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2002年05月31日(金)
2002年5月31日。

毎日新聞の記事より。

【肺がんなどを告知され、昨年9月に病院で自殺した男性患者(当時55歳)の母親(73)が、「医師の心ない言葉が自殺への大きな要因になった。がん告知に要求される配慮義務に欠けていた」などとして、埼玉県川越市大袋新田の医療法人「武蔵野総合病院」(小室万里理事長)と主治医2人を相手取り、慰謝料1000万円を求める損害賠償訴訟をさいたま地裁川越支部に起こしていたことが、30日分かった。医師と家族は、告知の是非をめぐって十分な合意形成ができておらず、一般化しつつある告知のあり方を問う裁判になりそうだ。

 訴状によると、男性は同病院に昨年9月6日、入院し、当日の検査で肺などのがんと診断された。主治医は家族の意向を受けて告知しないと約束したが、病状が進行し、転院の必要性などから別の主治医が告知が必要と判断した。同月20日、家族同伴のもと告知が行われたが、医療技術の進歩を挙げて励まそうとする家族の言葉に対し、医師は「(治療して大丈夫なのは)そんなのはごく一部だよ」などと、その場で否定したという。

 告知後、「死ぬのは怖くないが、やりたいことはたくさんある。足が動かなくなると何もできない」などの内容で、死ぬこと以上に体が動けなくなることへの恐怖心を示していた男性に対し、医師は告知の3日後に「車いすの生活になり歩けなくなっても、死ぬよりはましだろう」などと配慮に欠ける言葉を掛けたという。男性は同月25日に病院で、点滴のフックに電気コードをかけて首つり自殺した。

 原告の弁護士は「希望をもたせるような告知とはほど遠く、無神経な発言は、がん告知や告知後の配慮義務に違反している」と話している。また、男性の弟は「医師の言葉に誠意のなさを幾度も感じた。提訴で警鐘を鳴らしたい」と話している。

 ▽医療過誤訴訟を手がける埼玉医療問題弁護団の赤松岳弁護士 患者の自己決定権が認められ、医療現場は告知の方向に大きく動いている。しかし、告知の方法とその後のフォローをめぐる裁判はおそらく全国で初めて。告知のあり方が注目されると、現場の医師が告知自体に消極的になる可能性があり、その点は心配だ。

 ▽星野一正・京都大学名誉教授(生命倫理専攻)の話 訴状を見たが、医師の言動は「患者中心の医療の倫理の理論」に基づくインフォームド・コンセントに違反していた。家族が(告知しないよう)真剣に頼んでいるのだから、医師は告知を控えるべきであった。インフォームド・コンセントについて論じている米国の判例は「事実の開示に調和する程度の慎重さが必要である」と説明している。】

〜〜〜〜〜〜〜
長い引用ですみません。
それにしても『告知』の問題は難しいこと。正しいかどうかなんて、一概に決め付けられるものではありません。まさにケースバイケース、だと思うのですが。この記事を読んでいると、医者が言っていることはすべて「事実」であるわけです、おそらく。患者が癌であること、治療してよくなるような状況ではないこと。「動けなくなっても、死ぬよりはましだろう」というのも、言葉自体はひどいですが、これが「もし歩けなくなっても、生きていられればいいこともたくさんありますよ」という言葉だったらどうでしょう?
こういうニュアンスのすりかえは、メディアの記事では日常茶飯事に行われていることなので。
わかってもらいたいのは、じゃあ、「大丈夫ですよ、治りますよ」と末期がんのひとに言い続けることが、果たしていいことなのか?ということ。最近の医療界では、少なくとも治療を受けてもらうときには、告知をするのが当たり前という風潮になっているのです。何故かと言うと、「なんかわけのわからないものがあるんだけど、肺を片方取りましょうか」とか「髪の毛が抜けるような強い薬を使いましょうか」というような説明で納得できる患者さんがいるわけないし、やはり「癌」だとわかているから治療を受けなければならないという覚悟ができる部分もあると思われるからです。
もちろん、患者さんの心は乱れますし、他人に当たったり、鬱状態になられる方もおられます。でも、最終的には受け入れて生きていこうと思われる方が大部分なのです。
もちろん、治療不可能な場合にはご本人には伏せておく場合も多いのですが、それでも自分の余命を知りたいと言われる方は多くなってきている印象があります。

確かに、この医師と家族の間には、意思の疎通がうまくいってないところがあったんだろうなあ、とは思うけれど、「希望のもてない病状」に対して「希望のもてる告知」をすることがいいことなのか。
むしろ、事実だけを淡々と説明するような内容のほうが良いのではないか、と思うことも多いのです。感性がひとりひとり異なる患者さんに、すべて拍手を送られるような万人向けの名演技者になるという技術と、少なくとも「嘘はついていない」という人間のどちらがより難易度が高く、リスクが伴わないかを考えれば。





2002年05月30日(木)
2002年5月30日。

日刊スポーツの記事より。

【24日にくも膜下出血のため死去した俳優伊藤俊人さん(享年40)の葬儀・告別式が29日、東京・中野の宝仙寺で営まれ、江角マキコ(35)や秋元康氏(46)ら関係者約500人が弔問に訪れた。葬儀委員長を務めた親友の脚本家三谷幸喜氏(40)は「友人が語らなくなったとき人間は2回目の死を迎えるというが、君のことはここにいる全員が語り続ける」と話した。
 三谷氏の「明るく送ろう」という意思のもと、劇団仲間らが思い出話や伊藤さんが好きだったフレッド・アステアのタップダンスなどを披露。西村雅彦(41)が「君の汚い家でご飯茶わんで飲んだコーヒーの味が忘れられない。まずかった」と話すと、かすかな笑いの交じった泣き声が漏れた。】

〜〜〜〜〜〜〜
あまりにも早すぎる死。三谷幸喜さん、西村雅彦さんは、伊藤さんとともに学生時代に「東京サンシャイン・ボーイズ」という劇団を旗揚げしており、それから現在まで、まさに苦楽をわかちあった仲間です。
三谷さんは伊藤さんのことについて「ああ、人生ってそんなに捨てたもんじゃないな、と気付かせてくれる役者」だったと評しています。名バイプレイヤーであり、常にまわりへの気配りを忘れなかった人。
「人生の素晴らしさを教えてくれる」のではなくて「捨てたもんじゃないなと気付かせてくれる」って、素晴らしい賛辞だと思うのです。

西村さんの「君の汚い家で…」という話、僕も大学時代に、汚い部屋で食器がなくて、インスタントコーヒーを紙コップですすったのを思い出しました。きっと伊藤さんのつくったコーヒーはものすごくまずくて、でもそのぶっきらぼうな歓待が、2人の交友の原点だったんでしょうね。役者志望の2人が、金は無くても、不味いコーヒーと一緒に、夢と希望をすすっていた時代。

僕は、「王様のレストラン」というドラマが大好きでした。いつか続編がつくられるんじゃないかと心待ちにしながら、早幾年。もうないだろうなあ、と思いながら抱いていた淡い期待。でも、なんだか伊藤さんの死で、もう続編はないだろうな、という気持になりました。
これから、「王様のレストラン」や「ショムニ」の再放送を観るたびに、ちょっと切なくなってしまうであろうことが、とても寂しい。








2002年05月29日(水)
2002年5月29日。

西日本新聞の記事より。

【外国語指導助手生徒とトラブル 「意思疎通ない」帰国 八女郡

 福岡県八女郡内の中学校に昨年七月着任した米国人女性(27)の外国語指導助手(ALT)が、生徒とのトラブルが原因で昨年末に帰国していたことが二十八日、分かった。女性は西日本新聞の取材に対して「学校や教育委員会は問題解決に真剣に取り組まず、意思疎通ができなかった」と任期半ばでの帰国の理由を説明。日本語が十分に話せないまま来日するALTも多く、それを受け入れる学校や市町村教委の態勢の不備を指摘する声も上がっている。文部科学省によると、生徒とのトラブルでALTが帰国するのは珍しいという。

 女性は、ALTとしての着任以前に佐賀県内の英会話教室で教えた経験があったが、日本語は話せず、中学校では日本人英語教諭の補助役として一日二時間、全学年の授業を担当していた。

 女性が退職後に教委に提出した報告書や学校側の説明によると、トラブルは二学期のスタート直後に始まった。授業中、女性にカメラを向けた三年生の男子生徒を日本人教諭が注意したところ小競り合いとなり、授業は中断。その後この生徒らは、校内で女性を見かけるたびに「暴言」を吐き、壁を強くたたくなどの嫌がらせを続け、女性は「恐怖を感じた」という。十一月には女性の自転車が何者かに壊された。教委の指導で学校が調査。生徒数人が謝罪を申し出たが、ALTは十二月末で退職した。

 この中学がある自治体の教育長は「子どもたちが本物の英語に接する機会が失われ、非常に残念。学校側の認識が甘かったと思う」と釈明。】

〜〜〜〜〜〜〜
外国人の先生に、英語を習ったことがありますか?
その質問に対して、たぶん僕と同世代(30歳)以下の方なら”Yes”の答えが多いんじゃないでしょうか。今現在がどういう状況なのかは知りませんが、僕の記憶の限りでは、外国人教師も大変だなあ、という印象がありました。
みんな積極的に話し掛ければいいんだろうけど、なんとなく尻ごみしてしまいますし、なんかもう、教室に入ってきた時点から怒っているような人もいたりして。
食堂でひとりでご飯を食べている姿をみると、なんだか悪いなあ、と思っていたのをよく覚えています。
僕が外国人教師に対して記憶に残っていること。高校時代に英語の授業で「試験の功罪」という題で、「功」か「罪」かどちらかの立場にたって論じるように、という宿題が出たときのこと。当時から天邪鬼だった僕は、試験の罪(学力だけで人間を判断している、実社会に役に立たない)を弾劾する同級生の逆をついて、「試験の功」というタイトルで、歴史的にみて、試験で人間が評価されれようになったことは、それまでの血統、門閥で生まれつき身分が決まっている社会よりも公正なことであり、すべての人にチャンスが与えられるという点においては、まだ試行錯誤の最中ながらメリットがあるのではないかということを論じました。
でも、もともと英語はあまり苦手ではなかったため、文法メチャクチャでしたけど。
で、その宿題、なぜかクラス最高点をいただきました。
日本人の英語教師が「いや〜お前のは文法はちょっとアレなんだけど、内容があるって、外国人の先生が褒めてたよ」といいながら答案を返してくれたことを覚えています。まあ、その「公平志向」が西洋的なものの考え方に、結果としてマッチしていたんでしょうけど。

