初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2002年08月31日(土)
2002年8月31日。


「週刊SPA!9月3日号」(扶桑社)の特集「モンスター個人サイト」管理人の恐るべき(?)素顔」のP46「次にブレイクする個人サイトはコレだ!」より一部抜粋。

【井上トシユキ氏「今って高齢者とか年金生活者も携帯を持ち始めてるじゃないですか。今後は、ジジババの個人サイトがあなどれない。ジジババは、ものすごく熱心にパソコンを学ぼうとしてる。2ちゃんねるの利用者も数%が70歳以上(笑)。」】

〜〜〜〜〜〜〜

 確かに、今の話題の個人サイトって、基本的には発信者も受信者も10代後半〜30代前半がほとんどのような印象を受けます。でも、年齢層の広がりはこれから出てくるんじゃないかなあ。たとえば映画にしても、日本では戦前から戦後すぐにかけては「不良が観るもの」といわれていた時機がありますし、ゲームにしても、インベーダーゲームのころは、子供や若いサラリーマンがやるもので「ゲームセンターは不良の溜まり場」というイメージを持たれ、日本が世界に誇れる産業にまで成長するとは、誰も思っていなかったわけですから。
 今や、映画が趣味の高齢者なんて、たくさんいるわけですし。
 とくに、新聞の読者投稿欄に熱心に投稿する人たちにとっては、個人サイトというのは、まさにヒットしそうな気がします。技術的なところでついていけさえすれば、ですが。
 発信するべき何か、を持っているのは、必ずしも若い人ばかりではないでしょうし、むしろ高齢者の経験を共通の資産として残すという意味でも、単なる老後の愉しみという意味でも、これからは高齢者の個人サイトはどんどん増えていきそうな感じ。
 ただ、若いうちは、世界に対して言いたいことがあるけれど、経験で消化することができず、年をとると経験で物事を捉えることができるけど、興味の範囲が自分の身の回りのことに限局されてしまうことが多いようです。
 正直、知らない人の愛孫の写真なんて、あんまり興味もてないもんなあ。
まあ、身の回りのことを書くのが悪いなんてことは、別にないんですけど…

結局、個人サイトへの興味の大部分は、管理人に対する興味、なのかもしれませんね。





2002年08月30日(金)
2002年8月30日。


「WIRED」のコンピューターニュースより。

【18年間、マシンを起動した際にマック・ユーザーを出迎えてくれた笑顔のアイコン「ハッピーマック」が死んでしまった。
米アップルコンピュータ社の新バージョンのオペレーティング・システム(OS)『ジャガー』(マックOS X v10.2)では、このアイコンが、落ち着いたグレーで描かれたアップル社のロゴに置き換えられているのだ。
ハッピーマックの「逝去」に対しては、瞬く間に、このアイコンに愛着を感じていた一部の熱狂的アップル・ファンたちか ら広く哀悼の意が捧げられることとなった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 あのアイコン、「ハッピーマック」っていうんですね。最初に「ハッピーマック死す」とのニュースを聞いたときは、マクドナルドの新メニューが中止になったんかいな?と思ってしまいました。マックフリークの皆様、ごめんなさい。
 僕がはじめてマックというパソコンに触れたのは、大学4年のときで、いまからもう、10年くらい前の話になります。当時のマックは、マッキントッシュ・クラッシックの時代。四角くてコンパクトな本体とディスプレイ一体型の白黒画面のカッコいいコンピューターでした。当時は、まだPC9801シリーズからMS-DOSへの移行期で、マウスだけで操作できるというマックは、まさに驚愕の先進コンピューターだったのです。
 実習で、その憧れのコンピューターに(なにしろ、マックが導入される前は、FM8をずっと使っていたんですから)電源を入れたとき、画面でニッコリ微笑んでいた小さなマックの姿、なんとなく記憶に残っています。それは、まさに憧れの象徴。
 いつか自分のマックが買える身分になりたい、と心から思ったものでした。
 それから時は流れ、自分のマックを手に入れたのですが、あのハッピーマックは起動の遅い時代の良い話相手だったような気がします。
 固まったときの「泣きマック」には、ついつい、「泣きたいのはこっちだ〜」と愚痴ってしまったこともあったっけ。
 パソコン自体が一般的になってしまって、小学生にでも操れるようになってしまった昨今では、「ハッピーマック」の醸し出す「親しみやすさ」は、もう必要ないのかもしれません。でもなあ、やっぱり、君がいないと寂しいよ…
 
と書いている僕が今使っているのは、ソニーのバイオ。
ごめんよ、ハッピーマック。






2002年08月29日(木)
2002年8月29日。


スポーツニッポンの記事より抜粋。

【中島みゆき(50)が歌うNHK「プロジェクトX」の主題歌「地上の星/ヘッドライト・テールライト」が、110週連続チャートインの日本記録を樹立した。

 発売は2000年7月。15位で初登場してから2年1カ月、売り上げトップ100から一度も陥落することなく売れ続けた。これまでの連続記録は、渥美二郎「夢追い酒」の109週。

 音楽史に残る快挙に、中島は「ありゃまあ!驚いたあ」の第一声。「もう、何が何やら、きょう自分の子供が110歳になったと知らされたような、めでたくも不思議な気持ち。これからも、いつまでも、丁寧に歌い続けていきたい」と喜びのコメント。】

〜〜〜〜〜〜〜

 みゆきさん、おめでとうございます。2年以上も連続して100位以内とは、すごいなあ。ちなみに、「とくダネ」で観たのですが、オリコン100位以内に入るには、一週間に焼く2000枚の売り上げが必要だそうです。今でもこのくらいは売れ続けているわけですね。今までの通算売り上げ枚数は54万枚、とか。でも、2年も売れ続けて50万枚強という数字は、そんなにびっくりするようなものではないですね。ほんとうに細々と売れ続けてきたんだなあ、ということがわかります。
 中島みゆきさんといえば、30歳越えの人たちにとっては、「オールナイトニッポン」のパーソナリティでの意外すぎるハイテンションなキャラクターが記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。今回の新記録のコメントで、久々に生声を聴かせていただきましたが、「ありゃまあ!おどろいたあ〜」がオールナイトニッポン時代を髣髴とさせるトークで、ひどく懐かしい想いにかられてしまいました。
 しかし、演歌のような売れ方、というのは裏を返せば、中島みゆきというシンガーは、現代では、僕たちが15年くらい前に「演歌」としてオヤジの象徴だと思っていたような存在になってきつつある、ということなのでしょうか。
 「あの人、だいたい旧いのよね、カラオケに行っても中島みゆきとかユーミンとかしか歌えないんだから!」とか若者に後ろ指を指される時代になりつつあるのかなあ。






2002年08月28日(水)
2002年8月28日。


「西日本スポーツ」8月28日号の秋山選手(ダイエー)引退特集の記事より抜粋。

【「パパはあしたで卒業だよ」ユニフォームを脱ぐ前日の25日、秋山は娘の真凛ちゃんに自らの引退をこう告げた。すると、娘のヒトミが見る見るうちに輝いていった。「ひまになったんだね。これで、パパと遊びに行けるね」幼い娘の反応は正直だ。遠征が多く、家をあけがちの父親と時間を共有できることへの素直な喜びだった。それは父も同じだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 秋山選手、お疲れ様でした。まさに走攻守の3拍子そろった名選手だったと思います。個人的には、西武時代の日本シリーズで、広島との対戦の中、ホームランを打って、ホームベースの前で宙返りをしてみせた姿が忘れられません。まあ、それは広島ファンである僕にとっては、なめやがって、コノヤロウ、という印象であったのですが。
 まあ、それはさておき。
 僕たちは「引退」というと、とかくネガティブなイメージを持ちがちです。言ってみれば人生おしまい、みたいな。
 でも、この真凛ちゃんの言葉を聞くと、野球選手にとっての「引退」は、ある意味、家庭生活への「復帰」でもあるのかなあ、と思います。
 きっと、いままで、お父さんはシーズン中はほとんど家に帰ってこず、寂しい思いをしていたんでしょうから。まだ6歳の娘さんにとっては、お父さんと遊びたい年頃。いつかは、お父さんなんかキライ!という日も来るでしょうし、秋山選手も野球の世界で指導者として、また家に帰れない生活に戻る日が来るのでしょうが、とりあえず、今、こうして家族に秋山さんが復帰できるということは、彼にとって大事なことなんじゃないでしょうか。
 福岡ドームで、人一倍多くの歓声を受けていた彼の姿が観られなくなるのは、ファンにとっては、とっても寂しいことではありますが。






