Sotto voce
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我慢すること、遠慮することを良しとする生き方をしてきた。 それは、母が我儘を言うことを悪とする育て方をしたからだろう。
人間関係を形成する上で、 たとえ自分にとって不都合なことが生じても 自分が引いたことで丸く収まるならば それでいい、と己の意思を通すことを避けてきた。
むしろ、そうした方が楽だと思っていたから。 感情のぶつけ方を知らずに育った子供は 人とぶつかることを怖がる大人になった。
でも 最近思う。 もう、いいんじゃないかって。
父に、同僚に、恋人に、友達に遠慮して 己の感情をさらけ出せないこの人生 我慢して、消化しきれない感情がどんどんたまって どうすればいいのか見えなくなってきた。 身体壊してまで、心すり減らしてまで 遠慮することのどこが美徳なのか。
痛い、辛い、寂しい、苦しい・・・ そんな感情ばかりがこの身体を占領して 自分が自分であることをやめたくなるほどの苦痛をもたらす。
空っぽの身体は 食物を受け入れることを拒み ようやくとりこんだ水分さえも吐き出そうとする
今さらながら思う 我儘に生きる術を知っていたなら もっと楽に生きられたのかな、と。
何もかも閉ざしてしまえば 結構楽なのかもしれない。
心も 眼も 人と人との繋がりも 恋も 今こうやって戯言を書き込む場所も あちこちから聞こえる雑音も
最悪の場合は、命も。
何もかも閉ざして 自分ひとりだけの闇に篭ってしまえば。
誰も私を傷つけない 何も見えない聞こえないから傷つく必要もない そんな、深い深い闇の中へ。
あたしも結構弱いずるい人間だから 簡単に死にたい、楽になりたいなんて口にするけど、 なんだかんだでぎりぎりで怖くなって どちらかというと「辛い」ことが多い日常を どうにかこうにかやり過ごすことで生きている。
「生きるッて何?? 別に楽しいコトばっかりぢゃないのに、何で生きていなきゃいけないの??」
「何で死んだらいけないの?? 命を大切にッてゆうけど、自分の命を自分で断ち切るのに、問題はあるの?? 誰か、悲しんでくれる人がいても、すぐに忘れてしまうぢゃん。 ずっと思っててくれる人もいないのに、生きてる意味なんてないよ」
「死んだら、何も考えなくていぃし。楽になるのに。 何で嫌なコトを我慢してまで、生きていなきゃいけないんだろう」
「自殺がダメなら、誰か殺してくれればいぃのに」
人間の価値観は一人一人違う。 だけど、上の言葉群を読んだとき、無性に腹の立つ自分がいた。 そんなにこの世が、生きてることが嫌なら、 こんなこと愚痴ってないでさっさと消えちまえよ、と毒づく自分がいた。
普段は彼氏と会えてラブラブ〜だの バイトの売り上げがよくて頑張ってよかった〜だの 今時のギャル文字駆使して日記書いているような子。 だからこそ、こんな言葉たちを見た日にゃ、ある意味身勝手さに腹が立って、 そして見当違いかもしれないけど、ひとつ気がついた。 この子はきっと、本当に大切な人を亡くした痛みを知らないんだ、と。
確かに、自分が死んだとき、どれだけの人が泣いてくれるのか 自分のことを覚えてくれている人がいるかなんてわからない。 ひょっとしたら、そんな人はひとりもいないかもしれない。
だけど、天に召されてしまった時の大きな喪失感、 居なくなってしまった今でも 心の中から消えないほど大切な人を亡くしてしまった痛み、 それだけは知っているし、それだけ大切な人が確かにいる。
時々それを忘れて、簡単に死んでしまいたい、と 口にする自分も確かにいるけれど、 その人を亡くしたことで、その人やその人の周りの人たちの無念を思うと 思いとどまり、実行に移せない自分も確かにいるのだ。
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