「異文化コミュニケーション」って、いうけれど、外国人教師に、僕たちは「ことば」だけを習おうと思ってはいないでしょうか?僕たちが日本語教師として海外に行ったとしたら「文法・発音」さえ教えればいいんでしょうか?
大事なのは、話そうとする気持ち、内容であって、文法や発音は、手段に過ぎないわけですから。もちろん、正しく気持ちを伝えるには、洗練された手段が非常に有用であることは、言うまでもないんですけど。

結局、日本にやってくる外国人教師と生徒・学校側の求めてるもの、やろうとしていることの「温度差」がこういう軋轢を生んでいるんでしょうね。
大事なのは、本物の「英語」に接する機会ではなくて、本物の「アメリカ人」に接する機会だったのではないかなあ。





2002年05月28日(火)
2002年5月28日。

「男は語る〜アガワと12人の男たち(文春文庫)」より、阿川佐和子さんと椎名誠さん(作家)との対談の一部。

(家族にとって、自分のことが小説に書かれるというのは、どんな感じなのかという話題になって。ちなみに、阿川佐和子さんの父親は作家の阿川弘之氏。椎名さんには息子との交流を描いた「岳物語」という作品があります)

【椎名「オレも息子のことを書いたことがあって、愛情をこめ、友情をこめ、男同士のつきあいというようなことで書いたつもりなんですが、あるときまわりの人たちにいわれたらしく、『もうオレのことは書くな』といいましてね。涙を浮かべて抗議するんですよ。悪いことしちゃったと思って、それからは息子のことは書いていません。中学の入学のときまでです、書いたのは。
 息子のことは2冊書いたのですけれど、一冊目のときにサインして、『これはお前のことを書いた本だ』と渡したのです。『そうか』なんていって、最初の1ページ読んだだけでポンと放り投げられちゃった。うちのガキらしい反応だと思ったけれど、うれしいようなさびしいような複雑な気持でしたね。
 しばらくして続刊を書いてまたあげたら、『まだこんなもの書いているのか』って怒り出してね。いつのまにか一冊目を読んでいたらしい。『オレの悪口ばかり書いて』という。飯を5回も食うとか、やれ糞をたくさんするとか、悪口じゃないんだけれども、女の子たちが読んで冷やかすんでしょうね。」

〜〜〜〜〜〜
椎名誠さんの「岳物語」は、父親と息子のややぶっきらぼうながらも温かい交流を描いた名作です。しかしながら、椎名さんの息子さんの気持も、よくわかります。だいたい、自分の親に「お前のことを書いた本だ」なんてサインとかして渡されたら、困惑もするでしょうし、少年時代であればなおさら、気恥ずかしい思いもするでしょう。1ページ読んだだけで放り投げたくなるよなあ、いや、とりあえず受け取るだけでも偉いような気すらします。

それに、大飯食らいだとか、便の量とか、こういうことを衒いもなく書けるのが椎名さんの文章の魅力だと読者としては思うのですが、子供からしたら、なんでそんなこと書くんだよ、身内の恥で商売しやがって!ときっと思ったに違いありません。それでまわりから冷やかされたら、嫌ですよね。

作家の子供というのも、大変です、ほんとに。
まわりから見たら、有名な小説家かもしれないけれど、子供にとっては、ただの父親でしかないわけで。
自分の親が自分のことを世間に向かって大公開しているなんて、子供にとっては、辛いとしかいいようがない。
阿川さんも「子供の頃は嫌だったけど、大人になって、少しはわかるような気はします」と答えておられますが、誰も傷つけずにいい作品を書くっていうのは、難しいことなんでしょうね、実際。
フィクションであってすら、読者はモデルを探したがるものですし。



2002年05月27日(月)
2002年5月27日。

週刊プレイボーイ4月23日号・赤塚不二夫(漫画家)と武藤敬二(プロレスラー)の対談記事より抜粋。

【赤塚「僕も実は最初は手塚治虫さんのマンガを真似して書いてたの。修行中はね。でも、ある日、手塚先生に言われた。「人の真似をしたら、真似た人の線まではいくよ。でも、それ以上はいかない。自分で開拓しなさい。そのためにはいい映画を見て、いい音楽を聴いて、いい本、いい芝居を知って、そして自分を見つけなさい。マンガは読んじゃダメ。マンガからマンガを真似するのは愚の骨頂だよ」って。僕もそうしたよ。映画だったらマルクス兄弟、チャップリン、キートン、ボブ・ホープ。彼らのギャグのエッセンスを取り入れて自分のストーリーを考えた。】

〜〜〜〜〜〜〜
技術の修得はまず真似から、というのは、おそらく真実といえるでしょう。どんなに絵の才能やピアノの才能を潜在的にもっている人でも、それに対するトレーニングを受けなければ、まったくその能力は開発されないわけですし。例えば、あなたの隣で居眠りしている人やあなた自身も、ひょっとしたらピカソを超えるような素質としての絵の才能をもっているのかもしれないし、子供のころから練習をしていたら、メジャーリーガーになっていたのかもしれません。
もちろん、この「真似するな」というのはある程度のプロとしての技術をもったひとについての話なのですが。

手塚さんの作品は、いろんな意味で「映画的」だといわれるのですが、彼は映画のほうが偉いと思っていたわけではなく、自分の引き出しとして「映画」というある程度成熟したジャンルの娯楽の要素を取り入れていったんでしょうね。
「マンガが好き」で「マンガををたくさん読んでいる」ということが、必ずしも漫画家としてプラスにならないということなんでしょう。
ただし、映画の世界でもパロディものがあるように、批評的な感性として面白い作品を作っていくことは、必ずしも不可能ではないと思われますが。

でも、ほんとに超一流の創造者を目指すのであれば、他人の真似をしてはダメなんだよ、と。そして、このコメントのもうひとつのポイントは、真似するな!といいつつ、他のジャンルのいいところは取り入れろ、という具体的な方法が明示されているところだと思うのです。

手塚さんは、当時のマンガというジャンルに失望し、真似る価値はないと思っておられたんでしょうか?それとも、他の人のを読むと真似したくなってしまうという衝動が、あの巨人・手塚治虫にもあったということなのでしょうか?

WEBサイトでも、あまりネットの世界にばかりどっぷりつかっている人の文章には、あまり心引かれるものがないと思うのは、僕だけでしょうか。



2002年05月26日(日)
2002年5月26日。

今日の昼下がりののFMの番組から。

【(あなたは恋人との会話の間に急に沈黙が訪れた時、どうしますか?というアンケートの結果)

第3位:スキンシップに移行する

第2位:沈黙を楽しむ

第1位:なんとかして自分から話題を探そうとする。】

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これがアンケートとして、どの程度の学術的な信頼度があるかは、わからないんですけど。いやあ、第1位は、とってもよくわかります。僕もあたふたして「ご趣味は?」「知ってるでしょ!」みたいな会話をやってしまいがちなのですが。
でも、2位、3位をみると、むしろ、沈黙はチャンスだ!と思っていたり、この沈黙がいいんだよなあ、と思っている人が多いんだなあ、ということに驚いてしまいます。
沈黙だ、よし、スキンシップのチャンス!というようにならないと、恋愛上手とはいえないんでしょうね。でも、慣れてない人間がやると、彼女がほんとにつまらなく感じているところにベタベタしようとしてしまう可能性があるわけですから、やっぱりリスクが高そうだなあ。



2002年05月25日(土)
2002年5月25日。

「すきやばし次郎・旬を握る」(里見真三著・文春文庫)より抜粋。

【(当代一といわれる鮨職人、小野二郎氏が、常連客にしか、中トロの一部からしかとれない、極上の部分を供さないという話を受けて)
以下、小野氏の話です。
「こんなことを言うと、『何だい、常連ばっかりチヤホヤして』って、怒り出すかたがいらっしゃるかも知れない。
 そうじゃないんですよ。握り鮨を美味しく召し上がっていただきたいと考えれば考えるほど、オイソレと出せなくなるんです。お好みがわからないうちはね。
 だって、数が取れない『霜降り』やら『鉛筆』やらを握っても、一見のお客さんは淡白な赤身好みかもしれないじゃないですか。あと1時間もするとお見えになる顔馴染なら、大喜びしてくれる。取って置こう。そう思うのが人情です。鮨屋のオヤジとしてはね。
 それにトロは、同じくうちの看板であるコハダとかサバとかアナゴだとかに比べれば、お値段もグッと張りますので、御注文をいただかない限り、勝手に握るわけにはいきません。
 『旨いものを食べたければ、常連になれ』と、ウチの若いのによく言うのは、そのためなんです。」】

