惜春別日乗
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2003年12月26日(金) 決意

今日は受診日でした。顔や脚はむくむし、振戦は酷くなるし、口渇が激しくて

口の中が違和感あるのに、もう少し今の薬でやってみて、と言われてきました。

気分の底上げはできているし、だいぶ良くなっているというので、仕方ない続けるか、

ってことでお薬の話はおしまい。

あとは、これからのことを自分の考えを言って率直な意見をもらいました。



具体的に言うと、もう夫婦として頑張ってやっていこうとしない、ってことです。

子どものこともあるので、離婚しないで今のまま、お互い干渉しないこと、家事など

あてにしないで自分のことは自分でやること・・・等を夫がうけいれてくれるなら、

家庭内別居しつつ 同居人としてやっていくのがいいかな、とは思いますが、

一緒にいること自体がすでにストレスで嫌だ、ということになれば、仕方がないので

離婚という形になるでしょう。

取り決めをせず今の状態のまま行くのは、夫もきついだろうし私も辛いです。

かみ合わない心のまま、言葉が刃になって突き刺さるような状態では、私の状態も

好転しませんし、空しい気持ちでいっぱいで生活自体楽しくない。そんな状態を

娘の前にさらしておくのはやっぱり良くないと思うし。

あまり遠くないところで暮らせるなら、お互い行き来もできるでしょうから、

母親としての役目も果たせると思います。



この決断をするのに一年かかったけど、でも大事な一年だったと思います。

いろんなことを学んだし、自分からアクションする努力もどうしたらよいのか、

多少なりとも学習できたと思っています。

でも酷く疲れたなぁ。


2003年12月19日(金) 最悪

夕方から 激鬱。泣きたくなることばっかり考えてしまう(頭に浮かぶ)ので、

泣いてばっかり。死んだら少しは私のこと考えてくれるだろうか、良かった時の

事をおもいだしてくれるだろうか、そんなことばっかり・・・。

変な考えを抑えておくのに、意味もなくずーーーっとネットしてるかゲームをして

無気力なまま、時間をただ過ごして流している。

あーいやだいやだ。こんなの。でも今日みたいな日はいいことなんて思いつかない。

頭も痛くなってくるし、吐き気がこみ上げてくるし・・・。



こんな地獄の日々を早く終わらせたいけど、良い方法がみつからない。

どうでもいいや、って投げ捨てられるほど将来の希望もない。

不安と絶望ばっかり浮かんできて、逃げ出したい気持ちでいっぱい。

自殺する人の気持ちがよくわかる。後に残される人のこと考えなさい、なんて

その人の立場に立った言葉じゃないって。人間せっぱ詰まって追いつめられたら、

自分の辛さから逃げ出したくなる。今このときこの瞬間の辛さから逃れられるなら、

いっそ死んでしまいたい、きっと楽に違いない、そう思ったら実行しちゃうんだろうな。

「卑怯者」だとか「甘い」なんて、その人に言える人はなーんにも追いつめられた

経験のない人だろう。それか、「バカの壁」じゃないけど、相手の気持ちを

推し量ることができないんだろうなぁ。


でもわかったからって 良い気分でもなんでもない(苦笑)。

にこやかに笑える日って来るんだろうか・・・。

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追記:思えば好きになった人を信じて付いてきて、幸せを掴んだと思ったのも

