惜春別日乗
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2005年02月22日(火) 愛がわからない

最近心が彷徨う。自分の本意がわからなかったりし、流される自分がいる。たぶんに寂しさに負けているのかとも思うけど、私が思うほど人は愛することに忙しくはないらしい。

なぜ愛する気持ちがなくても、そんなことができるの?目の前で愛に飢えるものの心の寂しさを、感じ取ることができないの?・・・私にはわからないことだらけだ。私の思っているものは、もしかしたら愛ではないのだろうかとも思う。「劣情」という表現もあるけど、私はその表現は違う気がしている。愛が強ければ強いほど、一つになりたいという気持ちは高まるし、そうしている時間は歓喜の頂上で、幸福感でいっぱいになる。それを「劣情」と表現することは、愛を踏みにじりただ快楽に溺れる行為に貶めるのではないかと思う。

どんなに思っても結ばれない思いは、風にちぎって飛ばすような、切ない哀しみを感じさせる。心の底から 愛し尽くすこと、それを喜びの最上位に持ってくるのは、間違いなのだろうか・・・。私は今、「愛」がわからなくなっている。


2005年02月13日(日) 夢で願望がわかる

今日の事じゃないから日記っぽくないんだけども、数日気になって仕方ないので書いておこうと思う。

私の中では、もう既に元夫とよりを戻したいなんて考えは吹っ飛んでいるのだけど、何故か夢の中には現れるから、心の奥底では「いつか遠い未来に」という気持ちが残っているのかもしれない。私を捨てていくのなら、私を邪魔だと思うなら、殺していけと夢の中では言ったような気がする。彼の細く長い指が喉に回り、締め上げていく。そんな状況で、私は恍惚となっていたような気がする。多分・・・その後彼は泣き顔と一緒に去っていったような。夢ってなんなんだろう。

彼に対して、全幅の信頼と心のよりどころを寄せていたから、私は彼の愛情のないのを知ってから2年以上経つ今でも、引きずるものが多すぎる。彼に対する気持ちは、憧れの存在と暮らす喜びでもあったから、彼から向けられる好意は、心が躍るようなものであった。だからこそ、今自分のパートナーを探し続けているけれど、惹かれる何かを感じることができずにいる。私の好きな「対象」が他人のものになる、というのは非常に苦痛。それは理不尽な自分の欲望だけどね・・・。やっぱりある意味「こだわりが強い」から面食いのようです。世間一般の「いい男」とはズレがあるけどね。何かこう、一つでも取り柄があって、それに惹かれたらいいんだけど。なかなかそういう人が独身では残っていませんわ。私を初めとして(苦笑)


2005年02月08日(火) 1人で生きていく

まだ心の痛手から完全には立ち直れていませんが、とりあえず泣いてはいません。ただ、これから先の私の人生にとても不安を感じています。何故かってそれは働き口をどう見つけるか、が分からなくなってしまったから。

私の部屋はビルの3階にあるのですが、階段が急でやたら息切れがします。半日出掛けて歩いているだけで、へとへとになってしまうし、どこもかしこも弱くなってしまって・・・年寄りみたいです。座っていてもたまに動悸や胸の息苦しさを感じるときもあります。デスクワークといっても、ほんまにスキルのない人なので、どこも雇ってくれそうにありません。最後の手段と思っていたけど、やはり生保のお世話にならなければならないのかも・・・。もちろん障害者年金も申請しますが。生きていくので精一杯、同世代のように働いて好きなファッションに身を包み、時には友だちと食事に行ったり等は、私には少し遠いものになりそうです。もう少しお金を大事にする術を身につけないといけないし・・・。苦手だけど家計簿は付ける癖をつけないとほんまにやばくなってます。

夢は遠くなりにけり。でも諦めないでいつか、と思ってはいたいです。


2005年02月06日(日) 子どもは近くて遠い異邦人

私は結構早くから、子どもが嫌いでした。突然出す奇声や、意味の分からない行動、いくら言われてもしてしまう悪いこと等々・・・。でも今は違います。子どもがどんなものなのか、少し想像がつくようになったから。だから他人様のお子さんと遊ぶこともあります。

ただ、私の中には「親」が存在しないらしい。親なら当然湧くであろう「この子だけは私が守る」という意識が薄いのです。もちろん自分しかいない場合は別ですが、ほかの大人がいるときは少し頼りがちになる。自分に自信がないために、誰か一緒でないともの凄く不安になる。子育てされている方はびっくりされるでしょうが、私はどこかにそういう「親なら持って当たり前の感情」が欠落しているんです。ちっちゃな子どもも、そのうちもっと分からない異邦人になってしまい、その動きも予測できないからもの凄く緊張し、へとへとになる。次の日ほとんど床の中というはめになります。いつの頃からはわからないけど、ほんまに体力がない。すぐ息切れがします。運動不足もあるだろうけど、それだけでこんなに弱くなるはずもなく・・・私も帝王切開を3度、しかも一回一回が通常より倍以上の時間がかかっていて、時には終了後全身麻酔のため眠っていたりもする。そのときも息苦しくなって、心肺に負担がかかったまま数日真っ青な顔をしてふらふらしていましたし、やはり私の身体は少しずつ消耗して、命を縮めたようなものなのでしょう。

そんな思いをしつつも産んで、後悔はしてないけど、今一人になって食べていく事を考えると、障害となるものが多すぎて困っています。立ち仕事もできない、デスクワークできるスキルもない、じゃ何をする?!