〜〜〜〜〜〜〜
あんまり、常連さん、顔馴染ばっかり優遇する店って、感じ悪いとおもいませんか。少なくとも、僕はずっとそういうふうに思ってましたし、自分がよく行く店にしても、あまり常連扱いされて、サービスしてくれたりすると、なんだか面倒になって、かえって足が遠のいてしまったり。
でも、この文章は、商売は商売として、美味しいものを喜んでくれる人に食べてもらいたい、という当代一と謳われる職人の気持ちがこもっていて、なるほどなあ、と感じてしまいました。
以前、村上春樹さんがエッセイのなかで、「主夫をしていた時期、魚を頭側と尾側の2つに切って焼いたら、やっぱり頭の方を奥さんに食べてもらいたくなった。こういうのは、経済的に依存しているからとかじゃなくて、美味しいほうを食べて喜んでもらいたいという、料理人の性なんだろうと思う」と書かれていたのを読んだことがあります。
もちろん、お金をもらっての仕事ですから、あまりにひどい常連びいきではどうかなあ、とは思うのですが、お金は持ってるけど感じの悪い客よりは、顔馴染の気持ちのいい客、喜んでくれる客に、こういうスペシャルメニューを饗するのは、それはそれでありなのかなあ、という気もします。
作る側が美味しく食べてもらいたい、という気持ちも、わかりますしね。

ただ、天下の「すきやばし次郎」で常連になるなんてことは、僕にはとうていムリなことなので、ちょっと羨ましいなあ、とは思いますが。
もし牛丼の吉野家にこういうスペシャルメニューがあるとしたら、そろそろ僕の前に登場してくるんじゃないかと楽しみにすることにしましょうか。



2002年05月24日(金)
2002年5月24日。

夕刊フジの記事より。

【立川談志、小さんに最後の憎まれ口

 立川談志(66)が20日、都内のホールで開かれた落語会で、16日に亡くなった元師匠の柳家小さんさん(享年87)に最後の“憎まれ口”を叩いた。通夜と葬儀・告別式には、顔を出さなかった談志。この日の高座では、小さん師匠の話が出るか注目されたが、初めのうちは、「小さん師匠については言わないよ。ボロクソになっちゃう。ずいぶんけんかもしたからね」と肩透かし。 それでも、「お前より先に死なないよと言っていたけれど、そうはいかないよ、ただ、謝られていたら困っちゃっただろうけどね。法治国家じゃなくて、情治国家だから」と、最後まで和解に至らなかった、複雑な心情をにじませた。
 小さん師匠の弟子だった談志だが、83年に真打昇進を巡る考え方の違いから仲たがいして破門。落語協会を脱退して、落語立川流を旗揚げした。それでも、小さん師匠は周辺に「オレは、あいつが一番好きだ」と漏らし、双方が心の中では、お互いに慕っていたとされている。】

〜〜〜〜〜〜〜
結局、心の中は、当人たちにしかわからないことではあります。
この2人の師弟は、結局、和解できないままになってしまったわけで。
周りのひとたちは、談志さんもお通夜に出てくればいいのに、とさんざん言っていたようですが、談志さんも、師匠が亡くなったからということでいまさら出てきて、死んだ人と仲直りというのも、かえってわざとらしくて気恥ずかしい想いがしたんでしょうね。
小さん師匠は、生前「弟子だから、俺のところに頭を下げにくれば、どうとでもしてやるよ」と仲違いのあとも、よく言われていたそうです。談志さんも「謝られたら困った」と言われたみたいですが、正直なところ、お互いに何かきっかけがあればなあ、という気持ちでいたんだと思います。
まあ、弟子であり年下でもある談志さんが折れるのが普通なのかもしれないけれど。
ほんとは二人は心の中では、お互いを認め合っていたんでしょう。好きだから、買っているからこそ依怙地になってしまう。お互いに噺家として負けたくない気持ちもあっただろうし。
きっと、頭を下げない、自分から声をかけないのがお互いの「美学」。
ただ、どちらかの気まぐれでもいいから、何かきっかけがあればよかったのになあ、と思ってしまいます。
こうした、ちょっとしたすれ違いやタイミングが合わなかったことによって、どれだけ大事な人を失ってきたことだろう、と思うとちょっと寂しい気がします。
こういう場合、思い切って自分から相手に声をかけたほうがいいんですよ、きっと。僕たちは一門の名誉を背負っているわけではないですし。
「俺が悪かったよ」と言って、返ってくる答えって、まず
「いや、俺も悪かったよ」に違いないんですから。

でも、それが頭でわかっていてもなかなかできないのが、人間なんですよね…




2002年05月23日(木)
2002年5月23日。

「琉球新報」の記事より抜粋。

【虐待、親責めないで/新報女性サロンで広岡さん

 第56期新報女性サロンの第五回講座が21日、那覇市の琉球新報ホールで開催され、子どもの虐待防止センター指導員の広岡智子さんが、「親は子どもに何をしたか-児童虐待の現状と理解」のテーマで講演した。
 広岡さんは児童虐待を身体的虐待、放置・無視、性的虐待、心理的虐待(脅し、差別)の四つに分類し、「最も子供が傷つく虐待は、愛情や刺激を与えず、子供の自尊心を失わせることだ」と語った。
 また、幼少期に親から虐待を受けた人が自分の子を虐待する事例が多いと指摘。「無意識下に残る深い心の傷(トラウマ)が虐待の要因となっている」「子供は虐待する親を告発できず、そのまま親になってしまい再び子供を虐待してしまう」と述べ、フロイトなど過去の研究を引用しながら、児童虐待の連鎖について説明した。
 児童虐待に悩む親の相談を受けてきた広岡さんは実例を紹介しながら、「子を虐待した親の立場は理解できる。親を責めるのではなく、周囲で支援することが大事」と話した。
 その上で子育てを終えた祖父母の立場からも、虐待で悩む親子を救うことができると強調した。】

〜〜〜〜〜〜〜
「最も子供が傷つく虐待は、『無視』である」という点については、僕も納得できます。ただ、この方のお話は、あまりに虐待する親に対して共感的すぎるのではないかなあ、と思います。
「トラウマ」ということについて、僕は何度かここで書いてきたのですが、現実問題として、まったくトラウマの無い人生を送っている人間なんているわけがないですし。事あるごとに「私は幼児期にこんなトラウマを負ったためにこんなことを…」なんていうのは、あまりに言い訳がましいのではないかと。自傷行為ならともかく、被害にあったほうはそんなこと全然関係ないことですから。
もちろん、ストレスに対する耐性にには個人差がありますし、人間には受け止めきれないような、巨大なトラウマ(自然災害とか、凶悪事件に巻き込まれた、とかですね)があるというのも理解できます。
でも、そういうレベルでないトラウマ(「親が忙しくて、あまりかまってもらえなかった」とか「悪いことをしたときに殴られた」とか)を振りかざして、自分のやっていることを正当化する人、そしてそれを理解しているふりをしている人たちには、僕は怒りすら覚えます。
 虐待する親は、子供時代に虐待を受けている場合が多いということは、よく知られている事実です。でも、だからといって「虐待する親の立場は理解できる」なんていうのは、ほんとかいな?と思わずにはいられません。
子供を愛せない、とか愛し方がわからない、というのは、感覚的に理解できる気がするんです。でも、自分がされて嫌だったはずの「虐待」をどうして自分で断ち切ろうとしないのか?いい大人が「私、アダルトチルドレンなの!」なんて恥ずかしげもなく言い放つことがどうして許されてしまうのか。
僕だって、ある意味、アダルトチルドレンですよ。自分で「大人」になったなんて、思えません。でも、世の中には、自分より幼い本物のチルドレンがいて、背伸びしてでも彼らを守らなくてはいけないということを感じています。

この場合の「周囲の支援」というのは、この文章からだけでは、はっきりとはわかりませんが「そんな親には子供を育てさせるな!」ということなんでしょうか?それはそれで、正論だと思うのですが。

自分が、病的な虐待をする人間だ、病的なACだ、と思われるなら今すぐ精神科を受診してください。正常の範疇に入ると思われるのなら、覚悟を決めて現実を生きてください。困った時にだけ病気ぶるのは、もしくはまわりが病気にしてしまう風潮は、あまりにご都合主義なのではないかなあ、と思わずにはいられません。



2002年05月22日(水)
2002年5月22日。

日刊スポーツの記事より。

【カメルーンW杯スト、賞与めぐり来日拒否
 カメルーン代表の来日遅れの原因は、W杯でのボーナスをめぐるトラブルであることが分かった。選手側は1人当たり4万6000ユーロ(約530万円)を要求。協会が拒否してストライキになっていた。選手側交渉役のFWパトリック・エムボマ(31)は日刊スポーツの取材に「遅延問題についてはコメントできない」と苦悩をにじませた。大分県中津江村でのキャンプ日程は大幅に遅れており、最悪の場合、消滅の可能性も出てきた。
 カメルーン代表の大幅来日遅れは、選手がW杯ボーナスの増額を要求しての「ストライキ」が原因だった。

 慢性的に財政難に悩まされるアフリカ諸国のサッカー協会と選手の間では、収入の分配をめぐる内紛は「お家芸」だった。カメルーンは94年の米国大会でも極度の財政難から選手に支払う「報酬が出ない」という協会と選手側が対立、ストライキを起こしていた。

 反動を一身に受けたのがキャンプ地の大分県中津江村だ。約1360人の村民は19日来日予定だったカメルーン代表を今も待ち続けている。

 ◆今大会の来日トラブル 続々と各国代表が来日する中、アフリカ勢の問題が目立つ。セネガル代表は16日の来日時間が前日まで決まらず、宿舎到着は午後11時近く。キャンプ終了日も当初の24日の予定が22日に変更になった。17日に来日したチュニジア代表も大分空港の到着時間が当初の予定から6時間近く遅れ、歓迎式典の時間も変更になるなど、キャンプ地関係者を混乱させた。

