を振り回す人って、けっこういますよね。いや、格闘技に限らず「キミの目を見ていれば、何を考えているかわかるよ」なんて言う人も。
 確かに、視点が定まっていなければ「嘘をついているのかな?」とか、そのくらいのことはわかりそうなものですが、それだけの少ない情報でなんでもわかってしまうなんていうのは、一種の「幻想」なのでしょう。それは、本人にとっても、周囲にとっても共通の幻想。
 プロの格闘家の場合は、こういう「幻想」も含めて、ファンに夢を与えているのでしょうから、一概にウソツキよばわりするというのも「風情がない」というものなのですけど。

 どの世界でも、この手のハッタリをかます「プロフェッショナル」っていうのはいるもので、エンターテインメントの世界はともかく、重大な場面でその手の「勘」とか「閃き」みたいなものをアテにすると、とんでもないことになったりするわけです。桜庭さんも言っているように、「わからないから、何分間か闘って癖をみる」ことが大事。いずれにしても、物事を判断するには、情報は多いに越したことはないですよね。
 もちろん、「プロの判断基準」というのもあるんでしょうけど、その中には「知ったかぶり」に属するものも少なくないというのは、知っておいて損はないような気がします。
 本当に「知っている人」というのは、むしろ、そういう直感的なものに対して臆病になってしまうことも多いようですし。
 言っている人が自信たっぷりだからといって、無防備に信じてあげる必要なんて、全然ありません。
 必殺のハイキックを食らってから「しまった!」なんて思っても手遅れなんだからさ。