2002年08月27日(火)
2002年8月27日。


ロイター通信の記事より。

【ソニーは、ベータマックス規格のビデオデッキの生産を年内で打ち切ると発表した。同社は今後、約2000台生産して終了する予定。
 ソニーによると、ベータマックス規格のビデオデッキは、1975年5月に1号機発売以降、国内で累計約400万台(全世界では累計約1800万台)が生産された。しかし、需要が減少したことなどから、生産終了を決定したという。
 家庭用ビデオデッキを巡っては、ソニー独自のベータと、松下電器産業や日本ビクターを中心とするVHSが、1970年代後半から80年代前半にかけて規格争いを繰り広げ、VHSが優位になっていた経緯がある。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ついに、βのビデオデッキが生産中止、寂しいなあ…と言いたいところですが、逆にびっくりしました。ソニー、まだベータのビデオデッキを造ってたんですね。
 むしろ、まだ生産中止されていなかったことに対して、ビックリです。
 もう15年以上も昔の話になってしまうのですが、新しい物好きのうちの親がはじめて買ってきた、テレビ番組を録画できる魔法の箱、それがビデオデッキだったのです。
 うちにやってきたのは、ソニーのベータマックスのビデオ。
 初期の頃は、6対4くらいでベータのほうが優勢な時期があり、録画時間が短いのが難点でしたが、ベータは画質が良くて、カセットも小さかったので、VHSよりもこっちのほうがいいんじゃないかと言われていました。
 でも、規格をオープンにして、多くのメーカーから発売されたVHSは、バラエティーと価格の面でソニーを上回り、カセットも廉価だったため、あっという間にベータは駆逐されてしまったのです。
 電器屋に行っても、ベータのテープはほとんどみかけなくなり、最後の砦だったソニーも、ついにVHSの軍門に下ったため、ベータは歴史の闇に葬られたのでした。
 ソニーのVHS発売の一報を聞いたベータ小僧である僕は、もう一生、ソニーのビデオやビデオテープは買わん!と心に誓い、それは今でも続いています。
 たぶん、最近の子供は、ベータマックス規格のビデオデッキなんて、知らないんだろうなあ。
 それにしても、最近まで生産していたとしたら、今までベータのデッキは誰が買っていたんでしょうか?少なくとも、この10年くらいは、ベータのデッキやテープなんて、全く見かけたことはなかったのですが。もちろん、貴重なテープを無駄にしたくないということで、細々とベータを愛好し続けてきた人たちもいるのでしょうけれど。
 でも、このニュースを聞いて、ちょっとだけソニーを許してあげようかな、という気もしてきたのです。VHSに敗れてから今まで、細々と売れるはずもない商品を造り続けてきたのですから。
そんな無駄な努力するくらいだったら、創成期にもっとがんばっとけよ、と言いたくもなりますが。






2002年08月26日(月)
2002年8月26日。


8月26日の日刊スポーツの紙面より。

【懐かしのアイドルグループおニャン子クラブが15年ぶりに再結成され、25日、都内でシングル「同級生」などのレコーディングを行った。最大で52人いたメンバーのうち、国生さゆり(35=会員番号8番)新田恵利(34=同4番)ら14人が集結。大所帯アイドル集団のパイオニアとして「モーニング娘には負けたくない」と、相変わらず元気いっぱいだった。
 レコーディングも息がぴったり。「夫と2人で練習して臨みました」という国生は「1人1人が加わることでおニャン子の歌になってくるんですよ」とうれしそう。名越美香(36)も「おニャン子ってちょっとすごかったのかもー」。モーニング娘。に対する対抗意識について質問されると、内海和子(35)は「子供世代のアイドルはやっぱりモーニング娘ですよね。でも、5歳の娘のためにもモーニング娘には負けたくないな」と力強くライバル宣言。ほかのメンバーから「おお」「すごい」とどよめきと爆笑が起こり、楽しい同窓会そのものとなった。
 過去のライブ映像などを編集し、今年4月に発売された5枚組みDVDも大ヒットし、今回のシングルは復活第2弾。おニャン子としての今後の活動の可能性について国生は「あるといいですね」。「ファンの人が今も年に1回ビデオコンサートを開いてくれていたりする。応援してくださる人がいる限り、おニャン子は続きます」と笑顔で話した。】

〜〜〜〜〜〜〜

 おニャン子クラブ、現在30歳の僕などは、「直撃世代の少しだけ下くらい」なのです。
当時のおニャン子の人気といえば、それはもうものすごくて、メンバーがレコードを出せば必ずオリコン1位となり、教室でいきなり「会員番号8番!」と聞かれれば「国生さゆり!」と答えられないとバカにされるという世界でした。
 残念ながら、僕自身は当時、全寮制の男子校に通っていたため、ほとんどリアルタイムで「夕やけニャンニャン」という番組を観たことはなかったのですが。
 ただ、当時を知る人間として言わせてもらえば、5枚組みDVDが大ヒットしたのはわかるのです。それはもう、若い日の思い出でもありますし、当時欲しかった物をお金が自由に使えるようになって取り戻したい気持ちもあるし。
 僕たちが会いたかったのは、たぶん、記憶の中の「おニャン子クラブ」で、普通のおばさんになってしまった彼女たちに商品としての希求力があるかといわれたら、ちょっと厳しいというか、かえって、あんまり見たくないような気もします。
 工藤静香とか渡辺満里奈のような、「現役芸能人」は本人の意思かどうかはわかりませんが、再結成メンバーからは除かれているようですし。
 ただ、ひとりの同世代の人間としては、こういう企画に同窓会的な勢いで集合して、昔の恩讐を越えて仲良くレコーディングしている様子なんていうのは、ほほえましいなあ、いいなあ、とも思うのです。彼女たちの大半は、「普通のおばさん」になってしまったようだけど、芸能界から離れて「普通の」おばさんやってるのも大変なんだよなあ、ということは、同世代の人間として、わからなくもないですし。
 とりあえず、みんな(じゃないかもしれないけど)元気でよかったよ、うん。だからといって、新曲を買おうとは思いませんけどね、申し訳ないけど。

でも、ほんとうに見たくないのは、「おばさんになった彼女たち」じゃなくて、おっさんになった自分のことなのかもしれないなあ。



2002年08月25日(日)
2002年8月25日。


「オーケンののほほん日記・ソリッド」(大槻ケンヂ著・新潮文庫)の92ページ、1996年9月16日の日記より。

【ショーン・コネリーの「ザ・ロック」を観に行く。ニコラス・ケイジの顔を大スクリーンで観るインパクトたるや何事か。本当にヘンな顔をしている。】

〜〜〜〜〜〜〜

 まあ、「ヘンな顔」とまで言い切る勇気は僕にはありませんが、確かにインパクトがある顔というか、すくなくともトム・クルーズみたいに誰もが認める美男子ではないと思います。僕の知り合いの女の子は「でも、ニコラス・ケイジって、フェロモン出てるのよねえ〜と言っておりましたが。

 劇団・第三舞台の鴻上さんが、何かの本に書かれていたのですが、イギリスのアクターズスクールでは、二枚目の俳優養成コースのほかに、老人役用やおばさん用、太った人用など、さまざまなキャラクターを養成するコースがあるそうです。最初から、イロモノを志向している場合もあるわけですね。
 確かに実際の舞台には、いろんなキャラクターが必要なわけで、そのほうが合理的な気もします。いわゆる性格俳優が出やすい土壌もそのあたりにあるのかもしれませんね。
 ちなみに鴻上さんによると、実際に主役の座をつかむのは、単なる二枚目よりも、ちょっと癖があるひとのほうが多いのだとか。
 日本では、どうも格好いい人、綺麗な人しか役者になれないというイメージが強いようですが、実際、印象に残る人は、必ずしも美形の人ばかりではないわけで。日本の中小の劇団には、けっこうたくさん、面白いキャラクターの役者さんがいるのですけれど。




2002年08月24日(土)
2002年8月24日。


「週刊SPA 8/13,20合併号」より大川興業の大川元総裁の対談中の発言から。

【大川「お笑いだって、いちばん頭の切れが悪いやつが、ツッコミをやる場合が多いんだよ。でも、いっつも同じセリフばっかり言ってるから、しゃべりは上手くなる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 いわゆる、お笑いの人たちをみていると、確かに、ツッコミの人のほうが、いわゆる「切れ者」に見えることが多いですよね。
 でも、本職に言わせると、実際はそうじゃないということですね。
 まあ、ビートたけしさんみたいに、必ずしもこの例え通りにはいかないケースもあるみたいですが。
 確かに、日常会話においては、喋りが上手い人というのがイコール話上手ではない場合も多いです。立て板に水のしゃべりで、結婚式場を退屈の渦に巻き込む人もいれば、トツトツとした話し振りでも、心に響いてくることもありますし。
 ただ、僕が思うのは、頭の切れとは別に、けっこう人によって「話し上手」型と「聞き上手」型に分かれるのではないかと思うのです。
 日常会話では、これはあくまでも相対的なもので、ある人の前では饒舌になったり、ある人の前では聞き役にまわったり。
 そういう観点で、自分の「聞き役」度を測ってみるのも面白いかもしれませんね。
 「話し上手」が「聞き上手」とは限らないわけで、「面白いボケ」の人が、頭が切れるからといって必ずしも「面白いツッコミ」にはなれないんじゃないかなあ、と思います。



2002年08月23日(金)
2002年8月23日。


毎日新聞の記事より。

【武部勤農相は21日、日本ハムが決めた大社義規(おおこそよしのり)会長(87)が名誉会長に就任する処分に対し、「名誉会長や最高顧問を設けるのは理解できない。国民の理解を得られない」と厳しく批判、大社会長らに完全引退を求める考えを示した。 