〜〜〜〜〜〜〜
カメルーン代表、ようやく飛行機に乗ったらしいです、やれやれ。日本には23日の夜に到着予定だとか。
このカメルーン代表来日遅延問題、けっこう大きく取りあげられていて、佐賀では、地元のJ2のチームとの試合予定もあるため、連日トップニュース扱いです。これも文化の違いといえばそれまでなのかもしれませんが、それにしても、中津江村の人たちはたまらないでしょうね。みんなカメルーンの公用語であるフランス語の練習までしていたらしいのに。
しかし、これを機に、こういうキャンプ地誘致などによる村おこしというのが、果たして意味があるのかどうか考えてみたほうがいいんじゃないかなあ。まあ、カメルーン代表としては、別に中津江村でキャンプを張るのが目的で日本に来るわけではないんですし、一番の目標は、ワールドカップでいい結果を残して、それに見合った報酬を得ることみたいなので。
今回のことに関しては、たぶんカメルーンの選手たちにとっては、当然の交渉過程でしかないみたいです。
快適なキャンプをするためには、むしろお金をちゃんと払ってもらうくらいのほうが正常だと思うんだけど。
しかし、皮肉なもんですね。今回の「事件」で、大分県中津江村は、普通にカメルーン代表がやってきて、普通にキャンプを張ったときの何倍、何十倍も全国に名前が知れ渡ったと思われますから。それによる実益は、まったく期待できないとしても。






2002年05月21日(火)
2002年5月21日。

時事通信の記事より。

【「睡眠学」の総合研究を提言=不眠は国家的危機と指摘−日本学術会議

 社会の「夜型化」で成人の5人に1人が不眠に悩み、子供も寝不足で元気がなくなっているのは国家的危機だとして、各種学会の代表者で構成する日本学術会議(吉川弘之会長)は20日、医学や分子生物学、社会学などの研究成果を統合して「睡眠学」を創設し、全国的な研究体制を整備すべきだとの提言をまとめた。
 この提言は、精神医学や行動科学などの研究者から成る検討委員会が2年前から議論した成果。座長を務めた国立精神・神経センターの高橋清久総長は「分野ごとに進んでいる研究が統合されれば、不眠症の治療や睡眠不足による事故の防止、身体の負担の少ない夜勤シフトの開発などに結び付く。昼寝など、上手な睡眠の取り方の普及にも努めたい」と話している。】

〜〜〜〜〜〜〜
 「眠れない」ことで悩んでいる人は、けっこう多いようです。僕も、20歳前後のころ、それほど深刻ではないにしろ、眠れなくて困っていた時期があったものです。
 たぶん、今20歳前後の人たちには実感がわかない話だと思うのですが、今から20年前くらいは、夜って、ほんとに何も娯楽がが無い時間だったんですよね。せいぜい、オールナイトニッポンなどののラジオの深夜放送を聴くか、本でも読むかくらいで。大人なら、またいろいろとやることもあったんでしょうけど。
ビデオもない、テレビゲームもない、インターネットもなかったら、果たして多くの人がそんなに起きていようと思うものなのか。
少なくとも、コンビニができるまでは、夜中にプリンが食べたくなっても、家の冷蔵庫になければ我慢していたはずですし。果たして、24時間営業のコンビニが社会のニーズに合わせてつくられたものなのか、それともコンビニができたおかげで人々のライフスタイルが変わってしまったのか。
少なくとも、翌朝起きなくてよければ、不眠というのはそんなに困らない世の中になってしまったのではないかなあ。
某所で聞いた話なのですが、眠れないといのは、基本的には運動不足が原因であることが多いようです。確かに、身体を一生懸命使った後では、イヤでも眠り込んでしまうことがおおいですし。
それで、眠りにつきやすくするためには、横になって顔の力を抜くといいらしいです。
「上手な睡眠のとり方の普及」というのは、確かに良いことだと思うけれど、結局、みんな「眠れない」のではなくて「眠ってる暇が無い」のかもしれませんね。
子供が元気がないのは、寝不足のせい、っていうのも、いったいどういう科学的根拠があるのか、よくわからないし。
「元気さ」なんて定量化できるものなんでしょうか?





2002年05月20日(月)
2002年5月20日。

5月16日に心不全で亡くなられた、落語界最初の人間国宝、柳屋小さん師匠の生前のVTRのコメントより。

【(噺が上達するための秘訣を訊ねられて)
「素直じゃないと噺も剣道でも伸びないですよ」】

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僕の中では、永谷園のCMで女の子と一緒にお茶漬けを食べている人という印象しかありませんでした、恥ずかしながら。小さん師匠は噺とともに剣道の達人でもあって、7段・範士の称号も得られていたそうです。いわく、噺と剣道には「間」が大事という共通点があるとか。
この言葉なのですが、僕もいろんな人と仕事をしていて、やっぱり伸びる人には「素直さ」があるということを感じます。人の意見を素直に聞くということ、自分がわからないことを素直にわからないと言えるということ。
もちろん、自分なりのやりかたを持つということはとても大事なことだけれど、それはあくまでも基礎ができてからの話。
でも、素直とは、「言いなりになる」ということではないと思いますよ、念のため。
なんだか、簡単なことなのではないかと思って書き始めたのだけれど、この「素直である」ということの意味、なかなか奥が深いような気がします。
わからないのは、僕が「素直」じゃないからなんでしょうか。





2002年05月19日(日)
2002年5月19日。

ミュージカル「ラ・マンチャの男」より劇中でのセルバンテス(主人公の詩人・作家)の科白。

【「ああ人生自体がきちがいじみているとしたら、では一体、本当の狂気とは何か? 本当の狂気とは。
夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。
現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。
だが、一番憎むべき狂気とは、
あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、
あるべき姿のために戦わないことだ。」】

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劇中で、松本幸四郎演じるところのセルバンテスが述べる、この「ラ・マンチャの男」のテーマともいえる科白。
あまり多くの解説をしないほうがいいような気はするのですが。
劇中で、ドン・キホーテは「自分は騎士であり、正義と名誉と思い姫のために闘う」というある種の「妄想知覚」にとらわれた人物です。まあ、ひらたくいうと「狂人」ですね。
ただ、実は人生においてやるべきことをやろうとせずに(やりたいこと、ではないですよ、これ重要)こんなものさと自分を納得させて生きていく人間もまた(もしくはそれ以上に)狂っているんだ、ということなんでしょう。
結局、人間はみんな狂っているのか、とも思われますし、「あるべき姿」とは何なんだ?とも感じます。
でも、その「あるべき姿」を追い求めるのが人生なのかもしれませんね。
「幸福とは、幸福を探すことである」寺山修司の文集に載っていたフランスの詩人の言葉。



2002年05月18日(土)
2002年5月18日。

共同通信の記事、日本代表選出についてのトルシエ監督のコメントより。

【最終のメンバーリストは、私と私のスタッフの考えたプロセスの結果であって、少しも驚きのあるものではありません。4年前からの長い過程の論理的な結果で、この最終リストはとりわけ人間性を持った選手たちのリストです。
(中略)
選ばれた選手たちは、残念ながら選ばれなかった選手たちへの尊敬の表現として、最後の最後までこのミッションが終わるまで高い集中力を持続し、責任感を持ってほしいと強く思っています。最後に、日本代表のサポーター、ファンの皆さま、代表を支えてくれる友人たち、関係者の皆さま、日本代表への強力なご支援をよろしくお願い申し上げます。】

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まず、この日本語訳、どうにかならなかったんでしょうか?とりわけ「人間性」を持った選手のリストの「人間性」というのは、ほんとに正しい訳なのかなあ。辞書どおりにしても、もっとわかりやすく訳するべきなのではないでしょうか。日本語では「人間性」=「人格」ということになってしまいますから。
でも、ここで「少しも驚きのあるものではありません」とわざわざ断りを入れているということは、たぶん驚く人がいるということを見越してのことなんでしょうね。ほんとにごく当たり前の内容であればわざわざこんな前置きを入れる必要性はないわけで。
今回の選出については、とりわけ中村俊輔選手の落選について話題になっているようですが、最大の問題点としては、監督自身が代表選手を発表しなかったことにあると思います。ただ、「落選した理由」を個々に説明していくのは、傷口に塩を塗ることのような気もしますけど。中村選手が能力がないという判断ではなくて、同じポジションの他の選手と比較して、また彼の怪我のこと、戦術のことも考えての選択だったのでしょう。
僕は、とりあえずトルシエ監督の選択の結果をみてみたいと思います。

しかし、よく考えてみればまだ甲子園のベンチ入りの選手が選ばれただけの段階で、選手たちにとってはこれから「試合に出る」という関門が待っているわけですし、代表に選ばれたぞ、おめでとう!というようなバカ騒ぎは、まるで選挙に当選しただけで万歳する政治家のようで、ちょっとバカバカしいと思うのですが。本当の仕事は、これからです。
選手自身にとって大事なことは、代表としてどう仕事をするか、ということのはずですし、みんな周囲の人のようには浮かれていないようですよ。



2002年05月17日(金)
2002年5月17日。

WIREDの記事より抜粋。

【音楽業界はインターネットのファイル交換ネットワークに対して大変な苦闘をしているが、映画産業はどうやら戦いに勝利したようだ。

 映画鑑賞券の売れ行きは常に好調だ。『スパイダーマン』は、封切りされた週末に映画史上最高の売上を記録した。『スター・ウォーズ』最新作の前売り券が売り出されると、オンラインのチケット販売サイトへのトラフィックが150%はね上がった。

 映画業界はまさに鉱脈を掘り当てたような状況で、この大当たりは娯楽業界に見習うべき教訓を提供している。近年の映画産業の成功の理由は、大画面での鑑賞に値する作品を作ってきたということにつきる。特殊効果やサラウンド音声が盛り込まれた壮大な筋書きの映画は、テレビやコンピューターの画面では魅力が損なわれてしまう。

 「家庭のテレビやコンピューター画面で観るのと、劇場で観るのとでは、視覚体験がまるで違う。テレビなどの画面は観客を圧倒しないからだ」と語るのは、マンダレイ・ピクチャーズ社のピーター・グーバー会長。「映画館では幅16メートルのスクリーンとサラウンド音声が楽しめる。観客は並はずれた体験を期待しているのだ」】

