惜春別日乗
DiaryINDEX|Yesterday|NextDay
何だか、こんなに出費がかさむのかと最近自分が怖い(−_−;) 昨日気に入っていた黒のパンプス、よく見たら皺の所が両足とも破けていた。合皮って何年も履いてると硬くなってこうなるみたいね。元は取れるほど履いたけど。少し中で滑りやすいけど、形やデザイン気に入ってて大事にしてたのになぁ。お陰でリクルートに履ける靴は無くなってしまったので、急遽オークションで落札して調達するはめに。でも今度は本革でしかも5千円以下だい!・・・前は1万位のを大事に履いていたものだけどね。足癖悪いからかかとが斜めにすり減ったりする。良い靴だと底やかかとの修繕ができるから、出来るだけ良い物を少なめに持つ主義だったんだ。気に入っていると良く履いてしまうからから傷みやすいのかなぁ。 あと、黒のスーツも安い物をネットで調達。私はおでぶなので大寸だから、下手に店頭で買うと高いのである。(6万もしたフォーマルスーツ持ってるけど、そろそろ年齢に合わなくなってきたなぁ、デザイン)黒を買うことで、なんぞあったときの備えでもあり。面接、実はだいぶ前のスーツで、しかも春物しかなかったもんだから恥ずかしかった(^_^;若い子はカジュアルなスタイルでもいいような業界だけど、やはり37ともなるとある程度ちゃんとした格好しないとなめられるかなと・・・。 ということで散財しましたわ、ほんま。貯金がまた減ったのがかなすい(T_T)(T_T)
昨日はクリスマスイブだったわけだけど、実はネットで応募した会社の面接の日だった。未経験に近いこと、職歴があまりないことは先の申込み時に記載したわけだから、面接では大いにアピールしようと勇んで行ったのだが。懸念していた緊張は、震えとかあがるということに結びつかずに済んだのだけど、4人いっぺんの集団面接だったため、自分の欠点ばかり指摘されるはめになり、アピール出来ずに結局不採用が昨日のうちに連絡されてくる始末。聞いた業務内容、訊かれたスキルは募集要項と少し違っていたため落ちても悔いはないけど、やはり若さと職歴・専門学校で習っているかどうか等が重要視されるのかと思うと、やっぱり私の考えは甘かったのかなぁと意気消沈してしまった。 勉強不足は認めるけど、年齢以上に好きな仕事には集中できるし、挑戦するやる気もあっただけに、それを認められる職場がないかと調べてみたけど、「専門学校卒」の文字が多くて悲しくなった。デザインてセンスだと思っているんだけど、日本の社会はスキルを重用視するからなぁ。仕事は凄くしたい。この仕事をものにしたいという気持ちを捨てきれない。今まで就活しようとできなかったのは、これがやりたいからだったんだ、と改めて感じた。年齢的・職歴のなさなどを考えて無難にいけば、食べていける仕事はあるのだろうけど、絶対鬱になりそうだ。私の中のAS傾向はやはり強いのだと感じる。興味が強い物については、どんどん頭に入って行くし、引き出しを増やすことが出来るのだ。反対は全くもってダメになる。高校の時、大学に行けばいいのに、と言われたのは、「研究職が向いている」という意味だったのかもしれないなぁ。 悶々と家で遊んでいるのは嫌なのに、フレキシブルに動けない自分。デザインの専門学校、行っておけば良かったな・・・。(T_T)(T_T)(T_T) でもそんなお金なかったもんなぁ。前払いで何十万何百万出せる位ならとっくに行ってる。体力と小金があれば、もう少し楽な生き方できたのに。・・・ああ後ろ向き。仕事が欲しい。
最近自堕落な生活してる。夜と昼が逆転してるし、薬は飲み忘れるし、思ったことをすぐ吐きたくなるし。人を傷つける事も忘れちゃってる、こんなんじゃあかんやん。いろいろ身の回りで起きてるけど、そんなん理由にならん。人のせいにしたって仕方ない。 でも寂しい病が荒れ出して、眠ろうって言う気持ちがどうしても後退しちゃう・・・。やっぱり、少しでも信じよう、信じたいと思っていた人に裏切られてしまうと、根っこが抜けちゃってどうにもならん・・・。こころを立て直す材料がない。来年は早々に就職しなきゃ、って決めてあるのに、こんなんで大丈夫だろうか。少しだけ自信がついたはずなのに、心の中はアップダウンしてる。やっぱり誰かの側で安心して暮らしたいな・・・。一人で生きるのは私には過酷すぎるわ。甘ったれだろうけど、ほんとの気持ち。この気持ちを抑える方が、私にはストレスみたい。大人ぶるのはやめた方がいいらしい。 でも、好きな人に思う存分つくしたいのに、出来る能力が限られているのが辛いなぁ。理解してもらえる時が来ると良いのに。
