沢の螢

akiko【MAIL

My追加

隠れ家から
2006年05月29日(月)

私は自分でも、ネット連句の座を持っているが、管理人というのは、細かな神経を使う。
大体は5人から7人くらいで、連作を愉しむのだが、メンバーはさまざま。
よく顔を合わせる人もいれば、ネットでしか知らない人もいる。
最低、メールアドレスだけは教えて貰うが、そのほかの個人情報にはタッチせず、たとえ身元が分かっていても、他の人には知らせないことにしている。
管理人への信頼感がなければ、ネットの交流は成り立たないし、どこで誰が見ているか分からないのがネットだから、プライバシーには気を使う。
それでも、句の作り方や書き方には、人柄が現れるので、そのうちには、「この人は誰さんだな」ということが、うすうす分かるが、実際の場で顔を合わせても、お互い詮索せず、知らん顔しているのが礼儀である。
自主的に名乗った場合は、その人の責任だから、それはほっておく。
勝手に、交流が始まったら、どうぞご自由に、私の方からは、メンバーの身元は明かしません、と言うことである。
連句を嗜む人に、基本的に悪人は居ないから、今までの処、問題になるようなこともなく、過ぎている。

いつも管理人ばかりでは、気疲れするので、私も、他人様のネット連句には、いくつか参加している。
余計な気遣いはないし、無責任でいられるので、楽しい。
その連句座の運営のことまで考えず、自分の句作りに専念できる。
自分の座では、常に全体を把握する目がなければならないし、メンバーが不公平感を持たないよう、細部に渡って、バランスを考えたりするが、よその座では、自由に遊べる。
ただ、私はどうもひねたところがあるらしく、ネットの中といえども、人付き合いの下手さが、現れてしまうことがある。
「よい戦争より悪い平和」という言葉があるが、文芸上のことになると、ここだけは譲れないと言う面を、つい、ストレートに出してしまうのである。
ケンカにまではならないが、ちょっと違うなという思いを抱くことがあり、居心地の悪さを感じると、私は、その座から遠のいてしまう。

今参加中のあるネット連句座で、そんな私のために、主宰が、別の座を設けてくれた。
「教室で、マイペースの生徒のために、教師が段ボールの隠れ家を隅に作ってあげたりするでしょう」と言ったのは、皮肉もあるかも知れないが、ユーモアである。
進行中の連句で、ちょっと無理して参加している私を、よく理解しているなと、思った。
その主宰とは、顔見知りの間柄なので、私は、素直に受けとり、ネット上の段ボールの隠れ家で、他の座とは違った連句をするのを楽しみにしていた。
「ここは私との両吟ですが、付けるのは誰でもどうぞ」と主宰が言ったのは、ほかの人たちへの配慮である。(と私は理解した)
すでに進行中の連句は、一句一句主宰が捌いていて、その道の先達としての見解を示してくれるが、それとは違う物をイメージしているなと思った。
「どんな成り行きになるか責任を持てないので、あまり近寄らない方がいいですよ」と主宰は付け加え、私の句に、付けてくれた。
長句、短句、長句と続き、次は短句で、こちらが付ける番である。
早速2句出した。
出来が悪ければ、主宰が、何か言うはずである。
ところが、なんと、他の人も、私に続いて、句をどんどん出すではないか。
「誰が付けてもいいですよ」と確かに主宰は言った。
しかし、段ボールの隠れ家にいる、ひねくれ者の私のために、別の座を設けてくれた経過は、みんな分かっている。
私が第三者だったら、そこに入るのは遠慮して、経過を見守るだろう。
進行中の連句があるのだから、そちらで愉しめばいいのである。
わざわざ、訳ありの座に、進入することはない。
中には、「お邪魔では?」と言いながら、句を出した人もいたが、そんなに次々、入ってくる人がいるとは意外であった。
「あまり近寄らない方がいいと言ったんですけどねえ」と言いながら、主宰は、付け句を吟味して、ある句を治定した。
最初に出した私の句は、板の下の方にスクロールされて気づかなかったらしく、吟味の時には、入っていなかった。
後から気づいて、吟味はしてくれたが、正直がっかりした。
両吟というのは、二人でする連句のことである。
本当は、メールか何かで、非公開でやればいいのかも知れない。
みんなでやっている連句座の中に、それを設けたのは、オーソドックスに捌く連句と、また違った趣向をねらったのかも知れない。
その中で、いろいろ実験的な試みをしながら、見せ物にしてみようと言う、遊びの気持ちがあったのだろう。
ただ、それに応えるには、私の付け句は、期待はずれであり、ほかに出した人の句の方に、いい物があったと言うことなのだろう。
理屈ではよく分かる。
でも、それなら、そのように言ってくれればいいではないか。
そして、ちゃんと経過があって、私のために作ってくれた座(と思ったのは私の一方的な思いこみなのだろうか)に、遠慮無くづかづか入り込んで、場所を浚ってしまう人たちに、私は、割り切れない感じを抱いた。
教室で、みんなと上手くやっていけない生徒に、教師が、別の場所を作る。
そっと見守ってくれるのが、クラスメートの優しさではないか。
場所を奪われた生徒は、これからどうしたらいいのか。
多分、二度と、そこには戻らない。



BACK   NEXT
目次ページ