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確かに、これだけみんながビデオやDVDを所有している時代になると、「この映画はビデオが出たらみればいいや」などというように、地味なものは映画館にわざわざ観にいかなくなってしまっているのが実情。
やっぱり、同じお金を払うんだったら、「圧倒されるような体験」を味わいたいというのはありますし。
ただ、こういう傾向があまりに加速してくると、視覚効果を狙った映画ばっかりにあってしまい、地味だけれども役者の演技や筋書きで魅せる映画が衰退していくのは、自明の理のような気がします。
遊園地はTDLやUSJだけが突出した人気を誇り、映画館では特殊効果に埋め尽くされた大作映画だけがヒットしていく、という時代。
「並外れた体験」は確かに映画の醍醐味ではあるけれど、そればかりでは、ちょっと寂しい。

それにしても、最近ヒットしている映画って「スパイダーマン」のような超大作と「ナースのお仕事・ザ・ムービー」のようなテレビの延長ものとの両極端に分かれてますよね。原作の知名度もなく、特殊効果も少ないような地味な映画って、生き残っていくのは難しくなっていくのかも。
まあ、あまりに「感動させてやる!」っていう気合満点の人間ドラマも、観ているほうが引いてしまうのは確かなんですけど。
まるで、「高校生らしい溌剌としたプレイですよね」と自分たちの時代錯誤的な高校生のイメージを高校野球に投影している人たちをみているようで。





2002年05月16日(木)
2002年5月16日。

東海林さだお著「親子丼の丸かじり」(文春文庫)より抜粋。

【定食屋というものは、近年、次々に姿を消しつつある。おや、この定食屋、店を閉めちゃったな、と思っていると、そのあとがいつのまにか「てんや」とか「ミスタードーナツ」とか「モスバーガー」になっていたりする。
こういう現象はとても寂しい。どこの駅のどの店も、その店に入る前から味が予測できるというのは寂しい。】

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この「定食屋が次々と姿を消していった時代」は、もう今から考えると一昔前の話になってしまうのですが。確かに、最近どこの地方都市に行っても、みんな同じような風景に見えるのは、どこに行ってもある「マクドナルド」や「吉野家」が原因のひとつなのかもしれません。
ただ、僕のような地方都市に1人暮らし、帰る時間も遅い男にとっては、こういうファーストフードの存在は、妙に頼もしいものでもあります。
定食屋っていうのも、慣れてない店だと1人では入りづらい気もしますし、たいがい20時とか21時とかで閉まっちゃいます。
味が予測できるというのも、考えようによっては「外れ」をひいたり、寂れまくった店でご主人の視線を満面に浴びながら食べなくてはいけないリスクを背負わなくてもいいということですから。
それでも、確かに自分の行きつけの店が無くなってしまったら、寂しいですよね、やっぱり。

ただ、「どこも同じ味」といいつつも、いつも行っていると「あそこのモスバーガーは、あっちの店よりも美味しい」とか、「どこそこの『ほっかほっか亭』は、他のチェーン店よりご飯の大盛の量が多い」とかの細かい違いを見つけ出してしまったりするもんなんですよね。



2002年05月15日(水)
2002年5月15日。

西日本スポーツの「国内ヒットチャート」のコメントより。

【「災い転じて福」宇多田が快進撃】

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署名記事ではないので、どこの誰が書いたかはわかりませんが、なんだこれは!という気がしませんか。
今回、宇多田ヒカルの新曲「Sakura ドロップス」は、オリコンチャートの初登場1位となり、約75万枚をセールスしたそうですが、それを「災い転じて福」と表現するのが妥当なのかどうか?
この記事を読んで思い出したことなのですが、以前、僕の親の葬式の際に、ある親戚が「まあ、これもキミの医者としてのいい経験になるよ」とのたまいました。そのときの内心の怒りといったらもう、言葉にするのもハバカラレルくらいで。
世の中には、「経験という言葉では取り返しがきかない苦い体験」というものがあるのです。一部の人たちには、わかってもらえないようですが。
僕は、自分の親の死という体験から、医者としての経験値を上げたいなんてさらさら思っていないし、そんなものどうでもいいから、長生きしてほしかたと思ってますから。
今から考えると、確かにその経験が生かされている部分もあるんでしょうけれども、葬儀の席で口にするべき言葉ではないと、今でも思っています。
いや、何か励ましてやろうと思って出た言葉であることは、わかるのですが、やっぱり心に引っかかっています。

 宇多田さんは、女性としての大事な機能のトラブルで闘病しているわけです。「Sakuraドロップス」が大ヒットしていることは、確かに彼女へのファンからのエールとして伝わってると思うし、彼女も喜んでいるはず。でも、こんなふうに「病気のおかげで売れてよかったね」などという下卑たことを書かれて、いい気がするもんなんでしょうか。
確かに、世の中には売れるためには自分を危険にさらしたり、他人を傷つけることを是とするひともいるでしょうけども、宇多田ヒカルは、そんなことをする必要のないレベルの大スターなんだからさ。

彼女は、今も「災い」とたたかっている最中です。「福」になんて転じちゃいませんよ。
早く、宇多田さんが快復されますように。




2002年05月14日(火)
2002年5月14日。

佐川芳枝「寿司屋のかみさん おいしい話」(講談社文庫)より抜粋。

【夫があまり笹切りをしなくなったのは、7、8年前からだ。あるとき、エビ形に切ったヤマ(笹の葉)を入れて、出前の寿司を届けると、あとで、
「笹の葉なんか入ってると、不潔な感じがするから、入れないでください」という電話がきた。ビニール製のバランに馴れた人には、笹の葉が、道ばたに生えている雑草と同じように思えたらしい。
 私達には、5、6月の新緑のシーズンに出回る笹の葉は、緑が鮮やかでみずみずしく、季節を感じさせてくれるものだが、人によってはビニール製のバランの方が清潔に感じるのだろう。そう思っているのは、このお宅だけではないかもしれないと、夫と話しあって、出前に使うのはビニール製のバランに統一してしまった。】

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この本が上梓されたのは1996年だそうですから、少なくとも今から10年以上も前の話になりますね。そういえば、子供の日の柏餅も最近はビニール製の柏の葉もどきに包まれているものが多いような。
確かに、あまり長期に保存するものについては、味や香りに影響が出るのかもしれませんが、これはあまりに神経質すぎるような気がします。
でも、近年の抗菌ブームを考えると、人間は、同じ人間というものを「不潔」だと考えているということが、よくわかります。
博多の某有名ラーメン屋の店内に「人の手に触れるのは、麺を茹でるときだけです」という表示がされていて、僕はすごく違和感を感じます。
そんなに人が触らないことはいいことなのかなあ、と。
コンビニのおにぎりをつくるときにしても、ほとんどオートメーション化されていて、人間の手に触れる機会はほとんどないそうですし。
確かに、人間の手というのは衛生学的に言えば「不潔」です。いろんな雑菌がついています。でも、人類はそれでいままで生きのびてきたんだから、あまり神経質になるのもどうかなあ、と。逆に体力があるときにそういった菌に対する抵抗力をつけておかないと、高齢になったとき、抵抗力が弱った時に弱い菌にでもやられてしまうことも考えられますし。
それに、機械や人工物が「清潔」というのは実は幻想でしかなくて、機械にだっていろんな雑菌がついてますし、その衛生管理を最終的に行ってるのは人間なんだから。コンビニのおにぎりを滅菌室で滅菌手袋で食べるのならともかく、あまりに人間の手を不潔視するのもいかがなものか。

ただ、これは「不潔!」っていうよりも、他人を信用できなくなっているところからなのかもしれません、本質的には。どこの誰がつくったかわからないものを日常的に食べているという不安のあらわれなのかも。

井川遥(あなたが女性ならキムタクにしましょうか)が目の前で握ったおにぎりとコンビニのおにぎり、あなたならどっちを食べますか?



2002年05月13日(月)
2002年5月13日。

時事通信の記事より。

【「どこでもドラえもん」=地域限定の姿、来月登場

 京都では新撰組の衣装をまとい、北海道ではキタキツネの着ぐるみ姿−。玩具メーカーのエポック社(本社東京)は6月から、人気アニメキャラクター「ドラえもん」が地域ごとに異なる格好をした土産用雑貨「どこでもドラえもん」を、全国10カ所で順次売り出す。
 人形のほか、キーホルダーやバッジなどを用意。土産物店や駅、空港の売店などで地域限定商品として販売する。年内には、全国の25地域に種類を広げる予定だ。
 エポック社によると、観光物産市場の年間売上高は全国で2兆円規模。約10年前から伝統工芸品の人気が低迷し、テレビなどに登場するキャラクターを利用した土産品の販売が増えているという。】

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観光地の土産物って、「こんなの誰が買うんだ?」っていうようなもの、けっこうありますよね。三角の旗とか、最近では「根性注入棒」とかいう、やや卑猥系のものとか。さて、このシリーズは、土産物としてはいかがなものか?どこでもドラえもんというのも、要するに、衣装が違うだけですし。
こういうキャラもののほうが、結局売れるということなんでしょうけど。
それでも、全国からバカバカしい土産物が駆逐されたり、伝統工芸品が失われていくというのも寂しい気がします。ではお前は東京タワー貯金箱を買うのか?と問いただされると、ごめんなさいとしか言いようがないかな。

しかし、この企画で僕としては許しがたいところがひとつあって、それは、子供たちの(一部大人も含む)夢の象徴でもあるドラえもんに、新撰組の衣装!?を着せるというところなのです(キタキツネは可)。
だって、新撰組って、京都の街で跳梁跋扈した、人斬り集団ですよ。彼らが歴史的に正しいかどうかは別として、やってたことはドラえもんがコスプレをするには、あまりに殺伐としすぎていたんじゃないか、と。
まだ舞妓さんの格好でもしてたほうが、気が利いてるって。
購買意欲をどちらがそそるかとは、別として。