しばらくぶりに復調とタイミングが合い、明日娘と会えるかどうかの打診を元夫にメールしたところ、体調が良くないとの返信が来た。そして・・・。 娘が動揺して不安定になるから会わせたくないという。やっと自分を母親代わりとして生活に慣れたから、不安定になるのでは、という・・・。本当にそうなのだろうか。私も実の母親を6歳頃失っている(離婚で去られた)けど、今の母が来てからでも、やはり実母のいないことが寂しかった。どんな母でも、やはりいてくれる、会える、それは大事なことだと思ってきた。ときどきしか会えなくても、母と過ごす時間を持てれば、きっと娘にとってもいいはずだと信じてきた。なのに・・・。本当に何が正しいかはわからない。だけど、ただ「寂しいから」会いたいわけじゃない。私もこの子だけは、母親らしいことを少しでもしたい・・・そう思ってきたのに。3人の子の成長を見れない、子どもの意思が私に向かない限り会えない、そんなことになるなら・・・何のために生きて、生き恥をさらすようにしてしがみつくように生きているんだろう。心から喜びを感じることのできない日が訪れるかもしれない、そんな危機が忍び寄ってきた。元夫の辛い宣告は一度だけにして欲しかったのに・・・。
私もあまり上手に話しができるほうじゃないのは分かっているのだが、人に何か意見なり忠告なり言うときは、かなり気を遣わないといけないことだと思っている。この日記は「王様の耳はロバの耳」の穴的な部分もあるのでぶっちゃけて言うけど、こうしたほうがいいああした方がいい、は言うんだけど内容がない意見ばかり言う人がいて正直非常にイライラしている。 先日茶話会の申込みフォームの項目について、プライバシーが気になるとの問い合わせがあった。大事なことなのでスタッフに報告し、改めてQ&A方式で書いた、個人情報の扱いについての文章を見てもらった。他のスタッフからはこれで良いと思う、との報告があったのだが、一人だけ、「これでいいと思う。でもきっちりしたものを出した方が良いと思う。○○○というところでは企業並の宣言文を出してます」と言うのだ。ふうんと思い見に行ったけど、見つからない。探すのが大変なら意味ないなと思っていると、何だか腹が立ってきた。比べる必要はないじゃないか。足りない部分があるのなら、きちんと言ってくれたら直すのに、なんでもっともらしいこと言うだけで中身がないんだ!こういうのが私は一番嫌いなのだ。意見を言うときは、相手の立場も尊重しつつ言わないと、単なる批判になってしまう。物を出して意見を求めるときは、大抵こちらも自分でやれることをやった上で意見を求めているわけだから、具体的な示唆がないと言われても困るだけだ。理想や理念はいいから、現実を言ってくれ!この人いつもそうなので困るんだよね・・・。で、自分の都合は言うだけ。ごめんねの一言もないし、当日になって遅刻するとき、携帯に連絡が来るのは稀。口ばっかりって周囲に言われないのかしら・・・?そういう人が仕切り癖を出すとどれだけ周囲がいらつくか考えてくれよ〜〜(-_-メ)他の自助活動にも参加してない人だし、最近この人を信用するのはちょっとなぁと思い始めた。当事者でもやっぱり直さなくてはいけない部分はあるんだし、自覚してもらいたい。(年上だし言いにくいがやっぱり言っておいた 苦笑) あ〜すっきり。 ※追記 IPの話しを書いたらプロキシ経由が増えた(笑)なんか隠さねばいけないものがあるのかしらん。別に何をしようっていうんではないんですが。
自分のサイトをどんな人が見ているんだろう。そういう気持ちは、ウェブサイトを持つ人ならあるんじゃなかろうか。私はそういう気持ちで、時々自分のサイトのアクセス状況やIPアドレスの情報を見る。日記なら尚更気になるので、時々ここの状況も見てる(笑)。 やはり検索されてくると、キーワードが気になる。時々固定IPや生IPで見ている人もいてびっくりだ。まぁ、悪いことをしていなければ平気だろうけどね。これは知り合いのだな〜とか、へぇこんなところから見てくれてるんだ〜等と。もちろんプロキシ通してるなんてことも、サーチに掛けたらわかるしね・・・。そういうのは最近ないけど。(多分) 毎日見るほど面白いことっていうんでもないので、たまにですよ。ちょっとした個人情報も書いてあるので、数年前はプロキシを通すのは当たり前みたいだったけど、今はどうなんだろう。セキュリティも色々変わってるもんね。・・・って今日はあんまり意味がない日記やなぁ。
今日、発達障害支援法が成立した。ある自助グループは、積極的に議員に働きかけていたようだし、私も多少なりとも期待している。何もなかった状態から、大きな枠組みができたことは、まずは嬉しいことだ。 この記事を取り上げたのが毎日新聞のサイトだったのがちょっと?だけど、少しずつこれで世間に対し説明がしやすくなるかもしれない。当事者の方からアクションするとしたら、間違った報道などで間違った認識ができあがらないよう、気をつけなければならないということと、当事者一人一人が、発達障害を語るとき、自分自身を見られているということを意識する必要がでてくるかもしれないので、ますます克己奮闘しなければならないだろうな、ということだ。努力の見せ方、これってほんまに難しい。特に何でも真っ正直、真正面に受けとめたり反応したりしがちな私達には、できないときに無理をして、幾分でも成果を見せるというのがとてもへたくそである。こういった智恵は、経験者が他の当事者に教えるというネットワークが、是非とも必要だろう。 それにしても長い道のりになりそうだ。いらち(短気、北海道弁で言うところのたんぱら)な性質を持つ人が多いだけに、当事者同士でもいろいろとある。結局人間関係をうまく行えるようになるのが、発達障碍者の最大の課題だなぁ。
マイエンピツに追加
|