沢の螢

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なんと素晴らしい国
2006年06月08日(木)

5日,6日と、伊東に一泊の旅をした。
女ばかり6人で、温泉と連句を愉しみましょうという趣向である。
メンバーは、2月にみなとみらいで、同じ旅をした人たち。
先輩格の3人に、私を含めた弟子格の若手?3人が付いて行く。
若手と言っても、年には関係ない。
ひとりは、連句歴20年くらいのベテラン、もうひとりは、連句でこそ新人と謙遜しているが、外の世界では、その道で名前の通ったキャリアウーマンである。
残る私は文字通り最年少だが、もう60を過ぎる年になると、前後5年や10年は四捨五入して考えるのが、この年代の特徴である。
連句歴は、メンバーの中で、短い方の2番目と言うことになるが、歯に衣着せぬ物言いで、妙に最近目立ってきたらしい。
「ナマイキだし、外すとウルサイから、仲間に入れておこう」といったたぐいの誘いが増えてきた。
でも、今回は、前回の旅行が楽しかったので、同じメンバーで、またやりましょうと、先輩の方から、誘ってくれたのである。
父の四十九日が済まないのに、と思ったが、「行ってきなさいよ。留守中何かあれば、代わりに対応するから」と夫が言ってくれたので、参加の手を挙げた。

当日は、東京駅から踊り子号に乗っていく。
先輩のお姉様たちは、指定席を買ったらしいが、私は、平日だから混むこともあるまいと、ケチって自由席で行くことにした。
一時間早く出ることになるが、早く着いて、伊東の駅前を探索するのもいい。
同じ電車で、横浜からもうひとりが乗り込むことになっている。
早めに家を出、最寄り駅で、切符を買い、かなり早く東京駅に着いたので、構内で、にぎりめしなど仕入れ、横浜から乗り予定の友達に、ケータイを掛けたりした。
三十分前、踊り子号の出るプラットホームに移動。
私の荷物は、中型のリュックとショルダーバッグ。
ただの旅なら二つで済むが、連句の困るのは、歳時記、電子辞書、ノート、筆記用具、短冊などが結構な嵩になることで、しかも、重い。
そこで、それだけを小型の手提げバッグにまとめて、手に持つことにした。
車中で読もうと、文庫本も入れた。
連句では、発句を持っていく習いである。
これも、車中で考えようと、連句用品は、いつでも、取り出せるよう、手に持つ方のバッグに入れたのである。
電車を待つまでしばらくホームの椅子に腰掛けていた。
リュックは、足下に置き、ハンドバッグは膝の上、連句バッグとお弁当の袋は手に持っていた。
電車が来たので、立ち上がり、荷物を持って、指定の場所に並んだ。
私の前には、ひと組のカップルがいただけ。
すいている、席は充分あると見た。
ドアが開き、乗り込んだ。
入り口に近いところに席を確保、横浜で乗り込むことになっている友人にケータイを掛けた。
車両番号を言い、発車まであと10分足らずだが、今のうちに、おにぎりを食べてしまおうと、席に坐り、おにぎりの袋を開けた。
リュックは、網棚の上、ハンドバッグは隣の席に移し・・・と言うところで、もう一つ、手提げバッグのないことに、その時はじめて気づいた。
おかしい、ずっと手に持っていたのにと、座席の近くを見たが、無い。
さては、何処かに置き忘れたか、落としたか。
すでに、発車が近いことを告げるアナウンスが流れている。
どうしようか。
一瞬考えたが、このまま乗っては行けない。
あわてて、リュックをおろし、おにぎりとペットボトルを袋に戻して、飛び降りた。
乗り込むまで座っていたベンチを見たが、見あたらない。
念のため、もう一度車中に入り、さっきまで坐っていた席を確かめる。
やはり無い。
ホームに戻り、取りあえず、心当たりを探すことにした。
おにぎりを買った構内の店に行く。
お金を払う時に、カウンターに置き忘れたかも知れない。
訊いてみたが、無いという。
広い東京駅構内。
どこに行けばいいのか。
目に付いた案内スポットに行くと、「車中でしたら、1番線の事務所、駅構内でしたら外の遺失物センターです」という。
そこで、ホームの事務室に行くことにする。
歩きながら、横浜で待っている友人に電話。
1時間後に出る踊り子号に乗る旨伝える。
ほかの人たちは、最初からその電車なのである。
事務室に行き、東京駅まで乗った電車と時間、無くした手提げバッグの仕様と中身を言い、連絡先を書いた。
JR関係の場所なら、オンラインで繋がるので、私の最寄り駅で無くしたとしても、届けば判る仕組みらしい。
まず、乗り込む直前のプラットホーム、次は売店、その次は東京駅までの車中というのが、私の思い当たる場所だった。
次の電車は全部指定である。
窓口で追加料金を払って、特急券を振り替えて貰う。
家にいる夫にも、電話し、念のため、自宅から駅まで乗ったバス会社にも、届けて貰うよう頼んだ。
そんな時「だから荷物を一つにしなさいと言ったじゃないか」なんて、よけいなことを言わないのが、夫のいいところである。
「現金が入っていないなら、出てくるよ。もう忘れて、気を付けて行きなさい」と言ってくれた。
第三者にとって価値ある物と言えば、電子辞書くらいで、あとは、私にとってしか意味のない物ばかりである。
そうこうしているうちに、次の電車の時間になり、ホームに行った。
もう、あとの人たちも集まっていた。
いきさつを話し、「よくあることよ。でも、きっと出て来るから、辞書も、短冊も、私たちのを使ってね」と慰められた。
伊東までの車中は、ほかの人たちとは別になったが、電車が走り出し、おにぎりを食べて、やっと落ち着いた。

