惜春別日乗
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2005年03月29日(火) 突き抜けた

お題は私の日常生活のトンネルのことではないです(^_^;
実は恋愛関係でちょっと悩んでました・・・あまり胸を張って紹介できる相手ではないので。ただ、私は凄く好きだし、私の喜びを一緒に喜んでくれるししんどいのも考えてくれる相手なので、彼が私に飽きない限りは付き合いをやめてしまう気持ちにはどうしてもなれそうにないの。心を開いて安心できる相手って、そうはいないから・・・。

彼は私に恋心はあまりないらしいけど、それは私の問題じゃないかなって思っています。前のように、相手が自分を好いてくれないと不安だ、というような感情もないし。自分が惚れてるからつき合うし、相手が自分を好ましいと思ってつきあってくれるならそれでいいかなと。そう思ったら、スコーンと突き抜けた気分で、ようやく気持ちが定まったような感じなんです。日の当たる所で腕を組んだりするような関係ではなくてもね。私には兄であり父のような、安心できる相手が一番いい。だから今はこれでいいと信じてる。誰も傷つけずに、つきあっているわけだからね。私から彼へ連絡を入れることは、ネット以外はしていません。迷惑は一切かけるつもりもないし、そこまで追いつめるような付き合いはしたくないから。そこら辺が私のけじめのつもりです。

こういう付き合いが嫌いな人には「目障り」でしょうけど。でもこれは私と彼の問題。これを読んでいるあなたの問題ではないので、そこんとこよろしく(笑)。


2005年03月16日(水) 何だか生きようって気力がない

春だからかもしれない、気分の浮き沈みが激しい。日内変動もある。でも一番関係あるのは、元夫と娘に関することで、何か連絡があったりするたびに調子が悪くなる。そう、私はその場にいたかった。だけどいられなくなって、追い出されて、うつに苦しみ娘と会えずにいるうちに忘れ去られ、生きるよすがを失ってしまって、生きようという気持ちが湧かない。

普通なら生きることは当たり前で、食べていくためにはどんなことでもするんだろう。だけど自殺未遂したときからずっと、私は生きようと積極的に動くことができなくなっている。流れに任せたまま、その場その場であまり深く考えずに決めて行動しているような気もする。刹那的かな・・・。死ねたら楽になるだろう、見通しがわからないでいると「今苦しいこの状態を何とかしたい」ために自分を消してしまいたい、そんな気持ちが湧いてくる。ただ、積極的に自死を選んで実行、なんてしないだけだ。努力をどこでどうしたらいいんだかさっぱりわからない。動く気力も湧かない。また布団の中で寝ている時間が増えてきた。春は嫌いな季節じゃないけど、こういう気分の悪い状態がやってくると、参ってしまう。多分・・・苦しみのフラッシュバックもあるんだろうなぁ。元夫と会って、覚え書きを取り交わす約束だったのに、会う時間をなかなか作れないとか言って、有無を言わさず彼は郵送してしまったんだよね。その事がまた憂うつの種。最近戻りたいっていう願望の夢を見るたびに、自己嫌悪に取り憑かれることが何度かあって、早く忘れたいと思っていた矢先だったから余計に。働きたい、お金を稼ぎたい、自立したい。でも動けない。このジレンマからなかなか抜け出せないでいる。


2005年03月11日(金) こだわり、気持ち悪さ

今だいぶ前のサイケデリコを聴いている。このアルバムを聴いていると、元夫と結婚前の、同棲していた頃、幸せだったころを思い出す。このアルバムはリズムが「トランス状態」にするには一番良かったこともあって、当時は良く聴いてた。ちょっと思い出したので、当時のことを回想してみる。

