惜春別日乗
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2004年11月26日(金) 今一番辛いこと

2,3日前から風邪を引いてしまったようで、身体が重くて仕方がない。眠ってばかりいる。食事もまともに入らないほどなので、こういうとき一人暮らしは堪えるなぁ、なんて考えながらも、出勤のない今はまだ寝ていられるだけありがたいかもしれない。

でも困ったことに、明日娘と久しぶりに会える筈だったのに、この調子では無理だし移しても困ると思い、泣く泣く断りのメールを入れた。子どもと会わないでいると余計に寂しさはつのる。家族なのに離ればなれでいないとうまくいかないなんて、と自分が恨めしい。ADHDだって子どもは可愛い。愛し方がうまくないけど、四苦八苦しつつもやはり責任を果たしたいと思うし、子どもが笑顔で暮らせるように、少しでもできることをしたいと思っている。今一番、娘と会う日が怖くて辛いのは、別れて暮らしている事実をまた確認してしまうからなのだ。望んでいない別れを思うとき、どんな薬も効かない。元夫が考えを変えない限りは、私を受け入れてはもらえないし離れたままは変わらないだろう。私も合わせるという行為が難しいことだと分かった以上、一緒に生活するのはかなり辛いなと思える。その事実と気持ちとのジレンマが、私を苦しめる。

娘がもう少し大きくなって、自分で自由に私の所へ来れるようになったら、また状況や心の状態も変わるのかもしれない。それにしても辛いなぁ・・・。


2004年11月20日(土) 茶話会終わって一息・・・

例によってADHDらしく一時間遅れで始まった茶話会(笑)。初めて参加の人が多かったけど、みな真面目に取り組もうとしてて、ワークの時の静かなこと(^_^;そういう場だとそわそわしちゃう私だから、何だか落ちつかなかった。でも身につけて自分の「思考の歪み」を直せる自分になっていってほしいので、来てくれたみなさんには頑張っていただきたいと思った。緊張して細かい手の震えはあったけど、気にしてる余裕がなかったから、終わって家にたどり着いたとたん大汗が噴き出した。へたれな主催者だけど、喜んでいただけるのは何より。

今回ははるばる静岡や姫路から参加してくれた人もいたし、何よりも福岡から臨床心理を専門にやっている方が来てくださって、ことのほか充実し盛り上がった茶話会になった。和室のよさは18人がいっぺんに話しをしても、さほど反響音がしないことだ。吸音してくれるのだろう。緊張が解けた疲れはあるけど、耳は非常にクリアだし頭の中で耳鳴りが聞こえないのはありがたい。こんな風にたくさんの人が集まると、やはりやってる方としてはやりがいがある。設営するまでにスタッフが揃わないのも、当事者なんだから仕方のないことかもしれない。とにかく大きな問題も起きず、みなさんが何かを持ち帰っていっていただけると、準備に費やした時間も楽しい時間だったと思える。自己満足でもいい。有償ボランティアのようなものじゃないのだし、できる範囲でできることを、みんなでやっていく自助活動、そこが大事だもの。・・・ここで終わってはいけない私なのだけど、今日は自分にお疲れさん。


2004年11月19日(金) 茶話会が近づいて

今度の土曜日、某所にて4回目の茶話会を行う。前回に引き続き認知療法のセルフワークの紹介をし、その後スタッフの一人から提案があったワークを少し。今回は結局総勢18人のメンバーになる予定。これまでで一番人数が多いので今から緊張している。手の震えも一段と出てしまっているから、書痙といって字を書く時どうしても細かく手が震えて書きにくい。携帯のメールの返信もやりにくい。もしかしたら薬の影響なのかも。今まで緊張くらいで字が書きにくいほどになったことはないから。ある程度仕方のないことだろうけど、ため息1つ。

自助グループを立ち上げようと考えたときから、かなりの責任を感じつつこれまでやってきた。無我夢中というか、もうやるしかないみたいな気持ちの時もあった。当事者故の反応の遅さ、細かいことまで気配りしなければいけないいらだち、そんなことも続いてはいるけど、やはり仲間がいて私が今あると思う。もちろん自分の主宰しているグループ以外にも参加しているお陰で、ネットワークが広がってきたということもかなり私の助けになっている。時にはしんどいとき、時には理解不能だったり苦痛だったり、そんなときもあるけど、やっぱり仲間と話すのは楽しいし、本当の孤独にならずに済むのはありがたいことだ。

欲を言えば私の歳に近いか年上で、独身の男性が一人もいないのはかなり残念!


