惜春別日乗
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2004年01月23日(金) 疲れたけどちょっと元気で「いい感じ。」

今日は通院日でした。今の状態は低空飛行ながら、耐えられない程ではないと

いうことで、投薬はこのまま[デプロメール25×3を一日2回・リーマス200、

シンメトレル50ミリ、ルジオミール10ミリを各1を一日3回]で続けていく

ことになりました。自分としてはトレドミンはどうか訊いてみたかったんだけど、

落ち着いていることだしあまり変えるのもなんだなと思って、言い出さなかった。

これからのことも相談してきたのだけど、就労はまだ週に3日くらいのパート程度

位ならできるけど、それ以上は無理であろう、とのことでした。

就労不可でなくてちょっと安心したけど、やっぱりまだ良い状態で安定とは言えない

そうで、時々がくんと悪くなるのが問題みたい。前向きというのもなかなか大変な

ものです・・・。



受診が終わった後、薬局で薬をもらい、かねてから観に行こうと思っていた展覧会

に行ってきました。お天気は良かったけど寒いので少し迷いましたが、こうやって

出ている時くらいでないと、なかなか出ようとすることができないので、思い

切って行きました。場所は太陽の塔のある記念公園の中にあります。知ってる人は

わかりますね(笑)。そこでアイヌの文化についての展覧会があったんです。


私の家は元々北海道でアイヌを主体にする土産物の、レリーフ等の木工品を

作っていたので、小さい頃からアイヌの文化は家庭に普通にありました。

父方の伯父達はほとんどが同じ木工をしていたので、何の不思議も感じずに、

アイヌ文様や言葉の一部が頭の中に刷り込まれているようで、今回の展覧会も

目頭が熱くなるほど懐かしく、感慨深く感激の強いものでした。

ただし、父や伯父達が作っていた物は、「和人」が作ったものであって、アイヌの

人が作る本物とは全く異なるものだ、ということがはっきりしたのですけれどね。

でも彼らの顔つきを見ていると、父や伯父達の顔つきが重なるので、冗談で言うて

いた「うちらは秋田アイヌの末裔だ」という言葉が、もしかしたら本当かも

しれないなどと考えさせられました。だからこの文様に惹きつけられるのでは

ないか。そんな気持ちが強くなった展示でした。


展示物はそれほど多くはありませんけれども、大阪の若い人が観ていて、売られて

いた工芸品を買って行く姿を見ると、何となく複雑な思いがします。

彼らにはどんな風に映っているのだろう、これもまた日本の文化の一部なのだ、

という私の認識とは少し違うような気がしました。



後ろ髪引かれる気持ちで博物館を後にして、外へ出たとたんまたさぶい!

だだっぴろい公園ですから、風がふきすさんで凄まじい。いくら体脂肪厚い私でも、

ちょっとキツかったです。夕焼けに照らされる太陽の塔を見ながら、公園を歩き、

モノレールに乗って帰ってきました。たくさん歩いたので疲れました。

でも充実した一日を送って満足!夕飯も外食しちゃって散財したけど、こんな日も

たまにはいいかな。


2004年01月18日(日) 愚痴を聞くのも大変なのね

最近 体調があまりぱっとしないままアップダウンしていてしんどいです。


この前の自助活動の時に知り合った子と、携帯でメールしあってるんですが、

今私に余裕がないからなのか・・・どうも愚痴っぽいのを訊いてると疲れる

んですよね。アドバイス欲しいのかと思って言うと、今はできないってそればかり

言われると、じゃあんたはどないしたいねん!と怒りたくなってしまう。

多分鬱っぽいのだろうと思うので、そういう事は一切言いませんが・・・。

私もかつてはこうだったのかしらと、反省したりもする。他人の愚痴の長い

のって、こんなにじゃまくさいものだったのね(^_^;

努力しないうちに先々の心配というか、こうに違いないっていう暗い話しも、

まともに聞いていると引きずられますね。

動きたくないときは、あんまり愚痴らない方がいいようです。少しでも動ける

ようになってから、前向きな愚痴の方が良いですねぇ。自戒しつつ今日はお疲れ〜

(但しこの日記は愚痴りたい所なのでご容赦願います 苦笑)