 農水省が近く解除する見通しだった日本ハムの牛肉販売の自粛指導についても「消費者が納得するように、日本ハムの(経営改善の)方向性がきちんと出なければ、安易にできるものではない」と、慎重な考えを強調した。日本ハムは20日、大社会長が名誉会長に、鈴木茂雄副会長(87)が最高顧問になり、いずれも代表取締役を退く処分を発表した。しかし、農相の強硬姿勢で、処分見直しは避けられない情勢だ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 農相の毅然とした態度、テレビで観ていて感服しました!なんてね。
 たぶん、インタビューに嬉々として答える彼の姿をみて、大部分の人が「日本ハムの責任者への処分が甘いというのはわかる。でも、それは武部さん、あなたが偉そうに言うことかね?」と思ったのは間違いないと思うのですが。
 武部さんといえば、先日のBSE(狂牛病)問題の際に、各方面から辞任を要求されたのに「私は、職務をまっとうすることによって責任を取る」と仰って、大臣の椅子にしがみついていた人です。
 最高責任者が辞任によって責任をきちんととるべき、なら、あなたが今、大臣であること自体が異常なのでは。
 日本ハムの経営陣も、お前だけには、そんなに偉そうに言われる筋合いはない!と言い返してやりたい気持ちがあるんじゃないでしょうか。
 まあ、この人は極端な例だと思いたいですが、世間には、自分のミスには寛容だけど、他人のミスには厳しい人って、けっこういますよね。自分は借りた1万円を忘れたふりしているくせに、人に貸した1000円のことは、ブツブツ言うような人。
 攻撃力は強いけど、防御力はない人、とでも言ったらいいのかな。
 だいたい、そんな日本ハムの偽装工作を見抜けなかったこと自体については、農相には責任がないんでしょうか?
 まあ、なあなあになってしまって、「俺もやめないから、お前もいいよ」という雰囲気になってしまっても、それはそれで困ったものではありますが。汚い言葉ですが「目くそ耳くそを笑う」というのを思い出してしまいました。
 
 それでも大臣。居直った者勝ち、なのかなあ。




2002年08月22日(木)
2002年8月22日。


「オーケンののほほん日記 ソリッド」(大槻ケンヂ著・新潮文庫)より抜粋。

【追悼本で語られる人物像は、さまざまな人の想い出の破片の貼り絵みたいなもので、必ずしも実物と一致はしないことが多い。追悼本は時として、故人を聖人君子として本人にしたら迷惑だろう虚像を作り上げてしまう。そこら辺の害をわかっての確信的愛のムチなのか。生前、本当に愛されていたであろう人の追悼本には、故人を厳しく批判する人の文が一つか二つ必ず載る。手塚治虫の時は宮崎駿が、アニメーターの劣悪な環境の元凶として手塚を断罪していた。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この文章、大槻さんが「ガロ」の編集長だった長井勝一さんの追悼本について書いているところで、このあと、長井さんの追悼本についての感想が語られるのですが。
 それにしても、昔の(今もかもしれませんが)アニメーターの環境の劣悪さは、かなりひどかったみたいですね。厳しいノルマに、安い給料・長い労働時間。最近では、アニメ製作は、海外に「下請け」に出される場合も多いようですし。
 「マンガの神様」である手塚さんのことを宮崎さんが、しかも追悼本で批判したというのは、ちょっと礼儀に反するのではないかなあ、というのが一般的な印象なのではないでしょうか。
 手塚治虫がいなければ、宮崎駿のスタジオジブリだって、おそらく存在していなかったでしょうし。
 でも、宮崎駿さんは、手塚さんという一人の巨人の追悼本だからこそ、あえて、そういう批判をしたんだと思います。いや、それは批判というより愚痴に近いものなのかもしれません。
 「手塚さん、あなたがもうちょっとお金やスタッフの待遇のことをしっかりしておいてくれたら、後に続くものたちは、こんなに苦労しなくてもよかったのに…」という気持ち。
 あまりにアニメを愛するがゆえに、普通の感覚とはかけ離れていた天才。
誰もが生活を投げ打ってアニメーターになれるわけではないですし、今まであまりにアニメを愛する人間の献身に頼りすぎていた日本のアニメを現在支える立場として、宮崎さんは一言、言いたかったんでしょう。
「僕らは、手塚治虫じゃないんだから…」と。



2002年08月21日(水)
2002年8月21日。


「Kyushu Walker」2002 No.18
スピッツの新アルバム「三日月ロック」の発売前インタビューより。

(メンバーの田村さんが、今回のアルバムの発売までの経緯について語った部分)

【今回はすごく本質的なところで作った気がする。草野(マサムネさん)が持ってくる曲に向かって、自分が感じたとおりに演奏しようと思ったというか。今思うと「RECYCLE」(’99年発売)っていうベスト盤へに対する反発みたいなものから「ハヤブサ」ができて。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ああ、やっぱりそうだったのか、と。
 スピッツのベスト版「RECYCLE」の発売当時、巷では、「メンバーは、今回のベスト盤については、かなり消極的(というか、嫌がっている)だったけれど、発売間隔も開いているし、レコード会社のゴリ押しで発売されたという噂が流れていたんです。
 「ベスト盤なんて…」というアーティストはけっこう多いようですが、実際にそれを出すことでのメリット(収入であるとか、そこから入ってくるリスナーの裾野の拡大)を考えれば、口ではそう言っていたとしても、本音は「まあ、いいか…」くらいのものだろうと思っていたのですが。
 ベスト盤というのを否定しようとする理由には、「アルバムとしてのまとまりがつかない」とか「どれがベストなんて、選べない」とか、さまざまな理由があるみたいだけれど。
 それにしても「ベスト盤への反発」から、一枚アルバムを作ってしまうとは。まあ、スピッツらしいといえば、らしいエピソードです。

 ちなみに、このインタビューで、僕がもうひとつ心に残ったところ。
 このアルバムには去年の春に発売された「遥か」も入っているのですが、そのことに対するメンバー田村さんのコメント。
【アルバムとは色合いが違うけど僕がリスナーだったら入れてほしいんで】
まさに、その通り!と手を打ってしまいます。
このこだわりと柔軟性。
これこそが、15年間も続けてこられた理由なのかもしれませんね。 



2002年08月20日(火)
2002年8月20日。


読売新聞の8月20日の記事より。

【東京の多摩川に迷い込み、一躍人気者となったアゴヒゲアザラシの「タマちゃん」が、今月17日午前の目撃情報を最後に、姿を消した。多摩川はその日から、台風13号の影響による豪雨で水が濁り、水量が増えるなどしたため、下流に逃げた可能性がある。タマちゃんはどこに――。

 タマちゃんは、東京湾の河口から約13キロ上流の丸子橋(東京都大田区)付近で、今月7日ごろから目撃されるようになった。その後、新聞、テレビなどで報じられたこともあって、人気が爆発。愛らしい姿を見ようと、連日数百人の見物人が川岸から見守る騒ぎとなった。

 ところが、17日午前6時ごろを最後に姿を見せなくなり、同事務所に「いなくなった」「どこに行ったの」などの電話が相次いだ。

 サンシャイン国際水族館(東京・豊島区)の海獣飼育担当者は、「大雨の後の多摩川の流れは、アゴヒゲアザラシの住む海の流れよりも激しい。えさの小魚なども濁流に流され、捕まえることが難しそうだ。しばらくは、あの場所に戻らないのでは」と話している。

 同橋付近はタマちゃん目当ての見物客で連日にぎわっていたが、20日はほとんど人影は見えず、いつもの静かな河原に戻っていた。】

〜〜〜〜〜〜〜

 さよなら、タマちゃん。
 まあ、言ってみれば、正常な状態に戻ったということなんでしょうけれども。
 僕もテレビの画面で「タマちゃん」をみましたが、確かに愛らしいです。それが多摩川でみられるなんて、地元の人たちにとっては、たまらないですね。
 と、言いたいところなんですが、この騒ぎって、いったい何だったんでしょう?
 アザラシなんて、そんなに珍しい生き物ではないですし、水族館に行けば、たいがいどこででも見られます。野生のものは珍しいとはいっても、はたして、そんなに価値があるものなんでしょうか?
 「早く助けて、水族館に収容してあげたら、こんなことにならなかったのに」という声もあるみたいだけど、もともと野生のアザラシが風雪にさらされるなんてことは、よくあることのはず。そう簡単には死んだりしてないですよ、きっと。
 むしろ、まわりが静かになって、ほっとしてるんじゃないかなあ。
 ほんと、本人にとっては、仲間からはぐれるし、環境激変するしでまったくいいことないのに、うっかりマスコミにとりあげられてしまったばっかりに「日本でいちばん有名なアザラシ」として追い掛け回される羽目になってしまったんですから。
 たかがアザラシの話…って、犯罪の被害に遭われた方や芸能界の人にも「タマちゃん」は、たくさんいるのです。
 タマちゃんは、他の仲間にまぎれてしまうこともできるんですけど、ね。



