学生時代に入っていた合唱団の同期会に行く。 本当は一番いい季節のはずなのに、冬に戻ったような寒い一日。 行きも帰りも雨だった。 参加者18人。 親の介護や、自分自身の病気などで、出て来られない人も何人かいたが、いつも顔を見せている人たちは、大体来ていたし、賑やかに話が弾んだ。 若い時のように声は出ないし、音程もあやしくなっているが、昔唱っていたレパートリーは、なんとかハモった。 1分スピーチが、みな、5分くらいかかって、思いの外、時間を取られてしまったのは、お互い老化現象なのである。 ひとの話は長く感じるのに、自分の番になると、ついつい長くなってしまうのも、特徴。 年に一度の顔合わせだから、近況を聞いても、たいてい帰る頃には忘れてしまう。 立食パーティなので、食べたり飲んだりしながら、いくつかの固まりが出来、話はそれで充分な気がする。 折角だから唱う時間を多くした方がいいのに、と正直思ったが、いざ自分の番になると、やはり5分くらい喋ったようだ。 近況として、父の亡くなった話をした。 あっさりと聞いてくれたのは、もうみんな、もっと早くに親を亡くした人が大半だからである。 自分自身の老いが迫っていて、連れ合いに先立たれたひともいるのだ。 三人の幹事が、毎年開いてくれる会。 昨年、もう発展的解消をしようかという話も出た。 出てくるメンバーは大体決まっているし、元気な人はそれぞれ、仕事や趣味で忙しいし、合唱の同窓会はほかの年次でもやっているので、そちらに合流してもいいのではないかという案である。 しかしやはり、同期の会は得難いので、続けましょうと言うことになり、今年もいつもの場所に顔を合わせた。 午後四時に集まり、九時に解散。 同じ電車に乗る人と、途中まで一緒だった。 今日は、晴れていれば、同期会の前に行くところもあったのだが、寝坊してしまい、慌ただしく出かけるのもイヤなので、そちらはパスした。 もう一日に一つのことだけでいいと思うようになった。 これも、加齢現象であろうか。 することが沢山あって、いつも忙しく、あちこち飛び回る生活をするのを自慢にするひとが、私の時代は結構いた。 リタイアする年になっても、相変わらず、同じような日々を送り、その人たちは、ひとより忙しいと言うことが、未だに誇りなのだ。 今日もそんな人が何人かいた。 若い頃は、「すごいなあ、エネルギーがあるなあ」と感心したものだが、今は、思わない。 なんで、そんなに忙しくなきゃならないのと、冷ややかに見ている。 そう言うタイプのひとは、多分、どんなに時間があっても、足りないのだろう。 死ぬまで、何かに追われて暮らすに違いない。
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