確かに藤子作品にはブラックな面もあるのですが、だからといって、これはちょっと無神経すぎるのではないかなあ、と。





2002年05月12日(日)
2002年5月12日。

読売新聞の記事より抜粋。

【北朝鮮がホームステイ受け入れ

 北朝鮮が、平壌市内でのホームステイを組み込んだ日本からのツアーを受け入れることになり、注目を集めている。外国人観光客の行動が制約され、市民との自由接触も不可能な同国のホームステイ開放は極めて異例。厳しい経済情勢の中、新たな外貨獲得源として観光を重視する北朝鮮の姿勢の表れといえそうだ。
 ホームステイは平壌市内の近代的なアパートで行われる計画で、当局は、市民の人選や家の下見などを進めている。選ばれるのは生活レベルの高い「模範家庭」とみられる。北朝鮮当局は、家族との夕食など、交流の意向も伝えてきているという。ただ、北朝鮮では「観光収入のうまみより、開放による体制への衝撃とリスクが重視されている」(関係筋)のが現実で、一般市民生活の実情と触れ合うのは難しいとの見方も根強い。

 6月20―23日、同23―27日の2コースあり、価格は15万9000円―16万9000円。】

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北朝鮮への「ホームステイ」。タイトルだけみると、高校生が一ヶ月くらい、北朝鮮の家庭で生活するのか?と思っていたんですが、そこまで濃密なものではないみたいですね。「家族との夕食などの交流の意向も」って、一緒にご飯食べたりするのが「ホームステイ」なんじゃないのかなあ、要するに、臨時の民宿ということなんでしょうか。
しかし、生活レベルが高いのが「模範家庭」ということなのですが、そういう発想は、まるっきり資本主義的なのではないでしょうか。むしろ、貧乏でも文句ひとつ言わずに働くひとのほうが「模範的」なのではないかと思われるのですが。
いずれにしても、日本人の大部分にとってはこのホームステイって、「話のタネ」以外の何の意味もなさそうな気がします。
だからといって、高校生が長期滞在して、いろいろ「教育」されても困ったことにはなりそうだけど。



2002年05月11日(土)
2002年5月11日。

「シティ情報ふくおか」No.565、デビュー10周年のウルフルズのインタビューより抜粋。

【トータス松本「自分の年齢の中途半端さは、感じるよね。30代が、ものすごい中途半端と感じる!
(中略)
20代は、夢を語っても絵空事でも、誰もそれを拒んだりせえへんっていうか、途方もないホラを吹いても許してくれると思うのよね。
30代になると、そういうほら吹きたい気持ちは残ってんけど、”そりゃもうホラや”ってこと、自分でわかってしまう瞬間が何回もあるのね。大きな夢を語りたいし、それをホンマに目指してもいるけど、それを口に出して言うことは、30代にしたら、すごいカッコ悪いことになってるような気がして。それを言わないでおらなアカン、ということが…、”結果を出してなんぼ”ってとこが、のしかかってくる。
(中略)
で、40になると、それも全て通り越して、もっと肩の力が抜けて、絵空事をまた語れるようになる気がするのよ、僕は。そういうミュージシャンも多いと思うし。】

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僕もトータスさんと同じで30代(まだ半年ですが)なのですが、なるほど、と思わされるコメントですね。30になったときは、あと10年は、30代になるときのような10の位の数字が増えるプレッシャーがかからなくてすむ、っていうことで、肩の荷が降りたような感じがしたけれど。
確かに、30代って「現実」を語らなければならない年齢のような気がします。非現実的な「夢」なんて語るのは恥ずかしい。「それより、目の前の問題を解決しろよ!」とい声がとんできそう。
それが、40代になって夢を語ったり、幼児退行したりすると、かえって「少年の心を持っていて、ステキ!」とかいわれちゃうのは、割が合わない気もします。
ああ、30代って、中間管理職的年代だなあ、やっぱり。
でも、自分の視野もできることも広がってきているような手ごたえはあるので、僕はけっこう好きですけどね、30代。
ただ、トータスさんの言っている年代による変化って、実は「恋愛」についてのことなのかもしれません、だとしたら、深くうなづいてしまうなあ。



2002年05月10日(金)
2002年5月10日。

東海林さだお著「親子丼の丸かじり」(文春文庫)より抜粋。

【一度、お腹をすかせた状態で冷麺に対処してみたい。ところが日本ではこれがなかなかむずかしい。冷麺は、焼肉屋か韓国料理の店に行かないと食べられない。焼き肉屋に入っていって、焼き肉関係一切食べないで、冷麺だけ食べて帰ってくる勇気ありますか。おでん屋に行って、おでんを食べずに、いきなり「茶めし!」と言って茶めしだけ食べて帰る勇気ありますか。
「焼き肉屋の冷麺だけ」は「おでん屋の茶めしだけ」に相当する。
冷麺専門店というのはないのだろうか。もしあったらぼくは絶対行きますね。絶対行くけど、多分、1回くらいしか行かないような気がする。】

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冷麺専門店というのはあまり耳にしませんが、ランチなどで「冷麺だけ」を気がねなく食べられるようになっている店はあるみたいです、最近は。
でも、こういう感覚って、わかるなあ。サイドメニューが食べたいんだけど、それだけ頼むのは、ちょっとハバカラレルような感じ。
もう20年くらい前の話なのですが、当時住んでいた地方都市(人口8万人くらい)にはじめてマクドナルドができたとき、僕はマックシェイクをものすごく飲みたかったんだけど、それだけを頼んで、「ポテトはいかがですか?」とか訊かれるのがものすごく嫌で(シェイクだけかよ!って思われてるような気がしてたんですよね、ああ若い)なかなか入れなかったのを思い出します。100円バーガーの時代に「ハンバーガー20個!」と宣言し、店員さんの「お飲み物は…」の声に「いりません!」とすかさず応えた先輩には、心底畏敬の念を抱いたものです。
焼き肉屋でも、キムチチャーハンやクッパだけ食べられたらいいのになあ、と思うことはあるのですが、やっぱり「それだけ?」と店の人に思われてるんじゃないかって心配になって、実現は困難です。
でも、ほんとにそれだけ食べて満足するかというと、なんだかやっぱりもの足りないのかもしれないですね。
それにしても、クッパなんて普通にそれだけ食べてもおなかいっぱいになりそうなのに、さんざん肉を食べたあとに一人前食べられるのは、よく考えたら不思議。






2002年05月09日(木)
2002年5月9日。

読売新聞の記事より抜粋。

【身分証なしの小学生、W杯チケット受け取れずに困惑

 サッカー・ワールドカップ(W杯)のチケット郵送を巡り、W杯日本組織委員会(JAWOC)が、郵便局で受け渡しの際に写真付き身分証明の提示が必要な「本人限定受取郵便」の手続きを採用したため、運転免許証やパスポートなどの証明書を持たない小学生らが「本人と確認できない」として、手渡しを拒否されるケースが全国で相次ぎ、トラブルになっている。渡らなかったチケットはJAWOCに返送、後日別の手段で郵送される見通しだが、郵政事業庁からトラブル防止策が必要と指摘されていながらJAWOCは何の対策も取らなかった。

 JAWOCが局留めで発送したチケットは、昨年中に応募を受け付け当選した約56万枚。チケットの不正売買を防ぐため4月下旬から「本人限定受取郵便」で発送した。

 大阪市内の会社員(40)夫婦は、小学3年生の長男(8)と3人で神戸の試合に当選。8日、郵便局に電話すると「小学生でも写真付きの身分証が必要」と言われ、入手できなかった。各地の郵便局には「子供が当選したがどうすればいいか」と問い合わせが寄せられている。】

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「子供でも写真つきの身分証が必要」って、マニュアルにそう言えと書いてあるのかもしれないけれど、冷静に考えてみてください。そんなの持ってる子供がいると思いますか?中学生以上であれば、学生証とか持ってるでしょうけどねえ…
後日、別の手段で郵送されるということですが、きっと子供たちは眠れない夜を過ごすことになるんじゃないでしょうか。

でも、そこまでしてW杯、会場で観たいですか?そりゃ、日本代表の試合は、僕も観たいです。当然、チケットはとれませんでしたけど。
名前を挙げては失礼にあたるかもしれないけれど、エクアドルvsクロアチアとか、アイルランドvsカメルーンなんて試合、よほどのサッカーマニアじゃないと面白くないと思うんですけど。
僕も何度かサッカーの試合会場に足を運んだことがあるのですが、サッカーを会場で観る楽しさというのは、サポーターとして他の人と一体化して応援するところにあって、別に試合が見やすいわけではないと思います。
全体のフォーメーションやテレビ画面にうつらない選手の動きがわかるっていう、新たな発見はあるだろうけど、それは別にW杯でなくてもいいわけで。とくに応援しているわけでもないチーム同士の試合、そんなに会場にいるメリットがあるとは思えないけど。そりゃ、会場にいれば自然にどっちかを応援することにはなるのでしょうが。
世界最高レベルの技術、っていうけれどそれならヨーロッパに行って、チャンピオンズリーグかセリエAあたりを観たほうがいいんじゃないでしょうか。代表チームというのは、所詮急造チームなわけですから。

W杯自体が悪いといってるわけではないんです、でも、あまりに僕たちをなめきった「W杯商法」みたいなのに、にわかサッカーファンのひとたちまで踊らされる必要はないのではないかと。人口の違いはあるにせよ、韓国ではチケットが40万枚売れ残っているそうですよ。
なんかもう、「あんまり面白くなかったね、疲れただけだった…」ってため息をつきながら家路につく親子の姿が目に浮かんでくるようです。

とか言いつつ、行けることになったら、喜んでいっちゃうんだろうなあ、僕も。ああ、イベント好きの性。
結局、サッカーの試合を観にいくんじゃなくて「W杯」という大イベントを見物しに行く人が多いということなんでしょう。
それはそれで、景気回復のためにはいいことなのかな。





