沢の螢

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遺される側
2006年05月11日(木)

きょう母のところに行った。
父が死んで早くも10日経ち、ひとり遺された母を気遣って、私と妹二人が、代わる代わる訪れている。
初めのうちは、泊まったりしていたが、部屋にしつらえた檀に、父の遺影と遺骨が安置されているので、母はそれで気持ちが落ち付くらしく、夜も安心して眠れるという。
昔、母の友人が夫を亡くし、遺骨が部屋にある間、気味が悪くて眠れないと言った人がいて、「なんてバチあたりかしら。亡くなったご主人が守ってくれると思えば、心強いはずなのに」と、憤慨していたことがあった。
葬儀いっさいが済み、だんだん通常の生活に戻ると、母は、傍にある遺骨と遺影に向かい、朝に夕に手を合わせ、語りかけているらしい。
ハウスのスタッフが日に何度か見回りに来てくれるので、孤独にもならず、そんな遣り取りのうちに、気持ちも落ち着いてきたようだ。
一人になった時、まだ涙が出たりもするらしいが、人は、大切な人と死別した時、充分に悲しんで、思い切り涙を流すプロセスが必要なのである。
その過程を経ないと、次のステップを踏み出せない。
まだ納骨もあるし、相続の手続きもある。
きょうは、そんな用事もあって、行ってみたのだ。
母の気持ちや雑用との付き合いは、妹たちがやってくれるが、難しいことは、結局私がやることになりそうだ。
私たち夫婦は、両親と同居していた3年間に、出来る限りのことをしたつもりだが、たまにやってくる妹たちには、あまり感謝もされず、批判ばかりされた不快な経験をしている。
同居している人間が、外に居る人間から、悪者扱いされてしまうのは、嫁姑ばかりではない。
昔、「となりの芝生」というテレビドラマがあり、長男夫婦と同居している母親が、よりよい環境を求めて、子どもたちの間を、渡り歩く話だったが、環境は自分が努力して作るものである。
誰かが作ってくれるのではない。
いろいろな過程を経て、母も、分かってきたらしいが、娘たちを、性格と力量に併せて、使い分けるやり方は、変わっていない。
「お父さんのためには、何でもしてあげたい気持ちになったけど、お母さんには、裏切られたからなあ」と、夫は言う。
私たち夫婦と同居すると決め、共に過ごした間、父は、私と夫を信頼し、何一つ不満は言わず、感謝の気持ちを持って接してくれた。
夫も、よくそれに応えてくれた。
でも、私は、もう、母を責める気持ちはない。
自分を守るための、年寄りの知恵なのだと、今は思っている。
きょうも、今後の事務手続きについて、「お母さんが頼みたい人に頼めばいいのよ」と言ってみたが、母は私に期待している。
お墓のこと、諸手続のこと、「お願いね」の一言には重すぎるが、これも長女の宿命、夫に手伝って貰って、やることにした。
妹たちは、母と一緒に泣いたり、慰めたり、私の指示に従って、動いていればいいのである。
「長女は泣いてばかり居られないのよ」と言いたくなる。
でも、やはり一番かわいそうなのは、夫を亡くした母である。
残りの人生を、安心して過ごさせてやりたい。

余談だが、私の年になると、死というのは、遠い話ではなくなる。
夫は毎月、誰かの葬式に行っている。
黒い背広をクリーニングに出すのが、難しいくらいである。
平均寿命から行くと、妻が残る方が多いのかも知れないが、最近は、夫の知り合いでも、妻に先立たれる男性が増えてきた。
「お父さんより1分でも長生きして、見送りたい」と言っていた母は、その通りにつとめを果たした。
私と夫はほぼ同年。
私は、自分が先に逝きたい方である。
遺される側にはなりたくない。
夫の居ない人生を考えただけで、ぞっとする。
だから「長生きしてね」と、夫にはいつも言っている。



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