2002年08月19日(月)
2002年8月19日。


「こんなにヘンだぞ!空想科学読本」(山本弘著・太田出版)より。

【SFとホラーとファンタジー。この三つのジャンルはよく混同される。いずれも非現実的な題材を扱っているからだ。スペクトルの赤とオレンジ、オレンジと黄色の境界線が曖昧であるように、SFとホラー、SFとファンタジーの間に明確な境界線を引くことは難しい。それでも、赤とオレンジと黄色が別の色であるように、この三者は別物なのである。
 僕はこういう定義を考案している。
 「幽霊に出会ったら悲鳴を上げて逃げるのがホラー、幽霊とお友達になるのがファンタジー、幽霊を捕まえて研究するのがSF」】

〜〜〜〜〜〜〜

 筆者、山本弘さんによる、SFとホラーとファンタジーの定義です。
 SFって、何の略?というクイズ、よく見かけるのですが、「スペース・ファンタジー」と思っている人、けっこう多いみたいなんですよね。
 実際は、「サイエンス・フィクション」つまり、科学に基づいた架空のお話ということで、宇宙人やUFOが出なくても、成り立つもののようです。
 僕は、クラークとかJ.P.ホーガンといった、ハードSFは、正直苦手なんですよね。理論的であることはわかるんですが、それを理解することができないと、面倒くさくなってしまって。
 ただ、この山本氏の定義でいくと、僕たちがSF映画だと思っているもののほとんどは、ホラーやファンタジー、アクション映画になってしまうのかもしれませんね。
 う〜ん、それにしても、主人公が幽霊をつかまえて研究するシーンというのは、あまり映像的には興味が湧かない気がします。
 ひとつ間違えたら、「特命リサーチ」になっちゃうしなあ…

 そういえば、この定義でいけば、「ファイナルファンタジー」は、どうなるんだろう?



2002年08月18日(日)
2002年8月18日。


GAME SPOTの記事より。

【ドワンゴは,504iシリーズ専用スクロール型ガンシューティング「カワグチ探検隊」の配信を開始した。お
「カワグチ探検隊」は,あの水○スペシャルを彷彿させるワクワクのiアプリ。同社のiモード・iアプリ向けのお得なゲームパックサイト “ドワンゴ7”で楽しめる。

 プレイヤーはTV番組「世界摩訶不思議探検隊」取材班の一員として冒険に参加し,幻の魚「レピドン」をTVカメラに収めるため,アマゾンの奥地へと進んでいく。ゲームはいくつかのステージに分かれ,それぞれにピラニア,毒蜂などの危険生物が攻撃してくるぞ。

 プレイ画面は擬似的な3Dで構成され,画面奥から手前へと次々に襲い掛かる敵キャラをガンなどの武器で撃退していく。回避行動も可能だ。ステージラストのボスキャラクターを倒すとステージクリア。攻撃を受けると「ライフ」ポイントが減っていき,ポイントがゼロになるとゲームオーバーだ。

 敵キャラクターの撃退数などがポイント換算され,その累計ポイントでエンディングが変化するという。

〜〜〜〜〜〜〜

 「水曜スペシャル」の川口浩探検隊、懐かしいです。
「隊長!」という隊員の声につられるように、次々に探検隊におそいかかるサソリ、毒蛇、火炎地獄などのさまざまな困難。
 ちょうど小学生から中学生くらいのころにこの番組を僕は楽しみに観ていたのですが、子供心に、いつもこんなに大発見をしているのに、どうして新聞に載らないのか、すごく不思議に思っていたのを思い出します。
 当時は、ヤラセなんてことに、そんなにうるさくない時代でしたから(まあ、みんなわかりつつも粗捜しをしていたところもあるのかもしれませんが)すごいなあ、とけっこうみんな感心しながら見ていた記憶があります。
「大きくなったら探検隊に入りたい!」っていう同級生もいたしなあ。
 「恐怖の蛇島」とか「原始猿人バーゴン」とか、いろいろありましたよねえ。
 隊員がいきなりピラニアに手をかまれたりとか。
 嘉門達夫の「ゆけゆけ!川口浩」(か〜わぐちひろしが〜洞窟に入る〜カメラマンと照明さんの後にはい〜る〜)というのもありました。
 「事実」と「演出」についてみんなが意識し始めたテレビ番組の元祖かもしれません。
 しかし、今から考えても、あんなに暑そうなところとか、毒蛇やサソリがいるようなところに行った、それだけでもたいしたものなのかもしれません。
 僕は、ヘビ島とか、絶対に行きたくないです。勘弁してって感じ。
そういう意味では、「ガチンコ」よりもよっぽどリアルなんじゃないかなあ、演出過剰だとしても。




2002年08月17日(土)
2002年8月17日。


「消えたマンガ家〜ダウナー系の巻」(大泉実成著・新潮社)の鴨川つばめさん(漫画家・代表作「マカロニほうれん荘」)より抜粋。

(鴨川さんが「マカロニほうれん荘」の連載終了後、抜け殻のように何もやる気が起きなくなって、宗教関係の本を読み漁っていたことを回想して)

【鴨川「結局、人間というのは、神様のことについて、何も知らないんだ、ってことが、最終的な答えだったんですけどね」
 大泉「それは素晴らしい結論ですね。水木(しげる・マンガ家)さんがよく笑い話で言うのは、「世界宗教者会議っていうのが開かれると、いろんな慈悲深い人とか、素晴らしい崇高な人がいっぱい来るから、さぞや会議が丸く治まるかというと、全然まとまらない」(笑)。】

〜〜〜〜〜〜〜

 確かにその通りです。各宗教の指導者なんて、慈悲深い人格者がそろっているはずですから、お互いの意見を尊重して、うまく落としどころをみつけられそうなものなのですが、現実は、自分の宗教の規律を尊重し、他の宗教に対しては慈悲深さを発揮できない場合が多いようです。
 地位が高いから、人格的にすぐれていると思い込むこと自体もまちがいのもとで、どの世界でも「人格者だから偉くなった」という人は、実際そんなに多くないわけで。
 宗教界でも、いわゆる「やり手タイプ」、仕事ができるとか、根回しが上手い人のほうが、地位が上がっていくことが多いようです。
 信者が増えれば増えるほど、組織をまとめるために、そういう傾向は強くなるようですし。
 世間には埋もれてしまった立派な宗教者がたくさんいると信じたいのですが、彼らは、なかなか指導的な立場に立つことは難しいんでしょうね。
 「人間は、神様のことについて、何も知らない」
でも、人間以外の動物は、「神様」の存在をたぶん認識できていない、というこの矛盾。



2002年08月16日(金)
2002年8月16日。


毎日新聞の記事より抜粋。

【バカンス・シーズン真っ盛りのイタリアで、飼い主がビーチやホテルに同伴できないペット犬の道路などへの置き去りが続出し、社会問題化している。今夏、各地の高速道路沿いには、ボランティア約1000人で構成する「ペット警察」が出動して監視活動を強化。検問で車内のペットの耳や足にある法定登録番号と車のナンバーを確認し、飼い主に「不心得」を止めさせようと懸命の努力を続けている。
 ANSA通信などによると、昨年夏、イタリア国内では犬などのペット約15万匹が高速道路わきに捨てられ、その8割が車にひかれて死亡した。路上の動物を避けようとして起きた事故も年間約4000件にのぼり、昨年は約20人が死亡した。
 イタリアでは犬のふんの後始末などに関する規制が自治体によってまちまちで、飼い主のマナーも乱れがち。このため、行楽施設では衛生面の問題から犬の同伴を禁止せざるを得ない状況で、バカンス中に捨て犬が急増する原因になっている。】

〜〜〜〜〜〜〜

 人間にとってはバカンスでも、ペットにとっては流刑の旅ですね、これでは。
 僕は疑問に思うのですが、果たして、自分のペットを途中で捨てたりするようなバカンスで、本当にリフレッシュできるんでしょうか?普通、罪の意識でバカンスどころじゃないと思うのですが。
そういう切り替えのはやいところが、イタリア人気質なのかなあ。
 カツアゲでドラクエを手に入れた中学生が、前にいましたよね。彼は、家で奪ってきたドラクエをやっていて、そこに出てくる悪党が悪さをしている姿に自己嫌悪に陥らなかったんでしょうか。
 それと同じように、自分のペットを捨ててバカンスなんて、楽しくもなんともないと思うんだけどなあ。それとも、「あ〜ジャマな犬もいなくなって、せいせいした」とか思って楽しんでいるのかなあ。
 それにしても、高速道路の脇にわざわざ捨てなくても…とは思います。
 いろんな事情で、ペットが飼えなくなってしまうことがあるというのはわかります。そう簡単に、もらってくれる人だっていないでしょうし。
 それならそれで、飼えないなら自分の手を汚すのも、飼い主の責任なのではないかと。
 自分では優しい人間のつもりでも、ペットを捨てる罪と、他の人に迷惑をかける罪を2重におかしてしまうわけですから。



