Sotto voce
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2005年03月25日(金) 「南林寺」。

パース通りから松原町へ
小学校の角を曲がれば南林寺

この街を通るたび
見えもしない君の部屋の明かりを探す
君と君の愛する人たちが
幸せに暮らしていた街

ちょっと勇気を出して
君に電話すれば会える
でもまた次でいいやと
いつだって後回しにしてきた

君の人柄そのままの
暖かい笑顔に会いたくなっても
今となっては
思い出の中でしかそれは叶わない

君が教えてくれた
ちょっと大人の匂いのする喫茶店
「紅茶にはこれが一番っすよ」と
差し出されたチョコレートの赤いパッケージ

立ち読みしながら待ち合わせた
誰かのバイト先の本屋
ありえないほど急角度のチャペルの階段を
君が最高の笑顔で下りてきた結婚式場

「AV(アダルトビデオ)ルーム」だろ?と
仲間たちに冷やかされてたAVルーム
そういえばみんなで『レオン』を見て
私らふたりだけ号泣したっけ

パース通りから松原町へ
南林寺を経由して
今日は与次郎ヶ浜か平川か
それとも北埠頭かアイムビル

君と出会わなければ
ただの通過点でしかなかった
この街のあちこちに
君の面影を探して歩く

思い出を辿る街にもうすぐ
君と出会ってから11回目の春が来る


2005年03月24日(木) とっくに道は分かれていたのにね。

あれからあなたは違う夢を見つけ

私はあなたに置いてきぼりにされたことを

認められずにただ時間だけが過ぎ



あなたは最後に会ったときと変わらぬ笑顔でそこにいた。

あなたは新しい道を歩き出し

新しい仲間と楽しくやっている。



それが、今あなたが夢中になっていることなんだね。



当たり前だけどその中に私はいなくて

そこに私の入り込む余地はなくて



あなたと私が最後に言葉を交わしたあの日

もうすでにお互いの目指す方向は違っていたんだ

でも、心のどこかで

『いつかまた同じ道を歩む』ことを期待していた



あなたと私が歩む道は

もうとっくに分かれてしまっていたんだね

それを悟ってあっさりあきらめることが

出来ないほど長い間一緒にいたから

わかっていたのにそれを認めたくなかったんだ。


2005年03月14日(月) 荒い息。

あれほど気をつけていたのに、

完治せぬまま風邪をさらにこじらせてしまった。

咳がひどくて息が出来ない。

自分の吐き出す荒い息だけが部屋にこだまする。


とうとう声までやられてしまった。


2005年03月12日(土) あれから1ヶ月。

…そもそも本社勤務だった私が、
現場事務所のピンチヒッターの事務員として
派遣されることになったきっかけ。

それは、この日記に数回登場した後輩・O青年。

彼はわが社にプログラマーとしての
腕を見込まれて入社している。
現に彼が入社したことでうちの会社のHPができたし、
事務のシステムもずいぶん改善された。

社長もそれを評価していたから、
わが社の社運をかけた大工事の現場事務職として
彼を派遣した。

アナログなイメージのある建設業も
ここ数年はコンピューター頼りな部分が出てきた。
監督陣は技術は一流、経験も豊富だが
いかんせんコンピューターに弱い。
その穴を埋めるための彼の派遣だった。
若干不安な部分、現場からの不満はあるけれども、
彼の能力が誰にも文句を言わせなかった。

彼も現場も順調に仕事をこなし、
あと一月もすれば余裕で完成を迎えるはずだったのに
あの大事故が起こった。

その日から現場は24時間フル稼働、
技術職員は交代で泊り込み、
監督と重機の責任者にいたっては、
家に帰るのは風呂に入るための数十分だけ
そんな激動の日々が始まった。

常にぴりぴりとした現場。
その中でO青年が何をやらかしたのかは知らないが、
彼の態度や言動が、現場にいた社長と重機責任者の逆鱗に触れ、
事実上の「自宅謹慎」を言い渡された。

その翌日から、私が彼の代わりに現場に行くことになった。

謹慎が明けて、本社に出勤した彼。
朝礼後、社長との面談の中で、
彼が言った一言がさらに社長を怒らせた。


…結局、彼は現場の警備員として
再び元いた現場に復帰することになった。
…それがよほど屈辱だったのだろうか。

プライドの高い彼がその鼻っ柱をへし折られ、
毎日仕事は休まずに来るが朝も帰りも挨拶もしない。
昼休みだって無言でみんなのいる休憩所にやってきて
ご飯を食べたらさっさと出て行って車の中で昼寝。
あれでどれくらいもつものかと、
私や、同年代の同僚たちははらはらしながら見守っていたら。
ついに、彼が来なくなった。

その日の朝礼で彼がやめたことを告げたK部長。

みんな知らなかった。
社長ですら知らなかった。
前の日だって、警備日報を出しに事務所に寄ったが
一言もそんなことを言わなかった。
K部長のいる支店に電話をかけてきて
今日でやめますさようなら、それだけだったらしい。


彼にしてみれば、ここ1ヶ月はつらく苦しい日々だったのだろう。
でも、あまりにもお粗末過ぎる。
現場はもうすぐ完成を迎えるというのに、
彼が途中で投げ出した書類の山の処理に
監督も私も四苦八苦しているというのに。
突然やめられては、ただでさえ人が足りない現場で
人の手配に困ることぐらいわからないのだろうか。

誰かにいじめられたわけじゃない、
特別仕事がきつかったとも思えない。
彼がここまで追い込まれたのは自分自身の態度が原因なのに。
理不尽なことなど、誰一人としていってはいないのに。


あの事故から一ヶ月。
この現場にいる誰もが、休みなしで働いている。
誰もが過労気味で、
人によっては家族とのコミュニケーションもままならず
それでもこの現場だけは何とか完成させんと
疲れた体に鞭打って働いている。


工事の完成期限は今月末。
もうしばらく、我々の戦いは続く。


2005年03月01日(火) 静寂を切り裂く大音響。

往復2時間の通勤、朝7時〜夜9時前までの勤務、

ついでに言えば2月7日以降休みなし。

煙草の煙と砂埃が充満する現場に事務員として派遣されて

風邪こじらせて肺炎に起こして

熱が無いから仕事休めないといったら

医者の説教と大量の薬を処方され

肉体的にも精神的にも、

そこにいる社員みんながいっぱいいっぱいで

常にぴりぴりとした空気が満ちていて。



なのに家に帰ると眠れないんだな、これが。

全く眠れないわけではないが、毎日1〜2時間の睡眠しか

とれずにいる今日この頃。



今日もそうだった。

どうしても眠れなくて、

それでもなんとか4時だか5時だかに意識が遠のいていった、と思ったら。



なんで早朝5時半ぐらいから火災訓練やるんすか!!(激怒)


我が家は道路に面している。

そこを、いくら訓練とはいえ朝っぱらから

けたたましいサイレンの音を鳴らして緊急車両が通り過ぎていく。

我々親子はこれが訓練だとは知らなかったので、

どこが火事だろう、近くなのかなと心配していたら

父の友人が『火災訓練』だということを教えてくれたらしく。



いや、わかりますよ。

『火災予防運動』の初日でしたし。

でもね、何が楽しくて早朝からんなことしないといけないんですか!!

思わず役所に苦情電話いれたくなりましたもん。




・・・結局この騒ぎで眠れなくなり

今日も今日とて、疲労でぐだぐだの身体を引きずって出勤したわけで。

いつか居眠り運転かなんかで事故を起こしそうで怖い。


安積 紗月 |MAILHomePage

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