つかの間、こんなことになってしまったけど、やっぱり恋しいと今も思う。

それだけ本気で惚れたからこそ、別天地に来たんだもの。何とかやり直せないかと

やっぱり思ってしまう。だから今これだけ現実とかけ離れているから辛いんだろうな。

私が本気で取り組んでも頑張っても、なかなか成果を出せず苦しんでいること、

けしてないがしろにしているわけではないこと、言い訳にADHDや躁鬱病を使ってる

わけではないこと・・・それを信じてもらえないのが何より辛く悲しい。


2003年12月14日(日) 講演発表会&パーティ

昨日は 自助団体の後援発表会とパーティがあったので、参加してきました。

思っていたより人数はすくなくて、30人もいなかったかも。

でも 遠くから来ている人も数人いて、大阪はそういったことでは集まりやすく

うまく続いている方なのかな、と思いました。

振るえる手で私もマイクを持って発言してきましたよ。緊張したけど。

片づけが前半のメインで、後半はそれぞれの悩みや状況、それに対する考え等を

発表しあいました。いろんな地域でみんな頑張っているなぁという感じです。

でも 見えない障害なだけに、みなさん理解してもらうのは大変みたいで、

環境がたまたま良かったら まだ生きやすい方なんだけれども、そうでなければ

大変に苦労する・・・それが実感。

そのあと 希望者だけでパーティがあったんだけど、20人くらい集まりました。

飲み放題でイタリアンのメニューでした。ついペースアップしすぎて、途中吐いて

しまったのは 不覚(^_^;

でも にこやかにみなで交流して、楽しかったです。ほんまは3次会も行き

たかったんやけど、予算の関係上諦めて帰宅しました。



そして今日。やっぱり疲れが残ってた〜〜〜〓■●〃バタッ

しんどうて 寝てばっかりいました。昨日から今日にかけて、旦那と娘は家に

いませんからできたんですけどね。なんかでも落差で急に寂しくて、また鬱に

なりそうで怖い雰囲気・・・。

明日受診日だから まだいいけど。自分をコントロールできないってやだなぁ、

やっぱり。


2003年12月03日(水) 調停第一回終了

昨日 第一回目の離婚調停でした。鬱の波が来始めた状態なので、朝なかなか

起きられず遅刻してしまいました。それでも何とか話すことができ、ほっとしています。

でも間の待ち時間や終わった直後の気分の悪さったらありません。考えると

しんどくなるので、目をつぶって半分寝てましたけど・・・。

同じ路線でいけるので、行こう行こうと思っていた洋服の買い物に出ても、

気分は落ちたままなので、なかなか決められず時間がかかりました。

もう少し軽躁状態で行けたら良かったけど、内容が内容だけにそうなるように

持っていくのはほとんど困難。


今日は家にいるので まだましですが、鬱が入ってきてしまうと、家から出る

のがものすごくおっくうで、腰が重くなってしまいます。軽躁・軽鬱の状態で

続いているので、波の振幅は狭くなっているわけですけど、やっぱり鬱の状態は

気持ち悪いです。何をしても楽しくないし、できることなら一日中寝ていたい程

なにもしたいと思えない。

こうしてネットに繋げられるのは、何か刺激があると自然とわかっているから

だと思います。

今は 否定的なせりふ・言葉に非常に敏感で、嫌な気分が増幅してしまうので、

ほんまはネットしない方がいいかもしれないけど。

でもどこかに繋がっていたい、という欲求が勝ちますね。安心できるからかなぁ。


躁鬱病の躁も鬱も、自分でコントロールというのはとても難しいです。

自分の甘えや考えすぎ、後ろ向きの考え方が高じて病気になってしまったのか?

というとそうとは言えない病気ですからね。きっかけにはなるらしいけど。

鬱の状態のとき、自らを守るためには「認知療法」は有効だと思うけど、それも

自分の「気持ち」をもっと下向きにしない程度の効果しかありません。

(調べてみた文献からの印象です、あくまでも)


昨日今日、考えていたのですが、生活の知恵として、鬱の時はどういう生活を

していたらいいのか、軽躁のときはどういった点に気を付けていればいいのか、

等 これから学ぶべき事は沢山あるということに気が付きました。

いやはや 課題はたくさんです。でも調べてる時って集中してるせいか、結構

おもしろい。次々調べたい事が繋がっていって、自分の脳を開けて調べてみたい

ような、そんな気持ちになりました。


しんどいけど 結構しぶとく元気です。でももう少しすっきりしたいなぁ。


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透雪 |MAILDusk of the Black HoleShine&Shadow