2002年08月15日(木)
2002年8月15日。


毎日新聞の記事より。

【益田市の市営益田競馬で14日、最後の開催となる盆競馬が始まった。55年続いた古里の競馬を惜しんで、帰省中の家族連れなど、昨年より400人多い1949人が来場。一方、売上額は、約100万円少ない2951万円だった。16日のラストレースで幕を閉じる。
 第1レースの始まる正午前から、レースを待ちわびたファンらが詰め掛け熱気に包まれた。第8レース終了後には、女性騎手として全国最多の350勝を記録した吉岡(旧姓)牧子元騎手も応援に駆けつけ「益田競馬がこんなに早くなくなっていいのかと残念に思う。他地区へ移籍するジョッキーたちをこれからも応援してください」とあいさつし、スタンドを沸かせた。
 盆競馬は16日まで行われ、最終日には騎手が使用したムチなどの馬具が来場者にプレゼントされるほか、益田競馬の歴史展、畜産物フェアなどが催され、最終レース後には走路を一般開放する。】

〜〜〜〜〜〜〜

 日本でいちばん小さな競馬場だった、益田競馬が、今日、8月16日の開催で55年の歴史に幕を閉じることになりました。最近では、九州の中津競馬も廃止になりましたし、赤字体質に悩む公営ギャンブルにとっては、厳しい時代です。
 僕は一度も行ったことはないのですが、日本一小さくて、手で触れられるようなところを馬が走っていく益田競馬場。廃止の議論が起こってから、こんなにもアッサリと無くなってしまうのは、ほんとうに寂しいかぎり。
 競馬場なんてものは、大部分の地域の人たちにとっては、ガラの悪い人も増えるし、儲からないのであれば、存在する意義はないんでしょうね。
 日本でいちばん小さい競馬場の町、ということで、益田の名前を覚えた人も、けっこういると思うのですが。
 しかし、中津競馬の廃止のときも週刊誌の巻頭で所属馬が処分されるシーンをみたのですが、いちばん哀れなのは、所属していた馬たちです。益田競馬のレベルからいって、他所の競馬場で活躍できる馬はほとんどいないでしょうから、ほとんどが「処分」される運命。もちろん、サラブレットの世界では、もともと大部分の馬が「淘汰」されていくことになっているのだけれど。
 それにしても、どうせギャンブルなんだから、赤字なら廃止してしまえ、という発想は、なんだかとても寂しくなってしまいます。
 廃止する前に、もっと合理化をすすめていけば、黒字に転換できる可能性は充分あると思うのですが。だいたい、地方競馬場、職員多すぎです。
 まあ、中央競馬も売り上げ減少に悩むくらいなら「何をやっているのかよくわからない、そこらへんに立っているだけのお姉さん」の必要性について、再検討してみたほうがいいのではないでしょうか。
 一度は行ってみたかったなあ、益田競馬。
 関係者の皆様の今後の幸運を祈りつつ、がんばってくれた馬たちへの感謝を陰ながら述べさせていただきます。
 さようなら、日本でいちばん小さかった競馬場。



2002年08月14日(水)
2002年8月14日。


「週刊プレイボーイ No.34・35合併号」の記事より。

(ライター・峰不二夫さんによる、ディズニーランドとUSJの比較)

【「ディズニーランドは園内全体が夢と魔法の王国だけどさ、USJってのは、それぞれのアトラクションが作品ごとに独立した映画の世界なわけ。映画を撮影している現場だから、オチがわかっちゃうと、ホントつまんないんだよね」】

〜〜〜〜〜〜〜

 ストーリー性が高いゆえの弱点、とでも申しましょうか。この記事によると、工業用水などの不祥事が発覚する前から、USJはディズニーランドに比べて、リピーターが少なかったということです。確かに、映画の世界に忠実なアトラクションでは「見たことある!」っていうのは、驚かされる要素が少ないですから。
 今回のUSJの一連の不祥事なのですが、期限切れの食品使用や工業用水が水飲み場から出ていたことについては「言語道断!」という意見が僕のまわりにも多いのですが、「アトラクションの池に、大腸菌くらいいて当然なんじゃないか」とか、「火薬の量が少しくらい多くても、派手なほうが面白い!」という人も多かったのですが。まあ、見せしめ的な部分もけっこうありそうですね。
 どこのレジャー施設でも、このくらいのことはやっているのでは…と思われるところもありますし。実は、あわててチェックしているところもけっこうあるのでは。
 うまくいっているようで、USJの関係者は、実は焦っていた部分もあったのかもしれませんね。リピーターが少なければ、先細りになってしまうことは目にみえてますし。
そう考えると、ディズニーランドというのは、いかによく考えられ、洗練された施設であることか!



2002年08月13日(火)
2002年8月13日。


「空想科学漫画読本2」(柳田理科雄著・日本文芸社)の131ページより抜粋。

【いくつかの遊園地に電話で尋ねたが、総工費は公にできる数字がないという。時代とともに新しい遊具が次々に作られてきたのだろうから、考えてみれば仕方のないことだ。しかし、熊本の三井グリーンランドが、ジェットコースターの建造費を教えてくれた。
 その費用とは、なんと20億円。】

〜〜〜〜〜〜〜
 タイガーマスクの「みなしごランド」建設について検証した章のなかのデータなのですが、お金かかるだろうなあ、と予想していたこととはいえ、なんと20億円とは。ちなみに、三井グリーンランドというのは、九州外の方にはなじみが薄い遊園地かもしれませんが、九州内では、最古参かつ最大規模を誇る遊園地です。乗り物も絶叫系から、ほのぼの系まで、ひととおりそろっています。ジェットコースターは、何種類かあるのですが、一回乗って確か600円〜800円くらいだったと思います。子供心には、「何分間かでそんなにとられるのかよ、大もうけだなあ」と思っていた記憶があるのですが。
 しかし、仮に1回1000円としても、20億円を取り返すためには、のべ200万人の人が乗ってくれないといけないんですよね。1日一万人として、たった200日といっても、九州の地方都市にある遊園地に、平日に一万人も人が来るわけもないですし、全員がジェットコースターに乗るわけでもないでしょう。もちろん、その間に人件費も維持費もかかるでしょうから、実際はもっとたくさんの人が乗ってくれないと、ペイしない。
 しかも、こういった新しいアトラクションを次から次へと造っていかないと、お客は離れていってしまうわけで。
 夢を売るといっても、遊園地経営も楽じゃないなあ、と思います。
 実際、ディズニーランドとUSJのひとり勝ち(USJは、最近非常に雲行きが怪しいですが)というのも、やむをえない状況なのかもしれませんね。



2002年08月12日(月)
2002年8月12日。


ロイター通信の記事より。

【英ボーダフォン傘下のJ−フォン(東京都港区)は、カメラ付携帯電話機(写メール対応機)の累計稼働台数が600万台を突破した、と発表した。
5月末に500万台を突破してから、約2カ月で100万台増加した。これにより、J−フォン全体の累計加入台数の約47%が写メール対応機となる。
写メール対応機は現在、最大5秒間の動画ファイルを送受信できる「ムービー写メール」を含め、18機種発売されている。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ここまで普及してるんですね、「写メール」って。これはJフォンだけの数字ですから、他の電話メーカーのものも合わせると、かなり普及しているんでしょうね。
実は、僕のまわりには、あんまり使っているひとっていないんですけど、そのうちiモードのように、みんな使いこなせるようになっていくんだろうなあ。
 画像が送れるということのメリットは、なんといっても、状況を視覚として伝えられること。地図であったり、相手の顔であったりが、直接画像として送られてくるのですから、口で「どこそこの角を右に曲がって」とかいうよりも、はるかに実用的であることは、いうまでもありません。
 まあ、悪いことに応用しやすいだろうなあ、ということも考えられますが。
 そういえば、パソコン通信の創成期は「顔もわからない人と心のコミュニケーションができる」というのが大きなメリットだったのですが、逆にここまでデジタルカメラや写メールが普及すると、「顔のわからない人は、怖い!」という状況になりつつあるみたいです。
 そういう、ネットならではの出逢いかたがなくなってしまうのは、ちょっとつまらない気もします。まあ、セキュリティには代えられないですね。
 なんでも便利に、直接的になるのは、社会の大部分の人にとってはすごくいいことなんでしょうけれど、でも、みんないったい、どんな画像を送ってるんだろうなあ。
 正直、どうしてもすぐに他人に見せたい画像なんてそんなにないと思うし、CMみたいに、会議中に子供が立った姿を見ている社員なんて、会社としては「帰ってから見ろよ!」というのが率直な反応だとは思うのですが。



