沢の螢

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七月の鬱
2006年07月06日(木)

ワールドカップに夢中になっている間に、北の隣国から、日本海に打ち込まれたもの。
その詳細と、今後の成り行きは、当然気になる。
憂慮する冷静な意見と共に、好戦的、感情的な考え方も、インターネット上には散見する。
太平洋戦争終結後の60年間、日本は、いかなる国に対しても、不当に侵略したり、他国民を迫害したりすることなく、過ごしてきた。
これは素晴らしいことだ。
もちろん、平和憲法があり、防衛上はアメリカの庇護の元にあったからだと言えば言えるが、そうした議論をここでするつもりはない。


史上初めて、原子爆弾が投下され、私の叔母も含めて、たくさんの人命が失われ、今もその影響が続いている事実を考えると、アメリカに対しても、複雑な思いがある。
だが、アメリカを始め、ほかの大国からどんなにバカにされようが、非難されようが、自国を守るための手段としてさえも、慎重な態度をとり続ける日本のあり方を、変えて欲しくないと思っている。
その点になると、家族の間でも、意見が異なる。
個人のレベルでどうにかなる話ではないので、家庭の平和が侵されるほどのバトルはしないが、多分、育った環境と体験の違い、男と女の違い、様々あるのだろう。

父が亡くなってから、私は自分の育った家系の、すでにあの世にいる親族についても、調べてみる機会があり、その人たちの人生に、思いを馳せるところ多々ある。
私の父は、主計官として、当時仏領インドシナと言われた現在のベトナムに従軍したが、幸い生きて帰ってきた。
しかし、父の末弟である叔父は、太平洋上を飛行中、20歳の若さで戦死している。
墓碑には、その叔父の銘も刻まれている。
飛行服を着た叔父の、写真も残っている。
少年の面差しの残る、凛々しく美しい顔。
生きていれば、82歳。
恋も知らず、散った叔父の命を思う時、生ぬるい平和であっても、戦争よりいいと思うのだ。

しめった空気のよどむこの季節。
家中カビが生えそうである。
だが、明ければ、カッと日差しの照りつける暑い夏になる。
昨日は、大雨の中、前から約束してあった友人と、都心で待ち合わせ、さる美術館まで、骨董を見に行った。
李朝や伊万里の焼き物で、目の保養をした。
人間は、こんな美しい物も作るのに、片や、人殺しもするのだ、
今日は、父の新盆を控えて、近郷のある寺に行き、新しい位牌に法名を入れて貰った。



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