2002年05月08日(水)
2002年5月8日。

スポーツニッポンの記事より抜粋。

【帰国・元彌逆ギレ「騒動とは何だ!」

 舞台の遅刻やドタキャン、さらに能楽協会からの除名騒動などの渦中にある狂言師・和泉元彌(27)が7日、成田着の全日空機で公演先の中国から帰国した。空港に集まった報道陣が、騒動に関して質問を浴びせると元彌は「騒動とは何だ!マスコミが騒ぎ立てるからじゃないですか!!」と逆ギレ。また、能楽宗家会が元彌に対して9日に事情聴取を行いたいと申し入れた件についても「地方公演と重なって(欠席の返答を)お手紙に書いた」と拒否したことを明かした。

 取材陣から「早く騒動を収めたいのでは?」と聞かれると「騒動とは何…」と最後までぶ然とした表情。母の節子さん(59)らと関西公演のため、タクシーで成田空港から足早に立ち去った。

 母・節子さんは能楽協会が調査委員会を設置したことに「全然聞いておりません。今、帰ってきたばっかりで何も分かりません。すべて専門家(弁護士)に任せていますので」と困惑気味に語った。また、度重なる公演ドタキャン・遅刻、チケット印刷費踏み倒し、駐車場代の支払い遅延など、現在取りざたされている疑惑については「全部解決しています」と否定した。(スポーツニッポン)

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「マスコミが騒ぎ立てるからじゃないですか!」というところは、まさにその通り。もしマスコミで取り上げられなかったら、こんなに彼もバッシングを受けることはなかったでしょうに、かわいそうに…

なんて嘘です。これはとんでもない話で、彼について報道されていることが事実だったとしたら、これはもう、とんでもない話です。地方公演に大遅刻して、ちょっとだけしか出ずに、「あとはテレビで観てください」っていったなんて、地方在住の僕にとっては、許しがたい話なわけで。バカにすんな!と思いますよ、ほんとに。
僕は、ああいう古典芸能の人たちは基本的に、生の公演をみてもらうためにテレビに出るものだと思っていたのですが、どうやら違うみたいですね、この人の場合。
だいたい、彼がこんなに人気者になったのもマスコミのおかげなわけですから、都合の悪い時だけ「騒ぎ立てるな!」と言われてもね。
懐妊されている奥様には、ご同情しますけど。

それにしても、マスコミ側にも、そういう人間を持ち上げていったことに対する罪の意識とか反省というものが、みじんも見当たらないですね。持ち上げては話題にし、今度は落としては話題にし、っていう。

和泉さんとお母さんはもう何か麻痺しちゃってるみたいだからしょうがないような気がしますけど、地方公演で罵声を浴びることになったお姉さんなんかは、本音はどうなんでしょうか…






2002年05月07日(火)
2002年5月7日。

「寿司屋のかみさん おいしい話」(佐川芳枝著・講談社文庫)より抜粋。

【いつだったか、中年のご夫婦がシジミのみそ汁を飲んでいて、「ああうまい、こんなみそ汁は久しぶりだ」ご主人が、しみじみ言ったら、奥さんが、「あなたっ、何言ってるの。毎晩遅いから、朝起きられなくて、食事もしないで出てゆくくせにっ。ちゃんと起きてくれるなら、みそ汁くらい、私だってつくりますよっ」
あやうく、カウンターで夫婦喧嘩が始まりそうになり、夫と私が話をそらして、その場をおさめた。】

〜〜〜〜〜〜〜
奥さんや恋人の前では、料理を誉めるのも難しい。しかし、もしこの料理が、舌平目のムニエルとか、北京ダックのような日頃口にすることがない超高級料理だったとしたら、この奥さんもそんなに怒りはしなかったと思うのですが。
でも、この情景をよく考えてみると、ご主人は「こんなに旨い味噌汁」を飲んだのが久しぶり(まあ、そうですよね。やっぱり店の味は、そうそう素人に出せるものじゃないし)だと言っただけで、別に、味噌汁をふだん飲んでいないとは、言ってないのですが。
奥さんとしては、自分が日頃からちゃんと料理をしていないというふうに言われたような気がしたんでしょうね。
例えば、もしこの場に、寿司屋の店主とおかみさんがいなかったら、たぶん、こんなふうに2人が喧嘩をすることはなくて、「この味噌汁、おいしいね」「そうだね」というような結論になっていたんじゃないでしょうか。
店の人と客という関係でも、女は女、夫婦は夫婦ということもあるんでしょうね、きっと。
お店の料理をほめるときは、その料理の種類とまわりの人々をよく確かめてからのほうがよさそうです。
だからといって、いつも「キミの料理が最高だよ」では、あまりに嘘っぽい気もしますけど。

それにしても、おいしい料理の味わいかたというのは、それはそれでなかなか難しいですね。かえって不味いもののほうが「これまずいよね〜」「そうだよ、何これ」などと、2人はかえって意気投合してしまったりするもので。




2002年05月06日(月)
2002年5月6日。

毎日新聞の記事より抜粋。

【「なんでやねん」>辻元氏が著書出版 “空白の1カ月”に書く

 政策秘書の給与流用で衆院議員を辞職した辻元清美社民党前政審会長が、著書「なんでやねん」(第三書館)を出版した。3月26日の議員辞職届提出後、入院するなどして表舞台から姿を消していた“空白の1カ月”の間に書かれた。4月25日の衆院参考人質疑では「自分の存在が(政治不信を)深めてしまった」と涙ながらに謝罪したが、同書では現行の秘書給与制度について「(流用追及は)実態を無視した空論。『悪法も法』ですむことではない」との疑問を投げかけた。
 また田中真紀子前外相の秘書給与疑惑報道を引き合いに、「証人喚問も刑事告発も全くない。なんでやねん」などと、自身への対応との違いに強い不満をにじませた。焦点の秘書給与流用が社民党の組織ぐるみだったかについては、国会答弁と同様に否定し、「社民党つぶしのたくらみがある」と紹介した。
 辻元氏の参考人招致は当初、4月10日に予定されたが、「強度不安神経症」などの診断で延期された。そんな経緯の中で書かれた同書だけに、物議をかもしそうだ。】

〜〜〜〜〜〜〜
ああ、こんな話を聞かされるほうも勘弁していただきたいのですが。辻元さん、今のあなたをみていると「指輪物語」で力の指輪の魔力にとらわれてしまった人のことを考えます。先に法律違反をしておいてから「悪法も法ですむことではない」と言われても…そう思うんだったら、違反をする前に法改正を訴えればよかったのに。
田中さんのことは、確かに不公平な部分はあるでしょう。でも、中学生の言い訳じゃないんだから、〜ちゃんは辞めさせられないのに、なんでワタシだけ!なんてのは、かえってみっともないですよ。
それに、そういう「不正」をもっとも糾弾してきたのがあなたであり、あなたの党だったではありませんか。往生際悪すぎ。
「社民党つぶしのたくらみ」というのは、謀略史観チックです。現状では、社民党って、わざわざつぶそうとするほどのもんじゃないですよ。
まあ、強度不安神経症の症状なのかもしれないけれど、あんまりそういう状況でいろいろ言わないほうがいいと思います。
「なんでやねん」って、そんなこともわからんようになったんか。
悲しい色やね。

そうそう、不倫&変態問題の山崎さんですが、彼に対して「女性は清潔ですから、許せません!」という女性議員のコメントを聞いて、じゃあ、男は不潔だっていうのかよ、それこそ男女差別だよ…と思いませんか?
そういうのは、性別の問題じゃなくって、個々の性癖とモラルの問題だと思うんですが。






2002年05月05日(日)
2002年5月5日。

「週刊プレイボーイ」5月21日号より抜粋。

【韓国産の超人気ネットワークゲーム『リネージュ』が日本に上陸して2ヶ月あまり、有料プレイ人口はすでに6万人を超えて大ブームの兆しをみせているのだが、その遊び方がちょっと妙だぞ。
「日本人の国民性なんでしょうか。意外とゲーム空間の治安はいいんです」(大手ゲーム雑誌編集者)その代わりに横行しているのが、『リネージュ』を出会い系サイトとして利用している輩。
「ゲーム内でプライベートな会話ができるので、ゲームそっちのけで出会い系サイトのようにナンパに精出すゲーマーがいるんです。実際、オフ会もよく開かれていて、ゲームの中で知り合った女の子とおいしい思いをしているやつも多いですよ」(『リネージュ』マニアの大学生・21歳)】

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なるほど、ネットワークゲームには、こういう遊び方があるんですね!って、ちょっと違うんじゃないかなあ…
ちなみに、韓国やアメリカでは、プレイヤーキラーという一部の人間がゲーム内で専制をふるい、ケンカや暴動が起こりまくっているそうです。
まあ、どちらがいいか、というのは人それぞれなんでしょうけど。
でも、せっかく「現実とは異なる世界」にやってきてるんだから、「役になりきる」というのを楽しむというのが粋なんじゃないかなあ、と僕は思うんですけどねえ。だって、モンスターを倒しにいくぞ!というときに「ねえねえ、どこに住んでるの?今度会おうよ」なんて話しかけられたら、興ざめもはなはだしいじゃないですか。そんなの映画「ロード・オブ・ザ・リング」のキャラが、映画の最中に風呂の水を止めにいくようなもんです。
そういう意味では、プレイヤーキラーのほうが「ロールプレイ」を楽しんでるといえるかもしれませんね。それはそれで迷惑ですが。

ひょっとして、「ナンパな男」というキャラを演じて、楽しんでるの?