2002年08月11日(日)
2002年8月11日。


「空想科学漫画読本2」(柳田理科雄著・日本文芸社研究員)の82ページ、欄外の解説より抜粋。

【キュウリ〜ウリ科の植物。完全に熟すると長さは60cmから90cmに達し、黄色くなる。ここから「黄瓜」の名前がついた。われわれは、熟する前の若々しいキュウリを食べているわけだ。ときどき、まだ花のついた小さなキュウリを「完全に育たないうちに食べるのはカワイソウ」といって敬遠する心優しい人がいるが、科学的には大同小異である。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕たちがいままで食べていたキュウリというのは、まだ熟する前だったんですね。
 「まだ小さいからカワイソウ」といえば、釣りをするひとは、釣れたまだ小さい魚を「カワイソウ」ということで「大きくなったら、またおいで!」とか言って放してあげたりしますよね。まあ、魚にとっては「誰が行くか!」という感じでしょうけれど。
 でも、あの行為の中には「自然を守る」という意識のほかに、「こんなに小さいと、骨ばっかりで身も少ないし、食べても美味しくないもんなあ」という意識も含まれているような気がします。
 小さいほうが、若い方が美味しいもの(たとえば、羊なんかは、仔羊のほうが臭みがなくて美味しい、なんてことをよく言いますよね。若くてカワイソウ。なんて話はあまり聞きませんし)については、意外とカワイソウという意識は働かないものなのかなあ、と。
 もっとも、羊なんかは、目の前で肉になる姿を見なくてすむから、あまり実感できないだけなのかもしれませんが。






2002年08月10日(土)
2002年8月10日。


「鳥頭紀行・ジャングル編」(西原理恵子・勝谷誠彦著、角川文庫)の解説(鴨志田穣さんの文)より。

【アマゾンの帰り道、サンパウロで二泊することになったときの話である。
 帰国も明日にという夕暮れ時。巨大なビルが建ち並ぶ繁華街を歩いていると、シンナーが入った小さなビニール袋を手に持つ、真っ黒に垢まみれになった少年に出会った。
 瞳は濁りふらふらで、明らかにストリート・チルドレンであった。少年はどうしたことか、サイバラが手にしていたコーラにくらいつき、そのまま口で奪い取って踊りながら走っていった。びっくりしてしばらく口もきけないサイバラであったが、ふと、
「ねえ、カモちゃん。私はああいった子を見ると、いつも逡巡してしまうのよ。お金もあげるべきなのか、いやそうじゃないのか。だったら何をしてあげたらよいのか、元々何もしてあげることなんかないのか、とね」
「どうなんだろう。答えを持ってないな」そう言うと、サイバラは、
「子供の頃、こんなことなかった?仔犬が捨てられているのに、どうすることもできなかった時、いつまでも忘れられないでいたことって…。あの痛みに近いな」
 後にサイバラの家に上がり込み、「ぼくんち」を手にした時に「痛み」を描いている人なんだと気づいた。】

〜〜〜〜〜〜〜

 先日、僕より5つくらい年下の女の子と話していたら、サイバラさんの話になりました。その子は「ニシハラじゃないんですか?」と言ってましたが。サイバラさんは、彼女が子供の頃は「ちょっと変わった画だけど、ストーリーはバリバリの少女漫画の人」だったそうです。今から考えると、想像もつかない話なんですが。
 ここでふれられている「痛み」の感覚って、誰しも子供の頃は持っているけれど、大人になる過程で失ってしまう、もしくは心の奥底に沈めてしまうものなんだと思います。
 たぶんそれは、どうしようもないこと、なんですよね。
 戦争や事故といった特殊な状況ではなくても、僕たちはそういう「痛み」にさらされながら生きているのです。
 捨てられた犬がかわいそうだからといって、すべて家に拾って帰ってきては生活が成り立たないし、品物が売れなくてさびしそうなおばあちゃんが道端にたたずんでいても、遭うたびにすべて品物を買ってあげるわけにはいきません。結局、自分が生きていくためには、すべての人間や動物を幸せにしていくことなんて不可能。
 それでも、自分は生きていかなくてはならない。そのために、成長の過程で失っていくべき、壊れやすいものがあるのです。
 サイバラさんは、そういった「痛み」を持ちつづけ、それを描き続けている人なんでしょうね。まあ、彼女の場合は、自ら痛みを追い求めているような風がある気もしますが。







2002年08月09日(金)
2002年8月9日


時事通信の記事より。

【テレビ番組やゲームで暴力場面に接する機会が多い子供ほど、粗暴で疑い深い傾向がある−。米国のメディア・家族研究所が8日までに、こんな調査結果をまとめた。
 調査はミネソタ州の小学生219人を対象に実施。クラスメートと教師に一定の子の行動を評価してもらい、好みのテレビやビデオゲームとの関係を調べた。
 それによると、暴力が登場するものを好み、多く接している子供ほど、普段の行動が攻撃的、粗野、不作法で、友人らに対して疑い深いとの傾向が出た。年齢が上がるにつれ、暴力場面をより好み、接する頻度も高くなっていた。
 同研究所のデービッド・ワルシュ所長は「子供たちはメディアを通じて暴力のレッスンをしているのと同じだ」と話している。】

〜〜〜〜〜〜〜

 なるほど、確かに暴力的なゲームやテレビ番組って、多いですからねえ。
 僕たちも「北斗の拳」を読んで掃除の時間に「北斗百烈拳」をやったり、キン肉バスターの練習としたりしていました。
 でも、マンガやゲームが子供を粗暴にしているのか、という点については、正直、よくわからないような気がします。ゲームの真似をするから、暴力的になるというけれど、子供たちは別にゲームの真似をするように誰かに強制されているわけではないですから。
 もちろん、鎌倉時代の子供だっていろいろな遊びをやっていたでしょうけれど、それが暴力的でなかったという証拠はどこにもないですし。
 そういう暴力性というのは、人間の本質的なものであって、それを発散するための方法をメディアから教えてもらっているだけなのかもしれません。
 それに雑誌やテレビだって商売ですから、子供の教育上良いものよりも、お金になるほうを優先してしまうのもやむをえないかと。
 それに、僕はちょっと心配なのです。テレビは教育番組しか観ない、マンガも読まない子供たちは、果たしてこの暴力的な現実に対応していくことができるのだろうか、と。
 暴力は悪い、それは確かにそうなのですが、優しすぎる子供は、現実とのギャップに苦しむことが多いのもまた事実。
 「暴力が登場するものを好み、多く接している子供ほど、普段の行動が攻撃的、粗野、不作法で、友人らに対して疑い深い」とのことですが、それが原因なのかどうか?
むしろ、「もともとそういう性向の子供だから、暴力が登場するものを好む」という考えかたのほうが、自然な気もするのですが。
 今の世の中、絶対に暴力を使わない優しい普通の子供として生きていくには、粗暴になるより、よっぽど難しいことなんだと思います。その苦しさを考えるとき、多少免疫をつけといたほうがいいんじゃないかな…という気もするのです。






2002年08月08日(木)
2002年8月8日。


「藤子不二雄論〜FとAとの方程式」(米沢嘉博著・河出書房新社)より抜粋。

【たぶん、手塚治虫の創り出したマンガの正統な継承者であり、長きにわたってマンガ家を続けてきた長老であり、子供たちの間にもっとも知れわたった人気作家であり、多くのヒット作を生み出し続けてきたヒットメーカーである藤子不二雄は、だが、これまで「社会現象」という切り口以外でまっとうに語られたことはない。誰もが、子供(少年)の夢を語り続けてきたマンガ家といった紋切り型の言説によって、簡単に終わらせてきた。語ることがない作家であるはずはない。
 一方で、つげ義春のように作品の数よりも評論のほうが多い作家がいることを考えれば、評論しやすい作家とやりづらい作家がいるということになるのかもしれない。概して子供マンガは評論の対象になりづらいようだ。エンターテインメントに徹した描き手も「職人」として一言で切って捨てられることが多い。藤子不二雄もそうしたマンガ家として、批評の対象に浮上することはあまりなかった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 確かに、論評のされやすさというのは、あると思います。やっぱり、誰しも単純な構造に思われるものやあまりに一般的なことについては、かえって論評しにくい部分もありますよね。
 それに、評論と言うのは、その作品に対する言説であるということ以外に、評論する側にとっても自己主張の場でもありますから、相手があまりにメジャーだと、あえて自分が語らなくても…という気持ちになるのも無理ないことなのかもしれません。
 つげ義春さんという作家は、ほんとに批評、論評が多い人なのですが、彼の名前は知っていても、実際にその作品を読んだり、感銘を受けた人というのは、少ないのではないでしょうか。もちろん、それは、つげさんの作品が面白くないためではなく、実像以上に小難しいものにされてしまっているという面も否定できないような気がします。
 僕自身は、漫画家・藤子不二雄については、評論がないわけではなくて、彼の作品がこんなにもたくさんの人々に愛され、支持されていること自体が最大の評論なんじゃないかなあ、と思うのですが。
 WEB日記でも「他人にとりあげられやすい文章」というのは確かにあるのですが、それよりも「読んでもらえる文章」「面白いと思ってもらえる文章」を書くというのは、とても評価すべきことだと思うのです。
 メジャーであればいいというわけではありませんが、少なくとも、「普通の人々に喜んでもらえること」が評価されるべきポイントのひとつであることは間違いないですし。




2002年08月07日(水)
2002年8月7日。


「エキゾティカ」(中島らも著・双葉文庫)より抜粋。

【道で待っていると黄色いタクシーがやってきて止まった。くみこはすぐには乗り込まない。運転手と交渉する。

「60ルピーズ」「ノー、ノー、20ルピーズ」

(中略)

