沢の螢

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梅雨の晴れ間
2006年06月02日(金)

6月に入った。
雨の日と晴れた日とが、交互に訪れるような空模様が続く。
梅雨の季節は、憂鬱という言葉に置き換えられたりするが、私はこの季節、そんなにきらいではない。
晴れた日は、スーパーに買い物に行き、洗濯物を干し、雨の日は、家の中で片づけものをしたり、書斎で書いたり読んだりの時間を過ごす。
主婦としての長い年月の中で、ごく自然に身に付いてしまった、生活スタイルであろう。
この10年ばかりは、俳諧の道に遊ぶことが多くなり、それに伴った交流も増えてきたが、人間くさい現場には、心安からぬことがあるのも、事実である。
そんな風に感じた時は、しばらくそこから身を遠ざけることにしている。
私が楽しいと感じる時は、片方に楽しくない人もいるだろう。
人の集まりというのは、時として、大変理不尽で、残酷なものである。
これが、学校や職場であったら、我慢して乗り越えなければならないだろうし、忍耐が実を結んで、よりよい環境が得られるかも知れない。
しかし、もはや人生の黄昏期に入った私には、そんなことにエネルギーを使うよりも、残された日々を穏やかに過ごしたいという気持ちの方が強くなった。
俳諧、短歌、詩、エッセイ、小説、シナリオ。
大半は世に知られていないそれらのものを、元気なうちに、そろそろ整理しておきたいという気持ちもある。
先日父を亡くしてから、そんなことを考えるようになった。

昨日はよく晴れていたので、外出。
都心の仏具屋に頼んであった物を取りにいった。
墓守になってしまったので、最小限の心得も、知っておきたいと、仏教の勉強をし始めた。
宗祖の教義とかけ離れたものになってしまった現代の仏教。
葬式に関してやたらに決まり事が多いが、本を読むと、宗祖は、決して、そんな形式ばかりを一番に考えていなかったことが分かる。
形骸化して、お金ばかりかかるようになってしまった今の仏教。
それでは、貧しい人は救われないではないか。
父は信心深い人であったが、形式主義ではなかった。
その遺志を生かしていきたい。
仏具屋の帰り、母のところに寄る。
父が亡くなってちょうどひと月。
最初は眠れぬ夜もあったらしいが、昨日はさっぱりと落ち着いた顔をしていた。
納骨の打ち合わせをしながら、世間話もして帰ってきた。
 
今日は曇り空。
夕方には雨になるのだろうか。
テラスの塗装が剥げ掛かってきて、気になっていた。
先日職人さんが来て、きれいになった。
乾くまで、雨に降られず助かった。

透き通る思い出もあり芒種かな



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