話しが横に逸れたけど、子どもってそうやって母親の命をもらって生まれてくる。そやからたとえ育てる力が弱かったり、欠陥がある母親でも、子どもを可愛いと感じる気持ちは嘘ではないということを、伝えたかったんです。手元で育てるだけが親の愛情だ、と多くの人は思っていて、私のように手放す人間を責めたりします。でもそれはそれなりの事情があり、私は私なりの思いを込めて、子どもの幸せを考える、その事は自己中心的な考えではないです。

わたしが獲得できなかった感情を取り戻すには、もう遅すぎるけど、これが私ならそれを受けとめて生きるしかない。一番近くに感じ、私の心を一番感じ取るのが子ども。でも子どもは大人ではないから、いろんな動きをし、いろいろな感情が交錯する。それを受けとめきれなくて、パニックになる人間には、やはり異邦人なのです。「正常発達」をしてきた人に、私達が奇異に映るように。


2005年02月05日(土) ただのおばちゃんになる

昨日散々悩み、今日も悩み、具合が悪くなって少し眠って夕方、やっと決心が付いた。私は娘の母親を一端返上して、ただのおばちゃんになる。もしかしたら、一生涯ただのおばちゃんになってしまうかもしれないけど、その方が娘にとって一番良いのだと判断した。

私は自分の集中できる分野が狭い。だからこそ就職も難しくなっているのだが、特に子どもの急な動き、しつけしなければならないときの態度は私の父親や母親がした方法しか知らないため、どうしてもキツくなる。元夫の彼女は、3人も子どもを育てている人であり、子どもの扱いも上手で、怖い顔をせずに優しく導くことができている。多分これも才能なのではないか、と思わずにいられない。私にはその才能がないばかりか、「親として当然の心理、行動できる意思の保持」がない。全くもって悔しいばかりだけど、生まれながら持っていないのならば、しかたがないとしか言えない。その事でたくさん責められたけど、言い返す言葉も苦し紛れでしかなかった。

見送った3人の後ろ姿は、家族そのものだったし、私の入る場所のないことを告げるものだった。それならば、潔く私はただのおばちゃんになって、遠くから娘の幸せを祈るしかないだろう。それくらいしか私のやるべき事は残っていない。そして---かつて愛した人が、再び新しい家庭を得て幸せになるのなら、私は祝福しなければとも思う。それが本当の愛情だと思うから。私の心から太陽と月がいなくなってしまう。照らす灯りもなく、あとは手探りで歩むしかない。いきあたりばったりでしかものごとを決められない、そのことが何とも歯がゆい。しかし・・・私はなんなんだろう。人間らしい心を何処へ置いてきてしまったのか。「ペットを可愛がるのと一緒だ」と言われた事は、いつまでも心の傷になりそうだ。

でも上を向いて歩こう。涙がこぼれ落ちないように、悲しみに落ち込んで出口を失わないように。生きている証しを打ち立てるまでは。


2005年02月04日(金) お母ちゃんという名の知らない人

今日話し合いの流れで、夕飯を娘と元夫と私と彼女の4人で食べることになった。娘が私を忘れているかどうか、実際確かめるためでもあった。私は化粧を落とし、いつも見せていた顔にわざわざして(ほとんどすっぴん)、待ち合わせの場所へ行ったのだが・・・。娘は覚えていなかった。

トイレに2人で行って、つい私がおかあちゃんと言ったら、そのあとはお母ちゃんと呼んでくれるのだが、元夫や彼女からすると、それは単なる「呼称」として呼んでいるだけで、わかっていないといわれてしまった。

会えなかった2ヶ月の間に、娘の中から抜け落ちてしまった母の姿。写真を見てもお母ちゃんといわなくなってしまった、それは私の責任だから、今更どうしようもない。涙は溢れてくるけど、どうしてよいやら・・・。あの子にとって母はもう彼女なのだと思うことは、私にとって気が遠くなりそうなショックだし、涙を隠すことはできなかった。

でも、上手に育てている様子をみるにつけ、安堵もあるけど、私は必要のない人間、という感じがして、いたたまれなくなった。あなた方は何故そんなに自分の意思を反映させて動けるの?と訊いても答えはない。自分の意識を集中しないと大変な育児をこなせない私にとって、彼女がすっと繰り出す言葉に、劣等感をいたく刺激されるのだった。このまま会わないで大きくなるのを待つのが正しい選択なのか、私にはまだわからない。ただ、わがままを言わせていただければ---娘と会えない時間は、今までで一番長く感じるだろうし、その間私の心が持つかどうか、それも自信はない。生きていく張りが全くないのだから。

私はやっぱり一人です。相談できるのもドクターくらいしかいないし、母はあまりあてにならないばかりか、いつも傷をえぐる言葉を出す人なので、今は連絡できない。あとは妹ぐらいだけど・・・でも言っても何も変わらない。私の人生、私の星は遠くへ去っていってしまう。

