父が亡くなって1週間経った。 親族だけの通夜と告別式。 縁のあった人たちの中には、もう高齢や病床にある人もいるので、報せは、子どもと孫、直系の親類に限ったが、父が最後まで世話になったケアハウスのスタッフも、数人、参列してくれた。 地元の葬儀社の手で、手際よく進められる喪の儀式の中で、母も私たちも、涙を流している暇はなかったが、それらの次第に従うことで、直接的な悲しみは、一旦外に措かれた。 本当の悲しみは、むしろこれからであろう。 4日の告別式の後、父の遺体は荼毘に付され、遺骨の壺の中に収まって、母の元に戻ってきた。 それまでの、一連の儀式の中で、私がもっとも心を打たれたのは、ケアハウスの人たちの、別れの姿であった。 そこで暮らす人たちは、多くが、車椅子であったり、杖をついてやっと歩ける人たちであり、いずれも、介護士の介助を受けながら、ハウスの中の一部屋にしつらえた、父の棺に別れを告げに来てくれた。 中には、何故そこに来るのか、よく意味も分からない人もいたかも知れない。 しかし、人が長年培ってきた礼節や人柄は、そうした場合にも、滲み出るものである。 棺の小窓をのぞき込み、長いこと手を合わせながら涙を流した老婦人、小さな声で「さよなら」を言って、瞑目してくれた父と同年配の男の人、そのほかの人たちも、それぞれの作法で、静かに別れをしてくれた。 やがて来る自らの死と重ね合わせても居たのだろうが、美辞麗句を並べるでも、大げさなことをするでもない動作の中に、人の真心が現れていた。 母と、私、末の妹が連れ合い共々、礼を返しながら、自然の涙が溢れるのを禁じ得なかった。 これが本当の、死者との別れの姿だと、感じた。 スタッフたちは、住人たちのケアをする中で、日常的に、人の病苦や死と向き合っている。 その日も、ほかに、2人の「お別れ会」があったらしい。 介護の仕事の中で、時間を調節して、仕事着のままで、手を合わせに来てくれた。 中でも、いつも、父の介護に当たってくれた若い青年が、遺体となった父の枕元で、座り込んだまま、長いこと泪を流した姿は、仕事を離れた一人の人間の気持ちであったろう。 父は五月生。 晴れ男だったのだろうか。 旅だった日から、告別式まで、ずっと青い空であった。 父は元気な頃、短歌を愛し、その道にいそしんでいた。 短歌を捨て、連句に入ってしまった私だが、父の死をきっかけに、また、短歌に戻りたい気持ちが湧いてきた。 本当に自分を表現できるのは、短歌である。 連句には、孤独に耐える厳しさがない。 いずれ、父の遺稿をまとめることになる。 もう一度、短歌を見つめ直したい。 大空の絹ひとひらも動かさず父は逝きけり初夏の日に
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