沢の螢

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こんな夜に
2006年05月17日(水)

このところ、眠れぬ夜が続く。
五月終りの誕生日を待たずに亡くなった父のこと・・。
親不孝したなと言う思いばかり・・。
訊きたいこと、話したいことが、まだまだあったのに。

私は父にとってはじめての子である。
難産だったのに、その日、肝心の父は花見に行って家に居らず、産気づいた母を病院に担ぎ込んだのは、父の長姉である伯母の連れ合いだったという。
「**さんは、花見に酔っぱらってしまってねえ」と言う話を伯母にされるたびに、父はバツの悪そうな顔をした。
一時は、母か私のどちらかが死ぬかもしれないほどの難産だったらしいが、幸い、二人とも助かった。
もしもの時は、母の命を優先することになっていたと言うから、私はひょっとしたら、この世に生まれていなかったことになる。
鉗子分娩だったために、生まれたばかりの私は、馬のような長い顔だったそうだ。
赤ん坊の骨は柔らかいので、数日の後には、丸くなったそうだが、その後遺症か、耳の上の方がちょっとくぼんだようになっているのは、鉗子で挟まれたためである。
髪に隠れているし、言わなければ誰も気づかないが・・。

父が亡くなって、こんなことも思い出した。
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眠れない夜が続いている。
熟睡できないのだ。
亡くなった父が夢枕に立つ。
正義感が強く、厳しかった父。
きょうだいも下の方になると、あまり叱られたことはないらしいが、私は子どもの時、よく父から物差しで叩かれたりした。
父は社会に出る時、小説家になりたいとか、映画監督になりたいという夢を持っていたらしいが、結局、家族の反対で、役人になってしまった。
その代わり、趣味として、生涯、映画と本を愛した。
私は父のお供で、大人の映画も見せて貰った。
私が育つ頃は、映画の黄金時代。
内外の名画が溢れていた頃だった。
父と一緒に見た数々の映画。
帰り道、お互いに感想を言い合ったことも思い出す。

私達夫婦と暮らした三年間。
それも、7,8年前のことになってしまったが、父は、いつも控えめで、娘夫婦に気を使っていたような気がする。
心遣いが足りなかったなあという悔いが、未だに残っている。
親不孝な娘を許してくれるだろうか。



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