2004年11月03日(水) 対人緊張

最近気が付いた事なんだけど、ネットで誰かのブログや掲示板にカキコする前でも、首の当たりを緊張させてしまって少し震えもあるみたい。肩こり症だと思っていたけど、もしかしたらこれも対人緊張の症状なのかもしれない。服薬前は背中の方まで痛みがあったっけ。

いつの頃からか、きっと高校の時に仲間外れにされていた頃からだろう。私は人に対して緊張するようになってしまった。心の奥底に強く巣くっている「人に嫌われたくない」という思考が、不安感を反射的に呼び起こすようにしてしまったらしい。今心理学的な本を読みあさったり、認知療法を知るようになってから、何となく原因がわかってきた。会う人つき合う人皆に好かれたい、というのは悪い考えではないけど、その考えを強くしすぎて振り回されているのは、とても良くない状態。でも20年も心にしまっておいた歪みは、そうそう簡単に修正は利かない。人の反応におびえ、時に理不尽に対する怒りをも我慢してしまい、鬱々としてしまったりする。言葉に対する自分自身の反応は非常に過敏になってしまい、相手の言葉で必要以上に傷ついたりもしてきた。そのうち、初対面の人と会うときや、面接のようなどうしても緊張を強いられる場面に弱くなり、がたがたと震えてしまうようになってしまった。まだ小学生くらいの時は反対であっただけに、より一層過敏になってしまったのかもしれない。

今一番辛いのは、日常的に手が震えてしまうことと、対人緊張が治らないために、新しい事へステップを踏み出すことができずにいることだ。理性と、感情・こびりついた認知の歪みとの戦いが毎日続いている状態。今では眠剤や抗不安薬などの薬剤無しに眠ることができなくなっている。目をつぶっても頭の中で情報が駆け回り、勝手にストーリーをなぞっているので眠れないのだ。うつらうつらしているくらい。身体が要求すれば死んだように眠るのだが、今度は1日ほどんど眠っていたりする。バランスが全く取れない。早くリズムを取り戻せるといいのだけど・・・。対人緊張と睡眠の乱れが今私の一番の悩みである。


2004年11月01日(月) 参加者のニーズ

今私は自問している。自助活動を始めたのは、何のためであったのか?自助活動とは何なのか?

地域にいて、他の自助グループの活動へ参加できない人を、「自助活動」に来やすくし、共感することで痛みを癒し、次に自ら障碍を克服する活動をしよう、というのが当初の目的だった。今もその気持ち、目標、は変わってはいない。しかし、スタッフがいなければグループとしての活動は不可能なのだ。しかし、私の考え方が「手助けをしてくれる」のがスタッフ、と思っているからいけないのか、筋を通して欲しいという気持ちから今、憤りを感じている。私が企画し進めていること、それは「認知療法」だけど、スタッフの一人はあまり乗り気ではないようだ。この間の夜の茶話会直前、「セルフワークをやれてないから欠席しようかと思ってる」とメールが来て、私は仰天した。やれてないならやれてない、それだけのことであって、恥ずかしいことなのか?恥ずかしいなら何故しない?その後、「義務ではないのだから、それで出席しないというのはおかしいよ」と返信をしておいたのだが・・・。

スタッフ掲示板で、急に「活動で何がしたいかを問うアンケートをしたい」「認知療法は続けて”構わない”」という書き込みがあって、私は非常に怒りを感じている。名前だけの主催者ならば、私はここまで努力しないだろう。肩書きを欲しかったわけではないけど、筋道を通して「認知療法以外でも、活動をして欲しいと思うので、参加者にアンケートをとってニーズを把握してはどうか」という風に話しを持ってきて欲しいと思ったのだ。「構わない」といわれたら、脱力である。一生懸命本を吟味し、会報の原稿を書き上げ編集し、一人で印刷し、準備している・・・私のこの行為は何のため?

他のグループで主宰をしていた人が、やはり立場を尊重されない、と思ってしまったことに端を発し、そのうち自滅してしまったのを聞き及んでいるだけに、私の今の気持ちは危険なものだろうか、と思ったりもする。主催者って、実は一番しんどくて、一番下の使い走り的なものかもしれない。体調がすぐれなくても出席しないわけにはいかない・・・。何だか、自分のやっていることに無力感を感じ、そして走りすぎる人にいらだちと憤りを抑えきれない。やってられないよ!全く!  MSNのタロット占いで、「友人との決別」「誤解」とか出ていたのがすこーし気になったりして・・・。結構当たるよ、あれ。


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透雪 |MAILDusk of the Black HoleShine&Shadow