私は自分でも、ネット連句の座を持っているが、管理人というのは、細かな神経を使う。 大体は5人から7人くらいで、連作を愉しむのだが、メンバーはさまざま。 よく顔を合わせる人もいれば、ネットでしか知らない人もいる。 最低、メールアドレスだけは教えて貰うが、そのほかの個人情報にはタッチせず、たとえ身元が分かっていても、他の人には知らせないことにしている。 管理人への信頼感がなければ、ネットの交流は成り立たないし、どこで誰が見ているか分からないのがネットだから、プライバシーには気を使う。 それでも、句の作り方や書き方には、人柄が現れるので、そのうちには、「この人は誰さんだな」ということが、うすうす分かるが、実際の場で顔を合わせても、お互い詮索せず、知らん顔しているのが礼儀である。 自主的に名乗った場合は、その人の責任だから、それはほっておく。 勝手に、交流が始まったら、どうぞご自由に、私の方からは、メンバーの身元は明かしません、と言うことである。 連句を嗜む人に、基本的に悪人は居ないから、今までの処、問題になるようなこともなく、過ぎている。 いつも管理人ばかりでは、気疲れするので、私も、他人様のネット連句には、いくつか参加している。 余計な気遣いはないし、無責任でいられるので、楽しい。 その連句座の運営のことまで考えず、自分の句作りに専念できる。 自分の座では、常に全体を把握する目がなければならないし、メンバーが不公平感を持たないよう、細部に渡って、バランスを考えたりするが、よその座では、自由に遊べる。 ただ、私はどうもひねたところがあるらしく、ネットの中といえども、人付き合いの下手さが、現れてしまうことがある。 「よい戦争より悪い平和」という言葉があるが、文芸上のことになると、ここだけは譲れないと言う面を、つい、ストレートに出してしまうのである。 ケンカにまではならないが、ちょっと違うなという思いを抱くことがあり、居心地の悪さを感じると、私は、その座から遠のいてしまう。 今参加中のあるネット連句座で、そんな私のために、主宰が、別の座を設けてくれた。 「教室で、マイペースの生徒のために、教師が段ボールの隠れ家を隅に作ってあげたりするでしょう」と言ったのは、皮肉もあるかも知れないが、ユーモアである。 進行中の連句で、ちょっと無理して参加している私を、よく理解しているなと、思った。 その主宰とは、顔見知りの間柄なので、私は、素直に受けとり、ネット上の段ボールの隠れ家で、他の座とは違った連句をするのを楽しみにしていた。 「ここは私との両吟ですが、付けるのは誰でもどうぞ」と主宰が言ったのは、ほかの人たちへの配慮である。(と私は理解した) すでに進行中の連句は、一句一句主宰が捌いていて、その道の先達としての見解を示してくれるが、それとは違う物をイメージしているなと思った。 「どんな成り行きになるか責任を持てないので、あまり近寄らない方がいいですよ」と主宰は付け加え、私の句に、付けてくれた。 長句、短句、長句と続き、次は短句で、こちらが付ける番である。 早速2句出した。 出来が悪ければ、主宰が、何か言うはずである。 ところが、なんと、他の人も、私に続いて、句をどんどん出すではないか。 「誰が付けてもいいですよ」と確かに主宰は言った。 しかし、段ボールの隠れ家にいる、ひねくれ者の私のために、別の座を設けてくれた経過は、みんな分かっている。 私が第三者だったら、そこに入るのは遠慮して、経過を見守るだろう。 進行中の連句があるのだから、そちらで愉しめばいいのである。 わざわざ、訳ありの座に、進入することはない。 中には、「お邪魔では?」と言いながら、句を出した人もいたが、そんなに次々、入ってくる人がいるとは意外であった。 「あまり近寄らない方がいいと言ったんですけどねえ」と言いながら、主宰は、付け句を吟味して、ある句を治定した。 最初に出した私の句は、板の下の方にスクロールされて気づかなかったらしく、吟味の時には、入っていなかった。 後から気づいて、吟味はしてくれたが、正直がっかりした。 両吟というのは、二人でする連句のことである。 本当は、メールか何かで、非公開でやればいいのかも知れない。 みんなでやっている連句座の中に、それを設けたのは、オーソドックスに捌く連句と、また違った趣向をねらったのかも知れない。 その中で、いろいろ実験的な試みをしながら、見せ物にしてみようと言う、遊びの気持ちがあったのだろう。 ただ、それに応えるには、私の付け句は、期待はずれであり、ほかに出した人の句の方に、いい物があったと言うことなのだろう。 理屈ではよく分かる。 でも、それなら、そのように言ってくれればいいではないか。 そして、ちゃんと経過があって、私のために作ってくれた座(と思ったのは私の一方的な思いこみなのだろうか)に、遠慮無くづかづか入り込んで、場所を浚ってしまう人たちに、私は、割り切れない感じを抱いた。 教室で、みんなと上手くやっていけない生徒に、教師が、別の場所を作る。 そっと見守ってくれるのが、クラスメートの優しさではないか。 場所を奪われた生徒は、これからどうしたらいいのか。 多分、二度と、そこには戻らない。
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