 結局のところ、40ルピーあたりに落ち着くのだが、こういった交渉はインドにいる間ことあるごとに起こった。わたしはタクシーに揺られている間、くみこに尋ねてみた。
「60ルピーっていったら180円じゃないか。それをどうしてあんなに必死で値切るの?」
「それは、ひとつにはくやしいからです。インド人は、こっちが日本人だと見るとふっかけてきます。それをいいなりに払うのがくやしいんです。それと、われわれが言い値で払っていると、後からインドにやってくる旅行者に迷惑をかけることになります。日本人は言い値を払うという認識がインド人の側にできてしまいますから。だから値切るのはひとつのエチケットなんです」
 なるほど、とわたしは思った。そしてその値切る癖は、すぐにわたしの身についてしまった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 値切るのって、得意ですか?
 ひと昔前、秋葉原の電気街は「値段は店員との交渉しだい」なんて言われて、買い物好きのマニアたちは腕まくりして出かけたものなんですが、僕はどうも苦手でした。「値切る」という行為自体がなんだか恥ずかしいような気もしましたし、「どんなに値切っても、店が儲かるようになっているんだから、めんどくさい駆け引きなんかせずに、最低の価格設定を出してくれりゃいいのに」と思ってました。
 よく「値切らなきゃ損」とはいいますけれど、今でも女の子と一緒のときでもなければ、その何百円単位のところはどうにかして、というくらいです。せいぜい。
 でも、海外旅行では、日本人観光客はふっかけられると言いますよね。実際そうなんでしょうけど。でも、この文章のような場合、僕だったら60円のために、めんどくさい駆け引きをするかなあ、と考えてしまいました。
1万円のタクシー代を1万五千円といわれたらかなわないけど、120円が180円になったって、たいして変わらないから、いいよ、言い値で、と思ってしまいそう。現地の人にとっては、えらい違いなんでしょうけれど。
 確かに、むこうに「バカな観光客」と思われるのは悔しいし、後で来る人たちもふっかけられるのは腹が立つけれど、正直、お金で解決できる面倒くささなら、あとはプライドの問題なんでしょうね。
 しかし、日本人は観光客にふっかけない、数少ない民族のような気がします。まあ、この物価の高い国でふっかけられたら、観光客も何も買えなくなるという事情があるとしても。




2002年08月06日(火)
2002年8月6日。


ロイター通信の記事より。

【英国では葬儀で賛美歌に代わりポップ音楽が流れる機会が増えている。
 葬儀業者組合の調査によると、葬儀で流される曲のランキング1位は映画「フォーエバー・フレンズ」でベット・ミドラーが歌った「ウィンド・ビニース・マイ・ウィングス」。2位は大ヒット映画「タイタニック」の主題歌、セリーヌ・ディオンの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」で、3位はホイットニー・ヒューストンの「オールウェイズ・ラブ・ユー」だった。
 ほかにダイアナ元皇太子妃の葬儀でエルトン・ジョンが歌った「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」やロビー・ウィリアムスの「エンジェルス」も人気があるという。
 葬儀業者の68%がポップ音楽の使用が増えていると報告しており、特に涙を誘うハリウッド映画のバラードが好まれる傾向にあるという。】

〜〜〜〜〜〜〜

 お葬式に出席されたことがある方なら誰でも、故人をしのびながらも、お経の長さや葬儀社の人の過剰に「泣かせよう」とするマイクパフォーマンスに閉口した経験、あるのではないでしょうか。この「葬儀で流される曲」のリストをみていると、なんだか、あまりにも泣かせよう、感動させようという押し付けが強いような感じがして、嫌になってしまいます。
 結婚式は祝祭ですから、多少演出過剰であっても、本人たちのお好みしだいだとは思うのですが(付き合わされるほうは、たまらないこともありますけど)。
 結局、こういうのって、故人の遺志というより、残された人たちが「みんなが悲しんでくれた」というふうに自分たちを納得させるためのことのような気がするのですが。
 本人が、「タイタニック」を流してくれと言い残したのなら別として。
 まあ、キリスト教圏では、「神のもとに召される」儀式なのですから、そんなに悲しむこともないのかもしれませんが。
 しかし、まったく演出がないお葬式というのもなんとなく味気ないものでしょうし、そういう面倒くさい儀礼を経ることによって、遺族は日常に回帰していくものなのかな。
 それにしても、葬儀社の人の演歌の曲紹介調の司会だけは、なんとかならないもんでしょうか。僕は、死んでもあれだけは厭だなあ。





2002年08月05日(月)
2002年8月5日。


8月5日付の毎日新聞の記事より抜粋。
 
【かつて特攻基地やその中継基地として使われた陸軍飛行場があった福岡県大刀洗町で今年、小中学校全5校が6日の登校日を取りやめる。従来は広島原爆忌に合わせ平和学習をしてきた。学校側は「普段の授業で平和学習は可能」と説明するが、教職員組合は「特別な日に学ぶことに意味がある」と代わりに同日、平和の集いを開く。

 同町は今年から学校管理規則を改正。3日間としていた登校日を「校長が定めることができる」と変更。小学4校、中学1校の全校が6日の登校日をやめることになった。「学校完全週5日制の導入に合わせ、家庭や地域に子どもたちを帰そう」という意向があったという。

 全校一斉に6日登校をやめたことについて、町学校教育課は「登校日は各校長の判断。教育委員会が指導したわけではない」と説明。ある校長は「1学期に全校集会で平和学習をした。戦争に関する番組や記事に注目するよう指導もしている」。別の校長は「家庭で戦争について話し合うといった方法もあり、学校でなくとも学習はできる」と強調する。

県では97年、春日市の小学生が登校日に誘拐・殺害される事件があり、福岡都市圏を中心に登校日を取りやめる学校が相次いだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕は小学校の頃、広島県に住んでいたことがありましたので、8月6日は、必ず登校日になっていました。そして、全校生徒が講堂に集まって、黙祷をし、戦争体験のお話を聞き、「ふ〜る〜さ〜とのまち焼かれ…」という、「原爆ゆるすまじの歌」(正式なタイトルはわかりません、ごめんなさい)を歌ったものです。
 当時のことを思い出すと、夏休みの最中に学校に呼ばれ、しかもどう考えても気持ちが良い訳のない悲惨な体験談や悲痛な歌を歌わされることは、子供心にとても嫌だったのを想い出します。たぶん、それは今の子供たちも変わらないんじゃないでしょうか。
 じゃあ、嫌だから止めたらいい、っていうのもちょっとどうなのかなあ、とは思うのですが。結果的には、そういう行事は僕らの中に「8月6日」という日を特別なものとして植えつけてきましたし、戦争は嫌だという気持ちは、登校日自体の嫌さもあいまって、深く印象付けられた感じがします。
 この話、学校側も先生たちの言い分も、それぞれ間違ってはいないと思うのです。
 平和教育なんてのは、8月6日だけやればいいってものでもないでしょうし、原爆だけが戦争じゃありません。登校日の事件などが起これば、二の足を踏んでしまう学校側もやむをえないことかと。
 だからといって「家庭で話し合え」というのも、ちょっとアバウトかなあ。やっぱり、何らかの材料がないと話のきっかけはありませんし。
 こういうことこそ、テレビやメディアは、もっとがんばってもらいたいなあ、と思わずにはいられません。学校を責めるより、子供にも興味が持てるような原爆についての番組や記事をどうして世に問おうとしないのか。
 前は、原爆の日や終戦記念日には、そういった番組をやっていたような記憶があるのですが、最近は視聴率が取れないせいか、スポンサーがつかないせいか、ほとんど見かけなくなりました。
 人々の「記憶」がうすれつつあるからこそ「記録」が大事な時代だと思うのですが。
 ちなみに、僕は8月6日は「イヤイヤながら学校に行った日」という記憶だとしても、やっぱり、その日にヒロシマで起こったことについて、客観的に子供たちに伝えるべきだと思います。
 それは、僕らが「暑いなあ」とか「かったるいなあ」と今現在思っているような、戦時中としてはごく平凡な朝に、何の前触れもなく起こった出来事なのですから。




2002年08月04日(日)
2002年8月4日。


「鳥頭紀行・ジャングル編」(西原理恵子+勝谷誠彦著・角川書店)のあとがきより。

(鴨志田穣氏が、漫画家・西原理恵子さんとの結婚当初のことを回想して)

【一緒になってすぐの頃、夜中、彼女の仕事部屋をそっと覗きに行ったところ、見てはいけないものを見たような気になり、そっと足音を立てずに居間に戻ってきたことがある。机に向かう彼女の背中は、まるでスプーン曲げに熱中している少年か、はたまた機織りをしている鶴と見紛いそうであった。絹糸が張ったような緊張感の中、狂気、熱気、集中、恐怖、興奮…、およそ言葉では書ききれない彼女の身体に溜まった感情を、必死に絞り出そうとしていた。
「これは大変なことになったぞ」
居間で酒をすすりながら予感した。サイバラと相対しているとき、それはいつも仕事をしているのと同じだ。あの女は描いて行くために生きている。】