といっても良かったことを書きたいわけじゃなくて、当時どうしても手をつけられなかったもの、について今理解できるなと思うことを書く。初めて彼の家へ入ったとき、暗さにちょっと引いた。3軒の真ん中だから仕方ないんだけど、そこへブラインドまで下ろしてあって、薄暗いわけで。彼の目は光りに弱いから仕方ないらしかった。そして、物であふれているような狭い空間。北海道の家に慣れているわたしにとって、大阪特有のタウン型の一軒家は、窮屈に感じた。しかしそれらのことも、しばらくすれば慣れてしまったけど。慣れることができなかったのは、台所とお風呂だった。前妻さんが残していったものがそのままになっており、大量の賞味期限切れの調味料と、タッパーの山が、わたしには手を付けるのもおぞましいものだった。何故かって、わたしが片づけるべきものじゃないからだ。何故私がやらなければならないか、わからないからだ。多分これはわたしのこだわりなんだろうと今は分かるけど。食器棚の中に入っている食器も、わたしの趣味と全く合わないだけでなく、前妻さんと夫の過去がそこにまだしっかりと主張しているようで、捨てるのに非常に時間がかかった。そう、彼の家にはわたしの入り込めない時間の名残が、溢れていたのだ。それらにわたしはいつも脅かされ、劣等感を刺激され、自分で自分を彼女と比べていた。その中で、「綺麗に片づける」意欲は削がれるし、触りたくない物がどこからでるかと思うと気持ちが悪くて、最後にはわたしの居場所はPCの前と布団の中しかなかったわけだ。仕方がなかったとはいえ・・・男だし、その全てを片づける余裕も時間もなかったのだろう。わたしが発達障害者でなかったら、もう少しあっさりと自分の空間へ変えてしまうこともできただろうけど。触れることもおぞましいし、片づける行為がわたしには苦痛だから、その苦痛を負わされることへ理不尽を感じたし、見えないプレッシャーがいつもあの家には宿っていた気がする。

離婚が確定して引っ越した日、寂しかったけどなんて清々しかっただろうか。この部屋には光がある。お風呂も狭いけど清潔で明るいし、暖かい。すこぶる居心地はいい。住環境がこれほど自分の人生に陰を落としたり光を当てたりするかと思うと、つくづく怖くなる。しかしこだわりって結構あるもんだなぁ・・・。


2005年03月09日(水) トンネルの出口が見えた?

愛が分からない、と悩んでいたし、ふらふらと「誰かに大事にされたい」と思う気持ちを持てあましていたけど、最近少し安定してきた。心理学的な本、最近は勧められて買うて読みかけだった本を読んでいる。加藤諦三氏の本だ。読んでいたら、今が一番私にとって充実し成長しているんだな、と思えてきた。環境がそうさせたということではあるけど、一緒にいても私自身も相手も成長し安心を得られる関係でなかったのだからと、今はすっかり離婚もポジティブに捉えられる。

子どもの夢を見たりすると、翌朝胸が痛んでしまうけど、それも3年後自分がもっとしっかりと自立していれば、解消されるだろう。私が演技せずにつきあえる相手と、程よい距離感をもってつきあっていることも手伝って、いよいよ「自分を頼りに生きていく」ことへ少しずつ意識が変わりつつある。「愛されること」より「愛すること」を喜びとし、自ら選んで行動している実感がある。必要以上に他人をあてにせずまず自らやってみる、そのことへ視野が向いてきた。トンネルの出口の光が、少し見えた気がする。


2005年03月01日(火) 渇望と自己嫌悪

最近愛がわからなくなっている、と先に書いたが、同時に愛されたい、寂しい状態を一時でもいいから忘れていたい、そういうこころの状態が続いているように思う。はっきりと自覚しているというよりは、自分の行動を分析してそうなのだろうか、と「他人の目」で見るようにしてようやく把握しているような状態なのだが。わたし、と「思考」が分離していて、全く「感情」を理解していない。「自覚」して行動していないのだ。かなり悪い状態、と言えるかもしれない。でもじゃあなぜ止めないんだ、と言われると非常に困る。何故か・・・?それは「こころの渇望」が行動させ、自己嫌悪しながらもその一時に依存しているからだろう。

メッセで話していて「一度お茶でも」と言われると、特に忙しいわけでもない(用事はいくらでもあるが、それに手を付ける気分になれずに放置している)から、簡単にO.Kして逢う。その一時・・・数時間は本当は飽き飽きしている。しかし「気に入られたい」「もしかしたら愛されるかもしれない」という考えが、こころの底にあって、その時間を無意味に求めているのだろう。こころの状態は冷めているのだが、一方で渇望しているから、恐る恐る異性に近づく行動をするのである。不信から冷めていても、離れることができないのは、「必要とされる安心感」を追い求めているから・・・。

自己分析は昔からようできるのに、言動と一致せず、理性と感情(自動思考を含む)が分離しているような状態なので、自分を管理し続けることができない。後になって分析し自己嫌悪に陥るだけなのだ。「信じるに値する人がいるかもしれない」「自分の信頼を預け安心したい」という絶対信念は、容易に自分の理性を越えてしまう。いつの間にか、全てにだらしのない女に成り下がっている自分が許せないのだが、対案が見つからない。こころの渇望を埋める「自己達成感」がない。自立しきれない自分の体と現状。今、こころの状態は最悪かもしれない。しかし自力で何とかする方法へ気持ちを持って行く余裕がない。


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透雪 |MAILDusk of the Black HoleShine&Shadow