2004年01月15日(木) 第二回離婚調停

今日二回目の離婚調停でした。

昨夜はものすごく気持ちが悪くて、落ち着かなくて寝付けず朝まで起きていたので、

今日もまた遅刻してしまいましたが・・・。

離婚をするということで条件を話したんですが、どうも旦那が提示してくるのと

私が提示したのとかけ離れすぎているようで、事前に言ってあったはずなのに

歩み寄りが全くないことと、提示してきた条件があまりにもこちらのことを考え

ていないことが明白なので、正直言って愕然としました。

もう少し他人の心の痛みや立場を理解できる人だと思っていたのに・・・。


調停委員の方には、これからのこともあるから、あまりやけにならずに『別居』

という事も考えて新たに話し合いをしたら、と言っていただきました。

まだやっぱり、迷いはありますしね・・・。


子供のことも、考えると胸が苦しくなるほど辛いです。一週間に一度だけでも、

親子三人の団らんを作ってあげたい、少しでも寂しい思いをさせないようにしたい、

そう思って提案してきましたが、わかってはもらえなかったようです。

あまり手を掛けて育児しているわけでなし、何を今更と思ったのかもしれませんが、

私は私なりに娘を愛し、一番良い方法をいつも考えて行動してきたつもりですが、

やはり理解できないようでとても残念です。


ずっと愛している人の笑顔が見たい、喜んでもらいたいと思って努力し続け、

許容量をオーバーして心も体も痛めてもなお、相手の立場も考えているって

いうのは、お人好しすぎるのでしょうかね。

愛情って何なんだろう、人によってこんなに差があるものなのか・・・と重い

知らされる一日でした。


ああそれなのに(苦笑)夜、条件の話をしようって持ち込んでくるし、今日は

そういう話は冷静にできないほどしんどいから、明日以降にして、と言って

メッセンジャーに向かうと「遊びならできるねんね」ってイヤミを言われて

またもやがっくり。あーぁ。今日は良いこと無しでした。


2004年01月06日(火) あけましておめでとうございます

もう既に明けてしまってますが(笑)明けましておめでとうございます。


さて一年の突っ始めに何を書こうか、と思ったのですが、有言実行型ではないし(汗)

目標とか書いても後で汗かきそうなので、今思いだして考えたことを書いてみます。



日記を振り返ってみて、結婚して子どもができてしばらくは、脳天気な日記書いて

ましたねぇ。そして昨年の頭あたりから、だんだん怪しくなってきて、ついには

離婚て事ですから、いやはやものすごくめまぐるしい3年間です。


その間に自分のサイトをこしらえ更新しつつ、最初はこの日記もリンクしていたん

だけれど、非常に辛いメールをもらってからリンクもはずし、更新する元気も

無くなって、今は休眠状態です。

今思うと、あのメールをよこした人も、きっと苦労したんだろうなと思ったりする。

 私の日記を読んで、ADHDは怠け病の言い訳じゃないか、自分は身体障害者だが

 「障害者」と言って一緒にされるのは迷惑だ、というような内容でした。

その人はきっと、「障害者」として沢山努力をし、克服してきた自負があるから、

簡単に「障害者」とは言われたくなかったのかもしれない。しかしそこには誤りが

ある。まずADHDは怠け病ではありません。脳の機能障害による軽度発達障害であり、

完治する「病気」でもありません。ADHDの人の多くは努力をしてもなかなかうまく

行かず、苦しんでいるのです。私もけして怠けたりいい加減な気持ちでやってきた

ことはありません。

そして、障害者とは身体障害者だけの呼称ではありません。精神障害者の方は

大勢いらっしゃいますし、その方々に対する言葉としては不適切ではないかと

思われます。

しかし、ADHDがどういうものであるか、あまりにも知られていないから、

こういう誤解も生じるのだとは思います。

(でも罵声を浴びせるような感情的なメールを送るのは、良いことではありませんね)


今もまだ引きずっているほど、打たれ弱いのが私の今の状態ですが、ネットとの

つきあい方で「他人の言葉に振り回されない」というのがあります。

なかなか難しいですね。ネットで日記を公開するのも、結構リスクが大きいかも?


さあ 今年はどんな一年になりますやら。前向きな脳天気な私が戻ってくると良いなぁ。



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透雪 |MAILDusk of the Black HoleShine&Shadow