こんな時、思考記録表をつけたらいいんだろうけど、そんな気分になれない。子どもの幸せ、他人の幸せ、そのために私は捨て石にならねばならないのか・・・。


2005年02月02日(水) 前向きと自己中の違い

今日はなんばまで行って、弁護士会で法律的な側面からの話しを聞いてきた。手帳が役に立って、短い時間だが無料で話しをしてもらえたので助かった。もちろん人を選ぶことはできないから、若い女性の弁護士を望んでいたけど、当たったのは中年男性。やはりというか、私の言い分は読んだものの親身ではない。ただ、専門家に「調停で決めた通りで通るでしょう。相手が結婚したからすぐ面会ができなくなる、というわけではない」と言ってもらうだけでも説得力があって安心する。もちろん、万全ではないわけで、向こうが時間稼ぎをしたり、会わせないようにしてきた場合は、最悪2度は家裁に申し立てに行かねばならない。

双方の主張がわかるメールのコピーを持って行ったのだが、これだけでは何とも言えないと言われた。娘の意思も言葉一つだけでは確認しようがない。娘の意思・・・ここが要なのであるが、それを娘に問うことは私の心が非常に苦しく悩ましい。むごい選択をさせるようで、小さな子どもにさせるべき事ではないと思うから。

別れてからようやく分かってきたことだが、元夫は前向きな考えを常にできる人だと思っていた。しかし実際は、自分の心が苦しくならぬよう、自分に都合の良いようにものごとを捉えているだけで、たまには功を奏するが、ときに周囲を傷つける「自己中心的考え」であり、強烈な合理化(こじつけ)をする人なのだ。生い立ちを聞いているから、なるほどなとわかりはするけど、それは心理学的な本を読みあさっているうちにわかったことであって、なかなか周囲は気が付かないだろう。容貌や口調の柔らかさが欺瞞となって、欠点を隠してしまうのだから。思えば可愛そうな人なのだが、私は彼を受け入れにこやかに暮らすことは難しかった。努力してみたものの、それは私の器を遙かに超えてしまう重い荷であり、鬱を重くするだけで傷を深めることにしかならなかった。彼は多分苦しいのだと思うけれど、彼の方から去っていってしまったものをどうにかするわけにもいかない。娘に対する視点の間違いや、自分以外のものに対する冷たさ、虚勢と矛盾が見えてきてしまい、今まで少し引きずっていた情が、私の中ですっかり冷めてしまった。

本当の意味での前向きという姿勢を、反面教師をもって学んで獲得したけれども、私はさておき娘のことはとても心配でたまらない。振り回される娘の心を思うと、私の母としての能力の少なさに歯噛みするばかりである。ただ、覚悟はできている。娘のためにも今妥協してしまうわけにはいかない。もし決裂し強硬姿勢を取られた場合は、親権を取り戻すことも視野に入れねばならないだろう。私がどんな犠牲を払っても、子どもは大切であるから。


2005年02月01日(火) 胃の調子は良くなった

茶話会で全力投球したせいか、はたまた制酸剤が効いたからか、胃の調子はもとの80%くらいには戻っている。痛みそのものもないし、この分だと自然に良くなりそうなので病院には行かなかった。食べられずにいた反動か、食欲が異常に昂進してしまっているので、何でも美味しく食べられるけど、太りそうなので抑えないと・・・。

娘のことはこれからで、解決するまでは会わせてもらえないだろう。弁護士会に行って法律的な事も聞いてくることにした。もし、可能ならば相談の席に同伴してもらいたいとも思っているけど、貧乏人には敷居が高いか。しかし元夫にしてみれば、前妻になる私は邪魔な存在だろうし、弁は立つから非常に脅威ではある。前よりは言えるようになったとはいえやはりパニックになりやしないかと心配だ。こういうとき、心強い友だちがいたらなぁ、とつくづく思うけど、私の性格ではいたとしても申し訳なくて、迷惑を掛けたくないからやはり一人で臨むだろう。分からないことは即答したり適当な答えを言わないように気をつけなければならない。

それにしても、なんかこう憑きものが落ちたみたいに、今まで思い詰めていたものがなくなっている。もはや戻りたいというよりは、もっと私を理解してくれる人を探したい、という気持ちが強くなってきているし、どうせ一人で生きねばならないんだ、という思考は後退した。多分どこかに、私を気に入ってくれる人はまだいるのだという、不確定な確信が心の底に湧いている。生きるということは、こういうことなのかなぁと思ったりもする。こういうこと、の内容を説明するのは、非常に難しいのだけども。

なるようになる、そのことを覚えてからは、悲しみにいつまでも埋没したり、耽溺することが少なくなってきたように思う。私は生きている、いつ死んでも構わないが、今は生きている。だからこそ、先を見たい。確定しない未来を、自分で勝手に悪く想像するのは身体に良くない。

多少のずれはあるものの、心も体も、少しずつ回復傾向である。


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透雪 |MAILDusk of the Black HoleShine&Shadow