2002年05月04日(土)
2002年5月4日。

「必読書150」(柄谷行人・浅田彰・岡崎乾二郎・奥泉光・島田雅彦・桂秀実・渡部直己著、太田出版)より抜粋。

【なかには、サルトルの『嘔吐』に出てくる独学者みたいに、リストの頭から読んでしまう学生もいるけど。その際にアドヴァイスするのは、最後まで読む必要はない、読んでダメならすぐやめろ、その代わり、即その次の本を読みなさい、と。そのうちに自分にピタッと合う本があるから、それを深く読めばいい。】

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読書のプロたちが選んだ「必読書」を紹介している本での著者たちの対談の一節。世の中には、「本を読むのが苦手」という人はけっこう多いらしくって、「何か読みやすくて面白い本って、ない?」とたずねられる機会、けっこうありませんか?
僕はどちらかというと、一度読み始めた本は、肌に合わなくても最後まで読みきらないと気が済まないほうなんですが、この文章を読んで、こういう読み方もあるんだなあ、と思いました。
イヤなものを全部読もうとするから読書自体が嫌いになってしまう。自分が好きなものが出てくるまで、さわりだけ乱読してみる、という読み方もある、ということなんですね。
それでも、全然読まないよりはるかにマシだし、そうやっているうちに自分の懐が広くなってくる、と。
 本を読む前にどれを読むか考え込むよりも、とにかく何でもいいから(とは書いてないですけどね)読んでみるべきだというのは、他人に読書を薦めるときには、有効なんじゃないでしょうか。
でも、本を読むという行為自体が肌に合わないという場合には、どうしようもないのかな。

ところで、この文章の「本」って、「友達」や「恋人」という言葉と入れ替えても、うなづけると思いませんか?



2002年05月03日(金)
2002年5月3日。

夕刊フジの記事より抜粋。

【“癒し系”で大ブレーク!元ちとせの素顔

 奄美大島出身の歌手、元(はじめ)ちとせ(23)のデビュー曲「ワダツミの木」がロングヒットを続けている。奄美民謡「島唄」で鍛えた歌唱力は「100年にひとりの歌声」ともいわれ、どこか郷愁を誘う歌は、若者だけでなく、40−50代のサラリーマン層まで広く支持を集めている。

 「ワダツミの木」は今年2月6日の発売以来、じりじりとヒットチャートを上昇。10週かけ、4月22日付オリコンシングルチャートで1位となった。ポップスに島唄独特の裏声とこぶしを効かせた、哀感たっぷりの“癒し系”ソング。

 「奄美は小さな集落ほど島唄が盛んで、元も小学4年の時、母親の勧めで三線(さんしん)と島唄を習い始めた」(関係者)高校3年で「奄美民謡大賞」を最年少で受賞。その実力を聞きつけた東京のレコード会社の誘いを断り、高校卒業後は兵庫・尼崎に渡り、一時は美容師をめざした。
 しかし、パーマ液が体にあわず、ぜん息を患って断念。「一度はあきらめた歌手の道を再び選んで、正解だった。上京して昨年3、8月と2枚のCDを自主制作してリリースしたころから、音楽関係者の間でその歌唱力が注目されだした」(元をよく知るレコード関係者)。

 大ブレークに地元も沸きたつ。奄美・名瀬市の商店街に応援の横断幕が掲げられ、HPで元を紹介している同町役場も、「町長が音頭をとって後援会を作ろうと準備中。故郷を見たい、という観光客も増えていて、町の知名度アップにつながる」とうれしそう。

 大ヒットの秘密について音楽評論家の富沢一誠氏は、「あの歌声には、強烈な個性と『なんだこれは?』と興味を引きつける魅力がある。声のインパクトに関しては、美空ひばり以来の素晴らしさだ。タイアップが無くても良い楽曲なら支持されるという、当たり前のことを音楽業界に突きつけた意味は大きい」と語る。】

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元ちとせさんの「わだつみの木」ほんとにいろんなところで流れてますね。はじめてこの曲を聴いたとき、僕の印象としては、すごくインパクトがある歌だけど、「濃すぎる」のでは?と思いました。でも、そんな予想(?)に反して、大ヒット。この間もラジオを聴いてたら、「聴くたびに涙が出ます」というリスナーの葉書が紹介されていましたし。
でも、僕はおおいに疑問なのですが、彼女の歌は「癒し系」なのでしょうか?こんなに人のこころをざわつかせる歌なのに。感動=癒しというような、ワンパターンな分析は、ちょっとおかしいんじゃないかなあ。
なんでも「癒し」にしてしまうという傾向は、人に何かを伝える側としては、表現力の衰退としかいいようがない気がします。
安易になんでも「癒し」で片付けてしまうのは、なんかイヤだなあ。
井川遥とか優香にだって、ほんとにみんな「癒し」を感じてるのか僕は疑問に思っているんですが。癒されてます?
すみません、あんまり元さんとは関係の無い話になってしまいました。

でも、もし「パーマ液が身体に合わない」という負の偶然がなかったら、歌手、元ちとせは誕生することがなかったというのは、不思議な感じがします。人間、何が幸いするかわからない。まさに塞翁が午。



2002年05月02日(木)
2002年5月2日。

毎日新聞の記事より抜粋。

20年前に借りた100円…当時高校生・目黒区の主婦、手紙添え交番へ返す /東京

 「20年前に借りた100円をお返しに来ました」。19日午後、神奈川県藤沢市辻堂のJR辻堂駅前交番に、女性が訪れた。その手には、謝礼の図書券と手紙が添えられた「100円硬貨」が握られていた。女性は、目黒区内の主婦(37)と名乗ったという。
 82年の夏休み、藤沢市の自宅から鎌倉市内の私立女子高に通っていた。ある日、財布を忘れてバス代がないことに気が付いた。目の前にあった交番に、勇気を奮って入った。
 「バス代を貸して下さい」
 交番には20代と思われる、若い警察官2人がいた。1人が彼女の事情を知り、快く100円を貸してくれたという。
 手紙には「すぐお返しするつもりが、日を過ぎるにつれ勇気がなくなり、こんなに遅くなりました。困っていたとき助けていただいたのに、時々思い出しては気にしていたのにうかがえずごめんなさい」と謝罪の言葉がつづられていた。
 同署は「暗い話題の多い時代に心の洗われる思いがする。当時20代の交番勤務員なら今40代。部内誌で呼びかけ探してみる」と話している。該当者が名乗り出ない場合は返された100円と2000円分の図書券は、交通遺児の支援事業などに役立てる。

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この暗い世の中、なんとも心洗われるような「美談」ではあります。きっとこの主婦は、20年間ずっと、「あの100円を返さなくては…」と思い悩んで人生を送ってきたんでしょうね。

って、そんなことないだろう、と僕は思うのですが。
20年前といえば、僕は10歳のころ。当時のことを思い出しても、100円というのは、そんなに目の玉が飛び出るような大金ではない、というか、まあ、駄菓子屋に自信を持って行けるくらいの小遣い、といった感じでしょうか。それを考えると、ファミコンの出現というのは、子供の金銭感覚を破壊してしまった感もありますね。

でも、この100円(プラス2000円の図書券)なのですが、これが美談となるということは、世の中の人々は、交番で借りた100円くらい、返さないのが当たり前と思っているということなのでしょうか。もし金額が1億円とかだったら、詐欺罪だと思うのですが。仮に20年後に返したとしても。
でもなあ、借りたものを期日までにきちんと返しても「美談」でもなんでもないのに、20年間隔を置いて返したら、感動的な話になってしまうというのは、いかがなものでしょう。
高校生の彼女の気恥ずかしさと100円という金額を考えると、彼女がなかなか返しに行けなかった理由というのは容易に理解できることだし、別に、この「100円の人」を責めようという気持ちはさらさらないんだけれど。

それでも、非行にも走らず、ただ淡々と真面目に人生を送っている人々よりも、不良や人に迷惑をかける存在から「更生」した人々のほうが賞賛されるというような現実は、ちょっと歪んでるのではないかな、と感じずにはいられないのです。

僕は、翌日ちゃんと返しに来るひとのほうが偉いと思いますよ、絶対に。




2002年05月01日(水)
2002年5月1日。

【リカ「ねえ、カンチ。セックスしよう!」

ドラマ「東京ラブストーリー」より。】

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なんでこんなことを急に書いたかと申しますと、昨日の夜、小田和正の「自己ベスト」というCDを聴いていたのです。それで、「ラブストーリーは突然に」のトラックになり、僕はそれを聴きながら、あのドラマ「東京ラブストーリー」のことを想いだしていたのでした。
というか、あの曲を聴いて、ドラマのことを思い出さない人がいるでしょうか?
当時の僕は、まだ18歳。大学に入ったばかりで、鈴木保奈美のファンの先輩がしきりにすすめるこのドラマを半信半疑で観ていたのでした。
それまでは全寮制の男子校ということもあって、ドラマなんて続けて観たことなかったし。
で、その鈴木保奈美(=赤名リカ)が、ドラマの第一話(だったと思う)の最後のシーンで、落ち込んでいる織田裕二(=カンチ)に向かって、ほんとに唐突に叫ぶのが、冒頭の台詞なのです。
これはもう、僕はひとりで家で観ていて、ひっくりかえりそうになりました。たぶん、全国のお茶の間で、緊張した空気が流れまくっていたんじゃないでしょうか。
だって、月曜日の22時前、ゴールデンタイムに、若手人気女優の鈴木保奈美が、「セックス!」ですよ、ああびっくり。
なんとなく、これ以降「セックス」という言葉を人前で発することがタブーでなくなったような気がします。僕はもう、赤面しながらこれを買いてますけど。
「ラブストーリーは突然に」は、それにしても最強のドラマ主題歌だよなあ、と切に思いましたが、それによって最初に思い出すのが、そのリカの大胆発言シーンであるところが、やはり若き日の煩悩というか、思春期だったというか。
今、冷静に考えたら、そんなこといきなり言われたら、かなり不気味で引いちゃいそうなんですけれども。