伊東でのプログラムは、主催者の心遣いもあり、盛りだくさんの連句を堪能、温泉に入って、楽しい時間を過ごした。
女ばかりの旅は、屈託が無くていい。
美味しいものも食べ、会話も弾んで、出発時のアクシデントも忘れることが出来て、帰宅することが出来た。
自宅の最寄り駅の窓口でも、念のため問い合わせたが、無かった。
「東京駅は広いから、出てきても、プールされるのに、時間が掛かるのよ。
あきらめないで待った方がいいわよ」とみんなに言われたが、半ば、あきらめていた。
ところが、次の日、東京駅駅長名の葉書で、私の物らしい手提げバッグが届いているというのである。
身分証明書とはんこを持って、取りに来るようにとの連絡である。
辞書類には、名前と住所が書いてあるから、それで、判ったのだろうか。
早速ほかの予定をやめて、駅に向かった。
東京駅南口から出て、少し歩いた「忘れ物センター」に行った。
葉書を見せると、すぐに品物が目の前に。
住所、氏名、電話番号、はんこを押して受け取る。
「どこにあったんでしょう」と訊くと、プラットホームのベンチだとか。
私が乗り込む時に、おにぎりの袋に気を取られて、バッグを置き忘れたらしい。
通りがかりの乗客か、駅の清掃の人か、駅員か、誰だか判らないが、私が気づく10分足らずの間に、いち早く、保護されていたと見える。
中身は、すべて無事、紙一枚無くなっていなかった。
たくさんの人が行き交う東京駅。
「誰かが持って行ったのよ」と、見知らぬ人を疑ったことを、反省した。
そして、無くしたものが、ちゃんと出てくる日本は、なんといい国だろうと、あらためて感激した。
私の暮らした外国の大都会は、物を置き忘れたら、二度と自分の手には戻らないのが常識だった。
悪いことが多くなり、殺伐としてきた日本だが、まだまだ、素朴な善意が生きている。
駅の事務室で、あちこちの車中に連絡を取ってくれた駅員、売店の人、忘れ物センターで、「よかったですね」と言ってくれた年配の係員、私のドジに、咎め立てすることもなく、付き合ってくれたのだった。
そして、そのおかげで、私にとって大切な物が、すべてそのまま、返ってきたことが嬉しい。
忘れ物センターには、「あじの干物、30枚忘れました」などと駆け込んできた人もあり、ウッカリさんは、私ばかりではないようだ。
「今度から、ハンドバッグのほかは、大きな荷物一つにしなさい」と、夫に言われた。
いつも、連句仲間から「どうしてそんなに大きい荷物持っていくの」と言われるので、今回格好を付けて、小型のリュックにしたために、はみ出してしまった連句道具一式。
もう、誰がなんと言おうと、大型キャリーバッグを引いていく。



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