〜〜〜〜〜〜〜

西原理恵子さんは、麻雀漫画や「恨ミシュラン」などで有名な漫画家です。
前に聞いた話なのですが、ギャグ漫画家というのは、常に新しいものを描いていかないといけないため、ある種の「黄金パターン」が確立されているストーリー漫画家に比べて、作家寿命が短く、またヒット作も1作限りの場合が多いそうです。
西原さんの描かれている作品は、傍目でみるとそんなに計算高い感じはしませんし(むしろ、いきあたりばったり的な印象すらあります)絵も、そんなに細かく丁寧に描かれているようには見えません。
でも、作品にかける情熱っていうのは、実はすごいものなんだなあと、この文章を読むと思い知らされます。
描いている内容が真面目だから一生懸命書いているとは限らないし、ギャグだから適当に描いているというわけでもない。
自分が笑いながら描いていれば、読者も笑ってくれるということならば、それに越したことはないんでしょうけどねえ。




2002年08月03日(土)
2002年8月3日。


「シティ情報ふくおか No.571」 元ちとせさんのインタビューより抜粋。

【元ちとせ「東京へ来て、奄美では感じられなかった「日本」という風を感じます。桜とか、すごい高いビルの谷間にある古い家とか。東京には一生行かないって思っていたんですけどね。だってテレビでは、怖いところばっかり見せるじゃないですか。行ったら3日くらいで殺されるかも、って思っていました(笑)。」】

〜〜〜〜〜〜〜

 確かに、東京って危険なイメージがものすごくありますよね。とくに地方から来た人にとっては。僕も、何度か行ったことがあるのですが、あの人の多さとティッシュペーパーを配る人や客引きの数には驚きました。でも、一概に東京は怖いところかと言われると、それもどうかな、とは思うのですが。まあ、テレビの「警察24時」とかを見てたら、物騒な印象が強くなるんでしょうけど。
 でも、僕も都会に行ったときには、とりあえず油断しないようにとは考えています。なんだか、歩いている人みんなけっこう怖いもんなあ。さすがに、3日で殺されるとまでは、覚悟を決めてはいませんが。
 このインタビューを読んで思うのは、僕たちが「古きよき日本」と感じている場所っていうのは、実は自分が普段住んでいるところとの比較で、ということなんだなあ、というところです。元さんは奄美出身で、もちろん日本国民ですが、独特の文化をもっている地方ですから、「日本」というのは、異国情緒を感じる場所なのではないでしょうか。
 田舎の人は、別に古い家を観ても「日本らしいなあ」というようには感じないでしょうし、「文化」というのは、やはり他の価値観との衝突によってしか、実感しにくいものなのかなあ、と。
 でもなあ、田舎には田舎の「閉鎖性」という障害がありますから、命の危険は少ないにしても、必ずしもよそ者にとっては、都会が物騒、田舎は平和、ということはいえないと思われます。
 たとえば、キャンプ場で「自然の中っていいわあ」という人が、蛇を見つけたとたんに「なんでキャンプ場に蛇がいるのっ!」と怒るようなもので。




2002年08月02日(金)
2002年8月2日。


読売新聞の記事より。

(2004年度から、切り替えられる新札について)

紙幣のデザインは、一万円札の表面の「福沢諭吉」は変えないが、裏面の「キジ」を「平等院・鳳凰(ほうおう)像」に変更する。
 五千円札は表面の「新渡戸稲造」を「樋口一葉」に、裏面は「富士山」を江戸中期の画家・尾形光琳作の「燕子花(かきつばた)図」に変更し、千円札は表面の「夏目漱石」を「野口英世」に、裏面は「タンチョウヅル」から「富士山と桜」に一新する。
 樋口一葉は明治時代の女性小説家で、代表作に「たけくらべ」「にごりえ」などがある。野口英世は、大正時代を中心に活躍した細菌学者で、アフリカなどで黄熱病などの伝染病研究に尽くした。

〜〜〜〜〜〜〜

 聖徳太子、伊藤博文の時代から、もう20年も経ってしまったんですね。そのことに、まずびっくりしたのですが。
 ところで、このお札に使われるキャラクターというか、人物って、どういう基準で選ばれているんでしょうか?野口さんも樋口さんも、学問や芸術の世界で偉大な足跡を残した人ではあるのですが、知名度からいうと、もっと有名人はたくさんいそうな気はするのですが。徳川家康とか織田信長とか。作家だったら、森鴎外でもいいわけですし。
 ただ、人によっては、たとえば豊臣秀吉とかだと、諸外国からクレームがついたりする可能性がありますし、あまり旧い人だと肖像画がないということもあるでしょうから、意外と選択肢は狭いのかもしれませんね。政治家などは、難しいのかな、きっと。
 そういう意味では、芸術家やスポーツ選手なんかは、これから紙幣の肖像になる可能性が高そうです。手塚治虫さんとか、長嶋茂雄さんなどは、何十年後かには、お金の肖像になってもおかしくないですよね。
 ちなみに、野口英世さんと樋口一葉さんには、ある共通点があります。
 それは何かというと、2人とも「ものすごくお金に困っていた人」なんですよねえ。
野口さんは、研究熱心であった一方、ものすごい浪費家で、地元の人に莫大な借金があり、樋口さんは、作品がお金にもならずに、しかも病気がちで、一時は身売りまで考えたほどとか。
 そんな2人がお札の肖像画になるなんて、ちょっと皮肉な気もします。




2002年08月01日(木)
2002年8月1日。

中日新聞の記事より抜粋。

【愛知県武豊町は、町民らの情報交換にとインターネットの町のホームページ(HP)に設けていた「掲示板」を、1日から休止することを決めた。利用者からは「気軽に意見を出し合える貴重な場」などと継続を望む声も出ているが、町企画情報課は「ルールに反した投稿が目立ち、24時間監視するのは困難」と休止の理由を説明している。

 武豊町は一九九九年三月にHPを開設。当初から掲示板も設け、電子メールで送られてきた投稿を担当職員が内容をチェックして載せていた。
 翌年三月からは、投稿文がすぐにそのまま掲載される方式に変更。一週間に数件だった投稿は一日数件ペースに増えたが「特定の個人や企業のひぼう中傷、不適切な表現、商業PRといったルール違反の投稿が目立ってきた」(同課)という。
 掲示板は、担当職員三人が随時チェックし、不適切と思われる投稿は削除していた。しかし、勤務時間外の夜間や土、日曜日は監視が甘くなるため、ルール違反の投稿が数日にわたって放置され、第三者に迷惑をかけるケースもあったという。

 「掲示板でひぼう中傷を受けた人がHP管理者に損害賠償請求し認められた例もあり、掲示板のあり方を再検討する必要がある」と同課。HPのアドレス変更に合わせて、休止することにした。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これも、先日「2ちゃんねる」の管理サイドが、某病院への誹謗中傷書き込みについて訴えられ、地裁の時点で400万円の賠償の判決が出たことの余波なんでしょうね、きっと。(まだ現在は係争中ですが)
 まあ、掲示板の閉鎖というのは、実際はいろんなサイトで日常的に行われていることで、たとえば、某ゲームメーカーなんてのは、新ハードに対する企業戦略の失敗について、あまりに痛烈な書き込みが続いたため、閉鎖してしまったらしいですし。
 「自由な意見を」と言いつつ、その実、自分に不都合なことは書いてほしくないなあ、というのが人情というものでしょう。
 「2ちゃんねる」の場合は、たぶん裁判官もインターネットの掲示板というものへの知識が乏しかったのでしょう。それに病院というのは、とくに個人病院にとっての「根拠のない風評」というのは、営業上とても大事な要素ですので、こういう争いの種になってしまったんでしょうね。実害は、400万円どころではないような気はしますし。
 それにしても、「2ちゃんねる」の全体を管理するなんてこと、現実的に可能だとは思えないのですが。東京駅の落書きすべてが、書いたヤツがわからないから駅長のせいだ、というのと同レベルの話で。
 技術的には可能なのだから、書き込み者を特定できるようにするべきだ、というのが、これからの議論の中心になってくると思うのですが、その場合には「匿名掲示板」の面白さというか、カオスの力は、確実に失われてしまうでしょうし。
 でも、だからといって「1日の書き込み数2〜3件」の地方自治体のホームページまでが、こんなに過剰反応を示すこともないかなあ、と思うのですが。
 う〜ん、これからは、掲示板のないサイトが、どんどん増えていくような気がします。
武豊町の掲示板で、交代で削除をしていた3人の職員は、掲示板みるのがものすごく嫌だったと思いますし。
 掲示板は誰のものか?という議論、僕は基本的には管理者のものだと思います。きれいごとを抜きにすれば。もちろん、書き込んでくれる人がいなければ成り立たないものですが、やっぱり、友達の家で宴会するのにだって、最低限のマナーってものがあるんじゃないかと。うちで宴会するんだったら、来た人みんなに楽しんでもらいたい。でも、参加自由だからって、悪酔いしすぎたり、他の参加者に迷惑をかけたりする人には、来てもらいたくない。
 でもなあ、「根拠のない誹謗中傷」の件は別として、ネットで騙された!なんていうのは、管理人のせいなんでしょうか?
正直、そんなうまい話をすぐ信じる人は、ネット上じゃなくてもキャッチセールスや訪問販売で騙されると思うのだけれど。